『生長の家教義研修講座』で古事記の話が為された、立派な話である。よく勉強もされている。だが、何かが足りないことをしきりに観ずるのである。

翌々考えると、實體驗のような経験がないことである。紙面上では私以上に勉強されているが、言霊の持つ『霊的な感覚』難しいかもしれないが、実際に其処に辿り着いて感じるものである。

よく例え話とだすが西行法師の

なにごとの おはしますかは 知らねども 

 かたじけなさに 涙こぼるる

 

「このなにごとの」という表現に言霊を感じておられるのである。生長の家でいう歴代天皇の霊のようなものを感じているのですが、それは誰にも言えないが申し訳なく涙が出る。

その「何事の」というものを私は幾度となく感じたことがある。そこは虚無の世界ではない、そこに誰かが呼んでいるのです。鬱蒼とした樹木に囲まれた山林で勿論誰も呼ぶような人はいない。

それでもはっきりと聞えるのです。

あなたの巡拝する所はここですよ。

と教えてくれるのです。多分、歴代天皇の陵墓など参拝していないとわからないと思うが、

そういうのを感じたのは最初に後宇多天皇陵である。

後宇多天皇 蓮華峯寺陵並びに亀山天皇皇后 佶子 蓮華峯寺亀山天皇分骨所、後宇多天皇皇后 子内親王分骨所、後二条天皇分骨所の参拝を終え、その後培冢(培塚)の参拝となるが、ほ號とへ號は簡単にわかるがい号~に号までが雑草の中に殆ど誰も踏み入れたことのない培冢である。

山など行くと、時折方向感覚を失うことがあるが、それと似たような現象が起きる。しかも目的地の近くに行かないと目印などない。

だが不思議だが簡単に見つけることが出来た。それでも一番苦労したのは仲哀天皇皇后 神功皇后 狭城盾列池上陵である。その培冢であるは号とに号である。

御陵は近鉄京都線の北側であるが、は・に号は山が異なり線路を挟んで南側にあたる。

どの山であるかがわからない。幾度となく尋ねるが、隣に住んでいてもそこに御陵などあることも知らない人が多い。そういうことで道を尋ねると「大学教授」ですかと尋ねられることが屡々ある。

しかも、ほとんど知らない。だから苦労することが多い。

宮内庁書陵部 陵墓地形図集成という地図があるが、その本の価格が162000円であるから購買は無理である。

最近は縮刷版があるので19440円で購入出来るのでこれなら買えるがそれが販売したときはほとんど参拝を終えている。

 

そういうことで苦労しながら参拝したものである。だからこそそうした不思議な感覚が発揮されるのです。それは研ぎ澄まされるような感覚なのです。

 

亀の子さんが6月26日のブログで書いておられる

 

【御陵の前の鳥居を礼拝しながらくぐり御前で再度、礼拝し祈りを捧げました。祈っていると鳥のさえずりと爽やかな風が吹いて温かく体が包まれるようでした。特にお祈りの言葉を考えてはいませんでしたが、自然とこんな言葉が湧いてきました。

 

 

「どうか今の日本(にっぽん)の國難をみそなわし給いて、全國民が平和で幸福な生活がおくれますようにお導きくださいませ。」

 

瞑目合掌して、しばしお祈りをしていると時間の感覚も肉体の感覚も蕩尽されていくようでした。後からこられた参拝者の話し声でフト我に帰ったという感じでした。祈りのおわり頃、「もっと肩の力を抜いて生きていきなさい」という声なき声が聴こえたような気がして心がフッと軽くなりました。

 

しかし、鳥居で再礼拝し帰路に就いたとき、思わず泪が滂沱と溢れ出てきました。】

 

何故、亀の子さんは泪がでたのでしょうか?

それがわからないと「天皇信仰」というのを把握されていないことなんです。

それは西行法師の「かたじけなさに 涙こぼれる」なんです。

神様の波長と自分の心の波長とが合致したとき、何も言葉がいらないんです。御陵にはそういうものがあるのです。

だからこそ、亀の子さんは直感力とその把握がスゴイのです。

 

私が陵墓探索であの奈良県の川上村まで行った時に不思議な感覚に見舞われた。隣は三重県で南は和歌山である。山の奥でしかも山頂近くに或る。

後村上天皇の皇末孫 河野宮墓に参拝したときである。不思議と泪だ出るのです。何もそこにはないが泪が出てくるのです。

そういうことを考えると言霊の感覺が敏感となってくるのです。前回に天皇靈という言葉で書きましたが、そうした天皇の霊性を深くかんじるのです。そういう感覺で『古事記』など話をすると、研ぎ澄まされたように言葉の一音一句が把握できるわけです。
それを感じたのが森田先生でした。

谷口雅春先生は無類の天才ですから、大本に入信され3か月後には古事記講話されているのですから、もはや言葉も不要である。直感と把握は言葉に表すことが出来ない。