方向指示が倒木で下の方を向いていました。
倒木で道が塞がれています。
見上げると高さ3m、幅が1mという巨大な石碑です。
眼下は木津川が見えます。ちょうど正面の山は海住山寺がある山です。
後醍醐天皇御製
うかりける 身を秋風に さそわれて
おもわぬ山の 紅葉をぞ見る
行在所遺趾です。
3月18日(土)経過は後程にして、このブログを見ておられる人は御存知だと思いますが「行宮遺趾(あんぐういせき)(遺跡」」という言葉をこれ以外には全国各地にある「行在所(あんざいしょ)」があります。この言葉を衝撃的に覚醒しましたのが奈良県橿原市今井町は戦国時代の街並みを残しており、今井御坊とよばれ、寺内町の独特な風貌をあらわしています。その場所です。
そこで中心となる寺院が称念(稱念)寺の門の入った所に「明治天皇今井行在所」という石碑に圧倒されたのであります。門に入った左側です。右側には「明治天皇駐蹕之處」という石碑でした。駐蹕(ちゅうひつ)という字が読めなく、ガイドの人に教えてもらいました。
それからは出来るだけ「明治天皇」「神武天皇」などの御遺跡などを見るようにしています。
たとえば今回の「行宮遺趾」などは全国的には少ないと思います。そのなかで「後醍醐天皇」の行宮された遺跡です。
その場所は京都の南端の笠置です。元弘の乱で有名な場所であります。この時に初めて「楠正成」が後醍醐天皇の身を守ろうと河内長野から駈け付けるのです。
笠置山の中腹にその遺跡があり、人も行かないようになったのか、道は荒れ果てていました。
また笠置山の頂上には「後醍醐天皇行在所」があります。
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