メ-ルありがとうございます。
そうですね、是非とも陵墓参拝に行きましょう。

それと、古代史で探るには地理的な要因というのが大切なのです。
古墳を造るには多量の石垣や土砂などが必要となってきます。それを運搬するにはどうしたらいいのかを常に頭に入れながら散策します。
また、山を利用したりする場合もありますので、その方角や地政学というのが最終的にこの場所に陵が築山が可能なのかどうかと、代表的な前方後円墳などに濠などがある場合にどこから水を引いたのかを探ったりします。

その為必ず御陵を周囲を一周します。また培冢の位置やその大きさなど自分なりに分析していきます。
ただ、古代と近代とでは全く様相が変わります。

また天皇観をしっかりと持つことが一番重要になってきます。
現在の古代の学者は左翼に占拠されています。そういうことに流されないようにしっかりと歴史を勉強することが大切なのです。
私も常に勉学しています。


例えば、仁徳天皇陵等では明治17年頃の地図などで分析しています。
だから、宗教的な要素と古代史のロマンとを錯綜しないようにしていきます。また近くに神社などがありますので、どういった神社があるのかも調べます。




1. hino      

2017年02月22日 08:28

『日本書紀』が「西南」を「東南」と間違えたのかどうかは、古代の文献ですので史料批判は難しいでしょうが、現地に行かれた方の言には説得力があります。

歴史を調べる際、文献調査も当然大事ですが、正しい文献解釈を行おうとすれば、現地の神社で神想観をするのが一番確実です。

陵墓・神社の参拝は山ちゃん様が先達ですので、機会がありましたら、山ちゃん様と一緒に現地に行きたいと思います。

よろしくお願いします。