「学ぶ会」にしても「ときみつる會」にしても谷口雅春先生の御著書を復刻して欲しいとか、復刊して欲しいとか、そんな声を聞えないのは何故なのか?もう著作権で諦めているのであろうか。もう『生命の實相』等で十分だと思っているのではないだろうか?

しかし、どうしてもそこで問題となるのはどうして、誰が「谷口雅春先生」の御著書を発刊出来なくしたということが常に問われるであろう。勿論、主犯というのは総裁谷口雅宣である。主犯と書いたのは「罪であるから」である。何故、罪かというと「谷口雅春先生」の隠蔽という罪であるからである。

私自身のここでの発言で「ブログ」が炎上したが、私が云わなかった歴史的な眞實を具体的な根拠や通達文章等を通じて何れは発表しなくてはならないであろう。その時には具体的に当時の状況や誰が反対し、だれが著作発行を禁止したのかを書かなければならないであろう。その引用する文章はあくまで通達に則り書いていきたい。本来そこまで書けば以前は良かったのであるが、混乱を起こしかねないので云わなかった。また現在も言わないことにしている。当時に書いた眞實というのはあくまで事実に基づくものであった。

 

それより、どうしても人を伸ばす、教勢を発展させるには「雅春先生」の御文章がもっと必要になってくるであろう。聖典と呼ばれる御著書も何がどうなっているのか、知っている人もすくない。生長の家の歴史も数年で語られなくなるであろう。

それはそうした歴史を知った人物が少なくなってきているからである。生長の家からも信徒として辞め。役員も辞めている人も多い。

残念である。

私も別の団体に所属も考えなければならないであろう。