私はいろいろと16年前からインターネットでいろいろと書いていました。

最初は「2ちゃんねる」の心と宗教でこういう記載をしました。

それはアクエリアンさんが発起人として掲示板を起てて頂きました。そのアクエリアンさんには大変失礼ながら反駁したりして論戦をしたりしました。

「生長の家について語り合いましょう」ということで話合いしました。他人の言葉はダメですので、私の記入したもののみ掲示させていただきます。

〉アクエリアンさんとして名前を使用しています。


雅宣総裁の間違いを指摘しつつ、まだ変わって欲しいという気持ちもありました。ただ、公的な場所では批判は避けていたように思います。誌友会では気の知れた同志では文句は云っていました。

 




 

463名前: >アクエリアンさん  投稿日:2001/05/04() 09:50

以前、僕も生長の家の活動をやっておりました。(ずいぶん前です)

 仕事も多忙を極め、だんだんと生長の家とも離れていき。現在に至っています。

それと、前のレスにあったが、谷口雅春先生のお亡くなられてから、だんだんと

行かなくなりました。

やはり、アクエリアンさんのいう「運動形態の変化」についていけなかったのかどうかわかりませんが。そのため、あまり大きな理由はないのですが、現在は会員でも はありません。だからといって、別の宗教へ移行しようとも思いません。

それは「生長の家」が好きだからだと思います。

 母も熱心な生長の家信徒です。それが一ヶ月程まえに具合が悪くなり、現在病院で治療しております。病名も脳血栓です。86才の身体は治ろうという「強い」意志があり、後遺症も殆どなく 回復しております。病院の先生に云わせれば「奇跡的」なことらしいです。

どんなことがあろうとも、一途に生長の家を信じ、これまでのあらゆる問題も解決し強い信念と情熱は誰にも負けない母です。「生長の家」を信仰して49年、別に講師でも

 なんでもない、一信徒です。そんな母親の姿が「生長の家」を辞めない指針なのかもしれません。

それは丁度、もしかして「私の言葉のきっかけ」で生長の家の活動をやっているかもしれない人がいるかも

 しれません。そんな人に別の信仰とは申し訳ないと思います。

 最近は少しずつでも、仏壇の前で「手を合わせる」ことも必要だなと思います。

 末端でもいいので一会員として長く続けていきたい。

 

465名前: >アクエリアンさん  投稿日:2001/05/04() 20:40

 

アクエリアン様。早速の御返事ありがとうございます。

しかも、丁重なお言葉有難う御座います。

 前に書込みしたように、以前は活動をやっていたのですが、次第にやめていきました。それは 自分自身の問題が一番だとおもいますが、やはり「こんなに活動やっていても、全く伸びない」

 一生懸命やればやるほどその悩みは増すものです。

だからといって、その当時常に、毎週10人以上は参加があり、最高の参列は35名です。

 当時では日本で一番だったと思います。しかし、7人の幹部がそれこそ毎日活動に挺身いたしました。

でも、何年間やっていて、あるところで限界を感じました。それは、「生長の家」の地方講師の子供さんが一番誘いにくかったことです。

このレスは谷口貴康先生もみられると言うことなので、私の云っていることは届くと思います。

 何故なのか。だからといって、その地方講師の先生も立派な方です。それは、徐々に書込みします。

 理想世界の配布も毎月1回朝6時から夜8時までやりました。1人で飛込み家庭訪問もやりました。

それこそ、塩を蒔かれたり、その場で理想世界を破られたりしました。

 情けなくなることも、しばしばです。

 本部の指導者のかたにもこうして欲しいと、直々に云った事もあります。(現在かなり実現しているのもあります)

やはり、指導者は自ら実践して(単に神想観を実践するだけじゃなく)愛行活動も行って欲しいと

思いました。

それでは、限界を感じたのは何故か。それは歴史の断絶なのです。生長の家の教えだけでは子供は「生長の家」

はやりません。その住んでる郷土愛とかが無いと駄目なんです。勿論、日本の国を愛する気持ちも大切です。

 

 

 

466名前: >アクエリアンさん  投稿日:2001/05/04() 20:41

小さいときから、日本の国は素晴らしいと教えることです。自分の子供は一番難しいことはわかりますが、

それには「各地に生命学園」を出来る限り設置することなのです。それには、相・白・青の一致団結した活動指針

が必要です。

 青年会をやっているときに感じたのは、生命学園出身者が青年会活動を行う確率は大変高いということです。

そこに、地方の歴史や、日本の歴史を教えるんです。

 学校では日教組教育で反日的運動をやっていて、「皇恩に感謝せよ」といっても反駁があるだけです。

もう一度、実際に愛行して感じて下さい。

それでは、最後に谷口雅春先生の文章を引用させていただきます。

 

 「近頃、日本の国では人間界だけではなく、天候があまりにも痛ましいほどに大自然の暴力を揮うのである。

 古への為政者はこのような時、自分たちの政治のあり方に、天意に背く間違ったやり方を行っている点がある

 の御気付けして下さるのではなかろうかと反省して、行政の姿勢を正したものである。今は民主主義の時代で

 あって、何事も人民主宰の世界であるから、為政者にして、「罪あらば我をとがめよ天つ神、民はわが身の

生みし子なれば」とお詠みになった歴代の天皇の大御心を自分の上に復唱する者は、既に為政者の中心にな

 いのである。現下の日本に必要なものは、何より為政者の心の姿勢を反省することである。・・中略・・

今、日本の為政者が教育勅語の実践的復活をみづから提唱し、みづからが率先して実践せられるならば、想像もつかない教育界の大なる浄化作用が滔々として起こることを期待して、その実現を私は待ち祈るのである。」

 「動向」より

 

469名前: >アクエリアンさん  投稿日:2001/05/07() 19:39

>336で御記入されたアクエリアン様の中で

「生長の家の活動にしても、谷口雅春先生の憲法改正への熱心な取り組み方をそのまま継承するのは、現在の環境化では、生長の家がこういう政治活動に関わるのは、教団としては相応しくない、というようなことを述べられていたのではと思います。時代と共に、教団の運動形態も変わっていくべきだ、ということなのでしょう。

  歴史認識に関しても、雅春先生と雅宣先生とは明らかに違いますね。雅宣先生の歴史認識に違和感を覚えられた方は、非常に多くいらっしゃるのではと推察しています(笑)。それで、幸福の科学などへ移られた方も多く出現したように聞いています(笑)。」<

 私は少し違うのですが歴史認識の矛盾だと思うのです。何がというより現在の活動方針と雅春先生が各書物で述べられていることとの矛盾と、それを現在も聖典や書物として販売されているとのことです。でもこれを無くしてしまうと「生長の家」が「生長の家」でなくなる。だから、それは外せない。(例えは、ここでは長くなるので省略します)

だから、自己矛盾に陥る。地方講師や理事の先生でも、谷口雅宣先生とこの歴史観とは矛盾したことを云われていても、もはや止む得ない。(このことはある面では理解できます。)やはり、その辺りに皆さんは疑問を感じられるのでは。-下段に続く-

 

470名前: >アクエリアンさん  投稿日:2001/05/07() 19:42

何故そうなるのか、それは理事会や教化部長会議などでどうやら、結果のみの報告で「こういう理由でそうしたい」とかが無いのではないかと大変御無礼と思いますが、勝手に推理致します。(あったとしても理解されていないのでは?)

それは、根回しとかが無い為、それが疑問に残ってしまう、しかし縦の真理により先生にはそんなこと云えない、生長の家は好きなのだけどそんなこといえば辞めなければならない。(結構そんなこと、聞くのですが?)

だからと言って、雅宣先生の気持ちも少しはわかります。ほとんどが自分より年をとられている先生方なのであるから。ある面では本当に生長の家を思っておられる先生には、とことん話し合いなされたらどうでしょうか。貴康先生は自分をあくまで「求道者」として歩まれておられる姿は、只ゝ頭のさがる思いです。貴康先生からそんな提案なされたらどうでしょうか。「虚心担懐」いかがでしょうか。(やっておられたらすいません)

 私は生長の家の批判はしたくはないのです。提案をしたいのです。

よく、母は生長の家が熱心で息子や娘が活動をやらないことや、以前やっていて、何かの都合でやらなくなってしまった人(自分もそうだけど)がいますが。そんな中でも批判とかよく聞きます。私はそれが一番辛いことなのです。私も「生長の家」活動のなかや、講師の言葉にも嫌なことや、本当に見たくないようなことは沢山あります。だけど、それは自分に御仏を顕わす「菩薩様」にほかならないと思うのです。

でも、あまりにもひどい言葉は議論で対抗致します。

 

473名前: >アクエリアンさん  投稿日:2001/05/12() 12:06

生長の家を考える時、いつも思うのは大変優秀な存在を喪失しているようなところがあることです。

 今も別の方向で、「生長の家」を憂いながら違う活動(生長の家の以前の活動形態をそのまま存続して)をやっている人が多いことです。それらの方のなかにはそれこそ、活動のプロであるような方もずいぶん多いことです。私はそのことを考える時、何が方向をちがえているか、幹部の人達は考えたことがあるのか、前々回の書込みでいいました様に「生長の家」を拡大発展させるような意欲がないような気がする。

それを考えるのに、今からいうことが「生長の家」の一番情けないところだと感じることです。それは、「日本青年会議所」の本をとっているから(祖国と青年)ある役職を左遷させるような処置をとる教化部長。政治活動をとらない方針はいいのですが、会員まで「生長の家」に来るなといわれた人。

どうして、こんなこというのか。生長の家の人材を育成するのに、どれほど大変か考えたことがあるのか。どうして説得しないのか。

 私も活動をやっているとき、青年会で教化部に赤旗新聞を取っていたことがあります。それはいろんな分野で考える必要があるからです。でもこんなことで御咎めがあるわけないのです。本当に狭い考えではないか、「生長の家」は本来そんな宗教ではないのです。

もしくは、「説得力」がないのではないか。そう考える時もある。中心帰一も大切な要素だが、それは真理においてではないか。それはあまりにも視野が狭い様な気がしてならない、でもこんなこといってもわかってもらえない。雅春先生の「笛吹けども…」そんな心境になります。蔡焜燦の件でもそうですけど、もう少し広い視野にてものをみることも必要ではないかと思います。

 

477名前: >アクエリアンさん  投稿日:2001/05/15() 02:12

>過去の一時期、愛国思想を普及させるために、政治活動も

>行ったことがありますが、それはやっぱり生長の家

 >の本来の目的ではなかったのではないでしょうか。

 

 谷口雅春先生のお言葉です。

 「生長の家の二つや三つが潰れても、祖国日本が本来の姿に立ち戻るためには、

それもやむを得ない。協力を惜しまぬどころか生長の家の活動そのものが

目指すところはそこにある。」

 

 

479名前: >アクエリアンさん  投稿日:2001/05/16() 11:48

>生長の家を離れていった人は、本当の使命というものが分からなかった

>人が多いように感じています

 

 この発言は撤回を求めます。

 雅春先生のみ教えを実行されている素晴らしい方々が沢山いらっしゃいます。

 生長の家という団体から離れたのにはそれなりの理由・諸事情があるのです。

 侵略戦争発言や政治とは無関係云々だけの話ではありません。

 

アクエリアンさんを批判するつもりは毛頭ありませんが、

 察するにあなたは知らない事が多いようにお見受けします。

 (↑私こそそうなのですが)

あなたはとてもお優しい方なのでしょう、文面から伝わります。

 

 日本人として生まれた以上、国を愛する心は必要ですよね。

 父母に感謝せぬものは神の心にかなわぬ、なのです。

 強調もなにも、基礎じゃないですか。全然偏ったものではありません。

 

 文字で意見を伝えるのはなかなか難しいですね。

ネットという場の為、思うところを伝えきれません。

という訳でこちらへの書き込みはこれで最後とさせていただきます。合掌

 

480名前: >アクエリアンさん  投稿日:2001/05/16() 12:53

アクエリア様へ

私は469と473で書込みをしたものです。

 477と479の人とは別人ですが、でも大変気持ちはわかります。賛同致します。

アクエリア様はよく本来とかの言葉をおつかいになられますが、少し違うように思われます。雅春先生が本来の「生長の家」立教の使命は「戦前」と「戦後」とは世の中の流れとともに少しかわりましたが、雅春先生の根本思想はなんら変更もなかった。

それは、「生長の家」30年史や40年史、50年史などを読めばわかるでしょう。また、立教以前の正治(立教以前の名前)先生の文章などを読むと生長の家の目的もおのずからわかります。(大本教でだされた雑誌、皇道霊学講話など)

アクエリアン様がその本来とかの使用なされている言葉の真意は何なのでしょうか?私はあらゆる文面を使用して本当はこうですよと言いたいが。それに凝り固まったような考えがアクエリアン様にあるならばいっても仕方ないと思います。

 私はもしアクエリアン様が今も信徒であるならば。説得(?)します。でもなんか傍観的なんで、いやになります。

 私は雅春先生の立教の使命とかで何回か講演致しました。その為立教以前や戦前や戦後の雅春先生の本は膨大な数の本をもっております。

 >過去の一時期、愛国思想を普及させるために、政治活動も 行ったことがありますが、>それはやっぱり生長の家の本来の目的ではなかったのではないでしょうか。

こんな言葉も生長の家の思想を深く知らないなと思います。

でも、私は変更(政治団体からの脱退)することもある面では致し方ないと思いますが。

ただ、そのやり方に疑問をもつのです。

それと以前に云いましたが、愛国運動が生長の家の本来の目的なのです。それもじっくりと時間をかけて云っていきます。それと479さん書込みされないと書かれましたが残念です。楽しみにしていたのですが。

 

482名前: >アクエリアンさん  投稿日:2001/05/16() 19:22

481様へ

貴方のおしゃる通り「生長の家」は人類光明化運動です。そんなこと、失礼ですがわかっています。ただ文脈を理解して頂かなければならない。雅春先生はいろいろな本に自分は愛国者であるとかかれております。分からなければ引用いたします。

 「新生の書」(私の日本憲法論)。(随所に愛国と言う言葉が書かれています)

 「私の日本憲法論」。「国のいのち人のいのち」。「わが憂国の戦い」「諸悪の因現憲法」「美しき日本の再建」「日本の政治と宗教」「占領憲法下の政治批判」「占領憲法下の日本」「続占領憲法下の日本」「天皇制は是か非か」「日本の危機を救うもの」「愛国心はいかに見るか」「日本の自殺と日本国憲法の関係」「日の丸か赤旗か?」「憲法について是非知らなければならぬこと」「憲法の正しい理解」「愛国心と日本の憲法」「我ら日本人として」「日本を築くもの」「限りなく日本を愛す」戦前では「大道無門」「新日本の心」「天皇絶対論とその影響」「信の力」その他数限りなくあり。

 「神の真義とその理解」のそのなかで雅春先生は

「住吉大神は、曇っている現実世界に太陽の御子を天降し導いて、地上に天照大御神の御光を持ち来たし、永久平和を現実世界へ生み出すための働きをしているわけであって日本の国体というものが、如何なるものであるかということを、それの隠れている覆いを除いて現実の世界にあらわす。浄化の働きであり、実相を生み出すという働きをなさるという働きで、今、この御働きが続々進行中である。これこそが、生長の家出現の使命であるのである。政治局が生長の家の本部の機構にできたのもそのためです」

481様あなたは生長の家の信徒と拝察致します。「人類光明化運動とは愛国運動なのですよ」それがわからないと、生長の家の使命もわからないと思います。上記に記した聖典を少しでも読んだことありますか。私は全冊持っておりますし、全て読破致しました。

ただ愛国と云えば「国粋主義」と勘違いされるので、より大きな世界的な意味で人類光明化運動としたのです。雅春先生ほどの愛国者は他にいないと断言できます。481様もう少しいろいろな本を読んで下さい。

 

483名前: >アクエリアンさん  投稿日:2001/05/16() 20:08

アクエリアン様へ

>谷口先生も、所詮、日本人です。そのカルマからは残念ながら逃れることが出来ませんでした。

そこが生長の家が今一歩、霊的向上を目指す本来の団体の理想へと到達出来なかった原因だと思います。愛国心を極端に強調することは、21世紀には、克服されなければならない思想だと 思います。<

 私は上記の言葉は大変嫌いです。あなたにそんなこと断言できる人間なのでしょうか。

そんな判断を下すような権威ある人間なのでしょうか。愛国心を強調しては駄目なんでしょうか、雅春先生はそれこそ、あらゆる方向で勉強なされています。

また、「霊的向上を目指す本来の団体の理想」とは何ですか。それはどこに書いていますか。また、愛国心は「カルマ」何でしょうか。少し違うような感じですね。失礼ですが、それなら、私の方がよく知っていると思います。アクエリアン様も生長の家を少しご存知だと思いますが、ところどころ間違っておられます。私は「雅宣先生」に反対でも「政治局」を廃止したからとか、「侵略発言」に文句はありません。「雅宣先生」がそうおしゃるのならそれに従うのも「信徒」だと思います。ただ何回か書込みしましたが、その道程に疑問を感じているだけなんです。多くの信徒達が疑問に思うことは少しでも解決して欲しいと想います。それに、あまり良い印象を与えない行動(講師など)は慎まなければならないと思うだけです。(内容は言えません)

 

 

487名前: >アクエリアンさん  投稿日:2001/05/18() 19:32

アクエリアンさん

>「人類光明化運動とは愛国運動なのですよ」

こういうふうに言われると、うーーん、ちょっとついていけないな、という思いがします。

 貴方の考え方は大変極端に思います。愛国と言えば何がなんでも憎悪(少し大袈裟かも)の対象なのでしょうね、愛国にはいろいろあると思うんです。

 少し過剰反応しすぎじゃないかな。やはり戦後の唯物史観の思想がのこっているんでしょう。たとえば、中高生の育成なんかにはこういうことをやればいいと思うのです。(因みに私はやっていました)

 1. 地域の神社や駅前の清掃

 2. 老人ホ-ムとか障害者ホ-ムへの慰問

 3. 由緒ある仏閣や史跡の調査

 4. 歴代天皇の御陵の参拝

 

その他いろいろとあると思うのです。

 身土不二の観点からもそれを実施したほうがいい。これも先祖を尊び、国思う気持ちの一環とすればいいと思うのです。だから、優生保護法の運動や憲法改正など直接的な運動も愛国運動かもしれませんが、地域での上記のことも一連の愛国運動だと思うのです。純粋な気持ちでの地域や国を愛することがどうしていけないのでしょう。

 諸外国などそんなこと当たり前のようにやっている人が多いですよ。(シンガポ-ルやアメリカ、ヨ-ロッパ諸国など)そんなこというのは日本人だけですよ。

 雅春先生の本をたくさん読んだとかいていますが?それ以外に一度自分で戦後史の学習や憲法制定史、明治維新史など勉強なされるほうはいいのではないかと思います。愛国といえば戦争-悪と結び付けているんではないでしょうか。だから、言葉の遊びになってしまっているのです。それと、地域奉仕とか地域の歴史を調べたことありますか?自分の地域の神社に延喜式の神社がいくつあり、その横にスサノウノ命の神社があり、昭和天皇がこんな処まで語巡行されているんだとか。いろいろあると思うんです。

 先達の栄光を尊び、祖先を礼拝する気持ちこそ、愛国運動の一環じゃないでしょうか。

 愛国とは読んでそのまま「国を愛する」。運動とは「行動(団体)すること」。-続く-