イソップの狐の愚

イソップ譚(ものがたり)の狐は葡萄の果實に幾度とびついてもと達(とど)かないので。『あの葡萄の果(み)はインチキだ。酸っぱくて食べられない』と悪口しながら去って往ったと云ふ。開祖は皆、奇蹟を顯(あら)はし、衆(みな)の病氣を易々と治してゐるのに病氣を治し得ない後世末輩の宗教家が病氣の治る宗教に對して見苦しい罵言を連ねるのは、此のイソップの狐の愚を學ぶものである。キリスト教の某教師、嘗てその宗教で病気の治らないことを辮解して曰く、『病氣は神の御旨によって生ず、苦痛は吾等の靈魂を高むるものなるが故に、みだりに病氣を治すことは罪惡なり』と、而して自己が病氣の時はセッセと病院に通ひ、隣人愛と稱して病人の救護設備を造る。病人を救護せざれば隣人愛に背き、病氣を治せば神の御旨に背く。イエスの御旨を誤解せる基督教徒も又難い哉である。而も見よ、汝らの教祖イエスは救護設備をも作らず、ただ一言の愛語にて難病者を癒し給へり。

 

イエスの御旨は救護設備を造りて隣人愛の真似をすることではなく言葉の力で病氣を治して隣人愛の實を示すことであったのである。それを實行せんとするのが生長の家である。イエスは『汝の罪赦されたり、立ちて歩め』と直接病者に宣言して『言葉の力』で病氣を治した。併し、今や地上の人類饒多にして直接病者に面接對談と同一効果の眞信仰より流露する雷霆の如き言葉を書籍にして頒布すれば、廿億の人類悉くイエスの直接對談に触れるが如く、一時に病者の相ついで癒えんこと必なり斯かることが可能であるか。

 

この『生命の實相』を讀むだけで病気の治った人々からの禮状を掲げる、一回に多数載せ得ないから各新聞に毎週異る禮状を掲げる。

左記に「蓄膿者癒ゆ」と「半身不随の妻立上がる」を掲載   昭和十年八月二日朝刊一面 朝日新聞(東京版)


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