何故、この『動向』誌のご寄稿を触れたかといいますと。谷口雅春先生の自らご文章を書かれたのは『碧巌録解釈』とこの『動向』です。昭和58年ともうしますと、何も先生自らご著書を出版されておられません。この年は生政連が活動停止された年でもあります。その時に敢えてこうした御本を出されたということは何か考えられてのことだと理解しています。
その二年後にご逝去されます。
その中に「耿々の言」という言葉があります。
耿々(こうこう)というのは、気にかかることがあって、心が安らかでないさま。
雅春先生は二年前には気にかかって、心穏やかではなかってことが、この文章に現れています。
私もこの耿々という言葉に泪する。しかし今はこの言葉は遥かに遠くになってしまっている。
『民族と政治』に御投稿の御文章
昭和47年 昭和48年 昭和49年
| 11月号 11月号 3月号 2月号 4月号 5月号 6月号
| 『日中正常化をめぐる諸問題』 『自衛隊違憲判決とマッカ-サ-憲法の本質』 『石油危機を国革まるの契機に』 『党略の政治より愛の政治へ―田中総理の政治姿勢 の転換に期待す』 『日本存亡の鍵を握る自民党』 『日本革命の前哨戦としての今回のゼネスト』 『教育制度の改革よりも先ず教育勅語を復活せよ』 | 27頁~32頁 11頁~16頁 15頁~22頁 16頁~20頁
|
谷口雅春先生の『動向』の御寄稿
昭和43年 | 4月号(通巻1270号) | 左翼が独占する出版言論 | 14頁~15頁 | 2頁 |
昭和44年
| 2月号(通巻1280号)
| わが国の国号は"日本国"にあらず大日本帝国である | 24頁~29頁
| 5頁
|
昭和44年 | 12月号(通巻1289号) | 虚妄の世界に生きる評 | 43頁~43頁 | 1頁 |
昭和45年 | 12月号(通巻1299号) | 占領憲法の与えた精神的公害 | 40頁~43頁 | 4頁 |
昭和52年
| 7月号(通巻1370号)
| 無明縁起の仏教より転じて光明縁起の仏教創造 | 31頁~37頁
| 8頁 |
昭和57年
| 11月号(通巻1423号)
| 内外の蒙をひらく―日本は侵略国ではない (武藤貞一氏共同執筆) | 4頁~16頁
| 13頁
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昭和57年 | 12月号(通巻1424号) | 耿耿の言――教科書に誇りを | 24頁・25頁 | 2頁 |
昭和58年 | 1月号(通巻1425号) | 耿耿の言―百年河清を待つ可らず(述) | 36頁・37頁 | 2頁 |
| 新春号(通巻1426号) | 耿耿の言――離婚の激増に思う(述) | 28頁・29頁 | 2頁 |
| 4月号(通巻1427号)
| 耿耿の言―中川一郎氏を死地に堕したものは誰か-このように私は推理する― | 22頁~24頁
| 3頁
|
| 5月号(通巻1428号)
| 耿耿の言―暴力から合掌へ―学内暴力 の一掃策― | 22頁~27頁 | 6頁 |
| 6月号(通巻1429号)
| 耿耿の言―“家”とは國家存在の中核を成す“純粋理念” | 26頁~28頁
| 3頁
|
| 7月号(通巻1430号) | 耿耿の言―三世一如の真理 現代の日本には本当の意味の”教育”はない | 20頁~24頁 | 5頁 |
| 盛夏号(通巻1431号) | 耿耿の言―啐啄同時の教育 | 24頁・25頁 | 2頁 |
| 10月号(通巻1432号) | ダウィンの進化論の否定―碧巌録解釈の一節― | 14頁~18頁 | 5頁 |
| 11月号(通巻1433号) | 天災頻々たる時、天地の声を聴いて静思 せよ | 10頁~16頁 | 7頁 |
| 11月号別冊(通巻1434 | 武藤氏の本のために | 6頁~7頁 | 2頁 |
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