このブログで犬塚博英氏の「愛国教団「生長の家」の変質を問う」を掲載してきました。
その犬塚氏を谷口貴康先生が取り上げて頂いております。

貴康先生がご記入されているように、犬塚氏の文章を取上げようとする機会を与えられたのは東京の知人でこういう雑誌があり、その中での犬塚氏の詳細な事を教えられていました。
その雑誌こそ『宗教問題』であったのです。

東京での森田征史先生の勉強会を主宰いただいている人が犬塚氏であったことを友人に教えていただき、
これを機に掲載していこうと決意しました。
このブログでは生長の家に入信されて愛国団体が段々と左翼的になっていく過程を厳しく糾弾されています。

私も同じ思いで30年に亘り見つめてきました。
最近は次第にサヨク的な論調が強まり、練成会でこれを取り上げようとする。私はこんな『ウソ』の本を取り上げようとする魂胆は総裁自身が「ウソ」で固められているからこそその「ウソ」を見抜けないでいる。否、見抜けていてそれを行っているとしたら「ウソ」を二重に行っていることになる。

ただ総裁自身が「信仰者はウソをつかない」を唐松模様(唐草三代目)で発表しているのは笑った。
オイオイ信仰者こそ脚下照顧すべきであろう。そんな「ウソ」がいつまでも有効であるか、信徒はそんな馬鹿じゃないよ。

そんなことを読みながら思った。
ただ心配なことは「そういう「ウソ」を見抜けない信徒もいる」ことです。
笑っているのでは済まされないことです。破邪顕正さんは怒っていますが「こういう怒り」は必要なのです。生長の家に愛情があるからこその「怒り」なのです。

さて今回の貴康先生のブログを取り上げていただきましたのは以前からこのブログを読んでいただいたいるからなんです。

私のブログでの字体と貴康先生の取り上げられた字体と同じでしょ。実はアクセス解析から誰がこのブログを読んでいるかわかる場合があるのです。それで以前から読んでおられることは知っていました。