トキさんの眼力というのか着地点が少しぼやけていますが、それでもこれほどはっきりした論評をする人はいません。賛同いたします。

その内容はといいますと

>組織 板

3378トキ:2016/05/01(日) 23:17:39 ID:faru4mFE
 この数日、遠出をしており、皆様にはあまり姿を見せず、すみませんでしら。

 相愛会と栄える会の幹部研鑽会では、総裁ご夫妻のご指導を賜り、今後の組織の方針がある程度わかる内容でしたので、
ご紹介をさせていただきます。結構、難しい内容の話でしたので、詳しい部分は省略します。

 記憶を頼りにかいたので、間違いがあるかもしれません。その点、ご了承下さい。

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 ご夫婦の話は、要するに、チャップリンの「モダンタイムズ」の世界のような話でした。つまり、第1次、第2次の産業革命では、文明化がすすみ、人間の機械化が進み、自然と疎遠になります。
そして、今は、全自動の社会になっています。例えば、自動車などは、オートマティク車が普通になっています。しかし、これが原因で、人間は危機に瀕しています。
そこでこれからの文明は全自動のシステムから脱却しなければならないのです。

 例えば、先日、梅田で自動車の暴走の事故がありました。あれなどは、オートマティク車だから、なんな事故になったのです。マニュアル車だったら、あんな事故にはならなかったはずです。飛行機でも、プログラムミスで墜落した事件がありました。これらなど、全自動の世界が危険であることを示しています。
ですから、これからの第三次産業革命(文明という表現を使っていたかもしれません)では、今迄のような全自動のシステムから脱却しなければいけません。また、そういう方向に時代は移ります。

 ですから、原発をやめて、地産地消をしなければいけません。その点、日本では、江戸時代などは、完全な循環的社会でした。そういう循環的な社会の実現のために、私達は何をしなければいけないか。
それは、クラフトをし、園芸をし、自転車に乗る事です。「めんどくさい」こそが大事なのです。

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 ご夫妻の話を聞くと、だいたい、そういう方向でした。あとは、里山資本主義とかにも言及されていました。たまに、聖典からの引用もされていましたが、
取って付けたような内容でした。

 参加者の反応はあまりよくありませんでした。正直、理解できない、という人が多かったです。前日の白鳩会幹部研鑽会でも同じ話をされていましたが、私の知人の参加者ははっきりと
「信徒をバカにしている」というのが反応でした。相愛会幹部研鑽会では、『江戸時代に戻れというのか」「ミッション車などは今頃ほとんど作っていません。」『生長の家の話ではない。自分のドグマを
説いただけだ」というのが感想でした。

 今日は疲れたので、この辺りで失礼をします。時間があったら、明日、続きを書きます。<



全自動システムを否定するなどすごい人ですね。その恩恵に預かっていても、そういうことが言えるのですね。
たしかにAT車だからアクセルを踏んだ状態で進みます。ミッションだったらエンストしたかどうかまではわかりませんが、安全とはいいきれません。
そんな人のためにも自動ブレ-キなどの衝突回避システムを全車に装着するほうが大切なような気がします。

江戸時代の循環的社会というのは糞尿などのシステムが構築されていて、路上などは清潔でした。だからといって、江戸の町屋敷では外に便所などはなく匂いは家の方に及んでいた。
『江戸の糞尿学』永井義男著が書いているのは参考となる。

さて江戸時代を循環的システムが構築されていたかは諸外国に比べてかなりの良いシステムだったといえます。糞尿を堆肥として利用しそれにて再び食料として栄養素の高いものが産出されます。
大阪での江戸時代におけるシステムを学んだことがありますが、河川というのが一つヒントがあります。
それは地野菜というのがありますが、吹田のくわい、天王寺の蕪、毛馬のきゅうり、田辺の大根、守口の大根、河内のレンコン、勝間の南瓜、泉州の玉葱、鳥飼の茄子、服部の越瓜等ありますがこれらの多くは江戸時代から栽培されています。その特色として大和川から南側にあったり、淀川の北部や大和川の東に栽培されているのが多かった。天王寺の蕪や勝間の南瓜などはどうなるかというと土壌というのが野菜に合っていたのではないかと思っています。大阪城などの町並みからも当時は離れていて谷町から天王寺は標高は大阪城で32.5m天王寺駅界隈では11.8mで地下の土壌の流れは大阪城付近に及ばないとのことがあったと推測できます。そこで糞尿というのは町から外に出す。それは河川により敷かれるのです。だから清潔といわれているのです。

与謝野蕪村は「名物や蕪の中の天王寺」と詠んだ。通常は「蕪」(かぶ)と呼んでいますが、「かぶら」が最初でその後女中言葉として「おかぶ」という丁寧な言葉になって、その「お」がとれてカブとなったといわれます。それと同じように「なすび」もそうです。