生長の家を長年実践してきたものとここ数年の雅宣総裁の生長の家の活動の違和感というのは計り知れない。
私は生長の家を辞めてから十数年となる。
誌友会を行っていてもどうしても雅宣批判になってしまう。
また、自分らの行ってきた生長の家とは雲泥の差というべきものである。

一昨日に「愛国教団「生長の家」の変質を問う」を写していた時に現在の生長の家の運命は雅宣総裁に委ねるべきではなかったことを更に強調して思った。
だが、今回、幹部がどうして強制的に追い出しが出来なかったというと「中心帰一」という呪縛であろう。
以前にこういうことを書きました

日本がアメリカGHQの戦後政策において呪縛され、変更されたのと似ています。
無理矢理に環境をもってきて、今までの日本の伝統である、神様を捨て、歴史の鏡である天皇陛下を仰慕しないように仕向けていった。
もはや、谷口雅春先生は蚊帳の外のようになってしまった。
雅宣総裁の中心帰一は己に中心帰一せよという”エゴ”の独裁でしかありません。
だからこそ、谷口雅春先生を外すことが出来るのです。
平気でいられる神経を疑います。

だが生長の家の信徒は未だに中心帰一に縛られて動きが取れない状況です。
中心帰一とは谷口雅春先生にのみ許されているものであり、総裁に中心帰一すれば今後大変なことになることが今回の総裁自身の言動であきらかです。
組織というのは中心帰一ということばで縛られ、そこから脱却できなければ組織は衰退するしかない。


2016年3月11日 (金)

原発と決別し「大調和の神示」の教えを生きよう

 
 原発の利用は、なぜいけないのでしょうか? それは、原子力発電という技術の基本にあるものの考え方が、「自然と人間の大調和」という私たちの運動の目的に反するからです。もっと言えば、生長の家の最も重要な神示である「大調和の神示」の教えに反するからです。どうしてそう言えるでしょう? それは、大量の放射性物質を排出せずに、原子力発電を行うことはできないからです。この放射性物資は、人間のみならず、すべての生物の設計図であるDNAを破壊することがよく知られています。にもかかわらず、そういう危険物質を大量生産してでも、人間にだけ有益な結果がもたらせると信じることは、事実上、「自然と人間の利害は相反する」と信じていることになる。その考え方は「大調和の神示」の否定であり、「神・自然・人間の大調和」の否定です。 

私は、生長の家講習会ではいつも、この“森の中のオフィス”の紹介ビデオを上映するのですが、その中では、5年前の3月11日を経験して、生長の家はその時、設計を進めていた「オフィスの建設計画を大幅に変更した」というナレーションが流れます。何のことか分かりますね? そうです。それは、当初、東京電力との電力の売買によって“炭素ゼロ”を目指していたものを、この時から考えを変えて、東京電力から電気をもらわないでも“炭素ゼロ”を実現する--つまり、電力自給を目指す方向に切り替えたのであります。その理由は、「原発によるエネルギーを使うべきでない」という判断があったからです。 

考えてみれば「大調和の神示」の否定は総裁自ら行っているのにも関わらず、それがわからないのか、知ろうとしていないのか分からないが、これでは組織から信徒は逃げていくだろう。
「あんたから「大調和の神示」実践せよ」
と言われたら普通は恥じてこういう言葉は使用しない。だがそれを知っていても使う「厚顔無恥」と言われても総裁は平気であろう。
たしかに痛くも痒くもないのです。

自分の生活さえよければいいのです。
信仰や國思う気持ちなど関係ないのです。
私ならこういう宗教とは離別します。