内務省警保局 『社会運動の状況』昭和16P1157P1173

昭和16

5)生長の家の動静

1)概説

生長の家に在りては、本年中も引続き各地に於いて講演会、座談会、講習会を開催し或いは産報運動の進展に便乗して工場事業場等への進出を企て、或いは中小商工工業問題台頭するや各種組合を目標にして進出せんとし又は出征将兵遺家族、青年会、婦人会に積極的に働き掛ける等極力教勢の維持拡大に狂奔し、或いは新体制運動を教勢拡大の具に利用し若しくは知名士多数の入会を吹聴宣伝し、又はは皇室宮家等を妄りに布教手段に利用し奉る等極めて悪質狡獪なる手段を弄せるのみならず、這間屡々医療妨害、風俗壊乱、人心誑惑等の言動に出で警察当局の取締を受けたるもの尠からざる状況にありたり。

而して叙上の如き本教団の邪教的行為は漸く教外識者の顰蹙を招くに至りて之を非難攻撃する者漸次多き加わるに至れり。

 

2

医療妨害的布教活動

(イ)生長の家関西総括教化部藤本兼治は本年510日和歌山県那賀郡龍門村遠方、誌友児玉秀夫方に於ける講演会に於いて「拝む心があれば病気になっても医者に行く必要がない。

悪い物(排泄物を指す)が出ればよいのである。

児玉さん(主催者のこと)は重い病気で不治と諦めて居ったが生長の家の本を借受けて読んで見て初めて其の心が解り、遂に氷袋を断ち切って、氷の代わりに本を吊るして読んだところ4か月にして治ってしまった」云々の言動を為し警察当局より厳戒せられたり。

 

(ロ)

本部講師大賀元介は本年713日兵庫県揖保郡龍野町役場樓上に於ける講演会席上「薬は生命がない、薬には寿命を引延ばす力がない。病気は薬が治すのではない」云々と現代医薬を否定するが如き不穏当なる所説を為し戒飭せられたり。

 

(ハ)

本部総裁谷口雅春は本年928日熊本市公会堂新館に於ける講演会に於て「或る人間が猫を大変愛していた。或る日猫を抱いて或る所に行ったところ猫が此の主人の心を知らず腕を掻き毟った為に其の人は腕に相当な障害を受けたが、そのまま、56日すると血が出ず腕がひどく腫れた。

急いで附近の医学博士に診察して貰うと『これは大変だ、敗血症だ。腕一本は切断しないと危険だが手術は此の病院では駄目だ』というので近くの生長の家の信者である医者の所に行くと、

その医者は一度診察して『何でもない明日お出なさい』と言った。

本人は狐につままれた様な気持ちになったが翌日になると不思議にも腕は全治していた」と医療の不必要を暗示するが如き言動ありたり。

 

3)風俗壊乱的布教言動

(イ)

本部総裁谷口雅春は本年64日京都市上京区烏丸二条下る日出会館に於ける講習会席上「宇宙一切は言葉に依って造られて居ることは、ミコト(言葉)でも言える即ち女を「メ」という「メ」は目に通ずる目は引込んで居て重要部分は内に隠れている、之は女の真実の姿であって女の生殖器も亦、目の姿である子宮が飛び出すと大変で、病気である」「女は中心へ引張り、男は外へ突っ張る、一筋の糸に結ばれているとき夫婦調和がある。

斯くして神代から男と女は和合するように出来ている」云々と極めてや野卑なる語句を用いて講演を為せり。

 

(ロ)

本部講師星六郎は本年712日福島市置賜町会館に於ける座談会に於いて「西洋料理を食べるにはナイフ、フォ-ク等で肉を切ったり刺したり刺されたり、抜いたり変なものです」、「最近の娘さんは映画や本を見て化粧や服装を覚え中には唇に紅を真赤に付けて居るのを見ますが甚だ以て感じが悪く第一都合が悪い、接吻でも吸口に男の方に跡がついて判ってしまう」、「日本料理は二本の箸で仲好く食物を挟み、まるで両親が仲良く粘ったり離れたりするようなものである」等の言動ありたるを以て所轄警察署に於いて戒飭せり。

 

(ハ)

本部講師稲岡福蔵は本年106日和歌山県西牟婁郡串本国民学校に於ける講演会に於いて「歯の悪い人は夫婦の調和が悪いのだ。

歯にも陰陽があって上は男、下が女であり上は動かす事が出来ない只下が動くのであるから女は下から動かす事によって良く夫婦の調和が出来るのである」云々の低劣野卑なる言動を為したり。

 

 

4)其の他要注意事象

1)家庭光明寮の容疑動静

生長の家信者中には同教独特の教理を盲信したる結果、疾病に罹るも医薬を廃して遂には貴き生命を失い、若しくは伝染病流行の因を作る等の者、尠からざる模様なるが、東京市麻布区檜町5番地所在家庭光明寮(生長の家本部経営)の容疑動静を摘記すれば次の如くなり。

 

(イ)

防府市車塚印刷業藤田トヨ長女藤田シゲ子(19)は右家庭光明寮に入寮修養中昨年1228日風邪の為、臥床せんとするが、寮母は「病気は人体にはあるものに非ず、精神の修養に依り回復するものなり」とて之を許さず、寮規に依り医療を受けること不能にて且食欲なき為衰弱して数回卒倒したる模様なるが、其の後友人の介抱にて稍々快方に向かいつつありたり、然るに本年2月初旬再び悪化し、遂に意識不明となりて臥床、同月13日頃には愈々悪化し離床出来ざる病状となりしも寮母は強いて離床せしめ、飲食物は勿論、医薬をも与えずして室内掃除に従事せしめ、卒倒数回に及び漸く臥床を許したる模様にて意識不明の儘、17日に至り附属脇田病院第二療院に入院せしめられたるが、此処に於いても何等医薬を与えず寮母により生命の實相を一日2回位読み聞かせ脇田医師の発明せるものなりとて一日二回位清水の如き無色透明なる液体の注射を受け栄養物等は一切与えられざりし模様なり。

同月20日寮よりの通報に驚き上京したる母親は本名の病状が意外に悪化し、重体患者なるに拘らず何等の医療を加えず体温すら計らざる実情にあるを知りて驚愕し、直ちに夫に招電を発すると共に脇田医師に医療を懇願したるに「当病院は医療する所にあらず、精神的医療を為す所にして此の注射を一日二本位行うものである」とて清水の如き液を示し、何等の施療を為さず「此の子の病気が悪くなるのは親が信仰が足りない結果だ、親が斯様な考えではとても病気は治らぬ、此の病気は大体医者の手で治るべきものではない」と医療を拒みたる為23日東京市三河島町額田病院に入院せしめ診断を受けたる処、伝染病(猩紅熱)にて最早施す術なく遂に同月28日死亡するに至れり。

 

(ロ)

住所全羅南道長与面南49、家庭光明寮生松田光代(20歳)は暑中休暇にて帰省中の処、本年827日再登寮の為東上。途次寮の現況其の他に関し次の如き言動を為したり、「家庭光明寮は所謂花嫁学校式の未婚女子の修学機関であるが其の目的とするところは『生長の家』普及誌友獲得にあると考える。

寮は一箇年修行で学科は裁縫、作法、割烹、茶の湯、生花、書道、家事、毎週一時間宛『生命の實相』講義を谷口先生より毎日二時間受講して居る。

入寮の条件は未婚者なること、高女卒業程度なること、通寮は許さざること等にして、舎費としては18円、授業料10円徴取される。

現在300余名の寮生が居るが其の三分の一は呼吸器疾患の者で其の他精神的の苦痛がある者も居り、満足なる人は花嫁修学の学科に釣られ入寮して居り、病的精神的苦痛を有する人達は谷口先生の講義に多大の感動を受けて居る様である。

講義の内容は人間は神の子であるから正しく社会に生きて行くと共に一切の万物に感謝しなければならない、而して肉体なるものは本来無いもので只心の影が現れて居るものである、だから病気等と言うものは気から発作するもので、気の持ち様では病気等に罹る様なことはなく、假令病魔に侵されても精神力で癒るべきものである。

と言われて居るが矢張り病気には勝てぬ。

去る710日頃寮友の一人は肺結核がつのり遂に他界した。

自分も去る78日頃風邪のため病臥したが医師に見て貰う訳には行かず大変困った。

尚恐ろしいことは呼吸器等の疾患ある者とも同一寄宿舎に同居して居る為、随分危険性がある、然し寮の規則としてそれを嫌忌することも出来ないことになっている。

自分も成るべく早く退寮したいと思っている。」云々

 

2)事象公債購入を利用する終身誌友募集行為

生長の家本部に在りては機関紙たる「生長の家」本年4月号誌上(台十二輯第六号91頁「近況通信」欄)別記の如き記事を掲載し終身誌友を募集するところありたるが、右は国策順応の美名に隠れる巧妙なる時局利用の教勢維持拡充策なること判明し、時局下適当ならざる行為なりしを以て、426日警視庁当局に於いて責任者を招致し、募集行為取止め方指示し、請書を徴する所ありたり。

然るに谷口は同誌六月号誌上に右計画取止記事を掲載するに当たり、前叙募集行為が世人の誤解を受け之に関する投書多くして警視庁当局に於いて之が応接に悩まさるる為、取止め方指示あり、之に従いたるものの如く事実を歪曲して誌友に通告する等極めて狡猾なる態度を示し居れり。

 

 

別記 終身誌友募集記事内容

唯今本部で終身誌友として取扱って居りますのは終身誌友代98円を前納して額面百円の事変公債を購入し、その利子を以て毎月の誌代に振り当てて元金を減らす事なく終身その人に「生長の家」誌を発送し、その人の死後は其の公債を本部の基本財産の中に振込み、永遠にその人を光明思想普及の功労者として芳名を残すことにし、又遺言によりその相続者にも終身「生長の家」誌を送付して子孫永く光明思想に浴することを得る方法を講じ兼ねて事変下公債消化の国策に順応することにしたのであります。

その後誌友数氏より一人前納98円の儀は出来る人と出来ない人とがあるから何とかすべての誌友の参加出来る様に分割払いにして頂きたいとの申出でありました。

それで改めて左の5種類の終身誌友を設けることに致しました。

 

(一時払い) 金98円一回完納

(一年払い) 金840銭宛毎月12回完納

(三年払い) 金3円宛毎月36回完納

(五年払い) 金190銭宛毎月60回完納

(十年払い) 金1円宛毎月10年間完納

 

右の規約に従いなるべく愛国終身誌友の何様にか御申込願いたいのであります。

公債は98円に満ちて額面100円券を購入するものでありまして、分割の方は納入完済までは公債利子を終身誌友代に当てることが出来ませんからその間の誌友としての誌代は前記分割払い金のうち幾分ふくまれて居りますが前記の通り各種別に従い一カ月分が280銭乃至2円まで減額されています。

この差金は国策に協援し国債購入の賛助の奨励のため本部で負担することになっています。

 

完納後は終身誌友として誌費不要であるのは勿論のことであります、これによって貴下の子孫が永久に光明思想を失うとしても失い得ず、子々孫々光明が約束されることになります。

 

なお御申込は「白鳩」「光の泉」の振替利用も可成本部宛振込下さい、(中略)生長の家では本部の誌友台帳に随い終身誌代完納者の御名前を総裁宛備付の「吾等永遠の家族」と題する名簿に私みづから毛筆にて記録し永遠に私から感謝報恩の念を送るアンテナたらしめ、神想観を行じ「甘露の法雨」を読誦するときには其の前で読誦する事に致しているのであります。

この「吾等の永遠の家族」なる名簿があまり多くなり神棚の下に篋に納める事が出来なくなりました時は「吾等永遠の家族記念塔」をつくりたいと思って居ります。(後略)

 

 

3)  光明学園の無届歌集発行

三重県津市野崎垣内生長の家誌友相愛会長藤川栄次郎は客年(昭和15年)十二月初旬より名古屋教化部の指導に依り「光明学園」を開設し会員の子弟を毎日曜日同人私宅に集合せしめ中小学生に対し「生長の家」教義の普及活動を為しつつありて毎回出席者約四十名に達し尚逐次増加の傾向にありたる処、同学園において児童に斉唱せしむる為出版したる「第一歌集」は無届にして、且同歌集に蒐録したる「実相行進曲」(別記)は、愛国行進曲を卑俗なる歌詞に作り替へ「生長の家」の普及宣伝に資するものにして純眞なる児童をして斉唱せしむるは教育上弊害少なからず尠なからずものと認め所轄津警察署は二月十五日園長藤川栄次郎を招致し厳重戒飭を加へたるが、藤川は同歌集残部365部を提出すると共に、光明学園は自発的に即日閉鎖する旨申出でたり。

別記

実相行進曲

1.見よ実相の眼をあけて  信念高く輝けば

 生長の言葉溌剌と     生命躍る大八洲

 おお明朗の現実世界に  聳ゆる我の姿こそ

 完全無欠揺るぎなき    摩訶神の子の誇なれ

.起て一元の大神の    光の中にうるほひて

 神の子我等は皆共に   御稜威に副はん大使命

 今八紘を宇となし     凡てのものと親みて

 正しき平和うち建つる   理念は花と咲き薫る

3.今幾度か我上に     試練の嵐哮るとも

 断乎と拝め其の実相   進まん道は一つのみ

 ああ限りなき神世なり   轟く歩調そのままに

 素直に進む心根の    人の身の上に栄あれ

 

(4)布教宣伝に町内回覧板利用

北海道深川町生長の家誌友相愛会に在りては本年625日深川町会公会堂に於いて、本部講師金子三十里を招聘し講演会を開催するが、之が開催に先立ち講演会開催を町民に知悉せしむる手段として深川町役場後援と記載する広告ビラを町内会回覧板を利用し、一般町民にせしめたるが、町民中役場当局の軽挙に憤激するもの尠なからざるものありたるが、所轄深川警察署に於いては右の如く一宗教結社の布教宣伝に回覧板を利用するが如きは啻に隣保組織制定の趣旨に背戻するのみならず、其の存立精神を冒涜するの甚だしきものなりと為し、責任者深川町会長折谷力雄、深川国民学校訓導中能良久、竝町内会長長野原金八外6名に対し夫々厳重戒飭するところありたり。

 

(5)生長の家講演会開催に対する舞鶴鎮守府の会場貸出拒否

生長の家東舞鶴誌友相愛会にありては本年67日本部主幹谷口雅春を招聘、講演会を開催すべく計画し、会場として同市内海軍海仁会講堂を借入れ一般市民は勿論海軍傷病兵、海軍機関生徒、其の他海軍将兵の聴講を予定し居たる模様なるが舞鶴鎮守府にありては参謀名を以て左記の如き通牒を各関係所轄長に発すると共に海仁会講堂の使用を取消したる為、右相愛会にありては、俄かに狼狽し種種協議の結果、生長の家信者たる立花舞鶴市長に懇願し、同人斡旋の下に国民学校長会に申込みたり。

校長会にありては相当迷惑を感じたる模様なるが市長斡旋に依るものなる為拒否し得ず

(1)   主催を生長の家とせざること

(2)   広告印刷物を使用せざること

(3)   入場料を徴収せざること

等の条件を附して倉梯国民学校講堂を貸与したるが、谷口は同日夜京都市内日出会館に於ける講習会の席上、右経緯に関し「海仁会館」でやれば到底二千人も入れないのに学校で講演したため二千人以上の聴衆があったということは(註 実際は約千二百人位)邪魔があったから前進したのだと云って世話方も喜んでくれた」云々と海軍当局の処置を誹謗するが如き口吻を洩らして宣伝の用に逆用する所ありたり。

 

左記

舞鶴鎮守府参謀長

各所轄長殿

陸上に於いて生長の家講演ある様広告あるも右に関しては昭和15525日付を以て海軍法務局長より注意警戒の要ある旨、通知ありたるを以て下士官、兵、軍屬等の聴講に関しては所轄長に於いて間違いを生ぜしめざる様指導相成度

一、営利的なること

二、刊行物実際的なものに非ず

三、宣伝誇大なり

四、医療妨害

 

 

6)其の他

(イ)本年215日那覇市天妃町273番地久高将睦は本部講習会に於いて習得せりと称し、別記の如き荒唐無稽なる病理観を説明するところありたり。

 

別記

眼病

天地の恵を健やかに受け入れない心の現われである。眼病は五官の病にして我の強い人又は虚栄心の強い人に多い。

其の病を癒すには一視同仁の心を起こすことである。

 

寝小便

肺病

心の不平から来る。父母から戴いて居る命を忽にするその怨の思いが喀血と云う形になって現れるのである。だからお互いは心を広く持つことが必要である。

 

皮膚病

外界の争い事が原因

 

左利

夫婦の不調和が原因

 

脱臼

出すべきものを出さず秘密の心を持っていることが原因

 

腎臓病

人から圧迫されていると云う感じを持つことが原因

 

赤面恐怖症

人に疑われているのではないかと云う心を持つことが原因

 

(ロ)

生長の家本部に在りては本年81日地方講師の試験を執行するが別記の通り試験問題中相当注意すべきものあり。

別記

試験問題

1.生長の家の使命を列挙せよ

2.実相の世界は何処にあるか

3.人は神の子なれば皆現神か

4.肉体は何故無いか

5.其の地方で交際している誌友の名前

6.素直になれば何故病気が治るか

7.何の話をしたら病気が治ったかを実例を詳細に書きなさい

8.誌友会又は講習会で話をしたことがありますか

9.人間は何の為に生まれたか

10.   講師に当選して地方へ自費で巡講しても生活に差し支えありませんか

11.   講師に当選したならば何々をいう方法で布教しますか

 

 

(5)生長の家排撃運動

生長の家の活発なる布教宣伝活動に対し、一部に於いて「生長の家は我国固有の神祇観を曖昧にし、国体の尊厳を冒涜する不

逞団体なり」と為し、或いは「科学の真理性を否定し、医療妨害行為に出ずるの外、人心を惑乱せんとする奇怪なる団体なり」と為す等のものありて本教団に対する排撃運動は漸次熾烈ならんとしつつあるが、本年108日福岡県直方市121番地天關打開成会直方支部、鬼塚久雄は別記の如き印刷物を作成之を有識者に郵送頒布し、大々的に生長の家排撃運動を起さんと計画中なるを福岡県特高課に於いて探知し、右印刷物の内容を檢するに、独断偏見且却って不敬に亙る虞ありと認められる文辞ありしを以て其の頒布を一応諭示中止せしめたり。

 

別記

(前添)

「生長の家」宗の教義内容其の他について、我人の目に止まった一二を部分的に摘録批判して大方各位の御参考の資ともなさん。

宗教結社として文部省への届出中の「奉齋主神、安置佛等の称号」と云う項に道場又は集会室に顕齋する主齋神又は安置物なし心に幽齋する主齋神としては「宇宙大生命(ミオヤノカミ)」、その幽の幽なる神として天御中主神、幽なる神として天照大神、現人神としては○○を礼拝す」とあり。

右の文中「天照大神」を幽なる神として至尊を「現人神」としているが、幽とは顕現に対する反対の意味で「カクリヨ、アノヨ、冥土、ヨミヂ」等の意なることは辞書言海にも明記しあり、此の字義よりすると「天照大神」を肉体を備え給わぬ「幽神」だということになり、これでは国体を不明徴ならしめるものである。

何故ならば「皇大神」が肉体を備え給わぬ幽神だとするならば其の直系神にあらせらるる神武天皇も「幽神」だという結果になり、更に其の御直系にてあらせられるところの「現人神たる至尊」に対し奉りての一億臣民の感情は如何になり行くか、想いここに至らば、彼谷口の「神想観」こそ日本の国体を破壊に導く恐れあるものと断言せざるを得ない。

又彼谷口の著書「生命の實相」(昭和101125日発行)第一巻「神への道しるべ」の中にも「第三に吾々が「カミ」と申しますのは「幽り身」の略称であります。

…中略…この諸天にいます。神々はすべてこの「幽り身」に属する神々であります。」云々とあり、

右文中の「幽り身」につても日本の「神」は例外であるがとの条項が無い限り日本の「神」も彼のいう「幽り身」の中に含まれていると云うことになる。

                         (鬼塚久雄)

「生命の教育九月号」(同1591日発行)には「天皇信仰と日本大乗佛」の中には、すべて宗教は、天皇より発するなり。

大日如来も釈迦牟尼仏も、イエスキリストも、天皇より発するなり。

云々と説いてはいるが、又同文中に「一宗一派に非ず」ということを教義の「七つの光明宣言」に記入して宗教であることを赦されしは文部当局の賢明なる処置なり。文部当局が一宗一派に非らざる宗教をみとめたるなり。

 

宗教が正しくなりたるなりすべての宗教は私のものに非らざるなり、すべて天皇に帰一し、天皇に奉還し奉る宗教なり。

宗はオオモトなり。天皇なり…中略…宇宙の大教祖は天皇にてあらせられるなり。以下云々と如何にも文部当局(当時の宗務課長、多分其の後同省の師範教育課長に転じられたかの如く伝え聞くが稲○清助氏が「七つの光明宣言」に屈服したかの如く、信者をして思わしめているが)しからば、吾人は更に問いたい。

「天皇帰一を叫び宇宙の大教祖は、天皇にてあらせられるなり」と説く彼、谷口がさも自慢そうに、言う「七つの光明宣言」の中に、吾等は宗派を超越し、生命を礼拝し生命の法則に、随順しつつ生活せんことを期すとか、人類の運命を改善せんがために、善き言葉の雑誌「生長の家」及び聖典を結集発行するとか、終いの方には、病苦その他一切の人生苦を克服し、相愛協力の天国を地上に建設せんがために実際運動を起す。

等とはあるが同宣言中には日本の国体、日本の古神道については、一言半句も触れず。

又著述中に「皇祖神」及び「皇室」に関する字句はあるが、それは素面を糊塗せんとするのみで、彼の脳中は、既に唯心論で固成されていることが容易に想像される。

であるからこそ彼の説く「神」というのは「人間のうちにある円満なるもの」以外になく、その証拠には、念のため宗教団体法第三十六条に基づき、文部省より提出された主要部分の「奉齋主神、安置佛等の称号」の項目中ににさえ恐れ気もなく、堂々と「奉齋主神又は安置物はなし」と書き入れ「心に幽齋する神としては「宇宙の大生命(ミオヤカミ)」と云うまでが彼谷口の本音であろう。

又「宇宙の大教祖」とか「宇宙の大生命」などということは「邪教大本教」でもよくこれを唱えていたものである。それもその筈である、彼谷口も「壊滅前の大本教」幹部として邪教の聖典、聖経、捏造に十数年間居座っていた、大本教再建の残党であるやもしれず。

昭和16108

直方市大字直方1、121番地

責任者 鬼塚久雄

 

 

文部省へ届出ある「生長の家」の「儀式及び行事に関する事項」の中に「臨終に際して慰安するための引導あり。「久遠いのちの歌」あり。

又顕幽を問わず人の霊魂の中の開悟のために聖経「甘露の法雨」「天使の言葉」等を読誦するものあり」となっているが、しからば臨終の際に読誦するという中の「久遠いのちの歌」とは如何なるものであるかと云えば、これが亦すこぶる振ったもので「神示」によって彼谷口が作歌したるものでなく「維摩詰所説経」の「六便品第二」の中に説いてあるところを語呂の都合で部分的に其の配列法を替えたまでに過ぎず。

念のため各位の御参考までにその前半を摘記対比する(番号は歌の一、二でなく対比上の便宜のためであり上下番号により対比されたし。)

 

〇久遠いのちの歌                  〇維摩詰所説経

                                (六便品第二)

(1)                         (1)

是の身は霓の如し                   是の身は聚沫の如し

霓は久しく立つ能ず                  撮摩すべからず

須臾にして消ゆ

 

(2)                          (2)

是の身は泡の如し                   是の身は泡の如し

泡は久しく立つ能はず                 久しく立つことを得ず

須臾にして消ゆ

 

(3)                          (9)

是の身は幻の如し                   是の身は火(カゲロウ)の如し

幻は久しく立つ能はず                 渇愛より生ず

須臾にして消ゆ

 

(4)                          (8)

是の身は響の如し                   是自身は芭蕉の如し

響は久しく立つ能はず                 中に堅有ることなし

須臾にして消ゆ

 

(5)                          (3)

是の身は稲妻の如し                   是の身は幻の如し

稲妻は久しく立つ能はず                 顚倒より起る

須臾にして消ゆ

 

(6)                          (10)

是の身は浮雲の如し                   是の身は夢の如し

浮雲は久しく立つ能はず                 虚妄の見なり

須臾にして消ゆ

 

(7)                          (14)

是の身は水流の如し                   是の身は影の如し

水流は久しく立つ能はず                 業縁より現ず

念々に流れ去る

 

(8)                          (4)

是の身は芭蕉の如し                   是の身は響の如し

実ありと見ゆれども                   諸の因縁に属する

中空にして実あらず

 

                          (6)

                  是の身は浮雲の如し

                           須臾にして変減す

 

宗教「生長の家」のお経本に「聖経天使の言葉」と銘打ったキリスト教の聖書口調もどきのものがあり、その一節に 天使また語り給ふ…に始まり「吾れは完き神の啓示者なり」神の与え給いしところのものを吾れも汝らに語らんとか「吾れは創造神より遣わされるものなり」「創造神の光波は吾れにして 吾が光波の射すところ 暗黒もなく 病なく 老なく死なし 信ずるものは限りなき賞を得て 永遠に輝かん 吾れは創造神の言葉なればなり」

「吾れみづからの本性の神なる事を観たれば吾れ汝らの本性の神なることを悟らしめん」「汝らの先づ悟らざるべからざる真理は「我」の本体がすべて神なることなり」等とさももったいらしく吾れ汝等に語っているが「吾れ完き神の啓示者なり」とは彼れ谷口自身を指すものではなくて「何」を指すものであるか?

又其の次「神の与え給ひし所のものを吾れも汝に与へん」等とあるが、史上にもある。申すも畏き極みながら「〇位」を狙った「道鏡」もこれによく似た「神示」がさもあったかの如く外来宗教の真髄をハキ違えての慢心のあまり「幽なきの眞理状態」に入り、遂にあの大逆を敢えてしたのである。

又「吾れみづからの本性の神なる事を観れば「吾れ汝等の本性の神なることを悟らしめんとある始めの「吾れみづからの本性」と言う場合の「吾れ」は一体誰のことか人間全部についての「吾れ」なるかそれとも彼谷口自身のことか、此の場合どうも谷口自身のことを指しているかの如くであり、しかして後の「吾れ」は「生長の家」の宗教信徒又は一般人間全部を指す「吾れ」のようであるつまり自分(谷口)を紙と信ずるならば谷口自らが、お前達自身の本性をも神であることを悟らしめよう。神の資格を授けてやるぞよ」と云う事になる。

これでは入学試験に合格間違いなしと請負って50圓の商品切手の貰いぱなしにしている奴の方がもっと有難味があるやも知れぬ。

 

〇久遠いのちの歌                  〇維摩詰所説経

                                (六便品第二)

(9)                         (5

是の身は焔の如し                   是の身は電の如し

温かく見ゆれども                   念々に住まらず

一切を焼き尽して空し

 

(10)                         (12

是の身は夢の如し                   是の身は主なし

実ありと見ゆれども                  地の如しとなす

虚にして空し

 

(11)                         (9

是の身は迷より出づ                  是の身は我なし

実ありと見ゆれども                  炎の如しとなす

妄にて空し

 

                        (5

                   是の身は人なし

                   水の如しとなす

 

以下略す