「古事記」の原風景が秋津洲で感じました。以前に書きましたようにこの地域は神武建国から綏靖天皇・安寧天皇・懿徳天皇はたしかに畝傍山の周りに陵墓はありますが、孝昭天皇・孝安天皇はこの御所市に御陵があります。最初はこの秋津洲に遷都されたのではないかという気持ちがあります。
昨日この地域を歩いていれば、白鷺や黒鷺など多くの野鳥を見ました。池も沢山ありましたので、鴨も沢山いたのであろうと予測できます。
川が入り組んだように通っています。そうした場所にこの秋津洲があった。現在3箇所に古墳調査が入っています。またそれも行ってみようと思います。


「大倭豊秋津島」を古事記ではこの日本のことをさします。

女性、とくに舞を舞う女性の、透き通ったような美しい衣装は、万葉時代には、トンボの羽にたとえられて「あきつは」と形容された

あきつ羽の袖振る妹を、玉くしげ奥に思ふを見たまへ わが君  湯原王

大和には 群山(むらやま)あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は   舒明天皇