学ぶ会はなぜもっと急激に会員数が増大しないのか? (11003)
日時:2015年12月22日 (火) 20時10分
名前:信天翁

「教団の退会者は多いのに、なぜその多くが学ぶ会に入会しないのか?」

「教団の退会者の数の多さに比例して、なぜ学ぶ会の会員数は増えないのか?」

これについては、長い間疑問を持っていました。


今回、この投稿を見て、少し心に響くものがありました。


結論から言えば、その原因は、学ぶ会に、退会しない信徒、退会しない職員を批判する心があるために、現役の信徒や職員の共感を得られないからだと思います。


退会しない(退会できない)信徒ほど、心に深い悲しみと苦しみを持っていると思います。

生活のために、間違っている教えであると知りながら退会できない職員は、なおさら大きな苦しみと悲しみを心に抱えていると思います。


かつての素晴らしい教えを知っているがゆえに、かつての素晴らしい組織を知っているがゆえに、今の教えが如何につまらなくても、いかに間違っていても、辞めることができないのです。

かつての素晴らしい教えが、心に沁み通っている職員や古い信徒ほど、大きな苦しみと悲しみを感じていると思います。


「雅宣チルドレン」など、ごくごく少人数です。

大多数の人は、雅春先生の教えが、魂の奥底まで沁み通っていますから、そんは幼稚な教えに納得できるはずがないのです。


なぜ、そのような人を非難するのですか。

なぜ、そのような人を退会させようとするのですか。

そのようにすればするほど、人の心は学ぶ会から離れてゆくことが分からないのでしょうか。


率直に申し上げえて、退会しない信徒を「古だぬき」呼ばわりする某氏の投稿には、不快感を禁じえませんでした。(「帰りましょう掲示板」ですが)

そして、なぜ私が不快感を感じたのか、その原因が、この御文章を拝読して少し分かったような気がしました。


現職員、現信徒の深い苦しみ、深い悩み、深い悲しみに共感できない限り、今後とも、学ぶ会が大きく発展することは難しいような気がします。


素晴らしい真の教えほど、魂の深い奥底まで届き、強い根を張るものです。
そのような人が、簡単にそれを捨てて、人生の方向を転換できないのは当然です。


人生をかけた教えが、人生をかけて奉仕した組織が、異形のものに変容してゆくのを見ながら、それから抜け出すことができない人の魂の苦しみ悲しみは、計り知れないものがあると思います。

その苦しみ悲しみに共感できない限り、逆に、そのような人が学ぶ会に共感することはないと思います。
上記の言葉での私の印象ですが、信天翁さんは「傍観的発言」であることが強烈である。
たとえば会員数が増大しないと書いているが具体的な数字を列挙しないで書いている。これが致命的な欠陥である。
増大とはどういうことで書いているのかであろう。もし提言ならば「私ならばこのように数字を上げます」と記入します。
これは口撃といわれても仕方がないであろう。
学ぶ会はそれなりに順調に発展しているというのが私の印象です。それは支部数が伸びているのです。そこに参加している数も1年前より発展している。

また現在の生長の家の信徒を批判していると書いていますが、私はそのように受け取りません。
たとえば「古だぬき」という言葉だけに反応して、現在の信徒を古だぬき呼ばわりすると記入しています。
だが江戸時代の中期での時代での例えです。
老狸(らうり)の舊窠(きうくわ)に睡るが如し。終に壞滅(ゑめつ)に歸せん。何が故ぞ、今 既に獨りも葛洪(かつこう)、鐡枴(てつかい)、張華(ちやうくわ)、費張(ひちやう)が輩( ともがら)を見ず。如(し)かじ、四弘(しぐ)の大誓(たいせい)を憤起し、菩薩の威儀を

老狸とは「老練な人」と解釈すべきでしょう。昔の引用には身近な動物で例えることが多くあります。猪口才という言葉がありますが、それに反応して猪に例えるのは失礼だとかいうようなものです。そんな話いくらでもあります。馬も多いですね「馬脚をあらわす」といって私は馬の脚ではありませんなどという人はいません。
何か失礼ながら無理して「失態」を書こうとしているようにしか印象にのこりません。

現在の生長の家教団の職員のなかでやむを得ず残っていることを百も承知で破邪顕正さんは書いておられると思います。そういうことを分かりながらどうすればいいのか、悩みながら書いている文面があちらこちらにあります。
それを見ないでどうしてこういう文章を信天翁さんは書くのか不思議でならない。

もう少し斜めでみるとか、もしかしたらこういう思いで書いているのか、善い心で見ていくのが普通ではないか。

私は「学ぶ会」の会員ではないが、応援しています。心から応援しています。だが間違いははっきりと記入します。それは「八ヶ岳教団」と呼ぶのはダメです。といったときでも素直に破邪顕正さんは聞いていただきました。

意見を云うときは必ず鏡写しのように見てしまいます。自分だったらどうするのか考えて書きましょう。信天翁さんも会員が伸びないときは自分ならこのようにして発展させる。
もし破邪顕正さんが生長の家教団の信徒の悪口を書いてるならば発展しません。反対に信天翁さんが誌友会を開催されて学ぶ会を援助されればなんの問題もありません。
それならば「破邪顕正」さんも素直に言うことを聞かれるでしょう。

もし「学ぶ会」が会員増大していなければ
「学ぶ会」の信徒が伸びないのは自分が積極的に活動しないからだ。
と唱えましょう。そして実行しましょう。
よろしくお願いします。