『宗教問題』11 から抜粋

第三回 塗りかえられた「もとの教え」

             思想結社「八千矛社」主宰 犬塚博英



生長の家創始者・谷口雅春が九十ー歳で亡くなって丸三十年になる今年六月十七日、彼が晩年を過ごした長崎総本山(長崎県西海市西彼町)にある谷口家の奥津域(墓)で、生長の家三代総裁・谷口雅宣が、雅春の三十年祭を執り行った.雅春没後、三十年間をかけて、立教の教義の根本、祭神、経典などを換骨奪胎し、愛国教団「生長の家」を環境・左翼宗教団体に変質させてきた軌跡は、数多く存在する目本の新宗教団体の中でも特異で、学問的な研究対象としても格好の材料になるだろう。

 ここで「生長の家」の「祭神」または「本尊」について見ていこう。宗教法人「生長の家」公式ホームページには、「本尊」について次のように記されている。

 〈生長の家の本尊とは「生長の家の大神」と仮に称していますが、「生長の家」とは「大宇宙」の別名であり、大宇宙の本体者(唯一絶対の神)の応現または仮現のことであります。正しい宗教の本尊は、この唯一絶対の神の別名で呼んでいるものであるとして、いかなる名称の神仏も同様に尊んで礼拝します。また生長の家では、本尊を具現する像などは造らず、あらゆる宗教の本尊の奥にある「実相」(唯一の真理)を礼拝するために「実相」と書いた書を掲げています〉

「生長の家」に触れたことのない人には実に分りにくい、悪文の見本のような文章だろう。

 谷口雅春が昭和五年三月一日に個人教化雑誌「生長の家」を創刊(立教記念日とする)してから亡くなる昭和六十年までの、五十五年をかけて築きにあげた宗教施設、長崎総本山、宇治別格本山、飛田給本部錬成道場、河口湖錬成道場、そのほか各都道府県教化部などの「道場」には、雅春が墨書した「実相」の大きな掛け岫が安置されているのが常である。信者たちはその軸を通し、宇宙の大生命を礼拝する。「『実相』と書いた書」などといった無機質、無味乾燥な説明で表現できるものではない。



「鎮護国家」の改変



 雅春の直弟子を任じる信者の多くは、雅宣が掌握する現在の生長の家を離れ、「本流・生長の家復活」を願う「谷口雅春先生を学ぶ会」「生長の家社会事業団」「新教育者連盟」などの独自拠点をつくっている。ここで「谷口雅春先生を学ぶ会」が公表している、「生長の家大神」についての解説を見てみよう。

 〈雅春師は最後の事業として長崎県西彼町に百万坪にも及ぶ総本山を造営、「龍宮住吉本宮」を建立し(昭和五十九年)、鎮護国家を目的とする住吉大神の御出御をお願いすることを悲願とした。「住吉大神」はイザナギ大神の宇宙浄化の禊祓い、最後の浄化作用を担い、イザナギの左目から天照大神が生れる下準備として浄化の働き、アマテラスのご降臨を導いた。宇宙浄化の神が現れて宇宙を浄化し、「住み吉き世界」にせられるお働きの名称〉

 これはまさに雅春が生前語っていた教えである。ちなみに雅春の生家は神戸巾兵庫区にあり、彼はその近くにあった本住吉神社に参拝する中で、住吉大神の啓示を受けたという。

雅春が創始した生長の家は、祭神の性格からも明らかなように「鎮護国家」日本国の実相顕現(天皇国日本の実相顕現)と人類光明化-を掲げる宗教団休だった。

雅宣はこの「鎮護国家」のスローガンを廃し、「世界平和運動」に書き換えた。しかもこうした宗教団休の根本にかかわる改変を、特に明確な説明もなく、なし崩し的に行っている。

 本稿の冒頭に記した雅春三十年祭における雅宣の挨拶からは、深遠な宗教者としての感性はほとんど感じられず、まるで安っぽい朝日新聞の論説記事を見ているようなものだった。その一部を抜粋する。

 〈(総本山建立)当時の世界は”東西冷戦”の最中で、アメリカとソ連は大量の核兵器を相互に向け合っていました。そんな時代も過ぎ、ソ連は崩壊し、後継国のロシアは資本主義を採用し、中国もそれに加わって、世界は「経済発展」に向って足並みをそろえて突き進んでいるのが現実です。冷戦時代とは雲泥の違いといえます。ところが、この経済発展のために、自然は破壊され、温室効果ガスは大量に排出され、生物多様性は大幅に減退し、気候変動に伴う災害の頻発や農作物の不作などで、多くの人々が苦しみ、また反文明的色彩の濃いテロリズムの動きが起こっています。生長の家の運動は、その中心目的を。“鎮護国家“から”世界平和”実現のために、経済至上主義と欲望優先の都会の生き方から脱却し“自然と共に伸びる”生き方を開発し実践しようと力強く進みだしているところであります〉

 ロシアのプーチン大統領がウクライナ領のクリミアを自国に併合する際に、アメリカやEU諸国と核戦争も辞さない覚悟と準備をしていたと漏らしたのは、つい最近のことである。しかし雅宣の情勢分析では「核兵器を相互に向け合う冷戦時代は過ぎ去った」らしい。米中新冷戦やサイバーテロ、小型核戦争の脅威といった話題も、いま極めて現実的な問題になっている。その現実を前にすれば、「宗教者」谷口雅宣がいかに薄っぺらい。三文国際政治学者であるかが分かるだろう。

 ちなみに彼は「立憲主義」に反する安倍政権の安保法制にも反対なのだという。こうした自民党・産経新聞批判、民主党支持・朝日新闘推奨も、雅宣の特色である。

 雅春三十年祭の挨拶で雅宣は、近いうちに発行されるという「万物調和六章経」という新しいお経について、「さらっと」触れている。これは雅春が遺した「真理の吟唱」という祈りの言葉三章、「天地一切と和解する祈り」「天下無敵となる祈り」「有情非情悉く兄弟姉妹と悟る祈り」に自分か新たに創作した『日々の祈り』から三章、「“すべては一体”と実感する祈り」「神の愛に感謝する祈り」「神の無限生命をわがうちに観ずる祈り」を加えた六章から構成されるという。このお経こそ、これからの「生長の家の教えの根本」なのだという。教義の根本である「お経」をも、いつの間にか自分の創作物に書き換えてしまっている.

 ちなみに生長の家信者にとって、「お経」といえば「甘露の法雨」である。これを「聖経」と呼び、繰り返し読誦することを信者の必須の行動としてきた。読み方のテンポにもよるが、一巻読み上げるのに二十~三十分くらいかかる。冒頭の「『七つの灯台の点灯者』の神示」にはこうある。

 <汝ら天地一切のものと和解せよ。天地一切のものとの和解が成立するとき、天地一切のものは汝の味方である。天地一切のものが汝の味方となるとき、天地の万物何物も汝を害することは出来ぬ。汝が何物かに傷つけられたり、微菌や悪霊に冒されたりするのは汝が天地一切のものと和解していない証拠であるから省みて和解せよ。われ嘗て神の祭壇の前に供え物を献ぐるとき先ず汝の兄弟と和せよと教えたのはこの意味である。>



肉親との対立

 雅宣には二人の姉と一人の弟がいる。雅宣の姉・佳代子は古賀浩靖と結婚。この夫婦は父・清超の旧姓である「荒地」を継いだが、後に離婚している。浩靖は三島由紀夫が創設した政治学生団休「楯の会」の元メンバーで、同会の決起に参加し、東京・市ヶ谷の自衛隊で自決した三島および森田必勝の介錯をした人物でもある。服役後、彼は生長の家の長崎総本山に奉職。その後、龍宮住吉本宮宮司や本部理事、札幌教化部長などを経て、数年前に六十五歳で教団を退職した。現在は生長の家の役職には一切就いていない。ちなみに義父である谷口清超が死去した際(平成二十年十月二十八日、享年八十九)で行われた密葬で浩靖は文字通り「門前払い」され、門前で「聖経」を読誦、清超を弔った。

雅宣のもう一人の姉・壽美は、生長の家の熱心な信者たったトッパンムーア社長の息子・宮澤潔と結婚する。宮澤は英語力が堪能で、雅春から大いに期待されていた。しかし北米出版局長時代、雅宣が北米で行った講演の内容の出版化を巡って雅宣との関係に亀裂が入る。その後、ほとんど教団の基盤のないオーストラリアへ左遷。ただしそこでも実力を発揮し、オーストラリアで無から教勢を拡人させていた。しかしそこへまたしても閑職への人事異動発令を受け、教団から退職する決意を固めたところ、オ-ストラリア法人幹事会全員が宮澤を支持して本部に反発。「独立事件」にまで発展する。

これに雅宣側は宮澤を「懲戒解雇」すると応じ、「オ-ストラリア法人独立」と「不当懲戒解雇」をめぐる裁判が始まった。

雅宣・本部側は五億円近い裁判費用を要したという話だが、判決は宮潭に対する懲戒解雇、退職金の不払いは違法とするもので、つまり雅宣の敗訴だった(平成十六年三月八日)。

 現在、宮澤は妻・壽美とともに、高知市に「ときみつる会」という団休を設立。隔月刊誌『心のかけはし』を発行している。ちなみに雅春の一人娘で、雅宣とその姉弟らの母親である恵美子は、現在この高知の娘夫婦のもとに身を寄せている。雅宣が教団の実権を掌握して以降、彼女は自宅である「お山」で幽閉に近い状態におかれていたという。しかも家賃その他の費用として月に百万円を要求され、銀行通帳や印鑑も取り上げられ、必要以上の投薬も受けていたという。そこから脱出し、現代では雅宣と対立する娘夫婦のもとに身を寄せている。これをどうとらえるべきなのか。

 

 雅宣の唯一の男兄弟は弟の貴康(昭和三十年生まれ)。ヤンチャな次男坊(戸籍上は三男)のイメージ通りの人物で、その破天荒な人生軌跡は自伝『一寸先に光は待っていた』(光明思想社)に詳しい。大学在学中に起こした二度の交通事故で死線と絶望をさまよいながら、長崎総本山で長期修行。その後、国際部長、青年会長、副理事長などの要職を務めながらも、兄が教団の実権を掌握していく中で、教団からの退職を余儀なくされる。現在は総本山のある西海橋のふもとで整体院を開業して、講演活動をしたり、ブログでの発信活動などを行っている。

 生長の家は「天地一切のものと和解せよ」「先ず汝の兄弟と和せよ」という根本中の根本とする。なのにそのトップたる雅宣は、このようにほとんどの肉親と不仲、絶縁状態、このような人物を、果たしてまっとうな宗教者と呼ぶことができるのであろうか。



止まらない退潮

雅春没後の三十年は、生長の家にとってまったく「暗黒の時代」である。この間の教団の勢いの劣化、退行はすさまじく、社会的に何の影響力も行使できず、ほぼ「あってないような存在」に成り果てている。各宗教団体の公称信者数など、どこも実勢を反映してはいないのだが、「生長の家」公式ホームページでは、その信者数を百六十八万三千二百二十七人としている。しかしその下には「平成22年(2010年)1231日現在」という文字かある。あまりに脱退者が多くて直近の数字を出せず、それで五年前のものを掲げたままにしているらしいというのが、関係者から伝わってくる内情である。各種の内部情報から推算すると、実際の信者数(会費支払い者)は成人男子の「相愛会」が一万人、婦人部「白鳩会」が五万人、青年会が三千人といった程度らしい。しかしこの数とて、親が子供や孫の会費を立て替えて払っているケースが多い。ちなみに筆者の母も生長の家の熱心な信者で、子供や孫の会費、十人分以上を長年支払い続けていた。その意味で、本当に熱心な信者となると一万人を割っているかもしれない。

 それでも、これまでにストックしてきた教団の総資産は一千億円近いという。それを取り崩していくだけでも、総裁や役職者の高給は十分にまかなえるらしい。雅宣とその一派は、この蓄えを食いつぶすまで権力を手放すつもりはないようだ。

 「生長の家は終った」。そう言われても仕方ない、惨憺たる現状である。その原因である、雅宣による「愛国教団」から「環境・左翼教団」への教団改造の動機は一体なにか。次回以降も、その部分にメスを入れていきたい。        (文中敬称略)