2015年11月19日 (木)

倫理的な生活実践を拡大しよう

 今日は午前9時半から、山梨県北杜市の生長の家“森の中のオフィス”において「生長の家代表者会議」が開催され、海外も含めた生長の家の代表者約370人が集まって、次年度(2016年)の運動方針を確認し、“自然と共に伸びる”運動の進展を誓い合った。私は、全体会議の最後に概略、以下のような挨拶をおこなった-- 
 
--------------------------- 
 
 本日は生長の家代表者会議に、大勢の生長の家の幹部の方々が国内のみならず、台湾や南北アメリカ、ヨーロッパからもご参加くださり、ありがとうございます。心から歓迎申し上げます。この会議は、去る10月26日の生長の家拡大最高首脳者会で決定された来年の運動方針の内容を、皆さまのような生長の家の各地の代表者であり、幹部中の幹部の方々によく知ってもらうための会であります。 
 
 今回、皆さまのお手元にある運動方針は、方針書の表紙に書いてあるとおり、「“自然と共に伸びる運動”実現のための第2次5カ年計画」の「最終年度」の運動方針であります。「最終」などという言葉を使うと、私たちの運動はもう来年で終りかという誤解が生まれそうですが、決してそういうことではありません。これまでの「2次にわたる5カ年計画」が来年で終るということで、10年間の運動に一区切りをつけるという意味です。 
 
 私たちは、ここ9年間にわたって“自然と共に伸びる”運動を実現しようと努力してきたのですが、皆さんもご存じのように、自然尊重の精神は運動や生活の中にずいぶん浸透してきたし、教団内での温室効果ガスの削減も世界的に進んできていますが、誠に残念なことですが、「教勢拡大」にはいたっていません。そこで10年計画の最終年度である来年の運動では、この「教勢拡大」を実現するための方策として、これまでにないものがいくつか盛り込まれています。この方策は、かつては「地域協力体」という名前で実験的に行われた運動の経験を一部取り入れて、それにインターネットの利用を加えた形で方針書に掲げられています。 
 
 方針書の2頁には、「地域協力体」の実験の成果がこう表現されています-- 
 
「モデル実験では、組織を越えて人・情報・ノウハウが地域内で交流し、運動が活性化した」 
 
 また、同じ頁の一番下の段落には、インターネットの運動への利用について、次のように書いてあります-- 
 
「自然と教勢を共に伸ばすため、インターネット技術を活用した迅速かつ広がりのある運動と、居住地域での対面コミュニケーションを重視した運動の両面を展開する。」 
 
 さらに、「第2次5カ年計画」の「“質の高い組織運動”の実現」の第2項には、次のようにあります-- 
 
「幹部・信徒は、インターネット上のソーシャルメディアなども活用して、新たな縁のある人々へ、積極的にみ教えを伝える。また、国際本部はネットを通じてみ教えに触れた人々が地域の活動へ結びつくよう、新しい運動形態を考案する。」 
 
 これらのいろいろの発想や取り組みを土台にして、国際本部がここ“森の中のオフィス”に移転してから初めて登場した行事が、「自然の恵みフェスタ」でした。この行事は昨年の方針書に、国際本部での行事として記述され、今年(第4年度)の方針書では、国際本部に加えて「日本国内の各拠点で可能なところは」という条件付きで実施が推奨されました。そして、今回の方針書では、次のように書いてあります-- 
 
「日本の教区および海外の伝道本部は、“生長の家 自然の恵みフェスタ 2016”を実施し、“自然と共に伸びる”生き方の具体例を地域を巻き込んだ参加者で共有し、体験・体感することで意識のレベルを高めて、“自然と共に伸びる”生き方を拡大していく。」 
 
 この書き方を見れば、フェスタという行事が、海外も含めて、私たちの運動の前面に打ち出されたことがお分かりと思います。では、そんなに重要な行事で、私たちは一体何をするのか? また、その目的は何かが問われます。それに関しては「倫理的な生活者」という言葉がキーワードになります。方針書には、信仰にもとづく「倫理的な生活」とはどんなものかが、具体的に3項目掲げられています-- 
 
 ・ノーミート、低炭素の食生活 
 ・省資源、低炭素の生活法 
 ・自然重視、低炭素の表現活動 
 
 私たちは、この3項目を日常生活において実践していきながら、フェスタではその成果を発表し合う--というのが、今回新しく打ち出された方策なのです。これはまた、かつての「地域協力体」の実験結果を踏まえて、「組織を越えて人・情報・ノウハウが交流し、運動が活性化する」ことを目的とする活動でもあります。 
 
 皆さんには、この点をしっかりと理解されて、来年以降の運動を進めていただきたいのです。さらに、運動方針としては今回初めて登場した3つのグループの名前がありますが、これら3つは、先ほど申し上げた3つの生活実践項目に対応していることは、すぐ理解できると思います。確認のために申し上げると-- 
 
 SNIオーガニック菜園部は、「ノーミート、低炭素の食生活」を実践するための組織です。SNI自転車部は、「省資源、低炭素の生活法」を具体的に進める組織です。そしてSNIクラフト倶楽部は、「自然重視、低炭素の表現活動」の場として作られた組織です。これらは、白・相・青などの従来の運動組織の枠を超えたもので、インターネットを積極的に利用することにより、さらに教区の枠も超え、理論的には国境も超えているという点に、ご注目下さい。私たちは、この新しい運動形態を、経営学の用語を借りて「プロジェクト型組織」と呼ぶことにしました。 
 
 最後に、今回新しく「倫理的な生活者」という言葉が出てきましたが、これをあまり難しく考える必要はありません。簡単に言えば、先ほど取り上げた“実践3項目”を生活の中で継続していく人のことだと考えてください。これは、生長の家の信徒は皆、先ほどの3つの「プロジェクト型組織」に加入しないといけないという意味ではありません。加入は、任意です。しかし、どうせ実践するなら全国の仲間と一緒にやりたい。また、自分はその分野に特に興味があるという人には、どんどん加入して、ノウハウを共有してもらいたい。自転車に乗るよりは、歩くのがいいという人は、別に自転車部に入らなくていいのです。ただ、これらの“クラブ活動”の元になっているのは、生長の家の“自然と共に伸びる”という考え方ですから、それを信仰のレベルからしっかり理解したうえで、各人の得意分野で、あるいは興味のある分野を中心に積極的に表現し、人々にも伝えていくのが目的です。 
 
 “自然と共に伸びる”という意味は、自然ばかりが繁栄して、生長の家の信仰者がいなくなるのではいけません。教勢拡大と自然尊重が共に進展していくということですから、この点をぜひ理解され、地元の信徒の皆さんにも正確にお伝えください。「倫理的な生活者」の具体的姿については、拙著『今こそ自然から学ぼう』の22~23頁、26~27頁などに書かれているので、この点も参照され、教区の方々と一丸となって、また、教区や組織を超えた信仰の表現者として、“自然と共に伸びる”という目標達成に向かって力強く、明るく運動を展開してまいりましょう。 
 
 それでは、これで私の挨拶を終ります。ご清聴、ありがとうございました。 
 
 谷口 雅宣 


私はどうしてもわからないのです。
下記の要目がどうして信仰に結びつくのかわからない。
いやいや、結びつくのだといえば、「風が吹けば桶屋が儲かる」ような図式でも人は納得するんだというような事になっているのではないか。
またこれがどうして倫理的なのかもわからない。
倫理とはつまり「道徳」です。
食生活を道徳と言われても困るのです。
例えば質素に暮らすは別に道徳でもない。
ノ-ミ-トと書いているが鶏肉はOKのようだ。これこそ倫理観に反しているのではないか。
とりあえず、項目をみてみよう。
 ・ノーミート、低炭素の食生活 
 ・省資源、低炭素の生活法 
 ・自然重視、低炭素の表現活動 

自然重視と書いているが、どこが自然重視なのかわからない。
私は現在自然豊かな所で仕事をしているが、自然重視なのでもない。それよりも人間がそうした自然溢れる場所に移住することにより、大きな自然破壊を危惧している。

年に数回「鹿が交通事故」で死んでいる風景、猪もしかり、狸やイタチもしかりである。

また、メガソ-ラによる環境破壊は年を追うごとにひどくなる。使われなくなった田んぼをメガソ-ラに利用している所が急に多くなった。環境にとっては最悪である。人間のエゴしかその風景は感じないからである。
多分、都会に住んでいたらそんなことわからないと思います。
また交通の利便性のため、田舎に住んでいたら一家に2台の車を所有されている家も多い。
自然重視という言葉など所詮飾り物で付けている。

環境破壊というのは人間のエゴから生じている。つまり人間の感覚だけで自然を相手にしようとする傲慢でしかない。
例えば、動物が増えすぎて困っている農家が多い。それはインタ-ネットを開いてもらったらすぐにわかります。
全国どこでもそうです。とりわけて「鹿、猪、アライグマ」などは本当にすごい頻度で増えています。
このような動物は人間のすぐ近くで住んでいます。そういう適応能力があるんですね。
人間が高速道路を建設したりするため「動物が追われてしまう」のです。防護ネットのため鹿がそれに絡みついて死んでいたりする。人間の食べ残しを荒らしたりするのは、そういう動物の生活地域に人間が住んでしまうからです。
また、自然豊かといいながら「ケモノ道」に人間が入ってしまうからです。

低炭素といいながら、自転車に乗るのは別に低炭素でもなんともありません。私も以前は自転車で毎日50kmは乗っていましたので自転車野郎でした、しかも何年間もです。しかしこれは信仰とはまったく関係ありません。宗教が組織を挙げて運動方針として行うものではありません。

またトレッキングするのも別に低炭素でもなんともありません。なにか大袈裟すぎるんですよね。
自転車は利便性で使用する人がほとんどです。ただ自転車をロ-ドサイクルとして利用している人も増えているのも事実です。
また、自転車つまりMTBで自然の野山を駆けるのは自然環境を守っているかは疑問です。
どういうことかというと、人間が齷齪として山に登りますが、それと同じ場所を自転車で登る人がいる。結構そういう自転車があり、マウンテンバイク(MTB)ですが、タイヤが太く大きな自転車で野山を走っている人がいますが、階段の丸太が破壊されたり、土守しているところが自転車で刳られたりしています。

低炭素は組織ある宗教が行うものではありません。都会暮らししていた人間が田舎に暮らしているだけに過ぎない。自然破壊している人間が時代のの恩恵を受けているのですから、本当に田舎暮らししたいのであったら、時給自足で電気もない石油もない、明治時代に逆戻りして生活してこそ、本来の田舎生活です。

しかしそんな明治時代のような生活を出来ないことはわかっています。ならば低炭素など大袈裟な文言は失笑ものにすぎないことを感じてほしい。


また総裁の趣味だけでこんなことを行われるのは宗教が「カルト化」しているに過ぎない。だれかが注意しなければ自己の趣味を宗教に今後取り入れられるであろう。
それをカルト化しているということです。




「指導者の権威主義に関するチェックリスト」「マインド・コントロールに関するチェックリスト」
「排他性に関するチェックリスト」「被害に関するチェックリスト」の4項目に分かれています。


               1=当てはまらない。
               2=どちらとも言えない。
               3=少し当てはまる。
               4=当てはまる。
 


指導者の権威主義に関するチェックリスト
指導者は、「私は特別に神から選ばれた者である」、「私は神の代弁者である」、「私は特別に神に近い関係にある」と主張する。
指導者は信者に対して、「あなたは霊的子どもだし、何もわからない。だから、私の言うことを聞きなさい」と口癖のように言う。
指導者は絶対的存在とされて、指導者に対する従順(もしくは、不従順)は、神に対する従順(もしくは不従順)とみなされる。
メンバー間で指導者についての意見や見解を述べる自由がない。
指導者の方針に対して反対意見を述べると制裁が加えられる。
指導者は信者の質問を受けようとせず、逆に怒る。
指導者は人の意見に耳を貸さない。
組織の重要事項に関する決定権は、指導者が握っている。
メンバーの結婚、就職、住居等について指導者が握っている。
10自分の主権を尊重するよりも指導者を崇拝する(過剰な敬意を払う)ように教育している。
11指導者はグループの規約を無視している。
12指導者の教えと実生活とに、矛盾がある。
13指導者は一般の信徒よりも特別裕福な生活をしている。
14ごく一部の幹部やリーダーだけが組織の利益や特典を受けている。
15幹部やその子どもなどの特定のメンバーと、一般のメンバーとの間に権利や待遇において差別がある。
     引用: 「教会がカルト化するとき」(ウィリアム・ウッド著 いのちのことば社発行) 著者承知