下記はトキさんという地方の大幹部の投稿です。
付かず離れずの態度は変わっていませんが、この文章は評価します。
だとしても、どうしたらいいのかが書いていないのもトキさんらしい。
具体的な内容が書き記していないのもここではトキさんの性格だから仕方ない。
信徒の激減による、教区の空白が生ずる問題や環境一辺倒による信徒からの意識のズレなど大きさははかりしれない。
私は総裁の環境問題は全く時代錯誤であると感じています。自然というものは「何もしないのが自然として大切なのです。」それを山の裾野に大きい建物をたてて、動物の居場所を無くするのは環境問題を真剣に考えていない証拠でもあります。
動物の居場所を人間が占拠するなど環境破壊そのものではないか。里山という言葉は動物と人間の境界線です。その里山の中に建物を建設するのは宗教家として情けない。
総裁の目指しているものの必要性とか言っているが、それがわからないのが現信徒なんです。
それより「谷口雅春先生に回帰」するほうが大切です。
理解するなど最早難しい段階であります。
大本の分派などを実際見てきた私はその難しさを感じています。
最後に総裁の資質の問題ではないといっているが、総裁の資質そのものが「生長の家」そのものを歪めてきたのは事実であり、眞實でもある。それ以外にないことは断定できる。だから生長の家総裁としての資質もない。残念である。
173 :トキ:2015/10/09(金) 13:13:14 ID:X6KIHhA.
なりが、全部、間違っているという立場にはありません。
幾つかの問題、例えば、環境問題についての問題意識やエネルギー
と戦争との関係などは、その危機意識は優れたものだと思います。
問題は、教団に在籍し、総裁の本や話を聞いている私ですら、現在の
教団の説明には納得していない点です。これは私の周囲の人間には少なく
ない人間が同じ考えでいます。
生長の家自体は、昭和の初めに生まれたものですから、それから時代
が変わり、当然、解き方も組織も変化は必要です。教団を取り巻く社会
情勢も急激に変化しています。その中で、教団がそれなりに対応をしてい
るのは当然だとは思います。
ただし、その結果については、私個人は評価をしていません。
この原因については、プロセスを無視して、上意下達の形にこだわ
った結果だと感じています。教団の説明は、はっきり言って下手です。
一般の会員から見たら、何を言っているのか、わからないでしょう。
先に挙げた問題意識にしろ、丁寧に説明をし、具体案は議論を通じて
実現をする、という過程を踏めば、本流復活派の人を含めて、大半の人
が納得したと思います。例えば環境問題について言えば、谷口雅春先生
も「公害」について、しばしば言及をされているので、その問題意識自体
は突飛なものではないのです。
総裁や教団を支持する人が、これから掲示板の上で必要なのは、教団
や総裁が目指しているものの必要性、そして今までしてきた事が失敗を
した事の総括、さらには、本流復活派を含めて、一人でも多くの人へ、
教団の現在の方針についての理解を得る努力ではないか、と考えており
ます。
確かに、ネット上では、これでもか、これでもか、と総裁が攻撃の対象になって
いるので、その点は気の毒だな、という感想はあります。と、同時に、あらためて
権力分立とか立憲君主制というのは、国民を守ると同時に、国家や政府にとっても
好ましい制度だな、という感想を持ちました。
この間、「日本の一番長い日」という映画を見ていたら、天皇の決断で終戦を決
めたら、天皇にして大元帥閣下に全責任が生じる、というセリフがありました。
このセリフの趣旨は、そのまま現在の生長の家にも言えるような気がします。
私は末端の平信徒ですから本部の事情は知りませんが、現在の組織体系では、
理事会とは別に参議会が組織され、さらには最高首脳者会議に大幅な権限の委譲
がなされていると聞いています。
本部の皆様も悪意ではなく、常にベストの決断を心がけておられる、とは思います。
しかし、人間ですから、最高、最良の決断をしたつもりでも、失敗だった、という
事はあると思います。
その場合、例えば、理事会などで議論の末に決まった事なら、その内容が間違いで
も、すぐに総裁の責任になる事はありません。最悪でも理事長の責任問題に留まりま
す。また、失敗をした場合でも、どこで議論が間違ったのか、という検証をすること
も可能です。加えて、代表者会議や教化部長懇談会などで自由な議論を行い、結論を
修正したら、トップの責任問題に直結することはより少なくなります。
もちろん、その場合、組織としての意思決定に時間がかかるし、内容も凡庸なもの
になりがちだ、という欠点はあります。
これに対して、最高首脳者会議に大幅な権限の委譲をし、その会議に総裁が出席し
ている、ということになると、確かに、意思決定は速くなり、内容も自由なものにな
ります。しかし、その意思決定の結末が失敗したか、内容に不満を感じる人が増える
と、これは、もう、総裁は批判を免れなくなります。
(つづく)
教化部長宛てに「最高首脳者会議の決定に一任をして欲しい」というメールが
時々、届くと、教区の幹部の人から聞いています。
最近の本部の決定内容は、正直申しまして、信徒さんの評判は良くないで
す。組織決定に関することもそうですが、信仰に関する重大な変更が、ある日突然
知らないところで決まって、機関誌を読んで初めて知る、という事がしばしば
起きています。
これでは、信徒は、たまりません。
同時に、こういう意思決定のシステムが作動していたら、トップは責任を回避できないです。
問題が起きたら、総裁個人に批判や質問が殺到するのも、残念ですが、避けがたいと思います。
総裁個人の資質の問題、というよりも、こういうシステムが生長の家で採用されている
事が問題というのが私の考えです。ただし、ネット上では、このシステムを採用した
のは、現在の総裁であり、谷口清超先生も谷口恵美子先生も反対された、という投稿
を読んだ経験はあります。
もし、これが事実なら、谷口清超先生も谷口恵美子先生は、生長の家の将来と同時に、
谷口雅宣先生の事を案じておられたのではないか、と考えています
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