「大地震は“神の怒り”にあらず、“観世音菩薩の教え”である。我々がいかに自然の与え合いの構図から恩恵を得てきたかが、それを失うことで実感させられる。我々がいかに人工の構築物を、田畑を、港を、道路を、送電線を、インターネットを築き上げでも、自然界の精妙かつ膨大な仕組みとエネルギーを軽視し、蹂躙する愚を犯せば、文明生活は一瞬にして崩壊することを教えている。我々の本性である観世音菩薩は、“人間よもっと謙虚であれ”“自然の一部であることを自覚せよ”“自然と一体の自己を回復せよ”と教えているのである。」

大地震は観世音菩薩の教えの表れだと云う。
無明であり迷いである。

それならば神(菩薩)は人を殺傷したりするのであろうか?
そんな無情な考えはおかしい。

自然という物象に心を捉え、参拝する。

それは間違いである。

私達はその奥にある神の存在としてを観じなければいけません。
自然を拝むのは人間の本能であり雅宣総裁はそれは物質的観点からそれを観たものである。
観世音菩薩というが生長の家の本尊は住吉大神であり生長の家大神なのです。
何を血迷っているのか、知りませんが「否定」しなければなりません。

それならば信徒は間違って信仰してしまう。

生長の家はその物質の奥に内在する霊的な、妙なる奥なる仏性を拝んでいるのです。

生長の家は根本思想を歪めては「生長の家」そのものを失ってしまいます。