先日賀名生の皇居として書きましたが、ここの地名は昔は吉野郡西吉野村という。
田舎であるが山林が多くを占めていた。

吉野という地名は吉野千本桜でも有名ですが吉野駅からは離れています。
あの女優の尾野真千子の実家からは賀名生は近い。

ただ、賀名生という所を訪問したのは後醍醐天皇の歴史を少しでも知るためでもあります。今回は楠木正成関連の訪問でしたが、そんななかでも歴史という繋がりを自分では感じ取る必要を強く感じたのです。
以前にここで書きました「天皇信仰」などはこうした歴史の繋がりであればこそ生まれるものであると感じています。俄か信仰では根本が埋まらないものを感じています。だから”生長の家”を嫌になったら辞めたりするのです。
根が張っていないから色々な迷いが生まれるのです。
そうした土台をキッチリと築き、高めあうのがいいのです。
人に付いていくような信仰は本当に駄目です。あの竹岡博文さんは生長の家の名前も出さないで講話とか出版をしていますが、残念でなりません。堂々と生長の家の名前を出すように願いたい。だが現状の生長の家教団ならばなんとなくわかるのも不思議です。
私はこの奈良の賀名生という地を訪問して地域での南朝ということにすごくプライドがあるのだと感じました。連綿と受け継がれる歴史というのは誇りの歴史なんだと感じています。

それをその地で行って感じるかどうかが問題なのです。何にも感じない人は大半です。そんな中でも一筋の光を見出すように発掘していかなければなりません。