『光』誌御寄稿文章

『光』大正1110月号

文化生活と憐憫道」14頁の御文章)

『光』昭和2年4月号 「再び『呪わざる生活』に就いて」6頁の御文章 (昭
和2年1月3日奉天木谷様方にて)

『光』昭和25月号 「大調和の世界」7頁の御文章
(今、昭和2年4月29日午前5時です。ひどいインフルエンザで妻子40度の体温を上下したのがやっと病状が落ち付いたらしいので、久しい
間の負い事を果さして頂きました)

 

 

『神の國』(大正十年十一月號)第四號

「美代子さん」 谷口輝子
この「美代子」さんは谷口姓として始めての輝子先生の投稿文です。しかもこのような長文も初めてです。

御結婚されたのが大正九年十一月二十二日、二八歳の誕生日に結婚されておられます。輝子夫人は二十五歳です。その後床に伏したまま苦しい生活がはじまったと記入されています。
当時は心臓弁膜症といわれ、谷口先生は当時を回想してつぎのように言われている。

『その頃、わたしはどんなに色々の医学書を読んだか知れません。民間療法の書物もたくさん読みました。
医者に負けないほどに私は病気の治療法や薬剤のことや、発病の原因などを知ろうとつとまました。若しこの家内が強健な身体でありましたならば、私は治病のことについてこんなに深く研究もしなかったでありましょうし、その研究から来た「本来人間無病」の生長の家の真理にも到達しなかったかも知れないのであります』

『神の國』に寄稿されておられるのですから、随分よくなられていることが推察できます。

なお、谷口先生が『その頃、わたしはどんなに色々の医学書を読んだか知れません。民間療法の書物もたくさん読みました。』
と記入されておられるのは、以前紹介しました、亀岡叢書のなかの

第十四編 非醫治療法批判      谷口正治 大正1021日発行

でいかに医療書を読まれたかが推察できます。
ここで記入されているのが「非治療法批判」ですから読まれた読書の中から体系的に纏められた書物です。

1)岡田虎次郎氏の死と静座法の眞価
2)濱田光哲氏の念射術
3)大祓詞治療法
4)道徳的病気解決法
5)気合術批判
6)鈴木美山氏の哲理治療法
(上巻終)と記入されていましたので、次回を書かれていたように推察できますので、治療法や薬剤の勉強されたことがわかります。IMG_1521