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大神神社の入り口(階段のぼればそこに拝殿があります)
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狭井神社の鳥居前
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大神神社の本殿の様子
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三輪山登山口(鈴の襷をかけて登ります)

昨日は三輪山の登拝出来ます、平成25年の最初の日です。
その登頂の為に大神神社に行ってきました。
車の為大変混雑していました。
自宅を11時に出発したのですが、着いたのが午後1時40分でした。その為2時には閉門となります。

この山は三島由紀夫も登頂した山として有名であります。ただ今回も裸足は失礼ながら止めました。

裸足の辛さは経験しましたが、約1か月足裏に豆のようなものが残りました。ただ、また裸足で挑戦はしたい。
昨日は急いで登りました。
新鮮な神体山ですので、登山される人は多いです。下山時は混雑していました。登りは約25分で下山は15分で磐座ではしっかりと参拝しました。
往復で約50分で済ませました。
通常は約2時間はかかります。467mの山です。

その後に箸墓として有名な第7代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまとととひももそひめのみこと おおいちのはか)です。

あの卑弥呼の墓として一般では有名でありますが、私はそうした学者が論ずる天皇の御名前を隠そうとする魂胆には辟易しています。

それならば、不確定な「魏志倭人伝」などまともな根拠など少ないのに何故確定していないのに信じるのかであります。
今回参拝した崇神天皇陵などを行燈山古墳と呼ぶのかであろう。歴史とか軽々と叫ぶが江戸時代の文久修復などは有名だが、陵墓を参拝するときによく感じるのが、その地域でその村民などがその陵墓を大切に守ったという歴史があります。確かに不確定な陵墓もあるのも事実ですが、それならば反対にそういう反対している考古学者に問う。

貴方の先祖代々の墓は間違いなくその墓が貴方の祖先の墓であることを証明できますか?
寺などの家系図など信用できないものなど沢山あります。

それを別の名前にしてもいいのかどうかであります。
信用出来ないから名前を変えるなど可笑しい。

私は擬陵という言葉は非常に日本的であると思っている。

 現在定められている天皇陵がすべて正しくその天皇が埋葬されている場所というわけではないが、その点に関しては、「擬陵(ぎりょう)」という考え方を安徳天皇陵・長慶天皇陵の章で紹介している。すなわち、「稜になぞらえる」ということである。遺物が埋葬されていなくても、御陵として決められていれば、「皇霊を安んじ奉り御追遠(ついえん)奉仕に万全を期し得る」というのである(p160)。祖先祭祀という面から、どうしても祀る場所が必要なのである。

倭迹迹日百襲姫命の大市墓の詳述は後ほどとします。

さて倭迹迹日百襲姫命の墓に参拝した後は「ホケノ山古墳」に初めて参拝しました。詳述は後ほどにします。
その後景行天皇の陵と陪冢と景崇神天皇の陵と陪冢を参拝しました。詳述します。
最後の崇神天皇陵では鴨であろうか写真のフラシュに驚いたのかわからないが、空中で鴨の飛行で接触があり、ドンという激しい音で一羽の鴨が羽を痛め、アンド山陵域内陪冢に墜落しました。生きているようでしたが、かなりの衝撃であったようです。暗がりで見えにくかったのですが、空中接触で鳥が落ちるのは二回目です。

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狭井神社で販売されています「御神水」です。この狭井神社は酒の神様としても有名です。

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東側から大市墓を写しました。

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大市墓から三輪山を撮りました。
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