則天去私

「谷口雅春」先生の生涯も綴っていきます。

2021年01月

讀んで戴ければ幸甚です。

まともな感覚を喪失している日本人

「文藝春秋」2月号に「 天皇皇后両陛下『オンラインの行幸』 」と題して書かれている。通常ならば、普通そのように使われて当然であるが、マスコミはこの「行幸」というコトバを使用しないであろう。「御訪問」とかになるであろう。どうして「行幸」が駄目なのか、殆どの人は知らない。戦後のGHQ検閲にもそれはパスしていた。戦後の『精苑』(昭和22年頃)という雑誌にも行幸號というコトバが使用されているが、検閲ではその言葉は削除対処にはなっていない。

 

しかし、通常使われている、「践祚」は駄目で現在では「即位」となっている。「勅使」も駄目である。「お使い」である。マスコミが作った「皇室関係用語集」には使わないコトバとなっている。あの江藤淳氏が書いていたが、日本の代表的古典『源氏物語』ではマスコミではどのように発言するのであろうかである。『源氏物語』ではなく『現代物語』になるのも不思議でもない。

お出まし等に関する用語 | 皇室用語辞典 (tanken.com)

 
 皇室に対しての言葉は戦前では使用されていたのが、戦後となりマスコミでは御法度となっている。その理由もわからない。共産党等の左翼がマスコミに入り禁止したのであろう。日本学術会議と同様である。

 『源氏物語』には皇室関係のお言葉がちりばめられています。本当にGHQの検閲をそのまま引き継いだマスコミの時代錯誤も甚だしい。

 

こんなこと、本当に馬鹿々々しい。これも戦後GHQの影響であることです。昔の時代劇など見ればわかるが、最初にテロップを流し「時代背景を考慮し、そのまま放送いたします」

私など、テレビに向かって、「現代が偉いのか」と怒鳴りつけてやる。

 

さて、プランゲ文庫で図書館通いを続けていますが、やはり憤りが止まない。

戦後育ったまともな人間ならば「おかしい」と気が付くはずである。戦後GHQ作成の「日本国憲法」には

第二十一条

1、集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

2、検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

 

集会や結社及び言論の自由も許さない状況で「自分達」が作成した「憲法」には自由を謳歌するようなことを記入しています。その当時は放送、出版、スポ-ツには軋轢を加えて、制限をして、そうした事に何の保障もなく「検閲」を行っている。片や憲法には検閲しては駄目だと書きながら、自らは「検閲」を行う。
  

こんな恥知らずなことを平気で行う当時のアメリカに対して「平和憲法」だとか拝んでいる人が日本には大勢いる。

 マスコミは中国には楯を付く事が出来ない。批判も出来ない体質である。こんなの「マスコミ」ではない。中国には媚び諂い、日本政府には偉そうに言う。
 こんな人は戦後の「憲法制定過程」や当時の状況など勉強したことがないからである。まともな政治感覚や歴史感覚があれば、小学生でもオカシイと気が付く。気が付かない人はどうにかしている。そんな感覚であるのが日本をおかしくしている。

光の子様、幾度のコメントに感謝申し上げます。

光の子様、幾度のコメントに感謝申し上げます。

 

随分昔に『万葉の世界と精神』という山口悌治先生御著書の件で元本部理事に聞いたことがあります。これを上下巻と執筆されて、「何度も奈良県下の万葉の故郷に下見に行かれたのでしょうね」と質問したら、「先生は忙しいので一度も奈良県にこの本の為に行かれたことはない」という返事でした。

 

なんという能力なのであろうか、呆然としてその後の言葉が出なかった。私は「明治生まれの気質」や能力やその時代に受けた敎育というのが、そうした能力を授けるのであるとシミジミと思った。そういえば以前に箸墓古墳の近くで近所の叔母さんらしき人が「三輪山」に合掌して拝んでいる姿を見て、到底この人には敵わないと思った。敵わないというのは、その人の下地というのか持って生まれた素質というべきなのか、私のような天邪鬼では天と地の開きがある。

だからこそ、私はその「万葉集」ならばその地に訪問して、その憧憬を知る為に努力しなければならない。あの破邪顕正さんが現教団の白鳩総裁である純子氏を歎いていたが、それは誰にでも成り得ることである。「まさかあの人が」という思想変更は度々見てきたものだけに、その人がどのような勉強をしてきたのかが深く関わる。

 

私自身は幸運に恵まれていただけだと思っている。谷口雅春先生の著作が自宅にある。どれ程努力して蒐集したかを考えると、思想の逸脱など出来ようがない。また、人生を賭しての『谷口雅春先生著作年譜一覧表』は未だに新しい発見があるのが驚く

 

前回にブログで紹介したETV特集「円空 仏像に封印された謎」に出演されていた長谷川公茂氏、現存するだけで5300体あまりのすべての仏像を見られているのである。全国に円空の仏像ではないかといえば、その地に訪問してその仏像が円空のものであるかを真贋の眼で見分ける。長谷川氏は約60年その人生を「円空」に賭けてきた。時代は遡るが「円空」は江戸時代の初期の人である。もう新しい発見は無いだろうとする「円空」の仏像は未だに新しい発見があるというから驚く。この執念ともいえる「円空」愛は誰にも負けないという。

 

話は生長の家になるが「谷口雅春先生」の教えは夥しい御著書から次々と封印され、消されていくのである。本来なら系統立てて何百巻という著作集が作成されてもおかしくない。「谷口雅春先生」により救われた人は全国に沢山いる。だが多くは自分が救われただけで「谷口雅春先生」に何の恩返しも出来ていない。申し訳ないとか恩返ししたいとか、そんな気持も消え失せたのであろうか。長谷川氏は人生を「円空」に救われたので、その恩返しで「円空」を求めて未だにその旅を続けているのである。勿論、現教団の谷口雅宣氏の尊師に対する裏切りというのに怒るのもいいが、それよりどうしてこの教えを残すかを考えた方が今は優先する。どうすればいいのか、どうすれば「この眞理を広められるのであろうか」を考えなければいけない。どんないい人でもいざとなれば「谷口雅春先生」の著作を封印して私には見せてもくれない、「冷たい人間」に変貌する。「生長の家教団」「ときみつる会」である。また限定的に見せて戴けるのは「社会事業団」「学ぶ会」である。何故限定的であるかというと、「社会事業団」の公開日は平日であり、月に二回とかである。「学ぶ会」は見せて戴ける。だが系統的にどの本が何処にあり、どれがどうかは整理ができていない。

 

「聖典は大半が信徒からの贈呈」であり、自分が探究して探し出したものでないから、価値が分らないのである。何かがあれば棚からとり出して見るというから、そのようになるのである。

 

「人間は努力」しなければ宝石のように輝かない。その努力というのが「磨き」という努力をしてこそ、その真価というものが発揮される。磨いて光沢に燦々と輝くダイヤモンドにしなければならない。

 

「円空」を求めて全国を行脚する長谷川氏と同じように「谷口雅春先生」の眞理を求めて行脚するひとがもう少しいてもいいのであろうが、そんな人は目立たないから脚光を浴びない。それでも求道する気持ちを失せては駄目である。

『生命の實相』黑布表紙版の検閲の調査について

『生命の實相』黑布表紙版を調べていた昨年、何を調べていたかというと、戦前の「内務省検閲」に対して如何に対処されたかである。その内容を調査するために、その内容の変更箇所を調査した。

簡単には出来なかったものがある。どれ程の再版や重版があるかは誰も確かめていないからである。何がどのように変更したのかは不明である。

 

それを探索するのも通常では出来ないこともあり、どのようにすればいいのか悩みが尽きなかった。

 

その一つが調査の為に7か所程図書館巡りをした。「大阪府立図書館」に多く所蔵していたことが幸いした。また「堺市立中央図書館」でも重版のものが見つかったときは嬉しかった。そのほかに「兵庫県立図書館」にも通った。

また、「永井古書店」が120巻程所有していたので、その発行日を調べた。

私自身も計二十巻で重複して156巻所有している。それでも無い重版が沢山あるのです。ただ、同じ発行日でも変更されているものもあるから、最初はなかなか進まなかった。

 

これで最終なのかは疑問であるが、それでも最善を尽くして調査した。調べるというのはそういうことであり、最善を尽くしたつもりでいるだけで、まだまだ最善を尽くしたとはいえないのである。

 

それでも神様は「努力」に対して必ず“導き”があるものです。それを信じて行うものです。先日の

NHK放映の「円空 仏像に封印された謎」を前回のブログで記入したが、何十年も「円空」を調べているひとがいる。最近新たな仏像も発見されている。当時小学生で「円空」について調査した人がいる。それは2019年、愛知県一宮市立萩原小学校6年の鵜飼航(こう)君(11)の作品が、最高賞の文部科学大臣賞に選ばれた。江戸時代の僧侶、円空が彫った仏像を調べてまわり、模造紙に記事をまとめた。大したものである。自分の脚で調べてそれを纏めるのであるから感心する。

 

しかし、何でも一夜では完成しない、何処かのデ-タ-から複写してそれを貼り付けて、これ程知っているんだと云われても、「ア!そうですか」としか回答できない。自分で年史を作成して新たな発見もしてこそ行っているといえる。

 

黑布表紙版 全20 

 

冊数

1巻 

總説篇・實相篇

S10.1.25

9

17

 

S10.4.29

 

S10.9.25

1

S11.9.5

1

S12.7.1

4

S18.3.25(17版納本)

2

2

光明篇・生命篇

S10.2.25

7

10

 

S10.6.10

 

S12.7.1

3

3

聖靈篇・實證篇

S10.5.25

6

13

 

S10.7.6

 

S10.12.20()

 

S12.5.20

 

S12.7.1

4

S18.5.15(8.9版発行)

3

4

生活篇・觀行篇

S10.10.25

6

11

 

S12.7.1

4

S14.2.18

1

S14.5.20

 

S16.9.2517

 

S17.7.2518版発行)

 

5

靈界と死後の救ひ

S10.5.25

 

11

 

S10.7.25

7

S12.7.1

4

S10.1.25

 

S16.9.20(第13版)

 

6

萬敎歸一篇

S10.1.25

3

11

 

S10.4.25

6

S10.6.25

 

S12.5.20

 

S12.7.1

2

7

敎育篇・倫理篇

S10.6.25

11

13

 

S10.7.25

 

S12.7.1

2

S18.5.15(第13版)

 

8

人生問答篇

S10.3.25

6

6

 

S16.9.20

 

S18.5.15

 

S10.5.20

 

S12.5.15

 

S12.7.1

 

 

S16.920   第6

 

S18.5.15  第7

 

9

宗敎問答篇

S10.8.25

9

11

 

S12.5.20

 

S12.7.1

1

S14.5.20

1

10

神示を受くる迄

S10.6.20

 

10

 

S10.9.25

8

S12.7.1

2

11

 

經典篇・參考篇・宗敎問答篇

 

S10.11.25

4

7

 

S12.7.1

 

S14.2.18

3

S14.8.1

 

12

 

常樂篇・經典篇・參考篇・質疑篇

 

S10. 12.15

4

7

 

S12.5.20

1

S12.7.1

1

S12.8.1

1

S14.2.18

 

13

 敎育實踐篇

S12.7.01

3

7

 

S12.7.18

 

S12.8.25

 

S14.2.18

4

14

 

  久遠佛性篇・眞理體驗篇  

 

S12.7.01

 

5

 

S12.7.18

1

S14.2.18

4

S14.7.20

 

15

 

女性敎育篇・兒童光明篇・聖典講義篇

 

S12.7.15

 

3

 

 

S14.2.18

1

S14.6.20

2

16

神道篇・經濟生活篇

S16.9.01

3

 

17

随喜篇・道場篇

S16.10.05

7

 

S16.10.25

 

 

18

下化衆生篇・幸福生活篇・功德篇

S16.10.25

3

 

19

幸福篇

S16.11.25

4

 

20

佛敎篇・家庭敎育篇

S16.12.15

3

 

 

雑感余話-1月24日

「生長の家」の御教えを通して「萬世一系」を考える「亀の子ブログ」を興味持って拝読させて戴いた。最近はそこらの学者の内容を信じて、これじゃなくてはならないと決めつけて勝手に解釋してしまう人がほとんどである。歴史を長い縦の絲のように流れを寸断なく見ている人が少なく、その風土を解釋出来る人も少ない。勝手に我が身の少ない知識で、しかも戦後のGHQ史観によって、戦前惡から出発している人がほとんどである。そんな人の言葉は悪いが「勝手な解釋」で決めつけられると歴史は寸断してしまう。

 

とりわけ、「考古学」はひどいものである。少し施設を廻ると「これは朝鮮から文化が伝来してきたものと思われる」という記述が大半である。こんな人に最近の「縄文土器」や「弥生土器」の発見をどのようにしてみるのかが理解出来ていない。多くは日本独自のものであり、決して海外から出土したものではない。また「三角縁神獣鏡」でもそうである。

 

朝鮮にある古墳の技術は日本から朝鮮に傳えられたものである。

 

「歴代天皇」を感じるのは書物を読んで理解するのもいいのだが、体感により感じて欲しいと私は思う。「万葉集」を讀むのに当時の歴史的な背景と状況が必要である。また当時は地勢的にどうであったかまで調べられたら尚いい。

 

今回、プランゲ文庫を調べていて毎度思うのだが、ここまで検閲するのかという處まで検閲している。これは民族的に許されないことであると感じています。そんなことを平気で行うアメリカは日本を驚異に感じながら、野蛮な国だと思っていたのに相違ない。

 

今回、或る方から「大宅壮一文庫」の谷口雅春先生の資料と検索していただいた、レファレンスを送付していただいた。その中から『現代日本の200人』(三宝出版㈱ 草柳大蔵監修)という本を古本から取り寄せた。その中の宗教という項目に記載されている。それを讀めばやはり如何に「稀有の才」「非凡の才」があれといえど、凄いという一語である。

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下図は『FACE』からです。
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『元始、女性は太陽であった』

本日、朝から録画していた「円空 仏像に封印された謎」(NHK)を見ていました。

そこで気になった言葉があります。女性は穢れたものだと当時はされていたというコトバでした。少し勉強したりすると、そういうことをやたらに云いたがる人がいる。だが古代から日本では不浄として女性を捉えていたのであろうか。そこが不思議でならなかった。『古事記』では果してそんな言葉が使われていたのであろうかである。

 平塚雷鳥の『元始、女性は太陽であった』では

 

元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。/今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。/さてここに『青鞜』は初声を上げた。/現代の日本の女性の頭脳と手によって始めて出来た『青鞜』は初声を上げた。/女性のなすことは今はただ嘲りの笑を招くばかりである。/私はよく知っている、嘲りの笑の下に隠れたる或ものを。

 

元始というのは勿論、天照大神である。日本では女性が主役である。母系社会である。

 

『古事記』では倭建命の項目にその女性の月経について書かれている。(『古事記』原文)

 

自其国越科野国、乃言向科野之坂神而、還來尾張国、入坐先日所期美夜受比賣之許。於是、獻大御食之時、其美夜受比賣、捧大御酒盞以獻。爾美夜受比賣、其於意須比之襴  意須比三字以音  著月經。故見其月經、御歌曰、

 

比佐迦多能 阿米能迦具夜麻 斗迦麻邇 佐和多流久毘 比波煩曾 多和夜賀比那袁 麻迦牟登波 阿禮波須禮杼 佐泥牟登波 阿禮波意母閇杼 那賀祁勢流 意須比能須蘇爾 都紀多知邇祁理

 

爾美夜受比賣、答御歌曰、

 

多迦比迦流 比能美古 夜須美斯志 和賀意富岐美 阿良多麻能 登斯賀岐布禮婆 阿良多麻能 都紀波岐閇由久 宇倍那宇倍那宇倍那 岐美麻知賀多爾 和賀祁勢流 意須比能須蘇爾 都紀多多那牟余

 

故爾御合而

 

現代語訳では

 

そこから科野国(しなののくに)に入り、科野之坂神(しなののさかのかみ)を従わせ、尾張国に帰ってきました。

 

以前に結婚の約束していた美夜受比賣(みやずひめ)の家に泊まります。

 

食事のとき、美夜受比賣が酒盞(さかづき)を差し上げると、美夜受比賣の意須比の襴(おすひの裾)に月經(つきのさわり)が付いていました。

 

それを見た倭建命の歌は、

 

ひさかたの天香具山の上空を鋭利な鎌のような姿で飛んでいる白鳥。そのか弱く細い首のような、あなたの腕を枕にしたいと、私は思うが、共寝をしたいと私は思うが、あなたが召している着物の裾に、月が出てしまったよ

 

そこで、美夜受比賣が返されました歌

 

日の神の御子、我が大君。あらたまの年が過ぎ去っていくと、あらたまの月が過ぎ去っていくと、真実本当に、あなたを待ちきれないで、私が着ている着物の裾に、月も出てしまいました

 

このようにして、二人は結ばれました。

 

これを讀むと、何等穢れたこともなく現代的に云えば“あっさり”しているのです。日本では古代はそうしたことは不浄なことではないのである。

 

 いつからそのように「穢れ」と考えるようになったのかといいますと、「仏教伝来」からなんです。女性は成仏できないという思想が根底にあったからです。

 

 また、佛教については何れ詳細に書いていきたい。

 また女性が相撲の土俵に上がれないのは「差別」だとする人もいますが、御存知の通り相撲は神事なのです。相撲取りが土俵で四股を何故踏むのかを考えてみると、「四股」は「醜」をシコと呼んで、地中の中にいる「醜」を踏んで追っ払うためのものなんです。

 高く足をあげ大地をふみつける動作は、土地の邪気を払うため。昔は「四股」ではなく「醜」という字を「しこ」と読み「醜をふむ」とは「醜いもの・おそろしいものをふみつけて払う」という意味だったのだ。

 

そうした役目が男性が行ったもので、女性を差別したりするものではありません。

現代的な考えで歴史を語るのはやめよう

歴史を語るうえで一番注意しなければならないのは「現代的平和や人道主義」などで語ってはならない事である。正義を振りかざして語るのもいいが、江戸時代の士農工商は差別だと云っているのに等しい。差別というのは現代の感覺であり、当時の社会的な状況や風土や風習そして地域にある民族的なものなど様々な要素がある。以前に語ったことがあるが、「高野山」の「女人禁制」は“けしからん”という輩がいるのと同じである。

「高野山」はどうして「女人禁制」なのか知っている人は少ない。上辺だけで判断して女性の「血」というのが駄目な要因となっているが實に“けしからん”ということを語っている。それこそそれだけで「男尊女卑」だとする。

 

昔は女性が山に入ると“狼”が「血」の匂いをかき分けて、襲ってくる心配があり、女性を護る為に“女人禁制”という制度が設けられた。それが続いているだけである。

そのために、今でも腹帯などで女性を護って行くというお堂がある。

 

歴代天皇を語るのに男尊女卑を持ち出したり、女性差別だと云ったりしているが残念ながらがっくりしてしまう。何故、そんな感覚でしか捉えられないのであろうか?

 

当時の風土を是非調べて欲しいと思う。西欧の「魔女狩り」が駄目だとか、中国の「纏足」が駄目だとか、現代的な感覚で書き込むと恥ずかしいだけである。

十一面観音像と衆生救済と円空

円空と聞いて「十一面観音像」を直ぐさに思い出す。一度、何処かの寺院で「円空」の彫刻した仏像を拝見したが、何ともいえない味わいの或る彫刻に感動した覚えがある。

当初は聖林寺の十一面観音菩薩像に何時間も佇み、その妖艶な美しさに惚れ惚れした。この像は捨てられていたのを拾ってきたものであると聴く。それが国宝であるからその価値が分る人にはダイヤモンドより尚その価値があることが理解出来る。

 

 随分以前に「十一面観音像」を巡る旅をしたことがある、十一面観音菩薩と云えば、見に行ったものである。サークルを作って、観音菩薩を中心に見に行った。

 

とりわけ奈良県を中心にした十一面観音像を見たときに何ともいえない感動をした。

それは素朴ながら寡黙に視線をひたすらに下にみて、それを衆生救済を目的とした優しい目である。  

今回の十一面観音像を巡ることを立案したのは、十一面観音とはそもそも水の神様であり、その証として水瓶(すいびょう)を持っている。もちろん中は一切の穢れを消す八功徳水が入っているとされている。この水の神は功徳の神として、民衆に受容れられたとされるのも頷ける。それでは今回の奈良、とりわけ桜井市の付近に考えたか。偶然かどうかわからないが、長谷寺や室生寺の周辺には万葉の時代は「隠口(こもりく)の初瀬(はせ)」といわれ。やはり初瀬が長谷(はせ)になったとも考えられる。この付近には龍神信仰があった。その証として龍王、龍門、龍谷と呼ばれる地域があるのである。また室生寺は一時龍王寺とよばれていた。勿論近くにある龍穴(りゅうけつ)神社がある。室生寺からすぐ近くである、室生寺川に沿ったところにあるが、室生寺より古い神社とされる。

 

祭神;タカオカミ神(竜神)である。やはり吹田市や神戸にある垂水神社にある水信仰は昔、旱魃に困った民衆が雨乞いしたところである。そうした信仰が十一面観音信仰に導かれたことは、自然の理である。

 

救いを求める者に千変万化するとされるとされている十一観音は救いの根源である。十一面観音の十一面は人間のあらゆる顔を表している。正面3体(菩薩面)は慈悲の心をしめしており、静かな顔立ちである。

 

左側面3体(瞋怒面(しんぬめん))は眉を吊り上げ、口を「へ」の字に結んだ表情で、仏の教を守らぬものに対する怒りを表す。

 

右側面3体(狗牙上出面)は結んだ唇の間から牙が覗く。激励を表す表情とされる。

 

後ろの1体は暴悪大笑面とされ、大口を開けて、悪人や悪行に染まる人を笑い飛ばし、善に向かわせる表情とされる。

 

もし、見れるようでしたら後ろの面を是非見てください。

 

さて、江戸初期の仏像師である円空は後年、一体彫りの十一観音像を彫る、それもいくつかの一体彫りを残している。ちょうど柱のようなまっすぐな仏である。笑みを讃え、どことなく温和である。

 

梅原猛氏は円空に対して

 

円空を語る時、その根底の白山信仰を避けて通ることはできない。白山信仰とは泰澄によって開かれた、神仏習合の十一面観音信仰である。『美並(みなみ)村史』の史料編に収められた「十一面観音式礼拝文」は、泰澄が自己の信仰を語った文章だと梅原氏は推論する。この「十一面観音式礼拝文」は、泰澄が美濃に建立した洲原神社の神職を務めた西神頭(にしごとう)家に伝わってきた文書である。円空は西神頭家が管理する神社に、はじめて神像を彫刻して納めたとされる。その文書によると、水瓶(みずがめ)を持っている十一面観音は、水を司(つかさど)る仏であり、その本質は澄んだ水、すなわち澄水ということだ。私たちの心に湧(わ)きがちな濁った水を、たちまち清い水にしてくれる。

 

 「私がちょうど春に美濃側から白山に詣でる巡礼の道を辿(たど)った時、白山の雪解け水が川に流れ込んでいて、田では田植えが行われていた。白山の雪解け水は、東側では揖斐(いび)川、長良川、木曽川、西側では九頭竜(くずりゅう)川、手取川に流れ込み、田に水を供給する。白山の神は稲作農業に最も必要な水を農民に与える神なのである」

 

 背景に豊富なフィールドワークを持っている梅原氏の論は、ダイナミックで説得力がある。日本に仏教を取り入れた聖徳太子は、貴族にまでしか教えをおよぼすことができなかった。十一面観音の信仰を広めた泰澄は、農民にとって最もありがたい水の仏をもちいることにより、仏教を庶民の世界にまでおよぼしていったのである。

 

 円空は泰澄や行基の系譜の中に置くことができる。庶民の中に仏教を浸透させるにあたって、日本にはことに豊富な木に仏を刻んだ意味は大きい。

 

ここが大きな要点である。十一面観音信仰と水の関係は禊としての水は大きな意味がある。雨乞いは古代の民衆にとっては命の要(かなめ)である。

 

対比のような関係であるが、お水取りが火の松明で何故「お水取り」なのか不思議であったが、「十一面観音」の懺悔の対象としての観音であるとなれば、納得である。

 

また長谷寺という名称ですが、この地域は初瀬といわれ昔からハツセと呼ばれていました。万葉集のなかに「こもりくの泊瀬(はつせ)山」といわれ古代から後背に面する山は初瀬山といわれています。この地域は「こもりくつまり隠国。隠(こもり)と「く」は場所、所の意」です。それでは何に対して隠れているのかというと「三輪山」ではないかと思います。三輪山の東側に巻向山があり、さらにその東側に初瀬山があります。また地名では出雲という所があり、日出る所に対しての出雲であり、隠れという言葉は理解できます。だがそのような場所でも信仰に対する敬慕の気持ちは関係ありません。初瀬川(大和川)の沿った道は初瀬街道(165号線)でありますが、その沿道には神社や仏閣も多く点在しており、古代からの信仰が篤い地域であることが推測できます。

 

また近くに万葉発祥の地があり、磐余(いわれ)といわれる、これは日本書記の最初の地名でもあり、この地で第一回の大嘗祭も行われた。

 

万葉集には

 

「つぬさはふ磐余(いわれ)過ぎず泊瀬山いつかも越えむ夜は更けにつつ」(つぬさはふは枕詞。磐余はわが国の最も古い地名。

 

「ももつたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ」大津皇子 ももつたふは磐余の枕詞。(百伝ふとも書く。大津皇子が謀判の罪で捕らえられ、処刑される時に磐余の池の堤で涙をながしてお作りなられた歌。

 

そうした場所は「万葉集発祥の地」とされ、このすぐ隣にある。今回は古代のロマンと泰然とした観音様をゆっくりと拝観させていただきましょう。また、国宝に指定されている十一面観音菩薩を室生寺でそして重要文化財の長谷寺の十一面観音菩薩。それぞれに趣があり、素晴らしいです。

『生長の家50年の歩み』

「生長の家講話 妙楽天国」の生長の家50年の歩みがYouTube利用規約違反で削除されています。何かあったのではないかと思います。海外の視聴が一日で倍増するようなことが要因ではないかと思います。他にはないようでしたので安心されたらいいと思います。

ニコニコ動画から

 生長の家 50年の歩み 前編

生長の家50年の歩み 前編

https://www.nicovideo.jp/watch/sm16724317


生長の家 50年の歩み 後編

生長の家50年の歩み 後編

https://www.nicovideo.jp/watch/sm16724382

『MSSA』生長の家大阪學徒聯盟機関紙

MSSA』 青年会報 [3(1949.8.1), 4(1949.9.1)]  

新聞 / プランゲ文庫 <VH3-M108>

生長の家大阪青年会文化部[]

昭和2481日號 第三號

 

昭和2491日號 第四號

 

本来は大阪の學徒聯盟である『MSSA』であるが、内容は大阪青年會の機関紙である。第三号からしかないのが残念ですが、大阪青年会の歴史の一端を垣間見ることが出来ました。

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『暁聲』 東京 生長乃家學徒聯盟

『暁聲』    東京 生長乃家學徒聯盟發行

 

昭和2111月 創刊號 検閲文章有 1122日 手書きの雑誌

宮信子 短歌

生長の家學徒聯盟 宣言

靑年の使命 谷口雅春/1 ※生長の家學徒聯盟に寄せての文章

生長乃家學徒聯盟

昭和2112月 第二號 検閲文章有 手書きの雑誌

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昭和221月  第三號 検閲文章有 手書きの雑誌

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昭和222月  第四號 検閲文章有 手書きの雑誌

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昭和224月  第六號 検閲文章有

大阪より東京へ 大阪學徒聯盟/12

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昭和22522日発行で第七號 検閲文章有

登山 谷口清超/25

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昭和22622日発行で第八號 検閲文章有

實相斷片 谷口雅春/1 316日學生寮座談會にての筆記文 

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前回一部掲載しましたが、全般にわたり掲載させて戴きます。創刊號では谷口雅春先生からの御寄稿文章があります。また、第七號では谷口清超先生の御寄稿の文章があります。

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神緣なるもの

最近は深遠なる“緣”というのを深く考えさせられます。これも「谷口雅春先生」を深く知ろうという考えが、そのようにさせているのだと感じております。昨日メ-ルで谷口輝子先生の御言葉が記載された御文章を戴きました。

その文章のなかに、大本での話が記載されていました。収入がない生活になると、どうすればいいのかと迷ってしまう。私など、更にガメツク考えて、常に「どうしたら儲けることが出来るのか」と深謀を回らして邪念を考えています。谷口雅春先生は大本の時代は無収入で心細い生活をされていた時にも輝子奥様が

「収入がなくて、どうやって生活をしていくんでしょう」私がそのように申しますと、

谷口はつねに平然として

「神様が導いてくださるでしょう」

と答えたものです。

それでも、アンテナをめぐらせて、信徒の人にも是非雅春先生の「光明眞理」を知らせたいという気持ちが“緣”となって、色々な御本を入手することができます、それが不思議なのです。そうした“神緣”を深く感じております。最近においても、谷口雅春先生の御本を入手することが出来たのも、「神様が與へて戴いた」ものであると感じております。その本は私の拙著の『谷口雅春先生著作年譜一覧表』にも記載のないものでした。

それは光明叢書の第一篇「光明の眞理」でした。これは既刊として「本部のブックレット」に記載されているのが第一篇「現代に機會ありや」があります。

また、「市岡中学時代」の年間スケジュ-ルも偶然に「フト」した思いが発見させたものです。また『健民』の御文章もそうです。私はそれを手に入れて「私物」にだけは絶対にしたくない。みんなが見れる『国会図書館』の寄贈が一番いいのだと思っております。その前に著作權にひかからないように記載していきたい。

大人としての配慮が必要

「谷口雅春先生を学ぶ会」に於いて「宇宙浄化の祈り」を執り行われたと記載されております。それに対しての反論もあるようです。

 私の考えは「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」の掲示板の管理人がもし「学ぶ会」専用の掲示板であると認めるなら、付け加えても致し方ないように思います。ただ、著作權の関係で公表していいのであろうかと考えます。『詳説 神想觀』の本の一部であると記載しても、著作は「生長の家教団」にあると思います。いくら教団が唱えていなくても、この関係でまた裁判になるのも懲り懲りである。

 私は出来れば『詳説 神想觀』の記載の通りに記入しておけば、教団からみても嫌味な感じもしなかったように思います。「学ぶ会」で勝手に唱えるのはある面自由であると感じております。だが著作權で言われると「学ぶ会」にも負い目があるのではないか。

 

 私はこうして今回のように互にいがみ合うのは少しの配慮が必要だと思います。教団がやっているから「学ぶ会」でも行うのだと、睨みあっても、争いが起るだけである。頭ごなしに「教団」が唱えていないから、「学ぶ会」で唱えるんだと、そこは心だけで思っておればいいのです。雅宣総裁が勝手に祈りを変更したりして怒るのも「正当」である。だが、学ぶ会も自分の所属道場を入れて公表するのは喧騒の原因ともなる。そんな時は大人の配慮をしてもいいのではないか。それは事前に正規の「宇宙浄化の祈り」を記載して、併用して記載するのが配慮のひとつです。後から書いても怒りが収まらないでしょう。

 

 その証拠に「金剛不壊眞身観」の時は皆なそう思わなかったでしょう。それは正統なる祈りを書かれたからです。20200322 () に記載されております。

全国中等学校優勝野球大会

昨日、豊中方面で豊中駅から西側の住宅地に『高校野球発祥の地』を短い時間でしたが、訪問しました。

壁面にはレリ-フが並び、そこに1916年(大正4年)旧制市岡中学 硬式野球部が第2回全国中等学校優勝野球大会にて準優勝をしているのが大きく目立つ。

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 私は谷口雅春先生がどうして早稲田大学に入学されたのか疑問であった。当時旧制市岡中学から早稲田というコ-スは直木三十五がそうだとしても、それほど多くはいない。当時の教諭の進言があったのであろう。だが、市岡から野球部の爲に早稲田に行くことが多かった。

 

※笠原和夫(元高橋ユニオンズ選手・監督、元早大主将、最後の早慶戦出場(旧中34期)

※佐伯達夫 - 元日本高等学校野球連盟会長、東京六大学野球・元早大選手、野球殿堂(旧中8期)

※伊達正男 - 元阪急ブレーブスコーチ、元早大投手、野球殿堂(旧中23期)

※田中勝雄 - 元早大野球部監督、野球殿堂(旧中12期)

※南村侑広 - 元読売ジャイアンツ選手・コーチ、元早大選手(旧中31期)

 

 

今年は気持ちだけでも元気になろうと思っている。そこで「若い日本」を聞きましょう。

「若い日本」

 

一、 日本はいつでも若いのだ 国がさくらの花ならば

ひとりひとりが花びらだ かがやく誇りを持っている

気高い理想を持っている 咲こう 咲こうよ 咲きとおせ

日本よ 日本よ われらの日本

 

二、 日本はいつでも進むのだ 国が火を吐く島ならば

ひとりひとりが溶岩だ 燃えたつ意気と情熱で

世紀を超えて進むのだ

燃えろ 燃えろよ 燃えとおせ

日本よ 日本よ われらの日本

 

三、 日本は大きく伸びる樹だ たまに嵐に折れたとて

若い芽がある 枝がある

がっちり組んで堂々と 世界の上に伸びるのだ

伸びろ 伸びろよ 伸びとおせ

日本よ 日本よ われらの日本

 

https://youtu.be/K7zHu_SrQm0

【神武天皇「東征」ル-トを歩く】 も今年には再開したい

【神武天皇「東征」ル-トを歩く】  

神武天皇「東征」ル-トを歩く―神籠石―「ちご石」―

この項目を書いてであるが、その続きがなかなか書けないでいる、筆を下したわけでもないのですが、やらなければならない事が多く有り、そちらを優先しているだけである。断念したわけでもない、反対にその気持ちは益々強くはなっている。途中広島と岡山の項目が書いていない。岡山の高嶋へ行ってみたい気持ちは雄々しく考えている。

 

 天皇信仰を所持するのは、並大抵では保持出来ない。それは色々な混迷した考えが出て来るからである。天皇信仰を保持しているならば、「谷口雅宣」氏の考えに「No!」といえるのであるが、それを云えないのは、理解していないからである。

 忙しいからこそ、それを保持して進まなければならない。

 

さて、最近ブログを讀んだ人には意味が通じないが、昭和15年に紀元2600年祭が大々的に日本全国で執り行われた。そこで神武天皇の記念の地として、西日本に19カ所に顕彰碑がある。それが『神武天皇聖蹟顕彰碑』である。

 私は鹿児島、宮崎、大分、福岡と九州縦断しながらその足跡を求めてきた。ただ、神武天皇東征の広島と岡山に行っていないのが前文である。

 

◎埃宮・多祁理宮顕彰碑 広島県安芸郡府中町

◎高嶋宮顕彰碑     岡山県児島郡甲浦村

 

この顕彰碑は何カ所か荒廃してそれを見ることも不可能の所もある。余程の覚悟をしなければその地に到達することが出来ない。その一つは「神武天皇聖蹟孔舍衛坂顕彰碑」である。道があるのだが、数年前までは人も通ることが可能であったが、「やぶこぎ」をしなければ其処に到達が不可能である。「やぶこぎ」とは笹や木々で山道が遮断され、道もわからない。

神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑 - Google マップ

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また、「神武天皇聖蹟名草邑顕彰碑」である。

神武天皇聖蹟名草邑顕彰碑 - Google マップ

 
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山道は閉鎖されて遮断されている。消防学校の横の崖から登って行くと、金網越しに見える。気持ちも折れてしまう。

「生長の家青年会の歌」

  『生長する靑年』を讀んでゐて当時の状況を考えていました。下記は以前に書いた内容を再掲致します。

 

谷口雅春先生を学ぶ会の第二回全国大会に参加しました。

盛大に行われたのは主宰した人達の並々ならない決意を感じました。大変素晴らしい大会であったことを感じました。

講師の講話も素晴らしく、体験談もなかなかよかったです。

私は取り分けて聖歌である「生長の家青年会の歌」を歌ったときは、もう声も出なく走馬灯のように青年会時代を思い出した。

素晴らしい歌でありますし、涙が自然に頬伝うのでありました。

 

以前に伝統様が書き込みしていただきました「青年会の歌」を掲載します。

 

靑年會の歌     谷口雅春作詩 中原都男作曲

(一)

ひのもとの 若き生命(いのち)は

神の子の さきはへうけて

神國(かみくに)を あまつかなたの

はるかなる 夢のくにより

このよなる うつしのくにに

美しき 神の構圖(こうず)を

もちきたす 使命うけきて

雄々しくも 今立ち上がりぬ

 

(二)

大いなる みてに抱かれ

悦びに 胸打ちふるへ

若人の いやすゝみゆく

ゆくさきは 唯光のみ

若人の いやすゝみゆく

ゆくさきは 闇はきえゆく

ひのもとは たたゞ光のみ

ひのもとは たたゞ光のみ

 

(三)

燃えあがる 光の如く

もえさかる 若葉の如く

ひたぶるに わかき生命(いのち)は

神の子の 御智慧(みちえ)今うけ

神の子の 力いまうけ

風はらむ 帆舟(ほぶね)のごとく

國おこす いしずゑとして

今たちぬ 生長の家靑年會   

 

この「青年会の歌」は昭和229月に「生長の家青年会の歌」「白鳩会の歌」「生長の家の歌」と引き続いて発表されたのです。その発表されたのは奇しくも『生長する青年』誌を青年向けへの創刊号である9月から3か月後の12月号に発表されたのです。

 

この年の8月には雅春先生は公職追放の仮指定を受け、その断腸の思いというのは耐え難きものがあります。

それでも「青年会の歌」に國を興す礎として立って欲しいという願望がここにあるのです。

 

青年会の歌を起爆剤として翌年の三月には『全日本生長の家青年会在一回全国大会」が開催されたのです。

占領時代の暗澹たる時代に澎湃として沸き起こったのが「生長の家青年会」なのです。

光の如く、立ち上がったのが「生長の家青年会」なのでした。

 

雄々しく立ち上がってほしい。  

『生長する靑年』昭和2211月號から抜粋

当初の「青年会の歌」です、一部変更があります。

『生長する靑年』昭和2211月號より

靑年會の歌   谷口雅春作詩 昭和22926日夜

(一)

ひのもとの 若きいのちは

かみの子の 幸きはへ受けて

かみくにを 天津かなたの

はるかなる 夢の國より

このよなる 現しの國に

うつくしき 神の構圖(かうず)を

もちきたす 使命うけきて

ををしくも 今たちあがりぬ

 

(二)

おほいなる み手にいだかれ

よろこびに 胸うちふるへ

若う人は いや進み行く

ゆくさきは たゞ光のみ

若う人の いや進みゆく

ゆくさきに 闇はきえつゝ

ひのもとは たゞひかりのみ

 

(三)

燃えあがる 光のごとく

萌えさかる 若葉のごとく

ひたぶるに わかきいのちは

神の子の み智慧いま受け

神の子の 力いま受け

風はらむ 帆舟(ほぶね)の如く

國おこす 礎として

今たちぬ 生長の家靑年會   


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