「文藝春秋」2月号に「
天皇皇后両陛下『オンラインの行幸』 」と題して書かれている。通常ならば、普通そのように使われて当然であるが、マスコミはこの「行幸」というコトバを使用しないであろう。「御訪問」とかになるであろう。どうして「行幸」が駄目なのか、殆どの人は知らない。戦後のGHQ検閲にもそれはパスしていた。戦後の『精苑』(昭和22年頃)という雑誌にも行幸號というコトバが使用されているが、検閲ではその言葉は削除対処にはなっていない。
しかし、通常使われている、「践祚」は駄目で現在では「即位」となっている。「勅使」も駄目である。「お使い」である。マスコミが作った「皇室関係用語集」には使わないコトバとなっている。あの江藤淳氏が書いていたが、日本の代表的古典『源氏物語』ではマスコミではどのように発言するのであろうかである。『源氏物語』ではなく『現代物語』になるのも不思議でもない。
お出まし等に関する用語 | 皇室用語辞典 (tanken.com)
皇室に対しての言葉は戦前では使用されていたのが、戦後となりマスコミでは御法度となっている。その理由もわからない。共産党等の左翼がマスコミに入り禁止したのであろう。日本学術会議と同様である。
『源氏物語』には皇室関係のお言葉がちりばめられています。本当にGHQの検閲をそのまま引き継いだマスコミの時代錯誤も甚だしい。
こんなこと、本当に馬鹿々々しい。これも戦後GHQの影響であることです。昔の時代劇など見ればわかるが、最初にテロップを流し「時代背景を考慮し、そのまま放送いたします」
私など、テレビに向かって、「現代が偉いのか」と怒鳴りつけてやる。
さて、プランゲ文庫で図書館通いを続けていますが、やはり憤りが止まない。
戦後育ったまともな人間ならば「おかしい」と気が付くはずである。戦後GHQ作成の「日本国憲法」には
第二十一条
1、集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2、検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
集会や結社及び言論の自由も許さない状況で「自分達」が作成した「憲法」には自由を謳歌するようなことを記入しています。その当時は放送、出版、スポ-ツには軋轢を加えて、制限をして、そうした事に何の保障もなく「検閲」を行っている。片や憲法には検閲しては駄目だと書きながら、自らは「検閲」を行う。
こんな恥知らずなことを平気で行う当時のアメリカに対して「平和憲法」だとか拝んでいる人が日本には大勢いる。
マスコミは中国には楯を付く事が出来ない。批判も出来ない体質である。こんなの「マスコミ」ではない。中国には媚び諂い、日本政府には偉そうに言う。
こんな人は戦後の「憲法制定過程」や当時の状況など勉強したことがないからである。まともな政治感覚や歴史感覚があれば、小学生でもオカシイと気が付く。気が付かない人はどうにかしている。そんな感覚であるのが日本をおかしくしている。