則天去私

「谷口雅春」先生の生涯も綴っていきます。

2020年12月

讀んで戴ければ幸甚です。

本年はいろいろとお世話になりありがとうございます。

  本年中は拙劣な文書を見て頂き、またブログに於いていろいろな御感想を頂き感謝申し上げます。拙い文書にも拘わらず、皆様に御指導を頂きました事に重ね重ね御礼申し上げます。

   昨年度から行っています『谷口雅春先生著作年譜一覧表』も発行したいと思いながら、その度に課題が与えられそれを成し遂げていかなければならないと勝手な判断で思っていて、それを完遂すると製本したいと思っています。そういう点ではまだまだ未熟者であると感じております。

 

今年度は戦前の黑布表紙版『生命の實相』の比較と異同を行い。それが終わって、戦後の谷口雅春先生の愛国著書の披瀝を行いました。

  また、戦前と戦後の『生命の實相』の比較と異同も行いました。

また、宮崎白蓮の戦後に於いて、その戦前の未発表の短歌や同じく、与謝野晶子の戦後において未発表の短歌の調査や平塚雷鳥の短歌を調べたり、その他女流歌人の調査等を致しました。

  谷口雅春先生に歴史では「市岡高校」に於ける新たな資料の発掘等未発表の調査も致しました。

  今まで埋もれていた資料の発掘や現在の聖典に於ける検証もさせていただきました。

「光明思念の歌」の検証や『聖光』の版での違いなども調査させていただきました

   その比較検討も『聖光録』において検証しました。意外と知っているようで知らない文書の発掘や多の雑誌の御寄稿等も長年にわたり調べて発表させて戴いております。

   戦前の『光明叢書』での第一篇の『光明の眞理』の新たな発見も驚きました。

  また、大本時代に於ける『生命の實相』にも記載のある『變態心理』の発見も偶然でした。

  谷口雅春先生は偶然等ないと仰有いますが、新たな発見が私に次々と与えられていることを考えてみると、何か私に行いなさいという神様からの指示のように思います。その気持ちを大切に来年も皆様の御指導を仰ぎながら行っていきます。

何卒、宜しくお願い致します。

「原爆使用は国際法違反」というのが検閲の最初であった。

プランゲ文庫を見ていて、私達が想像する以上の言論封殺が行われていた事を痛感する。検閲を通す為に真実が書けなかったりする。

  原子爆弾の兵器は無辜の市民を虐殺する。国際法を無視したアメリカ軍の不都合を書けば通らないのは勿論、発行停止となる。

それが検閲の第一號となる、鳩山一郎氏の下記の内容であろう。

 

原爆使用は国際法違反 鳩山一郎 

日付 1945918

題名 原爆使用は国際法違反

作者 鳩山一郎(談話)

掲載 朝日新聞

発行 朝日新聞社

1945914日にGHQが「同盟通信」の記事の検閲を開始、19日にはプレスコードが発令されるなかで、本記事に対しては48時間の発行停止処分。

 

鳩山一郎

 

"正義は力なり”を標榜する米国である以上、原子爆弾の使用や無辜の国民殺傷が病院船攻撃や毒ガス使用以上の国際法違反、戦争犯罪であることを否むことはできないであろう」

 

これ以降、そうした占領軍に不都合のものは一切認められなかった。

 

『正論』の二月号に平川祐弘氏が冒頭に書いている。

私自身は、日本軍部が主導した戦争が悪であろうとも、広島に原子爆弾を投下した時点で善悪はひっくり返り、というか米国がより大きな悪になった、と考え方ている。

 

真実を背けて、それを見せないようにするとか、批判は一切許さないとか、そうしたなかでの検閲は現代の人々が思っている以上の過酷さがある。

昭和二十年の後半から、この雑誌は自分たちに都合が悪いと思えば、承前の原稿を書かせて許諾を得た記事のみ掲載出来るのである。

 今後、検閲前と検閲後の資料が手に入れる事が可能なのかどうかである。

  谷口雅春先生の検閲前の資料と検閲後の資料が二部あるようだが、果たしてそれが見れるのかどうかである。

  

  私が口酸っぱく発言している現在の谷口雅春先生の重版未定という絶版は何よりも厳しい検閲である。

 これは出版してはいいとか、悪いとか誰が判断しているのかである。それを信徒には一切見せないようにしている事も可笑しいと感じない感覚が反対に私にはわからない。

 

下記の写真は日本共産党が発行していた機関紙である。毛沢東万歳である。なかには金日成の原稿もある。プロレタリア全盛の時代でもあった、今から思えば怖ろしい時代でもある。それから共産党は変わったといいながら、何等変ろうとしない政党であることを自覚しなければならない。
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プランゲ文庫とは

プランゲ文庫の名前は随分前から知っていたが、その正確な情報がわからなく、何がどうなっているのかということです。それはブランゲ博士がアメリカのメリ-ランド大学に持って行った資料です。それぐらいのことしか情報がなく、自分で調べることが可能なのかどうかもわからない状態でした。最近は少しづつ理解出来るようになり、どんな情報があるのか、それをどのように閲覧可能であるかどうかということです。

 何が理解出来ないのかということですが、現在私が「関西大学総合図書館」で見ているのが『メリーランド大学カレッヂパーク校マッケルデン図書館東亜図書部・ゴードン・W・プランゲ文庫 : 1期検閲雑誌(昭和2024)』で、その目録があるのですが内容はほとんど同じですが

『占領軍検閲雑誌目録・解題 : メリーランド大学カレッヂパーク校マッケルデン図書館 東亜図書部ゴードン・W.プランゲ文庫解題 第1輯マイクロフィルム版 昭和20昭和24年』 / 奥泉栄三郎編

これはマイクロフィルムになっており、主要な大学や県立図書館でも見れますが、県立図書館の場合はその県に特化した内容なので私たちの目的としている「谷口雅春先生」の内容は見れません。主要大学と書きましたが、業者でこのマイクロフィルムを頒価していて、内容はプランゲ文庫としては一部であり、書いてある通り「雑誌」の検閲のみです。それでも充分に見る価値があります。260巻です。

 

 次にマイクロフィッシュですが一部の大学(東京大学等)や日文研などが所蔵しているのと国立国会図書館の憲政資料室などで見ることが可能です。

内容的にはマイクロフィルムと重なる箇所もありますが、その資料の多さです。「社会・労働部門 - 小冊子分類 20番」(502タイトル 1,138フィッシュ)、「社会・労働部門 - ZE5(社会問題・社会保障)」(46タイトル 239フィッシュ)

 

 この「マイクロフィッシュ」ですが直接でも私達は見れますが、勿論、英語堪能であり、ネット同士で資料提供を行うことが可能であればメリ-ランド大学との直接遣り取りするのが一番わかりやすいのかもしれません。

 

 国会図書館において検索しても、知り得る情報は僅かなんです。例えば「大和の國の神示」はどの雑誌に掲載する予定であったかは現在では知る由もありません。それを検索しても出て来ません。また、国会図書館の憲政資料室においてプランゲ文庫の内容で「谷口雅春」という名前で検索しても一つしかヒットしません。自宅で国会図書館のホ-ムペ-ジからプランゲ文庫の資料を検索できますので、同様に行ってみても一つしかヒットしません。

 

 それならどうして調べるのかといいますと「ざっさくプラス」です。プランゲ文庫の内容も含み、それ以外の持ち帰った資料もあり、「谷口雅春」と検索すれば250検索内容がわかります。ただ、詳細は自分で調べないとわかりません。何処の雑誌に掲載されているのかも含めて調べないとだめなのです。

 

その「マイクロフィッシュ」でも全てを網羅しているのかもわかりません。それほど膨大な内容でまだ全体像がめなく、どうすればいいのか迷っているというのが正直な回答です。

 ブログで戦後史の内容については「プランゲ文庫」からの資料と思っていただいてもいいと思います。

 

 

【プランゲ文庫とは】文生書院HPアーカイブから抜粋

アメリカ合衆国メリーランド大学ホーンベーク図書館は、1945年の秋から194911月までに日本で発行されたおびただしい数の出版物を所蔵し ています。これらは、第二次世界大戦後、日本を占領した連合軍総司令部(GHQ)が占領政策の一環として行ったメディア検閲の結果として民間検閲局 (CCD)に保管されていた資料です。

 

GHQは新聞、雑誌、図書などといった出版物から、放送、映画、演劇、郵便、電話といったあらゆる種類のメディアの検閲を行いました。日本全国を3つの地区に分け、東京、大阪、福岡のCCDでプレスコード(日本出版法)にもとづく検閲を実施しました。

 

CCDによる検閲が1949年に終了し、これらの資料の歴史的重要性を認識し母校への移譲に尽力したのがメリーランド大学教授で、 大学に在席のままGHQ参謀II部戦史室に勤務していたプランゲ博士でした。博士の努力が実り、約2年をかけて横浜港から約600箱の木箱に詰められた出 版物がメリーランド大学に送り出されました。1950年に最初の木箱が到着し、28年後の1978915日にメリーランド大学理事会はこれらの占領期 資料を正式に「ゴードン・W・プランゲ文庫」と命名しました。

 

プランゲ文庫の資料の重要性は占領軍による検閲の実態を調査することが可能であるとともに、占領下、特に敗戦から5年間の日本社会 の変化を見ることができる点にあります。戦争と厳しい統制から解放された自由な雰囲気のなか日本は空前の出版ブームに沸き、東京の大手出版社の新雑誌から 地方のガリ版刷り同人誌まで、さまざまな言論、思想、文化の表現が出版物として結実しました。プランゲ文庫はそれらを当時のまま保存しています。

 

なお、プランゲ文庫に含まれる出版物が現在まで日本国内に残っている割合はかなり少ないと思われます。国立国会図書館でのプランゲ文庫収蔵タイトルの現物収蔵は約20%にすぎません。その点でもプランゲ文庫が占領期メディアの貴重な宝庫であることは間違いありません。

 

その後資料の劣化がすすんだため、1992年の竹下首相の時代にメリーランド大学と国立国会図書館が協力してこれらのマイクロ化お よび冊子体目録の整備という事業が開始されました。登録された雑誌マイクロフィッシュのタイトル数は13,787、推定ページ数610万、フィッシュ 63,131枚にもおよびます。また同文庫所蔵の新聞コレクションは18,047タイトルで、マイクロフィルム3,826リール、推定紙面170万ペー ジ、推定記事数2,600万というこれもまた膨大なものです。

 

 

東京の學徒聯盟の機関紙『暁聲』

「生長の家學徒聯盟」ということで大阪からの資料を『MSSA』としてブログで発表しました。『生長の家五拾年史』には名古屋の『調和』熊本の『光明』、東京の『暁聲』等で発行されていたとかいております。東京の「生長の家學徒聯盟」の機関紙は『暁聲』は下記です。谷口清超先生も御寄稿なされています。
昭和22年5月22日発行で第七號。
プランゲ文庫からですので、表紙や中身には悪戯書きのように書いてあります。多分この原稿は検閲前です。
  
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胎動する大阪青年会

下記は以前に書いた内容に加筆しました。現在の大阪青年会に是非見て欲しいと思っております。

 青年会の活動を長く携わり、現在の青年会を見るときに歴史のなき現在の青年会に情けなさと退勢した現教団の目標指針の喪失を憂れうる。

 

内憂外患に何も出来ない覇気のない現在の青年会、歴史も憲法も『古事記』『日本書記』も語らず、『万葉集』を語らず。「天皇陵」の参拝も行わない。そんな青年会に何が魅力あろうか。

 

憲法を語り、明治維新を語り、近代民主主義を語り、神社で早朝神想観を実施した。私達緒先輩。

 

駅前でタスキを掛け、生長の家の素晴らしさを語った青年会。

日の丸行進を実施して、街頭を日の丸で埋め尽くした諸先輩。

一週間寝泊りして見真会を開催した緒先輩。我等の時代は如何に活動をしたのか。

荒廃した戦後の日本にいち早く敢然と起ち上がったのが我ら生長の家青年会であった。

 

黎明期の時代・澎湃とした時代(大阪を中心に書きます)

昭和217月。谷口雅春先生の御意志を受継ぐ為に起ち上がったのが川島滋と伊藤公雄を中心としたメンバ-が「生長の家学徒連盟」(MSSA(メンタルサイタル・サイエンス・スチュ-デント・アソシエ-ション?)であった。昭和22年には彼らは月2回の研究会を開催していくまでになったのであった。

 

昭和22817日には駅前伝道を前に午前中に例会を開催、80余名の参加者があった。この時代には創価学会を遥かに凌駕した会員数であり。頼もしい青年会は戦後の曙に燦然と輝く実績を残したのである。その後上本町六丁目の交差点にて男子10名、女子9名で伝道した。

 

この当時は進駐軍にたむろする若い女性をパンパンやパン助と揶揄し、そうした日本人の若者に颯爽とした青年会がいた。これが大阪青年会であり、「大阪青年会」の幟を建て、生長の家の素晴らしさを街頭で語ったのである。『生長する青年』昭和2210月号に当時の状況が記載されている。

 

参加者は大崎華子・川島滋・伊藤公雄・南川次郎・司忠司・河合・栗原保介・栗原久子その他である。

『生長する青年』の創刊(229月)

 

◎同誌を中心とする青年組織を「全日本生長の家青年会」とする旨を発表

 

◎同誌11月号に谷口雅春先生「生長の家青年会の歌」を発表

 

◎同誌12月号に同歌譜を発表(昭和22916日夜)

 

昭和229月に谷口雅春先生執筆追放となる。これ以降当局の指示により雅春先生を教祖、清超先生を教主と呼ぶようになる。

 

『全日本生長の家青年会規約草案』の発表(『生長する青年』2210月号より)

 

昭和22119日~11日 戦後初の御講習会(大阪中央公会堂)1775名(『生長の家50年史』より)

 

昭和2315日にこの日本をどうにかしたいという憂国の気持ちがトタン屋根がまだ立ち並び、チンチン電車が通る。大阪駅前で街頭伝道に起つ。(『生長する青年』233月号より)

昭和23327日・26日「全日本生長の家青年会第一回全国大会」(赤坂 本部)

 

大阪青年会から3名参加(伊藤公雄・川島滋・大西・浜中藤平)(3名は『生長する青年』に記載)《全国大会》

・赤坂檜町の生長の家本部道場にて開催(代議員130名結集)

・初代会長に谷口清超先生御就任

・宣言・綱領及び規約決定

「生長の家大阪青年会報」が出版される
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※この頃意見の不一致から阿倍野青年会と分裂(3月)

この当時青年会支部数は75

昭和235月 堺支部発足

昭和235月 都島支部発足

昭和238月第一回西日本青年会 青年幹部研修会(京都南禅寺)

この頃には大阪・吹田・都島・堺・東淀川等が青年会活動(岸和田と城東は未確認)

 

昭和24年はGHQの公職追放の故に全国大会中止(この年雄弁大会有り)

 

《西日本錬成道場開設記念練成会・生長の家全国青年大会》

・二代目会長に徳久克己氏

・「全国雄弁大会」第一位 小路博視 

昭和23年は青年会が陸続と発足し、黎明期の青年会に相応しく朝日が昇る太陽の如く、不安になりながらでも、青年会でこの日本再建を求めたのである。

昭和246月「MSSA(メンタルサイタル・サイエンス・スチュ-デント・アソシエ-ション?)創刊號 発行される。


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昭和24年11月21日 特別講習会  谷口雅春先生・ハ-ドマン博士

会館開設(2ヶ月早めになる開設)

※昭和24810日 栗原保介部長引退(この引退は経済困難とみられる。生長の家の奉職者は今のような給与体系ではなく僅かな手当てで活動していた)

 

昭和241121日西日本地区青年雄弁大会

・谷口雅春先生・清超先生御臨席

 

◎総務 中村弘(その後東京へ)いつ頃かははっきりしない。

4人組(川島、浜中、大西、伊藤)もこの頃(8月頃)に来なくなる。(清超先生暴言事件)栗原保介と帯同したといわれる。

◎青年会の名簿、資料等4人組に持ち去られる。大阪青年会に残るのは吉倉修三氏と若原氏の二人のみ。

前年の末頃から新生青年会を設立しようとする働きがある。

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発起人 ・山崎雄蔵・糀谷昇次郎・中島澄人・若原郁郎・吉倉修三

 

昭和25115日  谷口雅春先生御講習会(日程が50年史では1/25記載?)

見送る際に尊師から大阪青年会に賜ったお言葉

団野芳比質問(青年会代表として)

私達生長の家大阪青年会は今後どの方針で進んで行けばよいのでしょうか。

雅春先生

「一つの神をそのまま一途に生きて行けばよいんですよ」次いで「あまり利害関係にとらわれすぎたんだね」

 

昭和25122日・23日  新生青年会設立(発会式)  青年部長 河田博  奉仕部長 中島澄人

『教祖にかへれ』

生長の家が斯くの如く、分裂し、いがみあい、時には憎しみ合い、罵り合うようになったのは何故かということであります。

 昭和25年の『生長の家』誌8月号に掲載された谷口雅春先生の法語である。谷口雅春先生はこの法語において、「生長の家の宗教運動としての性格、本部員の使命、地方講師の本文、そして地方講師の運営の在り方について諄々と説かれ、その中核を貫く精神として『教祖にかへれ』といふ時が来ているのではないか」と示されている。

 

現在の悪影響は、例え現総裁と雖も「教祖」に対して尊崇しなければならないし、その教理を遵守しなければ、その組織は崩落するのです。それは宗敎の哲学であるように思うのです。浄土宗は法然の教えを遵守することにより、「浄土宗」としての哲学的な論理が生れるのです。浄土真宗は親鸞の教えを護ることにより「浄土真宗」としての価値が見出されるのです。

それを「今の教え」と云って、平気でそれを破棄して護らない人は「法燈継承」したとはいえないのです。

プランゲ文庫の発掘は失われた戦後の生長の家の一つの蛍火

  このようなブログを書いているのは多分、世間広しといえど、私一人ではないか。そんな事を自負してしまうのですから。私の心は何ともいえない脱力感が発生する。このようなと言えば語弊があるが、それも考えれば何ら私が行っていることなど自慢することでもない。昔は博識の人も沢山いた。

 

  それが現在では谷口雅春先生の歴史など、今やそれほど関心の的でないのかもしれない。教団の全体の考えが思考停止となり、それを知りたいという欲求が信徒からしても、そうした雅春先生の事を勉強したいという欲求を喪失せしめているのは教団そのものではないか。

教団は必死に谷口雅春先生の「聖典」を重版未定という絶版にしていて、それを見せないようにしている。その欲求が通るのは途方もないが著作権の期限を待たなければならない。そのうち信徒の能力も退化してくる。そういうことを要求してくる知能は低くなるのである。

私がそんな事を白状すれば"情けない教団"と言っていてそれを白状している。

また、谷口雅春先生の年譜等、現在では誰もそういうことに疎くなり、その歴史を言わなくなり、ましてや書いたり、講話で話も出来ない。ましてや、その詳細等書いている人を見かけたことがない。

   もうひとつ、陵墓探求していることです。これは全国では少人数ながら探訪されている人はいます。私より数倍詳しく掲載されていますが、歴代天皇に関してのエピソード等を交えて書いている人はいない。

   それが後南朝の歴史になると更に少ない。天皇観は谷口雅春先生を通しての感覚になります。ただ、これも今まで培ったものですので他人が間違いだという指摘があれば反論も出来ないものです。ただ、間違いという指摘の前に私以上に学習してからにして欲しい。何か雲をつかむような内容が多いのも情けない。

 

  現在、私は戦後占領政策の一貫として実施された。検閲という事の検証を行っている。ある方の協力を得て行っている。このような検証はもっと早く着手しなければならない事である。

  それでも誰かがやらないと永久に埋もれてしまう

今から考えれば、とんでもないことである。他国により、支配下に置いた例えば敗戦国とかのその国の歴史を根本的に変えてしまうのですから信じられない事ですが、この日本で行われその呪縛に今もなお多くの人が信じているということで。その統治下の歴史を野蛮として、それを否定して、新たに占領下に今までの戦前の歴史観と別の歴史観を植え付け、その歴史が正当であり今まで信じていたのは間違いとである。全ては軍部が悪いのだということを信じている人が多い。本当にそうなんだろうか。『眞相箱』として放送や本として出版されたが、疑わしいものばかりである。基本的なことを考えないでどうして、マスコミ等を信じてしまうのであろうか不思議である。

 

  谷口雅春先生を考える上で要点として米国に持ち去られたプランゲ文庫の発掘は失われた戦後の生長の家の一つの蛍火ではないかと思っています。

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雑感余話-山で転けて-

昨日は少し運動するために箕面の山に行ってきました。だがスタ-ト5分でしこたま転けてしまって、右手の手のひらで防禦したのだが、砂利で内部の肉が裂けてしまった。

右手の膝の擦過傷、転けたときに右脚に躓いて、左太ももの側面の擦過傷と自然に右に防禦をしたために捻挫です。左脚の太ももと右との太さが全く異なるのには自分ながら驚いた。

自分の運動神経の無さに腹が立って、そのままショ-トコ-スで山に登った。何とか脚は動いたので、1時間運動したが、帰宅途中に買い物しようとス-パ-に寄ったが、脚が余りにも痛いので、通常の歩き方が出来ない。

 

帰宅してから治療したのだが、上記のような結構厳しい怪我であった。

数年に一度は山登りしていて油断して怪我をすることがある。自分でも油断しているつもりがないのだが、それが油断なのかもしれない。

 

山歩きの楽しみには動物の糞でどんな動物がここを通ったかを考えるのも楽しい。昨日はサル、イノシシ、鹿の糞を見た。糞虫はいなかったが、それほど動物が多いという証拠である。イノシシは階段の所や石の頂上のような目立った所でする。猿は意外と決まった所でする傾向がある。鹿は傾斜面の少し平面がある所で糞をする。
 身体に痛みを感じ乍ら、そんなことを考えている。

雑感余話

最近はブログの書く回数も少なくなったが、『谷口雅春先生著作年譜一覧表』はどうしても戦後の検閲を付加してそれを書きたいという気持ちがあり、現在は「占領資料」を検証したりしております。この掲示板には掲載していないが、細部にわたり検証しています。

メリーランド大学カレッヂパーク校マッケルデン図書館東亜図書部・ゴードン・W・プランゲ文庫 : 1期検閲雑誌(昭和2024)

 

上記はマイクロフィルムで260巻あり、それを一つ一つ調べております。時間がかかる作業です、約半年を見込んで検証作業に取り掛かっています。

 

谷口雅春先生の今迄知られなかった部分も少しは垣間見ることも出来ております。その間に生長の家の戦後における「アメリカに持ち去られた地方の情報」(プランゲ文庫)を来年には開示できると思っております。

 

それとトキ掲示板において「中島英迪氏」の名前が出ていたので懐かしく思いました。以前に神戸の湊川神社の近くで私と二人で話したのが、随分前です。大阪教区青年会の大先輩です。

また「大前繁男先生」とも随分前に大前学園で話したことも懐かしく思いました。

「女系天皇」で書いていましたが、難しい問題である、私も女系がどうして駄目なのかを考えたことがありました。

 

それは大峰山の女性の入山の禁止とも重なるのですが、長く伝統をどうして守るかというのを考えた時に昔の智慧というのが、歴史がそのように男系ということをさせたように思っています。女系など考えたのは歴史から見れば、昨日のような感覚である。

 

天皇の歴史を考えることと伝統というのを考える時にそれを融合して考えることがどうしても必要である。私は「Y染色体」とか詳しいことはわからないが、日本の地方の信仰と天皇における信仰という垣根というのが「伝統」ということであろうと感じております。それを護持するのは大切なことであるとも思っております。

 

「嫡々相承」というコトバを最近書きましたが、それを理解することが出来なくなっているのも残念である。もっと詳細に書き込みたいが、そんな時間がありません。たぶんそれを読めば「男系天皇」というのを多くの人が納得していただけると思う。

竹岡博文先生ご逝去に接し心からお悔やみ申し上げます。

竹岡博文先生ご逝去に接し心からお悔やみ申し上げます。

 

私と竹岡さんとの出会いは昭和50年頃でした。当初は本部から面白い人がいるということで、森田征史先生との宴会での話とか、競馬の話とかパチンコの話とか色々と「生長の家」とは関連のない他愛もないことでよく盛り上がりました。

本部に用事の時に生長の家の不動前住宅の御自宅に宿泊させていただいたりしました。大阪では二人で宿泊場所がなかったので已む無く、得体の知れないホテル(難波)に泊まったことがありました。また深夜映画館で泊まったりしたり、まあ今では考えられない事もしていました。

ジュニア友の会の時代では講師としてよぶきっかけとなったのも、私と親しくなったこともあり、無理を言って何回も大阪に来て頂きました。

当時、ジュニア版の表紙撮影をしていた人と親戚関係だと聞いていました。

最近は体調を崩されていたことは聞いていました、インタ-ネット関連も人々の交流も全て縁を切られて、宇治から引越しされたことまでは聞いて居りました。

心からお悔やみ申し上げます。

感謝の言葉を頂戴しました

読者から感謝の言葉を戴きました。

これは私が別段、語ったわけではなく、谷口雅春先生、清超先生の御文章を引用しただけである。

 

このようにコメントを頂戴するのは大変嬉しいのです。『甘露の法雨』の奇蹟ということで以前に田中靜壹大将のことで詳細に書いたことがありました。最後にあとがきとして下記のように書きました。

あとがき

私が数年前に訪問したのは「田中邸」及び「田中靜壹大将紀功碑」その時に書いたのが下記です。(A4サイズで15枚程で記入しました。)

《兵庫県たつの市の白鷺山公園にある石碑であります。歌碑がある頂上には赤とんぼ荘があり少し下った所には小さな動物園があります。その動物園の橫には赤トンボ石碑が建てられている。

 

上図、右図は田中靜壹大将顕彰会が昭和五十年に建立した石碑ですが、そうした責任者がお亡くなりになればこの石碑が残るだけであります。

たつの市といえば「三木露風」「三木清」だけが強調され、日本を救った人である「田中靜壹大将」はあまり関心がなく、訪れる人も少ない。「三木露風」は有名となり霞城館(龍野町上霞城)や生家(たつの市で保存)もがあるが、田中静壹大将はこの石碑だけが残された。また「嗚呼玉杯の花うけて」の矢野勘治も有名である。たつの市出身の著名人の名に田中靜壹氏を大きく掲載して欲しいものであるが、名は小さく掲載されている。日本を救った軍人は、「軍人」というだけで肩身が狭い思いをしなければならないのが、戦後教育なのである。でも、石碑だけでも救われているといえば悲しいが、確かにそうである。諸外国ではこうした軍人を宝として鄭重に保存し伝える。

今回、たつの市役所、たつの図書館及び田中家の皆様には突然の訪問にも関わらず、気楽に応じていただきましたことに感謝申上げます。

なお、田中静壹大将の慰留品の現在では姫路自衛隊基地に保管されています。》

このように書いたのですが、それを読んだ読者がその姫路自衛隊基地にその遺留品をわざわざ見に行かれたのです。このような方は「奇蹟」ということを信じられている人だと思います。大変素晴らしいと思います。
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 また、生長の家立教当時にあまりにも奇蹟が起るのですが、それを『主婦の友』(昭和105月号)に記載されているのですが、その記者に対して雅春先生は下記にように述べておられます。

 

藥で治らないものが何故、『神の子』の自覺で治るか?

一體、藥が最もよく效目を現すのは、藥に對する人類の信念と、藥を與へる醫者の信念と、藥を貰ふ患者の信念と、この三つの信念がピッタリ合って、最高潮(クライマックス)に達したときである。

 

ところが、人類にその信念がない。醫者にも、藥で必ず治して見せるといふ信念がない。患者にも、これで治るといふ信念がない。いはゞ、藥が效くのに必要な要素であるところの信念が去勢されてしまってゐるのだから、それで效く筈がない。一向效目はないが、不安心だから……』といって服(の)んでゐるのでは、却て害になる。

 

久しく服用しつゞけて來た藥を中止すると、俄然健康を増進することは、小酒井不木(こざかゐふぼく)博士も斷言してゐる。

 

およそ生命(せいめい)あるものは、すべて、自然の能(はたら)きによって、自分で自分の病氣を治す力を内に持ってゐるのである。その内なる神癒の力を喚(よ)び起すのが、『神の子完全圓滿』の自覺である。

 

嚴密にいへば、『病氣を治す』といふ言葉には語弊がある。病氣といふ事實があって、治すといふのではない。病氣を否認し、病氣であるといふ迷ひの『念』を去って、つまり、レンズの曇りを拭ひ除(と)ることによって、『神の子本來完全』の相(すがた)に還るのである。

 

レンズに起る病気の念にもいろいろある。

 

怠慢や我儘に對する批れんがための口實として、或は迫觀念によって、或は人を憎む情によって―――さういふさまざまの『念』が、病氣の『心的種子(たね)』を作ってゐるのである。だから、病氣に罹ってゐるといふことは、恥しいことであると思はなければならぬ。

 

では何故、善人が病氣に罹るか?

 

善人の肺病患者、善人の胃病持ち、それらの善人は、みな自分が善人であるといふことに捉はれてゐるのである。つまり、自分の惡に拘泥してゐる善人は、心が窮屈だから病氣の念を起す。天眞爛漫、融通無礙、眞に濶達な善人ならば、病氣に罹ることは對にない。

幼兒の病氣は、主として世話をする者、ち多くの場合母の『念』の具象化である。

 

病気の解釋は大體以上の通りである。

併し、『生命の實相』に振向いたその瞬間に病氣といふ現象がなくなるのであるから、心中に抵抗があって、『生命の實相』を見ようとせず、自ら救ふ力を喚び起さうとしない者は、治り難いこと勿論である。佛者も、『なき衆生は度し難し。』と言ってゐる。その抵抗をなくするために、頑な心を解きほぐす必要がある。かういふことは、一知半解の理窟では、解し難いもあらう。寛(ひろ)く心の窓を開いて、素直な享受の態度に出でなければならない。

注目すべきは、前記の體驗者の悉くが、病氣の快癒と共に、家庭生活、夫婦生活が好轉して、人相まで柔和となり、それが萬事に反映して、商人は註文が増し、藝術家は、光明的な藝術的の勞作を意欲し、子供は學校の成績が向上してゐるといふ、顯著な事實である。

 

これは、『人間は、本來圓滿の神の子である。』といふ説が、罪、病その他一切の『惡』の觀念からさせて、人心をその重荷から解放したことが、各人の心の持ち方に影響するところ頗る大であったゝめと考へられる。

 

ち從來の、アダムとイヴの時代にまで遡って、人類の原罪を説き、或は前世よりの因の宿業(しゅくごふ)を説き、その苦しみより免れるために、懺悔し、苦行して、わづかにその罪が宥(ゆる)され、神に病苦を引受けて貰ふといふのではなくて、罪も病も否認し去って、何の犠牲も戒律もなく、『そのまゝの生活』で救はれるといふ點、及び、神は天上に在るのではなくて、『われに神の子』『神は我が心の内にあり』といふこの矜(ほこり)が、甚だ人の心に希望を與へ光明を與へるのである。

 

『生長の家』では、この『人類光明化運動』を表看板にしてゐるのであって、病氣が治るといふことは、副物だと言ってゐる。
聖經-4


 

水口栄一

 20201216 17:05

 私はもう何年も前から甘露の法雨を読ませて頂いています。今でも谷口雅春さんの本を大切にしています。だからこの記事はとても興味深く読ませて頂きました。ひじょうに共感できるところが多かったです。ありがとうございました。

 

「奇蹟の『甘露の法雨』」

ちょうど昨年の7月26日に掲載した『奇跡の聖経』を書きました。

谷口清超先生は『甘露の法雨』の奇跡を沢山書いておられる『感謝の奇蹟』(昭和49年1月10日発行)いう御本がありますがその36頁に

 

『甘露の法雨』は有難い

いろいろの功徳がある

 

・・・『甘露の法雨』というお経には、素晴らしいお陰があります。その他『甘露の法雨』を持っていただけで災難をまぬかれたとか、あるいは又、『甘露の法雨』を一心に読んで御先祖をお祀りしたところ、一家が非常に幸せになったとかいう話がよくありますね。これは一体何故でしょうか。それは『甘露の法雨』の中に書かれている眞理が尊いからで、「真理の言葉」によってすべてのものが浄められ、「實相」があらわれてくるからです。

「實相」即ち本当の世界には、病気もなく、貧乏もありません。どんな不幸も、あらそいも、災難もないのです。この「實相」が、そのまま現象界にあらわれて来ていないために、色んなよくない事が起こっているのです。ところが、真理の言葉が読まれますと、読む本人の迷いが消え、霊界の人々も悟りをひらかれますから、その心の影として素晴らしいことが次々と起こってくるのです。

 

『甘露の法雨』は、只じっと持っているだけでも素晴らしいのですが、それをよくお読みになると、もっとよいことにになる。ことに御先祖のみたまをお祀りしてあるお仏壇や神棚の前で、心を込めてお読みになると、もっとよろしいのです。中には『甘露の法雨』を持って悪いところをなぜさすったら、治ったというような話もありますが、どれもこれも皆本当で、うそではありません。眞理の言葉はそれを口に唱えても、「写経」といって書き写しても、全く素晴らしい力があるのです。

しかし一番普通に行われている方法はその意味をよく理解して、心を込めてお読みになることです。その上『甘露の法雨』を大事に持っておいでになればになれば、それにこしたことはありません。

 

「甘露の法雨」の発表(『生長の家五拾年史』より抜粋

 

 谷口雅春先生は立教当初、生命感あふれる詩をつぎつぎと『生長の家』誌に発表されてゐる。例へば「夢を描け」「生きた生命」「光明と暗黒」「光明の国」「或る日の生命の国」といった詩である。それらは谷口先生の脳裡に霊感的にひらめいて来だのを書きつづった一種の自由詩であった。これらの詩は最初。”生長の家の歌”として創刊号から発表されてゐるが、当時書かれた自由詩は全部、のちに『生命の實相』の”聖詩篇”や『ひかりの語録』にやはりその頃谷口先生の脳裡にひらめいて来たところの短蔵言である。”智慧の言葉”と共に収められてゐる。

 

 ところで、それらの自由詩のなかでも最も長篇の詩が「甘露の法雨」であった。この詩は、昭和五年十二月一日発行の『生長の家』誌に「生長の家の歌」の題で”神” ”霊” ”物質”の三章が発表され、昭和六年二月一日発行の同誌には「甘露の法雨」と題して”実在” ”智慧” ”無明” ”罪” ”人間”が発表され、昭和七年二月一日発行の同誌に「甘露の法雨」と題して。生長の家’が発表されたのであった。最後に発表された”生長の家”の詩は、今日、聖経『天使の言葉』となってゐるものであるが、そもそも「甘露の法雨」と「天使の言葉」は、谷口雅春先生がインスピレ-ションによって一気に書かれたところの自由詩であったのである。

 

 谷口雅春先生は、この詩が「甘露の法雨」として掲載された時の『生長の家』誌において次のやうにこの詩を説明してをられる。

 

《……「生長の家の歌」三篇「神」「霊」「物質」の続篇にして、この三篇と共に生命の真理を霊感によって書かしめられたものであります。「生長の家」では所与の経典のほかに神仏の祭壇に対って之を朗読することにしてゐます。病人に対して又は、病人自身が繰返し朗読すれば病ひが不思議に癒え、障りの霊に対して読誦すれば、障りの霊が悟りを開いて守護の霊にかはる助けとなります。それ故これは誠に生長の家の経典とも云ふべきものであります》

 

この言葉どほり誌友の間には「甘露の法雨」を読誦することによって病気が治癒し、家庭が調和するなどの体験が相ついで起った。やがてこの「甘露の法雨」の詩は、昭和十年六月、当時京都に於ける熱心な誌友である工学博士小木虎次郎氏が「甘露の法雨」の詩を『生長の家の歌』といふ詩集の中にのみ収めておいては、功徳のあることを知らない人が多いから、ハッキリとこれは聖経であると明示して、折本型の経本として発行すれば、功徳を受ける人が多いであらうと、生長の家京都教化部から経本式折本として発行されることになった。

 

 かうして『甘露の法雨』が経本になって頒布されるや、陸続として功徳を受ける人が現はれた。さらには、それを携帯するだけで、交通事故に遭ひながら微傷も負はなかった人が出て来たりもしたのである。そこで京都の教化部ではこれを京都のみで独占すべきものでないと、その出版権を昭和十一年末に、光明思想普及会に移すことになったのである。その後聖経『甘露の法雨』は、さらにその功徳を発揮して、多くの人々をさまざまな人生苦から解放して行ったのであるが、その功徳の及ぼす範囲は、単に個人だけでなく、後に述べるやうに、あの大東亜戦争の終結には国家の危機を未然に救ふ働きをも果すまでになるのである。

 

 ところで谷口先生は『甘露の法雨』の功徳についてのちにつぎのやうに記してをられる。

 

《どうして『甘露の法雨』にこのやうな偉大な功徳が生ずるのであらうか。私は、それをただ霊感で詩作するときに、ふと感じてその詩の題を「甘露の法雨」としたに過ぎないのであって、別に『法華経』の観世音菩薩の普門の功徳を説いた”普門品”に連関して詩の題を「甘露の法雨」と題したのでもなかったし、観世音菩薩が教への本尊として門脇観次郎氏の霊眼に見れるなどといふことも全然予想もしなかった。ところが私の著書や執筆の雑誌を読んで功徳を得た人にあらはれる色々の霊顕や現象が次第に観世音菩薩が生長の家の本尊であり、その観世音菩薩が、『法華経』の”普門品第二十五”にある通り「甘露の法雨を澎ぎ給うて煩悩の炎を滅除し給ふ」のであることを証明するやうになったのである。聖経『甘露の法雨』の功徳はそれをお説きになった観世音菩薩の妙智力と引き離して考へてはならないのである》(「神秘面より観たる生長の家四十年史」)
聖經-1
聖經-2
聖經-3

嫡々相承-①

「これを失えば、日本は日本でなくなり、国民は国民でなくなる。これがなくなれば、国は解体してばらばらになり、国民は全体としての個性を失って精神的に荒廃し、人類文化に寄与すべき根元の力を持たなくなる。-このようなものが『天皇』の本質である」

田中忠雄先生の一言である。

 道統というのは、一年や二年ではなかなかわからない、否、十年経っても解らないものである。それが嫡々相承である。生長の家はその「嫡々相承」が出来ていないから、「生長の家」が「生長の家」でなくなってしまっているのが現成なのであります。

 日本国でもそうであります、「天皇」を失った国は日本ではないのであります。

 

谷口雅春先生の御言葉に

日本国の“いのち”は、どんな創造的アイディアをもって出発したかというと 第一に 天照大御神の 「 天孫降臨の神勅 」 にある。

「 豊葦原の瑞穂の国は(世々)わが子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり 」 というアイディアをもって出発し、第二に 神武天皇の 「 ( 前略 ) 六合(りくごう)を兼(か)ねて都(みやこ)を開き八紘(はっこう)を掩(おお)ひて宇(いえ)と為さん 」 という建国奠都(てんと)の詔勅(みことのり)に 日本国誕生のいのちが内包する個性ある創造的アイディアが言(ことば)をもって表現されているのである。

日本国は、その国の王たる者が武力 又は 暴力をもって 権力を掌握したものでないこと、その国の王者たるものは 神定の霊統を引くものの子々孫々が嫡々(てきてき)相承(そうしょう)すべきこと―これによって日本国家の中心形態のアイディアが定ったのである。これが 子々孫々 永久に伝えられるべき国家のあり方の第一最大の伝統なのである。この伝統が生きて嫡々相承している間、日本国のいのちは生きているのである。

『 聖なる理想・国家・国民 』( 151頁 )谷 口 雅 春 先 生

 

 正法眼蔵に照らし合わせてもう少し考えてみたいと思う。

末端信徒樣から素晴らしいコメントを戴きました。

末端信徒樣から素晴らしいコメントを戴きました。

 

【末端信徒

合掌 ありがとうございます。

  通りすがりでありながら 多くの記事を読ませていただき 何年も前の記事にコメントをしてしまいました。気におとめ頂き ありがとうございます。貴方様のお言葉 心に 「生命の実相」をはじめ 谷口雅春先生のご著書を繰り返し読み 心ある仲間たちと(少ないですが) 輪読を座談会をしていきます。絶版(なぜ 絶版なのか素晴らしいご著書も多い)も今はネットで取り寄せできます。 私にとって 谷口雅春先生の御教えは 全てでした。この御教えに触れた時 なんて愛深い方なのか 宗教ではなく愛と知恵そのものと思いました。混沌たる今 日本の国体を護り、この素晴らしい日本の国を未来の子供たちに伝えたい。 この御教えを次代に伝えたい。

 心より 御礼申し上げます。                    再拝

20201207 16:28】

 

私など、谷口雅宣氏はどうしょうもないと呟いたり、攻撃的になったり、ついつい「谷口雅春先生」との言語不一致で「腹が立って」しまうことが多い。しかし、今回、光明思想社で出版している「『病気は治る②』―心の縛りがほどけば癌は消える―」を讀んでゐたら、ついつい、自分の恥ずかしさが露呈するような、赤面してしまうようなことを感じてしまう。

この本はなかなか上手にまとめられており、税抜きで450円ですので、光明思想社だからとかそんな先入観を捨てて、是非皆なで輪読会において讀むといいと思います。最近、日本教文社で谷口雅春先生の御著書の新刊も出ないので、やはり新鮮さがあります。『生命の實相』と『眞理』から抜粋していますので、読んでいて眞理をうっかり忘れてしまったりしているので、そんな時に手元にあればいつでも読めます。
病気は治る

 

さて、今回のコメントを讀んでゐて、私から何も謂うことはありません。本当に貴方は素晴らしいと思います。ただ、もしですが挫けそうになったりすることは誰だってありますので是非コメントして下さい。

「生長の家」の生き方-あるコメントから-

「生長の家」の生き方

現在、教団に在籍してこれまでの「谷口雅春先生」との思想の違いを理解されている人はまだ、望みがあると思っています。地方の信徒から本部の職員までで多くの信徒は惰性で現状の変化に何も違いを感じない。そして生活が出来れば、収入源がこれしかないということで生活されている。しかし、それは致し方ない部分もあると思っています。信仰の程度でも落差があるのですから、それを責めて見てもどうしょうもない。

 

 また、講師会で活躍されているなかでも、現在の活動を已む得なくされている人もいます。自分がその「講師会」という役職に良い思いをさせていただいている。周囲から「先生」と呼ばれて、何となく椅子の座りも好いのですから、辞められないのです。そういう人は反対に向上という発展、伸ばす気持ちがないのです。「谷口雅春先生」の御教えを傳えるよりも、自分の権威や地位を優先しているわけですから、発展するわけがないのです。

 

 だからと云って、今すぐ辞めて「学ぶ会」等に入信せよとも云いたくない。それは自分という地位や名誉などから剥ぎ取られても、「生長の家」教団で生きるのもその人の存在価値としては大切だと思っている。

 

 そんな人を私は何人も知っている。谷口雅宣総裁は「スリ-パ-セル」と揶揄したが、「谷口雅宣氏」こそスリ-パ-セルの張本人であるし、権威で総裁の坐にいる人間ですから、そんなちっぽけな人間に決して左右させられるような人間では私は決してないということを悩んでいる人々に傳えたい。眞理に対して、深く堅固な姿勢こそ貴方には必要なのですと。

 

 『生命の實相』を深く読み、人間とは何ぞや、眞理とは何ぞや、生長の家とは何ぞやという探究をしていただきたい。その為に「人々を救いたい」という熱願しかないわけなんです。

 

 その為に「自分は如何に生きるか」でありまして、谷口雅春先生の著作もまだ沢山購入出来ますので、そこから讀んで行く。そして少人数でもいいから「輪読会」をすることなんです。講師なんか別にいらない。只読んで座談会するだけでもその意味は大きい。

 


 今回、上記のように書いたのはあるコメントの私の感想として記入しました。決して眞理を学習していれば人々は集まります。下記にそのコメントを記載します。

 

 

【日本会議の件、実相額の前の七重塔、3柱の神を祀る神棚 支部長に怒ってもどうにもなりません。辞めても良いよと言われますが、両親や親族を永代供養しており御霊を置いていくのかとも言われます。聖使命会費や霊宮聖使命会費も相当な額でそれがあの記事やくだらない七重塔、フェスタなどに使われるのかと思うと涙がでます。鎮護国家を外した時からもう終わったと感じています。三代目は谷口雅春先生のご著書は読まないのでしょうか。太陽発電には他の信徒は献金していますが一銭も出す気はありません。エコでは人は救えません。天皇国日本を護りたい。】

谷口雅春先生と『變態心理』主宰者中村古峽氏との対峙-④

谷口雅春先生と『變態心理』主宰者中村古峽氏との対峙-④

001
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雑誌『變態心理』における「大本敎批判文」

【大正八年一月號】

最近の學説

精神交感の現象

 

 

5455

 

 

文學士 小熊虎之助

【大正八年三月號】

潜在意識の話

 

200222

 

文學士 小熊虎之助

【大正八年四月號】

所謂靈濃作用とは何ぞや―神靈研究を名とせる天下の贋樣師に戒告す―

 

 

本誌主幹 中村古峽

【大正八年七月號】

大本敎の迷信を論ず

神憑の現象に就いて

質疑應答 ※『神靈界』七月十二日號讀者欄にて引用

 

242

4370

9192

 

本誌主幹・文學士 中村古峽

醫學士 森田正馬

小熊虎之助

【大正八年八月號】

自殺者の心理

この『自殺者の心理』「死を誘ふ海岸の松」(183頁)の引用は『神靈界』大正八年九月一日號の「大本靈學座話」(24頁)にて引用、更に『生命の實相』12372頁(愛蔵版)に「須磨の飛脚」にて引用

『變態心理』     『神靈界』  『生命の實相』

 

181184

 

須磨 西學治

【大正八年十二月號】

大本敎徒の心理解剖

 

565597

 

本誌記者 白楊生

【大正九年八月號】

『學理的嚴正批判大本敎の解剖』序 ―諸家の大本敎觀―

偏執病性の思想

正信か迷信か

軟心派と硬心派

 

進歩的文明敎の二要素

 

憂ふべき病的思想

 

咄嗟の感想

 

宗敎の眞生命

 

神靈の作用と催眠現象

 

 

眞理は最後の勝利者なり

 

 

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醫學博士・文學博士 富士川游

高島米峰

慶大文學部長 川合貞一

東大敎授・文學博士 井上哲次郎

東洋大學長 境野

早大文學部長文學博士 金子筑水

東大敎授・法學博士 筧克

 

慶大敎授 淸水靜文

京大敎授・文學博士 野上俊夫

【大正九年九月號】

大本敎に就いて―中村文學士の「解剖」と行政處分

同様の文章を大正9812日~14日 大阪毎日新聞に記載

 

200206

 

文學博士 姉崎正治

 

【大正九年十二月號 大本敎追撃號】

余が綾部生活の二年

大本敎に欺かれた告白

出口王仁さんと僕―五年前の王仁さんと五年後の王仁さん―

ペンのしづく

大正日日新聞を笑ふ―中村主幹に代りて淺野文學士に與ふ―

 

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宮飼陶羊 

愛知 淺羽三郎

東京 高野正明

白楊生

眞眼生

【大正十年六月號】

「大本敎の検擧と豫審の決定」

「幼稚なる信仰」

【迷信と

迷信撲滅策は常識敎育の他はない―大阪朝日新聞―

大本敎に現はれた現代人心の考察―大阪毎日新聞―

老衰の傾向―大阪毎日新聞―

欺かれた信徒は氣の毒―大阪毎日新聞―

【大本敎の検擧に對する世評一斑】

検擧並に捜索の要―大阪時事―

大本敎の危険性―東京朝日―

眞人間扱ひ―東京朝日―

最初から邪敎―東京毎夕―

心血を濺いで精探―大阪時事―

綾部潜入の二年間―大阪時事―

内亂豫備の陰謀に非ず―東京日日―

大本敎の検擧と某將來―中外政策―

軈て葬り去られる―やまと―

地下室の秘密―萬朝報―

押収された金銀財寶―讀賣―

大本敎機關誌大正日々新聞の内幕

【大本敎の検擧に對する信者の態度】

進退谷まつた―萬朝報―

二代目さんの辯明―大阪毎日―

敎理の眞隨を闡明―大阪時事―

敎義に反對意見―大阪時事―(修齊會役員として谷口正治の名前が出てきます。)

未決監に於ける淺野氏の風貌―大正日日―

神樣も御待兼―大正日日―

神界の經綸―大正日日―

一寸行つて來るのである―京都日出新聞―

何が怪しい―東京日日―

理智的解釋は困難―東京日日―

神靈界の解決は

不敬を信ぜぬ―東京日日―

寧ろ遲い位―東京日日―

御神諭を體得―東京日日―

色眼鏡をかけては分からぬ

愈々之からが本舞臺―中外商業―

愈々靈的問題―大正日日十三日―

綾部生活の思ひ出  大正十年三月五日

貴族敎―讀賣新聞―

 

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中村古峽 

皆川

 

文學博士 松本文三郎

文學博士 野上俊夫

文學博士 内藤湖南

文學博士 柳亮三郎

 

京都地方裁判所検事正 古賀行倫

文學博士 柿崎正治

東洋大學講師 高島米峰

法學博士 筧 克彦

京都府警察部長 藤沼庄平

京都府警察部警部 高芝 羆

大審院検事総長 平沼驥一郎

内務省警保局長 川村竹治

内務省警務課長 河原田稼吉

京都地方裁判所判事 佐藤共之

辯護士 今村力三郎

本誌記者

 

大本敎主補 出口王仁三郎

大本敎主  出口すみ子

大本敎敎務局長  井上留五郎

大本敎大敎統 石井彌四郎

 

大本敎庶務局長 櫻井同吉

修齊會副會長 四方平藏

修齊會京都支部長 梅田信之

和三郎夫人 淺野たけ子

醫學博士 岸一太

神靈界發行人 吉田祐定

確信會長鐡道省技師 長尾修吉

確信副會長醫師 柴田健次郎

法學士 中野岩太

岩太氏夫人 中野とき子

女髪結 伊賀とら子

東京支部長 平松福三郎

大本某幹部

宮飼陶羊 

市平民投 

【大正十年七月號】

大本敎の豫審に出頭する記

 

6574

 

宮飼陶羊

【大正十年十一月號】

大本敎公判の辯論に就いて―江木衷博士の霊魂論を評す―927日東京朝日新聞―

大本敎辯論に就て―古峽先生に一言す――928日東京朝日新聞―

大本敎辯論に就て―再び江木衷博士に一言を呈す―930日東京朝日新聞―

 

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本主幹・文學士 中村古峽

 

法學博士 江木衷

 

中村古峡

【大正十四年三月號】

大本敎批判ではありません。

『心靈現象と宗敎思想』を讀む

 

 

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鳥谷部陽太郎

 

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