則天去私

「谷口雅春」先生の生涯も綴っていきます。

2020年09月

讀んで戴ければ幸甚です。

生長の家の古い資料が最近はよく集まる。

  最近は谷口雅春先生に関する御寄稿文の雑誌や新聞を見る機会が多くなった。こんな私でも初めてみるような『生長の家新聞』や『生命の藝術』の創刊の辞など戦前はどのように考えを為されたのかを知る機会を与えられている。一つ頁を捲っていく楽しみは別格でもある。今回は数日前にこのブログに記入した『旧制市岡中学時代』の行事などで谷口雅春先生は文学への道を志すきっかけというのを如実に感じとれた。

 それは一柳安次郎先生の影響も大であるが、年表により更に当時の雰囲気が手の上で私の肌に爽やかな風のように吹いていた。

 今、仕事を再開して二週間なるが、健康の爲の運動と谷口雅春先生に関する調べものが沢山残っている。これだけ、いろいろと記入していても、知らない事が山積みである。情報があちこちから私の方に届けられる。幅の6cmのクリアファイルが一箇月で満載となる。

 先日、友人等にレタ-パックで送付した資料が再び二日程前に送付することとなった。

 その前は『聖光録』を年代別と目次で何が変更になったのかを分り易いように分類した。ここの掲示板に容量の関係で掲載出来ない資料も多い。

  また『光明思念の歌』に関する資料も送付した。多くはこの掲示板に掲載したが、一部掲載出来なかったものもある。

 長年、生長の家で活躍された理事なども知らない事も多く有る。出来る限り緻密に調査しながら進めているが、なかには掲載出来ないものもある。これなどは時を経ての掲載となる。

有賀鉄太郎博士

旧制市岡中学時代に当時では有名な碩学者を講演に招いている。明治44年1月9日

例えば、私のブログでは有賀博士と記入していますが、正式には有賀鉄太郎博士です。

ウィキペディアから抜粋致します。

 

有賀 鉄太郎(ありがてつたろう、189941 - 1977525日)は、日本のプロテスタント神学者、教会史・教理史学者。大阪府出身。

 

同志社大学卒業、米国ユニオン神学校に学び、1930年同志社大教授、初代神学部長、1946年「オリゲネス研究」で京都帝国大学文学博士、1948年京都大学文学部キリスト教学研究室教授、文学部長、1963年定年退官、神戸女学院院長。日本キリスト教学会理事長も務めた。

 

経歴

 

摂津国大坂(現在の大阪府大阪市)で代々歌道を生業とする家系に生まれ、大阪英語学校・開成学校を経て明治15年(1882年)710日に東京大学文学部哲学科を卒業。東大在学中には学資稼ぎに成立学舎で教師もしていた。東京大学御用掛、同文学部准助教授、元老院御用掛、兼東京大学御用掛などを経て、明治19年(1886年)64日、元老院書記官となり、同年11月からヨーロッパに留学し、ドイツのベルリン大学で勉強、次いでオーストリアでウィーン大学教授ローレンツ・フォン・シュタインに国法学を学ぶ。

 

明治21年(1888年)620日に帰国し[3]、明治22年(1889年)57日に枢密院書記官となり首相秘書官も兼ね、内閣に勤務しながら著述活動も展開。明治25年(1892年)に農商務省特許局長に転属、日清戦争、日露戦争には法律顧問として従軍し、ハーグ平和会議には日本代表として出席している。その後陸軍大学校、海軍大学校、東京帝国大学、慶應義塾大学、早稲田大学などで憲法、国際法を講じた。

 

明治36年(1903年)、帝室制度調査局副総裁伊東巳代治から総裁伊藤博文への推薦により同局御用掛となり、皇室の制度化と天皇の政治関与の抑制、および首相の権限強化と軍部の牽制を趣旨として未完成の皇室典範補完の調査を進め、明治40年(1907年)の皇室典範増補と公式令公布に全力を尽くした(ただし、同年の軍部の反発で軍令が公布、軍部を抑える目的は挫折した)。また、同年末に清の憲法調査団が来日した際、伊藤の斡旋で明治41年(1908年)2月から翌明治42年(1909年)7月まで講義を行っている。

 

大正元年(1912年)、恩賜賞を受賞。大正2年(1913年)に大隈重信の推薦で中華民国大総統袁世凱の法律顧問となり、袁世凱の帝政運動を擁護。大正4年(1915年)に日本が袁世凱に突きつけた対華21カ条要求には反対したが、逆に対中強硬論者からの攻撃を受けて早稲田や東大などの教職を去った。大正10年(1921年)、脳溢血のため60歳で死去。墓は東京都港区の青山霊園。

 

上記の大阪英語学校・開成学校とは大阪府公館付近にあります。明治天皇が御訪問されています。その場所には「明治天皇聖蠋碑」が建立されています。この学校は後に京都に移され、「京都大学」となっています。
https://www.google.co.jp/maps/@34.6858248,135.5178817,3a,15y,203.51h,86.45t/data=!3m6!1e1!3m4!1sLGNoHJcCHP3oeBvLLrF01g!2e0!7i16384!8i8192

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『谷口雅春先生著作年譜一覧表』(上)(中)(下)についての閲覧方法

『谷口雅春先生著作年譜一覧表』(上)(中)(下)についての閲覧方法

国会図書館のホームページを開いて下さい。

下図のホ-ムが表示されてきます。その中央部左側のNDL ONLINEをクリックして下さい。国会図書館サ-チでも表示されますが、検索が混んでいる場合が多くあり、今回の方法が最適であります。(サーチでは公共図書館や大学図書館などを検索します)

 谷口雅春先生著作年譜一覧表-4

NDL ONLINEをクリックしますと下図の表示がされます。そこでキ-ワ-ドに『谷口雅春先生著作年譜一覧表』と打ち込んで下さい。
谷口雅春先生著作年譜一覧表-5


『谷口雅春先生著作年譜一覧表』と打ち込みますと下図のように表示されます。
谷口雅春先生著作年譜一覧表-6

キ-ワ-ドの横の青いル-ペをクリックしますと、下図のように表示されます。
谷口雅春先生著作年譜一覧表

 そこで 谷口雅春先生著作年譜一覧表 : 生長の家 : 参考資料 上 増補改訂版 の部分をクリックしますと
下図のような表示が出ます。
谷口雅春先生著作年譜一覧表-2
国会図書館の登録利用者カ-ドを利用できる人ならば、閲覧予約などが出来ます。

国会図書館 関西館であるならば「取寄せ」も出来ます。

但し、国会図書館の館内のみの閲覧となります。どちらにせよ、国会図書館に行っていただくことになります。頁数がわかれば複写依頼も出来ます。

または〔複写用〕記事掲載所調査も出来ます。

 ただし、今回のコロナの影響で日数がかかります。私が複写を依頼したことがありましたが、十日間かかりました。


下記は「詳細な書誌情報を表示」をクリックすれば、下図のように表示されます。
谷口雅春先生著作年譜一覧表-3

コメント欄について

ブログのコメント欄についてですが、今回の事柄で何度もしつこく質問を迫るようなことがあり、この人については他の掲示板でもそういう事例があり、私としては出来る限りそんなことをしたくはないのですが、【自分が違う意見だから強制して回答を求めるような行為は慎まなければなりません。】と注意を喚起しているのにも、その書き込み後、直ぐに、しかも、三度も書いて來る神経は私にはわかりません。

  申し訳ありませんが、今後,このような行為はコメントを記入されても【脅し行為】として、削除対処となりますので悪しからずご了承下さい。ただ、コメントを確認後表示するということに暫くはさせて頂きます。

いままで、私のブログでは削除対処にした人はいませんでしたが、初めてですから、その酷さとしつこさは理解していただけると思います。また、回答する内容を限定して変えて来る。全く相手にも出来ない人です。後付けのように、愛蔵版・頭注版『生命の實相」であると云っていますが、これは何故、それだけを限定するのであるかという問いには、屁理屈では答えると思うが、何を云っても理屈でしかない、理論が出来ていない人である。焚書にしては駄目なのはすべての本であるのは常識である。例え「雅宣氏」の本であっても焚書にしてはならないのである。

 今回は自分の内容だけを回答して、私の質問には全く回答しないのです。
 こういう人は自分の回答のみを要求する。相手の心中や拝察するような精神がない、私はその人の質問に回答しているにも関わらず、それを読まないで、回答していないと文句を云う、こんなにも自己中心的に自我を強要する人は初めてです。

 そうした行為に呆れてしまいました。私のこれまでのブログを読めば、どうしてそれを書いて居るかは理解出来るのですが、一部だけを引用して、批判などにいちいち対処出来ません。反対するにもその眞理の根本を理解出来ない人とは話が出来ない。

『代々木』の御寄稿

『代々木』の御寄稿 昭和463月号 明治神宮社務所・明治神宮崇敬会発行

「天皇陛下と三島由紀夫」
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旧制市岡中学時代

旧制市岡中学校の谷口雅春先生の入学当時(明治39年)は志願者239名で合格者は127名です。いまでいう狭き門です。そのうち卒業(明治44年)できたのが、84名です。

当時の中学校では崇拝する人は誰かという問いに、豊太閤が第一であるというのは地元が大阪であることが要因である。

明治411111日の陸軍大演習参観の爲大和生駒添上地方へ一泊旅行は当時明治天皇の演習総監が行われていまして、それを参観するための行事であります。耳成山の山頂には「明治天皇大演習御総監地」の石碑があります。

また、「平岡神社」とありますのは、私のブログでも以前に紹介しましたが、生駒山の麓にある由緒のある神社であります。

明治411024日、学生500名、午前8時、玉造駅に集合。そのあとは、三里(12km)を往復徒歩である。行軍形式で歩いた。現在でいう暗峠越え街道です。この道は私も何度も歩いておりますので、反対によく理解できる道であります。

「澪標」第九号には次のように記されています。

「漸く枚岡に着きて、燈籠を左に見て神域に足をふみ入るれば、涼風徐に来りて、心地あしき汗も入らんばかりなり。澄みわたる水の流れこそ見えぬ、むら立の老木こそなけれ、流石に神の森なり、里近からぬ鳥の声さへ聞えて、上もなき峯の松風、身にしみ渡り、昔の人の「あまりに忝きと思ふ折は寒きものなり」といいけん詞さへげにもと首肯かれぬ。」

とある。文運武運の長久を祈るというのがこの行事です。

年月日

年表(大阪府立市岡高校創立百周年記念誌より抜粋)

39.4.15

39.4.28

39.12.01

40.2.18

40.5.04

40.7.17

40.10.056

40.11.22

41.4.08

41.4.26

41.4.30

41.5.09

41.10.24

41.11.11

41.11.15

41.12.05

42.2.11

42.4.08

42.4.15

42.5.1115

42.10.4  
42.10.23

43.2.11

43.4.08

43.4.21

43.05.01

43.05.03

43.5.0815

43.9.06

43.10.05

43.10.29

43.11.12

43.12.06

44.1.09

44.1.15

44.2.11

44.3.24

大阪市立市岡中学校に入学。

信貴山へ旅行

旅行奈良

寒中行事

終日旅行和歌山

堺大濱にて水泳訓練

第一回文藝大會

修学旅行生駒山

第三年級始業式

第六回陸上大運動會

周宮内親王殿下武田宮殿下御成婚記念小運動會

修学旅行京都

枚岡神社

陸軍大演習参観の爲大和生駒添上地方へ一泊旅行

天皇陛下梅田驛御通過に付一同同校内に鳳車奉迎

第二回文藝大會

紀元節拝賀式

第四年級始業式

東宮殿下御東歸一同梅田驛校内にて奉送

修学旅行伊勢尾濃方面(三泊)

講堂訓話

修学旅行大鳥神社堺方面

紀元節拝賀式

第五年級始業式(丙組)

笠戸丸築港碇繫參觀

陸上大運動會

五年級講堂訓話

修学旅行四国中国地方(六泊)

韓國併合記念講演

東宮殿下御梅田驛通過奉迎

道明寺

天皇陛下三備地方大演習行幸往西鳳車奉迎

第五年級講堂訓話

始業式、有賀博士の講話

井上哲博士の講話(今宮中学にて)

紀元節拝賀式

大阪市立市岡中学校を卒業。(19歳)

 

【独り言】自分と違う意見だから強制して回答を求めるような行為は慎まなければなりません。

今回の「本音の時代」さんは自分の意見を正統だと思って発言されていることです。それはそれでいいのではないかと思います。それを間違いだから相手に修正せよと強制し、その回答(実際は回答しているのですが)を引出そうとすることは倫理的に違うように思います。自分が間違いないと思えばそれでいいのではないかと思っています。しかもきちんと裏付もあるのです。

 

私が「破邪顕正」(ごめんなさい)さんと意見や言葉が違うから、それは違うからと意見を求めることは間違いです。ひょっとして自分が間違っていることも可能性もあるのですから、それは拝察して行うことだと思います。但し、私は何度「焚書」については過去にブログで説明している。

 

 

今回の事で考えたことは、私は一度も焚書した聖典を『生命の實相』に限定したこともない、「本音の時代」さんがそうだろうと推測して発言されていることだけです。

 

それと「焚書」については今迄、このブログで何度も説明しております。最初は「坑儒焚書」についてその歴史を説明しました。何回か書いていますのでまた是非見て下さい。

 また、雅宣氏からみたら「焼却」かもしれませんが、私達多くの信徒はその「歴史的背景」を知っています。  それを雅宣氏が信徒に明らかに読ませないようにする目的だから「焚書」でしょ。別に焼却されなくとも、そうした行為を「焚書」と呼ぶ人もいます。

 

 今回「焚書」とは焚くことですと「本音の時代」さんが発言されたので、実際焚いていますというコトバにカチンときたのではないかと推測しています。それで『生命の實相』を焚書にしているかという問いにちゃんと回答もしているが、ちゃんと理解されていなかったのは私の書き方がまずかったのではないかと思います。【この『古事記・日本書紀抜粋』は戦前の『生命の實相』の引用した文章であります。】ということでは納得出来なかったのでしょう。『生命の實相』というのは本の題名のものだけが『生命の實相』ではないことです。

 

昔の聖典には『生命の實相』の題名以外にも、そういう言葉が奥付に書いているものがある。

これは『生命の實相』の一部です。

 

それと、雅春先生の御写真をゴミ焼却場に放置していることは、『生命の實相』を蔑ろにしている他はない。赦されない行為です。

 

私の書き方もまずかったのではないかと反省しています。でも「焚書」は駄目だというのも自由ですから、それを強制することは致しません。だから、今回の件も自分が違う意見だから強制して回答を求めるような行為は慎まなければなりません。

「ああ言えばこう言う」ではいけません

失礼しました。

【「雅宣総裁」の『生命の實相』の取扱は「焚書」である。】と返答いただいておりました。

「私はこれに対して頑なにこの「焚書」というコトバを使用したい。」と言われると・・・、これは理論云々ではないような気がします。

やはり、「焚書とは?」になると思うのですが。

なにか皆さん、雅宣総裁が憎くすぎて「焚書」という言葉を使わずにいられないという感じもします。

 

本音の時代さん、貴方は何を云いたいのかわかりません。私の学問の低さなんでしょう。

 

「焚書」された形跡もあるということを実名上げて私は実証もしました、それは谷口雅春先生の御本が「焚書」されているといってもほぼ間違いはない。しかしそれを貴方は「焚書」というコトバは間違いだという。それならば、何の言葉を使うのかを貴方は云えない。

情ない限りです。【雅宣総裁が憎くすぎて「焚書」という言葉を使わず】というコトバに差換えて、これまでになれば話の筋が全く合いません。私のブログを本当に読んでいるのでしょうか?

 先日の「光明思念の歌」の検証や谷口雅春先生の「愛国書」の発表や様々なことをこのブログで行いました。未発表の雅春先生の御寄稿文章の発表や『聖光録』の検証もしています。

 ここで発表はしていないが、細部にわたり調査しています。それは一部の友人にその結果などを送付したりしています。

 戦前戦後の『生命の實相』の相異や、戦後におけるGHQからの検閲を逃れるための、『生命の實相』の書換を谷口雅春先生は断腸の想いで遂行されていることもこのブログで発表しています。また、国会図書館に谷口雅春先生の聖典を献本したりしています。

しかし、貴方は何をやってきましたか?

 『生命の實相』がGHQに検閲されていると証明しても、貴方の考えでは、それを受け付けないのと同じ類であります。人に御意見を云う前に少し自分で現在よりも更に勉強されて検証をされたらどうでしょうか?

「焚書」というのが間違いだと云うことを、緻密に精査してその反論を是非自分のブログに発表して下さい。

 これにて申し訳ないが返答を打ち切りたい。

言葉の相異とニュアンスの違いだけではないか

一つの言葉に引っ掛り、それをとやかくいう事はどうなんでしょうか?

  私なりに戦前の検閲と戦後における検閲と今回の雅宣氏の検閲に近い行ない方に対して、厳しく対処しているわけで、失礼ながら、それに対して誰よりも勉強して来たので、より気持ちを込めて伝えなければいけないと思っています。本音の時代さんが言葉のニュアンスが違うとそう感じれば、それでいいのではないかと思います。それを修正させようと、無理やり言いくるめようが、私はこれに対して頑なにこの「焚書」というコトバを使用したい。それがもし間違いならば対処しますが、そうでなければ、私の今までの思いを踏襲したい。それは、現今の教団に対して厳しい言葉で谷口雅宣氏の言動にクサビを打ち込んで行きたいこともあります。

 また「焚書」の何がいけないのか、「本音の時代」さんの書いている内容では、失礼ながら、さっぱりわからない。私を理論で是非打ち負かして下さい。宜しくお願いしたい。それと、誰が見ても今回の事は無用の論戦に見えるのではないかと思います。それよりも、谷口雅春先生の書いている内容についてどのように考えていかなければならにのかが重要であると思います。

「焚書」寸前の本を頂きました。

「本音の時代」様へ

「焚書」は焼却することであると書いておられるのですが、正に焼却場に置かれ焼却された話も聞いております。そんな馬鹿なことがあるかと信じがたいことですが、当時の元理事や現在の本部職員からの聞いた話が一致するものですから、青年局などに置かれていた、愛国の書などは焼却されたと聞いています。谷口雅春先生の御写真も見せて頂いています。また、『古事記・日本書紀抜粋』も焼却寸前の本を頂戴しました。

 

以前に書いた文章に下記の事が事実としてあります。2015427日記載した内容に追補しました。

 

以前に生政連の解体や青年局の解体を行った雅宣総裁は本部内にあった愛国の書を本部の御神像の横にある焼却場に置いて、それを焼却した。

勿論、総裁本人はそんなことはしないが部下に命じて行ったのであろう。


現在版の焚書坑儒である。

それはある人から聞いた話でおるが『古事記・日本書紀抜粋』という小冊子がありますが焼却寸前に持ち帰った。

 

このある人と申しますのが、故森田征史先生であります。涙をこらえながら話をされたことを私以外にも数名の人は聞いております。

 

谷口雅春先生の文章など沢山の資料が焼却された話も聞いています。

 

 この『古事記・日本書紀抜粋』は戦前の『生命の實相』の引用した文章であります。

それをテキストにして講話して頂いた。

これは谷口雅春先生が戦前に講習会テキストとして発行されたものを戦後になり雅春先生の御許可を得て青年局から発行されたものです。著作は谷口雅春先生です。

そうした事実は知っていましたが、今回驚くべき事をある人が語って頂きました。

それは本部の御神像の右下部分に焼却場があった所なんです。その場所に雅春先生のお写真が捨てられていた。
雅春先生が生前の最後のご講話の寫眞や輝子先生が写っていました。
その写真を見せていただきました。約30枚程の写真は悲しく思いながら見ました。

何故、そんな所に置いていたのであろう。
焼却するのではないと信じたい。

 

 私はそのような話を聞いたので「焚書」と書いたのです。私も当初は信じ難い話で「嘘」かなとも思いました。でも元理事と本部職員が実際見た話ですので信憑性があります。

 ただ「本音の時代」様がこの件については信じるかは個人の話ですので、強制などは勿論致しません。私もいろいろな調査もしていますので、聞いた人の名前を記入出来ない事も多々ありますが、そうした内容も数名の人に内容を調査して、それに基づいて書いて居ります。「本音の時代」様も御承知だと思いますが、こうなったらいいなという客観的予測では書いて居りません。

『「光明思念の歌」再考―補足』での「光明思念の歌」の戦後最初の文章は『世界光明思想全集』です。訂正致します。

『「光明思念の歌」再考―補足』と記入したら、早速、私の間違いを指摘していただいた。このように、指摘戴けるのは、本当に有難いのです。そうでないと、過ちがそのままやり過ごされて、間違った文章が流れるのです。そうした、明らかに間違いなど、もしありましたら、遠慮なく申し出て下さい。

下記は昭和2161日発行の  『世界光明思想全集』 全40冊(共著)

第一冊     佛耶光明思想基本篇 附神想観實修法 谷口清超、谷口雅春監修の第一冊 48頁に記載されています。

 

「神想觀の實修法」

顏の前で合掌し、(中指のが額の眞中に來る位の高さ)肘は張らず、肘と胸とは二寸位離れる。瞑目し、招神歌の次に左の如く心中に深く念ずるのである。

 

 吾れ今五官の世界を去って實相の世界に居る。今自分の坐つてゐるのは實相の世界であつて、神の無限の智慧の海、無限の愛の海、無限の生命の海、一切大調和の世界である。此の大調和の實相の世界にゐて吾れ神の子として神より無限の生かす力の供給を受けつゝあるのである。

 

(合掌より天降り來る神のいのちを鼻より受けて吸ひ込む心持にて靜かに息を吸ふ。息は吸氣と共に頭上より脊柱沿うて全身に流れ下り、全身が神の靈的生命により置き換るが如き思ひしつつ、

『神の無限のいのち自分の中に流れ入る流れ入る……』と念じる。

充分吸氣したる時、その吸氣を下腹に落し、丹田に充實膨滿の感を起し、その充實の感を、神のいのちに滿るされて(ママ)ゐると觀じ、靜かに下腹に息を保ちたるまゝ『神のいのちに滿たされ生かされてゐる。有りがたい、有りがたい』と念じ、全身神のいのちにて光明遍照せる狀を心に描き、心の眼を以てそれを見詰めるつもりにて精神を統一し、吸氣は吐かず自然に鼻より漏れづるにまかす。自然に吸氣が洩れて、吸氣を催して來た頃息を吸ふ。吸ふ時の心持前述の通り。丹田充實、『滿たされ生かされてゐる』との思念前同樣。以下順次繰返す。

右一回約三十分――乃至四十分。次に光明思念の歌を二回朗誦して二拍手。眼を開いて終る。

 

天照す御親の神の大調和(みすまる)の生命射照し國靜かなり

 

天照す御親の神とは固有名詞ではない、天地遍照の佛であり、主なる神が、今此處に充ち滿ち給うて宇宙全體が全く平和なる姿をこの歌と共に心に描き念ずるのである。

㊟ 1;吸氣(いき)

2;神のいのちに滿る(“る”⇒“た”の誤植では)されて

ゐると觀じ、
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「光明思念の歌」の再考―補足

前回で終了しようと思っていたのですが、反対に戦後、どのようにして「光明思念の歌」が確立して、どの本に掲載されたのかを記載し忘れていたので、今回、服部仁郎氏の本と併せて紹介しておきたい。

「光明思念(みすまる・大調和)の歌」が何年頃に本として掲載されたのかを記載して終わりたい。

 

戦後まもなく『神想觀』における「大調和の歌」を唱えていたのであろうかという質問には、少し混乱していたこともあり、戦後に発行された、服部仁郎著の『老いず若くなるには』は昭和31年5月1日発行には

 

「神想觀の實修法」

神想觀のやり方(241頁~)

これから「神想觀」に實修を致します。左の足を右の足の上に重ねて坐ります。お腹をのんびり伸ばします。瞑目合掌いたします。合掌の高さは中指の先が額の眞中位のところ迄、合掌は力を入れないで軽く合せます。

 

 初に招神歌をうたひます。(多勢一緒に實施する時は指導者が代表してうたふ。)歌が終りましたら(皆さん一齊に)心の中で次のやうに念じて下さい。

 

 「我れ今五官の世界を去って實相の世界に坐す。自分の坐ってゐるのはこれ實相の世界であつて、神の無限の智慧、無限の愛、無限の生命、無限の供給の充ち滿ちてゐる大調和の世界である。この大調和の實相世界に居て、自分は今神の子として、神より無限の生かす力の供給を受けつゝあるのである。この大調和の實相の世界に居て、我れ神の子として神より無限の生かす力の供給を受けつゝあるのである」

 

 斯う念じながら、本當に自分は今實相の世界に居て、神の無限の生かす力の供給を受けてゐる、と云ふ氣持になつて鼻から靜かにイキを吸ふのです。空氣を吸ふと思はないで、「神の無限の生かす力自分の中に流れ入る、流れ入る、流れ入る」と念じ乍ら吸込むのです。

充分にイキが這入りましたら、鳩尾の邊りを少し引込める樣にして、イキを下腹へ飮み落とやうにいたします。さうして下腹の充ち滿ちた感じを利用いたしまして「神の無限の生かす力に充たされてゐる生かされてゐる、充たされてゐる生かされてゐる」と下腹に輕い力を保つたまゝ念じてゐますと、自然に鼻からイキが漏れて出ます、

七分通りのイキが漏れて出て、未だ三分のイキが下腹に殘つてゐると云ふ時に、再び前の如く「神の無限の生かす力自分の中に流れ入る、流れ入る、流れ入る」と念じながら靜かにイキを吸ひ込むのです。そのイキを下腹の方へ、飮み込み落すやうにしては又、「神の無限の生かす力に充たされてゐる生かされてゐる、充たされてゐる生かされてゐる」と念ずるのです。

 

かくの如く繰返し繰返し念じ乍ら呼吸すること約三十分、終にもう一度招神歌をうたひ手を二つ拍いて眼を開きます。これで神想觀がひと通り終るのです。

 

このように最後に招神歌をとなえて、二拍手して終わる實修法なのです。このような記載があるとどうしても迷ってしまいますが、そこは谷口雅春先生が監修なされた『聖光錄』があります。

 

『聖光錄』-生長の家家族必携 生長の家本部編纂

昭和28 11日 日本教文社刊 初版では「光明思念の歌」(89頁)にその唱える内容が記載されており、更に「神想觀實修法」(247頁)には290頁の9行目には「…光明思念の歌二囘、二拍手、眼を開いて終る」と記載がありますので、それが正しい。このようにして、混沌した時代にあって、「神想觀の實修法」を確立されていかれるのです。

「光明思念の歌」をとなえて終了するという範は昭和2811日において発表されたということになります。

コメントの回答

本音の時代さんからコメントをいただいているのですが、質問もあり早く回答したかったのですが、時間もなく慌しい日々が続いていました。今回は簡単に云います。

「頭注版 生命の實相」にあっては、「焚書」という言葉は当てはまらないと思います。

ということですが、私の主観的な考えでは、平成の初めごろから『生命の實相』を座談会に使用するなとか、『生命の實相』が古いというような印象を与えてゐたことは事実であります。(講習会での講話)私も当時は相愛会長を拝命してゐましたので、そうした指令があることは如実に感じておりました。反対にそうした指令に反論もしていました。

 その後に社会事業団が提訴して裁判が始まるのですが、それ以前では「焚書」していたことは事実であり、今後、谷口雅春先生の新版を発行しないという議決も当時の理事や日本教文社の社長により、可決したことは

※平成4715日、渋谷東急インでの取締役会(中島省治、鈴木卓朗、宮本三男、永井光延、辻信行、谷口雅宣、三浦晃太郎、磯部和男の8名)事実であります。

平成25527日…『生命の實相』等の著作権裁判の最高裁判決において、教団側の完全敗訴が確定するまでは『生命の實相』は教団側にも存在したことです。

 それを疎遠として「新しい教え」にそぐわないような印象を与えた。現在は社会事業団に著作權があるとはいえ、それまでの「雅宣総裁」の『生命の實相』の取扱は「焚書」である。それは既に述べたように「谷口雅春先生の新版」も発行しないが、『生命の實相』も講話で使わないという指令があったことは事実であります。私達の相愛会では反対に『生命の實相』を使用することを反対に決めた。

『驀進日本の心と力』 標準規格B6

『驀進日本の心と力』表4(函ではない)IMG_8002
側面の¥1.00の下に標準規格 B6と表記されています
『驀進日本の心と力』表1IMG_8010



昭和十三年(1938

発行日

頁数

判型

驀進日本の心と力           

11.22

331

四六判

昭和十五年(1940

発行日

頁数

判型

驀進日本の心と力(日本新體制版)ソフトカバ-  光明思想普及會發行 78セン

09.20

331

四六判

驀進日本の心と力 ソフトカバ-  標準規格B6 光明思想普及會發行 ¥1.00 再版S16.9.01

09.20

331

B6標準規格

 

上表は『驀進日本の心と力』ですが、これは昨日わかったことなんですが、標準規格B6の本があったということです。同じ発行日で表紙などは変更ないのですが、判の大きさが異なる事なんです。この時代は大きさが異なる版があります。

標準規格B6として(上図)

中身の発行日の書いている部分に停に丸印があります。戦前の本にはこのようにして「〇に停」というのがあります。注意すればわかりますので、もし戦前の本をお持ちならば見てください。これは価格表示規定と暴利行為等取締令(所謂、価格統制令)第2次大戦中の国家総動員法に基づく勅令。1939年9月18日に価格を据え置いて,値上げを禁止した。〈9・18停止令〉ともいいます。

 

光明の健康法 標準規格B6        昭和1391

人生必ず勝つ 標準規格B6       昭和15320

一流の人・妻・子を作る 標準規格B6再版    昭和1691

驀進日本の心と力     標準規格B6  昭和169月20日

 

意外と発行されていることを知らないことが多く有ります。今年では何冊かありますが、とりわけて『憲法の正しい理解  新仮名版』は全く知らなかった本でした。こういうことの一つ一つの積み上げが『谷口雅春先生著作年譜一覧表』なのです。
IMG_5308
昭和13年度発行
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昭和15年 日本新體制版


言葉の違いと表現

言葉の違いと表現

 

最近、他の掲示板等でみかける、間違った表現にウンザリとすることがある。

例えば、私は現在の生長の家教団の聖典についてどのように思うかといいますと、此処にも書いていることですが、「焚書」だと思っています。これは「検閲」よりも酷い行ない方で、本そのものを見せないようにする行い方であります。

 「検閲」というのはその本の表現やその環境などの違いを指摘して、間違いがあれば修正して正しく補正することであります。時代によりそれは異なるのであって「戦前」の内務省の検閲と戦後のGHQの検閲とは全く異なるのです。戦前は検閲して、本を出版出来ないようにするということはしなかったものが多いというのが印象であります。いままでの詳細に記入しておりますので、それを参考にして下さい。(戦前における内務省の検閲-17201827日及び( 戦前の「発禁図書」と生長の家-15201695日~)

 

 

 戦後は「墨塗り」から「出版差し止め」などその状況は酷いものがあります。

 

さて、現在の「生長の家」教団ではどうかというと、復刻も許さない状態であります。その書いた執筆者が既にお亡くなりになっている爲に、その執筆者の「意図にそぐわない」ものを出版出来ないというものであります。だが、世間ではどうでしょうか、原作者がお亡くなりになった人でも「復刻版」で出版されている本も沢山あります。

 

お亡くなりになり、その執筆者の例え意思にそぐわない「本」であっても、それは「発行」するのを止めて欲しいということがあっても「復刻版」として出版されている事例は沢山あります。

 

三島由紀夫の『仮面の告白』も復刻版として出版されています。『薔薇刑』もそうです。またそれ以外にも復刻されたりして出版されています。ただ、『著作權』の問題だけであります。

 

個人の著作物の場合

 著作者の没後70年間が著作権の保護期間です。著作者の没年を調査し、没後70年以上経過していることを確認してください。著作者の没後70年を経過していない場合は、著作権者の許諾書が必要です。

ただし、著作者の没年が昭和421967)年以前であれば、著作権が消滅しています。

団体名義の著作物の場合

 著作物の公表から70年間が著作権の保護期間です。著作物の公表から70年を経過していない場合は、著作権者の許諾書が必要です。

ただし、公表年が昭和421967)年以前であれば、著作権が消滅しています。

 

ここがポイントなんですが、団体雑誌の場合ですが『生長の家』誌とかで団体名で出版している場合ですが、そういうのはあまり「谷口雅春先生」の場合は少ない。

 

例えば「大本」などは再刊や復刻版などで現在では古い雑誌などが見られたりすることが可能であります。また、それを購入して調べることも出来ます。例えば『神の國』、『神靈界』なども容易く見ることが可能です。

 

だから、その団体や著作権利者がどのように考えているかが問題であります。本来なら『復刻版』や「再版」「改訂版」として可能であります。

 

「谷口雅春先生に帰りましょう」の掲示板については「検閲」とかではありません。その主旨にそぐわないものとしてちゃんと記されているル-ルに從って管理者がそのル-ルを保持しているだけであり、その管理者の考えでありますので「検閲」ではない。

私が全く異なる掲示板で「異論」など書いたりしたら、除外されるのと同じであります。

 

少し考えれば、理解可能なことでも「検閲」だと決めつけてそれから頭から離れないので、それはそれで違う掲示板で書いて「うさばらし」しているのかと思っていますが、周囲からみると滑稽である。

 

私はそうした「決めつけ」を出来る限り自分の「脳」から無くしていきたいと思っているが、やはりそれでも「決めつけ」て書いていることも多いので反省ばかりしている。

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