生長の家教団の総裁谷口雅宣氏を見て、「嗚呼、なんて幸せであろうな」と思う人はどれ程いるのであろうか。それと対比するのが、家族の恥となるが、私の家族の長男である。兄弟とも会おうとしない。いつも独自の考えで、本人はそんな家族に迷惑をかけているとも思っていない。母親の葬儀にも出ていない。父親の亡くなったのが27年前である。その時以来、兄弟とその長男との確執が生れた。自分でなんでもするのはいいが、葬儀代などの拠出など自分の懐から出さない。呆れ果てた行動である。姉がその行動で怒りだした。それから兄弟の喧嘩である。姉の言うのも正論である。私も当初は長男に対して怒っていた。だが10数年前であったが、父親の墓で偶然にあった。墓参りしていたのである。
その時の容貌を見て愕然とした。髪の毛は抜け落ち、病気の為か顔が腫れている。「私はこんな長男に怒っていたのか」と思うと自分が情けなかった。それからは用事の或る時は連絡するようにしている。それまでは自分から連絡するのも嫌だった。
許すとか、そんな傲慢な気持は無い。悪いがそんな感情ではなく、「可哀想な気持」である。それは長男が起こした問題は大きいが今更怒っても仕方がない。何故、今迄の怒る気持ちが崩壊したのかわからなかったが、それ以来、そんな怒るような感情はおきない。
母親がいつも長男に言っていた
「こんな子供、産まなきゃよかった」
私も母親と喧嘩してこの言葉を一回言われたことがある。その時以来、自分は「親不孝」ものであるという後悔がある。だからそれ以降、恩返しだけはしたいという観念がある。
だからこそ、毎年盆の墓参り等の親戚関係は私が訪問するようにしている。
谷口雅宣氏も母親である谷口恵美子先生の気持ちに立った行動をするようにしなければならないが「一生、親孝行も出来ない」人になるのかである。そう思うと可哀想である。
なんでも好き放題に出来て幸せそうに見える人は本来の心証をみていない。親孝行出来ないという「可哀想な人」である。また、本来の総裁という人物にもなれない人である。「法燈継承」なども実際していない。だから言葉で云い訳ばかりして、本来なら「苦しい人生」であろう。だが、法外のお金が「眞理」など一切説かない人に入金されるのだから、総裁職はやめられない。
まあ、情けない人だと私はみるが、見えない人も世の中には沢山いる。崇め奉るようになっている。彼の廻りは何でも云う事を聴く人もいる。慾と慾が相互の関係を補助しているのです。そんなものは本来の信頼でもない。
谷口雅春先生の講話で忘れられない講話がいくつかある。その一つが「国の爲、命をすてる、それより大なる愛は無し」である。三島由紀夫が亡くなったときに、いくつかの話をされていますが、『やまと新聞』の掲載された時にいくつかを最近読み直してみると、先生の気持ちが痛いほど理解できる。
さて、取り止めのない話で、まとまっていない文章ですみません。
最初に家族の長男のことを書いた、それと対峙するように谷口雅宣氏という人を少しだけ書いた。それは少し似ているからである。若い時は、それなりに親孝行もしていた。だが、兄の友達関係でその思想が歪められた。それは兄が悪いからそうなっただけである。雅宣氏もそうである。高校生時代は愛国の話もしていたことが記憶にある。純粋であったが、それからいろんな取り巻きが彼に影響を与えた。今では完全に歪み切った人生となった。
しかし、私は『生命の實相』という聖典を読みながらいつも思うのだが、理解しにくいところも何カ所かある。そういう言葉や歴史を振り返りながら勉強させて戴いています。
そうすると、わからないことがわかるようになるのです。不思議です。
総裁はもう少し『生命の實相』勉強をすればいいのに、でもそんな気持は毛頭ないように見受けられる。たぶん、讀んでゐないのであろう。彼の文中でそういうのを「フト」感じてしまう。そういう「フト」した思いというのは、私は総裁に対しては行動パタ-ンや思想、思索などほぼ100%的中している。
私も今更遅いが、母親に「こんな子供、産まなきゃよかった」などと云われない人生を送るように心掛けている。総裁は残念ながらそれが出来ていない。また、今後、親孝行で改心するような雰囲気でもない。何のために総裁は生きているのであろうか。
私は彼の人生を観て「可哀想」しか言葉が出ない。