則天去私

「谷口雅春」先生の生涯も綴っていきます。

2020年01月

讀んで戴ければ幸甚です。

雑感余話

歴史というのは数年経つと“風化”する。最近では半年や一年で風化してしまうことがある。その為に過去での出来事や事象事項など忘れ去られてしまうことが多い。

 自分の団体などを依怙贔屓するのもやむをえない場合があるが、眞實を曲げて迄自己を正統化するのはよくある。その為に、曲ったことでも「正しい」、間違っている事でも「正しい」と教えられる。とりわけて歴史というのは、あらゆる方向から多面的に見なくては駄目だなとつくづくと思う。

 

 今回、第一次大本事件というのをある面からふれたのであるが、そこからの主張も正しい面もあるが、そうでないところもある。そうでない所というのが、悪いと思えば、徹底的に悪口方面でしか見えない。そして相手を罵る。“馬鹿”“邪教”だとか、もう少し違う方向から見れないものであろう。それが一流の精神学の権威ある人である。「憑依霊」や「帰神」や「精神療法」というのをどこが悪いか、どこが正しいのか検証がきちんと出来ていない。

 ただ、悪意でしか語れない人は論議出来ない。

 そんな人には「精神療法」での“憑依”というのは二重人格でしか見えないのか、戦前までは「イタコ」「梓巫女」「いちじょう」というような「巫女寄せ」および「口寄せ」というような独特の風習というのが各地区にあった。今では青森の方面でしかみられない。

 

 巫女(みこ)が、人々の求めに応じて神霊の尸童(よりまし)となって神意をことばで伝えること。あるいはこの行為を行う巫女のこと。生霊を寄せるのを生口(いきくち)、死霊を呼び出すものを死口(しにくち)、吉凶禍福を判断し、示すものを神口(かみくち)といい、鼓・琴・弓あるいは数珠(じゅず)などを手にして、音を鳴らしながら神霊の降霊を待つ。生口、死口、神口によって多少の変化はあるが、問口(といくち)といって、依頼者が問いかけ、それに対して口寄せさせて答えるものと、一人称で語りかけるものとがある。

 

 そうした、巫女の「口寄せ」というのを、簡単に批判してもいいのであろうか、そういうことを考えてしまうのである。ただ、最近ある宗敎でやたらと、そんなことを宗教として商売するようなものもあるが、これもまた可笑しい。事前に少し勉強して「特定人物」を語るのであろうが、なんでもかんでも行うのには滑稽である。

追補

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『變態心理』大正10年6月號

追補

『變態心理』大正十年六月號では大本教検挙に関しての内容が記載されている。今では信じられないが、当時の警察関係者が内容を記載している。名前も記入しているので間違いはない。京都府警察部警部 高柴氏である。綾部潜入の二年間という内容であるが、当時の警察というのは、怖ろしいほどのものである。信者に成り切って二年間入信していたのである。

 

 また、検挙されての出口王仁三郎の談話などもある。

『生命の實相』19146

【時の総務浅野和三郎と著名人吉田某とが起訴された。】

と記入があるが、吉田某というのが、吉田祐定という人です。

「大本教の迷信を論ず」から波及した影響

 「そのころ変態心理学者中村古峡氏が大本教を訪問して研究し、鎮魂によって出て来る憑依は、すでに憑依霊がついているかのごとき調子で問う言葉を使うからそれが暗示となって、人格の分裂を起こし、二重人格現象を起こすのであって、決して憑依霊がつくのではないという批評を雑誌『変態心理』に発表したのであった。

 最初わたしの研究でも確かに暗示に誘導されて、憑依現象を起こすと認むるべき者もあった。わたしもいろいろ心霊療法を研究したあげくだったので、十分の注意と観察とでその現象の正体を突きとめようとした。現象を観察しているうちに言葉の暗示ではない現象をわたしは発見したのだった。

 

《頭注版『生命の實相』第19巻((新編だと32巻)自傳篇135頁)》

 

 

 この雑誌を求めて昨日(1/25)は関大総合図書館に通った。『憑依霊』についての詳細は知らない。勿論、単純なことは知っていても、それを掘り下げて研究したりすることはなかった。中村古峡氏が大正七年九月に何泊かして、『變態心理』で発表することを旨に綾部に訪問して調査するために参加している。その対応したのが淺野和三郎氏であった。

そこで三箇条の質問を携えて要望してきた。

①鎮魂式に参列したきこと。

②敎祖の神懸り状態を拝見したきこと。

③所謂『お筆先』に現れたる経典を、許される限り、直筆のままにて拝見したきこと。

①は快諾

②長く滞在しているうちに機会があるだろう

③これは絶対的に拒否された

 

しかし、詳細は後に譲るとして、谷口雅春先生が「心霊現象」についてその当時の学説など随分と讀みこまれたことが『彗星』誌の主管岡田建文氏が書いている。そうであるならば、「もし」という言葉が許されるならば、中村氏が当時の「谷口雅春先生」にお会いすれば少しはかわっていたのかも知れない。そのような事を思いながら、今後心靈學などの分野でも関わっていけるようにしたい。今回は深い所までは考えないで所感だけ宣べさせていただく。

 

 その訪問して研究され推敲されて大正八年七月號『變態心理』の「大本教の迷信を論ず」に於いて発表された。だが、その内容は相手を「馬鹿」と罵り、迷信として一刀両断である。

『神憑り状態』など説明はしているが、「大本教」を低次元に見ている為、何しろ駁論である。

 

 ただ、冷静に見れば、『變態心理』記載されている文章のなかでも、疑わしいものがある。神癒とかの記載でも、大本教と変わらない内容もあったが、今回の主旨と違うのでざっと読んだだけである。

 

 大本教というのが予想以上に浅薄で且つ無稽なのに失望して帰京した。と書いているがこの『變態心理』の記載された内容が『大本教の解剖』として本に出る。

 

 出口王仁三郎氏は『神憑り』的な要素もあり、人格的には中々面白い。この『大本教の解剖』を最初に見たのが「大本資料室」であったから、反対に大本教の度量が大きいので驚いた。

 

 鎮魂帰神や憑依など今後研究として考えなければならない項目であることは間違いない。そこから「生長の家」に及ぼした影響というのは計り知れない。

 また、この『變態心理』雑誌が何回か「大本教批判」というのを繰返すが、それが「第一次大本事件」に影響を与えたことは間違いない。

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『献金取扱所』

  宗敎といふものは大きくなればなる程、段々穢くなり易いものである。私が皇道大本の土を踏んだ時には、大本教には献金取扱所と云ふものはなかったが、其頃になって何時の間にか、『献金取扱所』と書いた大看板が門前に吊下げられた。私はそんなものを吊下げて置いたならば、如何にも献金せよと參拜者の心に強ひることになり、献金しなければ極が悪くなって、心ならずも献金する人が出來て來、集って來る金が淨財のみとはならないから、そういふ看板を出すことは神業に不純なものを交へることになって、却って神業を妨礙することになると主張したが、老年の幹部達は私の説を採用しなかった。(『生命の實相』自傳篇 173頁)

神様の運動として

日時:20191229 () 1242

名前:トキ

 確か、戦前に書かれた「明窓浄机」に、谷口雅春先生が世襲について言及されていたご文章があったと記憶しておりますが、戦後の後継者問題については、いろいろな議論があったと聞いております。確か、本流復活派系統の掲示板に過去、その点についての議論が投稿されたことを記憶しております。

 

 ただ、仮に、世襲を前提としても、谷口家の中で当時すでに他に適任者がいたとの指摘があります。

 

 この点について、過去にも、詳細を知る方々に情報公開を呼びかけたことがありますが、議論が進展しておりません。生長の家の歴史の権威で知られるS氏が、谷口雅宣総裁への批判を展開しているところを見ると、いろいろな背景があるのかもしれません。

 

  私が青年会時代に次期総裁というのは「谷口雅宣」氏が総裁であるということは疑う余地もなかった。勿論、いろいろ問題があったが、それ以外に候補は聞いていない。

 その問題というのが、今回露出している。

①左翼的言動

②雅春先生の意向を継承出来ない

 

だが、総裁になれば変わるのではないかということで、考えていたのです。其の点はS氏も同様でした。やはり、今の批判的な人もそうですが、やはり「総裁」となれば言動も変るのではないかという期待があった。その期待をものの見事に裏切った人です。

 

谷口雅春先生が長く総裁として敎祖として勤められた時期は、独占的で谷口雅春先生の御発言でその活動が左右されてことも間違いありません。ただ、それが大変「意に沿う」ことであって。生長の家の発展の基礎ともなったのも確かでした。

 

しかし、それは谷口雅春先生にしか出来ないことであり、他の人が行えば「独裁」になり「オカルト」になるからです。また、谷口清超先生は「会議」やル-ルを尊び、独占的なことを行わなかったと聞いています。

 

 生長の家は調和を説く「宗教」です。それが総裁が率先して爭いを指揮していることを気が付いて欲しい。そんなこと誰も要求していない。裁判もいい加減に止めて欲しい、兄弟とも仲良くして欲しい。それも「正しい祈り」をすれば叶えられることであり、憎しみや憎悪等、神の運動に合致しないことを行っているからです。また、それを行動でしなければ何もならない。そんな勇気もないことで、神様の運動なんて出来ない。

『生活者』

『生活者』-2『生活者」-

この『生活者』雑誌がようやく全冊揃いました。
現在の作業が終了しますと、こうしたレファレンス作業をボツボツと行っていきます
『生活者』倉田百三主宰の寄稿文章
 

大正15

 

 

6

佛蘭西美術家の心靈現象(1) 研究

P83~90

7

佛蘭西美術家の心靈現象(2) 研究

P82~90

8

石地蔵の如き善人  

P51~54

10

佛蘭西美術家の心靈現象(3) 研究

P60~66

11

佛蘭西美術家の心靈現象(4) 研究

P68~81

12

佛蘭西美術家の心靈現象(5

P58~65

昭和2

1

佛蘭西美術家の心靈現象(6

P38~47

2

佛蘭西美術家の心靈現象(7

P44~59

3

佛蘭西美術家の心靈現象(8

P57~63

4

佛蘭西美術家の心靈現象(9

P34~41

5

佛蘭西美術家の心靈現象(10

P37~44

6

佛蘭西美術家の心靈現象(11

アンデルナハのハインリッヒ-(戯曲)

/ウンルウ作 山口悌治訳

P47~55

P128~140

8

 

佛蘭西美術家の心靈現象(12

アンデルナハのハインリッヒ-(戯曲)

/ウンルウ作 山口悌治訳)

P43~50

P98~111

9

佛蘭西美術家の心靈現象(13

P5865

10

佛蘭西美術家の心靈現象(14)完

P32~39

12

奉仕する者の悩み(1

P45~54

昭和3

 

 

 

 

 

 

 

 

1

奉仕する者の悩み(2

P80~87

3

神異と奇蹟(傅記)/ウツドワ-ス・エツタ-(翻訳)(1) 

P54~60

6

神異と奇蹟(傅記)/ウツドワ-ス・エツタ-(翻訳)(2

或る男のカリカチュア(戯曲)山口悌治訳

P47~52

P126137

7

 

神異と奇蹟(傅記)/ウツドワ-ス・エツタ-(翻訳)(3

汝ら人生のあるうちに道を進め(詞)

P46~51 

P77~79

8

神異と奇蹟(傅記)/ウツドワ-ス・エツタ-(翻訳)(4

P47~53

9

神異と奇蹟(傅記)/ウツドワ-ス・エツタ-(翻訳)(5

P53~57

10

神異と奇蹟(翻訳)/ウツドワ-ス・エツタ-(翻訳)(6つづくと記入していますが、本文もって終稿

P6366

昭和4

6

(パウロと猶太人/フランツ・ヴエルフェル 山口悌治訳)

P8599

8

(パウロと猶太人/フランツ・ヴエルフェル 山口悌治訳)

P92110

いっそうのこと、オリンピックをボイコットして欲しい。

200123-02
200123-1

韓国とは中々、仲良くなれない国である。捏造やフェイクニュ-スなど当り前、こんな国と一緒にオリンピックなど出来ない。

 パロディで済まされない問題である。福島県など様々な人がどれ程大変かを考えたことがあるのか。中国と韓国とは付き合えない国である。そんなに放射能を云うならば、いっそうの事、オリンピックをボイコットして欲しい。

 

「聖火リレー→放射性物質運搬」バンクが公開した、東京オリンピックパロディポスター

 

サイバー外交使節団VANK2020東京オリンピックの

放射能安全性の問題の懸念を示すパロディーポスターを製作した。

VANK6日、Facebookでのポスターの写真を伝えて

2020東京オリンピックD-200成功開催のために記念ポスター3種を開発し、発表する」

と明らかにした。

VANKが公開したポスターは、有名な広告プランナー今石氏がデザインを担当した。

 聖火リレーシーンを放射性物質処理運搬場面でパロディして

「放射能安全」への警告メッセージを込めた。

ポスターの片隅には、東京オリンピックの放射能検査済み請願サイトへのリンクも表示されている。

 

VANKは「ポスターは、オリンピックの開催成功と同時に選手と観客の両方に対して

安全な放射能処理を行うように、日本オリンピック準備委員会側に

公式書簡の形式で配信する予定」とし「オリンピックイベント開幕まで継続して、

 世界中の主要な場所でも活発に配布される予定だ」と明らかにした。

また「今回の2020東京オリンピックD-200記念ポスターの配布と一緒に、

 世界最大規模の請願サイト「change.org(チェンジ・ドット・オーグ)」に

2020年の東京オリンピック放射能安全性の問題に関心を持ってほしい』と英語請願を上げた。

 国際社会に幅広い共感が形成されることを願う」と付け加えた。


「無我」となる

先日、「フトしたことの発見」ということでブログに記入致しました。現在、何とか『谷口雅春先生著作年譜一覧表』を完成させてようと、おこなっているわけですが、先日もそうでしたが、国会図書館の検索を行うために大阪市立中央図書館に訪ねて色々とデ-タ-を検索していたのです。しかし、その目的とは全く異なる、旧制市岡中学校の100年ということで発刊している『大阪府立市岡高等学校創立百周年記念誌』というものの発見でした。そこをみると年表デ-タ-が揃っていたわけなんです。『生長の家五拾年史』以降の歴史年表というのは今後発行されるかわかりません。私のような個人で探究していくのは、自分でもいうのも失礼だが、大変なんです。何が大変かというと、意外と『生長の家五拾年史』で網羅出来なかった箇所なども沢山あるわけです。

先日も書きましたが、雑誌『彗星』の発見など、その他小さな事も沢山ありました。その為に反対に『生命の實相』に記入されていることが間違い(名称や日付)などを見たこともありました。

 

私は間違い探しをしているわけでもありません、またそれを自慢したりもしたくない。

そういうことは充分に有り得ることですから、よくわかるのです。大変というのは、「何を探究するか」ということなんです。厭々、そんなこと知ってから探究しなければわからないじゃないかというのが正論です。だから途中までは大変だと思っているのです。

それが、いつの間にか解決していることが多いのです。

 

 そこが不思議なんです。あれを実施しよう。これをやろうとかではないのです。「フト」思い浮かぶのを実施しているだけです。それに「チャンス」を与える人もいます。

 

 これ違いますよ。という助言が反対に幸運を導くものではないかという、「チャンス」なのです。自分はあれをしたいとか、これをしようとかではなく、「フト」したチャンスに導かれているような気がします。

 

 『大阪府立市岡高等学校創立百周年記念誌』の発見は非常に不思議にさえ思いました。何とか「一柳安次郎」先生のことなどを書きましたが、その時にはすっかりと「旧制市岡中学校」のことなど頭にはありませんでした。これ以上網羅することもないだろうと諦めていました。

 

 その“諦め”でまた最近不思議なことがありました。『生活者』という倉田百三が主宰している雑誌なんですが、谷口雅春先生が御寄稿されたのは23冊あるわけですが、一冊だけ不明なものがありました。勿論、標記内容は「タイトル」が連載されていたので11月號の「佛蘭西美術家の心靈現象(4)」でした。

 

 そんなもの見つかるわけがないと、反対に心では見つからないと思っているのです。生長の家の精神とは異なるんじゃないかと言われそうだが、莫大な資料の一つです。不可能に近いことです。

 反対に見つかったことは奇蹟的な出来事なんです。

 

この『生活者』では欧州の心霊現象を研究されていた時期ですので、揃えてから、何れ「神示」での研究をしていこうと考えています。

最終的には「倉田百三文学館」に寄贈出来たら『生活者』で所有されていない巻号もありますので、いいのではないかというのと「国会図書館」への寄贈です。

 

 さて、その残り一冊の発見です。不思議だなと思うのです。「谷口雅春先生」との研究はフトした思いの連続でした。また「光輝燦然」として輝いている書物をフト見ると「谷口雅春先生」の御本だったとか、そんな實例があり、これを私利私欲でこれを行えば、自分には作製は不可能だと思っています。

屹度、自分に今回の書物を作成するのに「チャンス」を与えて下さったのではないかと思っています。

 

 私はこれで儲けようとか、そういう“慾”がないから集ってくるのだろうと思っています。これで変えてやろうとか野心がないので、神様が導いてくださるのだと思っています。無我となり神様と一体になることで執着がなくなり、与えて下さるものである。

 

 私の過去は野心だらけの人間でしたが、それを解きほぐしたのが「研究資料」の作成だったと思っています。その為に、「地」「智」を与えて戴いたような気がしています。国会図書館 関西館や神戸や大阪など近い、また近くに図書館が2箇所あり、地域の図書館と関西大学図書館です。研究するのにちょうどいい場所であった。また、不思議に資料が集まるということです。所有していなくても不思議に集るものなんです。去年は20か所の全国の図書館に通いました。

学問的な関心の低さを嘆く

小野泰博氏の著書『谷口雅春とその時代』に

「生長の家教団が近代日本の宗教史」に占める位置は小さくない。谷口は昭和以降の日本人の心に大きな刻印を残した人物の一人といってよい。谷口の思想や信仰に導かれて一生を送った人達は少なくない。そうでない人でも、谷口が広めるのに貢献したものごとの考え方、あるいは谷口が代表するような生き方・感じ方を説明すれば、何か身辺に思い当たる節があるのではなかろうか。

 そのように歴史上、重要な人物でありながら、谷口について論じた書物や論文はまことに微々たるものである。たとえば大本教の創始者の一人である出口王仁三郎について書かれたものと比べてみるとき、谷口に対する学問的な関心の低さはいぶかしさを通り越して、不可解である」と書いている。(解説291頁)

 

何故、「谷口雅春先生」の評価は社会的に低いのであろうか。

谷口雅春先生の御教えで「救われ」「生き甲斐」を感じ、一生の糧として生きている人も多い。

 

この関西の兵庫の住吉から発祥した「生長の家」は立教され、当時は一大センセ-ションであった。書店にも並び、新聞広告に告知され、そこからの奇蹟が続出し、瞬く間に全国を駆け巡った。

 

「谷口に対する学問的な関心の低さはいぶかしさを通り越して、不可解である」私は実にその言葉に直面し、それを21年以上前に読んだ時に情けなく、申し訳なく哀しく思った。病氣治し、学業のアップ、商売繁盛だけに満足して、自慢話のように體驗談はある。だが、真剣に「谷口雅春先生」のことを考えて、それに対する「研究」「考察」などを行われたことは、この三十年聞いたことが無い。それを行っていこうと決心したのであった。

 

 私はよく若い時代に「生長の家」について質問したことがあった。それのほぼ100%の回答は

【『生命の實相』に書いてあるでしょ。】

【もっと勉強しなさい。】

 

恥ずかしながら、この言葉は私が現在よくこのブログで発言している言葉でもある。

 

その一言で全ての問題が片付いていた。

 

私は『谷口雅春先生著作年譜』を書いたのも「いぶかしさ」という、こうした言葉があったからこそであります。「谷口雅春先生」を伝えよう、救われた人と共に伝えよう。それにはどうしようかとかを考えなければならない。

 

 しかし、谷口雅春先生はどのように生きたのか、その言葉を発すると

【あなたは『生長の家五拾年史』を讀まれたのですか?そこに記載されているでしょ!】

 

殆どがそのように回答してくる。

 だが、どうでしょうか?貴方はこれから何問か簡単な谷口雅春先生の質問を五問ほどしますので、その私の質問に応えられますか、と反問すると多くの人は質問する前に、戸惑って最早、太刀打ちできないと逃げてしまうのです。

 

 何故でしょうか?

 以前に谷口雅春先生のことを調べて、掲示板で発信すると、貴方は「マニアック」だと学ぶ会の人に云われたことがある。

 

 でも、「マニアック」「オタク的」「オタッキ-」「サブカル」とか様々な言葉で私は云われました。しかし、それなら貴方は「毎日神想觀」していますが、それなら完全に「マニア」ではありませんか?『甘露の法雨』を毎日読誦しているなら、相当のマニアックです。「マニアック」は大いに結構なことです。

 

 しかし、研究や信徒同志などで云うような言葉ではありません。ただ、私が蒐集したりしているのは「研究目的」であり、こうしたブログで発表したり「本」で発表したりしています。一人で「谷口雅春先生」の戦前本がネットで購入出来たと「ほくそ笑んでいる」ような人物には決してなりたくない。そんな人物はもはやどうしょうもない人物である。その“どうしようもない”から早く卒業して欲しい。

 

 また、その貴重な資料を複写して友人に譲渡しています。私一人で所有していては「谷口雅春先生」に申し訳ないという気持ちからです。

 

 さて、小野泰博氏は

「著者の視野はまことに広く、近代思想史を広く見渡しているだけではなく、民族宗教・神道・仏教はいうまでもなく、日本の古典文芸の世界から、さらにヨ-ロッパやアメリカの宗教史、思想史にも及んでいる。とくに、ロマン主義から現代の大衆神秘主義につながるような、神秘主義的な思想、生の哲学、無意識の心理学(力動精神医学)、癒しの大衆運動などが谷口思想の背景として的確に捉えられている。メスメリズムや催眠術のような近代「擬似」医療が宗教史とどのような接点をもつかについての着眼点などは、著者ならではの卓抜なものである。」

 
これほどの博識と大衆感覺というような宗教というのが、かつて存在したかということであります。

 「いぶかしさ」ということを感じない多くの信徒はこれから、谷口雅春先生について深く追求したり、その真理の発端というのを考えて発信して下さい。

 

 私は今後、研究資料論文に於いて「アカデミック」な作品が発表されることを待望して、そのお役に立たるなら嬉しい。

コメントありがとうございます。

本音の時代さん、コメントありがとうございます。

下記に記入させて戴きます。

 

本音の時代

私は、岡正章さんという人物の本心がわかりません。

 

岡さんは、次のような文章を書いています。

 

【中島省治、前原幸博とか安東巌などという、怨念と闘争心をもってこの世の浄化ができると空想妄想している、愚かな集団が 「生長の家本流」 と僭称しあがいているのも、妄動の極みである。】

 

私は学ぶ会の言っていること、やっていることがすべて正しいとは思いませんが、学ぶ会支部の勉強会に参加し、学ぶ誌を使って勉強させてもらっています。上記の三人が、谷口雅春先生の教えを広めているのは間違いはないのですが、なぜこのような評価をなさるのか、よくわかりません。

 

岡さんは、他にも

【神意によって法燈を継承せられた総裁・副総裁に中心帰一し、謙虚に、そして真の誇りと自信を持って、迷うことなく、明るく、人類光明化運動にひたすら勇往邁進したいと思う。】

と書いていたかと思うと

【生長の家総裁――谷口雅春の孫であるということだけで、

 

 「自分の偏見や既成概念の中を迂路チョロしていて、悟ったつもりで実際は悟っていない」

   (『神 真理を告げ給う』 p.11

 

 にも拘わらず生長の家総裁という地位につき、創始者谷口雅春が神の啓示を受けて説いた万教帰一・日本の実相の真理をくらませ、多くの幹部・信徒を路頭に迷わせて今日の昏迷を招いた、愚かな谷口雅宣には不可能なことである。】

とこき下ろすことも書く。

 

岡さんの信仰に対する考え方が、いつ、どこで、何が原因で、変わってきたのかよく分かりません。

 

私は全ての岡正章という人物を評価していません。それは何故かというと、未だに「二川守」元本部講師を批判する文章を自慢のように掲載していることです。片や「谷口雅春先生」の御著では正統な事を書いて居られる、確かに矛盾だらけである。

 

 例えてみれば、片方の手で人を蹂躙しながら、もう一方では「眞理」を発言している。ただ私を含めて、結構こういう人が多い。私は講師など拝命していないので多少は許されるのかどうかですが、それでもブログで偉そうに書いていると人に批判されそうです。

 

 また、私も「学ぶ会」には所属していません。それは私とやりとりして発言された内容が余りにも「上から目線」だからです。そして間違った発言など、本当に嫌になることばかりでした。ただ、その幹部だけですが、もっと社会というものを知って欲しいというのが感想でした。大学を出て一般社会ではなく「生長の家」教団、そして「学ぶ会」という少し特殊な職業について、講師となり教化部長となり、人に命令することばかりの人には「たぶん理解」は無理なんだと諦めています。

 

 しかし、なかには立派な人もいることも事実ですので、現在はそのような人を応援しています。

 

 さて、岡正章さんという人は個人的にも知っている人なんで、詳しいことは避けたいのですが、青年局解体から「谷口雅宣」という人物を高く評価して、多くの青年局員が辞職せざるをえない時期に自分は違った方向に向かって行った。(谷口雅宣派)勿論、已む無く教団に残らなければならない人もいましたが、それでも表立って「谷口雅宣」氏を評価したのは「岡正章」氏であった。「二川守氏への反論」を讀んでいただければわかります。

 

 それでは、どのように変遷したかというと元々「愛国者」であったことは間違いないと思います。しかし、当時は岡さんの奥さんもヤングレディ部長として活躍されていて、勝手な推測ですが、そういうジレンマというのがあったのではないかと思っています。それが「森田先生」「安東先生」への反発になったのではないかと推測しています。しかし、多少は雅宣氏への反論もあり付和雷同とした精神ではなかったと思っています。

 

 それが如実に現れたのが「地方講師の解任」でした。そこから「雅宣氏」の評価が変ったというより、今迄持っていた気持ちが現れたのだと思っています。しかし、森田先生などの反感は根が深いのでそこを解きほぐすと更に躍進されるであろうと思っています。

 

以前に書いた(2015.4.19)の「みすまるの珠」を讀んでを再掲させていただきます。

岡正章先生は『理想世界』誌の編集に携わり活躍されていたことを思い出す。

奥さんはヤングレディの責任者でした。

岡さんとも何度か話したこともあります。

 

大変温厚な感じですが、その岡先生が平成4年に 二川守氏への反論 を書かれている。

少し違和感を憶えながら読んだ。その違和感は

「二川氏の「告発」文をきっかけに、今一度尊師谷口雅春先生の「日本は侵略国ではない」とのお言葉、そして副総裁谷口雅宣先生が「侵略したのは日本」とおっしゃったことの意味をかみしめ、整理して考えてみた。それを、次に記述させていただこう。」

 

と記入しながら谷口雅春先生と谷口雅宣総裁の文章は全く相容れない文章であるにも関わらず、無理にひっつけようとするのが違和感である。

 

だからこそ下記の文章をどうみてもおかしい

「天のみこころを現し、光あまねき世界――究極の世界平和を実現すべき尊い使命を持っているのが日本であり、その日本の実相を顕現すべき生長の家の使命は重大である。この時に、「小日本」にとらわれ、言葉の表面にとらわれた妄論を吐いて、信徒や愛国の徒をまどわす言動は許されないと思う。今こそ、大いなる日本の使命実現のために、国を過まる事なきよう、神意によって法燈を継承せられた総裁・副総裁に中心帰一し、謙虚に、そして真の誇りと自信を持って、迷うことなく、明るく、人類光明化運動にひたすら勇往邁進したいと思う。」

 

総裁をヨイショするあまり思っていない文章を書いたというのが印象であります。

だからこそ岡先生も

 【質問2】 「中心帰一」について、質問させていただきます。 の文章で

 

 私は、【質問一】でも触れました平成4年の論文「二川守氏に反論す」(→こちら)の最後に、

 

 「神意によって法燈を継承せられた総裁・副総裁に中心帰一し、謙虚に、そして真の誇りと自信を持って、迷うことなく、明るく、人類光明化運動にひたすら勇往邁進したいと思う。」

 

 と書いております。が、この「総裁・副総裁に中心帰一」という言葉は、間違っていたのではないかと、疑問を感じるようになりました。

 

ここなんです。ヨイショしている文章なのですが、人に中心帰一してしまうとこういう結果にどうしても陥りやすくなる。

 

私も二川氏の本部講師を辞められてその後執筆活動をされています。そのなかで

『神国日本の復活』を読んでいても全く違和感がなく読んでいけます。それでは私と岡先生の違いとは何かを探っていくと

 

歴史観の違いがあるのではないかと思う、そう思わざるをえません。

 

だが谷口雅宣総裁の書いた

『大東亜戦争の教訓」は明らかに間違っている。

根本的な文章の作為があるからである。例えば

 

清超先生の文章を読んで「大東亜戦争」においては日本は(徹底的に)”邪”でありアメリカは”正義”を実行した国である。(その意図にはやましいものはなにもなかった)という趣旨で書かれているとうに読めてしまう。

 

ここが根本的に「大東亜戦争」が悪であるという意思表示であります。”邪”というのはヨコシマな気持ちと解釈します。左翼は「邪馬台国」という言葉が好きですが、その「や」というのが”邪”なのです。

自分はそう思っているがそれを清超先生の言葉を巧みに利用して書いている。

 

通常の感覚であれば日本の国は”邪”(よこしま)とは書かない。しかも徹底的と書いている。

これだけ読んでもいかにおかしいかがわかる。

私は今回の「生長の家総裁の公開質問」はそうした総裁の「違和感」を吐露したのであろう。

青年局を解体した総裁を持ち上げたまでは本心ではなかったと思いたい。

当時の青年会の多くは悔し涙であった、それを思うと今更何をいっているんだと感じてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歷史的假名遣いについて

日本に於いて時代はほんの少し前には歷史的假名遣ひといふのがあった。また、その時と同じくして舊字體(舊漢字)が存在した。私は今回、その漢字について、考へてみたいと思ふ。

 歷史的假名遣ひは江戸時代中期の契沖による契沖假名遣を修正・發展させ、明治から大東亞戰爭終結直後までの公文書や學校敎育において用ゐられたものです。

 

神社新報社が發行している神社新報は現代假名遣いを「文法的に考えて缺陥が多い」として現在も歷史的假名遣で發行されている。「生長の家」に於ても戰後暫くの間は「歷史的假名遣ひ及び舊字體」の使用をしてきた。

 

 最早、歷史的な流れとしてそのまま現代的假名遣いでいいのであろうか。どこまでに於て線引きすべきものであろうか。

 

 私も大きく赦している部分があることは承知している。今の時代では活字離れでその時代に沿うというのも已む得ないことであると、仕方無しに容認している。

 

 だが一點だけはどうしても、容認出來ない事がある。その時代に發行された『本』『地名』『名前』などはやはり、容認しては駄目な箇所であろう。

 

 「濱田」という名前があれば「浜田」と書いてしまうが、禮儀としては舊字體であろう。

また一番目立つのが『生命の實相』や『眞理』である。新字體で書いてしまう人があまりにも多い。現在「光明思想社」で發行されているものは「新字体」であるが、『生命の實相』の“實”だけは舊字體を保持している。しかし私は過去に出版された書物は「其の時代」の背景を考えて「舊字體」に戻すべきであろうと考へる。『無門關解釋』でもそうであろう、『優良兒を作る』『放送人生讀本』『靈界の妻は語る』とか沢山ある。

 

 先日書いた『變態心理』という雜誌は大正時代から昭和初期のものでありますが、ある一冊の表紙に『変態心理』というのがある。だが、奥付などは『變態心理』であるので、其の標記にもどすべきであろう。

 

 そんなに固いことを云ってはならぬとお叱りを受けるであらう、私は大きく譲歩してゐるつもりである。

それは『生命の實相』の黑布表紙版などを讀んでゐて、實にさう思へるのである。不思議と舊假名遣ひで讀むのがス-と這入る。


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谷口雅春先生の歩まれし旧制市岡中学校時代の年表

39.3

大阪市立春日出尋常高等小学校を首席で卒業。(14歳)

39.4.15

 

大阪市立市岡中学校に入学。中学時代『中学世界』『文章世界』等に投稿。(現在の大阪府立市岡高校)大阪市港区市岡元町2丁目12-12

  39.4.28

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

信貴山へ旅行

※国語の先生(一柳安次郎に感化されて文学の道に志すようになった。)※朝日新聞応募の大阪市歌に優勝「市岡高校校歌」「送別の歌」を作詞

  39.5.19

春季談話會を開く

 39.7.13-17

第一學期試験

  39.12.01

旅行奈良

  40.2.11

紀元節拝賀式を擧行

  40.4.08

第二年級始業式

  40.5.04

終日旅行和歌山

  40.7.17

堺大濱にて水泳訓練

 40.10.056

第一回文藝大會

 40.11.22

修学旅行生駒山

  41.4.08

第三年級始業式

  41.4.26

第六回陸上大運動會

  41.4.30

周宮内親王殿下武田宮殿下御成婚記念小運動會

  41.5.09

修学旅行京都

  41.11.11

陸軍大演習参観の爲大和生駒添上地方へ一泊旅行

  41.11.15

天皇陛下梅田驛御通過に付一同同校内に鳳車奉迎

  41.12.05

第二回文藝大會

  42.2.11

紀元節拝賀式

  42.4.08

第三年級始業式

  42.4.15

東宮殿下御東歸一同梅田驛校内にて奉送

 42.5.1115

修学旅行伊勢尾濃方面

42.10

『文章世界』10月号 「ある友へ」(葉書文)谷口正治

  42.10.4

講堂訓話

  42.10.23

修学旅行大鳥神社堺方面

  42.12

『文章世界』12月号 「女へ」(葉書文) 谷口正次

  43.2.11

紀元節拝賀式

  43.03

『文章世界』3月号 「幼き日」(葉書文)谷口正治

  43.4.08

第五年級始業式

  43.4.21

笠戸丸築港碇參觀

  43.05

『文章世界』5月号 「破れ洋服」(葉書文)谷口正治

  43.05.01

陸上大運動會

  43.05.03

五年級講堂訓話

 43.5.0815

修学旅行四国中国地方

43.07

『文章世界』7月号 「伊豫より」(葉書文)谷口秋花

43.08

『文章世界』8月号 「琴の音」(葉書文)谷口小畦

43.9.06

韓國併合記念講演

43.10.05

東宮殿下御梅田驛通過奉迎

43

中学5年生頃『維摩經』を読む(18歳)

43.11.12

天皇陛下三備地方大演習行幸往西鳳車奉迎

43.12.06

第五年級講堂訓話

44.1.09

始業式、有賀博士の講話

44.1.15

井上哲博士の講話(今宮中学にて)

44.02

『文章世界』2月号 「ラムプの下」(散文)谷口赤秋

44.02

『文章世界』2月号 「成績表」(散文)谷口赤秋

 

 

 

 

 

 

 

小学校

【「誰がお前のやうな子供を拵へた!何もそない不具な子を生んだ覚えはないぞ。不合格とは何ぞい!」

父の酔った顔がランプに照って怕(おそ)ろしかった。私は声をたてて泣いた。恐ろしい報いが来るやうな気がして心苦しかった。「こら啼くちう事があるか!男は首が飛んでも泣くもんじゃない。―喧しい。泣くなら門へ出ろ!」

母が何とか言って呉れさうなものだと、頭を上げて見た。瞼に溜った泪に灯が明るく映った。母は何とも言はなかった。そこには成績表が散らばって、杯が転がってゐた】

  44.2.11

紀元節拝賀式

44.3.24

大阪市立市岡中学校を卒業。(19歳)

 

創立当時の市岡付近はどのような環境であったかというと、都築宗治氏(初代校医国漢・博物担当)は

「車をやとうて市岡へ走らせた。花園橋から尻無川を沿うてかなり下った所で人に市岡中学を尋ねるに、誰も知ってる者がない。一体市岡とはどの辺かときくと、へい私も十分に存じませんが、たしかこの辺かと思います。市岡西瓜と云うて西瓜のでける(出来る)所だす。もしもしそこのねえはん(姉さん)西瓜のでける市岡はどこだった、と云う始末。とうとう今の境川の近辺へ出た。

半出來の運河の土手を直角に、今の築港道路がようよう境川橋(無論まだ橋はなかった)南詰から学校の前まで出来ていた。その道路にはトロッコのレールが何本もあり、その間には犬子草(えのこぐさ)や鉄道草(別名ヒメムカシヨモギ)多く、雑草が牧場のように茂っている。

あれが学校と聞いた時には自分も驚けば車夫も驚く。大阪は賑やかな所時きいていたがこれは恐しく草原の一軒家だねと云えば、此家なら安治川からも見えてます。こりゃどこかの會社の製造所かと思いましたところ車夫も相槌を打つ。…」

 

尻無川は市岡尋常中学校の南側で現在の京セラドームの南側で東西に流れている川です。安治川は大阪中央市場の南側に流れている川です。

 

 蘆分尋常初等小学校の南側に冨島渡し船(安治川)から南に渡り、安治川沿いに歩き、途中境川運河というのがあって、南北に流れている川がありました。それが境川です。現在は町名で残っています。そこに玉船橋があって、それを渡ってそれが運河の土手です。そこから運河から直角にトロッコがあり、それに沿って市岡尋常中学校に通われたのだと思います。(ほぼ間違いないと思います)

 

 

 

 

雜觀

 岡正章元講師が下記のように記述していたことを思い出した。

 

雅宣総裁は、「悪はない」 という絶対善の唯神実相から出発せず、「悪がある、不完全がある」という 「現象」 から出発して、現象改変を目的とした運動をしている。それは 「メタフィジカル・ヒーリング」 による神の運動ではなく、人間の頭脳知による運動に引きずり下ろしてしまったのである。

 

  『生命の實相』 の著作権を谷口雅春先生から譲渡されていた公益財団法人生長の家社会事業団は、長年にわたって『生命の實相』 のリニューアル版発行を提言してきたが、総裁の意向によりそれが容れられなかったので、日本教文社に与えていた独占出版権を引き揚げて光明思想社という別の出版社から出版させることにした。

 

  その経緯はいろいろあるにしても、配下の日本教文社が『生命の實相』 (聖経を含む) の出版権を失った根本原因は、総裁が 『生命の實相』 を軽んじたことにあるのではないか。

 

  にも拘わらず、社会事業団を悪者に仕立て、裁判沙汰にして法廷闘争に持ち込み、誰も得をしない泥沼の10年戦争を続けている。

 

  「万教包容」 どころではない、身近な同志すらも包容することができず、排除敵対抗争をつづけていて、何処に「大調和」 を掲げる生長の家があるのか。

 

  その結果、救済力を失った生長の家教団は衰退の一途を辿っている。

 

  出発点が、間違っていたのである。

 

  神から出発せず、現象から出発していた。

 

  神は、愛である。愛は、神である。

 

  愛と赦しから出発し直さなければ、もはや生長の家はないのである。

 

 だからと云っても「現在の似非教団生長の家」を信仰して拝んでいる人も沢山いるのです。少し勉強すればおかしな点もわかるのであるが、それを理解しようとしていないから、間違いが分らないでいるのです。また、真剣に勉強もしていないから、「自転車に乗れ」と言われれば「乗って」しまうのです。現在の信徒の皆さんは「谷口雅春先生」の信仰を知らずに総裁が邪道に導いていても、それが邪の信仰だと知らないで、それを恥とも思っていない。何故そのようになったかというと、勉強していないからという一語に尽きます。

 

 今後、本を出版すれば、少しゆっくりしてから『生長の家の神示』を勉強していきたいと思っています。

 

 本当に時間のかかることですが、いろいろな先生に御指導を戴きながら、更に歴史的背景とその神示にしめされている、本来の意味を「ブログ」に書いていきたい。

昨年から続けているランニングについて

19日の日に今年になって初めての長距離のランニングとトレイルに出掛けた。正月では片付けばかりで、身体が鈍っている。そこで、ランを20km、トレイルを25kmと計画した。昨年末からランニングを中心に体感を鍛えている。出来れば、昨年に途中断念した六甲全山縦走である。そこまで10時間を切れるように体力を付けておきたい。

 しかし、9日はその総距離45kmのランニングは失敗に終った。(総距離35kmで断念)

今回は途中までは順調であったが、山から下りのロ-ド7kmを一気に駆け下った。これは下りで膝などを鍛える爲に少しスピ-ドを優先に駆け下る。膝の負担は体重の10倍の過重がかかってくる。六甲最高峰からロ-ドで思い切り下るのと似ているがあそこは20kmと長距離である。いつもそうだが、それをすると一気に平坦でスピ-ドが落ちる。

 

年末に奈良迄行く途中の暗がり峠で膝の痛みがあったのを、反対に負荷をかけて鍛えることにした。だが、今回はそこを下ってまでは良かったが、昼食を摂らないでそのまま次の山へ挑戦したのが悪かった。低山であるにも関わらず、脚が動かない。通常、駅から山頂まで30分もかからない登行が1時間を超えた。これは駄目だ。山頂でたっぷり休憩して、後戻りすることにした。

もう身体が動かない、空腹と脱力感が蔽った。ゆっくり食事して帰宅した。昨日も25kmのランニングをしたが疲れが出た。昨年末の一日おきに25kmランニングを平気でしていたが、今回は違った。また少し休息日を設けて、ランニングを再開することにしている。10km位ならば明日からでも出来そうである。ことしになってから、スピ-ドを重視して走行するようにしている。まだ1時間で10kmであるが、徐々に1時間を50分に短縮していきたい。昨年11月から走るようになったが、距離5kmまでは時速5km/h走行を維持出来るようになった。かなり疲れるが、なんとかそこまで伸ばせるようになった。それでもフルマラソンでは5時間を切れる自信がある程度である。これから4時間を切れるように持って行きたい。

 

長期走らないと、元の走れる身体にするために大変である。六箇月休むと、それまでの体力を戻せるのに半年はかかる。あと三箇月、元の体力に戻して行きたい。今後登りを走行するとか、階段登りにも力を入れて行きたい。

葉公

下記は北尾巳代次先生の『神様が見てござる』からの文章です。

10編  葉公と共産党

 

  田中忠雄先生の文章の中に、こんな話があります。昔シナに葉公(ようこう)という男がありまして、竜が好きで、沢山な竜の置物や掛図を並べて、朝から晩まで。それを眺めて悦んでいたのです。すると天上にいる本物の竜がそれを観て、彼奴はよほど、俺が好きと見える。それなら、俺の本当の姿を見せてやれば、きっと咽喉を鳴らして喜ぶであろうと、ある日天上から降りて来たのであります。

 

しかし何せ、本物の竜が降りて来たのですから一大雷鳴と暴風の吹き荒れる中を、ガラガラピシャンと、葉公の庭さきに、その姿を現わしたのであります。葉公はもう恐くて恐くて身体をブルブル顫わせて、終いに気絶してしまった。というのであります。

 

  今、日本人は戦後の誤った教育の結果、自己の責任を自覚することなく、自民党の失政を口実にして、共産党に投票ささえすれば、自分の給料は2倍にも3倍にも上り、物価は、そのままか、あるいは半分位に引き下げられ、税金は松下幸之助一人が払ってくれ、国防費は全部福祉に振り替えられるなんて、まるで3歳の童子すら考えられぬ思考で行動をしている人間が余りにも多いのであります。

 

 彼等は竜のオモチャを見て喜んでいた葉公と同じで、共産党の実体を識らず、ただ表面のよい言葉に惑わされて、この平和な世界一恵まれた日本の国土を、あのソ連のノーベル文学賞を受賞したソルジェニ―ツインの書いている「収容所列島」に売り渡たそうとしているのであります。

 

  共産党が如何に美辞麗句を並べようが、共産党政治がいかに残忍であり、恐怖すべきものであるかは、このソルジェニーチインの文によって明らかであります。ソ連が彼を殺さなかったのは、彼が世界的な文学者であり、全世界の世論に屈したからなのです。

 

  皆さんの記憶にあると思いますが、中共では最近、今日の中共を築き上げた恩人の林彪を処刑しましたですね。彼は毛沢東の政治を批判し秘かに、ソ連に逃れようとしたそうですが、その時間や場所を密告して、政府に捕えしめたのは、林彪の実の娘であった事が明らかにされて彼女もまた、その同志によって殺されてしまいました。この様に、親子、兄弟が互いに密告によって殺し合うような政治の実体を皆様に想像できますか。共産党の恐怖政治の一端をのぞかせたものでありまして、この世界では人間を信ずる心が失われてしまうのです。

 

 現在の日本でも人間と人間とが互いに憎しみ合い、傷つけ合う世界に転落しつつありますが、共産党の治下にあっては、もはやこんなものの比ではないのです。私たちは葉公のように本物の共産党の政治を経験して目を回す前に、お互いに自己の責任を自覚して、真の政治家を選ぼうじゃありませんか。

 

子路第十三 18 葉公語孔子章

葉公語孔子曰。吾黨有直躬者。其父攘羊。而子證之。孔子曰。吾黨之直者異於是。父爲子隱。子爲父隱。直在其中矣。

◎葉公が得意らしく先師に話した。――

「私の地方に、感心な正直者がおりまして、その男の父が、どこからか羊が迷いこんで来たのを、そのまま自分のものにしていましたところ、かくさずそのあかしを立てたのでございます」

すると、先師がいわれた。――

「私の地方の正直者は、それとは全く趣がちがっております。父は子のためにその罪をかくしてやりますし、子は父のためにその罪をかくしてやるのでございます。私は、そういうところにこそ、人間のほんとうの正直さというものがあるのではないかと存じます」(下村湖人『現代訳論語』)

 

 谷口雅春先生は日中国交回復の時はその当時の政府にどれほどの批判をされたか、御存知の方は少ない。(『やまと新聞』から抜粋)

昭和4738

「農民の愛郷心を利用する革命戦略」今や自民党分裂崩壊の危機迫る。天皇を最大の戦犯者として告発する如き言辞を弄する中共政府に自民党の代議士が三拝九拝して賛辞を呈して朝貢し、僅かの貿易による物質的利益を得んとするに汲々たるも、かくの如き代議士を除名する勇気も無く、一方に於いて紅毛碧眼の外人の航空機乗り入れに便ならしめるために、国土を愛する農民から土地を召し上げるために血を流す暴挙に出て農民の自民党への信頼を失いつつある。

 

昭和47322

「中国と称する不思議な国」愛知外務大臣は「中国と日本とはまだ交戦中だと中共政府は考えている」と国会で答弁したが、“中国”とは果して何処の国のことであるか。“中国”と国号をつけた国は漠然とした抽象国であって実際には存在しない。日本が戦争したのは蒋介石政権の中華民国である。戦争終了後四年二か月後に建国された中華人民共和国と日本とが交戦中である筈はないから、中華人民共和国と講和条約を結ぶなどということは凡そナンセンスである。未だ国交したことなき新興国であるから国交回復というべきではなく国交開始というべきである。

 

昭和47426

「湯槽に浸りながらふと想う」ちかごろ八十歳を二、三年超えた親しい人が次から次へと病気もなく他界して行かれるので私は淋しい気がするのである。なんとか長寿の道を知らしてあげたいと思うけれども、現代の世界は公害に満ちているのである。よもや、そんな事を思うと却ってこの世界から旅立って行く人の方が羨ましい気さえする時がある。

 

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