則天去私

「谷口雅春」先生の生涯も綴っていきます。

2019年12月

讀んで戴ければ幸甚です。

メガソ-ラによる自然崩壊

以前にこのブログに語ったことですが、トレイルするために加古川に行ってきました。播磨アルプスから小野アルプスを目指していた時に、志方の城山という低山ですが、其処を登る計画で登山道口で思わぬ光景に驚きました。山の南側斜面がソ-ラ-パネルに埋め尽くされている。自然破壊も甚だしいことに愕然としたものです。その敷地には草も樹木も生えない草原地帯である。ちょうど奈良で若草山を見た時に少し似ている。だが若草山は樹木は生えていないが、草は芽生えている。その為に野焼きも行っている。

 

だが、ソ-ラ-パネルの設置の爲にそこにいる筈の昆虫や食物等が居場所がなくなってくるのです。それがどんなに酷い状況か見て頂ければわかるはずです。

 

とりわけて酷いのは、北杜市です。

http://www.gepr.org/ja/contents/20150706-01/

 

 

現在、そうしたソーラ-パネルの問題として

① 自然景観の破壊

② メガソ-ラによる山の尾根への破壊(メガソ-ラ)

メガソーラーとは?

③ 樹木の伐採による、水害などを引き起こす要因となる。(斜面崩壊)

 

簡単にいうと森林を伐採して大規模なソーラーパネル発電機を設置する

 というものです。

 

これにより手付かずの自然がどんどん破壊されているようです。

 

https://enechange.jp/articles/mega-solar#i-6

自治体では条例による規制をしているところがありますが、まだ規制が追いついていないのが実情です。

高田泰(政治ジャーナリスト)より抜粋

栃木県日光市   市民団体が反対署名6,931人分を市議会に提出

三重県志摩市   地元住民 漁協が中止を求める要望書

高知県土佐清水市 大岐地区の新設計画で住民が市へ指導要望

鹿児島県霧島市  17団体と個人が施設建設への不同意書を県に提出

京都府南山城村  メガソーラー建設に地元自治会が反対

栃木県鹿沼市   市民団体が市へ建設差し止めを求める署名提出

岡山県岡山市   市内の山林で浮上した整備計画に住民が反対の声

長野県飯田市  風越山での整備計画に住民が中止要望書を市に提出

静岡県伊東市  八幡野地区の設置計画に市議会が反対決議

香川県土庄町  豊島で地元住民が反対運動

滋賀県高島市  メガソーラー建設反対の署名を住民が市に提出

福岡県飯塚市  白旗山の計画に対し、住民が反対署名を市に提出

垂仁天皇陵

昨日は久しぶりに歩いた、大阪マラソンから走るようにしているが、身体はガタガタの状態は抜けきらない。年をとったのかと感じてしまう。だが、ほんの2年前には相当厳しいことを行っても大丈夫だった。昨日は56km歩いたが、目標からはほど遠い。

ただ、まだ歩ける気持ちがあったが、今後の目標とした。その要因は、登り坂で右側のヒザに少し痛みがあったので、無理はしなかった。

それでも、今日は全く痛みはどこもない。痛みは徐々に筋力を付けることで治していきたい。さて、昨日は朝早く出発して玉造稲荷神社に行った、約14kmであるが、此処までは登り坂もなく、順調であった。それからゆっくりとジョギングを行いながら、暗越街道を通り、暗峠の坂道を「枚岡神社」のル-トから行くことにした。その後赤い橋の所で国道308号線を歩くことにした。それは、トレイルの道が崩壊しているからである。それと歩いている途中で右膝に違和感があったからである。

 

そこで、途中の尼ヶ辻で「垂仁天皇陵」の参拝をしたいと思ったからである。私の天皇陵で一番好きな場所で何回か来ている。陪冢が御陵の周囲に均等にある。順番を間違えると、大変な距離を歩くことになる。田んぼの畦道を歩くことが多かった。
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右近の橘
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左近の櫻
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垂仁天皇
菅原伏見東陵
湟内陪冢 伝田道間守墓
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田道間守の墓
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中央の右側に石碑がありますが、そこに「菓祖神 田道間守命御塚拝所」と書いています。

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手入れが出来ていないので、鳥居が木々や草で覆われてしまっている。
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奥に遥拝所の鳥居があります。
手前に小さな島がありますが、田道間守の墓です。また、物語については後日書きますが、今回は違った方向からも寫眞撮影させていただきます。
御陵の横に
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大和橘の木です。
田道間守が常世から持ち帰ったとする大和橘です。
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垂仁天皇御陵飛地い号
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皇大神社境内内に陪冢があります。
垂仁天皇陵飛地ろ号
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垂仁天皇陵飛地は号
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垂仁天皇陵飛地に号
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垂仁天皇陵飛地ほ号
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垂仁天皇陵飛地へ号
へ号は奥行が長く驚いた。以前はそこまで考えていなかった。

文部省唱歌・田道間守の歌

 

 

 

 

1 香りも高い橘を

 

  積んだお船が今帰る

 

  君の仰せをかしこみて

 

  万里の海をまっしぐら

 

  今帰る 田道間守 田道間守

 

2 おはさぬ君のみささぎに

 

  泣いて帰らぬ真心よ

 

  遠い国から積んで来た

 

  花橘の香と共に

 

  名は香る 田道間守 田道間守

https://www.youtube.com/watch?v=38RkQc2Hm14



枚岡神社で素晴らしいこと


先日、《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》で「笑い神事」の件で書かれていましたが、枚岡神社はふとん太鼓で有名な神社です。以前に勤めていた会社である一人が「枚岡神社」の付近に住んでいたのですが、その時は会社を休んで行事に参加します。IMG_3585

https://www.youtube.com/watch?v=WUz5eWHKCuA

 

この付近は大阪では中河内です。河内地区は全体的に神輿行事が盛んな地域で以前に四条畷付近(北河内)でも勇壮な神輿が出ていました。南河内は河内音頭で有名な八尾市とかがあります。

 
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 さて、「笑いの神事」は有名な事で、その夜には「天の岩戸開き神事」を今年から開催されるようになったようです。

 そんな枚岡神社は幾度となく横の道を車で通ったり、全国的に有名な「308号線」の国道があり、その有名な国道は「酷道」ともよばれ、急斜面です。そこも何回か脚を鍛えるために通りました。本来は暗峠奈良街道ともよばれており、私達は単に暗峠(くらがりとおげ)と讀んでゐました。随分昔に車で通ったときに、大変だった思い出がありました。現在以上に道幅が狭く、対向車が来たときは悩むほどでした。少しだけ広くなっていましたが、その急坂は一度歩いたらわかります。

 

日時:20191223 () 2105

名前:下総の野人

大阪府東大阪市の枚岡神社で通称「お笑い神事」という祭儀が行われたそうです。天岩戸隠れの神話に由来するとか。

 

谷口雅春先生のみ教えを受けた私たちにとって「笑い」の行事は身近ですが、古くからの伝統行事にもあるんですね。興味深く思ったことでした。

 

「かけだし鬼女の今が日本の一大事! ~よければ一緒に凸しよう!~」から抜粋致します。

子供だった昭和40年代(1965~1974)自宅玄関の壁には国旗立て金具が付いていた。

 国民の祝日にはそこに国旗(日の丸)が立てられた。隣近所も大抵国旗を玄関に立てていた。

 今ではあまり見かけない。そんな中、大阪府東大阪市の枚岡神社が昨年の東日本大震災後、

 「祝日に国旗を掲げましょう」という活動を始め、氏子地域の東大阪市松原自治会では約150軒が

祝日に国旗を掲げる。枚岡神社の中東弘(なかひがし・ひろし)宮司(71)は

「せめて祝日には国旗を掲げ、日本の歴史と文化を見つめ直していただきたい。

それが日本人の絆にもなる」と話している。

 国旗掲揚活動のきっかけは昨年3月11日発生の東日本大震災だった。

たまたま中東宮司は所用で上京していた。地震発生後、電車は全線不通となり、

いつ来るのかわからないタクシー乗り場も長蛇の列ができていた。

 寒風の中、ひたすらさまよい歩き、なんとかホテルを探し当てた。

 何度も余震が続く中、ホテルのテレビには、津波によって家屋や車がまるで玩具のように壊れ、

 流されていく姿が繰り返し映し出され、絶句した。

 「被災した方には申し訳ないが、震災を通じてある“気付き”をした。いかに日本人が傲慢になっていたか。

 自然に対していかに無力であるか」反省のいい機会だったと中東宮司は振り返る。

そして、震災を通じてのもう一つの反省が「国を思う」ということ。

 祝日に国旗を掲げる家などほとんどない現状。

 「この国難を乗り越え、復興するには、日本人の心を一つにすることができる国旗掲揚が必要だ」

という考えに至ったという。

 地元・松原自治会が呼応

 中東宮司の国旗掲揚の呼びかけに応じたのは氏子総代の一人、松原功典さん(79)だった。

 松原さんは昨年10月中旬、松原自治会(約450世帯)の役員会で国旗掲揚を提案した。

 役員からは「大賛成」「掲げるべきだ」という前向きな意見が相次ぎ「やろう」ということになった。

 松原自治会は近鉄花園ラグビー場北側の旧伊勢街道沿いで、松原さんは自治会員宅を一軒一軒回り、

 理解を求めた。そして、初めての祝日となった昨年11月3日の「文化の日」多くの国旗が玄関前に掲げられた。

 今では自治会員宅約150軒が祝日に国旗を掲げるまでになったという。

 「若い世帯も多く、国旗掲揚に問題がないわけではない。しかし、今後も理解を求め、

 半分ぐらいの自治会員の家に国旗が掲げられるようにしたい」と松原さんは話す。

 高まる掲揚の機運

 国旗掲揚の動きは松原自治会にとどまっていない。

 「祝日に国旗を掲げようという機運が高まり、近隣の自治会にもどんどん広がっている」

 松原さんはいう。祝日には各家の玄関前に国旗が掲げられ、町中に日の丸がはためく。

 40年ほど前には当たり前だったそんな風景を再び目にすることができるのだろうか。

 「松原地区はもともと歴史のある町。誇りある日本の国づくりを再び松原地区から日本中に広げていきたい」

と松原さんは意気込んでいる。

 「来年を境に世の中はいい方向に進む。日本人の心の転換期にもなる。

その流れに乗って多くの人が国を思い、国旗掲揚も広がりをみせるに違いない」中東宮司も期待している。

 

国旗「日の丸」について(国旗制定記念日の栞より)

  わたしたち日本人の生活は、自然に対し畏敬の念と感謝の気持ちを抱きながら、自然と共に生きる努力をしてきました。そして、人間のみならず、万物を育み生成する太陽(日)の光を敬愛する気持ちは、なお一層のものがあったと思われます。わたくしたちの国旗、「日の丸」は、この明るく輝き昇る太陽をかたちどったものであります。

  『続日本紀』という古い書物に、「日象」(日像)の文字がすでにみえ〔大宝元年(701年)〕、その後、歴代天皇、諸国大名によって太陽をかたちどった旗が盛んに用いられてきました。外国との接渉がさかんになる江戸末期から国旗としての性格が明瞭に意識され、安政元年(1854年)には「日の丸」が日本総船印として江戸幕府より各大名に布告されました。また万延元年(1860年)には、勝海舟を艦長とする咸臨丸により初めて「日の丸」が海を渡り、そのアメリカにおいても「旭章旗」(日の丸)によって日本の遣米使節団を歓迎し、その時交わされた条約の批准書交換式後、記念に双方から「国旗」の交換がおこなわれました。

  明治の御代になり日本は世界の仲間に入る新しい時代を迎え、明治3年(1870年)1月27日、「日の丸」の旗は日本の国旗として定められ、世界の国々からも認められるようになりました。

  日出ずる国― 古くから日本の姿をこう呼んでいました。そのように朝日が輝き昇る朱赤(国民の熱誠と国家のエネルギー)の姿を白地(正義・平和・純潔・中正・不偏)の中央に表したものが「日の丸」であります。また、日本人が古へより尊んできた「和」の精神、始まりも終わりもない円満・平和をあらわし、大自然の摂理のように道理に円く融けあった生活を目標とした日本人の心の表象であるといえましょう。

  わたくしたちの国旗「日の丸」はこのように長い間つちかわれてきた民族の思想と歴史からできあがったのです。

  そして世界のどの国にも国旗があり、その国の思想や伝統的な文化、民族の使命等が托され表現されています。自分の国の国旗を大切にするとともに他の国々の国旗も心から尊重し、国際理解と協調共存につとめましょう。

 

 

 国旗授与しています。ご希望の方は神社社務所までお申し出下さい。

 国旗セット…1,600円(1セット)です。

 

https://www.sankei.com/life/news/130127/lif1301270032-n1.html

『生命の實相』の黑布表紙版(初版)と新修普及版での比較とは

日野君からコメントを戴きました。有難うございます。

1. 日野智貴

 2019122818:28

 「すめろぎに帰一する道」が消えていたこととか、天皇が神に置き換えられたこととかは知っていましたが、調査にそれだけ時間がかかるとは、そんなに細かいところまでだったんですね。

 

 辛くなります。

 

どのような違いがあるのか、すいませんが少しだけですが披瀝させて戴きます。

 どのように行っているか、御理解していただきたい。jituha
私もこれほど変更していることは知りませんでした。


 

『生命の實相』の戦前版と戦後版の比較

㊟『生命の實相』の黑布表紙版(初版)と新修普及版での比較とさせていただきます。なお、黑布表紙版につきましては初版を底本とします。字は小さくなりますが、お許しください。

全集第一巻『總説篇・實相篇』

生命の實相 新修版 第一巻  總説篇・實相篇

頁数

行数

 

頁数

行数

 

 

 

「默示錄」第一章,十二節-十八節

 

 

「默示錄」第一章,十二節-二十節

 

 

 

 

 

『七つの燈臺の點燈者』の神示

 

 

目次

 

 

目次

 

 

 

 

 

新修第一巻に序す/1

 

 

はしがき / 4

 

 

初版序文/8

 

 

『七つの燈臺の點燈者』の神示 / 6

大調和の神示

完成の燈臺の神示

生長の家の食事

(注)神示名は全てなし

 

 

神示なし

 

 

 

七つの光明宣言 / 1-40

 

 

七つの光明宣言

 

 

七つの光明宣言

 

 

七つの光明宣言

 

 

「七つの光明宣言」の解 / 3

 

 

「七つの光明宣言」の解 / 3

 

 

(一)吾等は宗派を超越し生命を禮拜し生命の法則に隨淳して生活せんことを期す。/3

 

 

(一)吾等は宗派を超越し生命を禮拜し生命の法則に隨淳して生活せんことを期す。/4

 

 

(二)吾等は生命顯現の法則を無限生長の道なりと信じ個人に宿る生命も不死なりと信ず。/5

 

 

(二)吾等は生命顯現の法則を無限生長の道なりと信じ個人に宿る生命も不死なりと信ず。/5

 

 

(三)吾等は人類が無限生長の眞道を歩まんが爲に生命の創化の法則を研究發表す。/10

 

 

(三)吾等は人類が無限生長の眞道を歩まんが爲に生命の創化の法則を研究發表す。/10

 

 

生長の家と私/13

 

 

生長の家と私/14

14

9

『生長の家の歌』( )は無し

15

1

『生長の家の歌』(後註、現在の『甘露の法雨』)

15

8

ないのである。(雅春)

16

1

ないのである。

17

2

お働きになられた。(十二月三十日神示)

 

17

9

お働きになられた。㊟神示という言葉がなくなっている。

 

 

(四)吾等は生命の糧は愛にして、祈りと愛語と讃嘆とは愛を實現する言葉の創化力なりと信ず。/17

 

 

(四)吾等は生命の糧は愛にして、祈りと愛語と讃嘆とは愛を實現する言葉の創化力なりと信ず。/18

18

13

日本神ながら

19

6

日本惟神

21

3

盗み(2か所)

21

10

盗(2か所)

21

8

盗み

22

1

21

12

舊貴族議員根津嘉一郎氏の實話によりますと、

22

5

舊貴族議員なりし根津嘉一郎氏の實話によれば、

 

 

 

 

 

 

(五)吾等は神の子として無限の可能性を内に包有し言葉の創化力を驅使して、大自在の境に達し得ることを信ず。/22

 

 

 

 

 

 

(五)吾等は神の子として無限の可能性を内に包有し言葉の創化力を驅使して、大自在の境に達し得ることを信ず。/23

23

14

『よろづのもの

24

7

『萬の物

 

 

 

 

 

 

(六)吾等は善き言葉の創化力にて人類の運命を改善せんがために善き言葉の雜誌『生長の家』及び聖典を結集して發行す。/24

 

 

 

 

 

 

(六)吾等は善き言葉の創化力にて人類の運命を改善せんが爲に、善き言葉の雜誌『生長の家』及び聖典を結集して發行す。/25

24

3

なってくる

25

9

なって來る

25

2

意のまゝ

25

5

意の儘

27

9

人はパンのみにて生くるにあらず

28

3

人の生くるはパンのみに由るにあらず

29

1

食事をとる

29

9

食事を攝る

30

5

此全集

30

13

此の全集

30

14

本全集

31

8

此全集

31

5

月に三雜誌『生長の家』『生命の藝術』『生命の敎育』

31

13

月に五雜誌『生長の家』『精神科學』『生長する靑年』『光の泉』『白鳩』

 

 

(七)吾等は正しき人生觀と正しき生活法と正しき敎育法とにより病苦その他一切の人生苦を克服し相愛協力の天國を地上に建設せんが爲に實際運動を起す。/33

 

 

 

 

 

 

 

 

(七)吾等は正しき人生觀と正しき生活法と正しき敎育法とにより病苦その他一切の人生苦を克服し相愛協力の天國を地上に建設せんが爲に實際運動を起す。/33

 

 


本との出会い

現在の新編『生命の實相』でもそうであるが、頭注版『生命の實相』、愛蔵版『生命の實相』でも同じであるが、戦前とは細かく変更されていることを知っている人は少ない。戦後GHQ占領期間に発行された『生命の實相』はGHQの検閲を免れるために、言葉を少しづつ変更をしている。だが、多くは『生命の實相』神道篇ばかりが目立つが、それ以外にも沢山あることを是非とも知っていただきたい。ただ、本当に時間の掛かる事で100頁進むのに3日はかかるのです。

上下に黑布版『生命の實相』と新修普及版『生命の實相』を上下に並べて、指を準えてみていく。変更があれば『パソコン』に打ち込むという地道な作業である。目が二重に重なってどちらを見ているのかわからなくなる。年のせいにはしたくはないが、想像以上に大変である。「谷口雅春先生」は戦後そうした検閲を逃れるために言葉を変えていく、そのような苦労を想うとどうしようもない位、なにかしら叫びたくなる。

 

戦前の黑布表紙版『生命の實相』も全部ではないがなんとか目途もたち、作業を進めている。だが、そんな事に興味もなく『生命の實相』を讀もうというのは、有難さが少ない。

西行法師の

「何事のおはしますかを知らねども有難さにぞ涙こぼるる」

 

“亀の子”さんが書いている。同じような気持である。

 前回、『生命の實相』の「削除濟」の写真を紹介したが、見ている内に涙が溢れそうになった。谷口雅春先生におかれては、どのようなお気持ちだっただろうかと思った時に溢れた涙であった。書きたくても書けない、言いたくても言えない、そのような辛い思いは、いかばかりだったのであろうか。“『生命の實相』を求めて”の続きを書こうとの思いがすぐには書けなくなってしまった。

 

何か月前から、戦前の内務省警保局の所謂「検閲」をどうしても纏めておこうとあっちこっちと調べたが、「淫祠邪教」については参考資料が少ない、中途半端になっていた。

 

何をどのように調べていいのか、わからない。困って思案もなく途方にくれていた。

第一段階を昭和10年とするとそれ以降の時代背景が理解出来ていない。

戦前の黑布表紙版『生命の實相』の異同を調査するために、大阪商業大学図書館に行った時に、谷口雅春先生の色々な戦前の『谷口雅春著作集』というのが6冊程、棚に並んでいた。その横に奇蹟というべき資料の発見というのがあった。

それが前にこのブログで発表した『新興類似宗教批判』である。これで、第二段階の昭和10年から14年までの社会状況を把握出来た。勿論、多少は理解していたが、資料が少なかったので、「生長の家」教化団体の時代に類似宗教と呼ばれて残念ながら一部の人に批判を受けていたことも事実である。その批判というのが時代を追って説明が出来る。

 

次に「昭和14年~昭和18年」頃の第三段階の「宗教結社」としての「生長の家」である。これを把握出来ないと、検閲というのが解らない。

 

或る方から資料の依頼があった。それが『新宗教とエスノセントリズム―生長の家の日本中心主義の変遷をめぐって―』寺田喜朗著 この本は東洋学研究所発行の本である。

調べると自宅の近くにある「関西大学」が全巻を所有している。そこで関西大学図書館でそれを複写して調べていると同じ45号に『信教自由に対する宗敎団体法施行の影響』小島伸之著(上越教育大学教授)があった。宗教団体法における取締の数字など書き込みがされていた。参照するには時期も内容も奇蹟的な出会いである。

 

最近は嫌な事もあったが、自分がそんな顔をしていたら笑われる。「亀の子」さんを見習わなければならない。

「神様は見て居られる」

 最近あまりいい話を聞かない。聞きたくない話が多い。

人間というのは、「慾」が出てしまうと当初、それは駄目であるということが、次第に此れ位は大丈夫だと自分で勝手に判断して、独断にて行ってしまう。そこに自我があり、「神の御心」とは程遠い。しかし、意外と“ベテラン”と呼ばれる講師や“人気の或る講師”に多いことが見受けられる。

 

 徳久克巳先生のように『生命の實相』を毎日読むように努力されている講師など現在は少ない。初心に帰るとは簡単な言葉であるが、それがなかなか出来ない。人間は“慾”の動物である。生活を擲って、先の事を考えないで「神の御心」を生きるような人は少ない。

其の人に生活というのがある。というのは現象的な言葉なのかも知れない。

或る方がおしゃっていた。

 「学ぶ会」の現在の講師でもその数か月前までは、生長の家教団の本部講師を拝命していたのが、数か月で「学ぶ会」の講師となっている。変わり身の早さに驚く。しかし、本当にそんな信仰でいいのかである。「神様は見て居られる」と昔はよく云ったものである。他人や自分は例え納得していても、神様はちゃんと見て居られるのです。そんな「真っ正直」な生き方は出来ないが、それを志して生きたい。

宗敎團體法施行後の影響 -②

  2)事象公債購入を利用する終身誌友募集行為

生長の家本部に在りては機関紙たる「生長の家」本年4月号誌上(台十二輯第六号91頁「近況通信」欄)別記の如き記事を掲載し終身誌友を募集するところありたるが、右は国策順応の美名に隠れる巧妙なる時局利用の教勢維持拡充策なること判明し、時局下適当ならざる行為なりしを以て、426日警視庁当局に於いて責任者を招致し、募集行為取止め方指示し、請書を徴する所ありたり。

然るに谷口は同誌六月号誌上に右計画取止記事を掲載するに当たり、前叙募集行為が世人の誤解を受け之に関する投書多くして警視庁当局に於いて之が応接に悩まさるる為、取止め方指示あり、之に従いたるものの如く事実を歪曲して誌友に通告する等極めて狡猾なる態度を示し居れり。

 

上記以外にも沢山の検挙される事例があったが一部省略させていただきました。

 

② 不正行為検挙取締状況調査票

そこで当時の状況を把握するために『社会運動の状況』宗敎犯罪其の他不正行為検挙取締状況調査票を纏めた

『信教自由に対する宗敎団体法施行の影響』小島伸之著(上越教育大学教授)から抜粋させていただきます。

 

14

15

16

17

治安維持法違反

不敬

詐欺恐喝罪

猥褻強姦姦通罪

殺人障害(過失)罪

其の他の刑法犯罪

出版法新聞紙法違反

売薬法医師法違反

警察犯処罰令違反

宗教法規違反

其の他

220

8

41

9

8

28

10

24

1055

182

174

21

1

51

4

12

34

7

14

472

135

144

16

13

43

9

1

28

4

11

656

52

178

68

9

21

3

1

24

2

11

408

108

67

325

31

156

25

22

114

23

60

2591

477

563

7.4

0.7

3.6

0.6

0.5

2.6

0.5

1.4

59.1

10.9

12.8

1759

895

1011

722

4387

 

上記で示されるように「宗敎団体法」の施行とともに警察犯処罰令違反などは宗敎団体法の規制とともに大幅に減少する。それと同じように治安維持法違反も現象していくのです。

 

③ 宗敎運動検挙取締概数表

下記の表は『特高月報』(昭和10年~昭和19年)を『信教自由に対する宗敎団体法施行の影響』小島伸之著(上越教育大学教授)から抜粋させていただきます。

 

10

11

12

13

14

15

16

17

18

19

宗教的革新政治運動

1

1

1

3

1

0

0

2

1

0

10

0.2

不敬

0

3

14

9

2

13

22

9

18

13

103

2.0

無許可教会所等

0

5

246

311

788

222

7

9

1

0

1589

31.6

反戦反軍造言蜚語

0

0

5

11

7

6

11

11

18

21

90

1.8

呪術迷信による取締

0

21

184

576

1084

359

295

222

87

3

2831

56.2

宗教者による一般犯罪

0

7

33

35

38

33

5

7

14

6

178

3.5

その他、不明

0

0

1

9

25

38

71

70

15

3

232

4.6

1

37

954

954

1945

671

411

330

154

46

5033

100.0

 

「呪術迷信による取締」が「人心惑乱」「医療妨害」「風俗壊乱」の行為にあたる。それと「宗教者による一般犯罪」との区別はしにくいが、「宗教団体法」の施行により、いままでにあった宗教家による反社会的行為も少なくなった。

 

 生長の家において警保局の取締を少なくするために、細心の注意を払いながら、『生命の實相』の文章内容をチェックしながら発行されていくのです。それでも戦前は500万冊を超える大ベストセラーの書物であった。

 

上記のように昭和10年頃までの『生命の實相』については「安寧秩序の妨害」という項目から除外されていたが、昭和10年頃から「仏教団体」や「日本医師会」からの反発も強くあり、「インチキ宗敎」や「 」と揶揄されることもあり、天理教やひとの道教団の検挙に伴い、次第に類似宗敎として取締りが強化され、批判の矢面に立たされていくのである。

それが「淫祠邪教を撲滅の指令」であり、「宗教団体法」の規制による、宗敎結社への道と繋がっていくのです。

宗敎團體法施行後の影響 -①

宗敎團體法施行後の影響

 宗敎団体法の成立は昭和1448日(法律77号)である、翌年41日に施行された。これは前述したように治安維持法と一括りにする人がいるが、それだけではないことはこれまで述べた通りであるが、それでも上面でしかみえない宗教学者に多いことを嘆く。

国家神道研究の「第一人者」である村上重良は類似宗敎が活動を逼迫させた要因として以下にのべている。

 

日中戦争下で宗敎団体法が成立し、宗敎統制はさらにきびしさを加えた、新宗敎の多くは、宗敎結社としてはじめて宗敎行政の対象となったが、そのねらいは、新宗敎を全面的に監督し、国策奉仕と戦争協力に動員することにあった。しかし戦時体制の強化とともに、国民生活は隅々まで規制され、戦争協力に積極的な生長の家、霊友会等の一部の新宗敎を除いて、大半の新宗敎は、ほとんど活動の余地を奪われて逼塞状態となった。(『宗敎の昭和史』三峯書房、1978年、100頁)

 

だが、黑布表紙版『生命の實相』を年代別の比較検討及び戦前の「削除済」等広範囲に調査していくと、当時の内務省警保局からの「生長の家」に対する圧政状況は色々な文章で推し量ることが出来る。また、検閲された著書等を分析していくと、生長の家に於ても激しい規制があったことがわかる。

 

明治憲法第二十八条では

「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」

前述したように「安寧秩序ヲ妨ゲ」というのが、「淫祠邪教を撲滅の指令」があり、その後の「宗敎團體法」では第十六条に該当する

第十六条 宗教団体又ハ教師ノ行フ宗教ノ教義ノ宣布若ハ儀式ノ執行又ハ宗教上ノ行事ガ安寧秩序ヲ妨ゲ又ハ臣民タルノ義務ニ背クトキハ主務大臣ハ之ヲ制限シ若ハ禁止シ、教師ノ業務ヲ停止シ又ハ宗教団体ノ設立ノ認可ヲ取消スコトヲ得

 

ここで、「執行又ハ宗教上ノ行事ガ安寧秩序ヲ妨ゲ又ハ臣民タルノ義務ニ背クトキ」の文言は明治憲法第二十八条の「安寧秩序ヲ妨ケス」という言葉に該当する。

それなら「警察犯處罰令」の第二条 左の各號の一つに該當する者は三十日未滿の拘留又は二十圓未滿の科料に處す

十六 人を誑惑せしむへき流言浮説又は報を爲したる者

十七 妄に吉凶禍福を説き又は祈禱、符呪等を爲し又は守札類を授與して人を惑はしたる者

十八 病者に對し禁壓、祈禱、符呪等を爲し又は神符、神水等を與へ醫療を妨けたる者

 

ただ、昭和15年に施行された宗教団体法の影響は『社会運動の状況』(内務省警保局)の昭和15年度の谷口雅春の講演筆記から伺い知ることが出来る。

 

谷口雅春講和要旨(考査施行前為したるもの)

前略…今度本部選定講師を他の宗教団体に於ける布教師と同様文部省に届出せねばならなくなり、今回講習に参加された皆様の中で講師を希望して居らるる方から選定する考えである。

講師志望の方が注意して頂き度いのは、医療妨害にならぬ事、又私を尊敬する余り不敬に常る語句を使用することの無い様にして頂き度いのである。

如何なる事が医療行為妨害になり、療術行為取締規則に触れるかは私の話の中で皆様に屡々申し上げて居るので、充分御存知の事と思うが生長の家では心の煩悶を病気の根本とするのであるが、決して医療を排斥するのでないことを克く認識して頂き度いのである。

又不敬事件は如何に過去の類似宗教を破滅に導いたかは之又御存知のことと思う。

今回の試験の問題は難しいと思われる点もあるが私の著書を大体読んで下さって居る人には

安易に判ることと思う。以上の点を世の誤解を受けない様に充分注意して頂き度い。

 

谷口雅春講和要旨(考査施行後為したるもの)

生長の家の教、光明思想の普及に精進せらるる皆様は、生長の家は決して医療を排撃するものでは無い事に注意して頂き度いのである。

医療は医療で受けて宜いのであって生長の家では猶それ以上、心を癒すのである。医療を受けさせない様にしたり、病者に手に触れたりすると医療行為取締規則に触れる處があって、誤解を招く基となる故、克く御注意を願い度い。

次に生長の家の教を病人に適用する場合は自分が来たら病気は必ず癒えるものだと云う確信を与える様にする事で、斯くなれば病人は非常に信仰的になり精神的病を克服する勇気が出て来るのである。

…中略…我の脳溢血等の病気に罹る処があり、凡て頭に現れるのは我が強い事から起る病気なのである、故に我を捨てれば病気は自ら癒えるのである…中略…皮膚の病気は主として財産上の争いの結果現れるものであり、月経の不順その他花柳病の如きは男女間の燗れた肉体の交渉に依って起るものである。

肺病に依る喀血、吐血、痔瘻に依る出血等は人間に与えられた、エネルギ-を拒否するからであって、神の恵みを排泄するから起るものである、又左翼其の他の人に喀血をやる人が概して多いのは人を裁き、社会を裁くから起るのである。

斯う云う人はもっと大きい心を持つ様にせねばならない。糖尿病の人は食物が贅沢だから起る、喘息等は夫婦間の葛藤から起るのであります脱腸等は心の緩み等から起るのである。

 

文章も微妙に変更しながら、検閲を免れるための対処をしてきたのです。また講師になる人への注意喚起が行われてきた。また現役講師についても注意が行われていることが推し量ることが出来る。

 

今迄、昭和13年度の警保局の報告や実際に「検閲」された本のどこが「検閲対象」になった言葉であるかを具体的に指摘してきた。

 

昭和1541日、宗敎団体法が施行されることとなり、それまで教化団体生長の家においても宗敎結社として認められたが、これは決して谷口雅春先生の意図されているものではなかった。

【最初私は『生命の實相』の哲学を創刊号以来の『生長の家』誌に連載したのであったが、別にそれを“宗敎”としてひろめるつもりではなかったのである。だから東京へ移転してからも、大分おほきく世間から認められるやうになってからも宗敎と認められることを拒否しつづけて来たのであった。そして「教化団体・生長の家」で通して来たのであった。ところが色々の奇蹟があらはれて来るものだから、それが宗教的奇蹟とみとめられる現象が続々とあらはれて来るものだから、当時、文部省の稲田宗務局長が生長の家の副理事長をしてゐた秋田重季子爵を呼んで「生長の家は色々の宗教的奇蹟を生ずるから、これを収容団のやうな教化団体なら文部省の社会教育局の管轄になってゐるのであるが、宗敎は宗務局で取扱ってゐるので管轄ちがひとなるから今後生長の家は教化団体とはいはないで、宗敎結社といふやうに」といふお達しがあったので、爾後、“宗敎結社”と称することになったのである。(『神秘面より観たる生長の家四十年史』)】

 

① 昭和16年度『社会運動の状況』の報告書から考察する

それでも、規制強化は生長の家組織内部まで入り込んでいた。それをみるのに昭和16年度の『社会運動の状況』の内務省の報告書からである。

 

昭和16

生長の家の動静

1)概説

生長の家に在りては、本年中も引続き各地に於いて講演会、座談会、講習会を開催し或いは産報運動の進展に便乗して工場事業場等への進出を企て、或いは中小商工工業問題台頭するや各種組合を目標にして進出せんとし又は出征将兵遺家族、青年会、婦人会に積極的に働き掛ける等極力教勢の維持拡大に狂奔し、或いは新体制運動を教勢拡大の具に利用し若しくは知名士多数の入会を吹聴宣伝し、又はは皇室宮家等を妄りに布教手段に利用し奉る等極めて悪質狡獪なる手段を弄せるのみならず、這間屡々医療妨害、風俗壊乱、人心誑惑等の言動に出で警察当局の取締を受けたるもの尠からざる状況にありたり。

而して叙上の如き本教団の邪教的行為は漸く教外識者の顰蹙を招くに至りて之を非難攻撃する者漸次多き加わるに至れり。

 

2)医療妨害的布教活動

(イ)生長の家関西総括教化部藤本兼治は本年510日和歌山県那賀郡龍門村遠方、誌友児玉秀夫方に於ける講演会に於いて「拝む心があれば病気になっても医者に行く必要がない。

悪い物(排泄物を指す)が出ればよいのである。

児玉さん(主催者のこと)は重い病気で不治と諦めて居ったが生長の家の本を借受けて読んで見て初めて其の心が解り、遂に氷袋を断ち切って、氷の代わりに本を吊るして読んだところ4か月にして治ってしまった」云々の言動を為し警察当局より厳戒せられたり。

 

(ロ)本部講師大賀元介は本年713日兵庫県揖保郡龍野町役場樓上に於ける講演会席上「薬は生命がない、薬には寿命を引延ばす力がない。病気は薬が治すのではない」云々と現代医薬を否定するが如き不穏当なる所説を為し戒飭せられたり。

 

(ハ)本部総裁谷口雅春は本年928日、熊本市公会堂新館に於ける講演会に於て「或る人間が猫を大変愛していた。或る日猫を抱いて或る所に行ったところ猫が此の主人の心を知らず腕を掻き毟った為に其の人は腕に相当な障害を受けたが、そのまま、56日すると血が出ず腕がひどく腫れた。

急いで附近の医学博士に診察して貰うと『これは大変だ、敗血症だ。腕一本は切断しないと危険だが手術は此の病院では駄目だ』というので近くの生長の家の信者である医者の所に行くと、

その医者は一度診察して『何でもない明日お出なさい』と言った。

本人は狐につままれた様な気持ちになったが翌日になると不思議にも腕は全治していた」と医療の不必要を暗示するが如き言動ありたり。

 

3)風俗壊乱的布教言動

(イ)本部総裁谷口雅春は本年64日京都市上京区烏丸二条下る日出会館に於ける講習会席上「宇宙一切は言葉に依って造られて居ることは、ミコト(言葉)でも言える即ち女を「メ」という「メ」は目に通ずる目は引込んで居て重要部分は内に隠れている、之は女の真実の姿であって女の生殖器も亦、目の姿である子宮が飛び出すと大変で、病気である」「女は中心へ引張り、男は外へ突っ張る、一筋の糸に結ばれているとき夫婦調和がある。

斯くして神代から男と女は和合するように出来ている」云々と極めてや野卑なる語句を用いて講演を為せり。

 

(ロ)本部講師星六郎は本年712日福島市置賜町会館に於ける座談会に於いて「西洋料理を食べるにはナイフ、フォ-ク等で肉を切ったり刺したり刺されたり、抜いたり変なものです」、「最近の娘さんは映画や本を見て化粧や服装を覚え中には唇に紅を真赤に付けて居るのを見ますが甚だ以て感じが悪く第一都合が悪い、接吻でも吸口に男の方に跡がついて判ってしまう」、「日本料理は二本の箸で仲好く食物を挟み、まるで両親が仲良く粘ったり離れたりするようなものである」等の言動ありたるを以て所轄警察署に於いて戒飭せり。

 

(ハ)本部講師稲岡福蔵は本年106日和歌山県西牟婁郡串本国民学校に於ける講演会に於いて「歯の悪い人は夫婦の調和が悪いのだ。

歯にも陰陽があって上は男、下が女であり上は動かす事が出来ない只下が動くのであるから女は下から動かす事によって良く夫婦の調和が出来るのである」云々の低劣野卑なる言動を為したり。

 

4)其の他要注意事象

1)家庭光明寮の容疑動静

生長の家信者中には同教独特の教理を盲信したる結果、疾病に罹るも医薬を廃して遂には貴き生命を失い、若しくは伝染病流行の因を作る等の者、尠からざる模様なるが、東京市麻布区檜町5番地所在家庭光明寮(生長の家本部経営)の容疑動静を摘記すれば次の如くなり。

 

(イ)防府市車塚印刷業藤田トヨ長女藤田シゲ子(19)は右家庭光明寮に入寮修養中昨年1228日風邪の為、臥床せんとするが、寮母は「病気は人体にはあるものに非ず、精神の修養に依り回復するものなり」とて之を許さず、寮規に依り医療を受けること不能にて且食欲なき為衰弱して数回卒倒したる模様なるが、其の後友人の介抱にて稍々快方に向かいつつありたり、然るに本年2月初旬再び悪化し、遂に意識不明となりて臥床、同月13日頃には愈々悪化し離床出来ざる病状となりしも寮母は強いて離床せしめ、飲食物は勿論、医薬をも与えずして室内掃除に従事せしめ、卒倒数回に及び漸く臥床を許したる模様にて意識不明の儘、17日に至り附属脇田病院第二療院に入院せしめられたるが、此処に於いても何等医薬を与えず寮母により生命の實相を一日2回位読み聞かせ脇田医師の発明せるものなりとて一日二回位清水の如き無色透明なる液体の注射を受け栄養物等は一切与えられざりし模様なり。

同月20日寮よりの通報に驚き上京したる母親は本名の病状が意外に悪化し、重体患者なるに拘らず何等の医療を加えず体温すら計らざる実情にあるを知りて驚愕し、直ちに夫に招電を発すると共に脇田医師に医療を懇願したるに「当病院は医療する所にあらず、精神的医療を為す所にして此の注射を一日二本位行うものである」とて清水の如き液を示し、何等の施療を為さず「此の子の病気が悪くなるのは親が信仰が足りない結果だ、親が斯様な考えではとても病気は治らぬ、此の病気は大体医者の手で治るべきものではない」と医療を拒みたる為23日東京市三河島町額田病院に入院せしめ診断を受けたる処、伝染病(猩紅熱)にて最早施す術なく遂に同月28日死亡するに至れり。

 

(ロ)住所 全羅南道長与面南49、家庭光明寮生松田光代(20歳)は暑中休暇にて帰省中の処、本年827日再登寮の為東上。途次寮の現況其の他に関し次の如き言動を為したり、「家庭光明寮は所謂花嫁学校式の未婚女子の修学機関であるが其の目的とするところは『生長の家』普及誌友獲得にあると考える。

寮は一箇年修行で学科は裁縫、作法、割烹、茶の湯、生花、書道、家事、毎週一時間宛『生命の實相』講義を谷口先生より毎日二時間受講して居る。

入寮の条件は未婚者なること、高女卒業程度なること、通寮は許さざること等にして、舎費としては18円、授業料10円徴取される。

現在300余名の寮生が居るが其の三分の一は呼吸器疾患の者で其の他精神的の苦痛がある者も居り、満足なる人は花嫁修学の学科に釣られ入寮して居り、病的精神的苦痛を有する人達は谷口先生の講義に多大の感動を受けて居る様である。

講義の内容は人間は神の子であるから正しく社会に生きて行くと共に一切の万物に感謝しなければならない、而して肉体なるものは本来無いもので只心の影が現れて居るものである、だから病気等と言うものは気から発作するもので、気の持ち様では病気等に罹る様なことはなく、假令病魔に侵されても精神力で癒るべきものである。

と言われて居るが矢張り病気には勝てぬ。

去る710日頃寮友の一人は肺結核がつのり遂に他界した。

自分も去る78日頃風邪のため病臥したが医師に見て貰う訳には行かず大変困った。

尚恐ろしいことは呼吸器等の疾患ある者とも同一寄宿舎に同居して居る為、随分危険性がある、然し寮の規則としてそれを嫌忌することも出来ないことになっている。

自分も成るべく早く退寮したいと思っている。」云々

 

文章の間違いとその指摘

日時:20191220 () 0145

名前:管理人

「いのちの花」様

 

いつも熱心に投稿してくださり、ありがとうございます。

 

ただ、ご投稿のなかの11553記事、

 

「憲法問題は大事ではあるが、憲法問題よりも、さらに《いのちの問題(母体保護法改正。当時は優生保護法改正)》の方が、優先すると断言されていた昭和の偉人。谷口雅春先生」

https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=2775

 

についてですが、

 

このタイトルによると、谷口雅春先生が「憲法改正よりも優生保護法改正の方が優先される」と断言されていたことになります。

 

しかし管理人はそのような谷口雅春先生の御発言を聞いたことも読んだこともありません。

 

どうにも不思議なので生長の家に関係した知人数人にも確認しましたが、みなが「知らない」「聞いたことがない」という反応でした。

 

「いのちの花」様のご記載は、著作権法第48条の出所の明示義務に違反し、同法第122条により処罰されるおそれがあります。

 

本掲示板では、「必ずお読み下さい」で明示のとおり、「法令順守」の厳守をお願いしております。お手数ですが、一週間後の12月27日までに該当部の出所を明示してください。もし、そうされない場合は、法令違反を是正されないものとして削除及び必要な措置をとります。

 

なお、仮に「いのちの花」様が

 

>大熊先生のフェイスブック

 

を管理している大熊良樹先生ご自身であっても、「いのちの花」様のご投稿なので出所の明示は必ず本掲示板上で行うようにしてください。

 

よろしくお願いいたします。

 

コトバの間違いということですが、ここに掲示されている方だと思いますが、愛国本流掲示板にも掲載されておられます。こういう場合は掲示しないほうがいいのではないかと思っています。大熊先生も自分自身でインタ-ネットで公表されておられるので、同じものが重なると反対に見たくなくなる。私のような天邪鬼の人間だとそこまで掲示する?と考えてしまいます。

 

 どんなに素晴らしい言葉でも、其の人が発しているから素晴らしいことがあります。それが誰かさんと彼の人と経由すると、解釋が間違う場合があります。

 

 私自身でも谷口雅春先生の言葉を掲示する場合は細心の注意を払います。それは雅春先生はいろんな箇所に発信されているからです。それの源流というべきものは何かを考えていきます。

 

 それを考えないと理解出来ない場合があります。今回、戦前の黑布表紙版『生命の實相』を勉強させて戴いてつくづくとそういう思いになりました。

 

 確かに、《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》の管理人の表現には厳しいものを感じますが、でも発言されている内容は確かに正論であります。

 私も長年、谷口雅春先生の御言葉でそういう「優生保護法改正」を優先するような発言は聞いたことがありません。それに似たような言葉はありますが、その言葉では“「優先」させる”というのが先行している言葉ではありません。

 

 これは誰にでもあるのですが、「谷口雅春先生」の言葉を“つまみぐい”して、切り貼りして如何にも雅春先生の言葉のように印象操作させるような技法を使用する人もいますが、それは時として間違った解釈となります。それをしているのが“現谷口総裁”であるからです。

 

 だからこそ、注意を払う必要があるのです。私のように今回、図書館で調べ、友達がいろんな資料を送付してくれるお蔭で随分と勉強をさせていただいた。

 前にもこの場で発言したように、一つの資料を作成するために、どれほどの調査が必要だということが骨身に滲みて実感しました。今回の資料は総頁数では1000頁を垂んとする。それに資料を合わせると優に1万頁を超えてしまう資料であることです。キングジムの55mmのファイル10冊に相当する。

 また、いろんな各地に訪問したりして実証していますので、膨大な資料となるわけです。

 

 さて、諸賢樣にはとりわけて間違いを指摘して欲しいのは「私の資料と発言」です。間違っている箇所もあると思っています。それを是非、指摘をお願いしたい。そうでないと成長しないと思っています。また、私の資料は「生長の家」についてはこの人を除いて「博識」の人はいないだろうという人や友人などにチェックしてもらっています。それでも間違いというのが結構あります。


 厳しいがそれを受け要るのも其の人の度量であると思っています。間違いを指摘されたら、人の意見を素直に受入れるのも必要なことだと思います。

『万葉の世界と精神』

日時:20170316 () 1305

名前:トキ

 「弟子像」は、服部仁郎先生、山口梯治先生、吉田国太郎先生、小嶋博先生、徳久克巳先生、藤原敏之先生について書かれています。

 
山口悌治-2
山口悌治
山口悌治-3

ここで記入されている山口治先生の字が間違っています。それは兎も角、山口先生は高弟と呼べる一人と私も賛成しています。

『いのちを詠ふ』『万葉の世界と精神』前・後篇と『中のこころ』と格調高い「コトバ」は「生長の家」の教義を理解されておられるからこそ発言できるものだと思っています。

「歌を作ることは、不断に自己の正体に対決することである」という言葉からでもそうですが、『生長の家』誌の歌壇選評は「いのち」の迸るものを感じます。

 『万葉の世界と精神』の著書を読んだときは魂が震えるほど感動したことを思い出します。

「生長の家」教団にすごい人がおられることを感歎して「立派だ」と若い時代に思ったほどです。

 こんなに立派な人がおられる宗教なら間違いないと自信を深めた。

”実るほど頭を垂れる稲穂かな”

生長の家を長年その役職を務めている人で努力されている人は別だが、多くは「谷口雅春先生」のみ教えを「自分」が偉くなったと思って勘違いする人があまりにも多い。

人前では「講話」ということで偉そうなことを発言していても、それは雅春先生の教えであることを疎んじているので、自分が発言しているように錯覚しているのです。だから、役職の長を拝命すると、それは“自分”が偉くなったと思い、横暴な振る舞いを知らず知らずにしていることを気が付かない。その為に、上から目線での発言や「相手」を拝むことを忘れてしまい。攻撃することに満足をしている。それではいけない。

 

このようなブログでもそうですが、「雅春先生」はこのように被仰っていると書きたくなる。だが、トキさんがこのように云っている

 

 教団にしろ、本流復活派にしろ、講師の中には、立派な事を言うのにやっていることは尊敬できない人がいます。(もちろん、一部の人です。)

 

 どうして、そんな事が起きるかと言うと、他人に指導をすることは少し慣れたらできますが、自分が実践することは難しく、生涯を通じて追求する宿題みたいなものだからです。

 

 それを自覚せず、信徒が拝んでくれる姿を見て、自分が偉いと誤解をすると間違います。

 

 私を含め、信徒はみんな、それを気をつけるべきだと思います。

 

しかし、トキさんも実はそういうことが出来ないので、人の事は云えないがそれでも、自覚しているだけでも素晴らしい。私も実は出来ていないので人の事は云えない。

 

常に反省しながらであるが、但し現在は人前で「講話」や「個人指導」などをしないのでまだ救われている。

 

人は他人の本当の思いは“背中を見て拝むか、そうでないか”が決まります。拝んでいても「習性」で行っているのかもしれません。
”実るほど頭を垂れる稲穂かな”

谷口雅春先生の歩まれし道(聖地巡礼)

一昨日は谷口雅春先生の歩まれし道を辿った1日であった。順を追って書きます。

 

摂津紡績跡⇒市岡高校⇒蘆分尋常初等小学校跡⇒春日出中学校(春日出尋常高等小学校)⇒日立造船跡⇒西九条駅界隈⇒西野田工科高校⇒→松下電器発祥の地⇒藤棚の家⇒八甲田の跡⇒本住吉神社⇒新クレセントビル⇒後醍醐天皇御駐蹕之處⇒兵庫尋常初等小学校付近⇒烏原水源地⇒雪見御所跡⇒夢野の付近⇒湊川公園⇒湊川神社⇒八祥会館⇒願成寺⇒水木通り

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芦原公園(旧摂津紡績本社工場跡)
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市岡高校
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蘆分尋常初等小学校跡(大阪市建設局 野田工営所)
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春日出中学校(春日出尋常高等小学校)
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日立造船発祥之地(大阪鐵工所跡)IMG_3524
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松下電器発祥の地
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西野田職工学校(西野田工科高校)
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藤棚の家〈当日は閉まっていました)IMG_3530
本住吉神社
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後醍醐天皇御駐蹕之處(福厳寺)
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大調和の碑
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烏原水源地
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雪見御所
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嗚呼忠臣楠子之墓(楠木正成墓碑、徳川光圀公卿像)
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楠木正成戦没地
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谷口家墓所(願成寺)
 

この中で後醍醐天皇御駐蹕之處は谷口雅春先生の歩まれた道と関係がないじゃないかと言われそうだが、この場所は福厳寺とよばれる寺にあります。福厳寺は、14世紀はじめ仏燈国師が開いたと伝えられています。

 

元弘3年(1333)、後醍醐天皇が隠岐から京へ還幸の途中、この寺に立ち寄り行在所としました。

 

お寺にて、楠木正成や赤松則村(円心)など七千の公卿や武士が、天皇をお迎えにあがりました。この場所のすぐ近くに神戸市立兵庫尋常初等小学校分校があったとされる場所があります。

 

また上記の雪見御所は烏原水源地のすぐ南にあり、険しい道を南下した場所にあります。

 

雪見御所(ゆきみのごしょ)は、平安時代末期に摂津国福原京(現・兵庫県神戸市兵庫区雪御所町)にあった平清盛の邸宅。雪之御所、雪御所とも。

 

仁安3年(1168年)に出家した清盛は遁世生活に入り、福原に別荘である雪見御所を構えて日宋貿易拡大の拠点とした。『山槐記』治承41121日(1180129日)条に安徳天皇の「本皇居」を「禅門(清盛)の家、雪御所の北なり」と記している。

 

瀬戸内海が眺望できる場所にあり、雅春先生幼少の時期にここから眺める神戸の街はどうだったのであろうかと考えてしまいます。

 

夕刻になり、「願成寺」にお参りさせていただいた。ただ、随分昔に参拝したので、墓所位置がわからないので、住職に教えて戴いた。

 

「最近の生長の家の人は全然お参りしない」とお会いした直後に云われた。お参りした人で直ぐに名前を云われたのが故森田教化部長である。「あの先生はよくお参りされた。」と感慨深そうに話された。

 また福島正俊先生のお墓もお参りさせていただいた。

 

住職はこの谷口家の墓と福島家のお墓はすべて皇居に向って建立されているとも話されている。またお参りさせて戴くことを約束した。

 また、湊川公園で楠木正成像が無いので、将棋をさしているおじさんに聞いたら

「今、修理に出しているので、ここにないのだ」

 淋しいが、また戻ったら見せて戴こう。

 

それと日立造船発祥の地は関係ないではないかないかと言われる人もいるが、幼少の時代に石津家の養子で石津鉄工所に住まわれていた。この地域は古くから鉄工所が多く有り、石津鉄工所も造船関係で生計していたのではないかと想像出来ます。


 わたしは陽暦、明治二十六年十一月二十二日の暁の六時に生まれたのである。陰暦にすれば十月十五日の満月の暁でちょうど満月が西の山の端に沈みかかってはいたが、まだ耿耿として光を失わず、そして朝日が東の方に差し登りつつあったとき、太陽と月と二つの光に照らされつつ護られつつ生まれたのである。この話は私の実父音吉から聞いたのだからおそらく本当であっただろう。(『生命の實相』第19巻・自傳篇)

 

ともかく、わたしの生まれた土地はこうして満々と紺青の水にたたえられ、浄められて、何者にも侵されずに番人がついていて、それが汚されることから護られているのである。

 

この言葉の通り、烏原水源地は山間部に囲まれており、鳥の鳴き声が聞こえ、まるで別世界の場所にあります。

 

貯水池ができる前の烏原村(明治時代)

 

烏原貯水池の建設によって、明治37年(1904年)、烏原村は水没しました。当時の村の規模は、戸数98戸、人口414人で、住家89棟、納屋38棟など合せて135棟がありました。谷あいの村で、中央部のやや平坦なあたりに人家が点在していました。

 産物は、うるち米やもち米、麦、大豆、菜種、竹、薪、線香原料粉(2000俵)などでした。中でも木の皮を細かい粉にして作る線香の主原料は品質優秀で、全国から需要があったそうです。粉は水車を使ってひいていました、

 現在の貯水池右岸の護岸には、たくさんの石臼が埋め込まれています。これらは、烏原村が水没する時に、人々が水車で使っていた石臼を記念に残したものです。

なお、「烏原」の地名は昔は「からすわら」と呼ばれていたようで、堰堤上の碑文(英文標記)には「KARASUWARA RESERVOIR」と刻まれています。(神戸市役所から抜粋)
烏原水源地

(明治38年6月撮影)神戸市役所から抜粋

烏原水源地-2
矢印が生家です。





何回でも謂う『生命の實相』を讀もう

『生命の實相』を讀んでゐて、今の現状をどのように解釈するのであろうか、谷口雅春先生が『「生長の家」に入信すれば、互に爭うことなく全てが圓満にて治まる』。そうした言葉が現今では「嘘」であったのかと思える。「生長の家」に入信して『生命の實相』を讀まれ、講師や教化部長にもなられた御仁も「学ぶ会」には沢山おられる。また教団在職の教化部長や講師の面々はどうして『生命の實相』を讀もうとされないのか不思議である。

 それは『生命の實相』に書いてあるだけで済まそうとしている。恥ずかしくないのか。どうして谷口雅春先生の御言葉が分らないのか。それとも理解しようとしていないのか。どちらかわからないが、「生長の家」が「争いの家」となって幾年か経つ。『総裁に中心帰一せよ』など雅春先生は被仰られたことなどない。「皆さんが敎祖である」という言葉が『生命の實相』に書いている。確かに、相手から嗾けられる喧嘩があれば、どうするのだという問いもあるだろうが、歪んだ思想には対峙しても、憎しみを持ったり、恨みを持つようなことでは、其の人と同格となる。常に相手を拜むことも必要となる。憎しみだけで、いくら神想觀しても「神の心にかなわぬ」である。

 

 私にコメントいただいた、市川守さんはこれから数年にかけて『生命の實相』の読書会を催しされる。實に立派な心掛けです。私も見習いたい。

 同じく『生命の實相』を貴方は何囘読まれましたという谷口雅春先生の問いに皆さんだったら、五回、六回と応えられるであろうが、私はまだ二回しかない。谷口雅春先生の前では恥ずかしい。五回とか六回とか発言される方はやはり先頭に立ち、光明化運動の御旗の狼煙を起てなければ、本当に『生命の實相』を讀んだのか疑問である。茶坊主になっては駄目である、御神宣でも駄目である。しっかりと『生命の實相』を主として述べることが大切である。

破邪顕正さんが紹介された文章?

日時:20191210 () 1823

名前:護法の天使

 破邪顕正さんが紹介された、谷口雅春先生のお言葉の出典である『国民同胞』ですが、これは、公益社団法人国民文化研究会が発行されている月刊誌です。

 

破邪顕正さんはきっちりと私の文章を引用されていることを書いている。それが確かに紹介はしているが、それを本文として掲載したのは私である。

この『国民同胞』という機関紙は阪田成一先生より戴きました。原文ですので、それをもとに記載しました。ブログに記載する予定はなかったのですが、質問に応える形で既に書いていたものを記載しました。

 

こういう場合は破邪顕性さんが記載した(則天去私からの抜粋)と書かなければならない。

 

引用文章は拡散するのは大変うれしいが・・・何か少し違う。そういうのがわからないのかな?

淫詞邪教による検閲

淫祠邪教撲滅指令
昭和10年代から黑布表紙版『生命の實相』の初版発行から、それ以降に『生命の實相』に対する内務省警保局からの検閲は次第にその厳しさを増していきます。その時代の経緯を辿るとどうして検閲に対して厳しさが増してきたのかがわかります。まずは最初に第二次大本事件の年代からみてみたい。

 

昭和10128日 治安維持法を適用して出口王仁三郎夫妻以下全国において3000名近い人が検挙

昭和101216日 天理教の脱税事件

昭和112月ころ 宗教警察に関する事務を特高課(内務省では警保局保安課)に移管し、全国的に事務系統の整備統一をはかり、宗教活動にたいする視察取締を厳にするとともに、諸宗教の教義所説を思想警察的観点から再検討

昭和11213日 天津教(教主竹内巨麿)の不敬事件

昭和11322日 元大本信者の矢野祐太郎が主宰する神政竜神会の不敬事件

昭和116月    全国警察部長会議では「邪教取締」が指示

昭和11826日 元皇后宮職女官長島津はるが神政竜神会の熱心な信者であったため帝都の邪教事件として不敬事件で検挙

昭和11928日 ひとのみち教団(教祖御木徳一)が検挙される

昭和11930日「淫詞邪教を撲滅の指令」(朝日新聞朝刊一面)

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昭和11218日発行の『新興類似宗敎批判』(佛敎社會學院編)大東出版刊では「ひとの道」とともに「生長の家」が矢面で批判の対象となっている。下記の文書は当時の佛敎社會學院主幹 淺野研眞という人の文章であるが、当時の状況を踏まえてみることも、肝心である。

【二 新興類似宗敎簇生の諸原因  2975行目 「ひとのみち」とか、或は「生長の家」とか、其他色々澤山、所謂類似宗敎と云ふものが出來つゝある。甚だ貧弱な見すぼらしいものもあるが、堂々となったのが近代的宣傳方法を利用して、多くの民衆を引附けつゝある處のものもある。「人の道」や「生長の家」は、其の最も華かに、今日の社會にデビュ-して居る處のものであると思ふ。で、かう云ふものが發生簇出しつゝあると云ふ理由は、第一には社會經濟的基礎である。先づ茲に、今日の醫療の方が安上りか、類似宗敎が安上りかと云ふに、是は見樣に依っては高くもあり、安くもある。僅かな賽錢を上げて治ると云ふ安いものもあるが、「天理敎」等は「屋敷を拂って立ちのき給へ!」と云ふから、是は随分高いものだ。しかし類似宗敎は現象形態として見れば、矢張り安上りに見える。其處に社會經濟的基礎がある。つまり安いと云ふことは、今日の民衆生活と云ふものが、醫療に充分費用を掛けることが出来ない。このことが一つの大きな理由である。是は政策的に云ふならば、今日の醫療機關が充分民衆化して居ない。社會化して居ないと云ふことに理由がある。で、是は必ずしも類似宗敎に迷ふ者を責むることが出來ないのであって、國家が醫療を如何なる者にも、如何なる貧乏人にも完全に受けることが出來るようにすると云ふ、國家の政策的見地から考究しなければならないと思ふ。例へば内務省衛生局の統計に依れば、全國に、醫者も婆も居ない町村が、實に一萬三千五百以上もあると云ふ。かう云ふ事實を見る時、又現に私共が農村を見る時、急病人が出來ても、十里も十五里も行かないと醫者に診て貰ふことが出來ない。そして飛脚を立てゝ醫者を呼んだとしても、醫者が來た時分に病人は死んで居たと云ふことがまゝある。かう云ふことになると、どうしてもお祈禱にるやうになる。一般大衆は、近代醫學が如何に發達してゐても其恩惠に浴することが出來ない。然も愚昧なる民衆は、どうしても祈禱と云ふやうなものに對して、非常な賴するにはり信賴を持つ。其處に邪敎、インチキ宗敎が充分に手を伸ばす社會經濟的基礎がある。是は今日の狀態が續く限りに於て、どうしても、この邪敎、インチキ宗敎は、いくら蔓延して行くであらうと思ふ。(中略)29910行目から 最近の「生長の家」などが、治病の外に、就職を説き、また物欲卽滿を説いたりして盛んに目前の現世利益を高調して、人心を引きつけて居るのを以てみても、ハッキリすると思ふ。從って、矢張り徹底的にインチキ宗敎が社會から姿を消すようにするには、社會の根本的改造が必要である】

 

 このように、当時の社会的な一面として、仏教界からの虞れというのを感じてしまう。それは当時の類似宗敎と呼ばれた宗敎の勃興であろう。

 

 大正156月社会敎育協会の調査では類似宗敎団体の登録は98団体、昭和5年の調査に於ては416団体と擡頭してきた。そうした宗敎のなかにはいかがわしいものがあった。前述のような宗敎にまつわる事件が続くと内務省警保局の取締りの強化がなされてくる。

 また、当時の日本医師会から邪教的行為取締に関し建議案というのまで提出されようとしていた。

 

 何故、「生長の家」が「類似宗敎」「インチキ宗敎」として一部の人に云われたのかといいますと、『新興類似宗敎批判』の302頁にある「新興類似宗敎のインチキ性」と題して、「生長の家」を標的に書いているが、その要点は「新聞に大広告」を掲載したのが気に入らないようである。「本さへ讀めば病氣が癒る」というのを頭から信じて居ないから、全く話の論点が噛み合わない。当時、確かに多くの「奇蹟」と呼ばれる治癒体験というのが続出したのも事実である。それを科学的に論破してこそ、その人の価値というのがあるが、頭ごなしであるから論点があわない。(朝日新聞広告に関しては拙著『谷口雅春先生著作年譜一覧表』中(増補版)参照)

 

しかし、上記の文章は今日では差別的用語があり、人を頭ごなしにしている文章であるので、どれだけこの本で人々は信じたかはわからないが、前述のような不敬事件が勃発すると警察としては立ち上がるしかない。「第二次大本事件」のようにする警察がこの世に「大本」が無くなるまで、建物を木っ端微塵までするという、憎悪に満ちた取締りというのが、特高のイメ-ジを悪くしていくのです。また、宗敎という取締りをそういう憎悪に満ちた觀念というのがこの時代に長く続いたように思われる。

 

「大本事件」では治安維持法ということで検挙したが、それが様々な事件を惹き起こすことになったのは、以降の事件というのは「治安維持法」とは関連はない。

 

「淫詞邪教を撲滅の指令」というのがこうした背景で生まれた。

既成宗教が無気力であること

大衆の生活不安と思想混迷

醫療制度の不徹底

宗教復興精神作興の聲を利用

 

当時の「淫祠邪教」の罪というのは法律では当時の「警察犯處罰令」の第二条 左の各號の一つに該當する者は三十日未滿の拘留又は二十圓未滿の科料に處す

十六 人を誑惑せしむへき流言浮説又は虛報を爲したる者

十七 妄に吉凶禍福を説き又は祈禱、符呪等を爲し又は守札類を授與して人を惑はしたる者

十八 病者に對し禁壓、祈禱、符呪等を爲し又は神符、神水等を與へ醫療を妨けたる者

上記がつまり「安寧秩序妨害」であるという。その項目が

    医療妨害的布教活動

    風俗壊乱的布教言動

    人心誑惑言説

となるのです。こうして強引ともいえる諸法で取り締まった。

生長の家の著作で検閲対象となる文章の多くは上記の安寧妨害という罪に該当する。

 

黑布表紙版『生命の實相』は昭和10年度に発行されたかどうか第1巻~第12巻、昭和12年度に発行された第13巻~15巻、そして昭和16年度に発行された第16巻~20巻はその時代における「宗敎」の取締り強化があり、昭和12年はまだ「生長の家」は教化団体であり、宗敎とは名乗っていなかったが、上述のように「淫祠邪教」のひとつとして捉えられていた為に「検閲対象」であります。「検挙」の対象として当時では集会や講演会などに「特高」(内務省警保局)が何か「生長の家」の信徒が間違ったことを言わないかを常に監視していたのです。

 

今回はそういう検閲対象となる文章を詳細に分析しております。

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