則天去私

「谷口雅春」先生の生涯も綴っていきます。

2019年09月

讀んで戴ければ幸甚です。

亀の子様へ

亀の子様へ

いつも見苦しい愚書である「ブログ」を見て頂き感謝申し上げます。

さて、今回記入させていただきました件で、いつものように偉そうに書いているなと思われています、山ちゃんです。

現教団への「谷口雅春先生」を蔑ろにする言動を、この二か月半にわたり、尊師の歴史に再度触れて居ても立っても居られない気持ちになるのです。愛国の情が迸る言説などは、本当に現在の雅宣総裁が真逆なことを行っていることを感じるので、ついついブログで書いてしまいました。また、『谷口雅春先生著作年譜一覧』の作成では教団は非協力で温故資料館に行った時は、私を蔑んだような眼で見ていることがわかり、もうこんな団体は「生長の家」とは全く異質な教団であることを再確認した次第です。

 

ただ、このブログで協力を何回か呼びかけても梨の礫です。最後にはもう頼らない事にしました。ただ、昔から協力して戴いた人には「今でも尊敬」しています。以前に大きく協力して戴きました人には「一生」御恩返しをする気持ちでおります。

 

前回では『谷口雅春先生著作年譜一覧表』を欲しいと要望された人には差し上げた人も何人かいましたが、そんな人は「協力」はして戴けません。貰っただけで「見る事」もしていないのではないかと思っています。でも人とはそんなものです。やはり、購入して戴いた人はさすがに読んでおられます。


 仕事を一旦辞職してこの作業に取り掛かっております。それほど価値ある仕事だと思っています。本来は前にも言いましたが、給与を貰っている人は何もしない。私は無給でこの作業に取り掛かった。
それは「谷口雅春先生」の恩返しだと思っています。

 現在は雅春先生の「レファレンス集」や功績など全く何もない現在の状態を憂うる人がいてもいいのではないかと思っています。

 

それと名前は云えませんが、今回出版にあたり、大変協力をして頂いている人がいます。挫けそうなことも度々あります。それでも、協力して戴いている、其の人の爲にも頑張ろうという気持ちでおります。

 

その方もそうですが、丁寧にこの本を讀むことにより、雅春先生の「偉大さ」がわかるのです。今回は『生命の實相』の全聖典のレファレンス集を敢行しました。それを讀むだけでも、本当に『生命の實相』はいいな、と思います。私はどれ程この何か月間、「眞理」の書で沐浴しているのか、それを考えただけでも、光栄な作業です。また、本当に苦労されて『生命の實相』を出版されたことを垣間見たので、なんとも言えない気持ちにもなりました。

構想段階ですが-②

7. 奇蹟篇

1. 話を聽くだけで難病が全治するとにいふ『生命の實相』とは何か?

本誌記者奇蹟的な精神療法の眞相を探る  『主婦之友』 昭和十年五月号

()        惡性の脊髄癆が奇蹟のやうに治った 巽忠藏氏の經驗

()        肺炎と肋膜炎を治して療法を體得した 服部仁郎氏の體驗

()        暗黑の家庭を光明に導いた 窪田菊子夫人の經驗

()        腺病質と近眼が不思議に治った 桑原和子さんの經驗桑原和子さんの經驗

()        我が子の肺炎を治し療法を體得した 栗原保介氏の經驗

()        何故難病が全治するか? 谷口雅春氏を訪(と)ふ

2. 田中静壱大将と甘露の法雨 -

①  歴代陸軍大将全覧より

            聖經『甘露の法雨』の由来

            中島與一(「生長の家四十年史」から抜粋)

            『ああ!皇軍最後の日』から

            將軍病篤し 

            將軍起死囘生す

            中嶋與一先生『無血終戰夜話』『光明生活の手引』中嶋興一著

            大いなる使命のために (『もっと深く愛そう』谷口清超先生著より抜粋)

           人の生命と全体の生命

           分裂した治療の悲劇

           播かれた種子は生える

           神癒

           終戦時の使命

           使命

            川口放送所占拠事件

            終戦時における住吉大神の働き

⑪  あとがき

3. 焼津市の市営焼津焼却場で起こった奇蹟

4. 燃えひろがる聖火 御巡錫始まる

5. 谷口雅春氏來盛す

6. 谷口雅春先生の初の青森県の御講演會

8. 総覧篇

1.比較・レファレンス集

2.『生命の實相』の戦前版と戦後版の比較(新修普及版・新修特製版)

3.『生命の實相』黒布表紙版とそのレファレンス

4.谷口雅春選集とそのレファレンス

5.『眞理』とそのレファレンス

6.単行本とそのレファレンス

7.谷口雅春先生著作索引集

8.光明主義文化雜誌(綜合文化雜誌)『いのち』のレファレンス集

①谷口総裁を悼む 中川与一(中河興一)

           天成の哲人 佐藤通次 皇學館大学前学長

           新宿の一夜 難波田春夫 関東学園大学前学長

           掛け替えのない先達 浅野晃  詩人

⑤ 小田村寅二郎

9. 著名な女流作家と女流歌人を輩出した『白鳩』篇

平塚らいてう、柳原白蓮、與謝野晶子、北見志保子、川上小夜子、生田花世、茅野雅子、中河幹子等が挙って寄稿した『白鳩』誌

1. 柳原白蓮(柳原燁子)空白の文章と短歌を明らかにする

           白蓮年譜の空白

A:柳原白蓮詠草、歌壇選評、柳原燁子寄稿文(昭和十一年~昭和十九年『白鳩』誌所載)

一、散文『白鳩』昭和十二年十二月號 3537頁 牡丹と戰爭             柳原燁子

二、散文『白鳩』昭和十三年六月號 3541頁 よしなしごと                  柳原燁子

三、短歌『白鳩』昭和十三年十月號 2021頁 出陣                                柳原白蓮

四、短歌『白鳩』昭和十四年三月號 4445頁 春のあけぼの          柳原白蓮

五、歌壇選評『白鳩』昭和十四年四月號 5557  「歌籠」              柳原白蓮

六、歌壇選評『白鳩』昭和十四年五月號 6062頁 「歌籠」                  柳原白蓮

七、散文『白鳩』昭和十四年五月號 3742頁     掛詞                  柳原燁子

八、短歌『白鳩』昭和十四年九月號 1415頁    山荘日記        柳原白蓮

九、短歌『白鳩』昭和十四年十二月號 1819頁冬の浪(ふゆのなみ)    柳原燁子 

十、散文『白鳩』昭和十五年一號 3643       おみかさん               柳原燁子

十一、歌壇選評『白鳩』109號 昭和十七年八月號 5153頁「生活の歌」 柳原白蓮

十二、散文『白鳩』119號 昭和十八年六月號 1822  二人の印度人   柳原燁子

           『朝日新聞』昭和3522日 朝刊5面 無題     柳原燁子

           『朝日新聞』昭和3620日 朝刊5面 逸題     柳原燁子

           光明主義文化雜誌『いのち』昭和121月號 新しき太陽 柳原白蓮

           光明主義文化雜誌『いのち』昭和126月號「我が息子へ」柳原燁子

2.           與謝野晶子と『白鳩』

3.           平塚らいてうと『白鳩』

4.           北見志保子と『白鳩』

           短歌『白鳩』昭和十四年五月號       「山吹の花」

           短歌『白鳩』昭和十四年十月號       「みのりの秋」

           『白鳩』昭和十六年六月號                  「奈良」

           「平城山(ならやま)」

           「甲斐の峡(さは)」

5.           女流歌人 川上小夜子と『白鳩』

① 『白鳩』昭和十四年六月號 (2728頁) 「野にすみて」

           『白鳩』昭和十五年六月號 (2526頁)  槻若葉(つきわかば)

           『白鳩』昭和十五年十二月號 (4849頁) 祝典の秋

6.           生田花世と『白鳩』への随筆

7.           歌人 茅野雅子と『白鳩』

    ①『白鳩』昭和十四年一月號 2021頁  嶋をおもふ

8.           国文学者 中河幹子と『白鳩』

    ①『白鳩』昭和十四年十一月號 3031頁  子をつれて

           『白鳩』昭和十五年二月號 2829頁  きさらぎの海

           『白鳩』昭和十五年七月號 2529頁  御苑の花

           『白鳩』昭和十五年十月號 2829頁  越路の旅

10. 年譜篇  

1. 谷口雅春先生年譜(著作を中心に掲載)

11. 総説篇

1.谷口雅春の御文章

2.耳寄りな話

3.『耿耿の言』(『動向』より抜粋)

4.谷口雅春先生を讃仰する

5.谷口雅春先生の大本教時代の和歌

6.お願い

 

別冊

谷口雅春先生著作年譜一覧(下)

谷口雅春先生レファレンス篇

構想段階ですが―①

『谷口雅春先生著作年譜一覧』(上)の構想が出来た。今回は大きく資料ごとに整理して行った。

何を云いたいのかをわかるようにしていった。現在の信徒の人ならば、理解出来ない箇所もあると思います。だが、色々な資料や史料などを整理して、興味をもてるような本とした。

字が小さいですが、拡大して御覧下さい。

 

1. 資料篇

1.           谷口雅春先生著作一覧表-(年代別)

           『生命の實相』戦前版 

           『生命の實相』戦後版 

           生長の家立教以前の著作

           生長の家立教以後の著作

           その他  

           著作集の注釈 

           参考文献  

2.           立教以前の執筆と寄稿の著作集

           谷口雅春先生の摂津紡績退職後の寄稿―『彗星』への寄稿全文―          

 ⑴「心靈療法の眞髄」(上)

⑵「心靈療法の眞髄」(中)

⑶「心靈療法の骨子」(下)

           大本時代の谷口雅春先生の雑誌及び新聞の編輯期間 

           『神靈界』編輯及び寄稿

           對語 ある國 谷口正治『神靈界』大正七年十一月一日號(頁2728)『神靈界』最初の文章

           『綾部新聞』における谷口雅春先生の文章    

           『大本新聞』における谷口雅春先生の文章    

           『大本時報』における谷口雅春先生の文章    

           『神の國』(B五判)掲載の文章   

           『皇道大本研究資料 龜岡叢書』 

           『大正日日新聞』における谷口雅春先生の文章  

           『光』誌への寄稿文章     

           『心靈界』『心靈と人生』誌への寄稿文章

           『生活者』倉田百三編集主宰の寄稿文章

           『新時代』綜合雑誌 主幹・杉中種吉、三土社 鳥谷部陽太郎

           『兄弟通信』 鳥谷部陽太郎主宰

⑯ 『爐邊者』への書簡

⑰ 『靈光』への御寄稿

3.           立教以後の御執筆と御寄稿集―戦前―

           生命の藝術社と光明思想普及會と著作集 ―著作一覧―

           戦前谷口雅春著作集全十三篇

            戦前『生命の實相』書店版全十四篇

           『朝日新聞』からの生長の家(谷口雅春)についての記事

           『逓信協會雑誌』昭和1010月号への寄稿

           『不惑の信念を語る』の寄稿(モナス発行 真渓涙骨編)

           『日本作曲年鑑』(昭和12年)に於ける雅春先生の作詞の掲載

4. 谷口雅春先生の『いのち』誌の寄稿

5. 本のサイズ

6. 今では使われない昔の本のサイズ

7. 立教以後の御執筆と御寄稿集―戦後―

① 『産業と産業人』における谷口雅春先生の文章 

② 『宗教時報』における谷口雅春先生の文章 

③ 『家庭よみうり』私の顔より      

④ 『信仰と人生』現代宗教講座Ⅲ   

 ⑤ 『不二』昭和3612月合併号  

⑥ 『週刊朝日』における谷口雅春と徳川夢声

⑦ 書店のための『仕入と販売』における谷口雅春先生の文章

⑧ 『青少年問題』昭和401月号における谷口雅春先生の文章

⑨ 『出版ニュース』における谷口雅春先生の文章

⑩ 『実業之世界』における谷口雅春先生の文章

⑪ 『社会人』における谷口雅春先生の文章

⑫ 『学校教育』における谷口雅春先生の文章

⑬ 『読売新聞』の投稿の谷口雅春先生の文章 

⑭ 『憂国箴言』公安資料調査会発行への御寄稿

⑮ 『ガンの精神的治癒』千島喜久男著

8. 谷口雅春先生の愛国への執筆と寄稿

           『帝都日日新聞』(やまと新聞)・『中外日報』・『新日本春秋』の寄稿一覧表

           『動向』の寄稿

           『民族と政治』に寄稿の文章

           『在家佛教』の寄稿

           『祖國と靑年』の寄稿

           『神宮の森―随想百人集―』の寄稿

⑦ 『書簡-天皇と靖国神社をめぐって-』

⑧ 『安楽死は人間の救済になるか』

⑨ 『日本は生き残れるか』の寄稿

9. 谷口雅春先生について書かれた本・論評 

10. 生長の家に対しての反論本

11. 月刊誌の変遷

12. 谷口雅春先生の投稿及び寄稿された雑誌

13. 『聖経』、『生命の實相』の内、翻訳出版配布されたもの

2. 旧制市岡中学時代篇

1.           一柳安次郎先生と谷口正治先生と旧制市岡中学校の校風

           一柳安次郎先生とは

②その当時の谷口正治先生

③校歌と送別の歌の作詞

3. 皇道大本時代篇

1.皇道大本と谷口先生

① 『国訳大蔵経』の読破

② 雑誌『彗星』と岡田建文

③ 心靈治療法の骨子を讀んで

④ 皇道大本へ

⑤ ―大本の入信の動機を語る―

⑥ 序にかへて―『皇道靈學講話』より抜粋

⑦『神靈界』の編集長までの経緯

⑧『言霊と神通力』

()        宇宙の一大神劇

()        三種の寶(たふと)き鍵

()        言靈學の槪念

()        ウの言靈

()        エの言靈

()        ハ及びスの言靈

()        シの言靈

()        其他の言靈

4. 聖光錄篇

1. 聖光録の歴史

5. 評論雑誌一覧篇

1. 生長の家の評論を雑誌に見る

6. 生長の家における検閲篇

1. 戦前、戦後の「発禁図書」と生長の家

① 戦後における「谷口雅春」著書の焚書(検閲)

            戦前の「谷口雅春」著書の禁書

A:戦前における内務省の検閲の詳細

             運動状況

             特異の言動調

B:安寧秩序妨害

           「禁安」「禁風」について

            安寧不問となった『余の國家主義』の本

            国会図書館の資料から

             結論

C:戦前の「生長の家」の発行の「発禁図書」の検証

           百事如意

  ② 生命の實相 第二巻 黒布表紙版

           『生命の實相』信の巻について

           『生命の實相』 第六巻 菊判

           『生命の實相』菊判装第二巻

           『生命の實相』菊判装第九巻 女性敎育篇・家庭敎育篇・佛敎篇

           『生命の實相』黑布表紙版 第八巻 人生問答篇における検閲とその対処

『生命の實相』全集第八巻昭和10325日 黑布表紙版

『生命の實相』全集第八巻昭和16920日 黑布表紙版(第六版)

『生命の實相』全集第八巻昭和18515日 黑布表紙版(第七版)

E:「内交」の本

           内交とは

F:戦前の『生命の實相』及び『大聖典』における検閲除外対策

             「検閲」除外対策を『生命の實相』第七巻からみる

             『生長の家叢書』と『光明叢書』のおける検閲除外対策

             『生長の家叢書』の検閲除外対策

             『光明叢書』の検閲除外対策

              黑布表紙版『生命の實相』第七巻六章「唯心思想の經濟的展開」から「價値の本質」の変更について

G:『大聖典』の生長の家の神示の差し控え

① 差し控えた神示

2. 戦前の御著書について

3.『生命の實相』携帯版叢書について

4.『生命の實相』大聖典物語(『生長の家宮城教区の歩み』より抜粋)

雑感余話-⑧

今回の出版の準備において、約700頁。しかし校正や執筆などで消費する紙の量はハンパではない。校正やその資料でその数倍の量のものが必要となる。その本の題材となる本はその夥しい資料の約2%程度に凝縮されたのが、出版する本となる。どれほどの日数がかかり、資料を集めるかといえば、今回は資料に掲載しないが「松本俊介」この人の資料も蒐集した。しかし、今回は『白鳩』を一つのテ-マとして掲げていたので、其処に重点を置いた。

 一冊の本を出版するのに、3,000冊の資料が必要であった。

何故?といわれるであろうが、これが眞實である。資料蒐集で約40年を経過した。谷口雅春先生の御本だけで約1,500冊の資料である。そこから、谷口雅春先生著作一覧表を作成したのです。膨大な資料から、どれを引出して書いていくかといえば、多くは眞理の書だから「雅春先生」の謹言であるのといえば正直そのほうが簡単であるが、しかしそんなことすれば著作権にもひかかってしまいますので、そうではないのです。

本の判の大きさ、頁数、奥付、目次が必要になってくるのです。勿論、雅春先生の著作内容も読まないと書けません。今回は何十箇所もあったのが、目次と本文の内容が異なることでした。また忠実にその当時の歴史的仮名遣いを使用していますので、その修正だけでも、一箇月を要しました。多分、行った人しかわかりませんが、どれ程大変なことかです。


 一番多く修正したのが「神」を「神」です。次に「教」を「敎」です。次に「霊」を「靈」です。これなどは見てすぐにわかる字ですが、中には「難」や「涙」「様」などはついつい見逃してしまいます。「説」や「脱」なども見逃してしまっている漢字も多くある。

本来はもう少し「歴史的仮名遣い」にしなければならない箇所もあったが、「パソコン」では出ない漢字や、現在は使われていない漢字など、悪戦苦闘でした。たとえば「聖」という字ですが、今回はそのまま使用しましたが、下の王という字の上の横線が片仮名で「ノ」が正しい。そういうことが度々ありました。「半」などは旧字体では使用できないので、そのまま「現代仮名遣い」を使用しています。ただ、出来るだけ、変えています。

また、ややこしいのが昭和30年代です。旧仮名遣いと現代仮名遣いが交叉してしまっている年代です。どの字で書けばいいのかわからない事があります。

 此処に書いていることは、本を見て頂ければ「納得」されます。
いままで、誰も行わなかったことですので、何とか頑張って完成させるしかない。

雑感余話⑦

度々同じような事を書きますが、「谷口雅春先生」の歴史を勉強させていただくと、矢張りとてつもない「哲學者」であり、「言語学者」であり、「医学者」でもある。そうしたことを感ぜられること故は、現在の私は常にそうした夥しい本を通して観じながら勉強をさせて戴いているからである。常に新しい発見があり、この問題はこうして発見するのだとか、何度か今まで講師に話を聞いても、また同じ事かととかそういう場面がこの校正と執筆においてないのです。次々と發見がある。そうした状態がこの2か月半続いていることになっている。

 

当初は今回の三度目の出版はあまり、気にして居なく「楽勝」というイメ-ジで発行を考えていた。それが今では、頭に閃光を受けたような衝撃があり、「もっといいものを出版」しなければならない。その気持ちが強いのです。前回も書きました「初筆」その言葉から頭から離れない。発行が遅れるのは仕方がない。「初筆」というチャンスのコトバを戴いた。それに「復興」を架けた、大きな橋脚のように、更に丈夫な更にデザインが満載された。アイデアが満ちたものにしていこうと決意したからである。

 

「生長の家」信徒だけが讀むのではなく。一流の作家や大学教授にも読んで欲しい。私は現教団の情勢などはどうでもよい。ただ、谷口雅春先生の「人類救済」という大きなテ-マは済崩しに崩落させ、大きな宮殿は崩落してしまっている現在の現状を「谷口雅春先生」の事を考えると「情けなく」「恥ずかしく」「申し訳ない」。

今回はそういう批判は最小限度にしておきたい。ただ、私の感想や思いなどは最小限度に抑えている。事実を積み重ねて記入しているだけである。

 

だから、「真理の言葉」が満載とかではない、事実を記入しているだけである。『谷口雅春先生著作年譜一覧表』という本の題名がその根本因を書いているが、それ以外も書いている。今回は「生長の家」が戦前に内務省警保局の検閲について詳細に記入している。また、前回も書いたが、宮崎白蓮についての「空白の短歌集」も書いた。今回私のブログでは書かなかった。聖経『甘露の法雨』の奇蹟についても、分り易く書いた。

 

前回では、光明思想社の出版物も少なかったが、今回は全てを網羅出来た。また旧制市岡中学の「一柳安次郎」を通しての、作家志望という、気持ちの発露となったのか、運命を切り開くことが出来たのかも書いています。

 

最近の生長の家の信徒は歴史を勉強しない、生長の家の真理を勉強しないのは、総裁がその程度であるから致し方がない。総裁以上の器が育たないのは、総裁がその程度であるから、トキさんがいくら嘆いても、成るべくして成ったのです。ただ、以前は真面目であった人物が急に遊び呆けているのは「その方が楽だからです」人間と云うのは“樂”な方に気持ちが向けば、そちらに行くものである。敢えて辛いようなことはしない。自転車遊びは辛いとかいうが、反面「静座」して神想觀を毎日やるのとどちらが辛いかといえば、わかるであろう。

 

 早く発行出来るようにしたいが、何せ「昔の資料」からもう一度漁っているから時間がかかる。今は仕事を休憩して行っているが、以前は仕事をしながら発行したのであるから、とてつもない事をしたのだと、我ながら感心する。

誰にも問い合わせが出来ない、それでも一歩前進します。

今回の出版予定の本を校正や校閲とかを行ないながら、疑問が生ずることが多くある。その一つが、

例えば『生命の實相』に関して何故もう少し早く調査しなかったのであろうかである。

!調査?

と思われるのは当然である。

『生命の實相』は変わっていないというのは容易い。しかし、それは間違いである。

また、戦前と戦後の違いであるという人もいるだろう。

それも、多くは判明しているのである。しかし、それならば何が疑問かというと

①『生命の實相』での編輯されている部分が未だに謎のある箇所がある。とりわけて昭和1418年に出版されている黑布版『生命の實相』である。ほぼ間違いなく検閲を想定しての削除が行われている。明らかに頁数が違うのである。間違いなく限定本5000部として出版されているのであろう。先日も人造羊皮版での違いもわかったこともある。その検閲と言うべきか、自主的に削除したのかはわからない。

そんなものを調べて何になるのだ。という人も当然いるであろう。しかし、こういうことを今迄何故調べなかったのかという疑問というのが当然の心境だと思っている。

 

戦前での出版にあたり、『生命の實相』は本当に苦労していたことを今回の本では書かせて戴いている。内務省警保局による弾圧、GHQによる弾圧と二重三重の苦心がこの『生命の實相』にあるのである。云うに云われぬ苦心の跡が『生命の實相』の中から私は垣間見る。   

ある一部の人は「この章立てがおかしんだ」という人がいるのは知っている。しかし、其の人に問いたい。貴方は『生命の實相』を隈なく、隅々まで見て発言されているのですか?

どのように、今迄に章立てして、検閲されて、削除して、検閲を除外されるために苦心されているのが、どの箇所か御存知かと問いたい。たぶん、何も知らないから反対にそういう発言をされるのである。今回、私は完全ではないが、隅々まで『生命の實相』というのを見てきた。それでもわからない部分がある。それは私の勉強不足である。

 

本来はこういう作業は「温故資料館」で行うのが正式な作業であるが、その本来行うことが出来ていない、レファレンスなどの作業などしていないからである。今のシステムならば出来ないであろう。裁判ばかり考えるような人に任せるのは本当といえばおかしい。もう何年も裁判ばかりしている。裁判が終わったら見せるのかといえば、見せないであろう。

 

前にも云ったが、「全国の図書館」や「大学図書館」では雅春先生の著書が見ることが可能です。本の中身を見れないのが「生長の家」教団です。こんな情けないことが世の中にあるものか、憤慨というより、こういう所の所業というのか、発言には気を付けた方がいい。「嘘」が多いのも顕著な事である。

 

宗敎が嘘を平気でつくのは實例を挙げて、このブログで書いたので読んでいただいている人は御存知だと思う、詳細については今迄のブログを読んで欲しい。

 

最近は或る方の疑問に答えられないでいる。本当に私も知らないことが多すぎる。情けなくなり、自暴自棄にすらなる。どこにも回答を問い合わせすることが出来ないので苦心している。誰もその回答を知らないから、誰も聞くことが出来ない。でも私は其の人の爲に「悦んで作業」をすることにしている。内容は後日記入することにします。今日も二カ所程、公立図書館へ行く、その回答を求めて歩むことにします。

神代古墳に調査

以前にこのブログで発表した、私の本家の橫にある「古墳」神代古墳だが、盆休みの時に初めての調査が入ると聞いていたので、ようやく調査するんだと安堵した。

http://livedoor.blogcms.jp/blog/tecnopla1952/article/edit?id=76666733

 

自治会が後押ししてくれたようである。

https://blog.goo.ne.jp/yayoitekken

 

奈良大学文学部文化財学科と斑鳩町教育委員会による古墳調査である。この周辺は有名な「藤ノ木古墳」を中心に周囲に古墳がある。「藤ノ木古墳」は円墳だが「神代古墳」は方墳ではないかと本家と話していた。

御坊山古墳群や寺山古墳群、竜田横穴群と「藤ノ木古墳」の北側に存する。それ以外にも沢山ある。「藤ノ木古墳」と「御坊山古墳」と「神代古墳」は直線で200m間隔にある。「藤ノ木古墳」のように未発掘であればいいのだが、盗掘されているのではないかと思う。ただ、正式な調査は初めてなので期待したい。

雑感余話-⑥

先ほど、私の姉と電話で話した。その内容の一部が「萩尾望都」のことである。

姉とは同じ学級で塾が一緒であった。萩尾は占いとかを友達などにしていたようである。それが“よく当る”のである。姉の結婚した歳と子供の数などを当てたようである。それと「萩尾望都」の事は漫画家で女子美術大学の客員教授である。中学時代から漫画の素質があったようである。当時の美術の先生が褒めていた。変な意味ではないが、中学時代などでちょっと変わった人間がそうした才能を伸ばすことを思う。

私の同級生の「高村薫」もそうであった。昼休み男子は運動場で、女子は其々のグル-プで話をしたりしていたが、彼女は独り勉強していた。そんな人が却って、才能を発揮することがあるのである。同じクラスの「本澤巳代子」でもそうである。だから、決して「疎外」などしないで褒めることが大切である。

 

萩尾望都

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%A9%E5%B0%BE%E6%9C%9B%E9%83%BD

 

高村薫

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%9D%91%E8%96%AB

本澤巳代子

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E6%BE%A4%E5%B7%B3%E4%BB%A3%E5%AD%90

 

 

 

雑感余話-⑤

あの三島義挙を考えると「谷口雅春先生」をどうしても思い出す。

あの当時は

佐藤栄作首相(当時)は「憲法改正を考えるならば、他にいろいろな方法があるはずだ。暴力行為に訴える了見はわからない。気が狂っているとしか思えない」と語り、中曽根康弘防衛庁長官(当時)は「世の中にとってまったく迷惑だ」と言い放った。三島の行動を浅墓にもテロと見なした自民党政治は、学生運動の衰退に合わせて腐敗の度を増していった。

 

森茉莉は、「首相や長官が、三島由紀夫の自刃を狂気の沙汰だと言っているが、私は気ちがいはどっちだ、と言いたい」として、以下のように語った。

 

【現在、日本は、外国から一人前の国家として扱われていない。国家も、人間も、その威が行われていることで、はじめて国家であったり、人間であったりするのであって、何の交渉においても、外国から、既に、尊敬ある扱いをうけていない日本は、存在していないのと同じである。(中略)滑稽な日本人の状態を、悲憤する人間と、そんな状態を、鈍い神経で受けとめ、長閑な笑いを浮べている人間と、どっちが狂気か?このごろの日本の状態に平然としていられる神経を、普通の人間の神経であるとは、私には考えられない。

— 森茉莉「気ちがいはどっち?」】

 

三島が事件直前の1122(谷口雅春の誕生日に当たる)に谷口宅と教団本部に会いたい旨の電話を入れている。面会が叶わず「ただ一人、谷口先生だけは自分達の行為の意義を知ってくれると思う」と遺言を残したとされる。

谷口雅春先生は『愛国は生と死を超えて』でその意義を説いた。また『やまと新聞』で理解を示した。

私も「現教団」の批判をするが、やはり「谷口雅春先生」だけは私の行為に「理解してくれると思う」という気持ちがある。森茉莉の当時の政治状況を痛烈に批評したが、全くその通りである。それは現在の情況も変わらない。それを「生長の家」教団として置き換えても通じる。「現在の教団」の行状に平然とできる信徒は普通ではないと感じる。

 

 谷口雅春先生の『生命の實相』で救われて、生長の家に入信した多くの人は、自転車や園芸や絵はがきに「長閑な笑い」を浮べて「はい、生長の家」です。とよく言えるものである。

現在の教団を否定することから”本来の宗教”を再生させる

長く信仰という活動を行い、そして現在は「谷口雅春先生」の生涯を辿り。如何にして“生長の家”がここまで発展したかを考えると、感慨深いものがある。“生長の家”の歴史を学ぶことが如何に大切かを少しずつであるが、学習させていただいた。

とりわけ、【自分の脚で学ぶ】ことを私は基本において、努めて「その地」に憧憬の念を抱くように辿った。

 

トキさんが掲示板に書いている

【二・二六事件の時に反乱軍に参加した兵隊の尋問を担当した人の回顧録を読んだことがあります。この事件で、襲撃対象者の殺害行為をした兵隊を調べたら、普段、軍務に真面目で、昭和維新の運動などには関係せず、上官の命令を素直に実行した人が、命令されるままに殺害行為を実行したそうです。逆に青年将校の感化を受け、昭和維新の勉強をしていた兵隊は殺害行為に関与していなかったということです。普通に考えたら、陛下の股肱を殺害するなどはとんでもない行為です。ところが、素直な人は、上官の命令を受けると、何も考えずに殺害を実行したのです。生長の家では「はい」を大事にしますが、何に「はい」かを気をつけないといけないのですね。

 

 私の知り合いにも、安東さんが教化部長だった時期には安東さん万歳で、最近は総裁万歳という人もいます。その変節には仰天しましたが、普段、何も考えない人なので、妙に納得したものです。】

 

 トキさんが書いているような信仰者は“生長の家”とは何かを学習していないからそのようになるのです。単に盲目的な信仰はその本質が見えなくする危険なことであります。

 

だから『生命の實相』をしっかりと学習すれば、現在の教団の可笑しさが「理解」出来る筈なのです。簡単なことだが、それが理解出来ない人はどうしょうもない。例えば「生長の家」は中心帰一の信仰だから“総裁”に「ハイ」であるとかは、間違っている。

何が間違っているかは『生命の實相』を讀めばわかるのですが、その内容に例えば谷口雅春先生は「自分に中心帰一せよ」なんて書いていないのです。その中心帰一という根本教義は「天皇陛下」に中心帰一を何度も書いている。それを発言しなかったり、それを書かないことは「生長の家」根本教義から離脱していることなんです。故に“教勢の数位”が滑り台を下るように落ちて行くのです。生長の家は「天皇信仰」だということを忘れ呆けいることが、教勢が落ちる所以だということを学習しなければならない。

 

よく例えられるのが「良人にハイ」という言葉である。享楽を趣味として、賭け事を行い、女遊びを行うような人に中心帰一出来るかどうかであります。意見を云えば「暴力」を振るうような良人には中心帰一をすればいいのかであります。私の意見は「中心帰一することは間違っている」と指導しなければならない。「良人の實相」を観るとかで、現在の情況を否定することなんです。現在の情況を肯定する気持ちがあれば、良くなるものも、良くならないのです。

 

だから、現在の情況は総裁という“享楽”を趣味とした『生命の實相』を讀まない人は中心帰一を出来ないと“はっきり”と発言することなんです。それが出来ない人があまりにも多いことを嘆くしかない。現在の情況を雅春先生は

 【私は中学時代大阪市岡中学で学んだのであるが、教師は演壇にたったとき、生徒総代又は級長が号令をかけて「先生に礼拝・・・・直れ」などと音頭をとって「形式的に敬礼」させるのでは軍隊式で、形式が先に立って「先生に礼拝する」ごとき魂で恩愛を感じて自然にお辞儀が出てくるのとは違って、強制される礼儀形式ばかりが先に立つ。】

 

だから、その生徒や信徒に強制的な命令や指示などは反対に反感を招くだけである。また

【現在、学校で教職についている先生方は自分の知っている知識を生徒に授けるのが教職者の仕事であるとのみ思っているらしい。“授ける”“受ける”の立場に立って、先生と生徒の関係は、上位と下属との関係であると漠然と思っている先生が多いのではあるまいか、なまけていて進歩の少ない生徒は劣等の人間であると、先生はその生徒を軽蔑する。生徒は教師の自分に対する軽蔑を先生の表情又は雰囲気で直感する。生徒はこんなとき先生より霊感的であり、先生の軽蔑心をすぐ直感的に身を以って体感する-“何クソ”と生徒は先生に反感を起すのだ-もうこうなったら“正しい教育”は成り立たないのである。生徒は先生に対して敵意をもつ。生徒の教師に対する校内暴力は此の敵意のあらわれであるのだ。】

 

このように雅春先生がご説明されているように、現在の生長の家教団は斯くの如き「敵意」を知らず知らずのうちに抱いているから「正しい宗教」の教えが出来ていないから「本来の宗教的な情操教育」に適さないのです。だから現在の「教団」を否定することから始めなければ、本来の宗教の教えが分からなくなる。

 

大阪教化部では和泉葛城山をヒルクライムすることで『新天地』が書いていた。別に昔も「ピクニック」や「ハイキング」や「キャンプ」などを行ったが、それは本来の宗教活動をしていたから、私はそれも大切なことだと思うが、現在は自転車遊びは教団の活動指針に入っているから、それは間違っていることである。宗教は「人を救う」「国家を救う」ことを行わなければ「破滅」するしかないのである。

このことを証明するかのように「信徒数」は二十数年前とは1/21/3とガタ落ちとなっているのです。

そんな時期に「ヒルクライム」するのはどうもおかしいのですが、活動しているとその可笑しさに気が付かない。いくら嘆いても、駄目です。もう破滅するしかないことを覚悟するしか残念ながらありません。

雑感余話-④

今回の本の出版に関してはまだ、校正で悩んでいる所があり、どうすればいいのかを模索している箇所もある。或る方に相談に行った時に、「初筆」という言葉を云われた。当初は其の言葉を理解出来ずに悶々としていた。それから、二週間程してようやく、目標を決めたがその人物像に関しては誰も追及していなかった作品でもあり、取敢えずインターネットや国会図書館に行って探索した。それが決まったのは八月の中旬であった。レファレンス集はそれだけでも谷口雅春先生の御著書は膨大な本があるので、全てを網羅は出来ない。主要な著書だけは作成したいと思い、今回は決めたレファレンス集だけでも三百五十頁を有す。

 

真剣にこれを読めば、谷口雅春先生の御著書を讀んだことに等しい。だが、多くの人はここまで読む人は少ない。国会図書館や多くの図書館でレファレンス集があるが、それを見て探究している人はほとんどいないからである。だから数人の協力をして頂いた人のみ進呈させて頂きたい。現在の進行状態では、私自身が脱線ばかりしているので、進まない。

 

戦前に出版された綜合雑誌『いのち』という目次に関してですが、十八冊の内、一冊のみ全くわからない巻号がありました。昭和十四年の二月號です。『いのち』として最終號の雑誌です。この雑誌を以前にこの「ブログ」で目次を公表しましたが、著名な作家なども多く執筆しており、本当に当時では驚くべき雑誌であったのです。多分、知らない人もいない、中河與一、本荘可宗、萩原朔太郎、杉森孝次郎、倉田百三、武者小路實篤、長與善郎、片山敏彦、谷川徹三、伊藤正德、保田輿重郎、齋藤、小島威彦、浅野晃、難波田春夫、龜井勝一郎、佐藤通次、草野心平・小田村寅次郎等々です。

 

それと『白鳩』に注目して作業を進めました。著名な作家なども多く輩出しているのには驚きました。「平塚らいてう、柳原白蓮、與謝野晶子、北見志保子、川上小夜子、生田花世、茅野雅子、中河幹子等が挙って寄稿した『白鳩』誌」ということで記述しました。本来はもう少し記入したかったが、これだけでも紹介だけで三十頁です。初筆だけでも七百頁の内、百頁以上がそれに該当します。

 

八月初めに『三島由紀夫事典』を購入しましたが、構成をどうするかを再度考えて行います。今回は誰も知らない「初筆」の作品集が出来ると信じております。それと『いのち』の文章な中に「市川房江」が短い文章で記載しているものがあった。驚いたが、当時では右とか左とか関係なしに注目された雑誌であった。

 

結構、総数七百頁でも少ないように感じております。ただ、時間がかかるのは仕方がない。立派なものを作りたいという気持ちだけは維持していきたい。


 

『ウィキペディア(Wikipedia)』では秀逸の記事ということで作家では『三島由紀夫』氏のみがそれに該当するが、私は依怙贔屓でみても秀逸とは思わなかった。影響した人物で谷口雅春先生の名前が出てこないのは不思議である。それを抜かしてしまうと、「楯の会」がどうして発足できたのかがわからなくなる。それと同じように「宮崎白蓮」も生長の家信徒として活動していた時期を抜かしてしまうと、空虚な論文となる。

三度目の谷口雅春先生の検閲

 生長の家の戦前、戦後の検閲を調べていると、本当にその悔しさが伝わってきます。だが、その真相を知る人は今は少なく、歴史も次第に風化していることを実感しています。

「生長の家」谷口雅春先生は三回の検閲及び禁書をされています。
戦前を一回目の検閲とします。(日本人からの検閲です。)
戦後を二回目はGHQの検閲です。(米国の日本弱体化政策です。)
現在の三回目は谷口雅宣氏の検閲です。「今」進行中の焚書です。


 現在、三番目の検閲が一番厳しい禁書であります。谷口雅春先生の御本を再版未定という絶版をして、検閲された本は谷口雅春先生の発行された90%以上という極めて酷い状況であることをしらなければならない。現信徒はそれを平然としていてはならないのであります。平然とする人はまさしく「フェイク」であり、本当の「生長の家」を信仰しているのではない。

経緯

昭和11930日の朝

朝日新聞における報道では「淫詞邪教を撲滅の指令」ということで「ひとのみち教団」への絞め付けは他宗教に及び、内務省や文部省の弾圧は更に厳しくなる。

その「淫詞邪教」とは

当時の既成宗教に比べて新興宗教の勃興は現世利益を旗印に昭和11年においてはその数は800余に達していた。

その新興宗教の七割から八割は神道系であったのが顕著である、だから生長の家にその矛先が向けられたのも頷ける。それではその新興宗教側から見た状況とは

既成宗教が無気力であること

大衆の生活不安と思想混迷

醫療制度の不徹底

宗教復興精神作興の聲を利用

④の宗教復興精神作興とは大正121110日発布の「國民精神作興に關する勅書」であり

 

関東大震災直後の19231110日に出された詔書で,教育勅語と戊申詔書の流れをひき,当時の社会的・思想的激動にたいして国民精神の振興を呼びかけたもの。〈国民精神作興に関する詔書〉の略称。第1次大戦以降大正デモクラシーの思想が広がり,震災直前には第1次共産党検挙が行われるという動きを,この詔書は〈浮華放縦ノ習〉〈軽佻詭激ノ風〉と激しい語調で非難し,〈質実剛健〉〈醇厚中正〉に立ち返り,国家の興隆を図れと国民を戒めた。

 

こうした聲を利用して「ひとのみち教団」の弾圧を行った。「大本」の場合の“不敬”とは異なります。尚、ひとのみち教団については当初から谷口雅春先生は批判されていました。


IMG_3063
報知新聞 昭和
11101日~3日(関西大学図書館)(朝刊5面)
IMG_3064
報知新聞 昭和111015日夕刊一面
ひとのみち

昭和11930日朝刊11

こうしたことが大きな理由であるが当事の新興宗教の多くは警保局から弾圧を受けるのである。やはり、「ひとのみち事件」からさらに厳しい新興宗教の弾圧がはじまるのでした。

 

 

下記の文章は今回述べた内容ですが

 

平成22年に内務省警保局「社会運動の状況」という資料を窺い知ることが出来ました。そこには宗教弾圧ともいうべきものもあり谷口雅春先生は「近況報告」でその旨を書かれている文面があります。昭和14年あたりから削除済という御著書が見つかります。そのタ-ゲットのような御著書が菊装版『生命の實相』であります。この本には何冊かには「削除済」という印鑑が押されています。その文章が

 

【『生命の實相』第二巻(昭和14625日発行)(菊装版)は内容中に医療妨害、人心惑乱等 安寧を妨害するものありたる為、718日削除処分せられたり。(社会運動の状況昭和14年度版より抜粋)内務省警保局】

 

それでは「内務省警保局」というのはどのように検閲していたのか?

生長の家が東京に進出するあたりから「著作物」を検閲するようになったのですが、昭和10年頃には「皇道大本」が二度目の弾圧を警保局から受けているのです。それは

 昭和10年(1935年)128日、早朝4時。

【綾部と亀岡の大本の神苑は武装した警官隊によって包囲されました。その数は合わせて500人以上もの大部隊です。腕に白布を巻き、白たすきを斜めにかけ、決死の覚悟で神苑内に突入した警官隊は、三代教主補・出口日出麿(37歳)を始め幹部信者を次々と拘束し、警察署に連れていきました。留置された人の数は綾部・亀岡合わせておよそ300人にものぼります。】

 

また「ひとのみち教団」(現PL教団)も内容の違いはあれど世間の厳しさは同様であります。

【昭和11年、特高警察に目をつけられ、不敬罪の名目で開祖とその息子・御木徳近(みきとくちか)は逮捕・投獄される。昭和12年には解散命令がだされ、御木徳一は不幸にも獄中で病死する。】

 

ともに「神道系」宗教であります。

勿論、「天理教」「金光教」もしかりであります。警保局より目を付けられていたのであります。

それでは「生長の家」においてどのような事例があるかというと

 

昭和17116日別府市松屋旅館における座談会の席上誌友藤川スミ(50)は体験談発表に際し「私は子供に対してお前達は飛行機乗りになろうと、大臣になろうと一生懸命勉強して天皇陛下に尽くして下さい。お母さんは如何に勉強して偉くなっても皇后陛下になれないのだからと言っている」云々の言辞を弄したるを以って当時臨席せる警察官において直にその発言を中止せしめ引続き本名を調べたる処、不用意の失言と判明せる為、大分県警察当局において厳戒に止めたり。

資料としては内務省警保局『社会運動の状況』昭和11年~17年に「生長の家」をいかに監視したかの文章が残っています。

 

講習会や講演会や誌友会など様々な監視があったことが記載されています。

 

  • 本書はその題名の示す通り「祕」として久しく伏せられてゐた神示を主として纂めたものである。何故、その公表が憚れて祕せられてゐたかと言ふと、それには國家の運命に關する部分が含まれてゐたために、出版物の検閲の厳しかった戰前に於いては、當時少部數の雜誌に發表されたときに、時の内務省警保局の検閲課から注意があり、若し書籍として発行せられるならば直ちに發禁が明らかであったために、そのまゝ『生命の實相・大聖典』編纂の時にも『聖光錄』編纂の時にも神示の全部を収錄したいと思ひながら、それを差し控えなければならなかったので、その儘伏せられていたものである。中略 戦後の神示にかんし關しては、占領軍の日本弱體化政策として、日本國の神聖性や、天皇の尊厳を説く文章の公表は禁ぜられてゐたし、私自身が執筆追放になってゐて、その種の文書を公表する自由を失ってゐたので、執筆追放以前に發表した神示は少しあるが、その後それをまとめて書籍として發行する自由をもたず、それを祕し置くより仕方がなかったのである。(『秘められたる神示』はしがきより)

 

雅春先生の戦前の書物に“削除済み”という判が押されている本があります。これは内務省という印刷がされているが、「特別高等警察」(特高警察)も内務省の管轄である。治安維持法の実行部隊も内務省である。だから常に印刷出版には“内務省の検閲”があったのである。

そのため事前にそうした検閲にひっかからない書物として出されていたのです。

 

『秘められたる神示』に記入された「豪華版『生命の實相』」などには検閲対象にされる言葉をあえて掲載しなかった。それを出版してしまうと、全てが弾圧を受けるのである。そういうことを把握しないで「生長の家」は語れない。

 

また、戦後において『平和版 生命の實相』の刊行の予定がありました。昭和21年『生長の家』誌12月号の5頁に掲載された「平和版『生命の實相』自費出版会員募集」という記事の中で、《唯今最も入手困難で、最も渇望されている、読んで病いが治り、運命が好転する無数の体験例ある(中略)生長の家聖典「生命の實相」全二十巻を、戦時のみに適せる心構の部分を省き、他は悉く完備せる厳密なる著者自身校訂の永遠定本の聖典を実費にて配本せんとする会です。》

 

『生長の家』誌 昭和22年3月号に「『平和版生命の實相』の自費出版計画も延期の止むなきに至りました」(『明窓浄机 戦後篇』31頁所収)と書かれているように、この平和版『生命の實相』の発刊は実現しませんでした。

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