則天去私

「谷口雅春」先生の生涯も綴っていきます。

2019年08月

讀んで戴ければ幸甚です。

雑感余話-③

谷口雅春先生の御本を纏めようと、私のブログで発表したりして出来る限り公表している。そうでないと「眞理の宣布」とならないからである。だが、個人的にはいろいろ御協力を頂いたりして有難いことである。また大本敎や一燈園においてのおもてなしは深く感謝したい。だが、皆さまも気が付いておられると思いますが、協力してくれない団体があります。断固として拒否されるのが「生長の家」なんです。不思議でしょう。

別に悪いことはまったく書いてはいない、また「生長の家」に必要不可欠なことなのです。得をすることはあるが、損するようなことはなにもない。それが何も理由がないのに拒否されるのです。それは何故だと思いますか、理由としては

  1. 見られると現在の体制に支障がある

  2. 裁判に支障があるからという理由

  3. 谷口雅春先生の話された内容を封印したい

 

上記の三つが主な要因です。しかし、そんなことをしていて、素直に理解される人はいるのかどうかであります。また現在教団で進めている「立憲主義」に反していることは明らかなことであります。教団は「立憲主義」を反故しながら、信徒には立憲主義を強要するのはなんとも情けない。それは現在韓国で行っている「反日政策」と同じことなんです。教団の行っている不正などを内部に反感を招くのを「安倍政権」にその矛先を向けているのであります。「反安倍」と唱えれば信徒も納得出来るというまったく勘違いのことを吹聴しているのに過ぎないのであります。また、既に教団を去った安東先生にその矛先を向けて、自らは正義だと主張することで、胡麻化しているにすぎないのです。

谷口雅宜総裁は自らの過ちに蓋をして、長年にわたり嘘を信徒に宣伝しているのです。

しかし、少し勉強すればそれも「嘘」だとわかるから、笑止千万である。ただ、その「嘘」も怖さがある、長く嘘を付くことにより、それが「嘘」が「嘘でなくなる」ことなんです。   

一番の嘘は谷口雅春先生の言葉を封印している「嘘」であります。それはどうして「嘘」かというと「愛国的」なことをして「焚書坑儒」を行っていることであります。そしてまた自らは「左翼的」「唯物的」な発言をしていることであります。谷口雅春先生の御著書を平気で封印して焚書としている現実なのです。

 

例えば、現在の信徒で「谷口雅春先生」の御著書(古い本)を読みたいといって本部や温故資料館で直接内容を読むことを要望しても不可能であります。嘘だと思うのであれば依頼されたらいい。そうした古い資料でも外部(信徒でも)の人は見る事は不可能です。

図書館で禁帯出では館内で見られるが、それも出来ないという、また今後閲覧が可能かどうかと考えると不可能である。

 

一燈園では外部の人でも大切な封書なども手に触れ、複写まで可能である。(谷口雅春先生の直筆の手紙)

 

現在、ネットで資料の広布を行っているのはごく一部で全般的なことを行っているのは私だけである。だいたい「雅春先生」の御本を古本屋で入手しても、其の人の書棚の荷物にしかならない。纏めることもしない、資料の作成もしない。自慢話だけであり、何等価値もなく藻屑でしかない、谷口雅春先生が怒られるようなことを平然と行っているのです。

 

しかし、そういうことを行うのはその組織の幹部が多いのです。本当に情けない事であります。しかし、それは「生長の家」教団だけではないのが残念なことです。谷口雅春先生の名前を使用しながら踏み躙っている行為を断腸の想いでいる。もう,どうすることも出来ないのであろうか。

皆さんも考えて欲しい。

偽經に惟ふ

私のように「生長の家」の歴史を学び、その教訓を考える時に「どうして」という言葉が大切になります。

 

むやみやたらに「新しいものを取り入れる場合」は注意しなければならない。「生長の家」教団が現在唱えようとされている偽經である「大自然讃歌」「観世音菩薩讃歌」です。

 

 若い人達は知らずにそれに賛同して推進するような恐ろしいことが起きています。雅春先生は度々それに対して注意を促しておられます。下記はコスモスさんが書いた文章であります。

 

谷口雅春先生は、神誌『理想世界』誌昭和32年4月号に、「青年宗教講座(14) 宗教の成立と神癒に就いて」とのご論文を掲載されていますが、その中で、「『甘露の法雨』の真似(まね)をしたお経類似のものを創作して、それを読むことを勧め、その経本を売る。」ことが、如何に恐るべき結果をもたらすかを、その57ページに、はっきりとご警告されています。

 

「『甘露の法雨』の真似(まね)をしたお経類似のものを創作して、それを読むことを勧め、その経本を売る。」 

 

「こういう狡猾な個人的な利欲的な行為をしますと、靈界からの守護がなくなりますから、自分だけの霊力によって霊を追い出さねばならぬ。」

 

「追い出された邪霊はこちらの運気の盛んな時には逃げているけれども、こちらの運気が何らかの動機で衰えるような廻(めぐ)り合わせになって来た時には、その追い出された邪霊が復讐を試るという事も随分あります。」

 

「それで「真理」の経典を読誦して悟らせることをしないで、自分だけの霊力によって病気を治すというやり方は、非常に危険なやり方で、そう言う霊力者の末路は必ずよくないのであります。」

(注、原文は、正漢字)

 

そういう全く出鱈目なお經を唱えて悦ぶのは悲しささへ、覚えます。自分には何ら変な兆候が起らなくても、別の人が起るかもしれません。

 

 青年局が解体させられた要因には祈りの言葉の題目に「行」?とか付けてそれが現総裁の逆鱗に触れた。結局、解体させられた。普通そんなこと当時は白鳩会でも行ったいることであったが、それを青年局がやったからということで、解体させられた。

 そんなことを忘れたかのように自ら平気で「僞經」を作る。このお經は「生長の家」の崩壊の兆しなのかもしれない。

 

 現在の青年会の人はもっと生長の家の歴史について勉強して欲しい。真摯に立ち向かって勉学して欲しい。

本当にあるものの價値

私は今回谷口雅春先生の御著書やその関連でいくつもの図書館や文学館を訪問した。そのいずれもが親切な対応であった。ここで数えれば18か所の図書館は行っている。青森県立図書館、青森県立近代文学館、五戸町立図書館、岩手県立図書館、兵庫県立図書館、神戸中央図書館、東灘図書館、西宮中央図書館、大阪中央図書館、大阪府立中之島図書館、此花区図書館、吹田中央図書館、吹田ちさと図書館、島根県立図書館、国会図書館 関西館、国会図書館 本館、焼津市立図書館、関西大学図書館

宗敎関連では

大本書庫資料、一燈園

 資料作成にはそれだけの熱量がないと出来ない事がある。上っ面だけで「これはこうだ」と云っても「表面は薄い」迫力のない、風が軽く吹けば飛んでしまうようなものでは価値がない。

 確かに『生長の家五拾年史』にこのように書いているといえば、そうだろうが。それを確かめたり、自分で確認を行う。それが抜けていると「迫力」のない軽い言葉でしかない。

先日、トキさんが好い事を書いていた。

 ある人が、大きな問題に直面し、解決をするために生長の家宇治別格本山の十日間練成を受講しました。その中で、個人指導を受けましたが、とうとう解決することができませんでした。

 

 その後、伝手を辿って楠本加美野先生のお見舞いに伺い、その席上、自分の問題を打ち明けて楠本先生から親切なアドバイスを頂戴しました。結果として問題は解決したそうです。

 

 ところが、宇治本山で受けた個人指導の内容と、楠本先生がされたアドバイスの内容はほとんど同じ内容だったそうです。同じアドバイスを宇治の本部講師がしたら「効き目」がなく、楠本先生がしたら効果絶大だったので、私にその話をしてくれた人は不思議がっていました。

 

 これは何故そうなるかというと、個人指導でその先生も『生命の實相』を讀んでいたのであろう。適切な回答をしたのである。だが、解決出来なかったのです。楠本先生のように熟練し、修行した人間でしか味わえないものがあるのです。

 

 それは『病気が無い』と云っても、心のどこかで「私は一年前に肝臓を患った」とか思っているのであろう。だから『病気が無い』というのが疑心暗鬼になっているのです。だから人を救うとか簡単に言葉で発するが、そこに「本當にあるもの」を発見できていないから、解決が出来ないのである。

 

 私が前回のブログで「谷口雅宣総裁」に“こんな程度なんです”と言葉は悪いが、蔑んだような云い方になったのは、私が間違いを指摘するのは二回目であるからなんです。一回目は『生長の家叢書』等での間違いであった。ちゃんと明窓浄机に記載があるのにそれを讀まないで想像で書いている。それ以外にも結構間違っているが、何故「間違い」を起してしまうのかを考えないからです。

 

 人間は確かに間違うものですが、それを「反省」することなく、他人に転嫁してしまう“悪い癖”があるのも間違いを直せないひとつです。「一切は自己に責任あり」との心境に至らないのは「私より相手が悪い」という宗教家では考えられない考えが根底にあるからなんです。そこを修正しない限り、和解など所詮“空虚”な譫言に過ぎない。

『野の百合の生きる道』の記載された日

『亀の子ブログ』で生長の家の機関紙に総裁が書いている文章の誤りを指摘されている。それが下記である。

 

< さらに、今日ここに持ってきているのは、『野の百合の生きる道』というタイトルの先生の詩です。これを雅春先生がいつ頃書かれたかは私は知らないのですが、たぶん立教して間もなくの頃でしょう。・・・(後略) >

 

ハッキリした日にちまではわからないが、大正151月~2月頃ではないかと思っています。

それはその当時『新時代』という雑誌に何回となく投稿なされているのですが、その雑誌の中の大正154月號に『野の百合の生きる道』が御寄稿されています。

 総裁は間違えるのは何故かというと、『生命の實相』を深く読んでいないのと、谷口雅春先生の業績を纏めていればこんなことは起きないのです。申し訳ないが総裁といえど、こんな程度なんです。


総裁は私のこの言葉に是非怒っていただきたい。そして『谷口雅春先生』の業績を纏めて公表して戴きたい。

 

 『新時代』綜合雑誌 主幹・杉中種吉、三土社 鳥谷部陽太郎編集・発行

大正13

10

若きものの成長のために

『聖杯』(神を審判く・三部作第一部)新刊広告

新時代

12

愛の二つの相

大正14

1

(訳)GRADIVA

2

(訳)GRADIVA (歩みぶりの見事な女)

3

(訳)GRADIVA

4

(訳)GRADIVA

『神の牙城に迫る』と『心靈現象と宗敎思想』の新刊広告

5

(訳)GRADIVA

6

(訳)GRADIVA

7

(訳)GRADIVA

8

戀愛について(運命に従順といふこと)

9

善き人間の資格について

10

自己を生かすこと、戀愛に生きること

大正15

1

大正畸人伝を読んで

智慧について

3

人類の偉大なる成長を希うて

4

野の百合の生きる道

5

無限生命を開發する道

6

(広告)『信仰革命』

攝理に對する信頼-晩年のトルストイについて

8

自在身への思慕

10

“新思想”式生活法(1

11

“新思想”式生活法(2

12

“新思想”式生活法(3

昭和2

1

お互ひに讃める生活

3

失業對策根本案

5

雰囲気の淨め方

6

純心生活法-吾が動的精神統一法

7

欲する事物を支配する道

8

Hornibrook氏の強健術(1

9

Hornibrook氏の強健術(2

10

Hornibrook氏の強健術(3

11

Hornibrook氏の強健術(4

12

Hornibrook氏の強健術(5

昭和3

3

人類に呼びかける言葉

人造羊皮版『生命の實相』地の巻 発行日についての考察

人造羊皮版『生命の實相』地の巻 発行日についての考察

私が所有している人造羊皮版『生命の實相』地の巻は合計三冊ありますが、蒐集は随分前となり、『著作集』に書き写した時期も20年程前になります。発行日について多少の迷いがあったのは事実ですが、昭和10101日としました。しかしどうして迷ったかというと、第六十八版人造羊皮装印刷が昭和141115日で同発行が昭和141120日となっているからです。本来はこのような場合は初版を有効にして記載いたします。

だが、昭和10101日とすると、その当時は人造羊皮装まだ発行されていない時期でもありました。ただ、三方金總黑革豪華版、いわゆる革表紙版は発行日が昭和711日と記載されています。これも本当は不思議だったのです。

 『生命の實相』の最初のものは昭和711日であるからです。

あくまで想像ですが、同じ活版印刷の版を使ったからではないかと思っています。

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上図は昭和10101日初版発行の『生命の實相』人造羊皮装版です。

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上図は昭和18515日第四版発行の『生命の實相』人造羊皮装版(初版昭和15229日発行)

 

さて、人造羊皮版『生命の實相』地の巻について話を戻しますが、私の所有している全てのものがこの発行日つまり昭和141120日となっているわけです。初版は昭和10101日です。

或る方から間違っているのではないかという御指摘を頂きました。そのコピ-を見ると初版発行日が昭和15229日であるからです。何故そのようになったかという考察を行いたい。

 

 その複写したものを見るとどうして変更されたのかの謎がわかります。つまり総頁数が異なります。844頁です。私が所有しているのが856頁です。右側中央上段に記載されています。

「總説篇」で6頁の削除と「敎育篇『生長の家』の敎育法」で6頁が削除されています。これは事前検閲ではなく内務省からの指摘があり、それから修正した可能性があります。それがどうして判明できるかといいますと、事前検閲は昭和11年以前であると理解して戴きたい。ある程度内務省からの検閲を逃れるために掲載しないことを行っていました。だが『生命の實相』の菊装版から更に検閲が厳しくなり、指摘されることも多くなってきました。また発行日の下側にカッコ内で5000部という表記がありますが、これは用紙の配給の爲、その数量が5000部しか印刷出来なかったことを著しています。昭和15年以降の出版物にはそうした限定本というのが多くなってきます。

 

これは前頁に指摘した

     百事如意

    『生命の實相』第二巻 黒布表紙版

    『生命の實相』信の巻 

    『生命の實相』第六巻 菊判 光明篇・宗敎問答篇・質疑篇

但し、私が更に調べた結果も発表させていただきます。

上記の四著作から更に、

    『生命の實相』菊判装第二巻 經典篇・經典篇・生命篇

    『生命の實相』菊判装第九巻 女性敎育篇・家庭敎育篇・佛敎篇

    『生命の實相』地の巻 

⑧   『生命の實相』第二巻 黒布表紙版

 

上記以外にもあるのかも知れませんが、詳細については不明です。

結論をいいますと、昭和18年頃に再版や限定本とされて発行されている本の多くは削除されて出版されています。

今回の印刷された奥付をみると印刷者が会社から個人名に変更しています。これは内務省からの取締を逃れるための方策であったと思います。会社であれば印刷が出来なくなる可能性があり、それを未然に防ぐ爲に個人名に変更しています。

 

それでは何故、発行日を異なる日にしたかといいますと、やはり削除されたことにより要点が分からなくなる、その為に当初の本と異なるということで、発行日を変えた可能性があります。

 

因みに当時の検閲は内務省に所属していた「警視庁特別高等警察部検閲課」という、いわゆる「特高」における検閲であります。当時は新興宗教を「類似宗教」とよび、その検閲にあたっていました。

 

出版法(明治26 年)

第七条文書図画ノ発行者ハ其ノ氏名、住所及発行ノ年月日ヲ其ノ文書図画ノ末尾ニ記載スヘシ

第八条文書図画ノ印刷者ハ其ノ氏名、住所及印刷ノ年月日ヲ其ノ文書図画ノ末尾ニ記載シ住所ト印刷所ト同シカラサルトキハ印刷所ヲモ記載スヘシ(以下略)

 

明治26 年「出版法」では、発行者の住所氏名、発行年月日、印刷者の住所氏名、印刷日を「文書図画の末尾に」記載することを義務づけました。現在、私たちが奥付と呼んでいる場所です。戦前の書籍の奥付に、わずか数日異なるだけの印刷日と発行日が2 行に並んでいるのは、この法令により記載が義務づけられたためです。

 

 また、今回御指摘戴きました御方に深く感謝申し上げたい。このように御指摘が大変勉強になります。御指摘は大歓迎ですので宜しくお願い致します。

 

 


 

南朝の里、天川村

南朝の里、天川村。

毎年、この大峰山に登頂するのは修行の爲と南朝の遺構を偲ぶためです。

以前に後南朝の件でこのブログで説明させていただきました。シリ-ズで何回となく記入させていただき、私も南朝の件について年に一回以上は参らせていただいております。

最近では“みたらい渓谷”というハイキングコ-スもあり、せせらぎの音を聞きながら散策できます。

 

【御身拂(ミタライ)とも御盥(ミタライ)とも申されている天川村は、南朝・後南朝哀史の数々を秘めた邑で、村内各地に史実・伝承が残されていますが、河合寺・光遍寺・来迎院などの黒木ノ御所に潜幸遊ばされた南帝方や護良親王は賊徒襲来の砌、ここみたらい峡の頂上にある観音峯(1,347メートル)の洞窟に天川郷士がご案内して度々潜られ給うたもので、洞窟の下の岩石に御歌が刻まれています。

 

吉野山 花そ散るらん 天の川

 雲のつつみを くずす白波

 

伝承によれば長慶天皇、天川の黒木の御所をお出ましになり観音峯の洞窟に潜まれ給いしも、賊徒、観音峯に押しよせ来るを逃れ給いし折、河川の増水せる、ここ、みたらい峡の「光の滝」に御入水、御崩御ましまし「みたらいの淵」にて御遺体をお引上げ奉ったと申され、御物、御玉体は光遍寺・弁財天社・牛頭神社・伊波多神社・国玉神社等に夫々お祀り申せしと伝えられています。

 

臨くと 登りてみれは みたらいや 

 みいずの神器 ここにあるかな 】
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天川村観音峰登山口から

大峰山寺へ

 本日の新聞に掲載されていますが、昨日女人禁制である修驗者の道である大峰奥駈道の洞辻茶屋の直ぐ南側に陀羅助茶屋からは少し南側、手前には登り道と下山道が分かれています。その下山道の階段部分で滑落事故がありました。私が洞辻茶屋でトイレした後、今まで知らなかったのですが、荷物運搬用のモノレ-ルがあるのですが、そこに7人ほど消防隊員が乗車して登ってくるのです。
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洞辻茶屋、この左側の建物の中にモノレ-ルの終点があります。
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陀羅助茶屋
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ホバリングして下の様子を見ている隊員。
崖の直ぐ橫を飛行しているので、緊張は続きます。
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西ノ硯から撮影
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大峰山寺の到着
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山頂の山上ヶ岳です。
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レンゲ辻の女人結界門です。

 実は昨日の早朝430分。観音峰登山口の駐車場に二台のパトカ-がけたたましく走り去って行くのを聞いた。AM5時に観音峰登山口を出発した私は洞川温泉の旅館がある道を通り清浄大橋に向った。その清浄大橋には奈良県消防の捜索隊が結成され、ヘリコプターが上空を飛び回っていた。

そこから一ノ世茶屋⇒一本松茶屋⇒お助け水⇒洞辻茶屋と登山の登り道を利用した。最近は全く運動していなかったので、洞辻茶屋からかなり脚にきていた。9人の消防隊員は途中崖下の険しい道を二人が降りて行った。山笹が蔽い茂る道なき急勾配の山道である。その他の人は階段を上がって行く、陀羅助茶屋を通り約100mの位置。その途中で分岐の道がある。登り用と下山用である。その下山用に消防隊員は上がっていく。少し細い道があり、板の張り付けた階段がある。崖の方に鎖が据え付けてあるが、そこに消防隊員が15名程いた。既にロープを崖下に降ろしていた。今から収容の爲に準備している。

 そんな緊迫したなかで写真とか撮るわけにはいかない。私も滑落した崖下を見たが、かなり急勾配の崖である。助からないと思った。

 立ち止まるわけにはいかないのでそのまま西の硯という、修驗者の修行の場所がある。ロ-プを身体に巻き、崖を身体の半分以上、乗り出す所から写真を撮った。ヘリコプターで救出作業されている寫眞です。

 

 山上ヶ岳からレンゲ辻を通り、レンゲ辻分岐があるそこから直接の大峯大橋の道があるが、そこを通ったのが間違っていた。かなり荒れ果てていて、道もなく傾斜面である、レンゲ辻の所で早速、砂利道に足を滑らせて、尻もちをついた、何回も六甲山の「トゥエンティクロス」のように川を往復する、勿論橋などのようなものはない。大きな石を伝って歩いていく、そんな場所が12カ所ほどあった。ただ下りは厳しい。つま先が痛くて仕方がない。

 その道程は殆ど崩落した道である。しかし、そこから登って行く人が5名程いた。最後の人は山上ヶ岳や稲村ヶ岳はこの道を利用するという。

 悪戦苦闘して2時間かかって林道についた。運動していない人間にとってはかなりきつかった。やはりこの道は登りで利用すべきであるが、慣れていない人には滑落の惧れがあるので利用しないほうがいい。途中何度も滝に出遭う。滝の橫の大きな石を渡って歩くということを考えてみれば、危険な事は想像できると思う。
無題
分岐したところに下りという矢印がありますが、滑落されたのはその付近です。

 山というのは厳しい部分もあります。油断したり運動をしないのに急に大丈夫だと思って高い山に登ったりすると、本当に危ないのです。私も最近は運動もしていなかったので、かなり厳しかった。毎年この時期に来ているのですが、以前ならば大峰山系を50kmの道のりを走っていました。しかし、それは今は体力がないので出来ません。もう少し鍛えれば可能ですが、無理はしません。
昨日の走行距離は22km
また、お亡くなりになられた人は天川村の畳店を経営されている63歳の人です。ご冥福をお祈り致します。

雑感余話-①

  今回の『谷口雅春先生著作年譜一覧表』は思ったより大変である。その反面、助け舟をして頂いている人がいて、幸せである。また、指導していただいている人もいて、私は幸せ者である。

 ただ、チャレンジさせて戴くために、次から次へと「生長の家」信徒でもほとんど知らない「情報」を出していこうと考えております。今回は「則天去私」にも掲載していない情報も掲載したい。明日は本家に墓参りを行くために二日程、休むがそれまでは毎日が編纂するために没頭した。どうしたら見て頂けるかを考えております。また、「生長の家」の歴史をいろいろな史料を使って披瀝しています。


 前回の『谷口雅春先生著作年譜一覧表』(中)の朝日新聞廣告欄は一旦削除して新たに資料を200頁増補して作製しています。いままで語られなかった『大聖典』の神示の已む無く掲載しなかった神示など、「生長の家」教団として「禁書」対策として行った「聖典」への「削除済」の問題をきめ細かく掲載しています。青森の『東奥日報』の資料や『焼津港報』の『聖經甘露の法雨』の奇蹟の詳細や摂津紡績の場所等、様々な分野で増補しています。『生長の家五拾年史』を傍らに是非見て頂きたい。

 戦前の『谷口雅春著作集』『生命の實相』の書店版を掲載しています。戦後の『生命の實相』書店版は全部の網羅は出来ませんでしたが、ある程度までわかりました。

 

  また、社会的な状況からどうして宗教が弾圧されたのか、生長の家の聖典が何故「禁書」となったかを深く追求しています。読んで頂ければ納得して戴けると思っています。本来は現在の「教団」の幹部等は読んでもらわないと困るのである。生半可に知っている為に「谷口雅春先生」の生き方を知らないでいる。私のような「生長の家」教団から二十年前に去った人間が行う作業ではない。教団内に多くの資料が残っているのだから、それを使用すればもっと深い追及も出来たと思っています。それが残念でならない。それでも、見て頂ければ驚愕されると思います。

 
現況はA4サイズ上下巻 総数約700頁です。暫しお待ちください。

 

 

 

『いのち』誌より

『いのち』誌(昭和128月号)に記載されたものを抜粋させていただきました。

 

自然の寶石            谷口雅春

夏の朝露は

その一つ一つが寶石

その寶石の中に

全世界が宿ってゐる。

その澄んだ瞳から蒼空が物云ひ

生命がその神祕を囁いてゐる。

太陽がさしのぼれば

そのひとつひとつが

燦爛として亂舞する。

 

花咲く丘             谷口雅春

花さく丘に私は登って行った。

眞夏にも蝶々がゐる。

こゝは常住の花の世界だ。

蝶々がつがってゐる。

黄金蟲もすがってゐる。

おゝ、不可思議の世界だ、

燕が鰈のやうにひらりと空に翻る

雀が矢のやうに

また弾丸のやうに飛ぶ、

その飛んで行く先を見れば

お伽噺の繪にあるやうな雀の巢がある。

そこに小雀が親雀の運んでくる餌を待ってゐる。

御陵について謂(おも)う

『不二』誌の雑誌に天皇陵を巡拝したという報告書があり、このような青年がいることを嬉しくなる。私も皇陵参拝は全国巡拝しました。神代三陵も参拝させて頂きました。ただ、今回、青森相馬旧陵墓参考地や蜂子皇子などを廻ると、まだまだ巡拝していないなということを実感するのです。様々な逸話やその地方の傳稱を触れることは、まだ巡拝していないことに通じてます。蜂子皇子の八咫烏の伝説など知らなかったのもその一つです。

マダマダ、知らないことが多すぎることが私が巡拝させて戴いての感想です。

 亀の子ブログさんが日本武尊能褒野御墓(ヤマトタケルノボノ)を紹介されています。その三重県などは能褒野王塚古墳として名称を付けています。ここには出来るだけ“大和武尊”と云う名称を省きたいという願望が奥底にあるようです。

 

 私も参拝しましたが、陵域内の培塚が多く有り、それが細かく点在している。ただ、住宅地に囲まれてしまった陪冢(培塚)もあり、どうにかして欲しいという気持ちです。ほんとうにそんな事をすると陵墓の価値がなくなるのです。

ここは陪冢が「い号」~「ほ号」とあり、立て札には「飛地い号」とか書いています。それ以外に域内陪冢として「い号」~「り号」があり、「い号」陪冢の中に域内陪冢が「ぬ号」~「を号」があり少しややこしかったことを憶えています。陪冢が合計で12か所あります。

 

 現在、考古学という日本の伝統や歴史を無視するような学者が多すぎる。最近では「民放」「NHK」が“仁徳天皇”という表記をしているのが、その“仁徳”の名称が気に食わないので文句を付けている。なんという自己勝手な論であろうか、情けない。

 考古学者の偉いさんが何者であるかということです。考古学者が歴史をそんな唯物的な感覚だけで見ている。自分と意見が違うからと云って、そりゃないだろう。何か、韓国人や中国人の思想の人が多すぎる。

そんなに日本の「古事記」「日本書紀」が気に食わないならば“考古学者”など辞めてしまえと思って居ります。

旧假名を使いませう

戰前の文字を用いての譯語、難しさも觀じつつ「判」とかが私のパソコンでは打ち込みが出来なく、残念に思ってしまう。ただ、あまり使わないが、見かける平假名に「ヱ」という字があります。

あの“ヱビスビ-ル”がこの「ヱ」を使用してゐます。また40年前にはエスビー食品が「ヱスビ-食品」で使ってゐました。

 ヱは平仮名で書くとゑですが、發音は「うぇ」という發言になります。パソコンでWEとキ-ボ-ドを叩けば「ゑ」が出て来ます。

また、発音で「うぃ」となれば「ゐ」です。パソコンでは、WIとキ-ボ-ドを叩けば「ゐ」が出て来ます。

 

 さて、最近「ヱ」という言葉は意外と若者が知っています。それは「ヱヴァンゲリヲン」のアニメの影響からです。この「ヱヴァゲリヲン」を戦後の人であるならば「エバァンゲリオン」と書くのですが、「ヱ」は戦後の国語審議会で無くなってしまったコトバの一つです。これもGHQの戦後政策であったことは事實です。それが反對に若い人が使用するのもいいものです。

 

 それに關係はしていないが、ローマ字で「圓」は「YEN」です。これも實際何故「Y」が付くのがわからないと書いてゐますが、先ほど述べました「ヱビス」は「YEBISU」と記入します。だが、實際は“ワ行”です。これは「ヘボン」のロ-マ字の影響を受けています。「え、ゑ」で始まる語は「Ye」となってゐたからです。古地圖では江戸は「YEDO」と記入されてゐます。

 

 

 さて、この平假名でもう一つ苦労するのが「や行」です。“や (い) ゆ (え) よ”ですが、実際はヤ行のえは「いぇ」と発言していました。戦前ではまだこの「いぇ」という平假名は使用してゐました。「江」をもとにした字ですが、實はパソコンでは現在の私の實力では書けません。

 

 また、「変」の部首は「言」ですが、今の漢字ではその意味がわかりません。旧字体の「變」であるならば理解出來ます。「医」の部首は「はこがまえ」ですが、それがどうして「医」になったのかこれでは理解できません。「醫」や「」を書けば、その意味も理解出來ます。

 

 漢字で苦勞していますが、やはり歴史的假名遣いでないと意味がわからないのも、大変理解出來ます。

 また、それに戻すのも「ヱヴァンゲリヲン」のやうに若者に人気になるのかもしれません。

三次の朝靄

「三次の朝靄」 谷口雅春

 

蜩(ひぐらし)の 如くに河鹿 啼きてあり こころと聴え ほとほとときこゆ

 

河縁(かはぷち)の 宿に来りて 瀬音聴けば こころ浄まり 月澄みてあり

 

まんまるに 月のぼるなり 遠山は 靄(もや)にかすみて 静かなる春

 

三原より 三次(みよし)に来り 法(のり)伝ふ 河縁の宿に 河鹿鳴く聴く

 

河鹿の音 いよいよ深く 澄み切れば 静けさまさり 春更けてけり

 

河ぷちの 宿は静かに たそがれぬ かなかなのごと 河鹿きこゆも

 

満ん月は いよいよ高く 澄みきるに 瀬音しげくも 光くだけて

 

幾そたび 砕け散るとも 実相の 月ははろけく 澄み切れるかな

 

遥々と 三次に来り 法(のり)つたふ 我を迎ふと 河鹿啼くなり

 

河鹿の 三次の宿の 桜並樹(さくらなみき) 葉既に出でて 春老いにけり

 

春ふけて 遠山かすむ 河縁の 三次にをれば 此処実相なり

 

国を救ふ 今日も救への 旅の宿 行く先さきが 浄土なりけり

 

河鹿の音 愈々澄めば わがこころ いよいよ澄みて 月まろきかな

 

霧晴れて のちの朝日に 輝きて 遠山ちかく 煙たつなり

 

国いのる 講習会に 集れる 人ををろがみ 我も国いのる

 

天皇は 絶対なりと 知りしより 神州不滅 いよゝ尊し

 

昭和16年春、谷口雅春先生は広島を始めとして呉、三原、徳山、岩国と中国路を御巡錫された。

 

昭和16年春、この年の『生長の家』誌新年号には「大日本神国観」を発表されて

「(この)神想觀を、正月元日から実修して御覧なさい。度重なるにつけて、真に日本国家の荘厳極りなく聖恩限りなく有り難きことが感得せられるでありませう。」

日本的なるもの

1. 日野智貴

 20190731 10:38

 丁寧にご教示くださり、ありがとうございます。

 私も歴史学を学ぶものとして、より現地の古墳を調査したいと思います。

 箸墓を卑弥呼の墓扱いする違和感は、私も抱いています。

 『古事記』『日本書紀』をどう読んでも倭述述日百襲姫の陵墓以外の解釈はあり得ませんもんね。

 

現在、左翼的思想に凌駕されている考古學を彼のような“日本的思惟”を持つ人が早く物質的な考古學ではなく、靈學的な價値ある“古事記”“日本書紀”から發露する「考古學」を生み出して欲しい。それは言靈的解釋による「日本的なるもの」であります。

單に銅鐸という物質を視て、これは紀元何百年のものであるとか、須恵器も見て年代だけの興味をもつのではなく。

 

例えば、三角縁神獣鏡は日本だけにしか産出していないものである。それをより“日本的”なる解釈で考察していただきたい。先日、桜井市にある「谷」という地名の所に行ってきた。ここは磐余という地名で昔は呼んでいた。この磐余こそ「神日本磐余比古命」の名前の由来となった地であります。

日本書記に記された神武東征の物語には、「磐余の地の旧名は、片居または片立という。大軍集(つど)いてその地に満(いは)めり。因りて改めてその地を磐余とする」との記述があり、神武天皇の和風諡号にも神日本磐余彦天皇と「磐余」が含まれています。この地は、古代ヤマト王権の根拠地として、履中天皇の磐余稚桜宮、清寧天皇の磐余甕栗宮、継体天皇の磐余玉穂宮、神功皇后の磐余若桜宮、用明天皇の磐余池辺雙槻宮などの諸宮があったと伝えられています。また、履中天皇の条には、「磐余池を作る」と記されています。

 

このように、その地域に行って昔の暮しや憧憬の念で思い浮かべて戴きたい。

 

期待しています。

"月曜随想”を讀みつつ感涙す。

人には夫々の“人に対して”の観点というのがあります。

「あの人は嫌だな」という思いがあれば、それが頂点としてその気持ちが癒されないでいる。それが意外と幹部の人に多いのは驚く。「谷口雅春先生はこのようにおしゃっておられる」と文面を引用して宣言されている人でありますが、引用するのは悪くない、しかも中々“素晴らしい”発言をなされている人です。しかし、同じ「生長の家」として昔は一緒に行なっていたにも拘わらず、“憎しみ”“嫉妬”“憎悪”とその人の感情は癒えないでいる。

 

 そういう私もそういう感情は持っている。どうしてもそれが癒されないでいることもある。だから人の事を云えない気持ちもある。だが、出来る限りそんな感情を棄てようとしている。雅春先生が書かれている。

剣聖中山白道の語録に曰く「剣道の極意は敵なきを以て極意となす」

そんな心境になれるのかと思ってしまうが、しかし人を審判いたりしていて、心痛を起こさないのであろうか。「天地一切のものに感謝せよ」とは、不平不満や憎悪ではない。

 

 現在は色々な感情が渦巻いているが「谷口雅春先生」だけを観て、眞理を宣布しようではないか。現在の総裁は余りにも現象世界で「悪感情」に充滿され、闇の世界に埋没しているようにみえる。それを一切擲って『生命の實相』を讀もうではないか。

 

 今、私は再度『やまと新聞』の“月曜随想”を読みながら、涙を出しながら、感謝しながら読んでいます。

心の障碍

最近は何か不信なことがあれば、深く考えるような人間がいますが、以前ならば「そんな人間もいる」というだけでありましたが、最近はそういう人間を「発達障害」という向きで考える場合がある。

 例えば、おのれの考えを公平に見ることが出来ずに、そうした思考に極度の不信感や嫌悪感でみる人であります。厳密にル-ルを守ろうとするあまりに人との接し方がわからずに孤立する人であります。また相手の反応や状況を察することが出来ないでいる人であります。

 

 最近はそんな人を自閉症スペクトラム傷害(ASD)という。そういう特徴に当てはまった人が近くにいるのかもしれません。ただ、当本人はそういう自覚がない。そういう人は周りの人の多くは気が付くのですが、本人には全く自覚がないため、難しくしているのではないか。

 

 自閉症スペクトラム障害(ASD

 

自閉症スペクトラム障害は先天的な発達障害の1つで、特徴として

①社会性と対人関係の障害

②コミュニケーションや言葉の発達の遅れ

③行動や興味の偏り

3つがあるといわれています。

 

従来、世界保健機関(WHO)の定めた国際疾病分類(ICD)やアメリカ精神医学会の精神疾患の診断・統計マニュアル(DSM)では、アスペルガー症候群などとともに広汎性発達障害というカテゴリーのもと自閉症という診断が位置づけられていました。2013年に刊行された「DSM-5」では、自閉症という障害名は廃止され、自閉スペクトラム症/自閉症スペクトラム障害の障害名のもとに統合されました。

 

 今回の京都アニメなどの青葉容疑者もそのひとりであろうと思います。小説に応募して、そこから「自分の小説がパクられた」という強い思い込みがあったとされている。その為に34人の人を殺傷する理由にはあたらない。だが、思い込みというのはこうした危険な場合もあるが、通常は穏やかな生活をしている人が大半である。

 

 以前はそんな人が「宇治別格本山」に研修にきて、そうした治癒にあたっていたことがある。近年は発達障害の認知度も高まり、病院などで受診する人も増えて来ている。

 

 相手に対する思いやりや深切など様々な行為がありますが、周囲に解け込むことにより、自分の行いなどを深く観察すればいい。一方的な押し付けや「そうでなければならない」という固定観念を呪縛してしまう人はもう少し解放すればいい。そうすることにより穏やかに生活出来るようになる。心の障碍を解き放つ爲に、ゆっくりと神想觀をするのがいい。

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