「北支光明化祈願の神想観修行」と題しつぎのごとく呼びかけられたのである。
《妖雲暗澹いま北支一帯は荒掠と恐怖の巷と化してゐる。荒掠と恐怖と戦乱とがその地を脅やかしてゐるのは、その地に「大なる明るさ」が欠けてゐるからである。言ひかへればその地に天照皇大神(あまてらすおほみかみ)が岩戸隠れをされてゐるからである。天照皇大神(あまてらすおほみかみ)よりも「大いなる明るさ」はない。天照皇大神、ひとたび岩戸より出御まし稜威(ひかり)あまねくその地を照せば蒼蠅(さはへ)なす兵匪(へいひ)もたちまち沈静に帰するは必定である。ここに生長の家家族は互ひに聯盟して祈りの精神波動を北支の地に送り。その地に天照皇大神の岩戸出御を冀(こひねが)はんとするのである。吾らの立場として戦乱に対する超物質的治療はこれである。この祈願は生長の家本部にては既に始めてゐる。参加希望の誌友諸君は十二月中毎夜十時より、満州の方向を向き四十分間神想観の形式にていつもの招神歌を唱へて打坐し、静座半ばにして精神の統一し来れる時、次の祈願歌を心に繰返し念じつつ、北支一帯が天照皇大神の光に遍照されて神神しく平和なる光明遍照の世界なることを現にありありと心の底深く思念せられたい。
祈願歌
厳かに岩戸ひらかれ稜威(みいつ)照る吾が天照皇(すめ)大御神》(『生長の家』第三輯第一号)
※文中で蒼蝿(さはへ)というルビについて辞書を引くと「うるさ」「ぎんばえ」「あおばえ」「そうよう」とあり、「さはえ(へ)」と云うコトバが見当たらなかった。
さて、「北支光明祈願の神想觀」とは「基本的神想觀」に祈願歌を挿入するという方法である。
今回、ブログにて「北支光明化祈願の神想觀」は『生長の家五拾年史』に掲載されていた。(頁256)御指摘いただきました貴女に深く感謝申し上げます。
また、己の勉強不足と『生長の家五拾年史』をしっかりと讀んでいなかったことを暴露したような形となった。申し訳ございません。