則天去私

「谷口雅春」先生の生涯も綴っていきます。

2019年04月

讀んで戴ければ幸甚です。

大本入信前の意(こころ)

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『神靈界』大正7111日號に初めて御寄稿される文章は贖罪意識と反面は歓びに充ち溢れています。既に「皇道大本」の勉強をされ、その意味を把握されての投稿でありますから、大本入信して勉学されるというより、雑誌『彗星』を讀み、大方の意味も理解されていたことが、下記の文章でわかります。また、神靈療法の意味や「皇道大本」の関連書や『古事記』なども讀まれていたのではないかと思っています。谷口雅春先生の御苦悩や贖罪意識の呪縛から、もがき苦しみられていた様子が書かれています。その苦悩からの脱却を最後の方の文章では歓びに充ち溢れた形として変化していきます。

 

對語 ある國 谷口正治『神靈界』大正七年十一月一日號(頁2728

幽界の樹林、男女の幽體縺れ合ひながら語る。

 何を泣いてゐるんだい。

 聞ゑて來るでせう、それ。

 何が?

 人々の泣き叫びが、あの阿鼻叫喚が貴夫には聞ゑませんか。

 何も泣く事はないぢゃないか。艮の金神様が現職(おもて)になりて、世の建替をなさるのじゃ。惡は滅び、善は榮ゆる神様が實現するのぢゃ。お前は最後の審判(さばき)が恐ろしいのか。

 それ、それ……何と云ふ残虐でせう。屍の上に屍が積み重ってゐる。見ゑる、見ゑる……屍の數は幾萬と云ふ程だが數が知れない。斷末魔の叫びが聞ゑる。呻き、悶ゑ、叫び、わたくしはあの人達が可哀想でならないのです。可哀想で!(欷歔く(すすりな))

 最後の審判がもう始まってゐるのぢゃ。此の國の人達はあまり心が腐ってゐるから、特に遠い所から建替をお初めになった。もう近い中(うち)に此の國へも嚴しい審判が來るに相違ない。この事は二十△年前から神様が御警告になってゐる。歐州の戰爭を對岸の火災視して漁夫の利を占めてゐた此國ももう戰爭に捲込まれた。さうして水晶の世界が出現するのぢゃ。

 聞ゑる、聞ゑる!恐ろしいあの光景(ありさま)!(跪いて祈る)艮の金神様、残虐の手をもう少しお弛め下さいませ。わたくしの受難をもって一切人類の罪惡を贖はせしめ給へ。

 その祈念(いのち)こそ誠の祈祷(いのち)ぢゃ。(目を瞑って靈眼で見ながら)この頃大本は素晴らしい参拜者だ。一日に萬を以て數へられる。しかしお前の祈念(いのり)のやうな祈念(いのり)をするものは一人もない。世界對この國の大戰爭が【姑(印刷の間違い)】始って以來、愈々大本の預言が的中したと云ふので、罪を犯しながら命の惜しい連中が押合ひへし合い神様の許を求めに來る。

そのやうな連中は根の國底の國に蹴落して了ふが好い。何故今迄の多くの罪科を數日の參拜や、鎭魂や、無言修行で帳消しにしたいのだらう。

 いゝね……神様どうぞ一人でも多くお助けして上げて下さい。

 俺は今迄どれだけ多くの罪を犯してゐたゞらう。俺は兎に角眞面目に生きたかった。如何に生きやうか、是が俺についての全ての問題だった。美しく生きよう。正しく生きよう。この二つの問題は俺を迷路に導いた。美と善とが俺の心の中で紛糾(ごっちゃ)になった。

色彩の感覺すら善惡を超越してゐるのに……俺は時々誤ってゐた俺は時々誤ってゐたのならばよかったが、人は周圍の人に關係なしに生きることは出來ないから同時に他の人を誤まらした。

 その中の一人は俺が卑怯であったために遊女に陥落(おち)て往った。彼女は遊女になってから幾百人を堕落さして惡魔の使をしたことだらう。かうして俺が直接間接に堕落させた人々が此度の大建替で一纏めにして灰にしられて行くのに、堕落させた張本人の俺だけがどうして刑罰を受ける事を忌避しようか。俺は今も、これからも大本のために世界改造のために働きたいと思ってゐる。しかしそれは神様の御前に阿諛(こび)て最後の審判の網の目を逃れるためでは無論ない。俺は大神様の前で斷言する……。

 龍神様が蹶起(おた)なさいました。世界中が此の國へ押し寄せて來ました。御覧なさい。この小さな國は到底(とて)も敵(かな)わないでせう。アレ風の神様、雨の神様、地震の神様、磐の神様達が、それぞれお起ちなさいました。

男 神様の豫定の仕組だ。敵軍をすべて此國へ誘びき寄せておいて鏖殺(みなごろし)にするのだ。世界の人口の△分の△は死滅する。そしの後は汚れのない水晶の靈魂ばかりが残るのだ。

 あれあれ火の雨が降る。土地が崩れる・(雷、霆、霹靂、激しき暴雨)

 俺達の働くべき時が來た。さあ行かう。

(二人舞臺より去る。愈々激しき震動、鳴動、火山、爆發、雷霆、雷靂、暴風雨。やがて妖雲晴れ、鳴動止み、天地一時に洗はれたるが如き空氣に浴す。日光照々として照り榮え、暫くにして樹草萌え出で、舞臺一面に梅の花咲き、黄鳥玉聲を囀ず。天使七福神の服装にて出て來り、輪を描いて舞ひ遊ぶ)

天使の歌 體主靈從(たいしゅれいじゅ)滅び果て 靈キ軆從(ひのもと)の光彌榮(いやさ)ゆる

大春は 來ぬ梅の花 御代を祝ひて 咲揃ふ

御代は萬代(よろずよ)千代八千代 常磐の松と 榮ゑます

常磐の松と榮ます

『古事記』仁徳天皇 「登高山」について

日野君へ

コメントありがとうございます。

『古事記』では確かに「登高山」と記載されています。

 

 於是天皇、登高山、見四方之國詔之「於國中烟不發、國皆貧窮。故自今至三年、悉除人民之課。」是以、大殿破壞、悉雖雨漏、都勿脩理、以受其漏雨、遷避于不漏處。後見國中、於國滿烟、故爲人民富、今科課。是以百姓之榮、不苦使。故、稱其御世謂聖帝世也。

 

 だが、その「山」と呼べるような場所が近くにないのです。それではどうして山という言葉を使用したのかといいますと、是は私の推論ですが、昨日も記入しましたように、上町断層の断崖というのが大阪湾から望むと、高い山に見えたのではないかと想像出来ます。その為に浪波や難波というように、激しい急流は地底の落差によるものであると推論出来ます。

 

 その当時は奈良の都に出るためには、船で淀川を上り、木津川に出るのが、途中の川とかを考えると利便性が大変良いのであります。磐之媛命が岡山に出て、帰宅せずに、船で木津川を上って、奈良坂の近くまで行ったと記載がありますように、徒歩では行きづらいことだと思います。

 

 また、「高津(こうず)」という呼び方ですが、津は「入り江」や「船着き場」「港」の語源であります。「高」は高い台地を指しています。上町台地を歩くとわかるのですが、所々高低差があるのです。
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左側は大川です。右は上本町六丁目です。
上町台地を断面しました。このように見ると私が推論していることがお分かりいただけると思っています。

 

 

 

『日本書紀』では

四年春二月己未朔甲子、詔群臣曰「朕登高臺以遠望之、烟氣不起於域中、以爲、百姓既貧而家無炊者。朕聞、古聖王之世、人々誦詠德之音、毎家有康哉之歌。今朕臨億兆、於茲三年、頌音不聆、炊烟轉踈、知、五穀不登、百姓窮乏也。封畿之、尚有不給者、況乎畿外諸國

 

「高臺」を上ると記入しています。

私は高台で正解だと思っています。

高津の宮の址

 

「万葉12歌人とゆかりの土地から」抜粋致します。

仁徳天皇と難波高津宮(たかつのみや)

 

古代の難波

 

右図は7~8世紀頃の大阪平野と難波(なにわ)周辺の地形を示している。

 難波は、ヤマト王権が西日本各地のみならず、中国王朝や朝鮮諸国との交流

の拠点として重要であることから、4世紀末から5世紀初頭にかけてここに

都を置き、難波高津宮(なにわの・たかつのみや)や前・後期難波宮(なに

 わのみや)が上町台地上に営まれてきた。

 

当時、上町台地の東側には淀川や大和川水系の水が流れ込む河内湖(草香

 江)があったが、上町台地の北側から伸びる大きな砂州(天満州)が河内湖

の排水を妨げて洪水や高潮の原因となっていた。

そこでヤマト王権は都の後背値としての河内平野の治水と開発を企図し、

 河内湖の水を大阪湾に直接排水するための水路を台地の北側に掘削した。

 

この「難波の堀江」と呼ばれる水路について『日本書紀』は仁徳紀11年

に「宮の北の野原を掘りて南の水を引きて西の海に入る。因りて、その水を

名付けて堀江という」と記し、「難波の堀江」を仁徳天皇の業績としている。

 

難波高津宮の位置

 

7世紀に孝徳天皇が築き、天武天皇が引き継いだ前期難波宮や8世紀初頭、

 聖武天皇が造営した後期難波宮は、発掘調査によって大極殿や回廊の跡が発

 見され位置が同定された。前・後期難波宮は大阪市中央区の法円坂一帯の、

ほぼ同じ場所にあり、現在は歴史公園として整備されている。

 右の俯瞰写真参照(クリックで写真拡大)

 

これに対して5世紀に造営された仁徳天皇の難波高津宮は、難波宮に比較

して小規模なこともあり、その位置が同定できる痕跡は見つかっていない。

そして従来、下図に示したいくつかの説がとなえられてきた。これらは、日

 本書紀や古事記にある仁徳天皇や高津宮に関する記事、延喜式神名帳の記載

 内容などをを手がかりにした、上町台地北端説、大阪城内説、大阪城外堀南

 縁説、法円坂説などである。さらにこれら以外に、大阪市天王寺区高津町の

高津高校敷地内の明治時代に建立の高津宮跡記念碑がよく知られている。

 

ところが昭和62年(1987)から翌年にかけて、難波宮の内裏西側に当た

 る大阪歴史博物館・NHK大阪放送局の敷地内の調査で、5世紀後半の大規

 模な高床式倉庫群跡が発見された。この倉庫群は東西方向に並び南北に2列、

 合計16棟にも達し、法円坂遺跡と名付けられた。

この倉庫群は、その規模や構造の規則性から国家の管理下にあったと想定

され、現在では仁徳天皇の時代に造営された難波高津宮の遺構の一部だとする考え方が有力になっている。なお、歴史博物館等のあるビルの敷地には、

 巨大な高床式倉庫が復元されている。

 

このNHK大阪放送局内の高床式の倉庫の構造は見たことがあるが、当時では優れた建築様式であることは間違いない。

だが、どうしても現在の大阪の森ノ宮付近は地形が下がっているので、旧大和川となる。
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堀江の掘削がない時代
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個人的な考えから書きます。

地形的に見ると、上町台地から東へ約800m緩やかな下り勾配であるのが、現在仁徳天皇の高津の宮址である。勿論、西側の方向への「国見」というのはありえない。また東側を国見するというのは範囲としては小さいが、從分にありえます。ただ当時では旧大和川を見晴らす位置となります。また河内湖に流れる川は稲作に向いていたかどうかであります。川の氾濫も多くあった、堀江の掘削も大阪湾にスム-ズに水を流すには必要である。また茨田堤も川の氾濫を考えると堤防は必要である。さてそれより、仁徳天皇の国見として「高津宮址」(高津高校跡地)は相応しいのであろうか。

東を向けば、居住地としては少ないのではなかろうか?ただ遠く見渡せば「草香池」を超えて生駒の裾野まで見えたのであろうか?

 

 現在のNHK大阪支局跡地も推論としてありうるだろうか?森ノ宮の辺りは旧大和川である。なだらかに下りとなる地形は水害などを考えると居住地に向かない。

 

 錯綜するのは地形は地図だけでは難しい。

 

 今回は高津宮と東高津宮と高津宮址に行きました。

高津宮では久々に「上町断層」の「断崖」をみて少し感激しました。また帰宅途中で生國魂神社(いくたまじんじゃ)の断崖の大きさに遠く昔は此処から大阪湾であったことを考え深くなりました。

鉄道唱歌に下記の文言がある。

京都~神戸

 

山崎おりて淀川を

 わたる向うは男山

 行幸(ぎょうこう)ありし先帝の

 かしこきあとぞ忍ばるる

 

淀の川舟さをさして

 くだりし旅はむかしにて

 またたくひまに今はゆく

煙たえせぬ陸(くが)の道

 

おくり迎うる程もなく

茨木(いばらき)吹田(すいた)うちすぎて

 はや大阪につきにけり

梅田は我をむかへたり

 

三府(さんぷ)の一(いつ)に位(くらい)して

商業繁華の大阪市

 豐太閤(ほうたいこう)のきづきたる

城に師団はおかれたり

 

ここぞ昔の難波(なにわ)の津

ここぞ高津(こうづ)の宮のあと

安治川口(あじかわぐち)に入る舟の

煙は日夜たえまなし

 

鳥も翔(かけ)らぬ大空に

 かすむ五重の塔の影

 仏法最初の寺と聞く

四天王寺はあれかとよ

 

大阪いでて右左

 菜種ならざる畑もなし

神崎川(かんざきがわ)のながれのみ

淺黄(あさぎ)にゆくぞ美しき

 

神崎よりはのりかへて

 ゆあみにのぼる有馬山(ありまやま)

 池田伊丹(いたみ)と名にききし

酒の産地もとほるなり

 

神戸は五港(ごこう)の一つにて

 あつまる汽船のかずかずは

海の西より東より

瀬戸内がよひも交じりたり

 

磯にはながめ晴れわたる

和田のみさきを控へつつ

山には絶えず布引(ぬのびき)の

滝見に人ものぼりゆく

 

七度(ななたび)うまれて君が代を

 まもるといひし楠公(なんこう)の

 いしぶみ高き湊川(みなとがわ)

ながれて世々の人ぞ知る

 

おもへば夢か時のまに

五十三次はしりきて

神戸のやどに身をおくも

人に翼の汽車の恩

 

明けなば更に乘りかへて

山陽道を進ままし

天気は明日も望(のぞみ)あり

柳にかすむ月の影

 

高津の宮の址は明治の代を偲ばせる所であったことは間違いない。
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高津宮
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東高津宮
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高津中学を歌へる歌

作詞 高木及言 / 作曲 永井 巴

1.高津の宮跡学舎に

 あこがれ集ふ青春の

血潮は胸に高鳴りて

健児吾等の意気高し

 

2.態度けだかく一筋に

直く伸びゆく若人の

 その顔容の輝きて

健児吾等の心情潔し

 

3.栄ゆる皇国日の本の

民の使命を身に負ひて

雄々しくみちを究めゆく

健児吾等の理想遠大し

 

https://www.mapion.co.jp/f/cocodene/view.html?token=14436332007438e1a728eb56a3f5143d

 
この高津高校は生長の家大阪教化部から近く、昔は東高津宮で神想觀をした記憶があります。また東高津公園では練成会の朝のラジオ体操をしました。



少し運動しよう

最近は休日でも『谷口雅春先生著作年譜一覧表』の作成で時間を過ごしている。当り前だが身体はブヨブヨである。ゴ-ルデンウィ-クに鯖街道を歩けるのか?夏の大峯駈道を歩けるのか?

忙しいが、何とか体力だけは付けて行きたい。今回、いつも落選している「大阪マラソン」にエントリーした。当選するのが一番難しい。100kmウォ-クにも参加したい。今は自信がない。全くない。少し動いて行こう。先日の生駒でも最後脚が動かなかった。山で脚がもつれた。この4月で動ける身体にしていこう。


 でも、今度の週末は東京である。早く『谷口雅春先生著作年譜一覧表』を筆をおけるようにしたいが、もう少し時間がかかる。

白蓮と『白鳩』誌

『日ノ丸か赤旗か』の掲示板に

「谷口雅春先生を学ぶ会」に対して、皮肉を込めて「谷口雅春先生を偲ぶ会」と悪口を言うひねくれた精神。

 

いや、そうじゃない「学ぶ会」はそうではないが、私は「偲ぶ会」にピッタリである。別にひねくれた人がいてもいいじゃないか。私は「偲ぶ会」に当てはまる。

一生懸命に雅春先生の事を「偲んで」どこが悪いのであろうか。悔しければ、私を飛び越えてみろと思います。

 

さて、今回は戦前に『柳原白蓮』という、大正三美人の一人と云われる人がいたのを御存知でしょうか。紹介させていただきます。下図が写真です。なかなかの美人です。さすがに大正三美人である。
柳原白蓮-1

 

https://www.youtube.com/watch?v=y3EyD0RVK54

https://www.nhk.or.jp/osakablog/historia/308340.html
白蓮-3
白蓮-2

 

助平心を誘発するようなことでは、皆様に怒られそうです。

さて、この人物は平成26年に放送された、NHKの連続テレビ小説の『花子とアン』に出てきた人です。村岡花子役には吉高由里子です。八歳年上の役で葉山蓮子として、仲間由紀恵です。この葉山蓮子というのが「柳原白蓮」なのです。本名は宮崎燁子です。

大正天皇の生母である柳原愛子の姪で、大正天皇の従妹にあたります。

「ゆくにあらず帰るにあらず居るにあらで生けるかこの身死せるかこの身」

「幾億の生命の末に生れたる二つの心そと並びけり」

「英霊の生きてかへるがありといふ子の骨壺よ振れば音する」

 「もろともに泣かむとぞ思ふたたかひに子を失ひし母をたづねて」

 「わが肩に子がおきし手の重さをばふと思ひいづる夏の日の雨」

 

大正時代に『白蓮事件』で当時の新聞を賑わしましたが、この『柳原白蓮』という女性は歌人であります。
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白蓮-5

日蓮を信仰していて、その名前をとって『白蓮』と名乗ることにしたようです。この白蓮は実は戦前の昭和13年頃から『白鳩』誌に登場してきます。『柳原白蓮』及び『宮崎白蓮』として御寄稿されています。

 

1942

年『白鳩』誌8月号に

日本は神國の證據 / 谷口雅春/p23

本來一つのもの / 谷口雅春/p414

美しき世界 / 西村陽吉/p1519

新しき生活の發見 / 日比野友子/p2024

道への道 / 松村貞良/p2528

私の手帖から / 成田松太郞/p2932

白鳥はいづくを指して / 荻原俊三/p3338

法悦と健民 / 中島與一/p3941

みいのちのまゝに / 新田潔/p4246

いのちと榮養 / 兼吉靜一/p4750

生活の歌 / 柳原白蓮/p5153

おとづれ/p5455

編輯後記 / 松本/p5656



それと永井古書店様から引用させていただきます。

白鳩 昭和13年1月号~昭和13年12月号

(第3巻第1号~第3巻第12号)製本済み 

谷口雅春、谷口輝子、日比野友子、西村陽吉、柳原白蓮、倉田百三、与謝野晶子ほか多数執筆 

昭和13年、生長の家本部刊

 

白鳩 昭和14年1月号~昭和14年12月号

(第4巻第1号~第4巻第12号)

谷口雅春、谷口輝子、日比野友子、西村陽吉、柳原白蓮、中河幹子ほか多数執筆 

昭和14年、生長の家本部刊

 

白鳩 昭和15年1月号~昭和15年12月号

(第5巻第1号~第5巻第12号)製本済み 

谷口雅春、谷口輝子、日比野友子、西村陽吉、柳原燁子、中河幹子、谷口恵美子ほか多数執筆 

昭和15年、生長の家本部刊

 

神武天皇「東征」ル-トを歩く㉛-長髄彦との戦い-

鵄山


『日本書紀』原文 十有二月癸巳朔丙申(一)長髄彦との再戦へ

十有二月癸巳朔丙申、皇師遂長髄彦、連戰不能取勝。時忽然天陰而雨氷、乃有金色靈鵄、飛來止于皇弓之弭、其鵄光曄煜、如流電。由是、長髄彦軍卒皆迷眩、不復力戰。長髄、是邑之本號焉、因亦以爲人名。及皇軍之得鵄瑞也、時人仍號鵄邑、今云鳥見是訛也。昔孔舍衞之戰、五瀬命中矢而薨、天皇銜之、常懷憤、至此役也、意欲窮誅、乃爲御謠之曰、

 

現代語訳

12月4日。

皇師(ミイクサ=天皇の軍)は長髄彦(ナガスネヒコ)を攻撃しました。何度も戦ったが、勝つ事は出来ませんでした。そのとき不意に、天陰(ヒシケ=空が暗くなる)て、氷雨(ヒサメ=冷たい雨もしくはヒョウやアラレ)が降りました。また金色の不思議な鳶(トビ)が現れて、飛んで来て、皇弓(ミユミ=天皇の弓)の弭(ハズ=弓の先端)に止まりました。その鳶は光り輝き、まるで流電(イナビカリ)のようでした。それで長髄彦(ナガスネヒコ)と軍卒(イクサノヒトドモ)は迷い惑って、戦意を失くしてしまいました。

長髄(ナガスネ)は元々は邑(ムラ)の名前です。それでそこの首長の名前になったのです。

皇軍(ミイクサ)が鳶の吉兆を得てからは、この土地を「鳶の邑(トビノムラ)」と名付けるようになりました。今、「鳥見(トミ)」というのはこれ(=トビノムラ)が訛ったものです。

以前、孔舍衞(クサエ)での戦いで、五瀬命(イツセノミコト)は矢に当たって薨(カムサ=神となって去った…つまり死んだ)りました。神武天皇はそのことをずっと忘れずにいて、常に憤(イクミウラムルコト=腹を立て恨んでいる)を抱いていました。この役(エダチ=戦闘)では怒りのままに窮誅(コロ=殺)そうと思っていました。それで歌を歌いました

 

『日本書紀』原文 十有二月癸巳朔丙申(二)みつみつし

瀰都瀰都志 倶梅能故邏餓 介耆茂等珥 阿波赴珥破 介瀰羅苔茂苔 曾廼餓毛苔 曾禰梅屠那藝弖 于笞弖之夜莽務

 

又謠之曰、

 

瀰都々々志 倶梅能故邏餓 介耆茂等珥 宇惠志破餌介瀰 句致弭比倶 和例破輸例儒 于智弖之夜莽務

 

因復縱兵忽攻之、凡諸御謠、皆謂來目歌、此的取歌者而名之也。

 

現代語訳

みつみつし 来目の子らが

垣本に 粟生(アハフ)には

臭韮(カミラ)一本

其のが本 其根芽つなぎて 撃ちて止まむ

 

歌の訳

天皇の威勢を負う強い久米の兵が

家の垣根に植えた粟の畑に

臭いの強い韮(ニラ)が一本生えている

それを根元から根も芽も根こそぎ引っこ抜くように

敵を打ち破ろう!

 

 

また歌いました。

 

みつみつし 来目の子らが

垣本に 植えし椒(ハジカミ)

口ひびく 我は忘れず 撃ちてし止まむ

 

歌の訳

天皇の威勢を負う強い久米の兵が

家の垣根の畑に植えた山椒を

食べると口がいつまでもヒリヒリするように

私は(敵にやられたことを)忘れない

敵を撃ち倒そう!!!

 

それでまた兵士を送って急いで攻めました。これら全ての歌は皆、「来目歌(クメウタ)」といいます。これは歌った人(=来目部のこと)を指して名付けたものです。

 

『日本書紀』十有二月癸巳朔丙申(三)櫛玉饒速日命を君主に

時、長髄彦乃遣行人、言於天皇曰「嘗有天神之子、乘天磐船、自天降止、號曰櫛玉饒速日命。(饒速日、此云藝波揶卑。)是娶吾妹三炊屋媛(亦名長髄媛、亦名鳥見屋媛)遂有兒息、名曰可美眞手命。(可美眞手、此云于魔詩莽耐。)故、吾以饒速日命、爲君而奉焉。夫天神之子、豈有兩種乎、奈何更稱天神子、以奪人地乎。吾心推之、未必爲信。」天皇曰「天神子亦多耳。汝所爲君、是實天神之子者、必有表物。可相示之。」

 

現代語訳

 

そのとき、長髄彦(ナガスネヒコ)はすぐに使者を派遣して、天皇に告げました。

「昔、天津神(アマツカミ)の子(ミコ)がいました。

天磐船(アマノイワフネ)に乗って天より降りて来ました。

その名を櫛玉饒速日命(クシタマニギヤハヒノミコト)といいます。

 

饒速日は「藝波揶卑(ニギハヤヒ)」と読みます。

 

この人物は私(=長髄彦)の妹の三炊屋媛(ミカシキヤヒメ)を娶って子供をもうけました。

 

ミカシキヤヒメの別名は長髄媛(ナガスネヒメ)、またの別名を鳥見屋媛(トミヤビメ)といいます。

 

その子供の名前を可美眞手命(ウマシマデノミコト)といいます。

 

可美眞手は于魔詩莽耐(ウマシマデ)と読みます。

 

わたしは饒速日命(ニギハヤヒノミコト)を君主として仕えています。天神の子がどうして両種(フタハシラ=神が二人)あるものでしょうか??どうして更に天神(アマツカミ)の子と名乗って、ひとの国を奪おうとするのか? 私が考えるに、未必爲信(イツワリ=偽り=偽物)では無いでしょうか?」

天皇は言いました。

「天神の子は多く居るものだ。

お前のところの君主が本物の天神の子ならば、必ず『表(=シルシ)』があるはずだ。それを見せなさい」

 

『日本書紀』十有二月癸巳朔丙申(四)饒速日命は物部氏の祖先

 

原文

 

長髄彦、取饒速日命之天羽々矢一隻及靫、以奉示天皇。天皇覽之曰「事不也。」還以所御天羽々矢一隻及靫、賜示於長髄彦。長髄彦、見其天表、益懷踧踖、然而凶器已構、其勢不得中休、而猶守迷圖、無復改意。饒速日命、本知天神慇懃唯天孫是與、且見夫長髄彦禀性愎、不可教以天人之際、乃殺之、帥其衆而歸順焉。天皇、素聞鐃速日命是自天降者而今果立忠效、則褒而寵之。此物部氏之遠祖也。

 

現代語訳

 

長髄彦(ナガスネヒコ)はすぐに饒速日命(ニギハヤヒノミコト)の天羽々矢(アメノハハヤ)を一隻(ヒトハ=矢を一本)と靫(カチユキ=矢を射れる筒がユキ、これを歩行用にしたものがカチユキ)を天皇(スメラミコト)に見せました。

天皇はそれを見て

「本物だ」

と、言いました。

それでお返しにと、天羽々矢(アメノハハヤ)と靫(カチユキ)を見せました。

長髄彦はその表(シルシ)を見て、ますます天皇を恐れ畏まりました。しかし凶器(ツワモノ=武器)を準備して、今更、途中で止めてしまうわけにはいかない。それで血迷った計画を変えず、改心しませんでした。

 

饒速日命(ニギハヤヒノミコト)は天神が最も大事だと思っているのは天孫(=アマテラスの子孫)であると知っていました。それに長髄彦はその禀性(ヒトトナリ=人と成り)がとても気難しいので、饒速日命(ニギハヤヒノミコト)が天人(キミヒト=君主と人の上下関係のこと)の関係を教えても、理解出来そうにないので、饒速日命(ニギハヤヒノミコト)は長髄彦を殺してしまいました。そして人々と共に天皇に従いました。

天皇はもともと饒速日命(ニギハヤヒノミコト)が天から降りたと知っていました。今、忠效(タダシキマコト=忠義の意思)を示したので、褒めてもてなしました。この饒速日命(ニギハヤヒノミコト)が物部氏の祖先です。

このように『日本書紀』に残る長髄彦との戦いは奈良県生駒市にある地域に残っています。月の光さんから地図を抜粋致します。
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長髄彦
長髄彦-2
長髄彦-3
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まず、饒速日命の墓が桧(日)の窪山という山中にあります。そこから訪問致しました。生駒市総合公園体育館があり、その横からスタ-ト致しました。
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一旦グランドに出ます。
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グランドの木の間に道があります。
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この鉄塔を右に進みます。
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火の用心の看板にニギハヤと書かれている所があります。
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こういう分かれ道がありますが、右に進みました。
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竹を割った、朱色に塗られたものが周囲に沢山あります。
それが目印になりました。
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饒速日命の墓は鉄塔のすぐ横にあります。
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これから北西にむけて進みます。山中の中ではどの方向に進んでいるのかわからない、だが踏み跡ははっきりと残っていたので確信をもって進みました。
長髄彦の本拠地に着きました。鳥見白庭山の碑が建っています。
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山から出たところに池があり大きな看板が建っていました。
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役行者が建立したと云われる建物と石像があります。
稲葉谷行者石仏
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鳥見浦池
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家の橫に地蔵があります。その横に池があり、そこに長髄彦の本陣があった。

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鳥見白庭山

次に鵄山に行きます。
あの金鵄の像で有名ですが、実際はどういう場所であったのか、伝承地を探って行きます。
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山を登って行きます。
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中央の山が鵄山です。
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金鵄發祥之處
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次に真弓塚に向います。

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真弓塚は山頂にあります。
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神武天皇聖蹟鵄邑顕彰碑に行ったら、倒れていた樹木が取り払われ周りも清掃されて綺麗になっていました。
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天忍穂耳神社です。
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塚と称していますが、墳丘は無く近くまで行かないと見えません
 神話に登場する人物の塚とされています
 「夫婦塚」と刻まれた文字の下には、小さな文字で「傳稱」と刻まれています

 『金鵄発祥史蹟考』には、北倭村の「字高樋にあり御炊屋姫塚なりといふ」と記されています
 御炊屋姫(三炊屋姫、登美夜毘売)は饒速日命の妻で、長髄彦の妹です。

田んぼの中にあります。少しわかりにくい場所です。




書斎雑感

日野君の総裁信仰は若い子らしく一途にみえる。それに対抗している大人はタジタジの所を感じるが、日野君は自分のブログを読んでもらおうという作戦は何か嫌味に感じる。

私は失礼ながらこんな「馬鹿にした」文章は讀みたくない。もう少し體を一つ後退させるような謙虚さがないのが、残念である。こういう青年の文書なら讀んでみようという説得する力がない、常に「上から見る」視線を感じるのは私だけではあるまい。

 

 わざわざ、反対する掲示板に書き込みなどしなくてもよいのであるが、それは「相手をして欲しい」という甘えがあるからであります。

 先日、兵庫の人と話しましたが、日野君のお母さんのことも話されていましたが、私なら母の事を考えると、反対している「掲示板」にはいかない。

 

 まあ、二十歳を過ぎた若者だから、少しは両親のことを考えてみることも必要である。

 

新編『生命の實相』レファレンス③

新編 『生命の實相』第22巻 教育篇 

「生長の家」児童教育篇

平成28125

編者はしがき

はしがき

目次

凡例

教育篇 「生長の家」児童教育篇 

本当の教育についての講演(序に代えて)/3

「生長の家」の児童教育法/74

第二十二巻索引/138

 

新編 『生命の實相』第23巻 倫理篇 

永遠価値の生活学(上)

平成29220

編者はしがき

はしがき

目次

凡例

倫理篇 永遠価値の生活学(上) 

本当の信仰に就いて

  1. 永遠価値の生活学序説/5

    「永遠価値の生活」の探究/5

    唯物的世界觀と唯心的世界觀/8

    多元的唯心論/10

    二元的唯心論/14

    物質の法則は神の法則か/18

    倫理の基礎としての人格の自由/21

    「善」の一般的要素/24

    「神は愛なり」とは何を意味するか/29

    「神を愛する」とは神と一体と感じること/31

  2. 第一の神性隠蔽/37

    神の子としての実相人間/37

    肉体を以て神性に代うる現代キリスト教徒の迷誤/43

    宗教争いは偶像崇拝より起る/45

    人間の不自由の萌芽/46

    キリストとニコデモ/48

    久遠神性にあるすくい/53

    罪悪観念の起源/55

    罪の自己審判とその目的/64

    世界の歴史は世界の念の自己審判/67

    罪は具象化す/68

    罪を解放する道/71

  3. 第二の神性隠蔽とそれ以後/74

    隣人に対する罪/74

    愛の浄め/77

    利己主義即ち自他一体の実相の隠蔽/79

    貪欲・快楽主義・傲慢/81

    第三の神性隠蔽としての罪の弁解/85

  4. 自己の展開としての客観世界

    第四の隠蔽は、三界唯心の理を隠蔽すること/88

    感覚的疼痛は念の痛みの変貌/100

    感覚世界の自主的征服/105

  5. 実相を隠蔽する傲慢と自卑

    驕慢第一人者としてのナポレオン/112

    実相我を隠蔽する自卑/114

    恐怖心より併起する罪の種々相/115

    不信仰は迷信の因/117

    黄金崇拝も不信仰から起る/119

  6. 価値の本質/122

    価値の本源/126

    価値は形式にはない/131

    教育の目的/132

    教育方法論の根拠/133

    悪は実在しない/136

    唯物的世界観と唯心的世界観/138

    人間の本性としての価値要求/142

    価値要求は人間の実相にある/146

    価値の表現要求―当為/150

    当為と不可不との衝突/151

    不可不の法則に絶対権威を認めて果して善に権威ありや/154

    善の絶対的権威の確立/155

    自然界の法則は業の法則/157

    道徳は主客両面貫いての人格の自由を要求する/160

    価値観と自責觀とはどうして起る/165

    先ず「本当にあるもの」を引出せ/168

    善と福との完全なる一致/170

    善は形の模倣又は形の強制に非ず/173

    善の与件としての人格の自由/174

    子供を善き人に育てるには/176

    物質の否定・実相の肯定/178

    倫理学の研究の対象/182

    善とは何ぞや/186

    善の三相応/188

    人間に神を実現する/190

    自我の置換/191

    香厳上樹、飛躍の道/193

    人格の自由と「認め」の倫理/197

    善の存立し得る根本条件/199

    貞操の根拠は那辺にあるか/201

第二十三巻索引/137

 

新編 『生命の實相』第24巻 倫理篇

永遠価値の生活学(下)

平成29425

編者はしがき

目次

凡例

永遠価値の生活学(下)

仏陀の聖訓

  1. 悔改の倫理/4

    「生れ更り」の宗教としての生長の家/4

    イエスとニコデモの対話/7

    悔改めよ天国はちかづけり/9

    最後の審判が恐ろしいのは悔改めが出来ていない証拠/10

    悔改めとは自卑に非ず/14

    悔改めと後悔との相異/18

    悔改めと贖罪苦行との相異/19

    悔改めは「悪を犯すまいの決心」ではない/20

    悔改めとは金剛不壊実相の船への乗換え/23

    悪をなす自由/29

  2. 偽我と眞我の甄別/32

    悔改めと世界の変貌/36

    迷いの自然崩壊―煩悩即菩提/38

    悔改めの先行態―加我の否定/39

    迷いを真我の顕現と観るは偽我慢心/40

    色即是空・空即是色・常楽我浄/44

    悟りとは「実相」に目覚めること/45

    猫と雛鶏とはかくの如く調和している/47

  3. 自他一體と個性生活/50

    芸術における個性普遍/50

    行為における個性と普遍/53

    肉体死後霊魂は個性を失わず/54

    肉体滅後の個性存続の証拠/56

    危急に働く一念の感応/57

    エ-テルと生命/71

  4. 和解の倫理/82

    悪魔の試みにも和解すべきや/82

    仮相は本来「無」と知るのが実相への和解/88

    虚説に和解してはならぬ/90

    光と闇と和解せず/94

第十一章 ロダンの鼻欠け像の倫理/98

普門成就/99

現象無常/101

現象界は実相生命の芸術/114

十二章 恋愛・結婚・夫婦生活の倫理/118

感情芸術としての恋愛/118

交響芸術としての恋愛/121

恋愛の社会性/122

個人・家庭・社会・国家/124

実相の上に家庭生活を建設せよ/126

感覚美の期間は有限/127

人間の実相は神の子/128

信頼と危惧/131

肉体は真の人間に非ず/132

十三章 家庭の宗教生活化/137

山上の白雪を語る/137

良人の実相を観る/142

子供の実相を観て優良化した実例/145

在来の倫理道徳と生長の家の倫理道徳/150

夫婦生活の倫理/155

現実の悪はどう改善するか/159

失錯は向上の段階/163

十四章 無軌道の倫理/167

    道の道たるは道に非ず/167

    永遠の女性なるもの/175

    家庭の女性が進歩する道/176

    夫婦は互に悪を心で見詰めるな/180

    相手を強制するな/183

    個性の相異を生かせ/186

第二十四巻索引/133

 

新編 『生命の實相』第25巻 人生問答篇

人生の悩みを解く(上)

平成29625

編者はしがき

はしがき

目次

凡例

新生活への出発―幸福なる生活への序曲/2

人生問答篇 人生の悩みを解く

第一章     家庭争議の解決を語る/28

第二章     生活に顕れた神通妙用/73

本当の神通力/74

障礙物の歓び/77

自己拡大が生活上の神通力/81

幸福の源泉は他に深切をすること/82

失業の解決/87

報恩の行為は実生活を生かす/91

貧乏の解決/93

宗教と金/102

自力と他力/107                               

実相を拝め/111

病気の治る原因の種々相/117

第三章     生きる道の座談会/123

招神歌の功徳/124

肉食と菜食/129

神想観の功徳/136

道を指し示す教えが宗教/142

金の取扱い方/149

宿命論の矛盾/154

人相を超越する話/157

病気は無い/160

第二十五巻索引/130

 

新編 『生命の實相』第26巻 人生問答篇

人生の悩みを解く(中)

平成2995

編者はしがき

はしがき

目次

凡例

人生問答篇 人生の悩みを解く(中)

第四章     キリストの偉さとナポレオンの偉さ/2

解放への道/3

損の無い生活/5

生長の家は雑誌業に非ず/8

人間は神の子無限力/13

死ね、生きる/17

神の聖意を行わんがための生活/27

執して執せず/29

第五章     恋愛・相性・方位・家相/33

結核が治る/34

自分の運命には自分で無限の責任を負え/38

姓名学は信頼し得るか/41

審判く資格はない/48

恋は愛ではない/53

第六章 念の集積・業の流転・念の憑依/60

親類同士感謝のないのは間違いである/61

心で認めたことが存在に入る/64

業の流転と浄め方/67

人間は宇宙の中心/76

全体としての調和の美/80

眉に皺を寄せない工夫が肝腎/83

悪念の凝縮、変形、象徴化作用/88

霊術で病気を治す弊害/94

愛念の具象化が観世音菩薩と顕る/98

親の執愛が娘を病気にする/100

潜在意識の作る仮病/103

逆念の効果/104

念は如何にして消えるか/107

悪業の解消法/109

業の流転とは/113

善業の意義/115

業の濾過作用/119

二大業因/119

善業の流転/122

第七章 念の病気に及ぼす力/128

腎臓及び膀胱を害する異常成分の注射/131

不用意な医師のカルテ/133

悲観精神の増悪的効果/136

医師の断言重症を救う/139

病気に対して妥協するな/145

恐れる物は皆来る/147

象徴的憑依/154

愛は与える者を先ず生かす/157

先妻の霊波の感応/160

第八章 治す念波の話/170

神とは生命力/171

自分は神だ/173

発熱は自然療能/175

医術も私的な成心を以てしては効かぬ/179

治す念波を受くる道/181

全体を生かす神はあるか/185

死の恐怖を超克するには/187

「体」は生命が描いた芸術/188

インドの行者の不思議/191

インドの仙人の話/194

第二十六巻索引/136

 

新編 『生命の實相』第27巻 人生問答篇

人生の悩みを解く(下)

平成29111

編者はしがき

目次

凡例

人生問答篇 人生の悩みを解く(下)

第九章     「みんな一体」の信仰を語る/2

一、影と実在/3

二、神社と信仰/10

三、心霊現象の価値/20

四、神想観と精神統一/32

五、祖霊祭祀の形式/35

六、業の浄め方を語る/44

七、人は老衰するか/47

八、反省の仕方/55

九、「戦いの哲学」と「戦い本来無しの哲学」/62

第十章  酒・煙草・異性/96

第十一章 国と家庭を良くする話/135

第十二章 人生に出発する人達への講話/170

第二十七巻索引/135

 

新編 『生命の實相』第28巻 宗教問答篇

人生の悩みに答う(上)

平成30125

編者はしがき

はしがき

目次

凡例

宗教問答篇 人生の悩みに答う(上)

第一章     生活に生きる宗教/2

第二章 天国浄土を実現する道/90

第二十八巻索引/127

 

新編 『生命の實相』第29巻 宗教問答篇

人生の悩みに答う(中)

平成30425

編者はしがき

はしがき

目次

凡例

宗教問答篇 人生の悩みに答う(中)

第三章     「無」もない世界に入る話/2

第四章 真理に救われ行く人々/79

第五章 肉体と境遇を良くする道/134

第二十九巻索引/127

 

新編 『生命の實相』第30巻 宗教問答篇

人生の悩みに答う(下)

平成30610

編者はしがき

目次

凡例

宗教問答篇 人生の悩みに答う(下)

第六章     南泉猫を斬る生活/2

第七章 神の無限供給を語る/56

第八章 天地一切と和合する生活/99

第九章 種々の宗教問題に答う/143

一、久遠実相の世界について/143

二、我の正体について/155

三、雑念妄想は実相を妨げず/158

四、神想観と食物/161

五、断・不断煩悩得菩提/163

六、実相と現象、真象と偽象について/165

七、人格的交通の祈について/174

八、人は現象を通して悟るか、現象の裂目を通して悟るのか/180

九、霊山霊地の霊験について/187

十、他人の不幸を如何に扱うか/194

十一、神想観の時、息苦しいのはどうすれば好いか/203

十二、対人恐怖は如何にすべきか/208

宗教問答続篇 人生の悩みに答う

一、絵を描くのを使命と感じながら境遇に苦しむ人に/216

二、未婚青年の性慾の解決 /226

第三十巻索引/139

 

新編 『生命の實相』第31巻 自伝篇

神示を受くる迄(上)

平成301010

編者はしがき

目次

凡例

自伝篇 神示を受くる迄(上)

第一章     幼少時代/2

第二章 少年及び青年初期/21

第三章 芸術至上主義時代/53

第四章 憐憫愛への転向/77

第五章 工場生活時代/155

第三十一巻索引/119

 

新編 『生命の實相』第32巻 自伝篇

神示を受くる迄(中)

平成301010

編者はしがき

目次

凡例

自伝篇 神示を受くる迄(中)

第六章     転身/2

第三十二巻索引/130

 

新編 『生命の實相』第33巻 自伝篇

神示を受くる迄(下)

平成301010

編者はしがき

目次

凡例

自伝篇 神示を受くる迄(下)

第七章     関東大震火災に逢う/2

第八章     肉体及び物質の否定/59

聖詩篇 生長の家の歌

聖経甘露の法雨/164

生きた生命/190

光明と暗黒/193

夢を描け/195

花園にて/201

光明の国/202

或る日の生命の国/210

太陽の讃歌/230

生長の家々/232

神の御手/234

裸身の讃え/236

捨身の讃え/237

第三十二巻索引/134

聖歌集

私の高校生時代の「聖歌集」はこれです。

アルバイトして買いました。

懐かしい!

 

今聞こうと思っても、私の家にはレコ-ド盤がない。
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噴火しました。

よく言うよ

そんな言葉が飛び出すのがあの「谷口雅宣」である。

開祖の本を最早「絶版」にし、焚書にしてなにが「立憲主義」を護りたいだと、本当に人を「おちょくる」とはこんな人である。

 自分の母もちゃんと世話も出来ないような人間に「安倍首相」も哄笑しかない。最低である。

雑感

最近、毎日2時間は机の前で「谷口雅春先生」の書籍のレファレンスと歴史を書いている。

「谷口雅春先生」に帰ろうと云っても、その書籍は本当に少なくなっている。なんとかしなければ、ほんとうに無くなってしまう。谷口雅春先生の書籍は『生命の實相』『眞理』だけではない。本当に危機を感じている。どうして聲を出して叫ぼうとしないのであろうか。

 雅春先生の書籍が少なくなるのは、本来の生長の家が消滅することである。焦るが、私も仕事をしながらの作業で限界がある。どうにかしなければならない。

 

『生命の實相』のレファレンスも残り新編『生命の實相』だけである。何か月掛かったのであろうか、昨年の8月頃からである。再び、整理もあるが何とか出版するまでは、第一段階として頑張ろう。これからも多忙の日が続く。

生長の家青年会全国大会

こんな時代もあった。
昭和53年 第30回生長の家青年会全国大会
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懐かしい宇治

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この時代を知っている人も少なくなってきました。
私も高校生時代の時は確かに「献労」はまだありましたが、この時代ではありません。

「生長の家宇治別格本山 修練道場」の時代です。

練成献身譜  谷口雅春・作詞

1. きよきながれの宇治川の
  山紫水明名も高き
  山王やまのおくいきに
  神をたたうる神の子ら
  いのちきよむとあつまれり
  ホラエイ、ホラエイ
     エイエイエイ

2. きよきまことの神の子の
  不屈不撓のたましいを
  練成せんと若人は
  神をたたえて献労に
  まことささげて無我献身
  ホラエイ、ホラエイ
     エイエイエイ

3. 無我献身はおおやまと
  日高見の国ひのもとの
  やまとはたらき神の子の
  いのちをきよめ実相を
  呼び出し引き出す奇(く)し作業
  ホラエイ、ホラエイ
     エイエイエイ

4. 「与えよさらば与えられん」
  神のことばは真理ぞと
  いのち献げて練成に
  いそしむ我ら神の子は
  智慧出し愛出し奇し作業
  ホラエイ、ホラエイ
     エイエイエイ



元号「令和」を祝す

「令和」の元号も決まりホッとしている。

元号法制化を決定する前の時代にはまだ元号を施行されることもさまならず、「生長の家」を通して活動したことが記憶に蘇る。

 公明党の賛成が決まり、安堵していたが、いつ翻されるかヤキモキしていた。当時の社会党や左派系統の「元号」は戦争に繋がるとか、本当に馬鹿らしい「文言」に、それを翻すような運動を展開した。元号が無くなってしまう危機であった。そこで「日本会議」の会員となり「キャラバン隊」として街頭で演説した。賛成してもらえる「宗教」や「他団体」を廻り、票読みをしていた。

 もし、私達が運動していなければ、「元号」が無い時代になっていたのかもしれない。

風評に動かされる人々

とかく、人間と云うのは「噂」というのを信じてしまう。その噂が役職の人の発言程信じてしまう。また、それが飛び交って風評被害のようなことを来す場合がある。

私も「学ぶ会」では余り好ましくない「風評」があるようである。ただ、それは「あの人は教団とのがりがある」というだけで、そんな噂を流す輩がいる。

 

私は破邪顕正さんの「あのような発言」は風評被害をもたらす要因となる。私は「教団」の批評や指摘は行ってもいいが、それを何回も同じことを繰り返す発言は止めて欲しいものである。また役職者がそのような発言をするのもあまり芳しくない。名前を変えて、別の人であれば私も言わない。

 

あの人は「教団」とがりがあるとか、「本当に確認もしないで言えるものである」

もっと「生長の家」の谷口雅春先生の御言葉を再度噛みしめて欲しいものである。

 

もう馬鹿らしいような発言にウンザリである。そんな事を信じて、何が「生長の家」であろうか。それは「学ぶ会」の人も同じである。

 

 

今日は元号の最初の日です。歴代天皇の長く学んできた私は平成の世を深く噛みしめながら、本日を過ごしたい。

ギャラリー
  • 『鎭魂歸神の要諦』
  • 龜岡叢書第三編 御筆先の解説せる 大本靈學
  • お水取り
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  • 棟方志功最後の弟子と浮世絵
  • 『谷口雅春選集』にみる検閲
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