則天去私

「谷口雅春」先生の生涯も綴っていきます。

2018年12月

讀んで戴ければ幸甚です。

伊勢本街道を歩きます。

今日から伊勢街道まで歩く旅である。一泊三日で歩く。三年前に参加したので要領はわかるが、榛原から伊勢内宮を午前5時に到着予定である。走行距離100kmを歩くこととなる。

先日は自宅から80kmを歩いたのでなんとかなるとは思っている。

ただ、内宮参拝は出来ないであろう。というのは大変な人込みであるからである。前回でも1000人近くの人が鳥居の前で行列していた。行きたいのは山々であるが、体力を考えると無理かな?

元旦を伊勢で迎える。そのことだけで気持ちも和やかになる。結果は報告致します。

本年はいろいろとお世話になりありがとうございます。

来年は私の生涯として二度目の「大嘗祭」祭祀を経験する。経験といっても「天皇靈」として「天皇祭祀」を観れる。それは重要な年であることです。「天皇信仰」としても重要な年であることは間違いない、それをどのようにして『お迎え』させて戴くのかを考えなければならない。

 

昨年、柿本人麻呂を書こうと己に誓ったが、途中になってどうしても「書けない」ことがあった。「御中の精神」に自分として把握出来ていないことがわかった。把握出来ていなかったと言い訳している自分がいること事態、これを突破しないと迷いが出てしまう。

 

言葉でいろいろと駆使しても、讀み手からはわかってしまう。「日の神」「天の神」「日の御子」の把握が必要となってくる。もう少し、時期が欲しいが来年は更に忙しくなる。

 

最後に私のブログにコメント下さった人に返答出来なくてすみません。

いろんな人がこのブログを見て頂き感謝申し上げます。もう少し「爲に成る」ブログにしていきたい。宜しくお願い致します。

著作権の保護期間の延長をチャンスとして実行しよう。

以前から著作権の保護期間の延長はありましたが、知らないうちにそうした状況になっていた。

 今回、下記のようにトキさんは云っているが、実際は「光明思想社」で谷口雅春先生の著作は発行されている。また『生命の實相』も65巻で現在32巻で約半分発行されている。しかも努力をしているのは評価しなければならない。

 それに引き換え「生長の家教団」は新版を一切発行しないという強権である。これは裁定を下すもなく「教団側」に非があるのはわかる。

さて、下記に関してはトキさんの言葉はその通りであるし、何らかの対策は信徒が結集して「復活版」を要求するしかない。それも行わず、他人任せの言葉は外部から見るトキさんはいつものように「他人事」「人任せ」「教団、本流派の否定」

 

 もう、いくら云っても無駄であろうし、「己が和解すること」も出来なければ、トキさんにこんな事をいっても「暖簾に腕押し」である。

 

それより、著作集の作成や著作権に影響されない程度の「谷口雅春先生」の書物の紹介が重要となる。

 私は蒐集家に今こそ、それを所有されている著作を生かす時が来たように思う。

 

 呼びかけたい、今持っている「谷口雅春先生著作」を結集して「レファレンス」の作成を呼びかけたい。

それは戦前の『生命の實相の分類的研究』谷口雅春原著竝に校閲 田口精亮編纂である。

 如何にして、この『生命の實相』により多くの人が救われていったかを感じとることをしなければならない。

 その為の著作を作成していこうではないか、それにより、より多くの「谷口雅春先生」の“いのち”を我が“いのち”として復活しなければならない。

 

 まずは『生命の實相』がこんなに素晴らしいのだという「体験集」を光明思想社にお願いしたい。個人の救い、社會の救い、国家の救いを発表して戴きたい。

 また、それ以外の著作集の歴史はある程度私も作成しているが、『生長の家五拾年史』以降の谷口雅春先生の歴史を作って頂きたい。

 

 以前に言ったが、『生命の實相』大聖典を着手して戴きたい。必ずやこんなこと言うと「否定」することばかり言う人がいるが、出版した時の歓びを想像して作製すればよい。

 また、項目にして発表したいと思っているが、善き言葉を想像して発表していきたい。

 

帝都日日新聞(やまと新聞)・中外日報・新日本春秋の御寄稿や『動向』の御寄稿・『民族と政治』に御投稿の御文章・『在家佛教』の御寄稿・『祖國と靑年』の御寄稿など少しは発表出来るではないか。

 

出来ないのではなく「出来る」ことを発表していこうではないか。

 

私自身も来年の春には廉価版で『谷口雅春先生著作年譜一覧表』を発行していきたい。詳細に年譜の項目を記入していきたい。

 

それではトキさんが発言したことを下記に抜粋させていただきます。

 

著作権保護期間70年に延長になります。 (8620)

日時:20181224 () 1036

名前:トキ

 12月30日をもって、著作権法の保護期間が50年から70年に延長されます。朝日新聞などのリベラル勢力が森友や加計問題で騒いでいた間に、この重要な問題が事実上、ろくな審議もされずに国会を通ったことになります。

 

 これは、すなわち、「生命の実相」などの聖典の著作権も延長されることになります。

 

 谷口雅春先生がお亡くなりになられたのが、昭和60年ですから、2055年まで聖典の著作権が延長されることになる訳です。この掲示板をご覧の人の相当数の人は、この世にいないかもしれません。

 

 つまり、それまで書店での入手は困難になるのです。これが、作者である谷口雅春先生のご遺志に反するのは明らかです。

 

 教団側は、「いや、聖典は古書で入手したらいい」とうそぶいていますが、2055年まで古書として本自体が存在しているか、疑問です。

 

 ここで、一つ、教団にも本流復活派にも、再度、提案をします。聖典の問題だけでもいいから、何らかの妥協をして欲しいと思います。

 

 例えば、今後、電子出版が主流になる可能性もあります。その場合、頭注版の「生命の実相」など聖典や聖経をpdfファイルで出版サイトで販売することは、技術的にそう難しいことではありません。もちろん、著作権料は正規の料金を世界聖典普及協会などの著作権者、場合によっては出版権を持つ光明思想社に支払うことが前提になります。

 

 確かに、仏壇の前で、タブレットやスマホを片手に「甘露の法雨」を読むのはシュールですが、ないよりもましです。

 

 「和解など無理」と言う前に、まずは、双方に努力をお願いします。

 

私見です (8629)

日時:20181224 () 1904

名前:トキ

 教団は「自然との調和」「世界平和」をうたい、本流復活派は「谷口雅春先生の教えへの回帰」をうたいますが、それでも和解は嫌だと言うのですから、これは自己撞着です。

 

 これは以前にも書いたことですが、風の噂で、教団側が宮澤潔さんを訴えたときの教団側の対応に原因があると言う人もいます。教団が宮澤さんを訴えたとき、一審では宮澤さんが勝訴したのですが、高裁での審理中に宮澤さん側が裁判上の和解に応じたのです。ところが、教団側がそれをもって、「聖使命」(当時、発刊されていた教団の機関紙)上に勝利宣言とも言えるような記事を大々的に掲載したので、いわゆる本流復活派の人たちが怒り出し、谷口雅宣総裁は信頼できない、と言う認識をもったと言われます。

 

 もちろん、これは本流復活派の認識なので、教団側にも言い分はあるとは思います。ただ、そう言う人が多いのは事実です。

 

 確かに、当時、「聖使命」紙上で宮澤さんを論難する記事が大々的に掲載されたのは記憶しております。それまでの経過が信徒には伏せられていたので、この記事に仰天した人も多かったと思います。

 

 しかし、争訟の内容が個人に関することなら、まだ、それでも済むことかもしれません。が、この聖典の争いの結果、谷口雅春先生のご著書が発行できない、あるいは教団内部で入手できないと言う事態に至ったのは、異常です。

 

 繰り返しますが、別に本流復活派と教団が、いきなり和解をしろと言うのではありません。(「訊さん」の言われる通り、本来の谷口雅春先生の教えに従うなら、そうすべきなのですが。)聖典の発行が2055年まで阻害されるのはおかしいから、なんとか解決した欲しいと言っているのです。また、それは、両者が対立した状態でも、話し合いは可能なはずです。例えば、電子出版なら、資金的にも安価で済むはずです。

 

 この辺り、心ある先達のご対応をお願いしたいと思っています。

「青春は短い、宝石の如くにしてそれを惜しめ」

私のように「鈍い男」とは違い、繊細な心を持っておられる「亀の子」様はいろんな事象に影響を及ぶのだと、雅春先生の求道時代の事を考えてしまう。

 

それより、早く全快してまた「爲になる」話を聞かせて下さい。

 

今年も愈々数日で新たな年を迎える、来年に行いたいことは前のブログで書いたが、やはり仕事が忙しくなり新年早々に埼玉の方へ行きます。

昨日は夜遅く広島の庄原に行っていました。

 私の宿泊した庄原グランドホテルの横に「百三ひろば」というのがあり、写真は撮影出来なかったが、「倉田百三」の胸像があった。一目見たら、碑文を読まなくとも倉田百三とわかりました。

「青春は短い、宝石の如くにしてそれを惜しめ」生誕百年を記念して建てられた。

 

それ以外に「百三の墓」「倉田百三文学碑」「中央児童公園内の短歌碑」「倉田百三誕生之地の碑」「倉田百三文学館」といろいろと庄原市には「倉田百三」のゆかりの地がある。

 

 『生命の實相』の中にも39巻にある。

 

「寂光をさらに超えて」には倉田百三氏と谷口雅春先生の往復書簡が掲載されている、「無明縁起説」と「光明縁起説」である。

 

  倉田百三氏が「宇宙の太源に帰一することが治病、開運、幸福、繁栄を必ず結果するとは信じられない」として「光明一元」の哲学に疑問を呈したのに対して、谷口雅春先生は次のように答えられる。

 

《あなたが「宇宙の太源の聖旨のなかには暗もあれば光もあり、それは光明と言いうるにしても大寂光であり、暗を含んだところの光明である」と考えられ、「それ以上に光明のみの世界について行けない」と言われ、現象界にあらわれるいろいろの暗の姿の本源を「宇宙の太源」そのものの中にあると言われるのは、あなたの言われる「宇宙」なるものが「実在宇宙」と「現象宇宙」とを混淆していられるからなのです。

 

 「実在宇宙」は「すでに御意(みこころ)の成れる世界」であり、「頼まないでもお蔭はやってある世界」であり、「太陽の善人をも悪人をも照らすごとく、御心のあまねく潤える世界」でありますから、光明一元、光のみの世界であります。

 

これに反して「現象宇宙」は「実在宇宙」の完全なる相を、歪める凹凸不同の「念の透過膜」によって時間空間の範疇に屈折して投影されて顕われた世界でありますから明暗正歪健病の混同せる世界であります。

 

すなわちこの「現象宇宙の太源」中には、背後に実在の円満完全なる光があり、その表層に、「不透明にして屈折不同の念のレンズ」がありますから「現象世界の太源」は「完全円満なるもの」と、それを遮る「念の波」との両方であり、したがってそれはあなたの言われるように「暗と光とを同時に含んでいる」ことになるので、あなたのおっしゃることはわたしにもよく解るし、まちがいがあるとは思いません。

 

  しかし、それは「現象宇宙の太源」のことであって、「実在宇宙の太源」のことではありません。

 「実在宇宙」は「現象宇宙」をもう一つ乗り超えた世界なのです。そこは明暗混淆の世界を乗り超えて光明のみの世界なのです。》

 

  優れた哲学者や思想家、聖人も「現象宇宙」の太源なるものを思索できても、それを一つ乗り超えた「実在宇宙」について把握するのは至難の業であるということであろうか。

  いずれにしろ、このご文章からすれば、この「現象宇宙」は、「光明一元の世界」を「念の透過膜」によって濾過し、歪めた明暗混淆の世界であることが解る。その意味では「無明縁起説」は正しいと言えるのであるが、それはあくまで「現象宇宙」に当てはまるものであって、本当の世界である「実在宇宙」には関係ないものなのである。

 

 

この倉田百三主宰の『生活者』の御寄稿をされていた雅春先生は生活の苦しかった百三氏を『生活者』の御寄稿ということで援助されていたと聞いています。倉田百三氏は呉服商の長男であったが、若き頃は身体も弱く「神經症」を患っていた。

 

『自覚と悟りへの道』より倉田百三氏の言葉より

 

 

私がある対象を見ている時、ふとその対象が動くように感じました。そんなはずはないと思って注視すると、だんだんはっきりと動き出します。

 

これは! と思って、その動くのを止めようとすると、ますますひどく動き出して、ぐるぐる廻りをはじめました。またか! と私は頭を抱えて苦しみました。ふと、私は、この廻るのが対象でなくて、眼そのものであったらどうだろう、と思いました。すると、とつぜんおそるべき観念が念頭にうかびました。

 

「もし、眼が眼自身を見たらどうであろう」

 

私は慄然とし、その瞬間つぎのような推理をしてしまったのです。

 

「われわれが眠ることができるためには、まぶたをとじなければならない。もし、まぶたがないならば、眼はいやでも物を見ないわけにはゆかないだろう。では、ひとみは、なぜまぶたを見ないのであろうか」

 

すると、まぶたの裏が見えるのです。見まいとしても、これは見ないわけにはゆきません。もうのがれる道はない! 私は永久に、不断に、何ものかを見ていなければならないのです。したがって眠ることができません。

 

 

ただ、現在の状態をみると、雅春先生こそ「日本を救った」人物であるのが、「ゆかりの地」というのが少ない。あまりにも少ないのに誰もそれを「求めない」

自分が救われたら、それで満足している。現在の状況に憂慮しない人があまりにも多い。「生長の家教団」「本流派」とかいって、峻別し、仲良くして欲しいとかいう。

既に、「貴方の心に」峻別した「心」というのを持って、それをんで、「和解」せよといっても、自分の心の中で峻別する心がそのようにさせていることをどうしてわからないのか。また他方では「雅春先生」と叫びながら「常に教団との差別化」を口にする。

 

 来年こそは一歩でも二歩でも跳躍させる年としたい。

また、今年は災害の年であった。私は一時期会社を辞めて、その災害ボランティア活動をさせていただいた。

 それが私の困っている人を助けたいという「念願」が叶えられたが、それとは裏腹にこのような災害は起きて欲しくない。岡山の高梁市や吉備町に参加してつくづく思った。

 

『生活者』倉田百三編集のご寄稿 後ろの記載は掲載なしは国立図書館での調査より・なしは国立図書館所有無し

大正15

 

 

6

仏蘭西美術家の心靈現象(1) 研究

P83~90

7

仏蘭西美術家の心靈現象(2) 研究

P82~90

8

石地蔵の如き善人  

P51~54

10

仏蘭西美術家の心靈現象(3) 研究

P60~66

11

仏蘭西美術家の心靈現象(4)なし

 

12

仏蘭西美術家の心靈現象(5

P58~65

昭和2

1

仏蘭西美術家の心靈現象(6

P38~47

2

仏蘭西美術家の心靈現象(7

P44~59

3

仏蘭西美術家の心靈現象(8

P57~63

4

仏蘭西美術家の心靈現象(9

P34~41

5

仏蘭西美術家の心靈現象(10

P37~44

6

仏蘭西美術家の心靈現象(11

アンデルナハのハインリッヒ-(戯曲)

/ウンルウ作 山口悌治訳

P47~55

P128~140

8

 

仏蘭西美術家の心靈現象(12

アンデルナハのハインリッヒ-(戯曲)

/ウンルウ作山口悌治訳)

P43~50

P98~111

9

仏蘭西美術家の心靈現象(13

P5865

10

仏蘭西美術家の心靈現象(14)完

P32~39

12

奉仕する者の悩み(1

P45~54

昭和3

 

 

 

 

 

 

 

 

1

奉仕する者の悩み(2

P80~87

3

神異と奇蹟(傅記)/ウツドワ-ス・エツタ-(翻訳)(1) 

P54~60

6

神異と奇蹟(傅記)/ウツドワ-ス・エツタ-(翻訳)(2

或る男のカリカチュア(戯曲)山口悌治訳

P47~52

P126137

7

 

神異と奇蹟(傅記)/ウツドワ-ス・エツタ-(翻訳)(3

汝ら人生のあるうちに道を進め(詞)

P46~51 

P77~79

8

神異と奇蹟(傅記)/ウツドワ-ス・エツタ-(翻訳)(4

P47~53

9

神異と奇蹟(傅記)/ウツドワ-ス・エツタ-(翻訳)(5

P53~57

10

神異と奇蹟(翻訳)/ウツドワ-ス・エツタ-(翻訳)(6つづくと記入していますが、本文もって終稿

P6366

昭和4

6

(パウロと猶太人/フランツ・ヴエルフェル山口悌治訳)

P8599

8

(パウロと猶太人/フランツ・ヴエルフェル山口悌治訳)

P92110

どうされているのか?

長くブログをしていると、最近「書き込み」が少なくなった「亀の子ブログ」が気になった。彼は“生長の家”にはなくてはならない人であることがわかります。それは「生長の家」の歴史や真理に対し、碩学であります。

 

 また「谷口雅春先生」に真摯に向き合っておられる態度は「私は見習わなければならない」彼の活躍が「生長の家」が左右されると云っても過言ではない。

 

 御身体に何かあったのか、考え過ぎかも知れないが一箇月「書き込み」されていないのが心配だ。

仕事が多忙であるならばいいのだが…

『生命の實相』縮刷豪華版レファレンス

この革表紙の『生命の實相』は立教後に出版された『生長の家』誌を基本としています。

正式には黒革表紙『生命の実相』三方金とも称されております。戦前の本などでは様々な呼び方をされており

「革表紙豪華版」

「革表紙縮刷版」

「特製總革表紙版」

「縮刷革表紙版」

別に固定された名称はなく、その豪華さゆえに単に革表紙版と称する人が多い。

 

雅春先生は

 

生長の家合本聖典『生命の實相』の完成日に就き

(約二年間の本誌を整理し系統だてたる總革表紙約一千頁の美本、

            實費三回、誌友に限り二圓五拾銭、送料拾八錢)

 

 

の創めた仕事は神の定めた時が來ねば、どんなに人間心で急いでも成就せぬ。三と五と七との數の因縁については私は本誌の第二輯第八號の『巻頭語』に神から書かされてゐた。人類生活を光明化するための使命を有った『生長の家』の巻頭語に於て何故こんな七五三の因縁のやうな無用の閑語が必要なのであるか、富時私は自分で書きながら、こんな無用の閑語を發表しても好いだらうかと自ら顧ずにゐられなかった。今にして知る『生長の家』は昭和五の年三の月に月滿て創刊號を生み、完成(ななつ)の年に『生命の實相』が完成すべきであったのだ。『七は實相世界の完成』と私は第八號に書かしめられてゐた。『生長の家』の根本聖典たる『生命の實相』は昭和完成(なな)の年一月一日を發行日とすべきは決して偶然ではなかったのである。これは神界から来た理由であるが、人間界には次のやうな理由が起った。

 在來神戸方面に印刷仕事をもってゐて毎日神戸へ来るついでに神戸郊外の『生長の家出版部』と接觸のあった印刷所では、其後印刷の主力を主として大阪方面に注ぐやうになり神戸へ来られなくなった爲め、『生命の實相』の校正刷を直接印刷者に手渡しすることが不可能となり、郵便で大阪住吉間を往復せしめねばならなくなった。校正刷とは活字の誤植を直すために著者へ迴って來る見本刷である。この見本刷を直しては印刷所へ送り返し。これを三度繰返して最後の仕上刷にかるのである。校正刷を大阪住吉間往復するに二

日間かゝる。三度校正刷を往復してゐるとそのために六日間かゝる。『生命の實相』の印刷専用として新鑄した振仮名活字四萬字では百頁を組むだけの字数しかない。で。一千頁の『生命の實相』を仕上げるには多くとも一囘百頁宛十囘に分けて印刷しなければならない。百頁組み上ったものを三往復六日間宛費して校正して印刷所へ送ると、その印刷を終り活字を解版(ほぐ)し更に活字を選り分けてからでないと、次の頁を組み始める譯に行かない。その間四日間は要する。百頁毎にこれだけの日敷が手待ちとなるので、千頁ではこの十倍の日敷(校正刷の往復に要する六日間と。印刷及び解版に要する四日間とが十遍ち約百日)が手待ちになる勘定である。色々工夫して校正刷を二往復にし、一同は印刷所で直して貰ふことにし、私が會牡から夜晩く歸って私自身校正刷を直してゐると其の日の郵便の間に合はない時には、ほかの人に校正して貰って其の日の郵便に間に合はすことにしたり、印刷所でも夜業して呉れたり、發行日を出来るだけ早くすることに努力した結果、計算上遲れる筈の百日間を切り縮めて、十二月中旬を内務省納本日とし、發行日日附を昭和七

年一月一日とし、諸君の手許には十二月中旬に内務省へと同じ頃に屆くやうにする。私は出来るだけ努力したが自然の事情がかくならしめたのである。丁度その製本出来の時期は年末年始の進物品の選擇に忙がしい時に當る。誌友某氏は『菓子を君に噌っても肉體が食べて腹をこはすだけである。茶を噌れば毎朝飮んで、これは××が呉れたのだと思ってくれるかも知れない。だが、この本を私の贈った茶だと思って、毎朝一二頁宛魂の中へ讀み味って呉れないであらうか、屹度君は得る處がある。これが私の君への切なる願ひだ』かう手紙を書き添へて『生命の實相』を年末年始の贈答晶がはりに知友全體に送りたいと云はれた。諸君がこの年末年始に噌り物をせねばならぬ誌友があるならば、この誌友と同じやうに『生命の實相』を贈られゝば實に好い贈り物となるであらう。一月一日の発行日になってゐる新生の本を正月の贈物にする。何と好い思ひ付ではないか。発行日が遲れたことも無意義ではなかったのである。正月には誰でも讀書の暇がある、貰った人は喜んで讀んで呉れるであらうと思ふ。                       (十二月號)

 

 なかなか、谷口雅春先生の思いを我が思いとして、出来ていない私が何を云おうと恥ずかしい限りである。

 

さて、今回『生命の実相』縮刷豪華版を記入するにあたり、大変申し訳ありませんが、教の巻と信の巻は残念ながら私は所有しておりません。

 下記のレファレンスで正解であると思うが、所有していないので断言出来ません。

どうか、教えて頂きたい、所有されている人で目次及び頁数の表示が正しいのか一言戴きたい。宜しくお願い致します。

 

 さて、今回調査するにあたり、吹田市ちさと図書館から生長の家本部や生長の家社会事業団にそれぞれ電話されていますが、あまりいい返事ではなかった。やはり、こういうのが社会的に与える影響は大きい。たったこれだけの事ではない。私もそういう処遇をされた経験があるからである。「今」は違うことを信じたいが、今回の事で「がっかり」した。

今年、「一燈園」に訪問させて戴いたが、その処遇の違いに残念しか言いようがない。

 

『生命の實相』縮刷豪華版 地の巻 昭和711日 改訂版 昭和11101

總説篇・實相篇・生活篇・敎育篇

默示第一章 十二節~十八節

はしがき

目次

月刊『生長の家』第一輯第四號の巻頭言

『七つの燈臺の點燈者』の神示

總説篇 七つの光明宣言/140

實相篇 光明の眞理/41494

第一章 近代科學の空即是色的展開/43

第二章 『生長の家』の健康學/59

第三章 あらゆる人生苦の解決と實例/77

第四章 心の世界に於ける運命の形式/113

第五章 生きた事實を語る/145

第六章 愛と眞理によつて更生せよ/169

第七章 『生長の家』の超生理學/194

第八章 『生長の家』の超藥物學/220

第九章 無礙自在の『生命の本性』を發揮せよ/267

第十章 『生長の家』の神人論/305

第十一章 讀んで魂の歡ぶ話/322

第十二章 神への道しるべ/345

第十三章 經濟問題の解決/374

第十四章 實生活に應用する自己暗示法/407

第十五章 心の根本的調律法/428

第十六章 『神想觀』の實修法/441

第十七章 生きとほしの生命/464

生活篇 『生長の家』の生き方/495728

(一) 朝の時間を生かせ/498

(二) 朗かに笑つて生きよ/516

(三) 日時計主義の生活/521

(四) ひとの生命の實相を禮拜せよ/524

(五) 神の子の自覺に超入せよ/528

(六) 『今』を全力を出して戰ひとれ/551

(七) 背水の陣を布け/557

(八) 深切の生活を生きよ/578

(九) 常に心に善念を把持せよ/592

(十) わが心の王國を支配せよ/604

(十一) 取越し苦勞する勿れ/615

(十二) 生長と平和と幸福は愛より生ずる/628

(十三) 思ひ切りよく、押し強く、勇敢に斷行せよ/636

(十四) 斷じて失敗を豫想せざる者は終に勝つ/653

(十五) 共通的生命の歡喜のため働け/671

(十六) 艱難を光明化せよ/690

(十七) 天地の開ける音を聞け/706

(十八) 家庭生活を光明化せよ/715

教育篇 『生長の家』の教育法/729856

 

『生命の實相』縮刷豪華版 空の巻  昭和10121

光明篇・生命篇・精神分析篇・新思想篇・倫理篇

「聲字實相の神示」

『生命の實相』空の巻目次

「萬敎歸一の神示」

光明篇  生命に到る道/180 

序 章   生長の家七つの光明宣言/2

第一章  一切の宗教を生かす『生長の家』/3

第二章 『生長の家』は日本精神の源泉/24    

第三章  『生長の家』とは何であるか/37

第四章  『生長の家』は何を信じるか/60

生命篇  生命圓相の眞理/81-416

第一章 果して物質的治療は病氣を征服し得たか/83

第二章 生きる力の神秘/113

第三章 心の平和に到達する眞理/137

第四章 『生命』は愛と智慧とによって生く/163

第五章 思念の力/177

第六章 人間は『肉體』でない話/192

余 白  無指にして立つ指/213

第七章  眞理は爾を自由ならしめん/214

第八章  祖國愛は神の道/234

第九章  愛の神による運命の修正/252

第十章  生命磁氣を語る/279

第十一章 現代醫學を語る/311

第十二章 死線を超えた實話/366

第十三章『無』の經濟と『無』の醫學/400

精神分析篇 精神分析による心の研究/417-490

佇立地獄の患者/419

ブロイエルの催眠法/422

ステケル氏の自由会話法/424

ユング氏の聯想試驗法/424

ステケル氏の自由單語法/425

病氣でありたい意志/425

精神分析の質問の仕方/426

彼の遅刻/428

彼の夢/429

妻の秘密/432

復讐の激情/433

患者の夢の分析/435

正しき生活病氣を全治せしむ/439

其の他の治驗例/440

精神分析實施上の注意/441

醫者への愛/446

勝利の慾望/446

公衆恐怖症の解剖/454

私の取扱った複雑な治驗例//463

新思想篇 心が肉體に及ぼす力/491-558

の作る病氣と想像の治す病氣/502

健康を左右する暗示の力/510

愛は癒やす力/520

人間は何故老衰するか/522

長く若さを保ちし人々/532

精神力にて老衰を防ぐ法/535

倫理篇  永遠價値の生活學/559-835

第一章   永遠價値の生活學序説/561

第二章   第一の神性隱蔽/583

第三章   第二の神性隱蔽と其の以後/609

第四章   自己の展開としての客觀世界/619

第五章   實相を隱蔽する傲慢と自卑/633

第六章   唯心思想の經濟的展開/642

第七章   悔改の倫理/711

第八章   僞我と眞我の甄別/729

第九章   自他一體と個性生活/741

第十章   和解の倫理/762

第十一章  ロダンの鼻缺け像の倫理/773

第十二章  戀愛・結婚・夫婦生活の倫理/787

第十三章  家庭の宗敎生活化/800

第十四章  無軌道の倫理/821

 

『生命の實相』縮刷豪華版 火の巻  昭和11225

聖詩篇・萬教歸一篇・宗敎問答篇

目次

『生長の家』家族の祈願及修養(扉裏)

聖詩篇 生長の家の歌/158

聖經甘露の法雨/3

光明の國/23

或る日の生命の國/29

生きた生命/45

光明と暗黒/47

夢を描け/49

朝の太陽/53

朝讃歌/53

生命の歌/54

花園にて/55

太陽の讃歌/56

生長の家家/57

天使の聲/58

萬教歸一篇『大生長の家』地湧の淨土/59444

『大生長の家』に就ての神示/60

第一章 中心に歸一する道/64

第二章 『生長の家』より見たる『創世記』/97

第三章 『生長の家』より觀たる法華經/216

第四章 萬教一つに包容す/278

第五章 我等を淨土に救ふものは何か/337

第六章 南無阿彌陀佛の實生活化/384

宗敎問答篇 生活に生きる宗敎/445879

第一章 生活に生きる宗敎/447

第二章 天國淨土を實現する道/510

第三章 『無』もない世界に入る話/576

第四章 眞理に救はれ行く人々/633

第五章 肉體と境遇を良くする道/673

第六章 南泉猫を斬る生活/720

第七章 神の無限供給を語る/761

第八章 天地一切と和合する生活/792

第九章 種の宗敎問題に答ふ/824

 

『生命の實相』縮刷豪華版 風の巻  昭和11625

聖靈篇・實證篇・靈界篇・質疑篇

無病常樂の神示

『生命の實相』風の巻目次

靈界篇索引

序詩 天使の言葉/122

聖靈篇 燃えさかる聖靈の火/23326

第一章 烈しき聖靈の焔/35

第二章 聖火盛岡を過ぐ/58

第三章 聖火帝都を過ぐ/74

第四章 聖火北陸を過ぐ/100

第五章 『ねばならぬ』を解放する宗教/121

第六章 聖火京都を過ぐ/156

第七章 宗教を生活に生きる生長の家/168

第八章 宗教上の『罪の赦し』に就いて/214

第九章 心に從つて展開する地上天國/255

第十章 無限能力をひらく道/280

靈證篇 生長の家の奇蹟に就蹟に就いて/327400

靈界篇 生命の行方/401834

序文/404

第一章 差別心より觀たる靈界の消息/408

第二章 平等心より觀たる靈界の消息/635

第三章 個性生命の存續と其の物質化/755

第四章 悟らぬ靈魂を救ふ道/768

第五章 幽明境を超ゆる念の感應/797

質疑篇 眞理の應用及び拾遺/835962

 

『生命の實相』縮刷豪華版 水の巻 昭和111025

經典篇一・經典篇二・常樂篇・觀行篇・人生問答篇

報恩行に就いての神示

苦痛の非實在

『生命の實相』水の巻目次

使命邁進の神示

經典篇一 『甘露の法雨』講義/1224

第一章 神と佛と靈/3

第二章 物質と實在と/56

第三章 智慧と無明と罪/112

第四章 人間の實相及び假相/163

經典篇二 『天使の言葉』講義―特『近眼は治る』原理に及ぶ。/225306

常樂篇 久遠常樂の生活/307382

第一章 常樂生活への道しるべ/309

第二章 無限能力を汲む道/318

第三章 不壞の生命を説く/330

第四章 全面的自由としての宗教的救ひ/352

第五章 平等愛の絶對神と偏愛の相對神/365

觀行篇 神想觀實修本義/383524

第一章 無限智慧を感受する道/385

第二章 無限生命に汲む道/416

第三章 無限供給を受くる道/458

第四章 神想觀の助業としての感謝行/509

人生問答篇 新生活への出發/525946

第一章 明朗生活の提唱/527

第二章 家庭爭議の解決を語る/

第三章 生活に顯れた神耀通妙用/579

第四章 生きる道の座談會/614

第五章 基督の偉さと奈翁の偉さ/650

第六章 戀愛・相性・方位・家相/672

第七章 念の集積・業の流轉・念の憑依/691

第八章 念の病氣に及ばす力/738

第九章 治す念波の話/768

第十章 みんな一體の信仰を語る/787

第十一章 世界は何處へ行くかを語る/858

第十二章 國と家庭を良くする話/892

第十三章 人生の惱みに答ふ/932

 

『生命の實相』縮刷豪華版 行の巻 昭和131125

樂行篇・眞行篇・敎育實践篇・經濟生活篇 

目次

樂行篇 常樂宗教の提唱/1138

第一章 常樂宗教の提唱/3

第二章 佛教の無常觀は生々流動の教だ/17

第三章 生長の家の奇蹟的功徳は何處から來るか/22

第四章 生きて歩む宗教/45

第五章 成佛論/106

第六章 神子の自覺に點睛す/127

眞行篇 光明眞理の祈願/139284

『生長の家々族の祈願及修養』講義/141

一、 生長の家の意義と誕生に就いて/141

二、 各宗教に對する生長の家の立場/146

三、 神の子の生活を今生きよ/158

四、 一切のものを拜め/163

五、 心を清く空虚にせよ/174

六、 自己の欲せぬことを思ふな/179

七、 自他の惡を思はず常に光明に轉向せよ/188

八、 神と偕に無畏無憂の生活を送れ/196

九、 躓く刹那に光明に轉向せよ/199

十、 隣人を光明生活に生かせ/202

十一、 先づ自分に深切であれ/208

十二、 眞理を傳へるのは愛の道/219

十三、 皇室及び一家の祖先を禮拜せよ/232

十四、 ものの内在生命の尊さに眼覺めよ/246

十五、 『久遠の今』の生命を發掘せよ/250

十六、 善と愛と智慧と光明とを生かせ/279

教育實踐篇 生命の教育の原理・その成果/285811

第一章 人間教育の根本的人生觀/287

第二章 無軌道の教育法/338

第三章 解放と引出しの教育/362

第四章 唯物教育の問題/378

第五章 左翼思想を轉向する道/407

第六章 入學難と就職難に勝つ法/443

第七章 優良兒の創造/463

第八章 人類無罪宣言/474

第九章 常不輕菩薩の教育/522

第十章 實相の開顯に伴ふ靈驗/547

第十一章 藝術教育の眞髓を語る/580

第十二章 宗教教育を如何に施すか/633

第十三章 生命の教育の成果を語る/689

第十四章 此の教育法で成績をよくした體驗/754

經濟生活篇 光明思想的事業經營法/813944

 

『生命の實相』縮刷豪華版 證の巻  昭和14315

下化衆生篇・随喜篇・道場篇・功德篇・聖語篇

ヨハネ默示第二十一章一~九

目次

ミレ-の晩鐘

下化衆生篇 哲學の實踐/1154

第一章 生きて生活する哲學/3

第二章 生命の特殊性と科學精神批半/43

第三章 世に勝つ原理/71

第四章 實在・理念・國家・人間/105

第五章 粟粒結核も親の心で治る/122

隨喜篇 把住と放行/155344

第一章 生命を禮拜する/157

第二章 放つもののみ生きる/184

第三章 眞如を生きる/197

第四章 人間觀の革命/214

第五章 善と幸福との一致/241

第六章 幸福の爲の對話/260

第七章 肉體の否定・無限力の肯定/284

道場篇 辨道聽き書/345578

功徳篇 寶樹華果多し/579706

無限力の發現/581

道を求めて/585

死の宣告を受けて/589

家庭光明化す/594

言葉の力/599

有難い心/604

わが光明信條/608

感謝は癒やす/611

歡びの日々/614

光りを招ぶ教育/619

豐作受賞の我が家/630

姪の無痛分娩/632

『生命の實相』に救はる/635

教育上にこの效果/638

感謝から希望へ/641

一時的治療は駄目/647

子供の昇天/649

花咲き實を結ぶ教育/657

『實相』拜讀十萬頁・業病消ゆ/666

脊髓カリエス一夜に治る/672

無限供給の有難さ/677

迷夢より醒めて/687

無痛分娩の體驗/693

妻の無痛分娩/695

聖語篇 智慧の言葉/707845

 

『生命の實相』縮刷豪華版 教の巻 昭和12220

女性敎育篇・家庭教育篇・敎育革新篇

目次

智慧の言葉

女性教育篇 母・妻・娘の聖書/1256

第一章 女性の觀點を一新せよ/3

第二章 『女だから』と云ふ言葉/16

第三章 妻を『養ふ』と云ふ言葉/23

第四章 無限供給の經濟の立て方/33

第五章 家庭幸福への道/46

第六章 結婚前の娘及び母への注意/58

第七章 ダリヤの花に題して/77

第八章 本來一つのもの/92

第九章 深切行に就いて/110

第十章 空想的人類愛より實際的人類愛へ/130

第十一章 レヴユーの精神分析/145

第十二章 家族全體を健康にする方法/166

第十三章 花嫁學校に於ける講話/221

家庭教育篇 家庭と教育の基礎/257444

第一章 愛兒の能力と夫婦陰陽の調和/259

第二章 拜み合ひの生活/283

第三章 無痛分娩の方法と心掛/297

第四章 蝦兒を無痛分娩した話/310

第五章 胎兒及胎兒以前よりの教養/328

第六章 配偶の觀相學的選び方/344

第七章 そのまま素直に有りがたい/374

第八章 或る結婚式場での話/404

第九章 愛兒の健康への近道/422

教育革新篇 新しき智慧/445836

第一章 革新的な兒童教育の仕方/447

第二章 芽生を培ふ教育法/487

第三章 人間の模倣性と教育/513

第四章 革新的教育法の效果を語る/539

第五章 教育の基礎となるいのちの根本自覺/578

第六章 今日の視力問題/618

第七章 近眼治癒者の體驗記/666

第八章 宗教々育の根本問題/717

第九章 人格教育の根本問題/749

第十章 教育には自由自在が必要/759

第十一章 言葉の逆效果と順效果/777

第十二章 自他を認める教育/805

 

『生命の實相』縮刷豪華版 信の巻 昭和13.1125

佛敎篇・基督篇・神道篇・幸福生活篇

目次

佛教篇 いのちの解脱/1202

第一章 『いのち』の自由/3

第二章 釋迦の成道/28

第三章 久遠を流るるいのち/51

第四章 維摩經及涅槃經に現れたる『肉體無』/81

第五章 宗教と科學の不敬性/98

第六章 生長の家と醫療問題/116

第七章 寂光を更に超えて/150

第八章 勝蓮華世界の蓮華王座/178

基教篇 新約聖書の示す眞理/203448

第一章 山上の垂訓の示す眞理/205

第二章 白馬に跨れる神の王/409

第三章 日本國體と奮約聖書との問題/430

神道篇 日本國の世界的使命/449730

第一章 古事記講義/451

第二章 皇軍の倫理/608

第三章 世界秩序の崩壊と再建/622

第四章 戰勝祈願の倫理/642

第五章 理念のための戰爭/673

第六章 余の國家主義/700

幸福生活篇 幸福生活への根本眞理/731862

第一章 幸福の扉の開き方/733

第二章 ありのままの生活/768

第三章 無礙の大道/789

第四章 心の原理/811

第五章 腹の立たなくなる法/838

徒然なる

今年の9月に発生した台風は「陵墓」の行く参道までが通行禁止という影響となっている。淳和天皇陵は小塩山の山頂にあり、そこまでの巡拝する登山道が倒木などで通れないようである。

安雲陵墓参考地も現在参拝中止となっている。台風が襲来した時は、10か所以上が通れない状況であった。

 

 さて、それ以外に数年にわたり陵墓参拝が出来ない所があります、それは私などは嵯峨陵とよんでいますが、もう参拝中止になって4年程なる。その理由は

宮内庁では

 

嵯峨天皇皇后陵においては,参道への落石のおそれがあるため,現在,参拝を停止しております。

 

となっている。私は落石した後、現在の通れない状況ではなく、通れた時に参拝しています。長い参道があり、苔むした情景は本当に素晴らしいの一言です。

右側の切り立った斜面が崩れて居り、それが激しく参道に及んでおります。これくらいなら直ぐに改修できますが、土地所有者の問題があり、その土地所有者の許可が必要になってきます。人の土地を修復するわけにもいかないので、そのままとなっています。

 

 やはり、陵墓参拝で一番困るのは、人の所有地を入らなければ参拝出来ないところが何カ所かあります。有名なのは堺市にある履中天皇陵です。その陪冢である「桧塚古墳(履中天皇陵陪冢に号)」である。これは㈱クボタ堺製造所の中にあり、一般の人は参拝出来ないのです。陪冢ろ号も写真撮影がしにくい所です。

 

 陵墓より高いマンションが林立しており、行きにくい所もある。また京都の花園天皇陵、後白河天皇陵は土日祝は拝観出来ません。

 

 参拝するには危険なところもあります。危険といっても「マムシが出てくる所」です。雑木林に覆われている所もあり、注意していかなければなりません。通常はそんなところまで行きませんが、宇治陵でも草むらに入らなければならない所があります。

 

 それと、堺市や藤井寺、羽曳野市等は世界遺産登録とさかんに云っていますが、仁徳天皇陵を大仙古墳とか云ったりして、堂々と仁徳天皇陵とか云えない人達が多いなかでは私は反対致します。

 

 祭祀として御墓をそんなに軽々しく世界遺産と叫んでも、長年に亘って「祈り」續けた、歴代天皇のお気持ちなど察することなく平気で観光として、ビジネスとしての見世物化するのも嘆かわしい。

 

仁徳天皇陵の隣にあるホテルなどは直ぐに撤去して欲しいし、陪冢などの周囲も汚い。そんななかで「世界遺産」と叫ばれても反対しか言いようがない。

 

 今後、大仙古墳とか使わない。仁徳天皇陵古墳など御陵と古墳は同じことであるから、日本語もおかしい。敬称をもって対処するところから始めて欲しい。世界遺産などおかしいことである。

雑感

今回、「谷口雅春先生を考えましょう」の破邪顕正さんの書き込みは完全なる「生長の家」教団の峻別であり、現在の「生長の家」教団を見限った発言です。

 私はあのトキさんの発言を「なんとも情けなく」大人としての弁えるような態度に見えなかった。それで厳しく書いた。

 そんなに「和解」や「仲良く」やりたければ、己が率先垂範してやらなければ誰がやるのかである。そんな気持ちでなければ当然不可能である。

 

 わかりやすく言えば、自分が「学ぶ会」と喧嘩していて、他の人や教団幹部に「仲良くして下さい」と言っても無理な事は小さい子でもわかる。そんな理屈が通用しないことは社会を経験すればわかるのであるが、生長の家教団が特殊なのかはわからない。それともトキさんが「和解」とかの感情しかなく、それを云えば「和解」が生じるかのような錯覚をしているのではないか。 

  言い方が悪いが「共産党」と和解しようとしても無理なことであるが、その無理なこと発言しているに過ぎない。

 

それより、破邪顕正さんの発言も少し言い過ぎであることは拭えない。それは「学ぶ会」の会員と「生長の家」教団の信徒を掛け持ちされている人もいるということである。

長年幹部として「生長の家」教団を背負っている人は退団したくても、それが出来ない事情もある。長年、周囲から「先生」とよばれ、慕われ、相談されていた人が「辞めたとたんに」電話もこない、「先生」と呼ばれなくなる。後ろ指を指される。そうした状況に堪えられない人もいる。

 

今の教団はおかしいとは思っているが、そこから抜け出されない。

 

 生長の家職員もそうであろう、反感もあるが我慢して堪えている人も数名知っている。今年飛田給でも知り合いがいるので、近くのホテルから訪問した。勿論、そんな話はしなかったが、状況でその厳しさとその環境がわかる。

 

 

 

 また、安東先生のことで書かれている情報は殆どが間違いである。どうしてそんな情報が出てくるのか不思議でもある。ただ、教化部長の時代に雅宣氏を擁護するような発言があったことが、多分気持ちが容認出来ない一つであろう。そんなこといえば「故森田先生」もそうであるが、それが森田先生はその様に捉えられていないのも不思議である。

全御陵参拝を祝福させていただきます。

全御陵参拝をされたという御報告を戴き、大変感激しております。

青年会の大先輩です。足掛け52年をかけて巡拝されたことを心より祝福させて戴きます。

 

私も遅ればせながら今年の5月に崇德天皇を参拝して最後の巡拝でした。私の青年会の頃はそうした巡拝をされる人もいましたが、現在はほとんどいません。天皇陵はまだ綺麗にされているのですが、陵墓となると一部荒れて居たりしています。どれほど哀しいことでしょう。

私はまだ陵墓探訪ということを生きている間に成し遂げたいと思っています。秋田県から鹿児島県まで899か所の陵墓があります。既に700か所は行ってはいるのですが、遠くは壱岐や対馬、佐渡とかあります。このような天皇陵を参拝する人が年々減少しています。

 

天皇信仰といいながら歴代の名前を云えない人、また陵墓を参拝したことのない人、憂慮致します。

来年実行したいこと

 『生命の實相』縮刷豪華版いわゆる革表紙版の目次の記入をしております。私はどういうことか、信の巻と敎の巻は所持していません。もし所持されている人がおられましたら、目次と奧付部分と最初の頁表示はないが神示や黙示録など記入されている場合があります。御教授をお願い致します。

 

 今後、廉価版や菊判と滿洲版『久遠の實在』『生命の實相』があります。最後の二つは復刻版もありますが、取敢えず戦前版を使用致します。その後戦後の革表紙版もありますので、それを記入しますが、来年になりそうです。発行日は以前誰かに教えて頂きました。

 それと以前に記入しましたが、来年早々に改訂版として『谷口雅春先生著作年譜一覧表』を発行させていただきます。これは目次とかは省略して、新たに書き加えた『御本』の紹介などしていきたい。いずれは、全項目の目次を完遂させる予定です。現在目次だけでも200頁を遥かに超えます。戦前版や戦後版の愛国書など記入しましたので、その量は半端ではない。

 段組を2段としてもその頁数ですから、これに更に追加しますのでコンテンツとしては迫力のある資料となります。

 

 谷口雅春先生の思想やその系譜を知りたければ、自分で勉強しなさいとよく言われたことです。どんなことでも探究心がなければ、その人の人生はそこで停止してしまう。

 それと知ったふりをすることは駄目である。私なら阪田先生に詳しいことを聞きます。

 当り前ですが、私以上に谷口雅春先生に関しては超一流ですから、阪田先生にかなう人はいません。だから、今後は新編もありますので、それも付加して来年の後半にはレファレンスの作成と発行をさせていただきたい。

 

 個人的には「神武天皇「東征」ルートを歩く」を完成させたい。岡山県と和歌山ですが「和歌山」に関しては2箇所は既に参拝しているのですが、別件で熊野の上陸箇所などを新宮と尾鷲を探索したい。

 また、既に申込はしているのですが、今月30日から元日まで100キロウォ-クに参加します。榛原から伊勢の内宮までを三日間で歩きます。

4月のダイトレチャレンジ40キロは山道を走ります。それとその4月27日・28日と富士山一周ウォ-キング125kmに参加したいと思っています。

 仕事もいろいろと覚えたいこともあり、頑張って行こうと思っています。

いつまでも同じことを書くトキさん

トキさんから返信のようなものがあったが、返答というものではない。自分の主張をまたもダラダラと書いている。それは聞いた。耳にタコができるといいたい。まあそれほど意見がかわっていない証左であろう。

 

それで、何がいいたいのか結論がない。まあ成長しない人である。今後もダラダラと職員の低下や本部の指令のあり方を書くのであろう。少しは成長したらいいのにとは思う。

そんな事を書いて、職場の宴会の上司の愚痴であろうが聴かせられる方が同じ事言うなと少し怒りがこもる。職場でもそんな状態であろう。

 

そして、いつものように本流派と教団と仲良くしたらいいのにとなる。

自分の責任は全くないのである。教区では大幹部である。

 

「おっさん、いつまで言うとんねん」

「おまえは責任ないと云いたいのか」

「しつこいな」
 「おまえ、何歳や」
 

 

大阪で何回もネチネチと云われるとこういう言葉が出てくる。

反対は誰でも云える、それならばそれに代わる政策の提示が必要

私は現在の状況を大変憂いている。

私は安倍政権を支持していますが、学ぶ会支持する人でも中には反対といっている人がいます。さぞ、何でも分かっているようなかたちで発言されています。勿論私も反対する事例や項目はあります。何故こんな政令がと思う所もあります。

それでも、なんとか「好い国」になって欲しいと思って居ります。

それならば、反対ならばどの政党がいいのかを発表すればいい。その政党が大きく日本を動かせる政党であれば尚よい。しかし、日本を本当に動かせる政党は「自民党」しかない。しかも「天皇護持」で私は賛成する。

反対する人は「どうすればいいのか」その政党は果して「天皇護持」なのか?本当に日本を動かせる政党なのか?

表明しなければ、そんな言葉信用出来ない。

 反対は誰でも云えます。それならば雇用対策で代替案を提示しよう。真剣に考えればいいではないか。

 

そんな時にいつも雅春先生の言葉が蘇ります。

それは雅春先生の言葉に天皇陛下を護持する立場から「自民党」を応援されていましたが、反対されている項目も多くあり、「やまと新聞」「帝京日日新聞」に御寄稿されておられました。利用されているとか、夫々なんでも今となれば言えますが、当時の状況をどうしてわからないのであろうか。切々たる思いを今の安倍政権を平気でいう人の気持ちは「谷口雅春先生」の歴史を勉強されていない証拠であろう。

 

それでも、涙を流しながら訴えている。それはどうしてかわかります?

 

斎藤厚生大臣にお願いする「前門の虎・後門の狼」チクロ含有食品の破棄処分を延期して頂きたい。その理由は?(やまと新聞)S44.12.01

「国家が天下無敵となる為に」米作を調整しながら真の国防を完うする一石二鳥の道(やまと新聞)S15.3.9

「穴だらけの憲法の実態を衝く」-神聖中心を失なったガタガタの日本国家-この占領憲法が生きているなら、総理大臣も国会議員も皆違憲になるから辞職するのが当然である(やまと新聞)S15.8.31

「日本国民に告ぐ 中国問題と佐藤首相の発言」佐藤首相は従来「国民政府と結んだ日華平和条約の効力は中国全体に適用されるため、日中間に法的戦争状態はない」と主張してきたのであるが、国連における「二重代表権問題」などにからんで。最近は、「中華人民共和国とは法的には戦争状態はまだ集結していない」という発言を日本国会でなすに至ったのである。この発言の影響するところは非常に重大であるので、その注意を促がす。(やまと新聞)S46.10.25

検証② 西九条のどのあたりに住まいされていたのか

大阪府中之島図書館に寄って来た。これは再度谷口雅春先生の幼少時時代の大阪西九条でのお住まいが何処であるかという検証です。

 

今回は明治43年度の大阪府西区地籍での詳細にて探ることにした。

 

それでも、多くは賃貸の住宅が多くあり、推察範囲を出ることが出来なかった。ただ、前回に示した位置は田んぼであり実際は少し現在の西九条駅の近くであるのではないかと思っています。

 田んぼが多く存在し、想像より明治43年は大阪市内でも長閑な地域でもあった。

 

そこで地籍は田、畑、道路、宅地、原野、水路、井路、私宅等分類されている、その所有者は別であるが宅地である所を分析すれば範囲は狭くなる。

 

西九条下之町東部の「一二六ノ四」付近が「内外綿」という会社にも直線で住宅を通り行ける。どぶ川のようなものが水路としてあります。鉄道にも面しているとなるとこの付近ではないかと推測出来ます。
IMG_1390
図面で云うと線路左の線路に面した「一二六ノ四」の箇所が西九条で住まわれていた箇所ではないか。
IMG_1391
Bと記載している部分と合致します。内外綿と記載している部分が会社です。
IMG_1393
地籍に於いて調査しました。明治43年度

一柳安次郎先生と谷口正治先生


御存知の通り、作詞者である一柳安二郎氏は市岡高校の国語の教師である。

質実剛健が校風であった「市岡高校」はあの元日本高等高校野球連盟会長である佐伯達夫氏(旧八期)は市岡高校そして早稲田である。そうした気風があった。(第二回甲子園大会では準優勝)

 

あの植村宗一(直木三十五)も一柳安次郎先生の影響は否定出来ない。植村宗一も教え子の一人である。

一柳先生が市岡高校の同窓会で植村宗一のことを語っている。

「寡黙な植村氏は卒業の前の年に、生徒会で講演して雄弁を振るった。その演題の大きいこと。「本年の卒業生の傾向を論じ、あわせて帝国の将来を憂う」」

 

やはり植村氏も一柳先生の影響が大きかった。

 

その一柳先生は国語の教師でありながら、様々な本に寄稿され、本も出版されている。

窓から   大正12年8月25日発行

大和地理歴史

『上方』五号(昭和六年)に会心居主人の名で

国学 自1号~至5

嗚呼忠臣乃木大将一柳安次郎 作歌,多梅稚 作曲  森本開文館  1912

 

その他いろいろある。明治の気骨溢れた人であることは文章を読んで感じました。

 

 

朝日新聞が応募した大阪市歌に応募して選定されておられます。それが下記です。(1903年)

窓より抜粋

1.  (かすみ)こめたり いこま(やま) (なみ)(しず)けし 茅渟(ちぬ)(うみ)

三州(さんしゅう)()の 末遠(すえとお)く (つく)りたてたる 大都会(だいとかい)

大廈高楼(たいかこうろう) ()みたてる 浪華(なにわ)(はる)は (ゆめ)ならず

ああ(うるわ)しき 大阪市(おおさかし)

第一は大阪市の景色を述べています。

三州というのは今でいうと初瀬川、大和川、淀川が二州となり三州となる意味と摂津、河内、和泉の三州との意味もあります。

「茅渟(チヌ)の海」とは

古くから「茅渟(チヌ)の海」と呼ばれ、好漁場として多くの魚介類が漁獲されてきた大阪湾。「茅渟の海」の由来はいくつかあり、一つは初代天皇である神武天皇の皇兄「彦五(ひこいつ)(せの)(みこと)」が戦傷を受け、その血がこの海に流れ、「血()()」から由来するといわれています。また、瀬戸内海から大阪湾一帯をを支配していた神様「珍彦(ちぬひこ)」<別名:神知津彦(かみしりつひこの)(みこと)」とも、椎根津彦(しいねづひこの)(みこと)>から由来しているともいわれています。この「茅渟の海」で獲れる代表的な魚がクロダイだったことから、チヌとも呼ばれるようになりました。

西行法師

【津の国の 浪華の春は 夢なれや 芦の枯葉に     

風わたるなり】

能因法師

【心あらん 人に見せばや津の国の なにはわたりの 春の景色を】

津の国とは摂津の古語となります。摂津は大阪を示します。

 

2.三韓(さんかん)のふね (くれ)のふね (とま)りはてけん 大伴(おおとも)

みつの浜松(はままつ) (とこし)えに (みどり)(いろ)の 弥増(いやま)()

()()う 千舟百舟(ちぶねももふね)の 舵緒(かじお)ほさぬ(もほさ) 大港(おおみなと)

おお(にぎ)わしき 大阪市(おおさかし)

 

水の都としての古今を歌う

三韓というのは三韓館というのが昔難波の宮にあり、それを三韓館と呼んでいました。中国や韓国の貿易はこの難波の宮から始まっています。

大伴氏は古くからなにわを傳領としておこなっています。

「御津の浜松」というのは

山上憶良の

【いざ子ども 早もやまとへ 大伴の御津の浜松 まち戀ひぬらむ】

御津というのは難波の港をさしています。

 

1.  天皇(きみ)高殿(たかどの)に (のぼ)りまし (たみ)(かまど)を ()ましけん

その御恵(おめぐみ)を (いま)(なお) しのぶに(あま)る 煤烟(ばいえん)

(くも)(かざり)は やがてこの (たみ)(とみ)なり (くに)のとみ

ああ(たの)もしき 大阪市(おおさかし)

 

煙の都としての大阪

これは御存知の通り仁徳天皇の難波高津の宮より眺めて、民の竈の立つ煙の希薄なるを見て、希薄なることで、税を免除したという。

その後三年

【百姓既に富めり、民の富めるは朕の富めるなり】

 

藤原時平は

【高殿に のぼりてみれば 天の下 四方に煙りて今ぞ富ぬる】

 

1.  それ勤倹(きんけん)の (つき)のかげ 高津(たかつ)(みや)の (あき)()

尚武(しょうぶ)(はな)は 金城(きんじょう)の 天守(てんしゅ)(はる)の (いろ)()

げに()(はな)と ()(つき)ぞ 市民(しみん)(かざ)す (はた)じるし

ああ(いさ)ましき 大阪市(おおさかし)

 

大阪の覚悟を述べた歌です。

『生長の家五拾年史』より抜粋

《併し、私も本当のことを知るときが来たのです。呉れから来た私の叔母が私にも幾枚も人間が交接してゐる写真を見せてくれたのでした。どういふ目的で見せたのか、私は知らないが、私にとってはそれは一つのショックでした。父母はこのやうに犬のやるやうな醜悪な行為をして私を生んだのだと知ったときに、私は父母に対する尊敬の念が消し飛んでしまったのです。そして私を産み捨ててそれを養子にやったのである。私は私を産みもしないで養ってくれた養父母に感謝するやうな気持は起らなかった。

私を産むなら、産んだそのまま捨てておいてくれて、苦痛に対する感受性の乏しい幼時に私が死んでしまってゐたならば、現在のやうに私は悩む必要もなかったのだ。何故、養父母は私を育てて今まで生かしておいてくれたのだらう―祭日も正月も少しも喜ばないやうな暗い性格に生まれついてゐだ私は、人生の暗い方面ばかりを見つめてこのやうな事ばかりを考へるのでした》(『第二青年の書』)

 

そしてこのことがあってから先生は、学校の回覧雑誌の『鶴声』に「親不孝論」を書いて発表されたのである。

《すると、盛んに同級生から駁論が送られて来たから誌上でさかんに論戦したものである。わたしはそのころ、人生を楽しいと思ってゐなかった。わたしの立論は、すべて唯物的であった。生命そのものの無限向上といふことを認めないで、ただ生命を現世だけ存するものと観、その現世を苦しいものと感じてゐるので、なんのために生まれたのか、生まれることに動機を与へた父母といふものこそ呪ふべきだといふやうな見地から、親不孝論をたうたうと述べてゐるのであった……》(『生命の實相』自傳篇)

 

それに対する友人の駁論の多くは、父母から受けた恩について力説されてゐたが、現世が不幸で、生きてゐること自身苦痛と観ずる先生にとって、この論争は交はることなく平行線を辿るだけであった。谷口先生が「親不孝論」を書かれて回覧雑誌で論争をされてゐる頃、先生は国語の教師であった一柳安次郎といふ人の真似をして「ペン」といふ題で日々の感想録を、教室の入口に額縁に入れて掲示してをられたがその感想録の内容がまた問題となった。

 

わたしは教員室へ呼び出されて、教頭の渡辺先生と、国語の一柳先生との前で叱りつけられた。「君は不穏思想を抱いてゐる。君の書くことはまるでロシアの虚無党だ」と言ってわたしを責めるのである》 (同上)

当時、先生は虚無党といふ言葉も、ましてやその意味するところさへも御存じなかったのであったが、感想録の内容が「ロシアの虚無党だ」と批判されたのである。

 

《何をその時書いてゐたか私は記憶してゐないが、恐らく私は修身で教へられた「人格の自由」と云ふことを根拠として議論を発展させて人間の自由を主張してゐたやうに思ふ。今なら左翼思想と云はれる所である。その左翼思想がどこから来たかと云ふと、修身で教へられた「人格の自由」と云ふことのおのづからなる発展であって、その頃読書範囲の狭い私は、決して外来の思想にかぶれてさうなっだのではなかったのである》 (同上)

と、その時のことを述べてをられる。

 

 ところで谷口先生は「人格の自由」すなはち「人格は意志と行為との主体であって本来自由なものである」といふことを教はった時雀躍りして喜んだと言はれる。ところが人格の自由といふのを「ニセ物の自分がしたい儘をすることが自由」であると受けとめられたために、よく教師と議論をしたり、長上に反抗したりされたのであった。

 

《……教師を議論でいぢめたり、長上に反抗したりすることが自由の発露だと思ってゐた私は、自然の勢ひとして、周囲と衝突し、周囲によってしばられてゐる窮屈な自分を見出さずにはゐられなかった。(そして)私は別に常識で云へば苦しい境遇に置かれてゐないのに、何となく人生が苦しくなり、生きてゐることが味気なくなり、然りとて自殺する気持にもならず、「何故、人間は生まれて来たのであるか」などと云ふことを思索するやうになってゐた》 (同上)

 

しかしながら、当時の学校教育は、さうした問題を解決せしめるものではなく、逆に問題を複雑なものとしたのである。当時の教育は、修身に於ける「人格の自由」といふことが物語つてゐるやうに一部のものを除いて、専ら西欧から輸入されたところの教育が行なはれてゐた。それは一口に言へば。唯物的な教育といへる内容であった。人間を物質の固りであるとは教へないまでも、人間はアメーバーといふ微生物が進化して猿となり、それがさらに進化して人間となったといふダーウィンの進化論が教へられてゐた。そして最初のアメーバーなるものは、ある物質が偶然に結合して生まれたといふことから、人間生命の根本は物質であるといったことが、生物学では実際に教へられてゐたのである。

しかし、一方歴史教育においては、瑣々杵尊の天孫降臨によって日本民族が誕生したといふ神話が教へられてゐたのであった。このやうに一方に於ては、進化論的人間観が教へられ、一方に於ては天孫降臨といふ神話的人間観が教へられるといふ、凡そその間に調和しないところの考へ方が調和しないままに教育されてゐたのである。

 

  文学への志向

このやうな唯物的な教育の中で谷口先生は「人生の意義」について思索をされたわけであるが、学校教育からは、満足のゆく解答を得られるはずはなくやがて、その問題をより深く見つめるために人生を最も多く取扱はうとする文学の世界に関心を向けられてゆくことになるのである。そこには、前述の一柳安次郎といふ国語教師の影響もあった。

 

さてその一柳安次郎という先生ですが市岡高校の校歌を作詞されておられます。
008b
明治43年当時の校舎
市岡高校の澪標より抜粋させていただきました。

 

大阪府立市岡高等学校校歌

 (明治39年制定) 作詞/一柳安次郎 作曲/大橋純二郎

 kouka1

 

 

 

 

送別の歌

 (明治39年制定) 作詞/一柳安次郎 作曲/大橋純二郎
kouka2


 以上からみると「一柳安次郎」という人物を焦点にして述べましたが、如何に祖国愛に満ちた人であろうか推測出来ます。住まいは神戸の湊川ですが、大阪を愛し、楠木正成や乃木将軍を愛していたかが、一連の文章でわかります。

そのような人物が国語の先生として教壇に立ち、発言される内容にはワクワクするような内容であったことは間違いありません。植村宗一(直木三十五)もその影響を受けたであろうし、当時の谷口正治少年(谷口雅春先生)が文学の道を志そうと思ったことも理解出来ます。

理解する努力を

久々にトキ氏の呟きに似た歎きと必ずや双方が悪いのだと持っていく論法の方法にウンザリしている人も多いのではないか。

また、常に他人事のように書く内容は自分が雛壇に座って行司裁定のように私は「正義」だと云っているような気がしてならない。

 

ただ、既に6年以上の内容は一貫していることは確かである。だが、いくらトキさんが嘆こうと、呟こうと「一歩も前進」しないのは何故かであろう。一部のように同じ事を何回も呟いても却って「悪い方向」に運動は傾いていることは確かである。

 

その悪い方向というのは「左翼的論調」であろう。左翼の人は自分が左翼だと思っていないのが何とも無知しかいえない。安倍首相が立憲主義を否定しているという。その国会演説を聞いたが、余程悪い印象しか持たない人間しか「立憲主義否定」をしているとはいわない。

https://www.youtube.com/watch?v=Km3cn7u8MHk

 

明治憲法は立憲主義として近代憲法をスタ-トしている。アジア初の近代憲法である。これは当時の状況からすれば大変な偉業である。

もともと、当時の立憲主義というのは

 

立憲主義の要素

 

立憲主義の要素としては次の諸点がある。 (一部省略)

 

言論の自由

 

言論の自由・結社の自由や信書の秘密など臣民の権利が法律の留保のもとで保障されていること(第2章)。

 

これらの権利は天皇から臣民に与えられた「恩恵的権利」としてその享有が保障されていた。日本国憲法ではこれらの権利を永久不可侵の「基本的人権」と規定する。また、権利制限の根拠は、「法律ニ定メタル場合」、「法律ノ範囲内」などのいわゆる「法律の留保」、あるいは「安寧秩序」に求められた。この点も、基本的人権の制約を「公共の福祉」に求める日本国憲法とは異なる。ただし、現憲法の「公共の福祉」による制限も法律による人権の制限の一種であり、現在、教育の現場で解説されるような、「旧憲法のそれは非常に制限的であり、現憲法のそれは開放的である」とする程の本質的な差はないとする意見もある(ただし、比較的な傾向としては肯定する)。その立場からは、「人権が上位法の憲法典の形で明文で保障された」点に第一の意義があり、また内容としては当時においてはかなり先進的なものであったとする。

 

議会制

 

帝国議会を開設し、貴族院は皇族華族及び勅任議員からなり、衆議院は公選された議員からなること(第3章)。

 

帝国議会は法律の協賛(同意)権を持ち、臣民の権利・義務など法律の留保が付された事項は帝国議会の同意がなければ改変できなかった。また、帝国議会は予算協賛権を有し、予算審議を通じて行政を監督する力を持った。衆議院が予算先議権を持つ以外は、貴衆両院は対等とされた。上奏権や建議権も限定付きながら与えられた(最終的には天皇の裁可と国務大臣の副署が必要であったが、建議権を通じた事実上の政策への関与が可能とされた)。

 

大臣責任制・大臣助言制

 

天皇の行政大権の行使に国務大臣の輔弼(天皇が権能を行使するに際し、助言を与える事)を必要とする体制(大臣責任制または大臣助言制)を定めたこと(第4章)。

 

内閣や内閣総理大臣に関する規定は憲法典ではなく内閣官制に定められた。内閣総理大臣は国務大臣の首班ではあるものの同輩中の首席とされ、国務大臣(各省大臣)に対する任免権がないため、明文上の権限は強くない。しかし、内閣総理大臣は各部総督権を有して大政の方向を指示するために機務奏宣権(天皇に裁可を求める奏請権と天皇の裁可を宣下する権限)と国務大臣の奏薦権(天皇に任命を奏請する権限)を有したため、実質的な権限は大きかった。

 

司法権の独立

 

司法権の独立を確立したこと。

 

司法権は天皇から裁判所に委任された形をとり、これが司法権の独立を意味していた。また、欧州大陸型の司法制度を採用し、行政訴訟の管轄は司法裁判所にはなく行政裁判所の管轄に属していた。この根拠については伊藤博文著の『憲法義解』によると、行政権もまた司法権からの独立を要することに基づくとされている。

 

また、先ほどのYou Tubeを見て頂ければ理解していただけます。それを「生長の家」ではどこをどう理解したのか「左翼」と同調して発言しているのです。

『人間・神の子は立憲主義の基礎』を参照。

 

以上が私が左翼的論調と云っている論証です。

 

さて、それではトキさんの全文を掲載致します。

 

教団と本流復活派はそろそろ話し合いを始めたほうがいいと思います。 (8285)

日時:20181214 () 2256

名前:トキ

 教団に所属していますが、最近目立つのは部内の士気が著しく低下していることです。

 

 ”分派”すなわち本流復活派との対立姿勢を見せる幹部も以前なら見られましたが、最近は全体にダレてしまい、”どうでもいいや”という雰囲気が蔓延しています。このまま本部の方針に従って運動をしていたら、終いには組織は破綻するのはよほどのバカでない限りわかります。

 

 他方、本流復活派も以前ほどの勢いはなく、運動が停滞しているという印象を持っています。

 

そして、この間の争いに関連して、生長の家の信仰という点では、否定的な影響は確実に出ています。例えば、数々の裁判により莫大な費用が生じていることや、聖典や聖経が信徒の手に入りにくくなった件など、その悪影響は枚挙に遑がないです。

 

 もちろん、だからと言って、今すぐに両者の和解が実現すると考えるのは困難でしょう。が、このまま対立を続けていても、全然、生産的ではないのも明らかです。

 

 冷静に考えると、教団が方針を変更するとか、あるいは今すぐに破綻すると考えるのは無理です。(ただし、このままの状態が続くと、教団は事実上、消滅する日は来ると思います。)逆に、本流復活派の諸組織が直ぐに消滅する事もないでしょう。

 

 アメリカには、「倒せない敵とは仲良くせよ」という諺があるといいます。今日の教団と本流復活派の関係がそうです。

 

本当にトキさんというのは生長の家の『生命の實相』何回も讀まれているのですから、もう少し生長の家が左翼と対峙してきた時代というのがあった。それは何故かです。雅春先生はそんな左翼と仲良くなんて言わなかった。

 

 ここに至っては、教団も本流復活派も、お互いの存在を認めて、まずは話し合いを始めて見てはどうでしょうか。例えば、聖典の出版について、本流復活派の著作権や出版権を認めた上で、教団にも出版を認め、印税の一部を本流復活派におさめるという「取引」は互いにwin-win の関係になると思われます。

 

 いつまでも争いを続けることは、双方にとって不利益だと思います。それ以上に信徒にとって、不利益であり、神界の谷口雅春先生を悲しませることになると思います。

 

私は互いに本を購入すればいい話ですし、生長の家の信徒の人も自由に「光明思想社」から本を購入できるのですから、別に著作権がどうすればとかの問題ではない。

 谷口雅春先生の多くの著作権がある日本教文社が谷口雅春先生の著書を発行しない。ここが問題なのです。


 そこに発言権を求めた生長の家教団「谷口雅宣」総裁という人間が悪いことになります。そこを理解しないと対立だけでものを見ると、どうしてもおかしな方向になります。

 

 日本教文社で全権を握れば、『生命の實相』は世の中から抹殺される危機さえあったことを理解しなければならない。

 私が生長の家を辞める時には既に『生命の實相』を輪読会で使用するなという緘口令がひかれていました。

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