則天去私

「谷口雅春」先生の生涯も綴っていきます。

2018年07月

讀んで戴ければ幸甚です。

大野山(猪名川町)


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右側に天文台が見えます。少し小さいですが下図の部分です。
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サザエさんのオ-プニングに出てきた山が大野山です。

この暑い最中、大野山に行きました。ここは車で頂上付近まで登れます。
車で頂上にある駐車場に停めて登りました。
今回は少しだけ歩きました。台風の前日(7/28)です。夜中に大変な突風が吹き乱れました。







些事小事-2

宗教家というのはとかく自分の間違いを認めない。それと同じように、相手の間違いを容赦なく打ちのめしたいという願望にかられる。自分が絶対正義という観念があまりにも強い爲、自分以外の考えは間違いであるという。

 

絶対正義なんて世の中にあるのであろうか。例えば「生長の家」の信仰をしていると錦の御旗のように「雅春先生はこのようにおしゃって居る」というコトバを聞くことがある。確かにそうだろうが、それで相手が云う事を聞くのであろうか。言葉に於ける正義とそれを実践して使用する場合は異なることがある。

 

ある實例がある。

生長の家の熱心な信徒がいる。それは誰もが認める「生長の家」の申し子のような人である。だが「熱心」のあまり、兄弟に熱烈に勧誘するのである。

それ自体は悪くはないが、「生長の家」以外の信仰は認めないのである。だからいつも「生長の家」の信仰の話しかしない。そのために、飽きられてしまうのである。冗談も聞こうとしない。だから、兄弟からは疎遠となることが多くなる。

生長の家を入信する以前は兄弟も仲が良く、人が羨ましがるような仲であったのである。

現在は高齢となっているが、昔は地元でも有名な美人姉妹であった。それがどうしてそのようになってしまったかである。

 

私は信仰というのは間違いないが、それを押し付けたり、あの人は間違っているから正してやろうと目論見をしていると、相手に見透かされて「私が間違っているから正そうとしている」「故憎たらしい奴め」と反対に怒りをかってしまうのです。

 

講演とかすれば「素晴らしい講話」を行っても、兄弟の仲が悪ければ調和とはいえない。また、誰かを恨んだりしていると、必ず見透かされるのである。

 私も以前は自分のブログで正義を振りかざしていたが、反対にそれも間違いだなと気付くことがある。相手に「これは間違っています」というのは正しいが、相手に反省させるまで言い続けようとかは、相手を懲らしめてやろうという気持ちが働いてしまうのです。

そうなると、観世音菩薩として拝めなくなるのです。いつしか「憎しみ」のみが残ってしまうのです。

些事小事

『生命の實相』のレファレンスを現在作業中ですが、仕事をしながらの作業のため、少ししか進めないが、その分充実している。

 

そこで作業していて思うのは戦前における内務省警保局との戦いによる、検閲の逃れ。『生命の實相』大聖典における、出版事情による、自己検閲。

しかし、その検閲も戦前の途中でも数年で検閲されていない、その検閲部分もそのまま印刷されたりしている。

 

 戦後においても、新修版や布製携帯版と頭注版と少し異なっている。また戦後では戦前での文章が復活している箇所もある。

少しでも前進できたらと思っています。

コメントに感謝

1. 立葵

 20180728 01:02

 合掌

 三拾年史には『綾部新聞』の箇所のみならず、事実と違ふ記述がさまざまな処にあったといふことを、本年4292105の記事にて拝見いたしました。私などは例へば「書店版」と書いてあれば手放しでまづ信じてしまふと申しますか、もし調べてゐることがそのやうに書いてあれば、まづ安心してしまふやうに思ひます。

 怖いのは、自分一人の誤解に留まってゐればそれまでのことですが、それを典拠に何らかの形で公の文書で言及してしまふことです。

さうしたことを可能な限り避けるためには、常に心のアンテナを張り巡らせてゐること、そのことによって神様のお導きによる人との御縁、学恩、自分の取るべき行動へのインスピレーション等に感応受信してゆけるやうに祈り且つ進一歩に努めることでせうか。

 立葵拝

 

コメントありがとうございます。

おしゃる通りで、『生長の家三拾年史』『生長の家四拾年史』『生長の家五拾年史』など編纂の努力はありますが、記載ミスや当時ではまだ解らなかった部分などがあり、史実とは異なる部分があります。谷口雅春先生の史実の違いとかではないのですが、御著書の記載においてのミスや日付等様々あります。

 

それをそのまま掲載する場合にさて「どうするか」であります。『中心(すめろぎ)に歸一する道』だけではありません。自伝篇にある発行された期日の違いなど様々あります。

 

そうしたなかで、今回の『綾部新聞』でもそうですが、例えば『生命の實相』滿洲版などは4巻発行されたと記載があるが、その内一巻だけは誰も見たことが無い。

 本部の資料を探っても名前は列挙されても、発行日がない。そういう場合には誰もが探ることが時代とともに難しくなってしまった。だが後年になって発見されたものもある。

 

『生長の家五拾年史』編纂での『時代社』の谷口雅春先生の御寄稿文章です。

 

また、今回の『彗星』での谷口雅春先生の御寄稿された文章です。

 

私までもが諦めてしまうと、誰もがもう探索しないだろうとは思っていました。ただ、偶然に発見したものも多くあることも事実であります。

今回の『谷口雅春著作集』でもそうですが、私も偶然に疑問を持ったのです。何の気なしに『智慧の言葉』という書物を手に入れることが出来て、そこから探っていくことにしました。そうすると、谷口雅春著作物であることを発見したのです。函にのみ著作集の記載があり、函がないとわからない御本なのです。『智慧の言葉』も函が無かったので、難しかったのですが、昭和10年の広告物などで探っていましたが此れだけは、記載がない。ただ一箇所に廣告記載があり、そこから本部の資料などにより、確信がもてたのです。

 

このブログに掲載するときには出来る限り、緻密に調べることにしております。そうでないと間違ってしまうと、誰もそれを調べることをしないだろうと私は思っていますので、自分の時代で出来る限り調査したい。また、私の文章を信用して、それが間違いの場合、それを引用などすると後世までも間違ってしまうのです。

 

だから私もそれに関しては注意していきたい。

御題詠進-①

『綾部新聞』という記載についてですが、『生長の家三十拾年史』の371頁に記載のある部分に

【先生のお歌は『綾部新聞』には毎號十數首が掲載されていたが、今は手に入らない…】

 

こうした記載があるので、光明思想社が記載を誤まってしまったことが理解出来ます。この当時は「大本教」に訪ねないで、そのまま編集者が現況の掲載のみを確認して掲載したように思います。五拾年史においては修正されています。

 

谷口雅春

御題詠進

 

船出(昭和二十八年)

初船出 むかふる如く 輝ける 

雲をそびらに 澪標立つ

 

林(昭和二十年)

天地の いのちの底に よこたはる                   静寂の林 いま東雲來ぬ 

 

富士の山 のもすそに曳ける 山なみに

     つゞく林に 朝日照わたる

 

泉(昭和三十年)

大神の いのちのみつゑ 指すところ

    岩うちわりて 淸水たぎり出づ

 

神ながら 地下にくぐるも やがて世の

      泉となりて 渇きいやさん

批評するなら、再度文章を読もう。

とかく人間というのは自己判断というのは間違いないと錯覚するものです。だからこそ生きているのです。しかし、時として間違いがあることも自覚しておかなければならない。講話で夫婦調和の話をする人が現実はその真逆だったりすることがある。私もその現実を見聞したことがあるが、白鳩会の幹部であった人の旦那さんが、毎夜の如く出て行っている奥さんを許しているとはいえ、淋しさに隠れて酒を飲む。いくらなんでも毎日ならば、御主人もたまらない。それに不満を持ったご主人が酒に溺れ自暴自棄となり、最後は早死にしてしまった。

そういう話は一部とその御近所では有名な話であった。それなら、夫婦の調和というのは何かである。

 

ここで、とかく独り善がりで善悪を判断してしまうが、ひょっとしてその旦那さんは独りで幸せであったかもしれない。そんな事、誰にもわからない。

とりわけ、他人が独断で判断出来る材料は少ない、伝聞や風評で井戸端会議な奥底のみの判断で決めつけもよくないかもしれない。

夫婦の調和というのは当本人しかわからないものがある。旦那さんが幸せで夫婦円満と思っていても、意外と奥さんは早く別れたいと思っているのかもしれない。

 

 

さて、本題に入ります。

掲示板が荒れる原因の一つとして、書いた内容を読んでいないのと、先入観でその人を見ている。

 

例えば、「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」ですが、管理人から私に対して、批評的な文章が掲載されているのですが、その後、訳の分らない「そ-れ!!」さんが出てきて、その後、まともな文章として「青少年練成会運営委員」さんの発言です。その後、再び、少し内容を把握されていない「そ-れ!!」さんがでてきた。その後「笑点」さんが「そ-れ!!」さんの言葉の間違いを指摘したのです。その後、どう云う訳か「母の日」さんが誰も管理人を批判していないのに、「管理人を批判しないで」と投稿している。

 

私はオ-イと思わず叫んでしまう。(読んで頂ければわかります)管理人に対して誰も批判などしていないのです。

 

 

私だけが下記のようにイヤミを云われただけである。

 

歴代管理人のなかには、かつて過労で体調をくずした人もいます。それを公表していないだけです。この掲示板の管理人は、みな本気なのです。本管理人も生業をかかえながら、本掲示板の目的実現のために大変な時間を労力を消費しています。このような掲示板管理は、自分の言いたいことだけを批判なのか独り言なのか判らない曖昧な言葉で言えるブログとは違うのです。

https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=2286

 

オッたまげるような話の展開ですが、とかくそれぞれが正しいとする主張が間違いの可能性もある。

そもそも、トキさんの質問を「管理人」さんが何故答えないのか不思議であった。(今、現在も答えていない)そこで、私から再質問をした。

そこで突拍子もなく逆切れの発言(少し大袈裟)が管理人からあった。それは的を射ていない、私への過去の文章での批評です。

想像するに、質問に答えられなかったのが余程悔しかったのであろう。

それは私もよくありますが、そこをグ-と推し量って大人の対応が出来れば、最高である。しかし、どうしてもイヤミを云ってしまう。

それも、わからないことはない。

 

最初に言いましたが、この掲示板でまともに答えられたのは「青少年練成会運営委員」と「笑点」さんである。「管理人」さんすら私の文章を読んでいない。

 

相手の事を親身になって考えることはなしに、必死になって「相手を傷つけよう」としている。相手の「実相」を拝むのではなく、どうすればやっつけられるであろうと考えている。

そういう、事象が見える私も全く修行が足りていません。相手を見たら「観世音菩薩」として観よ。

 

偉そうに書きましたが、私も出来る限り相手を拝むようにしていきたい。

トレッキング・ランニングとは

トレッキングランニングとは

トレランとか略して云う人も多いですがトレッキングとは

トレッキング(英語:trekking)は、山歩きのこと。 登頂を目指すことを主な目的としている登山に対し、トレッキングは特に山頂にはこだわらず、山の中を歩くことを目的としている言葉。ただし、結果的に行動の過程で、山頂を通過することもある。

 

その行程において登り階段や坂などは無理ですが、平坦地や下り坂などは走っている。

 だから、結構長い距離を走る事になります。30kmや50kmとか今年は76kmがトレランでは最高の距離です。ロ-ドランニングでは86km走りました。

 

これは、トレッキングのきっかけは骨折ですが、最近は獣道を走ったりすることもあります。なかには急坂で危険な道もあります。そういう道も或る程度慣れているので、そんなところでも走ったりしています。

 ただ、さすがに、岩が露出して、湧き水などで滑りやすくなっている所は慎重にゆっくりと歩きます。

 

 反対に敢えて難しい道を歩くこともあります。それが鍛錬にもなり、足腰を鍛えるのに必要な事なんで行います。

 

 千日回峰行では深夜の2時に出発して約30kmや60kmや84kmの道のりを走破します。それは年代になるほど厳しくなり、一日84kmは比叡山を歩いていれば到底一日で走破できる距離ではない。

以前に映像でその修行の様子が映り出していましたが、走っているのです。すごいスピ-ドで走っている姿を見た時にその行の凄まじさを感じた。途中休憩することなく行を行う姿は「神の域に達して居る」と感じます。

 

以前にパタゴニア極限レ-ス141kmで「神の領域を走る」というNHKで放映されていましたが、千日回峰は神の領域を毎日走っておられるように感じます。

 

さて、私なんかはそんな領域なんかは到底感じられないが、それでも自然の中を走るのは大変で「もう歩けない」という極限に達したことがありますが、それでもなんとか歩かなければ帰れませんので、歩きます。

また、何回となく血尿を経験したことがあります。

また、熱中症に何回か経験しました。それでも止められない何かがあるんです。

「学ぶ会」にも骨のある人がいて安心しました。

勇気を出して「谷口雅春先生を考える・第二」で書いて戴いた「青少年練成運営委員」さんに深く感謝申し上げたい。

 

青少年練成会に例えると……NEW (9805)

日時:20180722 () 1658

名前:青少年練成会運営委員

青少年練成会での出来事。

学校をドロップアウトした暴走族のリーダーが参加した。

自ら進んで来たわけではなく、半ば無理矢理連れて来られたこともあり、受講態度は最悪どころか、他の参加者にもタバコを勧めたり、一緒にサボったりと、私たち運営委員の手を焼かせた。

しかし、私たちは彼を排除せず、現象の奥にある實相を拝み、讃嘆のコトバをシャワーのように浴びせた。

練成会最終日の前夜、彼は机に突っ伏して寝ていた。

それを見た当時の運営委員長は、彼を外へ連れ出して、彼のすばらしさを一つ一つ、讃嘆した。

すると彼は、目を輝かせて「暴走族を辞めて、学校に行く」と決意した。

その後、生高練の委員長となり、活動を引っ張った。

あのとき、「排除」していたら、彼の人生はどうなっていただろうか。

「排除」は、生長の家の教えに非ず。それだけははっきりと言える。

 

 

「和解の論理」と「排除の論理」と考えた時に確かに「排除の論理」に於てはいろんな理屈を云えば、それが正論のように言えるのかもしれないが、それはあくまで偽証であって、本来の生長の家の役割とも異なる。

 

相手を先ず「拝む」そこから、相手の実相を引き出す事が出来るのであって、最初から「本業が疎かになる」といえば、実相を引き出すことも出来ないのです。

自分が忙しければ、そういう担当を設ければいいだけの話であって、方策はいくらでもある。

 

 破邪顕正さんは大変忙しい人ですので理解はしております。前回のブログで記入しましたように、そのように思っても、書かないようにして下さい。

 大講師の先生に失礼ながら注文を付けさせていただきます。

 

 今回の掲示板で少しは「学ぶ会」には骨のある人がいることに安心致しました。

 また、そーれ!!さんに注意する人がいて、安心しました。論理が無茶苦茶で本人は気が付いていないようなんで、ようやく、そういう注意する人が現れてほっとしています。
 これも管理人のお蔭です。今後は少しは良くなります。

 

 

社会奉仕活動

自分でも馬鹿なことしているなと思うことがあります。それは530日に骨折していて、包帯を巻いた左手のそのままで、621日吹田市災害ボランティア活動に行ったことです。

反対に周りに心配されましたが、何とかなるよと、意外とさっぱりした言葉で云っていました。

本当は少し痛かったこともありました。

でも、居ても立っても居られない気持ちがあり、自分で出来ることは何でもお手伝いさせていただこうと参加しました。

 

後日、私の自宅から近い所に住んでおられる方が体験談を話して居ら有れたが、東日本大震災の時に子供が1歳と5歳の二人です、それでも東日本大震災にボランティア活動に参加したいと希望したが、当然ご主人が反対され、その御主人が参加されたことを聴きました。

 

だから、自分はこんな状況だけど言い訳などしない、それでも参加したいという心意気が大切のように思いました。だから、自分「が」じゃない。

それでは「が」が「我」となっている。そんな「我」を棄てて。神様に心を委ねて、任せきることだと思っています。そうすると、自然と自分の進路も決まり、善い方向へと導いてくれるものです。それにはどのようにすればいいのかであります。私にはまだまだ出来ていませんが「和顏・愛語・讃嘆」であります。それは自分がではない。「他人にどれだけの愛を与えた」かであります。「和顏・愛語・讃嘆」とは自分の弁当の中身を見せるものではありません。自転車の乗っている姿を見せるものでもありません。それでは自己主張であり、他人に愛を与えていることになりません。

自慢話になることも謙虚にならなければなりません。私も今後もまた災害ボランティア活動に参加することも考えています。

 

これも、私の近くに住むHさんですが、日本赤十字社の活動に従事されている人です。御年70歳を過ぎた人ですが、いろいろな災害や事故などに参加されている人です。その人が日航機墜落事故の時に日本赤十字社として参加されておられます。自衛隊の活動とともに、地域のボランティアも参加したなか、遺体の判別のつかない肉片を集めることも従事していた。ダンボ-ルを人型に作り、それに集めて行く。大変な仕事であったと感想をのべられていたが、私はちょうど慰安旅行で韓国のソウルに行っていた。「御巣鷹山」に墜落ということばと「スキヤキソング」の歌手が死亡という報道とともに流れた。

 

話は反れてしまったが、Hさんはそういう日本赤十字社として活動され、今も災害となれば日本全国飛び回っておられます。そういう素晴らしい人が日本には沢山おられます。そういう人に見習いながら生活していきたい。

訃報

訃報

 

良本峯夫先生が7月20日にご逝去されました。

通夜  723

告別式 724

会場  東京都江戸川区東葛西8-3-12

    平安祭典 葛西会館 喪主 良本光明様

    享年 90

        生前のご厚誼に感謝し謹んでご連絡申し上げます。

良本先生とは既に49年前に高校練成会で宇治で初めて講話を聴いたのが最初でした。その後、社会人となり同じく青年会で「古事記」講話を拝聴しました。

ご冥福をお祈り申し上げます。

管理人様にご理解を

私は「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」の下記の発言は確かに、私にそういう点があるのも事実ですから「管理人」様の思い切った発言ですので、感謝したいと思っています。

 

トキさんが反対に反論して戴いておりますので、それはそれで感謝したいと思います。ただ、自分の個人的なブログですので曖昧に書くのも、また「良し」であります。「独り言」もいいではありませんか。是非とも「管理人」様にも個人ブログをお薦め致します。

また、本当に掲示板のブログの運営は大変な事です。皆様も「管理人」様に御理解をお願い致します。

 

歴代管理人のなかには、かつて過労で倒れた人もいます。それを公表していないだけです。この掲示板の管理人は、みな本気なのです。本管理人も生業をかかえながら、本掲示板の目的実現のために大変な時間を労力を消費しています。このような掲示板管理は、自分の言いたいことだけを批判なのか独り言なのか判らない曖昧な言葉で言えるブログとは違うのです。

いつもありがとうございます。

入谷様から素晴らしいコメントを戴いておりますので紹介させていただきます。

 

合掌 有難うございます。

 日本中熱中症で倒れてしまう方々がいる中でのボランティア活動をお疲れ様でした。

お暑い中、利己主義とおっしゃるならボランティアなどできません。山ちゃん様は愛の方、とてもお優しい方で

神様を生きていらしゃいます。

 神様を生きる事ほど素晴らしい事はありません。祝福充満百事如意ですね。

 現地の様子もありありと伝わりました、被災者皆さんは、来て下さるだけでも有難いと思っていらしゃるでしょうが冷房もない中での色々なお手伝いもされて、さらに心強かった事でしょう、重たい力仕事をされたのですね、本当にお疲れ様でした、有難うございました。

お身体をいたわって下さいませ。

あ、山ちゃん様は神の子完全円満でしたね、どうもすみません。汗

 

私は壇上に上がって「神の子の講話」をするというのもいいですが、性分的にはこうして動くことが根っから好きなもので、伝道でもやってみたいと思っています。

 

伝道でも当初は嫌で仕方が無かった。軒先での個人伝道を何回も行った経験もありますが、殆どが塩を投げつけられたり、無言で玄関ドアを閉められたりしました。それが悔しくてなりませんでしたが、慣れてくると、反対に喋ってくる片がおられるのが嬉しくなります。

 

 しかし、そういう苦い経験が反対に自分に振り返って、例え「朝起き会」や「モルモン教」「手のひら療法」などが訪問に来てもあまり嫌な顔をしないようにしています。

 

 私も人生の後半を迎えてきています。そこをどのようにして生きるかを考えようとしています。仕事と両立しながら途中になっている「皇道大本と谷口先生」「社会運動の状況・生長の家」版、「歴代天皇御陵を巡る」「後南朝とその精神」を完成していきたい。

 ただ、谷口雅春先生の著作レッファレンスが作成出来ていないので、もう少しその時間に使用したい。

だから、反対にその他愛国運動の活動するより、そういう上記の本を発行したり、研究する方が大切に思えてなりません。

 

 また個人的にトレッキングランニングも今後実行していきたい。

趣旨の伝わらない内容

「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」の管理人様からご意見が掲載されています。

 最初に現在は「山ちゃん1952」は掲示板としてはありませんので、すみませんが訂正させていただきます。

御鄭重に返答を頂戴しましたが、内容が異なりますので、どうすればいいのか戸惑っています。

 

それと管理人様の記入している内容と私が記入している内容が異なり、意図や意志が全く伝わっていないと思っています。どうすればそのような解釈になったのか戸惑っています。

それは私が書いている内容の要点を下記に再掲します。

 

第一に、「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」掲示板ではなく、<愛国本流掲示板>が混乱したから、「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」掲示板への投稿を禁止するなど筋が通らないです。自分の掲示板が荒れていなければ、別に投稿禁止にする必要はないはずです。

 

 

 

 第2に、あのアラシ投稿を最初にしたのは、「冷凍コーヒー」さんです。志恩様はそれに反論をしただけです。これは正当な権利の行使です。それを難詰して志恩様を投稿禁止にするのはおかしいです。

 

 

 

 第3に、もし、志恩様を投稿禁止にするのなら、他の投稿者も「同罪」ですから、シャンソン様や「冷凍コーヒー様」も投稿禁止にしないと平等ではないです。それを志恩様だけを処罰するのは片手落ちです。

 

 

 

これはごもっともな意見で筋が通っている。だれがみても今回の処置はオカシイのですが、「谷口雅春先生に帰りましょう」からの掲示板からは何の意見もない。これはおかしなことです。それならば現教団の「谷口雅宣総裁」を批判できるのかであります。

 

 

 その返答が掲示板の管理というのが大変であるという内容であります。下記に要点を抜粋します。

 

掲示板は、自分が言いたいことだけを言えるブログとは違って、管理運営のために膨大な時間とエネルギーを奪われます。

 

それは、色々な意見が飛び込んでくるからです。放っておくと、投稿人同士が口論をはじめることもあります。

 

もしその議論・口論が積極的な意味や結論を引き出しそうな議論・口論ならば良いのですが、残念なことに、そうでない議論・口論のほうが圧倒的に多いのが現実です。某掲示板を見ていただいたら、おわかりでしょう。

 

勿論、大変な事は掲示板を見ていてわかります。いろんな意見が纏まりなく発信されるのですから、それを秩序できる余裕も必要です。現在の私にはそれを出来る時間はありません。

ただ、失礼ながら管理人の御苦労を聴くなどと思っていないかったので、返答として「御苦労様」としか言いようがないのです。

それと私が掲示板を作成する件とは今回の趣旨と異なりますので答えようがありません。それならば何故「管理人」を引き受けたかということに尽きるのではありませんか。

宗教家の役割を考える文章

『谷口雅春先生を学ぶ』誌8月号の特集として、「どうすれば人と和解できるか」というテ-マにしているのです。しかし下記の文章は「和解」ということをある面拒絶している文章として受け止められる書き方です。

それはいけないとは私は書きません。

確かに、世の中で不条理な人を目にした時に「こういう人と関わりたくない」という思いがすることがあります。それは私もそういうことを体験して、本当に困ったことがあったからです。

 

少し前に記入しましたが、大阪北部地震で山田西という昔ながらの建物が残っている所であります。そこで問題になったのは、駐車場であります。吹田市社会福祉協議会から災害ボランティアとしてその御家庭に派遣されてお手伝いさせていただきました。

ただ、昔の土地で道路は車一台通るのがやっとです。

近くに山田第五小学校の守衛さんに校内に止めさせて欲しいとお願いしたのですが、校長先生にも確認せずに門前払いです。

そこで、そのお宅にお住いのお母さんに駐車場の許諾をお願い致しました。車は空いている所に停めていいということで、邪魔になってはいけないと、誰が停めているかを窓際にカ-ドとしてわかるようにしておりました。

 

作業を行った後、1時間半位で出て行ったのですが、私の車の後ろにピッタリと車を付けられていました。当然出れないのですが、その停めた人が近くにいましたので、退けて頂けるようにお願いしましたが、完全に拒絶されました。

 

そこで吹田市社会福祉協議会から責任者に来ていただいたのですが、その退けない人は品物を要求してきましたので、買っていただくようにお願いして、待ちました。品物を渡したとたん、車を退けてもらえましたが、「こういう人には関わりたくない」と思ったのです。一時間という時間の無駄であります。停められた人はカンカンかもしれませんが、こちらはそういうル-ルだけは守ろうと許可を受けて行っていました。でも、このように発言してくる人がいます。

 

 

「トキ」さん。

 

勝手な揣摩憶測で、こういうことを書いては、「トキ」さんの信用も失墜するのではありませんか。

 

私は、〝「日野、頑張れ!」とモニターの向こうで叫んで〟なんかいませんよ!

 

はっきり言って、日野さんの投稿には、今や私は何の関心もありはしません。

 

以前、〝明治憲法復元論者〟と思われる日野さんが、どうして「占領憲法」擁護の現総裁をヨイショできるのか、それが実に摩訶不思議だと思ったことはあります。

 

教団が出している『普及誌』を読めば、教団が(ということは、総裁がという意味とイコール。総裁の指示、命令でそれが編集されているということは、先の日本教文社の株主総会ではっきりと証明されましたので)明らかに谷口雅春先生とは違う思想団体に変質したことは一目瞭然であります。

 

そういう中で、どうして日野さんは、組織に残れるのか。

 

そのことへの関心を抱いたことはありましたが、もはやそれも過去の話です。

 

ザックリ言わせていただけば、私の中では、日野さんという人は、関わらない方がいい人の部類に入っています。

 

今、書店では、『かかわると面倒くさい人』に代表される、そのような種類の本をまま見受けることがあります。

 

そういう本が出るということは、実際、そういう人がいるのだろうと思うのです。

 

日野さんだけに留まらず、ネットの中に、関わりたくないなと思う人がいます。

 

だって、それに関わったら、そのやりとりに時間をとられて、本業が疎かになりかねませんからね。

 

そこで正直に私が書いたら破邪顕正さんの言い分のみだったら書く必要もありません。破邪顕正さんがそう思うのは勝手ですので、そこまではOKです。

 

 だが、「どうすれば人と和解できるか」という特集とどう調律していくのかであります。『かかわると面倒くさい人』と書いているので和解したくないということを率直に書いている。学ぶ会の代表の人が「和解」と「かかわると面倒くさい人」とどのようにして分別しているのかを是非聞いてみたい。

 

 ああ、こんな変な質問する「則天去私」という人物とは関わりたくないと思われても構いません。それはそれで正直な感想ですが、宗教家として破邪顕正さんに質問しますが、私も「災害ボランティア活動」していて「あれやこれやと要望してきて、我儘をいう人は結構多かった」本当に辛くなるほどの要望をしてくる人は意外と多いのも驚きました。

 

 私が訪問したお宅で約半分はそういう人です。それを跳ね除けていくのかであります。災害ボランティアではそんな人の要望も出来る限り聞いてきました。

 災害と全く関係のない要望もありました。それでも喜んで行いました。

私はそれが災害ボランティア活動だと思っています。ただ、こちらが事故などの危険あるときは敢然と出来ませんといいます。しかし、そのようなケ-スは20件の案件で2件のみでした。しかも2件も特別なチ-ムにて処理をしましたので、ほとんどの処置を行いました。

 

ただ、「本業が疎かになる」とは言い過ぎであります。人を救いの道に導くのが役割である宗教家が例えその様に思うのは自由で容認するが、それを書いてしまうのが、私は残念でなりません。

印象操作と勝手な思い込み

トキさんと破邪顕正さんとの論争ですが、下記の文章をどう捉えるかということです。

私も破邪顕正さんと同じように「雅宣総裁=左翼として考えています。確かに宗教問題16で「生長の家が政治の中で目指したものと谷口雅春・初代総裁の教え」の中で現総裁を左翼として考えていない。というコトバをはっきりと書かれています。ここをどう考えるかであります。トキさんの文章をまずは引用させていただきます。

 

 

【ここで、本流復活派の人でも異論のない証言者として谷口貴康先生の御発言を引用したいと思います。言うまでもなく、谷口貴康先生は谷口雅春先生のお孫様ですし、教団で長年奉職され、内部の事情も谷口家のご様子も熟知されています。明るく、親しみのある人柄で人望も厚く、ご在職中は終始、谷口清超先生を助けてこられました。しかし、谷口雅宣先生の教義の歪曲には堂々と対応され、結果として教団の退職に追い込まれても節を曲げなかった硬骨漢です。ご退職後は田舎で清貧の生活を送られ、同時に、聖典裁判では教団に不利な証言をあえてされるなど、谷口雅春先生の教えを忠実に生きる姿勢を貫かれています。一連の問題では、最も事情をご存知で、最も信頼できる証言者だと言えるでしょう。

 

 雑誌「宗教問題 16:検証、日本の“宗教右派」で谷口貴康先生は、インタビューにお答えになり、この左翼思想説を否定し、単に谷口雅宣総裁が自己の主張を通そうとした結果である、と言うような趣旨の発言をされています。今、手元にその雑誌がないので記憶で書いていますが、大意は違いはなかったと思います。】

 

 それではどのように捉えてきてあの発言となったのかは御本人しか分からない部分があります。ただ雅宣氏が高校生時代は愛国少年であったことは事実です。皆さんが云われているように留学から変わったのは確かですが、これは初代の反抗心のようなものが蓄積されたものであると考えています。

 

 ただ、生長の家本部へと奉職するときは「安東先生には反抗的な文章」を講師会報で見ましたが、ただ愛国的な本を先駆けて絶版にする処置は左翼とみられても致し方がない。

 

 でも、兄弟との思惑と私達のように外枠で視るのも違います。だから、そのあたりをどのようにとらえるかであります。私も谷口貴康先生の気持ちもよくわかるので、複雑になります。

 

 そのわかるというコトバですが、兄弟の多い私は長男に大変悪意を抱いていました。親不孝のことばかりして、母親の葬儀にも参列しなかったという、外からみると酷いものです。ただ母親は自分を責めていましたので、それが理解出来たときに長男に対して、私が責めるということは止めました。

 

勿論、それに対しての兄弟の確執があるのも事実ですが、両親の躾の問題と重なっていることも事実ですので、そのあたりをどう考えるかであります。だからこそ理解が出来るのであります。

 

 ただ、今年の五月に直接にお会いさせていただきましたが、それで谷口貴康先生の気持ちなどわかりません。またここで「このように云っていた」とか書くのは一部の範囲しか掌握していないので、全相ではありませんので、そういうことを書くのは控えるのは当然であります。だからトキさんは出来れば、『宗教問題』という雑誌のみで、それが全相であるようなことは少し無理な感じがします。

 

 ただ、こうして雑誌に出回ると、そう解釈されるのも事実ですので、注意する必要があります。

 

 さて、これは度々掲示板で注意喚起を行っているのですが、本人はそれほど悪意がなくても、その発言内容が「内容との食い違い」「印象操作」など多くの問題が発生することも事実であります。愛国掲示板で江副さんと云う人が書き込みを行ったら、それに対して異論、同調、とボロクソに発言する人がいます。

 

 でも、私もつい最近、そのようにして吊し上げまでやられていますので、そういう事は行ってはいけないと感じています。しかし、そういう人に限って逆の立場になると黙秘してしまうので、それもおかしい限りです。

 

 「生長の家」の信仰を持つ人間が悪意や軽蔑な発言をネットで繰り広げてはならないことを痛感致します。もっと愛ある言葉を使用するようにすればいいのに、どうしてそうなるのか不思議です。

 

 ただ、最初に書きましたように、一部の発言や書き込みのみでその人が間違いだとすることには違和感を感じております。ネットではそういう一部の発言のみを捉えて、「貴方は間違っている」という書き込みは反対に間違って解釋します。

 

私がそういう「印象操作」に出合い頭に当たったのは「山ちゃん1952愛読者」と云う名前で「印象操作」をされたことです。よく考えてみると、その人は私のブログの一部しか読んでいないのです。

 

しかし、名前を見ると良く読んでいる印象なんですが、私から見ると、ほとんど読んでいないと感じたからであります。

 

例えば、「破邪顕正さん・大好き」と書いてブログで当本人を批判すれば、どのような印象をもたれるかであります。「破邪顕正さん」自身はこの言葉はイヤミでしかないと理解するでしょ。私もそう思います。

しかし、この「破邪顕正さん・大好き」と書いている以上、間違いない文章だと錯覚してしまうのです。

 

間違った解釈をしてしまうのは、この言葉で破邪顕正さんのことをこの人は理解出来ている人だと、勝手に脳が反応してしまうのです。大好きと書いているからなんです。私の「山ちゃん1952の愛読者」と同じです。

 

それが「印象操作」の恐ろしい所であります。とりわけてこの言葉で引っ掛かるのは、人との対比です。

 

押し売りがよく利用する「これはいい製品なんです。隣の人も購入してくれました」と隣人との差別化というコトバです。

 

また、断定的に使うことにより、私の言葉は間違いないのだと錯覚させることです。大好きなんだから間違いは書かないと勝手に理解されるのです。だから批判しても、少し理解するように脳が反応するのです。

 

例えば、ネットで使われる、アンケ-トも採用したことがない人間が「あなたの事は皆んな反対しています」というコトバです。その皆んなとはどの範囲で何人の人に聞いたことかを示さないで「皆んな」と書いてしまう。

または「多くの人」とかもそうです。

 

さて、私はつい最近このブログで当初、私の書いたことに反論された人から手紙を戴きました。まずはネットで失礼ながら御礼申し上げます。

 

さて、この方は私の書いた『谷口雅春先生著作年譜一覧表』を購入された人ですが、新編『生命の實相』に異論を唱える、私に反論されていました。

これは至極当然の考えであります。折角出版された御本をどうしてそんなに貶すのか、分からないのです。

 

ただ、そういう意見は理解出来ます。ただ、私は新編『生命の實相』も出版されてもいいと思うが、『生命の實相』頭注版のオンデマンド版も出版されているのだから、それも出版された方がいいのです。

そうでないと、今迄に『生命の實相』頭注版に掲載されている何頁の何行の箇所の文章にこのように書いています。そういう谷口雅春先生の御本だけではなく「谷口清超先生」とかの引用文章で新編『生命の實相』ではまったくどの箇所かはわからないのです。それらも版権があればいいのですが、版権もないのに、勝手に変えてしまったという印象がある。

 

愛のある変更なれば諸手を挙げて賛成するのですが、そうではない。今後のことを考えると不安があるのは確かです。もう少し広範囲に意見を聴くこと、「万機公論に決すべき」と「五箇条の御誓文」の一条に書かれているように出来れば、そのようにして欲しいものです。

 

だから、周辺に注意しながら温かい言葉を掛け合うことこそが、掲示板が和やかに出来る要因だと感じています。確かに反論に対しても出来る限り深切に対応するようにすればいいと思っています。




 

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