則天去私

「谷口雅春」先生の生涯も綴っていきます。

2018年06月

讀んで戴ければ幸甚です。

立葵様に御禮

立葵様からコメントを戴きましたので掲載させていただきます。

 

合掌 有難うございます。

 大阪北部地震にお見舞申し上げますとともに、貴いボランティア御活動に感服いたしてをります。

 

このたびは、あなた様の仰る通り、直接存じ上げない方に対して、不躾な物言ひをネット上に突然投稿いたしまして申し訳ありませんでした。

 当該投稿文中の末尾で唐突に和歌の話を持ち出しましたことも、時と場を違へてをりました。

 

その心理状態につきましては、御指摘の通りでございます。別のことで蟠ってゐることがあり、投稿文中のあの場では、読み進められたあなた様の御心中への配慮に欠けてをりました。

 

その蟠りとは、私は新編『生命の實相』に心酔してゐる者でございますが、あなた様のその評価の表現の仕方が否定的であり、読者に新編に対する否定的な先入観を抱かせ、新編の売上すなはち光明思想社の発展を阻む遠因になってゐはしないかと残念に思ふことです。

 仮に制作側に到らない点があって、本来ならあなた様に教へを乞ふなり、自前でももっと調べるなりすべきことがあったとしましても、例へば「新編『生命の實相』の憂鬱」といふ御表現や、自傳篇に基づいたと思はれる冊子の「間違いを訂正するのか」といふ御表現に引っかかるものがございました。

そのやうな面について所感のある者が、別の場での他の方との批判の応酬に便乗してしまったといふことではなかったかと自省いたしてをります。申し訳ありませんでした。

 

 

さて、後者の「間違い」について私見を申し述べさせていただきます。

 御指摘を拝読するまで、綾部新聞の名称や、尊師と輝子先生の和歌の掲載日等、知らずにゐて気に掛けてをりませんでした。

ただ仰る「間違い」は、誰の犯した「間違い」を指しておいでなのか判然といたしません。勿論この冊子の制作者の知識や検証が不足してゐたことは否めないでせう。

しかし、他方、雅春先生が間違った、或は事実を曲げて書かれたといふ御指摘とも受け取れなくはないのです。

 仮に自傳篇等の先生の記述に対する御指摘もおありだったとしました場合の見解ですが、私は先生が大本教に入信されて編輯業務を任された年が綾部新聞から大本時報に移行した年と重なる点からしまして、結論は先生にしかわからない、従って間違ひと云ひきることは出来ないと思ひます。当時の大本時報の貴重なお写真をあなた様のブログの画面上で見せていただき、先生が大本時報を編輯されてゐたのは紛れもない事実と理解した上でです。

 

と申しますのは、事実は大本時報であっても、先生にとっては(先生のお心の中では)綾部新聞であったのかもしれない、その想像の余地は読者それぞれに残しておいていいのではないかと思ひます。今後注釈等は必要かもしれませんが。

それは、卑近な例ですが、私は旧知の友人知人から旧姓で呼ばれても違和感がありません。呼ぶ相手にとっては私が旧姓の時の人物でしかないことはよく理解できますし、逆の立場でも然りです。

また、主人がJRのことをいまだに国鉄と呼ぶので何心無くからかひましたら、義父つまり主人の父は、国鉄時代に国鉄ではなく省線としか呼ばなかったと反論されました。

この会話によって、もしかしたらですが、入信当初のほんの短い期間でも最初に先生が出逢はれたであらう綾部新聞の名が、自傳篇等での輝子先生との相聞といふ山場で、実際の会話で使はれたのかもしれない、違ふかもしれないけれども誰にもわからないと思ひます。

 

さらに、あなた様の御労作であられます谷口雅春先生著作年譜を縁ある方から拝借して、『皇道靈學講話』の「序にかへて」の御引用文に出逢ひ、衝撃に近い驚きを覚えました。

 自傳篇の房江さんの前科の説明が自傳篇と違ってゐたことや、自傳篇の遊女高尾を指すであらう娼婦が病気をうつしたと名言されてゐること、上役の姪は妹だった等、赤裸々な事実が自傳篇ではトーンやニュアンスが違ふ部分もあったとわかりました。これなども、自伝だから何もかもそのまま表現するわけではない、それは誰でも自分の過去の全てをありのままに打ち明けるわけにはいかないことと同じであったといふ当然のことに今さらながら気付かされた思ひでした。

 

なほ、輝子先生の

 おどろおどろ…の和歌が雅春先生の三首の和歌の脇に掲載されたのではなかったことも、よくわかりました。これも今後注釈等がいるかもしれませんが、紙面のお写真を拝見して、逆に、両先生ともこれほど多くの投稿をなさってゐたことからして、厳密に同日の紙面の脇でなくとも、先生のお心の中では一連の歌が脇であられたのではないかと思った次第です。

 

 長々と持論を展開して失礼いたしました。

 立葵拝

 

 追伸

ブログへのコメントといふことが初めてのため、投稿フォームの使ひ方がわからず、評価とか顔とか星とか、何も触っておりません。

 

立葵様へ

わざわざの御投稿に感謝申し上げます。旧仮名遣ひは慣れて居られる様ですので、私も間違わないやうに旧仮名遣ひを記入させて戴きます。

 

まず、新編『生命の實相』ですが、何故反論したのかと云いますと、頭注版などの章立てを変更していることであります。簡単に云うと、順番を変えてゐるということです。これにより、日本教文社の本で頭注版『生命の實相』の何巻で何頁が全て變ってしまうということであります。そうなると本来、その全てに於いて変更を余儀なくされますが、著作権というのがあり、それが無理だとも光明思想社も理解されてゐます。

 

そうなると、頭注版の『生命の實相』にこのやうに書いてゐると云っても、索引が不可能なんです。

 

また、頭注版で『生命の實相』を15巻程しか持ち合わせてゐない人が果して、再び65巻を購入されるかどうかであります。購入者の立場を考えて欲しいとうことであります。

 他の著作に対しての配慮が足りないのと、何故新編には「著作はしがき」とゐうのがあるのか不思議である。他の文學作品であまり著作に對してのはしがきなど引用例がないのに、何故著作者に対して「はしがき」を付けるのかである。

 

また、あまり市販されていないが、今まで『生命の實相』で救われたという人が頭注版を規範としてその分類的な研究を為されてゐる人が何人か居られます。


そうした本を讀むと頭注版『生命の實相』を幾たびも讀まれ、新しく讀む人に索引輯のやうなを作成されてゐる人もいます。そうした労苦を考えると、わざわざ『生命の實相』を變える必要がなかったやうな氣がします。

また、光明思想社ではオンデマンド版を利用出来ます。それは頭注版を規範として居り、それならば頭注版のオンデマンド版のみで良かったやうな氣がします。下記の抜粋はトキさんが引用された文章です。私は全く賛成であります。

 

9231 :トキ:2014/10/10() 16:35:19 ID:VkEnV3Sg 山ちゃん1952様が「元理事も反対していた」旨を書かれていますが、それは私も聞いています。

 

「名前を出すと迷惑がかかる」とありますが、まあ、書かれなくても、名前はわかりますが(笑)

 

 まあ、章立てを勝手に変える事の信仰的に不可なる由縁は山ちゃん1952様が書かれていますので、

同じ事を書いても仕方がないので、現場の意見を申しあげます。

 

 組織が信徒さん向けに配布する資料には、生命の実相の抜粋が書かれている事があります。この場合

だいたいは従来の頭注版からの抜粋です。これをいじくられると、資料をいちから作り直す必要もでて

きます。

 

 また、信徒さんの全部が、生命の実相を全巻拝読されている訳ではありません。順番に読まれている

最中という人も多いです。また、一部が欠品という人もいます。そういう人にとって、生命の実相の章

などが突然変わるのは、困る事なのです。

 

 本の装丁が古い、というのなら、装丁などを変えればそれで必要かつ十分であり、それ以上の事をす

るのは、好ましくないと感じます。

 

また、今回出版された小冊子が引用部分で間違っているのですが、どうしてそれを阪田先生に聽かなかったとゐうことであります。出版する前にゐくらでも聽くチャンスはあったのです。

阪田先生のような偉い先生でも私が雅春先生のこと詳しいから聽かれるのですから、頭が下がる思いです。


私も阪田先生にそういうことを注意されます。本当にそうだと思って居ります。


 これを記入した後、光明思想社に行って、私の『谷口雅春先生著作年譜一覧表』(上・中・下)を贈呈しました。


今回の新編『生命の實相』についてですが、出版前に責任者と前理事(2名)とが協議して居り、その席上、前理事は全ての費用は負担するから、今からでも頭注版の『生命の實相』として変更をお願いしたが、斷はられたと云う。私も今回の件について出版前から記入してゐる内容であります。理事が光明思想社に行き、話合いするからということで10点程問題点を指摘して理事に渡しました。

 

それと、私のタイトルがしいのは、今後改める所存であります。お許し下さい。

ただ、今回の間違いは光明思想社において訂正されると思っています。

私も雅春先生が間違っているなどとゐう大口は申し上げるつもりはありません。それはその当時、もしかしてそのようにしていたのかも、知れないということであります。反対にそのままで云いと思っています。

勿論、その疑問も私も正式にデ-タベ-スにて調べておりますので、その学校や企業が掲載している内容です。もしかしてその團體が間違いしている可能性もあります。

     

ただ、今回の販賣された部分は自傳篇には御記入されていない文章で、今迄の著作に對して引用がない文章でありますので訂正をお願いした。

 

私も大本には7回程通って著作の漏れや間違いがないかを何度も古い資料にて探究させていただきました。『大本新聞』は全て讀みましたので、發行された時期も間違いないか何度も確認しております。

それでも間違いがあるかもしれないので再度確認させて戴きます。

(續)

ボランティアセンタ-に参加して5日目

吹田市災害ボランティアセンタ-に参加して5日目。

大阪北部を震源とする6弱の地震はその99%が一部損壊のため、その被害がわかりにくい現況である。

一部損壊とは

 

基礎(基礎部分の総延長の4割以下の損傷)、屋根(棟瓦が全面的にずれ、破損、落下し、他の瓦のずれも著しい)、外壁(仕上げの剥離が生じている)が一部損壊した木造住宅など、全壊や半壊に至らないものを「一部損壊」といい、住家の損害割合が20%未満であることをいいます。

 

今週の月曜日に行った吹田市青葉丘北のマンションでは11階の屋根部分に水道管の配管がありそれに亀裂が生じ、そこの住人は浸水被害で床はメクレ、畳は使えない、電化器具の一部も壊滅になっている。9畳位のキッチンは床を外さなければならない仕事である。本来はボランティアの仕事ではない。だが社会福祉協議会が引き受けたので止むを得ない。しかし、ク-ラ-もない、風もない状態で8名のボランティアが床外しを行った。バ-ルでコンクリ-トと床の間に突っ込み、コテの原理を利用して、取っていくのだが身体中の汗が流れ、大変な状況である。2時間30分、クタクタになりながら作業を行った。

 

その日は時間が午後330分で切り上げたが、翌日は私自身は異なる所用があり、休んだが仲間から聞くと大変な仕事であったと聞いた。

 

今日はピアノがズレており元の位置に戻すのと、未だに片付いていない部屋を整理した。午前と午後とあったが、2箇所共ピアノの移動があった。午後のボランティアは部屋の整理などで2時間30分を要した。80歳の男性は気持ちの方は矍鑠としているが、地震で呆然としており、未だ片付けるまでいっていない。

昨日も小さな揺れがあったが、未だその地震の揺れで恐怖心を抱いて、寝られない人も多くいる。

大阪大学の人間科学部の人達が毎日ボランティアセンタ-に参加していただいている。

学生ボランティアもそうであるが、熱心に社会に役立ちたいという人もいる。私も見習っていかなければならない。

また、罹災証明書にも時間がかかるようである。

お蔭さまで生きている

今回、M鈴木様が「学ぶ会」に御入会いただきました。現在消去していますが、62日頃に学ぶ会の入会を勧めました。

今回の「山ちゃん1952」の愛読者さん,立葵さんはたぶんそういう記事も読んでおられると思います。もし、破邪顕正さんの批判をしていたというならば、私は「学ぶ会」に推薦していません。

 

人間と云うのはとかく「印象操作」をされやすいものです。一旦、悪いと思えば、その感情から抜け出されない。生長の家講師でも以前にそういう人をよく見かけました。そういう人は本当に「生長の家」信仰などしていないのです。そういう見得とか「先生」と呼ばれて得意げになっているだけなのであります。本当はもっと謙虚にならないと駄目なのであります。それが出来ないため、悪感情から抜け出さないでいるのです。

反対にそういう人は家族を見ればよくわかるのであります。周りは生長の家の信徒ではなかったり、反対に信仰に反論している場合が多いのです。

 

 

 ただ講話の時は自慢げに話すのですが、そういうのは全て雅春先生の「お蔭」であることを忘れているのです。

 

私はそういう奇蹟とかそういう話は出来ませんが、「谷口雅春先生」の年譜なら誰にも負けない程知っています。それでも、私の知り合いに知っている人が多いので常に勉強させていただいております。

 

 私は現在吹田市災害ボランティアに参加して困っている人に出来るだけ沢山の手を差伸べたいという思いです。長くはできませんが、少しでも地域に恩返しをしたいということを思っています。今迄、震災などで中々手伝いも出来なかったのですが、ちょうど、そのチャンスが巡ってきただけであります。人様に少しでも役立てて良かったと思っています。

 

御製を学ぶために


入谷様へ

 私は歴代天皇の御製を学ぶには歴史全般として『日本思想の系譜』上下 小田村寅二郎著がいいと思います。参考にすることも多くあり様々な分野で勉強になります。絶版ですが「アマゾン」「日本の古本屋」で見つかります。


その他、色々とありますが、私が所有しているのは古い本ばかりが多くあり、最近では『歴代天皇で読む日本の正史』 吉重丈夫著 少し高いですが歴代の天皇が列記されています。

 

色々な本を読むことにしておりますが、そういう本を機会があれば列挙致します。

 

「学ぶ会」御入会ありがとうございます。

M鈴木様が「学ぶ会」に御入会を頂きました。

心から感謝申し上げます。

 

 私の拙い文章で申し訳ありませんが、宜しくお願い致します。

 

さて、私はこのブログで「雅春先生」の御文章や経歴なども記入していきました。だが、どうしても「YouTube」とかの方法の方が説得力あるように思います。

著作権の問題で大丈夫かなと思う所もありますが、是非聞いて下さい。

私は行っていませんが、勝手に推薦させていただきます。

 

http://myouraku.risedoragon.com/

 

 

あまむし庵様へ

以前にあまむし庵様のことで記入させていただきました。
今では手紙とネットでの様相でお元気なことを伺っております。前の文章を修正して、改めて記入させていただきます。

http://56937977.at.webry.info/

 

  

 私とそのあまむし庵様とは古くからの付き合いである。

結婚式の司会をお願いした。

 

 勿論、尊敬する第一人者である。今は私の家からは遠くに引越しされている。

泰然自若のなかでも祈りの生活をされている。既に合わない年月も遠く…

 

自然の大地の中でどうされているのかいつもそう思っています。

近畿でキャラバン隊を編成して駅前で街頭演説を実施しました。

その目的は優生保護法や憲法改正です。京都、滋賀、奈良、和歌山と縦断しながら、優生保護法を訴えて行くことを行っていました。

 

キャラバン隊として全く知らない土地です。教化部で名簿を頂き、その地域において講演会を行ないました。当日の急なこともありましたが、家庭訪問をして、その夜に行う講演会を誘う。

当日の講演会の誘いです。それでも20名近くの人が参集してくださったことを思い出す。

 

〇〇くん、「すごいことするね」あまむし庵様にそう言われたことが鮮明に思い出す。

 

 

 そうした取組など様々なことを青年会活動でしてきました。当時の青年会だから『百万運動』だけだと誤解する人はおおいですが、神社での神想観や飛び込みの家庭訪問、募金運動、御陵の参拝、

いろんな事をしていました。

 

私はジュニア友の会で誌友会とレクレーションなど行ないました。

 以前にも書いたが、当時ジュニア友の会では毎月20名の参加者がありました。

 

あまむし庵様と最後に合ったのは10年前です。梅田駅前でいろいろな話をさせていただきました。それから手紙などのやりとりはしていますが、こうして『谷口雅春先生著作年譜一覧表』を作成させて頂きましたのも、あまむし庵との45年前からの付き合いをさせて頂いた賜物であります。あまむし庵様がおられなければ谷口雅春先生の著作の蒐集もしていなかった。

 

 

私は現在、生長の家を信仰させていただくのもあまむし庵様のお陰であることは忘れたことはない。

最後にあまむし庵様の下記の文章を掲載します。

すみませんあまり詳しい経緯を書けなかったことをお許し下さい。

 

 

 【どうも「菩薩は何を為すべきか」の第九条に書かれている部分だけに焦点が集まりがちなので、どうしても間違った解釈がなされるのかもしれません。同本の第五条に大変重要な記載があるので、平行してご紹介します。ちょっと長い引用となります。

 

 《第五条 生長の家の各員は、人間神の子の自覚が、日本民族が悠久の昔より世々代々承け継ぎ語り継いできた「命(みこと)」の自覚にほかならず、生長の家立教の使命が同時に日本建国の理念の現成にほかならない事を明らかにすべきである。日本民族は存在の究極を、一切のものの生成の根源たる普遍的絶対者を、天之御中主神として把握し、その「中(みなか)」への帰一とその「中(みなか)」の展開、即ち宇宙普遍の原理の地上的顕現を日本国家形成の理念とし、天津日嗣(あまつひつぎ)とはこの理念のさながらなる継承以外にはなく、・・・(中略)・・・この理念の継承実現にまします》(谷口雅春・谷口清超共著「菩薩は何を為すべきか」より一部引用)

 

 ここに《生長の家立教の使命が同時に日本建国の理念の現成にほかならない》とあり、さらに《単に自分の祖国たるのみの理由にて日本を愛するのではなく、東洋と西洋との中間に位して一切を生かす大乗の真理国家たる事が日本の理念であるからこそこの国の国体を鑽仰してやまず、・・・(中略)・・・各自互に明確に自覚し合い、その行動の根拠となし合うべきである》(「菩薩は何を為すべきか」より一部引用)とあるように、生長の家立教の使命と信仰の本質は、偏に日本建国の理念の現象世界への完成のためにある事が明確に示されているのです。

 

 《宇宙普遍の原理の地上的顕現を日本国家形成の理念とし、天津日嗣とはこの理念のさながらなる継承以外にはなく、・・・(中略)・・・この理念の継承実現にまします》とあるように、日本建国の理念とは、具体的には「天皇」にあることを明記しています。

 

 これこそが生長の家本来の存在意義なのであります。この日本建国の理念を現象世界に展開するためには、全世界の人々が総て「神の子」であることを明確に解き明かさねばならないのです。それが生命の実相哲学となり、人類光明化運動として全世界に展開しているわけであります。

 

 ただ単に人類光明化運動が単独で存在しているということではないのです。人類光明化運動は真理国家日本建国の理念の全世界的展開運動そのものであるのです。人間が神の子であるという本質に気がつくということは、総ての人間が一つなる親神様の子供であることに気付くことであり、それはただ単に抽象的「神」への帰一に留まらず、その地上的展開の象徴としての、無私なる権威の最高峰「天皇」に対する中心帰一という雛形を、人類は学ぶことになると思うのであります。それが理解でき無理なく受け入れられる時代がいずれ訪れるでありましょう。

 

 その時の準備として、生長の家は立教されたのであります。その立教の使命を初代生長の家総裁は明確に説いておられましたが、二代目になるとその解き方はかなり薄まってしまいました。さらに三代目の現在では、全く説かれなくなり、真逆の思想に変わってしまったのです。誠に嘆かわしい限りであります。どこに生長の家立教の使命がありましょう。組織は分裂し「八ヶ岳教団」と揶揄され、「売り家と唐様で書く三代目」と馬鹿にされるのは、当然であります。

 

 やはり本質的問題の在りかは、生長の家立教の使命がどこにあったのかということを、明確にして来なかったところにあるのです。今一度、生長の家を愛する信徒誌友は、生長の家立教の使命を明確に学び直す時期に来ているのであります。】

GHQの焚書坑儒-②

それでは今回は生長の家が検閲を受け出版停止の憂き目にあった本はどのような本であったかを記入致します。

山口悌治先生のお言葉にあるようにGHQでも好意的な人もおり、そういう人が検閲で通してくれたものもある。尚、實に詳しく調べていたのは、実際は日本人の學者がその検閲担当となり調査していたことが窺い知れる。

 

山口悌治先生が

「生長の家」は占領後の焚書(検閲)に対して占領軍にどのような対策をしたのであるかは『生長の家30年史』に詳しい。P155

 

「谷口先生の著書のリストをGHQに提出することになったが、危険と思われるものは、資料焼失として省いて提出したんですが、向こうは実に精密に調べてあって閉口しました。それでもGHQの中にも好意的な人もいて、旧版『生命の實相』の第十六巻(『日本国の世界的使命』が収録)は不問にして『慨世血の書』とかその他の単行本のみを発禁にして、全集の刊行は許可になったんです。そこで戦後版の全集は第十六巻を「戯曲篇」に変更されたんですよ。やはり占領期間中は低い姿勢でいく以外やむを得ない面が多分にあったんです。」

 

しかし、実際の没収された本と上記の文章には食い違いがあります。

その内容を『GHQに没収された本 総目録』占領研究会/編著 サワズ出版 (20059)から抜粋いたします

焚書本               頁数   発行日                          

覚書番号 仮延番

1.『生命の實相』第16巻(p207記載)P419  S16.10.25

40      3307   

2.『天皇絶対論とその影響』     P374  S16.3.23    33   4655

3.『人間死んでも死なぬ』      P372  S15.11.20       17   5836

4.『驀進日本の心と力』       P331  S13.11.22   2933   5927

5.『無門關の日本的解釈』      P390  S15.10.20   35    6679

    全て光明思想普及会出版です。

さて次に『GHQの没収を免れた本 図書目録』占領研究会/編著 サワズ出版 (20075)にはどのような雅春先生の御著書があるのであろうか。

                       発行日  延番     発行社

1.『百事如意』 P287                       S14.3.07  6142    光明思想普及会

2.『光明の思想』P429                      S10.9.21  1510     生命の藝術社

3.『光明叢書』(全11冊)                   S8.12.8   1511    光明思想普及会

4.『人間死んでも死なぬ』(続)P429         S14.4.16                光明思想普及会

5.月刊『いのち』 S13.1S13.8宇都宮希洋 他          1236    光明思想普及会

6.ユダヤ問題論集(1.2)(辻村楠造・国際政経学会出版)

  1.戦時對策の根本問題    P198            S13.2       6850        光明思想普及会

7. 2.日本を繞るユダヤ問題  P222            S13.2       6851        光明思想普及会

8.  『生命の實相』第五巻 P429       S10.5.25  3692      光明思想社(ママ)

以上の記載であるが6. 7ユダヤ問題論集は谷口雅春先生の御著書とは関係ありません。

上記で『生命の實相』が光明思想社であるかは不明です。

当時のお言葉では「発禁」となっています。これは検閲ではありません。明らかに焚書行為なのです。戦前戦中の刊行された書物を出版販売させない。谷口雅春先生の御著書を閉ざしてしまう行為なのです。このような歴史を通して現在の生長の家はあるのであります。

GHQの焚書坑儒-①

 下記の文章は以前にこのブログで掲載したのですが、最近ブログを見て頂く人も増え、是非とも読んで欲しいというのが、戦後のGHQの焚書坑儒です。いかなる状況で戦後の検閲が行われたのか、それは日本人によって検閲が行われてきた、その検閲のボ-ダ-ラインのようなものはなく、検閲する人物によって違ってくるという曖昧なものであった。

GHQ
の焚書坑儒

戦前の発禁図書を含めて、調べてみると戦前の場合は新興宗教の弾圧というものが激しい。既存の仏教というのが大きく権限をもっていた当時、類似宗教として神道系の宗教を標的に弾圧をしてきたことを発表しました。

 

よく、特高と呼ぶが、共産党の取り締まりが厳しく、小林多喜二が殺されたというが、当時の状況を知らない人である。共産革命を目的としていた共産主義は当時ピストルを所持しており、警察官が死亡する例があり、より取り締まりが強くなったのも頷ける。

 

現在の共産党はこの件ではよく嘘を付いています。

 

これと同等のように類似宗教を弾圧することが起こってきますが、それでも「ひとのみち教団」などはそうしたことに雅春先生は賛意をされておられます。

 

前回にもいいましたが、この戦前の発禁より厳しかったのが戦後GHQによる弾圧です。

 

下記は抜粋ですが、私と同じ意見ですので黙って掲載させていただきます。(上善如水のヘッダーより抜粋)

 

紀元前三世紀、秦の始皇帝は「焚書坑儒」なる蛮行を行いました。此れは、儒教の書物を焼き払い、儒者達を穴に生めて殺した事件です。戦後、GHQは日本に対して「宣伝用刊行物没収」なる指令で「焚書」を行います。

 

戦勝国が敗戦国の憲法を創る事、新聞・雑誌・放送の検閲は勿論、相手国の歴史を消す事、書物の発禁、禁書も国際法上許されません。相手国の文化を踏みにじる行為は、絶対に許すことの出来ない蛮行です。然し「自由と平和」を標榜する米国は平然と行いました。昭和20年9月から占領期間中の新聞、雑誌、映画、放送内容、一切の刊行物が「検閲」されます。

 

乍併(しかしながら)「検閲」と「焚書」は別次元の行為です、日本では、昭和3年1月1日から昭和20年9月2日まで、約22万タイトルの刊行物が公刊されています。其の中から9288点の単行本を選出し、審査の結果7769点に絞り、「没収宣伝用刊行物」に指定したのが、米国による「焚書行為」です。本の没収は文明社会が決して行っては為らぬ歴史破壊行為ですが、米国は此れを行ったのです。

 

米軍の政治的意図は「被占領国の歴史を消す」事でしょう。然し此れだけの行為を、GHQ軍属と日本政府の行政官だけでは為し得ない作業です。日本の知識階級、學者、言論人の協力が無ければ実行不能な事柄と思います。其の協力の中心に東京大學文学部が存在したことが明白と為りました。

 

 「宣伝刊行物の没収」に関する「覚書」は、昭和21年3月から昭和23年4月までに全部で48回通達されます。奇妙な事に、14番と33番の通達以降に没収される本の種目点数が一気に増加しています。特に33番(昭和22年9月)以降は、前回の88種から500種と異常に増えて行きます。著者(西尾幹二氏)は、此の時から日本人の協力者が参加したと推定します。

 

「覚書」では「個別に存在する書物」、つまり民間人や図書館の書物は没収対象としないこと、然し指定した本は書店、出版社は元より全ての公共ルートから徹底的に調査し廃棄することを、宣言しています。「焚書」の原本中、約80~90%は、国立国会図書館(旧帝国図書館)に現存します。

 

 米軍は図書館の本は没収しなかったので当然ですが、「宣伝刊行物の没収の指定は、帝国図書館などの蔵書を基礎として行われた」と図書館側の証言を得ました。つまり、「焚書行為」の舞台は帝国図書館内で行われたのです。

 

帝国図書館館長・岡田温(ならう)氏の回想録です。「昭和22年、外務省の矢野事務官来館、この件に関する小委員会が設けられた。外務省の田中政治部次長、矢野事務官、内閣終戦連絡事務局の太田事務官が担当で、専門委員として東京大學の尾高邦雄、金子武蔵(たけぞう)両助教授、それに私(岡田館長)が加わり、小委員会は主として帝国図書館館長室で、本委員会は委員長牧野英一氏主宰の下に、首相官邸内会議室で行われた」此処に東京大學(旧東京帝国大學)の尾高邦雄、金子武蔵、牧野英一と謂う3名の著名學者の名前が登場します。

 

尾高邦雄は戦後を代表する社会学者とされます。金子武蔵は和辻哲郎の東大に於ける倫理学講座の後継者と目され、後に東京大學文学部長を務めます。牧野英一は明治42年『刑GHQ焚書図書事学の新思潮と新刑法』で刑法理論に革命を起こしたとされ、東京帝国大學法学部教授として、戦前には学会のカリスマ的存在であると謂われます。

 

社会科学と人文科学を代表する二人の學者が「小委員会」に参加し、背後に長老格の法律學者が「本委員会」の委員長として没収テーマを主宰する。この年が同じ昭和22年なのです。

 

注目すべきは、牧野英一は昭和22年6月から同年23年5月まで、中央公職適否審査委員会委員を務めていた事実です。此れはGHQによる公職追放に協力するための委員会です。彼は敵国側に附いて、昨日までの仲間を裁く役割を演じていたのです。

 

更に彼は昭和23年7月から昭和33年11月まで、国立国会図書館専門調査委員を務め、「焚書」と謂う忌まわしい政策、そして全国展開された没収作業に、全期間を通して深く関与していたと推測される事実です。

 

GHQの民間検閲支隊(CCD)の主な活動は、マス・メディアの検閲であり、此れは私信開封まで行った非道な行為です。此のCCDの一部門にプレス・映像・放送課(PPB)があり、その下部組織に「焚書」のリストを作成した調査課(RS)が存在します。彼等はリスト作成のみで、実行は日本政府にやらせています。

 

最初は日本の警察が行いましたが、昭和23年6月以降文部省社会教育局に業務を移管します。其れに伴い没収行為の責任者を、都道府県知事に定める文部省通達を出します。こうして「焚書」行為は徹底的に行われますが、GHQの意図が国民に知られぬように神経質なまでの配慮が為されています。

 

「本件事務は直接関係のない第三者に知らせてはならない」。亦、没収官の「身分証明書」の裏面にも「本事務の施行されている事を当事者以外に知らせてはならない」と記載しています。此処まで秘密保持に固執して禁断の「焚書」行為は行われました。更には「没収の際に拒んだり、危害の恐れがある時は警察官公吏の強力を求め、任務の完遂を期すこと」を求めています。

 

こうして「焚書」は7769点に絞り込んだ没収リストに基づいて、3万8330冊の収拾に成功します。但し此の数値は指令毎の点数と期間毎の没収冊数の数値であり、実際の没収冊数は文献が無いので不明です。

 

GHQから自社出版物を廃棄されたBEST3は、朝日新聞140点、講談社83点、毎日新聞81点です。現在は自虐史観の代表的マスコミが、此処に名を連ねています。

 

また当時のGHQの焚書の手伝いをした左翼の学者がいます。西尾幹二氏の本から抜粋します。

 

GHQ焚書を行なった日本人」

 

 東京大学文学部の関与

 

「焚書」の実行がどのような順序で、誰によって、どのような査定で行われたかに関して、研究はいま緒についたばかりで、六十年も前のことなので、没収書指定のプロセスの全貌がこの稿を書いている現段階でいまだ見きわめがたいことです。

 

アメリカ軍の政治意図は明瞭です。占領以後になされた軍命令と日本政府の対応も現在調べがついています。没収書指定の行われた場所(これはまだ一つに確定できないでいるのですが)、数量、期間、手順もほぼ分かってきています。廃棄された後の本の処分法、残部の行方も大略つかめています。

七千数百点の本の題名も今日までに明らかにされました。

 

しかしどうしても腑におちないのは、GHQの軍属と日本政府の行政官だけでできる作業ではなく、日本の知識階級の誰か、学者や言論人の協力がなければ実行できない種類の事柄なのに、それが判然としないことです。(中略)

 

協カの中心に東京大学文学部があったことが最近分かってきました。助教授であった二人の学者の名前も今年発見されました。

 

  背後に当時有名だった刑法学者が総取りまとめ役をやっていたことも突きとめられました。

 

いずれも後に、文化勲章受章者や日本学土院会員になられた方々です。

 

 日本の歴史は日本人の知的代表者によって廃棄され、その連続性を断ち切られたのでした。(中略)

 

現在の国立国会図書館の蔵書は当時の帝国図書館の蔵書を引き継いでいるそうです。そしてGHQによる「宣伝出版物の没収の指定は、帝国図書館などの蔵書を基礎として行われたものである」というきわめて重要な証言を寄せて来られました。(中略)

 

帝国図書館長・岡田温氏(当時)の次の回想記は、このうえなく重要です。

 

「話を再び昭和22年にもどすと、出版物による言論パージの調査の始まったのもこの年であった。

帝国図書館には戦時中並びに戦争前の出版物が網羅されているところから、この年の414日外務省の矢野事務官来館、この件に関する協力方を求められ、次いで出版物追放に関する調査のための小委員会が設けられた。

 

外務省の田中政治部次長、矢野事務官、内閣終戦連絡事務局の太田事務官等が担当で、専門委員として東京大学の尾高邦雄、金子武蔵両助教授、それに私が加わり、小委員会は主として帝国図書館館長室で、本委員会は委員長牧野英一氏主宰の下に首相官邸内会議室で行なわれた。

このように国立図書館が、国の政策に協力しなければならないことは当然であろうが、仕事としては余り楽しいことではなかった。(「終戦直後図書館界大変動期の回顧(2)」)

 

なにげなく語られていますが、途方もなく深刻な意味を持つ証言ではないでしょうか。尾高邦雄、金子武蔵、牧野英一という三人の著名学者の名前がこの目立たぬ回想録の中に突如として立ち現れたことに、私は言い知れぬ衝撃を受けました。これは驚くべき発見であり、しばらくはどう考えてよいか分からぬほどのショックを戦後思想史を知る多くの人に与えずにはおかないでしょう。

(GHQ焚書図書開封 第1巻より)

 

 最後にこの戦前の検閲より厳しく、GHQの検閲よりも厳しく、民主主義に反する行為を行っているのが宗教界では奇遇な存在である。生長の家の谷口雅宣総裁である。

 表面では立憲民主主義などと謳っているが、自分が示唆したことを悟られぬよう、非道な検閲を行っている。谷口雅宣こそ「民主主義の敵」であり、独裁主義であることを信徒は本気になって知らなければならない。通常、自分の意見と異なるならば、俎板に並べ信徒に選択させるのが本位である。また、信徒に意見を求めて、行くのが本来の筋道だが、周りに茶坊主だけを集め、気に入らない信徒や古参の人は首を切る。

 こんな所業はナチスのヒットラ-に似ている。しかしこれだけ信徒が減少しても、自分は責任も取ろうとしない。中国の国家主席もそうであるが、自分の権力を固めて独裁体制を築いている。それと同じように雅宣独裁体制が固められ、気に入らない物は左遷となる。

 日本にこのような独裁体制の宗教界の総裁でこれほど尊敬されていない人はいない。

生長の家・醍醐中將の最期(一粒の麦)

下記の文章は『一粒の麦-提督・醍醐忠重の最期』吉本草兵著(昭和49年2月25日発行)から引用させていただきました。この文章のなかに溢れる生長の家信徒としての誇らしげな最期。(324~328頁)

戦犯において部下の責任を我が責任として処刑台に立たれました。

以前に海野馬一元陸軍少佐の『生命の實相』に点字の如く書かれた、醍醐中將の最期を紹介しましたが、今回は『一粒の麦』から抜粋させていただきます。言葉の間違いなどありますが、作家の意向によりそのままにて書き写させていただきます。昭和22年12月4日死刑執行

 

処刑の前々日、蘭印軍ポンチャナック刑務所長が、父、忠重の獄窓を訪れた。所長は父忠重に同情していた。

 「何かいい残すことはないか」

 所長は尋ねた。忠重は重々しく答えた。

 「特に、いい残すほどのことはないが、日本軍の残虐行為は遺憾であった。しかし、これは本来の日本古来の武士道精神とは無縁のものである。私は日本の武士らしく、天皇陛下の忠臣として従容とした最後を遂げたい。

 

それにもうひとついって置きたい。日本が絶対に正しかったとはいわないが、今回の戦争は多分に日本にとっては米国から追いつめられ、仕掛けられた戦争であった。日本を敗北させた米国は、ソ連と新しく勃興する支那を相手に、その勢力バランス上、今後数十年にわたって世界各地にその兵力を投入せざるを得ない破局に陥らざるを得ないであろう。

 

そして、日本を石油等で経済封鎖した米、英、蘭三国は、因果応報の原理により、逆に世界の新興国から石油封鎖されるであろう。そして世界は日本の経済繁栄を軸として、その情勢を変化させて行くだろう。私はいづれ後世の歴史家が、日本の止むを得ざる立場を明らかにしてくれることと信ずる」

 

 「私個人としては、貴提督のような人格者を処刑するにはしのびない。貴方はオランダを恨んでいないか」

 「私の死は世界人類の平和の礎としての意義を持つ。小さい一個人の死ではあっても、その有する意義は大きい。貴国オランダもインドネシアの独立運動に遭遇して、まことに御苦労なこととお察し申しあげる。一日も早く貴国に平和の日々の訪れることを祈る」

 

 「重ねていう。私は貴官に処刑の発砲命令を出したくはない。しかし上司からの命令を拒否することは出来ない」

 

 所長の顔筋は苦渋のため小刻みに痙攣しているようであった。

 

 「お願いがある。発砲する前に、国歌君が代を唱い、天皇陛下万歳を三唱したいと思うのだが……」

 

「わかった」

 

 所長は涙を流した。そして忠重は、逆にかすかなほほえみをさえ浮べていた。

 

死刑台上に縛りつけられた父の胸の中に、父が最後の心の糧とした宗教〈生長の家〉の金文字神示が刻み込まれていた。……

 

《※下記の神示は作者の意向により、間違いもそのまま記入しました》

 物質の束縛に縛られざるものを人間というのである。真の人間は「神の子」であって物質ではなく、肉体ではない。肉体でないから物質の世界に出入する事もない。物質の世界に出入することがないから物質の世界より見れば人間は不生である。不生であるから滅することも亦ないのである。物質界は念に従って生ずる念の映像なるが故に、従ってまた滅すれども、「人間」は本来物質界に生ぜざるを以って又滅するという事もない。人間は本来「生」である。「滅」に対する「生」ではなく、本来「生」であるから老なく、病なく、死なく、破壊がないのである。老とは「生」の衰耄をいえども、人間は本来「生」であるから衰耄せず老朽しないのである。衰耄は「生」にあらず、人間に非ず。衰耄なきを「人間」といい、老朽せざるを「人間」という。病なきを「人間」といい、死なきを「人間」という。釈迦は「人間」の生老病死の四苦を見て出家したといえども、釈迦はそのときまだ「人間」を見ていたのではない。念の影を見て「人間」と思い違いしていたに過ぎない。釈迦がこの世を観て無常と観じたのも「真の人間」の世を観たのではない。それは無明の投影の世を観て無常としたのである。真の人間は無常の中にあらず、肉体の中にあらず、人間は永遠不死、金剛身、如来身、実相身、清浄身である。人間は神の子なるが故に本来「浄」にして不浄ではない。人間を指して不生不滅不垢不浄を説きたれどもこれは物質に比喩しての方便説である。人間は不生不滅ではなく、本来生にして不滅がその実相である。また人間は不垢不浄ではなく真清浄真無垢がその実相である。本来生、不滅、本来真清浄真無垢なる人間の実相を知ったとき汝らは歓びに満たされて手の舞い足の踏か所を知らないであろう。

(昭和七年十一月二十五日神示)

 

 

 忠重が「天皇陛下万歳」を三唱し、国家「君が代」を唱ったとき、まさしく一切の迷は滅し、死への恐怖は滅した。忠重の眼前に白光に輝く天の使たちは飛び交い、虚空には七色の蓬莱島が出現していた。水晶にて造られた山頂の光輝入り乱れる宮殿より、白髪の神姿が立ち出でて忠重を指し招いた。戦死した特攻戦士たちが歓乎の中にゴンドラの船を辷らせて忠重を坐乗させたとき、りゅうりょうたる天楽の音の間に、天の使いの声が轟きわたった。

 「見よ、忠重、これぞ実相世界なり。一切の争いなく、病なく、悲しみなき国なり。不死にして生、永遠に不滅なり、円満具足清浄微妙の世界、不断の喜びの世界、汝の最後の試練を越えて入る不老不死、全人類調和の世界。今ぞ来たれ、〈神の子、醍醐忠重〉……」

 

 「プロシード(発砲開始)」

 

と執行官が命令を発した。一斉に十二発の銃声が静寂を破った。

処刑の銃声は響いたが、忠重には聞えなかった。忠重は莞爾として笑んだまま、歓喜と永遠

の実相世界へと没入して行ったのである。だが、その忠重が死の刹那に垣間見た金剛不壊の 

実相、大団円の世界の感激をもはや誰にも伝える術はなかった。しかしその必要もないほど忠重の顔は死去したとは信じられぬほどの生き生きとした感動に包まれていたのであった。

 

忠重を慕う現地人たちの、”ダイゴ イズ デッド、バット ヒズ マインド イズ ネヴァ デッド” (醍醐は死すともその精神は死せず)

 

 という悲しみの泣き声に、生けるが如き忠重の遺体は、じっとその豊かな耳を傾けながら、

今も永芳(御子息の名前)の眼底に眠り続けているかのように眺められるのであった。

                           

災害ボランティアに参加して4日目

吹田市災害ボランティアセンタ-に参加して4日目です。

昨日は啓蒙のチラシ配布でしたが、今日は家具の組立です。これは本来、災害と全く関係が無い項目ですが、吹田市災害ボランティアセンタ-からの依頼でしたので、午前中は吹田西に行きました。この地域は昔からある建物も多くあり、道も狭いので駐車場に困りましたが、依頼者の方の許可を戴いて駐車しました。

だが、其処は所有者があり、本来駄目な場所でした。依頼者はそれを知らなかったようで、私の車の後ろに付け、出られないようにしているのです。謝罪しても駄目です。その為に吹田市社会福祉協議会の責任者に来ていただき、謝罪していただいたのだが、それでも納得しない。そこで相手側が要求している品物(菓子折り)も改めて持参した。そこでようやく後ろの車はどけてくれた。品物を無心することを恥と思わない人である。

 しかし、本当にそんなことを要求する人がいるのであることを痛感した。私は警察呼んだほうがいいと思っていたが、穏便に済ますということでそういう処置となった。

 世の中にはこういう変な男性がいるのだと改めて痛感した。私たちは災害ボランティアとして無償で行っている。それとは反対に物を無心する男性。工務店のようなものを営業しているようだが、吹田市福祉協議会は全ての吹田市の自治会を統括するところでもある。評判はすぐ広まる。それを知らないようだ。

昼からはガラスの移動でした。簡単に済んだ。

時間のある人でもこういうボランティアに参加する人としない人の差というのは、考えが全く異なる。そういう意識のある人、日曜日の休みに参加する。子供連れで参加して居る人もいた。こういうボランティアに参加することは大切であることを改めて考えさせられた。

 

知らない相手にこれ程批判するのであろうか

なかなか、ブログを記入していて思うのは、私など間違いも多々ある。それは認めている。誤字脱字なども多い。またコトバの間違いも確かに多い。あとで反省したり訂正したり、そのままになってしまう場合が多い。でもいざとなれば何回も書き直しするが、それこそ収拾

がつかなくなるほど迷います。今回、御指摘戴いているコトバも5月と記入しているだけではわからない。たぶん、間違っていたのであろう。ただ、見ず知らずの人に別に指摘したわけでもない、どうしてそんなに怒れるのか、反対に不思議である。

 坊主憎けりゃ袈裟まで憎いのかどうか知らないが、相手は私を知っているのかどうか知らないが、仮に知らない人にこれ程の貶めるような感情というのはどうして出てくるのであろうか。今回の件と全く関係のない「俳句」「短歌」で指摘を戴いた。反対にそういう憎しみかどうかしらないが、そうした感情の軋轢があったのであろう。それが急に湧き出てきたように知らない相手にぶつける。

 本来、そんなことは出来ないが、何らかの蟠りがあったのであろうと推測できます。

心理學的にはどういうのであろうかはしりませんが、そこまでの感情に唖然とします。

 そうなれば、私の一言一句御指摘戴きたい。

 例えば『生命の實相』を『生命の実相』とよく書く人がいます。チラシなどでも見かけます。本来からいえば『生命の実相』というコトバは間違いであるのです。旧漢字とかではなく實の意味があると教えられていました。でも、それは許せるとしても『生命の実相』輪読会としている人を良く見かけます。そんな本ないのだが、たぶんこのような清廉潔白な人は許せないだろう。たぶん指摘するだろうなと期待はしています。

 

また、他のブログで書いても私も全部は見ていませんので、答えようがない、また、他のブログの1/3も見ていないのが実情であります。出来ればお怒りの方に私のブログで怒って欲しいし、批判して欲しい。怒る相手に仮に見られていなければ、自己満足の呟きにしかならない。本当にそんな事でいいのだろうか?相手が見ていることを前提に怒ったり、批判をして下さい。

しっかりと受け止めますので、今後是非私のブログに書いてください。よろしくお願い致します。


ブログ「山ちゃん1952」の愛読者様へ

ブログ「山ちゃん1952」の愛読者へ
もし貴方が本当に愛読者ならば他の掲示板で批判はしません。
 出来れば、批判ならばこちらでお願いしたい。わざわざ、他の掲示板でするのは卑怯な行いであり、男らしくない。私のブログはコメントを拒否はしていない。

 

 また、其処まで批判される理由はわからない。私も「天皇信仰」についてわからないから勉強している。それがどうして批判されなければならないのか。

 もう少し冷静になり、自分勝手な思い込みをやめていただければいいと思います。

 

まず、私が破邪顕正さんを批判しているという。どこを批判しているというのか?

それを書いてください。

 

①「政治好き」についてもの足りないと書いたが、それを批判とするかどうかであろう。内容に付け加えて欲しいといえば批判になるのであろうか?

②殊更に「日本政策研究センタ-」について書いたが私も会員であると書いている。私も「政治好き」である。それが批判なのか?

③歴史を勉強するというのがそんなに怒るようなことなのか。

④こういう書き方はまるで破邪顕正さん個人に向けた発言である。ほんとうに酷い。

カッコ内はわざわざそういうことを勝手に推測した文章である。こんな文章がまかり通ること事態、おかしい方向にいく。

>(破邪さんが)そうした「天皇信仰」を本当にわかっているのか疑問である。

⑤そんな事をどうして僻みや妬みで書くのでしょうか?ちょっと恥ずかしい。

……ということは、少なくとも「天皇信仰」に関して、破邪さんは私よりもはるかによく解っている……ということになるでしょう(これは破邪さんにゴマをすっているわけではありません)。

 

もう少し冷静になって書いて頂きたい。そうすれば自ずからわかるように思います。

決めつけしないでお願いしたい。書いた趣旨なども詳しく説明します。たぶん、私のこの文章でわかると思ったのが、こういう間違いをする人がいるとは思いもしませんでした。

今日は災害ボランティアに参加しますのでまた詳しく書きます。

「政治好き」ではなく「天皇信仰」の根幹を把握しているかどうかである

破邪顕正さんが「政治好き」について書いているが、何か一つ物足りないものがある。

あの説明では疑問が出てくる、それは「政治好き」だけでは駄目であるからです。

それなら、私もメンバ-だが「日本政策研究センタ-」のみの活動でいいのです。そこに「天皇信仰」を把握しなければ何にもならない。

 

《私は国家を成就し、地上に毘盧遮那如来(即ち天照大御神)が中心座にまします蓮華蔵世界を地上に実現することの方が、永遠の価値につながる問題であって、この方が重大だと思うのである。》

 

この国家観こそ「天皇信仰」の究極の価値である。そうした「天皇信仰」を本当にわかっているのか疑問である。歴代天皇の御製も知らず、名前もわからず。行跡も知らず、そうした旧跡にも知らないで平気でいる。それで私は「天皇信仰」を把持しているといわれても疑問である。

 

以前に書いたことであるが、三輪山に訪れたときであるが、その裾野でひっそりと拝んでいる老婦人がいた。三輪山は神体であるが、こうして拝んだことがあるのかである。

まったく、そんな事もせず、鳥居の前や本殿で拝む程度であった私は非常に恥じたことがある。自分は何を分かっていたのかである。畏怖の対象としての天皇観がぽっかりと抜けていたことである。

 

そこから「政治」にしても語るようにしている。歴史を勉強することにしている。自分はそれでも「天皇信仰」について、まだまだ把握などしていない。常にそう思いながら勉強するようにしている。

寒坐様ありがとうございます。

寒坐様、ご無沙汰しております。

さて、コメントありがとうございます。

 

寒坐様の

>「でも、ボランティアは頼むの?」と思わなくもないですが

「まず、身内を頼りなさい」というボランティアさんもいないでしょうし、

「遠くに身内より近くの他人」の方が助けになりやすい、ということもあるでしょう。

 

件の息子さんが決して冷たい人ではなく、

近いお休みには、ご両親の見舞いに戻られると信じたい。(甘いかな?)<

 

 そうなんですが、やはりお母さまの身体が不自由であることです。

その当たりが気になることです。また、部屋の中は地震だけではなく、混沌としているのです。何年も片付けていない部屋は息子さんが何十年も帰宅していない様子です。帰宅しても寝る部屋がないのが要因です。

 

息子さんの機材(パソコン、録音機器等)一室を独占している。聖書なども置かれていて、クリスチャンを信仰されているようだが、息子さんの里帰りは当分望めないような様子である。

 

 ご主人の顏はツヤツヤされており、腰は少し曲がっているがしっかりとされている。

確かに近くの他人で頼みやすいのと,無料だということで、少しのことでも依頼されることはいいことなのかもしれません。

災害ボランティアに参加して

吹田災害ボランティアセンターで何日間、今回の震災のお手伝いをさせて戴く予定です。

本日第一日目は私が知っているマンションでその11階の老夫婦が住まいされている後片付けである。

息子さんは東京に住んでおられるようだが、家の中は混乱している。タンスが倒れ、服飾関係や本やCD等散乱している。

怪我もなくなによりも無事で良かった。

 

三人でその家庭にボランティアとして参加したが、4時間程で終了した。

 

このマンションを知っているというのはこのマンションの管理人を40年程前ですが、生長の家の人でその事で何回か訪問させて頂いた。

 

こうしてボランティアとして参加したが、息子さんが東京に居られるようだが、心配にならないのか、反対にそちらの方が気になる。電話などではなく実際帰宅してみるとか、そんな気持ちにならないのか、顔を見るまで心配でならないと思わないのか、複雑な思いである。

 

このマンションは建てられて40年である。古い建物であるが、頑丈である。

 

最初に老夫婦と記入したが奥様は身体が不自由で中々片付け迄は出来ないようだ。

今回は最初は高槻市等のボランティアの募集を見たが募集者は市内在住と記入されていたので、無理なのかと思って、吹田市に連絡した。

反対にすぐ来てくださいということで参加した。唯、人数が思ったより少ないのは驚く。

私のボランティアのメンバーの一人は河内長野市から、もう一人は福岡県久留米市から参加して頂いている。

本日の午前2時、福岡から車で飛んで来ている。

地元の人は少ないのはそれほど被害が少ないと思っているのであろう。ただ、そのほとんどが家財道具の倒れなどが多い、このような震災ボランティアに参加したかったが、なかなか仕事などで参加出来ないのとその方法がわからなかったところがあった。

 今回、不幸にも地元で震災のボランティア活動を行うとは思わなかった。

 

今は老夫婦や独居老人が多い。連絡先はケアマネージャーである。そうなっていくのも時代の流れなのかもしれない。

でも困っている人がいれば、骨折した右手を少しだけかばいながら頑張ってみるのも必要だと思っています。
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