則天去私

「谷口雅春」先生の生涯も綴っていきます。

2018年05月

讀んで戴ければ幸甚です。

右顧左眄するなかれ

私の投稿で下記の質問がありました。

内容が私の書いたものなので、ここで回答致します。

その内容は

【 「生命学園」の大切さ

 

私のように母が熱心な生長の家信徒でも私の兄弟の全員は生長の家信徒ではない。また、昔青年会で活動して第一線で活躍していた人が現在も活動しているかといえば、殆どは一般生活を送っている。活動も何もしていないのが現状である。

 

昔、家庭訪問していた時に感じたのは熱心な白鳩会の人の子供は活動に関してはほとんどしていないのが実情であった。極稀にしているところもあったが、1割未満である。

 

何故、子供が活動しないのかは、白鳩会会長を就任されていた人々に家庭訪問すればすぐにわかる。それは必ず「自己防衛」をするのです。それは「利己主義」というのか「個人主義」というのか、保身の爲に必ず言い訳をするわけなんです。

 

例えば、自分の子供には青年会で家庭訪問をしたときには、多くは青年会の人には合わせないようにする。

 

「うちの子供は忙しくてそれどころじゃない」

「ちょっと、今は忙しくて手が離せない」

「子供の自慢話で終始する」

 

何か私達が暇人で余計なお世話をしているような感じさえある。

当時から「生長の家」はこのままでは伸びないことは実感として感じていました。

 

しかし、校長先生の息子や娘ほど、教育が却って難しく、グレることが多いのも何となくわかる。それならば、どうするのかである。

 

 やはり、最終的には「生長の家」の根本心理を伝える努力をすることが必要なのと、日本的なる「歴史の連続性」を教えることが必要となってきます。そのまま「自由」にさせるのも活動しない方が多い。

 

それを感じているのが生長の家の生命学園での教えというのが必要になってきます。子供の頃から、日本的なるものを教える必要性は私が「ジュニア友の会」育成をした子供たちの今は大人になっても、そうした「生長の家」の運動を忘れないで活動しています。それは私がジュニア友の会の大阪の育成部長で現在もそれなりに活動している人は6人います。

 

 一般の男性の人と結婚しても、長く教えを説いてくれています。私はそういう必要性をどうしても感じてしまうのですが、「生学連」の議長をしていても、社会人になって活動しているかどうかとなると、不明な所もあります。

 

 だからこそ、「生命学園」というのを作って、基礎的な日本のあり方や天皇陛下の素晴らしさを言葉じゃない、カラダで體得してほしい。】

 

回答して欲しいと疑義を持った人の質問は現教団の「生命学園」を全て左傾しているという内容です。

すべて把握していないので、そのようになっているのかどうかも知る由もありません。

ただ、生命学園のようなものを是非とも作って頂いて、愛国的な話や天皇陛下の素晴らしさを伝えていただきたい。

 

上記で書いているように「生長の家の根本真理」を伝えて欲しいと書いています。現在の教団は到底、それから蓋をして「今の教え」などと訳の分からないことを言っています。

もう少ししっかりと読んで頂ければ、内容も把握出来ます。

また、私のブログを紹介していただいていますので、それを見ればはっきりと理解出来ます。それからでもよろしいですから御記入いただければ幸甚です。

 

日時:20180530 () 1243

名前:神々の友達。

添付されたこの内容にはある程度賛同できますが、ご存じの通り、

 

現生長の家教団の「生命学園」は、緩やかに左翼化に

改悪されつつあります。

 

この投稿は、受け取り方によれば、生長の家教団(現在の)宣伝とも受け

取れます。で、「生命学園」が元で、その不父兄達が、左傾養成教団の新会員

に成る可能性もある訳です。

 

あなたは教団を支持する人なのか否なのか、教えていただきたいと思います。

 

私の読解力不足故のお願いですが、どうぞご享受下さい。

それに対して、光の学園様が下記のように回答していただいております。

学ぶ会の会員です。 (21757)

日時:20180530 () 1401

名前:光の学園

 

学ぶ会の会員です。

 

先日も10万円寄付させていただきました。

 

社会事業団にも何度か献資させて戴いています。

 

大阪教区に友人もいて付き合いがあります。

 

教団に籍はありますが、活動はしていません。

 

「学ぶ会」支部活動に参加しています。

 

教団のことを書くだけで「宣伝している」とか「工作員だとか言われると、

 

「学ぶ会」も「事業団」も退会したくなります。違和感を覚えます

 

私も現在は「学ぶ会」の会員ではありません。勿論「生長の家」の会員でもありません。社会事業団には所属しています。ただ、どうしても「学ぶ会」には入会したくないという気持ちが強い。

それは、今まで散々「現教団」の素晴らしさを語り、雅宣讃歌ともいうべき話をしている人が「学ぶ会」の役員として「現教団」を批判している。

 

なにか、悪夢でも見ているのかという思いがあります。

私はお蔭でそういう状態に置かれたことはなく、今まで長く雅宣氏を批判していました。そうしているから知人とも音信不通になり、口論も幾たびかしてきました。人付き合いがよくないと言われてきましたが、どっちにも尻を振るような気持にはなれないからです。

「学ぶ会」に入信するのは悪いとはいいません、ただそういう人が役員となり、現教団を批判するのは如何なものかという疑問を呈しているだけであります。

安徳天皇陵と安徳天皇陵伝説の地「安徳天皇西市御陵墓参考地(王居止御陵)」

以前から行きたいと思っていた『安徳天皇陵』の参拝である。

山口県下関にあるので、そんなに遠くはない。だがいつの間にか行きそびれそのままになってしまった。

歴代天皇陵としては一つ残っていた私にとっては最後の天皇陵の参拝です。

それにまつわる様々な陵墓も行ってきました。
 建礼門院の御墓やそれにまつわる話などいろいろです。とりわけて建礼門院は母の平徳子であります。平清盛の娘でもあり、そこから出てきます。伝説など、歴史に興味をもたれる人はその話に引き込まれます。
 
 また、平家の落武者伝説と同じように安徳天皇伝説の御陵はあります。対馬とか薩摩硫黄島にもあります。その真否は不明だがそれを信じている村の人々の話は信じたい。

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 安徳天皇陵は全国に「伝説御陵」が沢山あります。

例えば、現在は徳島県の「劒山」といえば日本百名山のひとつです。この名前は安徳天皇が天叢雲劒を治めたという伝説が有り、そこから従来の「太郎山」から「剣山」になったといいます。

 

また、同じ徳島県の祖谷山には安徳天皇が16歳で崩御したという伝説があります。

また土佐国高岡郡横倉山に隠れ住み同地で崩御した伝説。

鳥取県八頭町や三朝町と伝説の地があります。

 

因幡國や近畿の大阪府能勢にもあり、私もこの伝説の地に行きましたが、鬱蒼とした山の中に御墓があります。山の名前も来見山と称しています。
(2014年5月31日のブログを参照下さい。)

またそれ以外にも沢山あります。そのなかで

①山口県下関市豊田町に行ってきました。

ここは宮内庁指定の陵墓参考地です。
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②鳥取市国府町岡益にある「岡益の石堂」は陵墓参考地

 

③高知県高岡郡越知町横倉山には安徳天皇御陵墓参考地「鞠ケ奈呂陵墓」があります。

 

④長崎県対馬の厳原町久根田舎には、安徳天皇の墓と言われる陵墓があり宮内庁指定の御陵墓参考地となっている。

⑤熊本県宇土市立岡町には宮内庁指定の「花園陵墓参考地」がある。

『彗星』の御寄稿文書-③

「心靈療法の骨子」(下)谷口正治

鈴木美山氏は病は眞理の不在なる心に生ずる迷妄であるから眞理を注入するならば病は癒ゆると主張するが是は必ずしも眞理を明示するものではない、かやうな思想が病を治すことが出來るのは思想が正しい眞理なるがためではなく、『それ故、人は健全である』云ふその思想の導き來る結論が、心靈の常住なる觀念となる時、心靈の觀念の表象たる肉體は當然健全とならざるを得ないのである。

 

 美山氏の門下金城氏は思力治療法と云ふものを創始してゐる。

 その觀念法に曰く、

 「さて部分的心意よ、誤りある汝は其の行為を改めて正に歸せざるべからず。汝は是等の部分、是等の機關を管掌する任務を負へり。汝は絶對的心意より命ぜられたる職務に對して忠實ならざるべからず。靜まれ穏やかにあれ健全に復せよ」

 

と心中に命ずるのである。こゝに云ふ部分的心意とは個人の心意が大宇宙の心意の一部分と云ふ意味ではなく、細胞、細胞團、神經中樞、神經節等に大小無數の心意があると假定して、これを部分的心意と云ふのである。

 必ずしも哲學的暗示法によらずとも、對症的觀念法でも病患が癒ゑる所を見ると、思想が正しいために或は眞理を注入するために病が治るのではなく、病的觀念を非認して、人が健全に復する底の觀念ならば何でもよい譯である。

 

 『汝は野獣の一種である。野獣には病はないのである。それ故野獣の一種なる人にも病はないのである。ない所の病をあると思ふのは迷ひである。汝はその實健全である。』とかう暗示しても敢て差支はないのである。催眠術の實驗に於て知らるゝ通り潜在精神はそれが合理と不合理とに拘はらず、暗示に感應するのである。それ故『何の故に』汝は健全であるとその理由は敢て合理である必要はないばかりか、その理由を述べきかす必要もないのである。

 

 それ故單に目的として希望する觀念を注入すればよいのであって、結局心靈治療に於ては對症的觀念法に統一せらるべきを信ずるのである。その方が無要の前提を長く暗示するよりも時間に於て經濟である。

 

◎結論

心靈治療の根據としては宇宙に遍滿する大心靈を認識することである。そして大心靈は無限の空間と無限の時間とに連旦して遍滿すると解りやすく言ふものゝ、大心靈があるからして時間があり空間があるのであって、時間及空間の容器の中に心靈が充滿するのであると解してはならないのである。かくの如く私の心靈治療法にては心靈の空間性と時間制とを容認するのである。心靈に空間性を認むるが故に隣接せる心靈を認容し、觀念の傳達を認容し、直接治療が遠隔治療より効果あることを理解し得るのだ。

 心靈に時間制を認むるが故に隣接せる心靈を認容し、直接治療が遠隔地より効果あることを理解し得るのだ。心靈に時間制を認むるが故に心靈が決して過去の病氣を今に於て消滅せしむるを得ない理由が明かとなる、もし心靈に時間の超越を認むるならば、過去にあった病をなかったことになし得なければならない。

 吾人の心靈は宇宙の大心靈の一部であると共に無數の細胞及細胞團の小心靈の集合であるが、吾人の心靈はそれ自身活動しつゝも宇宙の大心靈の支配を脱することは出來ない、吾人の心靈は或る時間自身或は隣接せる心靈の觀念うぃ變化し得れども、永久にさうすることは出來ない。僕婢はある時間欲する自由をなし得るも、到底主人の支配を脱することは出來ないと同じである。心靈治療家もやがて年老い死するのはこのために他ならない。

 これは觀念の習慣性として前述した所のものである。この習慣性は裂なものであり、宇宙の大心靈の意向であり觀念である。これを靈意と云ひ神の意志と云ふも敢て差支はないのである。こゝに吾人の心靈治療法の効果の限界が示される。

 

 吾人の心靈は神の意志若しくは觀念に反抗する事は出來ない。吾人は神の意志に仍って人が老い且つ病み死すると云ふ事を承認する。神は善なるが故に病を作らないと云ふ鈴木氏の説は眞理といふよりも觀念を健全に導くための暗示である。

 

 氏は病は人が眞理を知らざる無知より生じたと云ふのであるが、人の無知は何より生じたかと云ふ問には答へないのである。人の無知も神のより生じたのである、迷ひ躓き、倒れ、病み、悶ゑつゝなほも努力を止めず吾等に宿り吾等と共に進歩せんとするのが神の觀念である。

 宇宙に不幸があるのは神に不幸があるのである。吾等に不幸を脱(のが)れやうとする努力があるならば神が努力してゐるのである。何故なら神は心靈であり宇宙世界は神の觀念の表象でからである自分はこの講述の最後にロマン・ロ-ランのクリストフの一項を引用す。

 

 『神は彼に取っては無慈悲な創造者ではない、また鐘樓の塔から自分が火を點けた火災を眺めるネロでもない。神は戰へる總ての人と一緒に、總ての苦しんでゐる人のために戰ってゐた。何故なら神は生活だからであった。……神聖な戰闘は決して止まない。何人も何ら云ふ結果に至るか知る事が出來ない。不調子が衝突し、交り合ひながら淸麗な音樂を作成する勇しい交響樂であった。靜寂中に怖しい戰闘が起りつゝある森の樣に生活は永遠の平和中で戰ってゐる』

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私は文中で理解出来ない所もあり心靈そのものを理解出来ていない理由となるであろう。この文章が書かれたのは26歳という若年であるから驚かざるをえない。

岡田建文氏からは「凡ての心靈療法は貴下の解説通りの原理で出来るのであるが、皇道大本ばかりは別物である。一度綾部に到ってその実際を見分せられよ」という手紙が着いた。

 この手紙から心靈療法については理解されている

『彗星』の御寄稿文書-②

心靈治療法の眞髄(中) 谷口正次

■腹力充實の精神統一

藤田式息心調和法、岡田式静座法、田中式靈子術、渡邊式呼吸療法等すべて腹力充實の精神統一法である。何れの方法を行ふも或る程度まで精神統一する時は身體の一部或は全部が靈動し來るものである。

 

此靈動を心理學者は潜在精神の自動運動と云ひ、本靈動では靈子作用だと云ふ、自分はに説いた通り、潜在精神及び靈子とは心靈と同意義で靈動を心靈の自働運動と云ふのである。

田中太靈道は『靈子は生命の源で時間、空間を超越す』と云って居乍ら靈子の作用を患部に傳へれば病患は癒ゑると云ふ空間を超越するものが傳はると云ふ事は奇怪だ。しかも傳はるに『ある時間を要する』と云ふに至っては愈よ聞ゑない。太靈道が宇宙世界を一個の生命體なりと説く所などには敬服すべきものであるが、その靈理學を實驗證明すると云ふ靈子術なるものは、彼れの靈理學を裏切るものである。に靈子は鑛物の源でもあるならば人間に傳へれば人間は鑛物になるかも知れぬ。

 

先日私の所へ治療を依頼に來た患者がある。その前日まで田中氏の高弟某兩氏に依りて殆ど一年間靈子療法を受けてゐたが病氣は益々よくないのだと云ふ。但し自分は靈子術に大分熟達して靈子板四十枚は輕く自動せしめ得ると云ふのである。自ら靈子潜道作用なるものを體得し、靈子作用が體外に溢れ出る程充滿してゐる彼がなぜ病氣がよくないのだろうか。これ靈子作用が必ずしも生命の源ではない證拠である。

 

靈子作用とは潜在意識の自働運動であって、斯くの如きものが如何に發現しようとも、その潜在意識が思浮べてゐる観念が病的觀念であるならば、人は病より脱する事が出來ないのである。私の知人に死靈に憑依されたと自信する婆さんがあったが臥床してゐても手が顫動して止まないのである。これなどは謂はば靈子作用が起ってゐるので、靈子作用が病氣を治す能力があるならば健康になるべき筈であるのに婆さんは死んで了ったのである。婆さんは死靈憑依と云ふ觀念に精神が統一したので、それが潜在意識の觀念となり手が靈動したのであった。

 

私は時間空間を觀念以後のもの卽ち觀念に思浮べて始めて生じたものと解釋しないのである。時間空間は一つの大實體であるのである。時間空間は大宇宙の心靈と倶に存するのである。宇宙の一切は時間空間と其なる心靈が思浮べたる觀念の表象である。それ故あらゆる觀念は時間空間の範疇を脱する事が出來ないのである。若し時間空間が觀念以後のものであれば唯の一つぐらいの物象は時間空間の觀念を脱してゐても好い筈である、それがないのは矢張り時間空間が觀念以前のものであるからではなかろうか卽ち宇宙の本體は無限の空間時間に遍滿する靈的實在である。

 

乍併、時間空間の中に心靈が充滿するのでは無く、心靈そのものゝ一個の性質が時間であり一個の性質が時間であるのであらゆる他の觀念は大宇宙の心靈の一部位を占めてゐるにかゝはらず、時間と空間とは大宇宙の心靈とぴったりと重り合ふ所以なのである。卽ち時間空間は心靈と唯一不可分の特性であるが故に心靈の觀念の表象たる宇宙世界の一切は空間時間の範疇内にあるのである。かく觀じ來る時は心靈が思浮べる觀念も傳達するので靈子が傳はるとも云ひ得るのである。

 

■耳根圓通精神統一法

原垣山氏の陀那粘液昇流の説より原田玄龍氏に至って大成したものである。大腦に脊髄の陀那粘液が昇流して大腦を本據とする覺心を混濁して惑を生じ、或は病を生じると云ふ説の當否は須更く置き、極めて入り易く達し易き精神統一法としてこの法を自分は推稱するのである。木原氏が近時この法を以て大に人に益しある所以がある。

 

■哲理治療の精神統一法

是れに定まった方式はないので、雑念を浮べなくなるまで專念專思精神集中の練習をするのである。元來精神統一には信仰によるものと身體の一部所に定力を用ふるとものがある。(後者は精神集中すれば自ら身體に定力が入るのを心身相關の理によって逆用するのである。)精神集中して手に汗を握る狀態になるべきを、先ず手に汗を握ってから次第に精神を集中するのである。丹田定力、耳根定力もすべてこの方法の範圍にあると思はれる。その他、禪家の數息觀などの方法もあるが他人治療には大して必要がないので省略する。

 

■觀念の撰擇

靈子は一切の根源であるが故に必ずしも所謂生命現象の根源ではないのである。心靈は一切の根源であり、一切の現象は心靈の觀念の表象であるが故に、、吾人は觀念の選擇しなければならないのである。

精神統一して靈動連(しき)りに起るとも、不健全なる觀念に精神統一する時は人は病を脱する事が出來ないのである。病を治療するには如何なる觀念法を用ひるのか、その第一は對症的觀念法であって第二は哲学的觀念法である。靈子療法、催眠療法、呼吸式心靈療法、耳根圓通妙智療法等すべて對症的觀念法を用ひ木原氏の妙智療法は觀念法を用ひて居る(觀念療法は例令ばヒステリー症には頭腦は冷靜となり安眠出來る、神經は壯になって意志は固になる、悲觀は去って樂觀になると云ふの類である。)

 

■哲學的觀念法

 哲學的觀念法は鈴木美山氏の用ゐるものであって、必ずしも熱が高いから熱が退(さが)ると觀念しないので、そのチピカル(※ティピカル)な例を擧げる。

 『神は己れに似せて人を造った。故に人の精神も肉體も神と親子の如きものである。故に人は原則として完全である。健全である。無病でなければならぬ筈である。宇宙萬有を造った神は靈である。人は神の子であるから人の肉體は其實は靈體である。靈體である人間が物質の病に犯されると云ふ様の事はあり得べからざる事である。神は決して病氣が製造しなかったのである。病が實在するかの如く見ゆる妄念迷想に過ぎないのである、人は完全に自覚するならば病は自ら消滅し去って健全と幸福と歡喜とは後活し來るのである。』

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『彗星』の御寄稿文書-①

大正七年四月、島根県松江市の岡田建文という人から『彗星』という雑誌が送られてきたのを興味を持たれたのです。この当時の『彗星』は毎号皇道大本特集を組んでいたのであります。弥が上にもその言葉に興味が注がれます。

そして大正七年九月号の『彗星』に御寄稿をなされた内容というのは『心靈治療法の眞髄』という極めて人間とは何か、心霊で病気とか治癒できるのかを苦悶されてつつ社会救済に役立ちたいという強い希望がありました。下記の文章は心霊療法ということをきちっと説明されています。
さて、今回は『心靈治療法の骨子』として記入致します。というのも『彗星』が送られてきて、当初大正7年9月號しかみていなかったので、編輯において修正したのと思っていました。
最終的に10月號と12月號を見付けることが出来ました。

大正七年九月号 彗星一二七號 6頁・7

「心靈療法の眞髄」(上)   表紙のタイトルは「心靈療法の骨子」

実際の内容は『「心霊療法の真髄」上』■宇宙の本體■人間の本體■神霊治療法の根拠■精神統一法

彗星に初御寄稿

谷口正次となっています。

 

大正七年十月号 彗星一二八號 22頁・23

「心靈療法の眞髄」(中)    表紙のタイトルは「心靈療法の骨子」

力充實の精神統一■耳根圓通精神統一法■哲理治療の精神統一法■觀念の撰擇■哲學的觀念

大正七年十二月号 彗星一三十號 10頁・11頁 

「心靈療法の骨子」(下)    表紙のタイトルも同様「心霊療法の骨子」

名前は谷口正治と修正しています。


 

 

心靈治療法の眞髄(上) 谷口正次(正治が正解)26

◉宇宙の本體

宇宙の本體は神と稍すべく、一切の觀念の根本體である。而して一切の觀念は神より出で來ったものであるから、神は觀念以前のものである、從って觀念を以て神を現はさうとすれば神そのものは吾人の認識外に逸し去らうとするのである。

 

自分は今我に心靈なる語を用ゐて、神の觀念の表象とするであらうが、個々の物質が常に或る他の物質に對して一定の反應を呈し、一定の温度に於て氣體、液體、固體となるは矢張り心靈の思浮べる觀念に一定の傾向あるからである。

 

物質の化合と云ふことも、物質そのものが化合するに非らずして、その物質を表象する觀念が化合するものであることを知る必要がある。

 

◉人間の本體

吾々は常に個々の心靈なる言葉を用ゐて心靈を個別的に抽象し來ったが、夫(それ)は説明の便宜の爲であって全くは個々の心靈は相連亘して大宇宙の心靈を形成するのである。換言せば個々の心靈の力は能く人心に感應し肉體に變化を生せしめる所以である。

 

人間には普通に智情意に分類される顯在精神と一般に覺知されない心の本體卽ち心靈とがある。肉體と共に生滅する精神は心靈より發する一作用であって、心靈をその物では無いが世の心理學者は心靈に對して潜在意識なる用語を當てはめて無意識の意識と云ふ意味のものを想定して居るけれど、意識にかゝらない意識なるものは理に於ては無い、心靈卽ち潜在精神は現在の意識が思ひ浮べない觀念も實は思ひ浮べて居ることを知らねばならぬ、心靈は自我の本體である自己の一切の觀念に干渉しをして居るのである。

 

◉心靈治療法の根據

病を治療するには心靈治療法を用ふるを得るは、病が物質的實在であり從って心靈が思浮べる觀念の表象であるから更に心靈をして健全なる觀念を思浮べしむるならば、その表象たる肉體も健全になるべきであるからである。自分は哲理療法の首唱者鈴木美山氏のやうに病は信念であるから物資藥では癒らぬとは云はない何となれば病も觀念の表象であるから觀念は化合して別の觀念を生じて時として人は健全に復するからである。

 

如何にして肉體を表象とする所の本體たる心靈の觀念を健全に復せしむべきや。それは現在精神をもって潜在精神に交通せしめ、現在精神が望む所の觀念を潜在精神をして自由に思浮べしむるには如何にすべきやと云ふ問題である。これには古來から精神統一と云ふ方法が行はれてゐる。

 

精神統一とは現在精神を一個の觀念に集中して無想無念の境地卽ち一個の觀念の外肉體ある事も他念あることも知らぬ境地に入るのである。然る時は現在精神は潜在精神に交通して欲する觀念が心靈に浮ぶのである。然らば精神を統一して無念の念無想の想たる境地に入るには如何にすべきや。

 

◉精神統一法

催眠術の精神統一法は全然他動的に精神を統一させて貰ふのである。術者は被術者に『催眠』の豫期觀念を起せしめ、然る後その豫期を實現せしむるために、身振い暗示、接觸暗示、言語暗示等を與へるのである。然る時は他の觀念を思浮べる豫地なく豫期せる『催眠』すると云ふ觀念に統一せられる一刹那現在精神は潜在精神に変通して潜在精神をして『催眠』するてふ觀念を思浮べしめ遂に催眠せしむるのである。この場合潜在精神卽ち心靈が催眠するのではない。

 

心靈は常住心で常に何かを觀念しつゝあるものであるから事實に眠らずして單に眠ると云ふ状態を觀念に思浮べるだけである、かくして患者の現在精神を眠らせて術者の言葉と患者の心靈との交通を自在にして患者の心靈に健全となるべき觀念を注入する事に仍って病は癒ゑるのである。

 

催眠術受術の弊害は感受性の鋭敏になる事である。驗經家古谷鐵石氏は感受性の鋭敏となるは精神の統一しやすくなることなれば何の害もなしと云ってゐるが精神統一にも種々あるので自己の目的とする觀念に自働的に統一し易きは上々なれども、他より迫敵に來る觀念に精神統一して、その誘惑に反抗する現在意識の豫地なきに至っては寒心すべきものである。

 

祈祷祈念の精神統一法は信ずる神佛の咀を念じ、一心不亂に靈顯を豫期しながら、法式に依って祈祷する時は、遂に『靈顯來る』と云ふ確信に精神が統一せられる而してこの信念が精神統一の刹那潜在精神の觀念となり、かくて眞に『靈顯來り』病者は癒ゑるのであるが、吾人の精神が奥底に潜在する心靈は、宇宙を所造する大心靈の一部であるから單に病氣が癒へる位に止らず、確信ある觀念に仍っては宇宙の現象を左右し得る力を發するのであると云ふことも出來る。

 

一切の客觀的に實在する現象は大宇宙の心靈の觀念の表象であるがゆゑに、大宇宙の心靈の一部なる吾人の心靈も亦よく客觀的現象を創造し得べきである。しかし心靈は常に一定の觀念に固執する習慣あるが故に一時精神統一によってその觀念を左右し得るも若干時間の後その心靈はもとの觀念を抱持するやうになるものである彼の毒藥の効果は一時暗示によって左右し得るも、永久に毒藥の効果を無にする事能はず、焼火箸をすごく蝦蟇仙人も永久に燃ゆる火爐の中に生活し得ざる理由である。心靈治療が時に失敗に終ることあるは病患者の病的觀念の固執性き時治療後再び病的觀念に立戻る結果に他ならない。この病者の病的觀念の固執性の弱如何によって心靈治療の有効無効の限界が示されるのである。P1200101
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苦言

人はとやかく、他人の過ちが好きなものである。見ていないものを想像で過大評価したり卑下したりするものである。

今回、大阪教化部内部の事でとやかく物議を行っている。しかし殆どが見て居なかったりして想像で書いている。

 

その発端となった元白鳩幹部の発言に私はよく理解できます。

 

『私も初孫が生まれ、その可愛さに魅せられ何でもしてあげたくなってますので、霊界といえども、元人間が住んでいる処故、やはり孫可愛さ故に何もできないでいるのでしょうか?

 

とにかく、一時白鳩会を脱会はしてみたものの、日増しに寂しさともどかしさは募るばかりの今日この頃です。

 

元白鳩幹部のつぶやきでした。』

 

現在の活動に対して非常に憤りは感じるものの、脱会したら「ただの人」となります。今迄、「先生」と呼ばれ、講話に行ったりして仲良くしていた人達も自分のそばにはいない。その空虚さとジレンマと相俟ってくる。そうした虚無感が上記の言葉によく表れています。

 

唯、私は仕事や趣味や自治会などでそういう寂しさを感じていることはないですが、やはり白鳩の幹部だったりする人はそういう気持ちで辞められないでいることは理解できます。ただそういうも人が「学ぶ会」に行くかというとそうではない。それは何故かというと自分の掌中にいた人がいて、自分と云う存在があった。それが處が変ると、今までの考えと変わってくる。そうした環境の変化に対応できるのか暗中模索であるから辞めれない。

 

 

さて、次に大阪教化部館内の話で豪華過ぎるとかとりわけ酷い発言は

 

超豪華、と云うより

俗ですね。

 

中身が無いから

飾らなくては成らない。

 

直ぐボロがでます。

 

失言!!

 

なんというのか、実際見たことがない人である。よくこんなに書けるものである。故森田元教化部長は涙されるでしょう。この教化部内には森田先生の寄贈されたものもあります。

それとどうして現総裁と関係があるのでしょうか?

 こんな発言をその管理人は容認するのでしょうか?

 なんでも、現教団と結び付けてしまい、調子にのって発言するのはいいが、寄付をして下さった多くの信徒の事を考えていただきたい。

戦前の発禁図書における対象内容の決めつけの誤用

暫く書き込みを止めておりましたが、再度書き込んでいきたい。

 

この休憩中にある方と話をしていて、少し気になることがあり、それが講話なんかに取り入れられたりして、それが正しいのだという間違いを起こすような気がするからです。

そういう間違いが勝手に流れてそれが正しいのだとする、即ち、その話が本流となる怖さ

さを感じて、改めて茲に記入します。

 

それは戦中での発禁図書で生長の家は「天之御中主神」を中心にそれを発言したために禁書となったという論であります。

申し訳ないが、それは全く根拠がない。確かに昭和8年頃から新興宗教というのが台頭してきて、既成の佛教関係が危機感をもち、当時の内閣に圧力をかけたのは事実であります。

それが昭和11930日の朝日新聞の朝刊に記載された「淫詞邪教を撲滅の指令」であります。それをもとにして内務省により「安寧秩序紊乱」若しくは「風俗壊乱」に当たるとされて発売頒布禁止、部分削除又は次版改訂などの処分をしています。

そうした内務省の文書を読むと「安寧秩序紊乱」を略して「安寧ノ部」として、「風俗壊乱」は「風俗ノ部」としてそれぞれ分類し、発禁していくのです。

 

当時の内閣では主に内務省警保局というのが、図書資料などを担当していた。その内務省警保局が発行している『社会運動の状況』を読むと

「安寧ノ部」と「風俗ノ部」という分類の資料があります。

この中に「天之御中主神」というコトバが関連するかというと「ノ-」といえるのであります。それは文中にはその「天之御中主神」というコトバがない箇所で発禁対象となった本が多く存在するからであります。

 

それでは「生長の家」の発禁図書である『如意自在』昭和11513日発禁年月がどうして禁書となったかであります。その発禁箇所は「無限供給の神示」が発禁対象となった文章であります。

 

 「無限供給の神示」は次の様に続いています。

『天地一切を渾球(こんきゅう)と言い渾球をタカアマハラと言い、略してアマと言い、天地一切を照らすときの名を天照大御神と言う。神の名はそのハタラキを示したのであってハタラキに従って相(すがた)もまた異る。吾れが一切多宝の供給無盡藏なるハタラキをするとき多寶如來と言うのである。一切の寶一切の善一切の美一切の生命吾れより出でざるはない。吾が姿の一つは太陽である。諸方の信仰厚き人々に吾が太陽の霊姿を霊眼で見せてあるが、天文学上の対象になっている太陽はわが影に過ぎない。』

 

『釋迦が法華經を説くとき、われは地より涌き出て、空中に『七寶(しっぽう)の塔』となって出現したのである。『七つの燈臺』は世を照らす光の側よりわれを見たのであり、『七寶の塔』は多寶無限供給の側よりわれを見たのである。『七つ』と言うのは一切と言うことである。吾れは吾が誓願の如く、誰にてもあれ『生命の實相』を説くところに顯れ、彼を讃歎し彼に半座を分って偕に坐し彼と一体となる事を示す。釋迦が法華經を説くときわれがあらわれたのは、釋迦は法華經を説いたとき『生命の實相』を説いたからである。『生長の家』にわれが顯われたのは『生長の家』のとくところは『生命の實相』であるからである。『生長の家』も久遠の昔からあり、『生命の實相』も久遠の往昔(むかし)からある。わが靈身は『生命の實相』そのものであるから『生命の實相』が説かれるところ、讀まれる所、披(ひら)かれるところに吾は顯われざるを得ないのである。吾れは光明遍照世界の主宰者大日如來であり千萬億阿僧祇久遠の昔より成佛せる釋迦であり、アブラハムの生れざる以前よりに世の救い主なりしキリストである。吾れに汲むものは涸(かわ)かず、吾れは無限の光、無限の生命、無限の愛、無限供給の泉である。』(昭和七年五月五日神示)

 

ここで、戦前の発禁図書などを比較してみると、「タカアマハラ」という根拠をコトバの語源として「アマ」という等々。

そうした、「高天原」を諸説の説明を書いた書物は発禁としている事が多い。とりわけて有名な津田事件で有名である、津田左右吉氏における発禁箇所というのは『古事記』『日本書紀』における表現が警保局にカチンときたのであろう。

そのような言葉というのが下記の表現であろう。

 

 【今日に伝わっている我が国の最古の史籍たる『古事記』と『日本書紀』との巻頭にはいわゆる神代の巻という部分がある。『古事記』は和銅五年(712 A.D.)『日本書紀』は養老四年(720 A.D.)に出来たもので、何いずれも八世紀に入ってからの編纂であるが、神代の巻などは、もっと古くから伝えられていた材料によったものである。ここにその詳しいことを説いている遑いとまはないが、その材料は遅くとも六世紀には一と通り出来上がっていたらしい。さてその神代の巻は我が国の開闢かいびゃく以来の話だといわれ、そうしてそれが我が国の最古の史籍であるというためか、とかく世間ではそれに、我々の民族もしくは人種の由来などが説いてあるように思い、従って神代の巻の記事を強いてそういう意味に解釈しようとする癖があるらしい。例えば高天原ということがあると、それは日本民族もしくはその要素をなしているものの故郷たる海外の何処どこかであると考え、天孫降臨ということがあると、それはその民族がいわゆる高天原の故郷から日本のどこかへ移住して来たことだと説き、そういう考かんがえから天孫人種とか天孫民族とかいう名称さえ作られている。あるいは出雲の大国主神がその国を天孫に献上せられたという話があるところから、天孫民族に対して出雲民族というものがあったようにいう。そうして、そういうような考え方をもっと他にも及ぼし、土蜘蛛つちぐもという名が上代の物語に出ていると、それは穴居をしていた異民族の名であるように説く人もある。何でも我が国の昔には種々雑多の異人種・異民族がいたように考えられている。

  それからまた民族や人種の問題とは少しく趣がちがうが、神代の物語を一々事実に引きなおして解釈することが行われている。海神わたつみの宮の話があると、それはどこかの地方的勢力、または海中の島国のことであると考える。八股蛇やまたのおろちの物語があるとそれは賊軍を征服せられたことだという。あるいは黄泉国よみのくにという名が出ると、それは出雲国のことだと説く。あるいはまた八咫烏やたがらすが皇軍の道しるべをしたとあると、その八咫烏は人の名であると解釈する。伊弉諾いざなぎ・伊弉冉いざなみ二神が大八島を生まれたという話は政治的に日本国を統治せられたことだという。要するに神々の物語は悉く歴史的事実たる人間の行為であって、畢竟ひっきょう神は人であるというのである。

  しかし神代巻の本文を読むと、そんなことは少しも書いてない。天照大神は高天原にいられるとある。神々が高天原へ上ったり高天原から下ったりせられるとある。けれども日本人種・日本民族が海外の故郷から日本に移住したとか、その故郷へ往来したとかいうようなことは何処にも書いてない。出雲の神の話はあるが、出雲の地方に別種の民族がいたとは何処にも記してない。あるいはまた海の底の海神の宮の話はあるが、それが海上の島国であるとは何処にも書いてない。本文をよめば八股蛇はどこまでも蛇であり、八咫烏はどこまでも烏であって、少しも人間らしい様子はない。然しかるに世間で上に述べたような解釈をしているのは甚だ不思議の至である。これは何故であろうか。

  他でもない。神代の巻の種々の物語に我々の日常経験とは適合しない不合理な話が多いからである。この不合理な物語を強いて合理的に解釈しようとするから、上記のような説が出るのである。天上に世界があったり、そこと往来したりするのは、事実としてあるべからざることである。海の底に人の住むところのあるのもまたあるべからざる話である。けれども神代の巻にそういう話のある以上は、それに何かの事実が含まれていなければならぬ。と、こう考えたために、表面の話は不合理であるが、裏面に合理的な事実があるものと臆断し、神代の巻が我が国のはじめを説いているというところから、それを日本民族の由来を記したものと考え、あるいは国家の創業に関する政事的経略の事実を述べたものと説くようになったのである。そうしてこの思想の根柢には一種の浅薄な Rationalism が伏在する。すべて価値あるものは合理的のもの、事実を認められるものでなくてはならぬ。然らざるものは荒唐不稽の談である。世にお伽噺おとぎばなしというものがある。猿や兎がものをいったり桃から子供が生まれたりする。事実としてあるべからざる虚偽の談である。それは愚人小児の喜ぶところであっても、大人君子の見て陋ろうとするところのものである。然るに崇厳なる神典にはかかる荒唐不稽の談のあることを許さぬ。だから、それには不合理の語を以て蔽おおわれている合理的の事柄がなくてはならぬ。こういう論理が存在するのである。

  然らば合理的の事実が如何いかにして不合理の物語として現われているかというと、一つの解釈は、それは譬喩ひゆだというのである。昔の新井白石の取ったところがそれであって、彼はその譬喩の言から真実の意味を見出そうとして神は人なりという仮定説を捻出し来きたったのである。それから今一つの解釈は、事実の物語が伝誦の間におのずからかかる色彩を帯びて来た、一口にいうと伝説化せられたのだというのであって、今日ではこういう考を有もっている人が多いようである。しかし何故に事実をありのままに語らないで故いたずらに譬喩の言を以て不合理な物語としたのであるか。神が人であるならば何故に神という観念、神代という思想があるのか。これは白石一流の思想では解釈し難き問題である。また神代の巻の物語を、事実の伝説化せられたものとして、すべてが解釈せられるかどうか、例えば葦芽の如く萌えあがるものによって神が生まれたとあり、最初に天の御中主の神の如きがあるというようなことは、如何なる事実の伝説化せられたものであるか、というと、それは何とも説かれていない。しかしそれだけは事実の基礎がないというのならば、何故に他の物語に限って事実があるというのか。甚だ不徹底な考え方である。そうして譬喩であるというにしても、伝説化であるというにしても、その譬喩、その伝説が不合理な形において現われているとすれば、少くとも人間の思想においてそういう不合理なことが現われること、あるいはそういう心理が人間に存することを許さねばならぬが、それならば、何故に最初から不合理な話を不合理な話として許すことが出来ないのか。こう考えて来ると、この種の浅薄なる Rationalism が自家矛盾によって自滅しなければならぬことがわかろう。】

 

読んでいただければどこがカチンときたかが推測できます。

 

ただ、こうしたものが全て発禁図書となるかというとそうでもない。

 要領がいい人間とその検閲官により、発禁対象を免れている事も多くある。谷口雅春先生がどこかの本に其の事を書いておられたことを記憶する。

また、鄭然圭氏は朝鮮出身で『皇道理論集』の著作を著しているが、これでよくも発禁にならなかったものだと感心するのが

 

「皆様の考へてゐる神様観念の大半は理想神の想像神であるが、そんな神様が果して日本にゐるだらうか。皆様も知つてゐる通り日本の歴史は高天原よりはじまるのであるが、高天原の神々は皆その昔実際に高天原に住んでゐらせられた方々であらせられて、人間であつて想像上の神ではない」

「私の説いてゐる皇道思想はこうした検閲官諸賢の親切な指導の賜りものであつて、斯くも熱心に導いて育てゝくれた諸賢のことを私は今でも決して忘れてはゐない。検閲官といへば世間からは往々にして誤解されやすい役目であるにもかゝはらず、こうした隠れた美談もある。感謝せずにゐられるだらうか。

 

 

「世に鬼ばかりはゐなかつた。私を最もよく知つてゐる警視庁が――検閲課並に内鮮課の諸賢がよく信用してくれて、或は陰に或は陽に私をかばふてくれたことを私はどうして感謝せずにゐられよう。殊に私が困つてゐる時に色々と助けてくれ、よく助言してくれた。又内務省の検閲官諸賢にあつては、短気な私と満面朱を注いで論じあつたことは決して一再ではなかつた。」

 

これは検閲官に感謝の言葉がある。

 

正直に書いている。生長の家等は事前に検閲官から聞いて、事前に承認が得られぬ箇所は削除しているのも頷ける。

 よく、戦前の悪とか禁書がどうだこうだと云う人がいるが、そんな激しい警保局もいたが、多くは優しい人が多かったことも事実である。

 

また、前回は記入していないが、発禁図書には

『神經の新醫學』の服部仁郎氏の著も発禁図書となっている。(禁安5839號、昭和14.9.14禁止年月日 特500-514

しかし、この書は「天之御中主神」は関係ない、勿論『古事記』『日本書紀』も関係ない。奇蹟的な治癒が世の中を惑わすということが理由である。生長の家ではこうした「奇蹟的な体験」が当時の警保局に睨まれた由縁でもある。

 

以前に生長の家の発禁図書をそれぞれ分類的にどれが発禁処分された言葉かを分析した。

戦前の「発禁図書」と生長の家 201611

安寧不問-戦前の内務省の検閲 20175

戦前における内務省の検閲   20182

などを是非とも読んでいただき、参照して欲しい。

 

結論

①以前に比較しながら記入した「奇蹟的な治癒體驗」の発禁処分の理由

菊判装6

頭注版

1718

禁書の理由(『運動の状況』の文章)から個人的に推察してみます。

81

349行~3511

生長の家は無薬無病の思想は医療妨害的布教言動

92

50

巽忠蔵氏の胃腸病の治癒は『社会運動の状況』昭和13年に記載あり。

宮崎県

光明思想普及会取締役   巽 忠蔵

112日夜宮崎市に於ける講演会(聴衆約150名)に於いて「勝たずば生きて還らじと」と云う軍歌があり今や多くの兵士が死んで来ますと云って出征して

居るが之は間違って居る「自分は『必勝生還』と言う事

が本当であると思う」と講演す。

133

P113

胃下垂の治療における方法

164

P158159

6年間の瘤が神想観にて治癒

279

18巻 P105

医療を尽くしても治らなかった小水が神想観で治癒

391

24P145

不治と言われる糖尿病も治る。

431

掲載なし

内容が変更のため、戦前黒布表紙版14巻から

文部省当局方面でも次第に教育に宗教を以て賦活しなければ本当の教育が出来ない。文部省に意見をのべたからだと思います。

 

②日本的なる言葉の発禁対象

『生命の實相』信の巻は

蓮華王座の章の四「大生長の家」に就いての神示か、五 久遠日本の發見が発禁の対象となった。

また、一部では発禁対象図書になりながら、次に「廉価版」など発禁対象文章が記入されていても、その処分を免れたこともありますので、一概にこの言葉が発禁対象となったとは言いづらい所もあります。

 

つまり「天之御中主神」だから発禁対象になったとかを決めつけるのはよくない。最初に記入したように検閲官により赦していただいたり、事前協議して免れたりしています。そうした歴史を把握してから「言葉を発する」ことが大切であります。

 

これも発禁処分を受けたと一部のインタ-ネットで記入されているのが、『谷口雅春選集』  潮文閣     精神文化全集 第12巻(天皇信仰等記載)。です。

1941102日、『谷口雅春選集』(潮文閣)は奸臣により安寧秩序紊乱により発禁処分となった。理由は「神、仏、基その他万教尽く天皇より発し天皇を万教の大教主とするなど皇室に対し不敬」(「出版警察報」)であった。※ウィキペディアから抜粋】

 

この『出版警察法』というのは40巻になるものでありますが、なかなか図書館でもみれないものなんです。探索はしますので分かり次第このブログで発表したいと思っています。

 

戦後間もない頃の聖經『甘露の法雨』

戦後間もない頃の聖經『甘露の法雨』は縦12.7mm、横9.1mmの更紙で紙の配給制度とはいえ思わず、拝みたくなるような聖經『甘露の法雨』である。

この一年後の聖經『甘露の法雨』は学ぶ会で拝見させていただいたが、昭和21年度のものはまだ見たことが無かった。

今回、国会図書館でデジタル版を拝見したが、さらにその何とも言えない思いが沸き上がった。

『生長の家五拾年史』では

聖經『甘露の法雨』も昭和219月に一部五円で頒布されることになった。

 

と記入がある。
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上図2点は昭和22年7月20日発行のもの
P1190982
上図は昭和21年7月5日発行のものです。
内容はほぼ同じです。頁数が違います。

『霊感と奇蹟の話』橋本徹馬

 あの紫雲荘の橋本徹馬氏が書いています。『霊感と奇蹟の話』に谷口雅春先生のことが記入されています。

谷口雅春先生が悟りを開くまでの行程が記入されています。

 

「生長の家の谷口雅春氏ほど、むつかしい真理悟りの道-を分かりやすく説く人は古人にも類例を見ない。これは確かりと悟りの道が分かっていて、そのうえに文筆の達者でなければ、出来ることではない。

 その意味において谷口氏は古今独歩の人物である。特に私が読んで感じたには、谷口氏の『大道無門』(無門関解釋)という禅宗無門関四十八則を講義した書物である。この頃の禅僧の中にも、よく無門関の講義をする人があるが、その人々のどの講義も、禅僧ならざる谷口氏の講義に及ぶものはない。全く段違いである。

 さて谷口氏の数々の霊感のうち、最も御自身にも印象深いのは、生命の實相第十巻『神示を受くる迄』にある左の場合だといわれるから、それをここに揚げたい。

どうして左翼的な思想になるのか

倉田百三という人に関して私のように古くからその名前を知っている人や『生命の實相』などを読まれている人は無論良く知っている人です。『生命の實相』第39巻(頭注版)には第三章には「寂光をさらに超えて」での往復書簡というのがあります。

私のブログでは今年の51日に記入しています。

それに関してですが『生命の教育』昭和109月号の「左翼思想轉向の教育」では(現代仮名遣い)

【皆さん御承知の倉田百三という方が十数年前に『生活者』という月刊雑誌を出しておられたことがありました。仲々真面目な、精神的な求道的な雑誌でありまして、私も当時。倉田さんに頼まれて幾度か執筆したことがありました。

その頃、『生活者』の編輯者のグル-プに山口悌治という人がいた。その人はあとで聞くと、当時私の原稿の校正をしてくれられたのだそうであります。倉田さんの目的とするところは、真実に道を求める人達の生活記録と思想とかをしたためた原稿を発表するための純求道的な雑誌にしたいということにあったのでありますが、発行の年月を二年、三年と重ねていくに従って、その投稿執筆者の思想的流れが変わって来た。思想の主流が何時の間にか唯物的な左翼思想に片偏って来たのでありました。

それは主宰者である倉田さん自身の思想が変って来たのではない。先にもうしましたように、この雑誌は真面目な、如何にしてこの社会を、この人生を住みよい、価値ある良き世界にしようかということを真剣に考える若き思想家の連中が多く寄稿していた。

ところが、唯物論でありながら「人間の本当に生くる道」を求める人達は大方左翼理論に傾いて来ざるを得ない。それで、若き真摯な人達の書いた好い原稿を探して行くと、結局そうした種類の人達の書いた原稿を選ぶということになって了う。

その執筆者のなかに、大塚金之助などと云う後年の左翼思想家の錚々たる人もいました。中には橘孝三郎と云うような右翼の人達もいましたが、結局その人達のかいた原稿を集めて雑誌を編集し、発行を重ねて行く中に段々と雑誌全体の寄稿が内から悟りを成就するよりも、外から社会革命を成就せんとする思想のものが大部分を占めるように変わって来て了ったのでありました。此処に於て倉田百三さんは、自分の意図せる内からの悟りを求める求道的な雑誌にしたいと云う希望と、余りにもかけ離れたというので、当時、『生活者』は、その名も次第に世間に知られ、読者も相当殖えて、雑誌の経営も楽になっていたのでありましたが、倉田さんは断固として『生活者』の発行を中止して了われたのであります。

当時『生活者』の編輯に居られた山口悌治さんも、その頃から思想が左翼に傾いて、以後ずっと最近迄唯物思想を固持しておられたのでありましたが、その山口さんが近頃になって『生長の家』を知り、その思想に触れられるや、忽ち長年抱いておったところの唯物的な気持ちがクラッと一変して了われたのであります。】

 

よくあれだけ生長の家に熱心な人が左翼的な思想に染まるかというと「目に見えるもの」が本物だと勘違いするのであります。例えば「環境」でもそうです。

雅春先生は「環境は心の影」と申されておられていますがその影、所謂唯物的な思想を追ってしまっているのです。反対にそのほうが肉体的には良く見えるし、その方が受け入れやすいのです。

政治が悪いといえば「安倍首相」が悪いから、なんだという簡潔な思想の方が気持ちというのが楽なんです。難題を他人任せにしてそれを批判すればいいと思っている。

最近の生長の家総裁も次第にそうした「唯物的な思想」にかぶれてしまっているのも、『生命の實相』の根本真理を忘れてしまい、さらに誌友会では『生命の實相』を読むなというとんでもない思想、つまり左翼的思想に流れていってしまうのです。そうなると当然の結末として『奇蹟的な体験』も生まれなくなるのも当然であります。現在では次第に谷口雅春先生の名前もどういうお方であるかも教えられないから、「生長の家」そのものの根本真理がなおざりになるから、わからないのであります。

先日、飛田給の職員に生長の家の歴史を少し触れたのですが、全くキョトンとして何を云っているのかわからないのであります。私の云っていることが真実かどうかもわからないで唯聞いているだけなのであります。

 

やはり、生長の家の職員にしてもしかりであります。

「時代が古い」とか「今の教え」とかでは本当の真理はわからないのであります。本当の真理を知るには、環境も外界も、その唯物的思想を『生命の實相』という理論で、吾々の環境も一切は「自分の心のまま」にどうにでもなる世界がある。我が思う心が貧乏であろうと、皆心の持ち方ひとつで思うままになる世界が「生長の家」なのであります。その気持ちを「すべて自分の心の影」だと知る事が本来の「転向」なのであります。

 

だから、現教団の総裁がといくら叫んでも、理屈や理論ではなかなか適わないところがあるのです。現象の総裁をみても転向するわけがない、それは唯物的な理論構築では「嘘」でも本当に真実が見えてこない。だから、そういう現教団の「生長の家」を離れるのか、そうした唯物的な「お経」というような偽經を破棄して、そういう右腦で考えた「神様」のいない思想から出来る限り遠ざけるのが必要なのであります。だから『大自然讃歌』『観世音菩薩讃歌』というと一見耳障りがいいが、親孝行が出来ない人が書いた偽經ですからいつかは「皮が剥がれて」いくのであります。

「生命学園」の大切さ

私のように母が熱心な生長の家信徒でも私の兄弟の全員は生長の家信徒ではない。また、昔青年会で活動して第一線で活躍していた人が現在も活動しているかといえば、殆どは一般生活を送っている。活動も何もしていないのが現状である。

昔、家庭訪問していた時に感じたのは熱心な白鳩会の人の子供は活動に関してはほとんどしていないのが実情であった。極稀にしているところもあったが、1割未満である。

何故、子供が活動しないのかは、白鳩会会長を就任されていた人々に家庭訪問すればすぐにわかる。それは必ず「自己防衛」をするのです。それは「利己主義」というのか「個人主義」というのか、保身の爲に必ず言い訳をするわけなんです。

例えば、自分の子供には青年会で家庭訪問をしたときには、多くは青年会の人には合わせないようにする。

「うちの子供は忙しくてそれどころじゃない」

「ちょっと、今は忙しくて手が離せない」

「子供の自慢話で終始する」

 

何か私達が暇人で余計なお世話をしているような感じさえある。

当時から「生長の家」はこのままでは伸びないことは実感として感じていました。

 

しかし、校長先生の息子や娘ほど、教育が却って難しく、グレることが多いのも何となくわかる。それならば、どうするのかである。

 

 やはり、最終的には「生長の家」の根本心理を伝える努力をすることが必要なのと、日本的なる「歴史の連続性」を教えることが必要となってきます。そのまま「自由」にさせるのも活動しない方が多い。それを感じているのが生長の家の生命学園での教えというのが必要になってきます。子供の頃から、日本的なるものを教える必要性は私が「ジュニア友の会」育成をした子供たちの今は大人になっても、そうした「生長の家」の運動を忘れないで活動しています。それは私がジュニア友の会の大阪の育成部長で現在もそれなりに活動している人は6人います。

 

 一般の男性の人と結婚しても、長く教えを説いてくれています。私はそういう必要性をどうしても感じてしまうのですが、「生学連」の議長をしていても、社会人になって活動しているかどうかとなると、不明な所もあります。

 だからこそ、「生命学園」というのを作って、基礎的な日本のあり方や天皇陛下の素晴らしさを言葉じゃない、カラダで體得してほしい。

『新時代』の谷口雅春 高橋新太郎-③

最後にこの『新時代』大正13年10月号「若きものの成長のために」

は『生長の家五拾年史』にも記載されていますので、詳しい内容になりますので是非読んで下さい。【『生長の家五拾年史』194195頁】

 

谷口先生にとって、心霊研究は、「衆生に生命の永遠を知らせる衆生救済の大願の一つ」であったから、その仕事は奉仕であった。震災によって心霊科学研究会も大きな痛手を受けてゐた事情もあり先生にとって奉仕は当然のことであったが、夫妻と幼児の生活費を負担する養父母にとっては、それは納得のゆくところではなかった。

 

養父母にしてみれば自分たちに迷惑をかけながら会の仕事に奉仕するといった息子の生き方ほど不合理なものはなかった。ここに谷口先生と養父母との間に新たな葛藤が起ってきたのである。この経済問題は、まもなく研究会から報酬が出されることによって―実は今井楳軒翁からの援助なのであるが、一応の解決を見ることが出来た。

 しかし、実は決してそれで終りを告げたのではなかった。経済問題が解決したことによって却って養父母との間に溝をつくることになったのである。なぜなら、谷口先生が生活費を渡すことによって、養父母には息子から仕事に関して不干渉を言渡されたやうな恰好になったからである。そして経済問題のあと今度は幼児の育児を巡って、養父母と息子夫妻との間に再び問題が起ったのである。

 それは先生の家庭における私的な事情である以上に、当時の日本の伝統的家庭に於ける新旧の世代の葛藤であるとも言へた。谷口先生は、この葛藤を「若きものの成長のために」といふ文章にして雑誌『新時代』(大正十三年十月号)に発表されてゐる。この文章は若きものの成長のためには親と子の夫婦の別居が必要であることが説かれてゐるのであるが、それは、谷口先生自身の体験にもとづく結論からであった。先生はその中で自分の知れる一家庭の出来事として自分の体験をつぎのやうに紹介してゐる。

 

自分の知れる一家庭に於ては若き良人が図書館に於て十数冊の育児書を研究してその一人の子を最善に育てる方針を定めてゐるのにその家の老いたる両親が事毎にその育児の方針を打ちさいて行くのである。彼は機会のある毎に自分の育児の方針について老いたるその親たちに語ることにしてゐたが、それも結局無駄であった。それで彼はいらいらしくなり「育児のことを関係なさるなら。図書館へ往って十冊の育児書でも読んでからになさい」と鋭く言ったのが争ひの端になり、親父は「それなら自分の眼の触れぬ所に嬰ん坊を置け。此の家を出て行け!」と怒鳴りつける。彼は関東大震災でその職業をも焼いて了って巳むを得ず故郷の老父毋のもとに身を寄せてゐた時であったので別居の能力を持ってゐなかったのである。自分は此の光景を目撃して此の子煩悩の焼け出されの若夫妻の境遇を気の毒に思ふと共に、老いたる舅姑の教化への如きは到底不能事であることを知らしめられた。そして斯かる場合に若き夫妻は早く実力を養ひて舅姑と別居するほかに善き方法の全然ないことを自分は感ぜしめられたのである》

『新時代』の谷口雅春 高橋新太郎-②

『新時代』の谷口雅春

新時代
2巻第3 佐藤元郎 佐藤元郎 新時代社 大正731 

新時代 2巻第9 佐藤元郎 佐藤元郎 新時代社 大正791 

新時代 4巻第9 鳥谷部陽太郎 鳥谷部陽太郎 三土社 大正13925 

 新時代 5巻第3 鳥谷部陽太郎 鳥谷部陽太郎 三土社 大正1431 

 新時代 5巻第4 鳥谷部陽太郎 鳥谷部陽太郎 三土社 大正1441 

 新時代 5巻第5 鳥谷部陽太郎 鳥谷部陽太郎 三土社 大正1451 

 新時代 5巻第6 鳥谷部陽太郎 鳥谷部陽太郎 三土社 大正1461 

 新時代 5巻第7 鳥谷部陽太郎 鳥谷部陽太郎 三土社 大正1471 

 新時代 5巻第8 鳥谷部陽太郎 鳥谷部陽太郎 三土社 大正1481

 

大正139月以降は編集者や発行所が変更となっている。国会図書館での調査では大正1361日号までは新時代社の発行である。それ以降は不明と記載されている。

私の調べた結果は大正139月以降は三土社発行となっています。

昭和18年に『新時代』の雑誌は新時代社となっています。

 

それでは以前にも記載していますが雅春先生の御寄稿はというと

『新時代』綜合雑誌 主幹・杉中種吉、三土社 鳥谷部陽太郎編集・発行

大正13

10

若きものの成長のために

12

愛の二つの相

大正14

1

(訳)GRADIVA

2

(訳)GRADIVA (歩みぶりの見事な女)

3

(訳)GRADIVA

4

(訳)GRADIVA

5

(訳)GRADIVA

6

(訳)GRADIVA

7

(訳)GRADIVA

8

恋愛について(運命に従順といふこと)

9

善き人間の資格について

10

自己を生かすこと、恋愛に生きること

大正15

1

大正畸人伝を読んで

智慧について

3

人類の偉大なる成長を希うて

4

野の百合の生きる道

5

無限生命を開発する道

6

(広告)『信仰革命』

摂理に対する信頼-晩年のトルストイについて

8

自在身への思慕

10

“新思想”式生活法(1

11

“新思想”式生活法(2

12

“新思想”式生活法(3

昭和2

1

お互ひに讃める生活

3

失業対策根本案

5

雰囲気の浄め方

6

純心生活法-吾が動的精神統一法

7

欲する事物を支配する道

8

Hornibrook氏の強健術(1

9

Hornibrook氏の強健術(2

10

Hornibrook氏の強健術(3

11

Hornibrook氏の強健術(4

12

Hornibrook氏の強健術(5

昭和3

3

人類に呼びかける言葉

 

『生長の家五拾年史』の制作では青森県五戸町でこの『新時代』という雑誌を全巻所有されている人がおられたため、この雑誌を必要箇所だけコピ-させていただいたと聞いています。

「野の百合の生きる道」は皆様も御存知の通り最初の掲載はこの『新時代』という雑誌であった。

 

『新時代』の谷口雅春 高橋新太郎-①

以前に「鳥谷部狐嶺と谷口雅春先生」ということで下記(最下段)にように掲載させていただきました。

この鳥谷部陽太郎という人物は概略がわかりにくい部分もありますが、兄弟愛運動の提唱などで雅春先生と呼応して、この『新時代』という雑誌の御寄稿となったのであります。

さて、その『新時代』の雑誌の御投稿について学習院女子短期大学教授の高橋新太郎氏は(集書日誌から抜粋)

 

《谷口雅春がこの雑誌の定連として寄稿していることで、若夫婦と老夫婦の別居を懇慂する「若きもの、成長のために」では、 〈例えば自分は労資問題については資本家側の自発的なる反省を希はずにはゐられないが、しかも到底資本家側の自発的なる反省を求むることが出来ないことが明かなる時、労働者たちが力をもって資本家たちに対峙することの已むを得ないことを許さなければならない如く、此の舅姑対嫁の問題に於ても、自分は嫁の側に於て力をもって舅姑に対すべき必要あることを是認しなければならないのである。それは望むべきことではないがまた已む得ない。〉 と説く。

 若き者、即ち児童を思慮深く教育しようとするためには、頑陋な舅姑と戦うこともやむなしとするのである。「浄化し得る家庭と浄化し難き家庭」には 〈かく彼等〉が、他よりの悪化を拒んでゐる場合に、若し吾等が彼等を感化するならばそれは強制催眠術の一種である。それは相手の人格の独立を冒すものである。それは相手の人格の自由を侵すものである。

 病人と雖も、かれが一箇の人格である以上はかれが自己の自由意志によって癒されるゝことを欲しない場合は、吾等はかれに強ひて投薬する権利は許されてゐないのである〉 との言もある。

 先の十月号には『聖杯』(神を審判く・三部作第一部)の新刊広告があり、翌年四月号には、この小説の改題再版『神の牙城に迫る』と『神靈現象と宗教思想』の新刊広告があり、そこでは一燈園が生んだ前後二名の偉大なる作家として、倉田百三と並称されている。

 下記に以前の書いた『生活者』の谷口雅春先生の御寄稿が掲載されていますので、大正何年の何月号とわかると思います。

新時代

 

鳥谷部孤嶺と谷口雅春先生

 

鳥谷部孤嶺というとわからない人がほとんどであろう。

本名は鳥谷部陽太郎氏。

谷口雅春先生が御寄稿なされた『新時代』誌の雑誌の主宰の1人です。

 

本名は陽太郎。明治27年2月5日三戸郡五戸町に生まれた。江渡狄嶺は従兄。43年高等小学校を卒え青森師範学校に入る。新聞への投稿が曲解され、44年放校処分となり、狄嶺の百姓愛道場を頼って上京。45年明治学院に編入学。大正2年青森の歌誌「東北」で和田山蘭が若山牧水と呼応、破調歌を唱えると、「第一声」12首を発表する一方、復活「創作」にも多くの破調歌の佳作を投稿した。八戸の「乳香」にも類似作がある。牧水歌集『みなかみ』、当時の「創作」はこうして歌壇の反響を呼び、自然主義末期の口語自由詩と共生した有利な状況もあって、賛同者もあったが、牧水自身応募作の多さに辟易、制限したので、短唱・新長歌など名称も定まらぬ中に誌上から姿を消した。非定型には、生活・社会をめざし自由律・口語化する道と、定型を意識しつつ表現効果を狙っての変形との二方向があるとすれば、牧水の場合は後者で、孤嶺の場合は当時の破調歌の性格、後年の出版人としての態度からすると、前者に傾くと言える。

 

  3年「Romazi」編集者となって、ローマ字による「おりおりの歌」を発表、諸歌人の作を載せ、7年「現代短歌」に「バラライカ」12首の力作を投稿、9年創刊した「兄弟通信」にも短歌を掲載、13年その後継誌「新時代」でも短歌欄を設け「新興歌人」主宰松本昌夫と協力する。昌夫は西村陽吉の「芸術と自由」に参加した生活派歌人である。孤嶺の三土社からは昭和3年昌夫の編した『昭和日本歌選』(口語歌・文語歌歌集)を出版、労働詩人の三谷敬六歌集『どん底より来る』、林久一の歌集『労働者のノートより』なども出版した。大正8年創刊した「創作」系の歌誌「黎明」には詩・評論のみを送り「僕は歌人ではない」と宣言したが、元歌人の自負を見せている。

 

 

  社会活動として兄弟愛運動、評論では時事問題・国語国字問題などに多彩に活躍するとともに「現代語新短歌の建設」が「新時代」の大きな目標であった。昭和21年4月29日病没。法名宗賢院諦岳良進居士

ここに記載ある西村陽吉は後の生長の家信徒であり、三省堂の重役です。著書に『新天新地』

 

ここにある『新時代』という雑誌は国会図書館におけるレファレンスでの問い合わせにおいて問い合わせした結果が下記です。

 

雑誌『新時代』新時代社, 1917- の廃刊時期を知りたい。201387

 

『国会図書館における調査報告』

 

《雑誌『新時代』の廃刊時期について、明確に記載されたものは見当たりませんでしたが、資料1に関連する記述がありました。

 

 また、『新時代』の広告(資料2,3)や、『新時代』掲載の文芸作品についての批評記事(資料4)を調査したところ、いずれも第46号(大正96月)が最後のもので、それ以降のものは見当たりませんでした。

 

 ただし、『新時代』第46(資料5)に休廃刊の告知はなく、次号記事の予告が記載されています。》

この『新時代』誌は発行所が変更している。それがわかるのが下記です。

 

資料には高橋新太郎文庫というのがあり、そのなかに貴重な資料が掲載されている。

 

『生命の實相』書店賣版 『百事如意』

『生命の實相』書店賣版ですが、何篇や何冊という標記がないものです。装丁などは『生命の實相』書店賣版と同様
P1190965
P1190964
P1190966
P1190967
P1190968
P1190963
上記は単行書店版として記入されています。

百事如意「無限供給の神示」昭和11421

目次

無限供給の神示/1-2

一章 百事如意の原理/3-33

第二章 無限供給を受くる道/34-84

第三章 ヘンリー・フオードの致富法/85-212

心の不思議な力/87

フオードの成功の裏には此の力がある/88

幸福の天使のやうな靈的元素體/88

此の幸福の天使は何處にゐる/89

幸福の天使を招ぶ法/90

フオードの前生觀/91

スウエーデンボルグの實例/92

唯一の吾等の協力者/93

自己と外界とを繋ぐ靈智的小生命體/94

雰圍氣の正體/96

持續的に希望の事物に專念することが必要/97

光明思念と暗黑思想/98

惡とは創造途上の善/99

忙中閑あり、遊ぶ時には大いに遊べ/101

私の敎育は實物敎育だ/103

現代に機會ありや/108

手と頭との結合/110

勇氣と信仰/112

内なる價値を磨き出せ/119

健康に就ての研究/129

思想は何處より來るか/136

靈的囁きに傾聽せよ/139

新敎育の樣式に就て/143

繁榮への道/151

フオードの健康法/154

喫煙の可否/173

フオードの宗敎/176

日曜休日の問題/183

停年解雇の問題/186

節約と自己投資の區別/193

常に積極的精神を把握せよ/206

第四章 百事如意を助ける感謝の心/213-228

第五章 體驗者の語る百事如意の實例/229-255

一 店員の不正を發見し、百事意の如し/229

二 無限供給の寶庫を開く/233

三 委せ切りの心で火難を逃る/236

四 家庭光明化し、滿員の特急も席を空ける/239

五 習はぬ所がスラ[スラ]と出來る/245

六 母親の叱言癖治り、子供が素直になる/248

第六章 小兒病の解決は親の心にある/256-286

一 瀕死の重患から救はれ惡癖自ら一掃さる/256

二 愛兒の腦膜炎癒ゆ/262

三 審査員を驚かした神業の兒童發明品/266

四 成績のよくなつた體驗/269

五 『甘露の法雨』の功德/272

六 子供にも神が顯はれたまふ/274

七 二兒の肺炎と腎臟病治る/277

八 弱兒、神の子の實相を顯す/282

 

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