則天去私

「谷口雅春」先生の生涯も綴っていきます。

2018年03月

讀んで戴ければ幸甚です。

雑感

私は自分のブログ以外では宣伝したりしないようにしております。

また、私のブログで掲載した内容は他のブログでは少し変えては他の掲示板に掲載するようにしています。

 

ただ、勝手に掲載されるのも致し方がないので暗黙の了解をしています。だが以前に「山ちゃんからの伝言」というように掲載されたのにはアングリでした。

別に依頼したわけでもない。伝言などはしていない。面白がって掲載するのであろうが、常識で捉えてみてもいただけない。

 

だが、以前に掲載した「田中静壹大将と『甘露の法雨』」などは今でも読んで頂けるので嬉しいと思っております。ときおり私の書いたものが掲載されておりますが、もしよかったら私のブログにもコメントを戴ければ幸甚です。

『谷口雅春著作集』第二篇 戦前版

P1190763P1190765
P1190764

 

『生命の烈風(いのちのはやて)』 (谷口雅春著作集第二篇)

はしがき/1-5 谷口雅春

『生命の烈風』目次及び索引

第一篇 智慧の言葉/1

第一章 天使の言葉/3

第二章 智慧の言葉/21

第二篇 燃えさかる聖靈の火/72

第一章 烈しき聖靈の焔/75

人間は神の子/75

無限能力の發現法/75

手のひら療治/77

生氣術/79

たなすゑの道/80

すめろぎの道/80

話だけでリウマチス治る/81

全ての民間療法を漁る/83

賃家探し/84

重症喘息癒ゆ/86

手のひら療治に活が入る/81

手のひらの効く効かぬの原因/90

人に宿る治す聖靈/91

言葉の力で一日廿五杯の飯が食へる/94

過食健康法/95

少食健康法/97

すべての健康法を捨てゝ眞健康を得/98

空手の生活/99

指の不随治る/101

八十三媼の腰が伸びる/102

按手一回リュ-マチス癒ゆ/103

二十年の慢性下痢癒ゆ/107

第二章 聖火盛岡を過ぐ/110

生長の家を讀んで胃癌治る/110,188

危難を脱す/112

動物の本能危険を豫知す/115

心調へる人の生活/116

笑門福來/117

癇癪は病を招く/118

心が治る/119

ポスタ-病気を造る/120

三病院悉く診斷を誤る/121

固定した肘関節が動き出す/122

一言幼児の『夜泣き』を治す/124

第三章 聖火帝都を過ぐ/127

一語よく蕁麻疹を治す/127

慢性の歯痛癒ゆ/128

精神病者を治す/129

欲するもの自然に集る/130

精神病者を抱き寢して治す/133

按手一回、蓄膿症治す/136

神經衰弱と肺病治る/137

指の壓傷治る/138

谷水さんの體驗/138

顔面神經痛を治す/139

心靈現象/140

靈魂離脱現象/141

切斷せるアキレス腱の復活/142

藥よりも手紙で治る/143

努力の再吟味/145

糖尿病治る/147

醫師、藥の服用を拒む/148

水の注射で胃痙攣治る/149

按手一瞬、神経痛治る/150

天空に合唱の聲/151

第四章  聖火北陸を過ぐ/153

按手一回、結核を治す/153

胃臓結核治る/156

神經衰弱の自癒後多數病者を救ふ/155

愛深き冷淡/152

即座に激痛去り歩いて歸る/160

脳溢血で半身不随の患者を癒す/161

聖典を應用し脳溢血を治す/164

念の感應にて敎祖を招く/166

一觸、小兒の痙攣止む/175

第五章  「ねばならぬ」を解放する宗敎/176

生長の家とは何であるか/176,181

宗教本来の使命/177

『救ふ』と云ふ本當の意味/178

解脱/178,184

各宗門は家に入る通路/178,187

天理敎と眞宗を和解させる/182

天理敎の『心定め』の眞義/183

家庭苦は病気の因/187

胃癌の原因/188

胃癌の治る心の持方/191

徹夜勉強して却って肥ゆ/194

良人が聖典を讀んで妻が治る/196

生長の家の洋服部/199

我を出せば失敗/200

肉體も環境も我が心の影/203

老眼が治る/206

大量生産時代と節約/210

生長の家の神經思想/211

喘息を征服した話/214

醫療を廃して肋膜炎を治す/216

常習頭痛全治す/217

善にも心が引掛かれば惡となる/218

現象を見ずに實相を見る/220

行雲流水の心/221

一讀痔疾治る/223

白髪が黑變す/224

第六章  宗教を生活に生きる生長の家/227

夫婦の精神葛藤から起る病氣/227

何を食ひ何を飲まんと思ひ煩ふ勿れ/231

阿字観に新境地を得/234

キリストの教へ全部が生きる/236

佛教が生活に活きる/236

聖典一讀近眼が治る/237

曹洞宗が生活に生きる/240

南無阿弥陀佛の眞髄が解る/241

即身成佛/244

金光敎が生活に生きる/246

肋骨カリエス治る/248

視力恢復す/251

體重増加す/252

毛髪黑變す/252

反駁に答へる/254

神懸りの筆/258

實相を觀て挫骨を癒す/261

實相と念と現象との關係/265

物質無の話/266

人間の正しい食物/268

節約は却って奪ふ/271

金を使ふ修行/272

第七章       宗教上の『罪の赦し』に就いて/276

わが實相の中にに全ては在る/276

祈りの功德/277

に成る天國/278

神想觀の極意/278

法蔵菩薩はに成佛した/280

十字架でに罪は消えた/280

信心とは拜み倒すことではない/282

神はに至愛/282

神はに全智/282

神はに無限の善/283

實相十全の惠みを見よ/286

神と人間とを疎隔する信仰/290

罪を消す道/291

『罪の赦し』の本當の意義/294

本來罪なし/297

イエスの治療法/297

五感的陶酔と宗教的法悦を混同すな/298

實相を顯現する祈り/299

かなへられぬ祈り/301

罪を罰すると云ふ意味/302

守護神/310

家庭爭議の解決/312

主の祈りの解釋/312

無限生命の源泉を汲む道/316

第八章 心に従って展開する地上天國/319

危険を脱す/319

實相無礙の態の展開/320

二男を就職せしむ/321

夫婦の執着/322

念の具象化/324

心に從って家相變る/325

心で經濟問題が解決する/326

家賃をくれる/329

地代をくれる/329

心に従って賣掛金集まる/331

自立する生命の悟り/333

不幸と見える事が幸福の先驅/336

神想觀で入學試驗に成功す/338

店員まで變る/340

歌の會に高點/343

第十章 無限能力をひらく道/345

に救われてゐる/347

表の説き方、裏の説き方/351

自分は惡い、自分は無い/352

神經衰弱を治した經驗談/355

鋼の心になるな柳の心になれよ/357

神は求むるものよりも一層善き物を與へ給ふ/359

心に從って如意自在の世界/363

息子を就職さす/366

坐ながらにして物事成就す/367

各内臓を部分品扱ひにして失敗す/370

重症神經痛を治した話/373

佛心がないから病む/374

半身不随を治す/377

胸の病ひを治す/380

中耳炎を叱って治す/382

言葉の注射/383

母の實相を見る/388

借家探し/390

つひに義母の實相を見る/394

第十章  生長の家の奇蹟に就いて/395

信徒行傳と一對の奇蹟/395

上海戰亂中の奇蹟/400

靈感にて暗中に浮標を指す/401

狙撃しても當当らぬ/402

聖典讀誦、慢性胃腸病治る/402

實相の顯現頻々/403

心の夜明けて/405

敎祖を迎へて/406

聽講後神示を聽きて/407

心無礙を得て/412

再び神示をきゝて/413

京都の講演を聽きて/416

惡靈の祟りを去る/416

生長の家大神の神德/418

幼兒が寢るようになる/421

どこにゐても幸福となる/422.

盛岡の講演を聽きて/424

神想觀の體驗/428

神想觀修行中觀世音を拜す/430

遠隔治療の効果/431

更生の一路へ/433

第一回熊本誌友會/436

熊本支部にて救はる/439

法華經を語るを讀む/441

病苦七年痕跡を止めず/442

家庭全て救はる/444

醫藥を廢し體重二貫目を増す/446

聖典に救はる/447

二十一年間の悩みを脱す/449

一躍大覺者となる/450

ブラジルの便り/451

性格の明るさを増す/453

不思議な體驗/454

三年病臥の身、今は十六時間勤務に服す/454

貴説に一々共鳴/456

 

P1190760
P1190762
P1190761


いのちのはやて : 生命と光明の書  (谷口雅春著作集第二篇)

はしがき/1-5

『いのちのはやて』目次

序詩 天使の言葉/1

聖靈篇 燃えさかる聖靈の火/21

第一章 烈しき聖靈の焔/23

人間は神の子/23

無限能力の發現法/23

手のひら療治/25

生氣術/27

たなすゑの道/28

すめろぎの道/28

肺炎三日で治る/29

話だけでリウマチス治る/29

全ての民間療法を漁る/31

賃家探し/32

重症喘息癒ゆ/34

手のひら療治に活が入る/35

手のひらの効く効かぬの原因/38

人に宿る治す聖靈/39

言葉の力で一日廿五杯の飯が食へる/42

過食健康法/42

少食健康法/43

すべての健康法を捨てゝ眞健康を得/46

空手の生活/47

指の不随治る/49

八十三媼の腰が伸びる/50

按手一回リュ-マチス癒ゆ/51

第二章 聖火盛岡を過ぐ/58

生長の家を讀んで胃癌治る/58

危難を脱す/60

動物の本能危険を豫知す/63

心調へる人の生活/64

笑門福來/65

癇癪は病を招く/65

心が治る/67

ポスタ-病気を造る/68

三病院悉く診斷を誤る/69

固定した肘関節が動き出す/70

一言幼児の『夜泣き』を治す/72

第三章 聖火帝都を過ぐ/75

一語よく蕁麻疹を治す/75

慢性の歯痛癒ゆ/75

精神病者を治す/77

欲するもの自然に集る/78

精神病者を抱き寢して治す/81

按手一回、蓄膿症治す/84

神經衰弱と肺病治る/85

指の壓傷治る/86

谷水さんの體驗/86

顔面神經痛を治す/87

心靈現象/88

靈魂離脱現象/89

切斷せるアキレス腱の復活/90

藥よりも手紙で治る/91

努力の再吟味/92

糖尿病治る/95

醫師、藥の服用を拒む/96

水の注射で胃痙攣治る/97

按手一瞬、神経痛治る/98

天空に合唱の聲/99

第四章 聖火北陸を過ぐ/101

按手一回、結核を治す/101

胃臓結核治る/103

神經衰弱の自癒後多數病者を救ふ/104

愛深き冷淡/106

座に激痛去り歩いて歸る/108

脳溢血で半身不随の患者を癒す/109

聖典を應用し脳溢血を治す/112

念の感應にて敎祖を招く/114

一觸視力を回復す/121

一觸、小兒の痙攣止む/122

聖典讀誦の功德/123

第五章 『ねばならぬ』を解放する宗敎/124

生長の家とは何であるか/124

宗敎本來の使命/125

『救ふ』と云ふ本當の意味/126

解脱/126

各宗門は家に入る通路/127

天理敎と眞宗を和解させる/130

天理敎の『心定め』の眞義/131

家庭苦は病気の因/135

胃癌の原因/136

胃癌の治る心の持方/139

徹夜勉強して却って肥ゆ/142

良人が聖典を讀んで妻が治る/146

生長の家の洋服部/147

我を出せば失敗/148

肉體も環境も我が心の影/153

老眼が治る/154

大量生産時代と節約/158

生長の家の神經思想/159

第六章 聖火京都を過ぐ/161

喘息を征服した話/162

醫療を廃して肋膜炎を治す/164

常習頭痛全治す/165

善にも心が引掛かれば惡となる/166

現象を見ずに實相を見る/168

行雲流水の心/169

一讀痔疾治る/171

白髪が黑變す/172

第七章 宗教を生活に生きる生長の家/174

夫婦の精神葛藤から起る病氣/175

何を食ひ何を飲まんと思ひ煩ふ勿れ/179

阿字観に新境地を得/182

有島武郎に生長の家を知らしめたい/182

キリストの教へ全部が活きる/184

佛教が生活に活きる/184

聖典一讀近眼が治る/185

曹洞宗が生活に生きる/188

南無阿弥陀佛の眞髄が解る/189

身成佛/192

金光敎が生活に生きる/194

肋骨カリエス治る/196

視力恢復す/199

體重増加す/200

毛髪黑變す/200

反駁に答へる/202

神懸りの筆/206

實相を觀て挫骨を癒す/209

實相と念と現象との關係/213

物質無の話/214

人間の正しい食物/216

節約は却って奪ふ/219

金を使ふ修行/220

第八章       宗教上の『罪の赦し』に就いて/224

わが實相の中にに全ては在る/224

祈りの功德/225

に成る天國/226

神想觀の極意/227

法蔵菩薩はに成佛した/228

十字架でに罪は消えた/228

信心とは拜み倒すことではない/230

神はに至愛/230

神はに全智/230

神はに無限の善/231

實相十全の惠みを見よ/234

神と人間とを疎隔する信仰/238

罪を消す道/239

『罪の赦し』の本當の意義/242

本來罪なし/245

イエスの治療法/245

五官的陶酔と宗教的法悦とを混同すな/246

實相を顯現する祈り/247

かなへられぬ祈り/249

罪を罰すると云ふ意味/250

守護神/258

家庭爭議の解決/260

主の祈りの解釋/262

無限生命の源泉を汲む道/264

第九章 心に従って展開する地上天國/267

危険を脱す/267

實相無礙の態の展開/268

二男を就職せしむ/269

夫婦の執着/270

念の具象化/272

心に從って家相變る/273

心で經濟問題が解決する/274

家賃をくれる/277

地代をくれる/277

心に従って賣掛金集まる/179

自立する生命の悟り/281

不幸と見える事が幸福の先驅/284

神想觀で入學試驗に成功す/286

店員まで變る/288

歌の會に高點/291

第十章 無限能力をひらく道/293

に救われてゐる/295

表の説き方、裏の説き方/299

自分は惡い、自分は無い/300

神經衰弱を治した經驗談/303

鋼の心になるな柳の心になれよ/305

神は求むるものよりも一層善き物を與へ給ふ/307

心に從って如意自在の世界/311

息子を就職さす/314

坐ながらにして物事成就す/316

各内臓を部分品扱ひにして失敗す/318

重症神經痛を治した話/321

佛心がないから病む/322

半身不随を治す/325

胸の病ひを治す/328

中耳炎を叱って治す/330

言葉の注射/331

母の實相を見る/336

借家探し/338

つひに義母の實相を見る/341

實證篇  生長の家の奇蹟に就いて/343

信徒行傳と一對の奇蹟/345

上海戰亂中の奇蹟/350

靈感にて暗中に浮標を指す/351

狙撃しても當当らぬ/352

聖典讀誦、慢性胃腸病治る/352

實相の顯現頻々/353

心の夜明けて/355

敎祖を迎へて/356

聽講後神示を聽きて/357

心無礙を得て/362

再び神示をきゝて/363

京都の講演を聽きて/366

惡靈の祟りを去る/367

生長の家大神の神德/368

幼兒が寢るようになる/371

どこにゐても幸福となる/372

盛岡の講演を聽きて/374

神想觀の體驗/378

神想觀修行中觀世音を拜す/380

遠隔治療の効果/381

更生の一路へ/383

第一回熊本誌友會/386

熊本支部にて救はる/389

法華經を語るを讀む/391

病苦七年痕跡を止めず/392

家庭全て救はる/394

醫藥を廢し體重二貫目を増す/396

聖典に救はる/397

『生命の實相』を讀む/398

二十一年間の悩みを脱す/398

一躍大覺者となる/400

ブラジルの便り/401

性格の明るさを増す/403

不思議な體驗/404

三年病臥の身、今は十六時間勤務に服す/405

貴説に一々共鳴/406

『生命の實相』を讀む/407

『谷口雅春著作集」第一篇 戦前版

これから、戦前の「谷口雅春著作集」の目次を掲載させていただきます。以前に掲載したのと同じですが、新たに『生命の烈風』と『いのちのはやて』を平衡して掲載致します。

以前に『生命の烈風』と『いのちのはやて』は一緒であると掲載していましたが、一部異なります。訂正してお詫び申し上げます。

内容も少し変更しています。本書では目次の頁数で明らかに間違いがありますが、そのまま掲載させていただきました。何カ所かあります。また誤字もそのまま掲載しています。(例えば「生かす」が「活かす」など)

詳細に記載していますので、戦前と戦後の違いもわかります。

 P1190767
P1190768
P1190769

『出生前・生・死・死後の研究』(谷口雅春著作集第一篇)

此の本は「生命の藝術社」と「光明思想普及會」との発行所がある。

 

『出世前・生・死・死後の研究』に序して/3

『出世前・生・死・死後の研究』目次及び索引

第一章 差別心より觀たる靈界の消息/3

靈魂および霊界の研究法/3

靈魂の幻影化の實證の蒐集/3 

靈媒による靈界通信の蒐集/7

靈視能力による靈界探險/4(印版のズレ)

水晶體凝視法(クリスタルゲ-ジング)/8

生命磁気/10,17,23,33

叩音、敲音、拍音(タップ又はラップ)/8

卓子傾斜現象(テ-ブルタ-ニング)/9

無痛刺針現象/13,17

催眠術/12,13,17

暗示感應(事實に反する)/14,179,180

靈魂遊離による千里眼現象/14,18,19-22

純粋透視現象(其の差異)/15

暗示不感應(事實に反する)/18

催眠状態と降靈態との區別/18

靈界人(スピリット)の出現/22

死體捜査現象/26

靈能養成法(靈魂の訓練)/28,54

テ-ブル通信/31

靈聽筆記現象/31,32

送靈法、鎭魂法の諸用式/24,30,33,36

複體・幽體/38,40

靈魂の色澤/40,41,128,151,168

靈魂の形態/43,68,195,210

動物の幽體/43

靈媒力の養成/63

物理的心靈現象と高級靈/64

靈覺養成と斷食及び減食の關係/50

天眼通(靈眼)/51

天耳通(靈耳)/51

直覺及び直感/51

悟道と苦行/51

天理敎祖大本敎祖等の神懸り/51

靈界遊行/36,37,42,47,49,52,53

神足通/52

他心通/52

善靈,惡靈,低級靈/53

極樂淨土/54

靈界の言語/54

靈魂は雨に濡れるか/56

靈媒力の養成/63

物理的心靈現象と高級靈/64

靈魂の服装/69

透視と精神感應との區別/75

出世と受胎の神秘/73

受胎の進行中の透視/76

性交の心靈學的意義/76

不完全な肉體發生の原因(先天的不具者等)/78,131

前世の罪障消滅法/79

受胎と生殖細胞の分裂/80,81

雙生兒發生の原理/82

胎兒の性別の決定/128,82

流産、半産の原因/84

動物の受胎/87

死期(とその修正)/88,103,132

死の恐怖と靈魂の高下/88

靈魂の再生(生れ更り)/89,129-137,185,186,189

死後の審判/91

臨終の平和又は不安は死後生活の豫感を現はす/94

死の自覺なき靈界移轉/97,196

急激死の攝理/98,107

自殺/106

普通死/108

偶然の死/116

靈界通信に現れたる靈界の状態の寫眞/107

/109-112

苦痛の生命に於ける意義/113,119

苦痛の身代り/114

罪障の消滅/116

招靈の現場、光景/116

靈魂の階級、品等/120

若い靈魂/121

靈魂の進化/99,176,179

肉體の進化/100

肉體のカルチュアと靈魂の高下/122

藝術/123-127

地上の藝術/123

靈界の藝術/123,124

音樂/125-127

繪畫/127,174

靈魂の友情、親和/124,147,157

嬰兒死と靈魂/129

死産の意義/129

子宮内生活の意義/130

早産兒の靈魂/135

不具出産の意義/131

個性の存續と價値/137

前生の記憶/159

靈魂と微生物/162

靈魂と疲勞と休息/170

天人の五衰/165

善き靈的放射は靈魂の進化を助く/150

靈魂の攝取する栄養素/165

地上の運命の修正/166,168,169

靈魂の創造數/167

個性の發揮と全體の調和/171

宗敎の價値/172

佛敎の價値/172

物理的心靈現象の説明/175-178

念冩現象の機構/175-177

心靈現象の機構/178

念佛(思想傳達、遠感現象、讀心術)/179,180

靈媒的能力の正體/182

幽體遊離の難易と靈魂の高下/182

火葬と埋葬とが靈魂に及ぼす影響/185,186,188,189

進化と死體/190

木乃伊(ミイラ)の靈魂/191

物質主義者の靈魂/192

靈界通信に錯誤の起る原因/198,199

歐州大戰の預言/200

靈界會議の光景/210

地上の運命の修正/211

靈魂の國籍/211

世の終りの預言/166,168,169,217,223

豫言の誤る原因/217,221

將來の事件に關する靈示/222

政治的覇権は白人種より黄人種へ/227

人間靈魂の更生及進化の週期/228

第二章 平等心より觀たる靈界の消息/230

靈魂と外国語/242,243

自動書記現象の光景/251

靈界の神秘/267

靈の超時空性/269

-ブル通信の光景/239,269,274,285

人間の地上の使命/276

人間の本質/281

智慧と神秘/283

生命の本源/283

神性/284

法悦と奇蹟/284

靈魂論者と無靈魂論者/285

心靈現象の起る目的/287

心靈現象の缺陥/289

靈媒現象の解説/291-294

恍惚状態(トランス状態)/292

靈言現象の機構/293

靈界通信の目的/295

靈媒が靈魂の思想を混信する/296

神懸りの音樂演奏/307-316

使命のための死期の訂正/325

靈魂自身自己の死の刹那を語る/332

人間は神の子/337

惡の非實在/338

靈魂自身、自己の埋葬を語る/339

苦痛は非實在/341






『光明の健康法』について


私の敬愛する永井古書店様から下記のコメントを戴きました。

このようなコメントは本当に有難いのです。それは私の勉強になるので私に間違いがあるのではないかと疑ってみて、調べることになるからです。つまり向上心が出てくるのです。

 

【谷口雅春著作集第11篇は『光明の健康法』ではないかというのが私の推理です。

当店でも『谷口雅春著作集第十何篇』と表記された函入りの本を扱った記憶があるのですが、

第十二篇が『光明の生活法』なので記憶が混同しているかもしれないというのはお断りしておきます。

現在の著作物でもあることですが、戦前の刊行物に関して特にいえるのは、

奥付の発行年月日が必ずしも正確でない事、初版でなくても重版や再版の表記がないもの、

校正が徹底されていないので誤字脱字は奥付や表題でもあり得る事は念頭に置かねばならないと思います。

また、当時の『光明叢書』にしても第1篇から第10篇と特別篇2冊がありますが、

発行年月日は第1篇から順番にはなっていません。

谷口雅春著作集第11篇の発行年月日が、必ずしも第10篇と第12篇の間にあるとは

言い切れないのではないでしょうか?

順番的にいえば「無一物の医学」であったとします。

当時、病気が治る宗教としてマスコミでも取り上げられるようになっており

谷口雅春先生がその内容に加筆訂正をされたいと考えられたとしても不思議ではありません。

それで先に第12篇、第13篇が出版され、加筆訂正されたものが『光明の健康法』と改題されて

出版されていた可能性もあるのではないかということです。

『谷口雅春著作集第何篇』というのは確かに函にしか記載されておりませんでした。

なので、函の無い古書だと分かりません。

実際に『谷口雅春著作集』と同じ装丁で刊行されたものは

他には『光明の健康法』と『百事如意』がありますが、

私の記憶では『百事如意』の函には『谷口雅春著作集』の記載はなかったように思います。】

 

永井古書店様から『光明の健康法』ではないかということで頂戴致しました。

さて、偶然というか『光明の健康法』の函有の著作を所有していましたので披瀝させていただきます。

P1190730P1190754
P1190753



P1190755
函には残念ながら記載はありません。

光明の健康法     昭和11419

目次

眞理篇 光明の健康法/1156

第一章 醫學上の治病の原理/361

特効藥の正體/13

藥の弊害一例/19

恐怖の生理的影響/24

心を治せば病氣が治る/25

藥の効力は客觀的に確證できぬ/30

無毒物が精神力で毒性をあらはす/31

感覺に伴ふ聯想暗示/33

一定の形のない病氣に形を與へる醫者/35

風邪を引かぬ法/36

病氣の自壞作用/36

喀血は自淨作用/39

自然の瀉血療法/39

生命の本質は無限に生きる力/41

神の子たる人間に病氣はない/43

肉體は激動しても心が安靜なれば血は止まる/46

難病慢性病に藥が効かぬ理由/48

直接體驗に立脚して自分の生きる力に委せ切れ/56

他物に頼らざる者は終に勝つ/57

第二章 無礙自在の『生命の本性』を發揮せよ/6279

心を肉體に引つかからせるな/62

血の滯りは心の滯り/63

凡ゆる病氣は心の滯り/64

神通自在の心境/64

無我本然の状態に還れ/67

病氣の肉體的位置を知るは一利なし/69

心が許さねば病菌は一歩もわが身體に入れぬ/71

毎日一時間眞理の光で心を照らせ/73

白墨の線も自分を縛る綱だと思へば動けなくなる/74

自分の心以外に自分を病氣にする力のあるもの無し/78

第三章 無限生命に汲む道/80120

第四章 心の根本的調律法/121133

第五章 『神想觀』實修の形式並に注意/134156

體驗篇 光明の健康體驗録/157433

第一章 眞理は孤ならず/159205

一、 眞理の話が他人を治す/159

二、 製絲工場の病氣缺勤者激減/163

三、 隨喜功徳讃歎/166

四、 『生長の家』の卷頭言で蓄膿症治る/172

五、 二十年來の鼻病治る/175

六、 入信一年の體驗/183

七、 青森縣に於ける光明化運動/188

八、 無痛安産/190

九、 病氣紛失屆/193

十、 腰椎カリエス全治/194

第二章 結核は治る/206263

一、 病ひを忘れ人は神ぞと知る/206

二、 歡喜の報恩行/208

三、 喀血征服/221

四、 私の掴んだ絶對の世界/228

五、 妙智觀音力/234

六、 産後の肺滲潤征服/237

七、 結核性腎臟炎全治/240

八、 更生の喜びに滿たされて/243

九、 肺炎、肋膜、腹膜、腸結核その他一度に消散/246

十、 感謝録/252

第三章 今日の視力問題/264313

一、 眼鏡の魅惑/270

二、 眼鏡の魅惑益々深し/275

三、 近視は遺傳なりと云ふ見方/277

四、 色盲忽ち癒ゆ/278

五、 眼鏡と就職難/281

六、 近視と徴兵忌避の問題/283

七、 近視遠視はどうして起るか/284

八、 眼鏡をかけたい學生の氣持/287

九、 老眼も忽ち癒ゆ/289

十、 遠視組がもう一人/291

十一、 三年たてばつぶれるとの診斷/294

十二、 本當に根治する/296

十三、 開眼のよろこび/297

十四、 全眼疾も束の間に/298

十五、 川村孃のすばらしい體驗/302

十六、 眼鏡をかけた儘で完全に見える/306

十七、 小學生の近眼の場合/308

十八、 近視や斜視や亂視の起るわけ/310

第四章 視力恢復の體驗者自ら記す/314365

一、 僅々一分間で近視治る/314

二、 『近眼はチカメだ』の悟り/317

三、 色盲癒ゆ、前途洋々/320

四、 五度の近眼が治り、別世界を見る/323

五、 亂視は亂心から/325

六、 近眼忽ち癒ゆ/326

七、 斷然眼鏡の存在を否定/327

八、 遠視も亂視も束の間に/331

九、 眼鏡よ何處へ行く/333

十、 遠視と亂視の治つた話/335

十一、 私の妻の場合/338

十二、 功徳無限/340

十三、 老眼と亂視が治る/342

十四、 近眼の治つた話(日記より)/344

十五、 近視眼を治した私の體驗/348

十六、 眼鏡とステツキとを捨つ/359

十七、 老眼鏡を外し眩暈を忘る/361

十八、 強度の近視の治つた實話/362

第五章 胃膓病は治る/366412

一、 忽ち快癒のする悟り/366

二、 胃腸、肺、氣管支治る/369

三、 聖典の力で快癒/371

四、 胃潰瘍も何のその/372

五、 車中の『實相』で胃は勿論、水蟲までも/374

六、 聖典の功徳無限/376

七、 母親の悟りで子供の下痢治る/378

八、 腸狹窄を征服す/380

九、 聖典で眞宗の教に徹底し一切の病ひを超越す/386

十、 體驗談大要/393

十一、 胃潰瘍全治す/398

十二、 盲腸炎も治る/406

第六章 酒癖、喫煙癖、間食癖の自淨せし體驗/413433

一、 意志の力を用ひずして大酒癖解消す/413

二、 喫煙癖止む/416

三、 眞理の力は斯く喫煙癖、酒癖を治す/416

四、 主人の酒癖が治る/421

五、 神通一切所に及び甘黨が治る/424

六、 病氣は治り飮酒癖治る/431

 

 

『無一物の哲學』は果して出版されたのか?

今回は『無一物の哲學』ということを考察していこうと考えます。

ただ、難しく「無一物」の言葉を検証したり、哲學とは何ぞやというようなことではありません。先日のブログで『谷口雅春先生』の昭和10年頃に出版された『谷口雅春著作集』というのがありますが、これは以前にも記入しましたが、何篇という記載は函にしかありませんので、函が無ければ何巻というのが全くわからないのであります。

さて、先日の『無一物の哲學』は無かったのではないかという疑問なのです。

それならば、なんであるかという質問を頂ければ、あくまで推測ですが『智慧の言葉』ではないかと思っています。

 

下記のコメントを「亀の子」さんから頂戴いたしました。

 

【いつもお世話になり、ありがとうございます。『生命の實相』書店版のご紹介ありがとうございます。「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」掲示板でご質問の、『谷口雅春著作集第十一篇 無一物の哲學』については、以前も古書店の在庫検索、公共図書館Webサイト等、色々調べましたが全くヒットしません。似たような名称の『無一物の医学』(『生命の実相』の一節)ならヒットするのですが・・・。当時は、まだ『生命の實相』全集も1213巻までの出版だと思われますが、他の書店版の内容から推察して『無一物の哲學』の内容を山ちゃん1952様はどのように推測されていますか。私は、数冊しか所持していないため推測が難しいです。ただ本當に本流派と言われる方々も『生命の實相』に関心が薄いことには、驚きと切なさしか感じ得ません。合掌】

 

私は上記に書いたように『智慧の言葉』ではないかと推測しています。前回のブログの内容と少し被ってきますが、検証していきたい。

 

当時(昭和10年前後)出版されて似たような書物は『無一物の醫學』という『生長の家叢書』の第二弾で出版されました第十巻に『無一物の醫學』があります。これは昭和7103日に発行されています。しかし頁数は47頁と小冊子なんです。

それ以降『無一物の醫學』というタイトルの本は谷口雅春先生の著作物ではみあたりません。

 

その後に同じタイトル『無一物の醫學』で昭和10320日に出版されているのですが、これも47頁です。この発行は無料頒布で使用されていたものだと推測されます。立教の間もない頃はよく無料頒布で『吾が心の王國』『生きとほし』『生命の神秘』『光の新生活へ』『無限生命の泉』『いのちのゆには』等様々な本が無料進呈ということで印刷されているのです。

ただ、このような本は『生命の實相』から抜粋された内容を記載しているので、それがそのまま本のタイトルが著作になるということはありませんでした。

 

それでは『谷口雅春著作集』を記入します。

出世前・生・死・死後の研究  生命の藝術社

 -この一篇を今井楳軒老師の古希の慶びに献ぐ-(谷口雅春著作集第一篇)

S9.7.01

生命の烈風(いのちのはやて)  生命の藝術社

(谷口雅春著作集第二篇)

S9.9.15

いのちのはやて-生命と光明の書- 生命の藝術社

(谷口雅春著作集第二篇)函 (生命の烈風と同じ)

S10.5.25

生命の奔流              生命の藝術社

(谷口雅春著作集第三篇)函

S10.3.21

新生活の出發             生命の藝術社

(谷口雅春著作集第四篇)

S10.4.21

地湧の浄土             生命の藝術社

(谷口雅春著作集第五篇)

S10.5.21

生命の神祕           生命の藝術社

(谷口雅春著作集第六篇)

S10.5.21

本當の教育              光明思想普及會

(谷口雅春著作集第七篇)函

S10.6.25

光明の思想               生命の藝術社

(谷口雅春著作集第八篇) 

S10.9.21

生命の行方         光明思想普及會

(谷口雅春著作集第九篇)

S10.10.25

生ひ立ちの記            生命の藝術社

(谷口雅春著作集第十篇)

S10.11.25

無一物の哲學

(谷口雅春著作集第十一篇)?

S10.6.25

光明の生活法        光明思想普及會

(谷口雅春著作集第十二篇)

S10.12.15

光明主義           光明思想普及會

(谷口雅春著作集第十三篇)

S10.12.15

 

ここで昭和10625日の出版となっているが、発行日から推測していくと第二篇の『いのちのはやて』は名称を変えての出版ですから発行日はずれているのは当たり前のことなんです。ただ『無一物の哲學』だけが昭和10625日なんです。本来ならば昭和101125日~昭和101215日の間で印刷されていて発行されている書物となるわけなんです。

そこで『生命の實相』の書店版で同じ本が多くあるのですが(重複しています)それを探ってみたい。

第一冊 生命の奔流              生命の藝術社 S10.3.21

(谷口雅春著作集第三篇)      

第二冊 新生活の出發             生命の藝術社 S10.4.21

(谷口雅春著作集第四篇)

第三冊 いのちのはやて-生命と光明の書- 生命の藝術社 S10.5.25

(谷口雅春著作集第二篇) (生命の烈風と同じ)

第四冊 地湧の浄土             生命の藝術社  S10.5.21

(谷口雅春著作集第五篇)

第五冊 生命の神祕           生命の藝術社 S10.5.21

(谷口雅春著作集第六篇)

第六冊 本當の教育              光明思想普及會 S10.6.25

(谷口雅春著作集第七篇)

第七冊 光明の思想               生命の藝術社 S10.9.21

(谷口雅春著作集第八篇) 

第八冊 生命の行方         光明思想普及會 S10.10.25

(谷口雅春著作集第九篇)

第九冊 生ひ立ちの記            生命の藝術社  S10.11.25

(谷口雅春著作集第十篇)

第十冊 光明の生活法        光明思想普及會 S10.12.15

(谷口雅春著作集第十二篇)

第十一冊 智慧の言葉       光明思想普及會 S10.12.15

第十二冊 光明主義           光明思想普及會 S11.1.20

(谷口雅春著作集第十三篇)

第十三冊 人を作る敎育      光明思想普及會 S11.9.20

第十四冊 明朗の宗敎           光明思想普及會 S11.10.20

 

となると該当する著作は

第十一冊 智慧の言葉       光明思想普及會 S10.12.15

となるわけなんです。

それではそれ以外でこの年代で出版された御著書はあるかという疑問です。

あるのにはあるのですが、重複版であったりしてパンフレット(小冊子)だけなんです。

 

つまり、突き詰めて考察すると『智慧の言葉』しか見当たらないというわけなんです。

それでは、その『智慧の言葉』は以前に目次を紹介しましたが、それは『生命の實相』の何巻に該当するかということです。

以前に書いた内容をそのまま記入致します。

 

『智慧の言葉』の本はその後『生命の實相』黑布表紙、第十一巻『經典篇・参考篇・宗教問答篇』となります。否、實は『生命の實相』第11巻の方が早く出版されています。

 

『生命の實相』第11巻は昭和101125日発行となります。

 

『智慧の言葉』は昭和101215日発行です。

 

この本は最初に『生命の實相』は元版があり、それをそのまま活用して表紙だけを『智慧の言葉』としています。

 

『智慧の言葉』目次

經典篇(一) 智慧の言葉 /1118

經典篇(二) 『甘露の法雨』講義 /119342

  第一章  神と佛と靈/121

  第二章  物質と實在/174

  第三章  智慧と無明と罪/230

  第四章  人間の實相及び假相/281

参 考 篇  精神分析による心の研究/343416

佇立地獄の患者/345

ブロイエルの催眠法/348

ステケル氏の自由會話法/350

ユング氏の連想試驗法/350

ステケル氏の自由單語法/351

病気でありたい意志/351

精神分析の質問の仕方/352

彼の遅刻/354

彼の夢/355

妻の秘密/358

復讐の激情/359

患者の夢の分析/361

正しき生活病気を全治せしむ/365

其の他の治驗例/366

精神分析實施上の注意/367

醫者への愛/372

勝利の欲望/372

公衆恐怖症の解剖/380

私の取り扱った複雑な治驗例/389

宗教問答續篇 人生の惱みに答う/417432

一、繪を書くのを使命と感じながら境遇に苦しむ人に/419        

二、未婚青年の性欲の解決/426

 

 

その後に『光明の生活法』(谷口雅春著作集第十二篇)が出版されるわけなんですが、おや?

戦前の『生命の實相』黑布革表紙は第4巻なのに何故?

それは発行日が昭和101025日で『光明の生活法』は昭和101215日と差異はありません。

また『光明主義』の目次は

 

目次

藝術としての生長の家(序文に代へて) / 1-10

常樂篇久遠常樂の生活 / 11

第一章 常樂生活への道しるべ / 13

第二章 無限能力を汲む道 / 22

第三章 不壞の生命を / 34

第四章 生きとほしの生命 / 56

第五章 全面的自由としての宗敎的救ひ / 87

第六章 平等愛の對神と偏愛の相對神 / 100

經典篇聖經『天使の言葉』講義―特に『近眼は治る』原理に及ぶ / 117

參考篇心が肉體に及ぼす力 / 199

心が肉體に及ぼす力 / 201

想像の作る病氣と想像の治す病氣 / 210

健康を左右する暗示の力 / 218

愛は癒やす力 / 228

人間は何故老衰するか / 230

長く若さを保ちし人々 / 240

精神力にて老衰を防ぐ法 / 242

質疑篇眞理の應用及び拾遺 / 267


これは戦前の『生命の實相』黑布革表紙は全集第十二巻『常樂篇・經典篇・参考篇・質疑篇』と同じ内容です。

推測というコトバでは書きましたが、『無一物の哲學』の発行日が昭和10625日は『本當の教育』と同じ出版日なんですが、その当時の廣告宣傳などでも検索しましたが、『無一物の哲學』だけは何処にも該当する検索はありませんでした。

 

 

最後に亀の子様が書かれています本流派と名乗る人はこうした『生命の實相』には全く興味もなければ、コメントもない。感心がないのもある面致し方がないのかもしれないが、『谷口雅春著作集』で最初の本です。その当時の「谷口雅春先生」の学ぶということでも言及していただきたかった。またブログの名前も「谷口雅春先生に帰りましょう」ですから、御意見を頂きたかった。

雑考

先日の私のブログで『生命の實相』書店版を発表しましたが、あまり関心もなくそのままだろうとは思っていたが、やはり結果は思った通りである。

 

雅春先生が如何にして「生長の家」を発展させ、その原動力は何であったかを探究するのには必要であると感じておりますが、その「精神」は突風であっても、誰も感じないのであろう。

 

私は『生命の實相』の取次店は誌友に限定した、雅春先生の思いなど推し量ることは出来ませんが、しかし日本を救おうとしてあらゆる事を当時では行っていたと感じます。

 

私の表現が下手だから伝わらないのだと自虐的に考えております。今回の発表は戦後、どこにも掲載されていない資料であります。

亀岡叢書もボチボチと発表していくように考えています。若かりし頃の谷口雅春先生の執筆は私はいつも「ドキッとさせます」

亀岡叢書の詳細の記載

亀岡叢書の詳細の記載

因みに皇道大本研究資料 亀岡叢書は別紙に詳細を記載しております。
重複しますが、下記にも記載させていただきます。

皇道大本研究資料 亀岡叢書 全14巻  

発行 大本新聞社 小冊子 ☆印谷口雅春先生

第壹編(T9.09)

皇道大本の教義 霊主體従

T9.10.20

 


 


 


P31

 


 

第貮編   正治先生の書物ではありません

佛説 法滅盡經の御話 加藤新講述

T09.10.20

 


 


P21

 


 

第参編    

御筆先の解説せる 大本霊学  谷口正治先生

T09.9.23

 


 


 


 


 


 


 

第四編    谷口白龍(ペンネ-ム)

神示の比較宗教論

T09.10.01

 


 


 


P31

 


 

第五編    谷口正治

ヨハ子黙示録(子はママ)

T09.09.28

 


 


P31

 


 

第六編    谷口正治講述

鎭魂歸神の要諦

T09.10.10

 


 


P28

 


 

第七編   谷口正治

基督再臨の眞相  今井楳軒翁の序

T09.10.20

 


 


P61

 


 

第八編    東尾吉三郎編纂

天理教祖の筆先と大本神諭

T09.11.10

 


 


P34

 


 

第九編    谷口正治講述

社会主義と皇道大本

T09.11.18

 


 


P39

 


 

第十編    谷口正治

行ふべき道

T09.11.20

 


 


P61

 


 

第十一編  正治先生の書物ではありません

大本大教祖

T09.11.20

 


 


 


 


 

第十二編   谷口正治

言霊と神通力

T10.02.01

 


 


P49

 


 

第十三編   東尾吉三郎

明治天皇御製と神諭

T10.02.01

 


 


P31

 


 

第十四編   谷口正治

非醫治療法批判

T10.02.01

 


 


P43

 


 

現教団の講師は・・・

天皇信仰についてはあらゆる表現を使ってこのブログで書いてきました。ところが現在の「生長の家」教団ではその考えが違っている。何が違うのかの顕著に現れた文書があります。

私はこうした人が「教団」の幹部でいる限り、「生長の家」教団の崩壊は止まないように思っています。

その紹介文章は

 

 【「天皇信仰」は、日本神話に於ける宇宙の創造神である天之御中主大神と、その具体的な顕れとしての天照大御神、そして、その子孫が地上(豊葦原瑞穂の国)に降臨して現在の皇室としてつづいているという神話的世界観から生まれており、このような天之御中主大神・天照大御神と一体であり、その人格的表現(現人神)である天皇が日の本(世界)の中心であるという日本古来からの神道的な国家観を、現代の世界にそのまま敷衍することは出来ないと考えます。

 

 日本国においては、古来から皇室を中心としてきた長い歴史伝統があり、また現代のご皇室も常に国民の幸せと世界平和を祈られ、日本国の安定的発展と世界平和の実現に大きく貢献して来られました。また、日本においては伊勢神宮(天照大御神)への尊崇が一般化しており、国民の多くが天之御中主大神はじめ天照大御神等の神々を敬い、天皇陛下と皇室を尊崇することは極めて自然なことであり、日本に於いて「天皇信仰」が生まれている所以が、ここにあると思います。

 このことは、キリスト教の文化圏においてイエス・キリストを信仰(崇拝)し、イスラーム文化圏においてアッラーの神を絶対視し、仏教文化圏では釈尊(阿弥陀仏等)を尊崇することと同じであり、また、イギリス国においてイギリス王室を尊敬することと同様に、世界の各国各民族において、夫々の宗教的・文化的な中心に敬意を払うことと共通することと言えるのではないでしょうか。

 

 しかし、天皇陛下を“現人神”として絶対視し、その天皇に帰一するという「天皇信仰」を、生長の家の中心的教義とすることはできないと考えます。何故なら、現象的に“神”がそのまま顕現することは、生長の家の教義に照らしてあり得ることではないからです。人間は本来みな等しく“神の子”であることが真理です。ある特定の人物(指導者)を崇拝するような偶像崇拝的な教義を正しい宗教と呼ぶべきではないのです。ましてや、他の民族・国家固有の宗教や文化を否定してまでも、日本的な信仰を強要することは誤りであると考えます。

 ところが、戦前・戦中の谷口雅春先生のご文章、その他の聖典に記されたご文章からは「天皇信仰」や「中心帰一」の教えが、あたかも生長の家の教義の中心であり、世界の全ての国に敷衍さるべきものであると理解される場合があります。しかし、特に戦前・戦中に説かれた「天皇信仰」や「中心帰一」の説明には、天之御中主神・天照大御神と一体である日本の「天皇」が世界の中心であることが強調されていて、世界の各宗教の多様性を認める、生長の家の「万教帰一」の教義と逆行していることは明らかです。】

 

例えば「このような天之御中主大神・天照大御神と一体であり、その人格的表現(現人神)である天皇が日の本(世界)の中心であるという日本古来からの神道的な国家観を、現代の世界にそのまま敷衍することは出来ないと考えます。」

 

という文章がある。それならば何故生長の家教団は天之御中主大神、高御産巣日神、神産巣日神の三神だけを祀っているのか、しかもこの講師はそれさえも否定している。「萬敎歸一」の教義と逆行しているという文章はあまりにも雅春先生の御本を讀んでいないこと暴露しているに過ぎない。

また、戦前や戦中だけが「天皇信仰」があったというコトバは「無門関解釈」を読んだことがない人物であることを吐露し、自縄自縛している。

 

生長の家では今でも「人間神の子」の教えであり、天皇陛下も神の子であるのは当然であります。「中心歸一」の教えは「天皇信仰」の教えに繋がります。「天皇信仰」が分からない人は軽率に「中心歸一」などと云ってほしくはない。

社會主義と皇道大本-1

皇道大本研究資料 亀岡叢書第九編

 

社會主義と皇道大本

                             谷口正治講述

 

  1. 民主思想存在の意義

明治二十五年正月以來大元教祖に國祖神が神懸りせられて、所謂自動書記の形式で筆を走らされましたところの大本神諭即ち「御筆先」に於いて預言せられましたことは唯の一つの例外もなく世界に事実となって現はれて來ましたのは誠に驚くのほかはないのであります。

 

が、なかにも著しい事實の一つは外國の君主たちの次第次第に滅びてしまったと云ふことであります。

 

現在では日本の君主のほかにもまだ英國や伊太利などにも君主がないでもありませんが、それは唯形式だけ存在してゐると云ふだけでありまして君主の實権は備えていないと云ふ方が事實に近いのであります。

 

ところが外國の君主たちを滅ぼして了ふためにある期間だけ神が殊更に流行させてゐられる思想は

 

▽民主民本の思想

 

なのであります。

 

宇宙のありとあらゆるものはただ一つの中心をもち、それに統一されてゐるのが原則であります。

細胞にしても中心に唯一つの核があり、物質原子にしても唯一つの中核體があるのであります。

 

樹木にしても幹は一本しかありませんし、吾々にしても頭は一つしかないのであります。

もし頭が七つも八つもあって、この一個の身體を各自思ひ思ひに動かそうと思ったならば吾々の肉体は調子がくるって滅びて了うに相違はないのであります。

 

それと同じやうにこの吾々の住んでいる地球も一つの中心なる統治者に支配しられないで、数多の帝王に分割しいられて、各自自分の欲望ばかりをとげようと思っていますと亦調子が狂って了う筈なのであります。

 

今現に調子が狂っているいるから國際戦争だの、民族争闘だの、階級争闘だのが頻繁に行われて修羅場を演じている譯であります。

それ故に明治二十五年正月の大本神諭には

 

「お照らしは一體、七王も八王も王が世界にあれば、此世に口舌がたえんから、日本の神國の一つの王で治める経綸(しくみ)が致してあるぞよ。

外國は獣の王であるから王無(おうの)うに至すぞよ。」ともあり、又明治三十六年二月二十九日の大本神諭には

 

「日本の國は別として、王、天下は永う続かんと申しているが、何事も時節がまいりて来て明いた口が塞がらん事が世界には出て来るから、気も無い内から、出口直の手で知らして尽くしているが、脚下へ火が燃えて來て身体に火が附いてヂリヂリ舞はねば成らん事が出來てくるぞよ。」

 

ともあるのであります。

民主的思想を跋扈しているものも實は分裂して相爭っている、天下の諸王たちを滅ぼして一君に統一するための神の深遠なる神策の一部の實現に過ぎないのであります。

それ故に民主主義的思想も亦大いに存在の意義があるのでありまして、デモクラシイそのものが決して惡いと云う譯ではないのであります。

 

▽デモクラシイは

 

これを喩えますと病菌が侵入した場合に吾々の肉体におこるところの発熱とおなじようやものであります。

発熱そのものは決して悪いのではないのでありまして黴菌を滅ぼすために必要なのであります。

それと同じように世界の病菌であるところの跋扈し割拠している天下の諸王たちを滅ぼしてしまって此の地球上を一人格を統一するためには民主的思想が必要なのであります。

 

しかし発熱が病菌をほろぼしてしまうだけならよろしいが、自分自身本来の細胞を死滅さしてしまうほどに熱度が高くなると、困ったものであります。

そう云う場合にはどうしても

 

▽解熱剤を服用

 

をせなければなりません。

神がこの地球上の総覧的本尊細胞としてあらかじめおつくりになっている大日本國だけを残して、その他の諸王たちを滅ぼすために、ある時期を劃して流行せられた民主思想熱も、あまりに熱度が高くなって大日本の國体を破壊して了うほどに病氣が昇進すれば民主思想はその本來の存在意義を失って了う譯であります。

 

(二)自由と平等の問題

 

現代の人類を支配してゐる主なる思想の一つは人類の平等といふ思想であります。しかしこんな事は少しく聡明な頭をもって問題を抽象化することなしに、實際的の事実を精緻に觀察せられますと、非常な錯誤(まちがひ)であることがわかるのであります。

 

 甲の人と乙の人と何處が平等でありますか。姿もちがへば能力も性質も違ふのであります。類型だけを抽象して考へては下さいますな。現代人は個性を尊重すると云ひながら、人類の平等を主張するとは何と云ふ自己撞着でありませうぞ。人類が平等でなくて各々異なる特性をもってゐるからこそ、

 

▽個性の尊厳

 

と云ふ事がはじめてあり得るのであります。さうして個性の本然を發揮することだけが、吾々の正義であるのであります。皇道大本では「罪」と云ふ言葉を言靈學上から解説して、罪は「包み」であり又「積み」であると申して居りますが、與へられた自己天賦の個性を發揮することなしに、いたづらに本然の性能を包み積んで發揮(あらは)すことがないのは實に大いなる罪惡なのであります。それ故に吾々の天賦の個性の發揮と云ふことは吾々の自由であると共に正義であるのであります。ちここでは、

 

▽正義と自由と

 

はピッタリと相一致することになるのであります。現代のある一部の人達は「自由」と云ふことを穿き違へて「放肆」(ほうし)とか「不檢束」とか云ふ意味にとりたがって居りますが、個性を發揮することが吾々の正義であると共に自由であるならば、自分の天分以外に脱線することは正義でないばかりか、又他人の個性の自由を犯すことになるのであります。

 

 他人の個性を犯してゐる間は自己の個性を發揮するに全力をそそぐと云ふ譯に行きませんから、これは、自己の個性の發揮する自由を包んでゐることち「罪」といふことになるのであります。かう云ふ意味に於て個性の尊重といふことも正義と云ふことも自由と云ふことも皇道大本の主張によれば相一致すると云ふことになるのであります。

 

(三)民族的個性の尊重

 

個性の尊重といふことをそんなにも尊重してゐる現代人は民族的個性の意義を考へて觀なければなりません。各個人が各々異なった天分を有(も)ってゐるやうに、各民族は各々異った天分を有ってゐる筈であります。

 

各個人の各々の天分を發揮して相冒すことなきことが正義であり、自由であると同じやうに、各民族は各々の民族的天分を發揮することが正義であり自由であるのであります。

叉手(さて)、ここで吾々日本民族の

 

▽民族的天分

 

とは何であるかと申しますと、これは世界を一君によって統一するところの使命をもってゐることであります。原子に一個の中核體があるやうに樹木に一本の幹があるやうに、吾々に一個の頭があるやうに地上にも一君がなければならぬことは前述したとほりであります。

 

しかもその中心者中たる吾々の一個の頭が決して、吾々が滅びてしまはないかぎりは他の頭と交替しないやうに、世界を治める中樞者も、亦萬世一系であって地球が壊滅しないかぎりは決して交替しない性質のものでなければならないのであります。

 

この資格をそなへた君主を世界の人類の中にもとめますならば、どうしても唯一尊貴なる天照大御神の靈統を天壌無窮につぎたまへる。

 

▽大日本天津日嗣陛下

 

以外にないのであります。吾々が日本の世界統一を稱へるのは決して我田引水論ではないのであります。日本民族が世界の各民族に比べて優等なる民族であると云ふことは、その他の諸點にも著しうあらはれてゐるのであります。

 

一例をあげますれば、動物試験の際に人間の血液をモルモットや兎などに注射しますと、殆んど中毒症をおこさないであります。これは高等なる動物の血液を一層下等なる動物に注射するからであります。

 

(中略))

 

▽外國人の藝術

 

と來ては、繪畫は勿論、小説演劇等に到るまで枝葉の末技にとらはれてゐまして藝術品といふよりも寫眞とか筋肉労働による生産品と云ふ方が適當なのが澤山あるのであります。

 

▽觀相學の見地

 

から申しましても、面角の傾斜の度などから、日本人は外國人に劣っているなどといふ風に觀察する人もありますが、これは腦髄の量にばかり捉はれて質の問題を考慮に入れることを忘れた極めて不用意な觀察なのであります。その人の腦髄の質の良否は顔面の皮膚の肌理の精粗によって觀察するのでありますが、西洋人の皮膚と來ては油繪式で近寄って見れば二た眼とみられないほど粗っぽいものであります。

以って西洋人の腦髄の品等がどれ位のものかわかるのであります。殊に最も重大なる問題は、日本人は外國人に比べて

 

▽言葉が淸明豊富

 

であると云ふことであります。言葉の數は宇宙意志の顯現の度合をはかるところの最も重大なバロメタ-でありまして、無機物、或は下等動物の聲が高等動物にくらべて少ないのは諸君御承知の通りであります。

 

日本人は「我」といふことをあらはす言葉にも、「僕」とか「吾(あ)」とか、「自分」とか「拙者」とか「わたくし」とか、「わし」とか「おれ」とか云ふやうにさまざまな異なった氣分をあらはす言葉がありますが、外國語にはこれと同じ言葉は唯一語「アイ」とか「イッヒ」とか云ふ言葉しかないのであります。言語(ことば)において日本人が他民族に比べてすぐれてゐるといふ點については拙著「皇道靈學講話」に詳論して置きましたから御参照せられんことを希望します。

 

何故又腦髄の質の最もすぐれてゐる日本人の文明が一見外国文明に劣ってゐるかと云ふ理由なども同書に詳述して置いた筈であります。吾々日本人が世界の治者となるのは、日本人の横暴のためではなく全人類の幸福のために、恰も全細胞の幸福のために腦髄の皮膚細胞が本然の主腦者たる位置を恢復すると同じであります。

明治天皇御製にみる『古事記』の大切さ

明治天皇御製

石上(いそのかみ)ふるごとぶみをひもときて 聖(ひじり)の御代のあとを見るかな

石上は枕詞で「ふる」にかかります。ふるは「振る」「古」「古し」というコトバが次にきます。ふるごとふみとは古(ふる)事(こと)記(ふみ)となり『古事記』を云っています。

聖の御代とは聖帝の歴代の御蹟(みあと)つまり、歴史をみることが『古事記』を紐解くことにより把握が出来るのであります。

次の句にも

かみつ代のことをつばらにしるしたる 書をしるべに世を治めまし

 

神代の事を詳らかに記したる書(古事記)をしるべは標と書きますので、導きて世を治めましょう。

 

このように明治天皇は『古事記』の大切さを説かれています。

『古事記』を知ることにより、より大切な日本の歴史を知ることが大切であります。

西野田職工夜間学校

西野田工業高校は「谷口雅春」先生が「摂津紡績」本社での勤務の後に夜間学校として通われた学校である。私の母校でもある「西野田工業高校」は現在は西野田工科高等学校と改称した。現在は「西野田工友会」としてパンフレットが毎年送られてくる。

その中に歴史が記載されているので掲載致します。

その前に私が作成しています「谷口雅春先生年譜」に記載している内容は

中退後、大阪の摂津紡績(現在のユニチカ)株式会社攝津紡績本社に技術練習生として入社。(50年史には木津川工場と記入しているが、(ユニチカの歴史年表から本社として記載)

大正32月に摂津紡績へ入社

夜は大阪府立職工学校(後の西野田職工学校)(正式には大阪府立職工学校・附属工業補習職工夜間学校)明冶41年12月7日開設(大阪府立職工学校は明冶41420日開校。)

大正54月に西野田職工学校と改称。現在は西野田工業高校を経て西野田工科高等学校に(大阪市福島区大開町2丁目。(校舎の東隣に大開公園があるがそこが松下電器(現パナソニック)の創業地である。)

50年史には西野田職工学校と記載しているが、卒業された後に西野田職工学校となる。西野田工科高校の歴史年表から記入)右参照

中学時代の友人である小川一郎氏の父君が摂津紡績の高級社員で、その人が社長の菊池恭三氏に紹介してくれたのである。大学での成績が良かったので、社長からは最初、自分の息子の家庭教師になるように勧められたのであったが、先生は「ブルジョアの書生」という感じを嫌って、その話を断り、技術練習生の道を選んだ。

ここで西野田工友会のパンフレットには

1908年(明治41年)420日 大阪府立職工学校開校

第一回入学式(機械科50人、建築系30人)

190812月 付属工業補習職工夜間学校開設

1914年(大正3年)今宮分校開設

1916年(大正5年)大阪府立西野田職工学校と改称

 

とある。

ちょうど、大正5年には雅春先生は明石工場へと転勤となる。

入社した当時は付属工業補習職工夜間学校が正式な名称である。

 

「中心帰一」について

下記の文章は私が尊敬してやまない「あまむし庵」様の文章である。

ここ数年はお会いすることも出来ないのですが、「谷口雅春先生著作」の蒐集も一番の影響を私に与えた人です。若き頃に一緒に京都へ古書の散策をしたことも記憶に新しい。

また、何回か昔の自宅へと訪問させていただいた。

抜粋させていただくことを御承知おき頂きたく存じます。

 

中心帰一 その一/現象の迷いの否定を通さない「中心帰一」は中心帰一ではない 

 

<<   作成日時 : 2014/06/17 14:22   >>

 

 現象に現れている事象は、実相のイメージと人間智の迷い(欲、自我意識、闘争心 etc.)で屈折したものとの混合物です。現象に現れたルールにしても、形式にしても、組織にしても、教義にしても・・・総てが両者の混合物です。その混合物たる現象化したものに対して中心帰一することは、そこに含まれている「迷い」に対しても自分自身が屈服することを意味しています。

 

  真の中心帰一は、「実相に中心帰一する」ということです。「実相に中心帰一する」ためにはどうすればいいのでしょうか? 実相を現象世界に現し出す方法の大原則は「現象の迷いを否定する」ところにあります。現象の迷いを否定すること自体、実はその奥に隠されている「実相」を直感的に既に知っているからに外なりません。実相(本物の自分)を魂の奥底の自分が既に知っているからこそ、違和感が生じ「迷い」を否定する力となります。

 

  即ち、「実相に中心帰一する」ということは、まず現状の迷いを明確に峻別することが第一なのです。つまり実相(本物の自分)を観る(神想観する)ことによって、現象に混在する「迷い」が自動的に峻別されるわけです。次にそこに含まれている「迷い」を否定し去ることです。つまり現象に混在する「迷い」に妥協せず、はっきりと否定する必要があるのです。「こいつは偽物だ!」と。キリストはサタンを見つけ出した時「サタンよ去れ!」と一括し、自身の心の中に潜む「迷い」を一刀両断切り捨てたのです。これが出来ぬようでは、百万遍の説教も糞の役にもたちませぬ。

 

  その行為を通してのみ、現象世界に実相が展開することになります。実相が展開した現象に対しては、中心帰一が無理なく可能となります。強制や義務ではなく、不思議と人々が中心者に帰一したくなるものなのです。言葉を替えれば、「実相に中心帰一」したことによって、「現象に混在していた迷いを否定」でき、結果的に現れた「実相の展開としての現象の中心者にも帰一」できることになるのです。

 

  生長の家は「否定の否定の否定の極地」と谷口雅春先生は云われました。これはとても大切な言葉です。現象の迷いの否定が出来ていない人間は、結局は実相を現し出すことは不完全だということです。現状の組織、教義を観察するに、そこに混在している様々な「迷い」の観念をどれだけ否定し去ることが出来ているか、というところに本質的な課題があるのです。

 

  雅春先生の凄さは色々あるでしょうが、一言で申せば、「現象否定の極地を実体験された」という点なのです。「生命の実相」自伝編に明瞭に書かれていますが、資本主義は勿論のこと、弱肉強食の世界の否定、自分が他を犠牲にして生きる事も否定し、最終的には「この世界の創造神」をも否定したところに、雅春先生の偉大さ、深刻さ、探究心の徹底が見られます。そのように現象に現れているものに対する「迷い」の否定が徹底されていればこそ、先生に唯神実相哲学が天下ったと云えます。「否定の否定の否定の極地に実相が現れる」ことのよい証明といえます。

 

  生長の家を学ぶということは、雅春先生の求道の姿勢を我がものとする、とも解し得るのです。先生が説かれた真理を学習し理解するだけでは、その真髄に触れることは出来ないのです。何故雅春先生に唯神実相哲学が天下ったか? さらにその真髄を自分自身が受け止めるためにはどうすればいいか? その醍醐味を我がモノとするためのヒントがここにあるのです。

 

  その後の生長の家の後継者にそれほどの現象否定の荒技を期待するのは難しいかもしれません。しかし、否定の極地に立たぬ限り、生長の家の醍醐味など判るものではありません。その現象否定の徹底を通した上での実相大肯定であればこそ、大いなる魅力、悟りが現れるのです。

 

  今の総裁は、雅春先生を否定し、日本の国体を否定しています。天地一切の物と感謝し和解するのが、生長の家の根本的生き方でありますが、これでは逆の生き方となります。自身の外部に現れたものに対しての否定ではなく、自分自身の内なる「自我」の否定こそ求められるべきことではないでしょうか。実相の大肯定への入口は、現象否定、物質否定を通らねばならぬのです。そして、現象否定、物質否定のためには、現象の自己の否定以外に方法はないのです。他を否定して、自己をのさばらせている様では、「実相」も「神」も見出す事は不可能であります。

 

  なぜなら、「現象世界は自身の心の展開である」ことは、絶対的に真理であるからです。「因果眩まさず」です。自身の心の中で「自我」を掴んでいては、現象世界に「実相の写し」が現れることはあり得ません。

 

  現在の教団組織の幹部や信徒さんたちが、誰に中心帰一なさるかはその人の自由でありますが、生長の家の真理を真剣に学ぶ気持ちがあるのであれば、雅春先生の自伝編でももう一度読まれて、先生の生き様、信仰姿勢、悟りが天下った経緯を学んでみては如何でしょうか。一人一人の悟りというものも、又同じ道筋を通して天下って来るのですから。

 

 中心帰一 その二 / 「菩薩は何を為すべきか」第九条 

<<   作成日時 : 2014/06/17 15:05   >>

 生長の家では何かある度に「中心帰一」と幹部はおっしゃる。その根拠は決まって「菩薩は何を為すべきか」第九条にある次の文章を唯一根拠として持ち出すのです。少し長くなりますが引用いたします。

 

  《第九条 生長の家の各員は、如何に運動の分野が多岐にわたり組織が複雑化するといえども、光明化運動の中心が何であるかを常に見失うことなく明らかに自覚して行動すべきである。生長の家大神-総裁・副総裁-御教。この三つを結び貫く神意の展開が、光明化運動の不動の中心である事を、生長の家人たるものは一瞬たりとも忘れてはならない。如何にその人が有力者であろうと長年光明化運動に献身して来ようと、素晴らしき体験をもつ指導者であろうと、断じてその人を中心にしてはならない。(中略)光明化運動に於いては人は中心ではない。神意が中心である》(「菩薩は何を為すべきか」より)

 

  「現象の迷いの否定」を通さないものは、結局はその中に混在している「迷い」を肯定している事になります。現象の「迷い」を峻別する力量の欠如であります。現象というものの本来の存在目的は何かと申しますと、人間が心に描いたものが「三界唯心の所現」なる心の法則によって、完全自動的に現象界に形となって表現されて、観察可能な状態になるということであります。心に描いたものが現象化して、自分自身で鏡のように自分の心が映し出される仕組みが、現象界の仕組みであり、それを通して自身の心の中に入り込んでいた「迷い」の存在を見つけ出し、「迷い」を取り除くことが、現象世界の存在意義でもあります。

 

  その現象化した姿を自分自身で観察することによってのみ、自分の心の中がはっきりと見えるのであります。現象を通して自分の心が(他人の心も)見える事によって、自分の心(と他人の心)にあった「良いもの」「悪いもの」が峻別できる訳です。即ち心に「迷い」が混在していた場合には、現象をつぶさに観察した上で、その不完全な「迷い」を否定し、排除することが重要となります。その行為を繰り返す事によってのみ、実相世界の完全円満性が現象界に徐々に展開することになるのです。この行為を通してキリストの祈り「御心の天になるが如く地にもならせたまえ」となり、古事記で預言されている天孫降臨の地上天国が実現するのであります。

 

  ところが、現象化した「組織」のあり方に、盲目的に中心帰一して、その中に混在する「迷い」を否定せずに無視した場合には、当然の事としてその組織は「迷い」が排除されぬままいつまでも混在し続けるということになります。その行為を自分だけでなく部下や信徒にも強要するようになりますと、その組織の関係者は自らの「迷い」を峻別し否定排除する力が喪失し、最後には組織の内に蔓延する「迷い」の毒素によって、自家中毒を起こして死滅せざるを得ないこととなるのです。

 

  生長の家の総裁であろうと、副総裁であろうと、宇宙の根本の仕組みである「心の法則」から逃れることなどできません。最も大切なことは組織の中心者であるところの総裁・副総裁自身が、徹底的に自己の心の内部に潜む「迷い」を否定し排除することなのです。その中心者の「迷い」の否定と排除が徹底される程度に応じて、それに従う幹部、信徒も「迷い」の否定と排除の徹底が進むのです。そこにも心の法則が働いています。即ち、組織の中心者の心の姿勢、信仰姿勢が、組織の幹部、信徒に波及するということです。つまり組織というものは、中心者の心の展開であるとも云えます。

 

  翻(ひるがえ)って、《生長の家大神-総裁・副総裁-御教。この三つを結び貫く神意の展開が、光明化運動の不動の中心である事を、生長の家人たるものは一瞬たりとも忘れてはならない》なる言葉の深意を探って見ましょう。この言葉は実は総裁・副総裁自らに「神意」に帰一することを義務づけているということに外なりません。この本は幹部・信徒向けに出版された本でしょうから、幹部・信徒に対しての義務づけ、信仰姿勢を示すものとなっていますが、その根拠の本質は実は、総裁・副総裁の信仰姿勢にこそあるのです。

 

  「総裁・副総裁の役目を仰せつかっている吾々は、日々神意に中心帰一する信仰姿勢の徹底に心掛けていますので、この組織に協力して下さる皆様方も、どうか神意に帰一して戴きたい」という願いなのです。即ち、総裁・副総裁が神意に中心帰一していることが大前提なのです。この大前提が崩れないことを条件として、この第九条は存立し得るという事なのです。

 

  当時雅春先生は、その信仰姿勢を貫かれていたということは、十分に考えられます。でなければあれだけの生長の家の唯神実相哲学と、天皇国日本の実相顕現運動、人類光明化運動は展開不可能であったでしょう。戦前戦後の日本の歴史上最大の国難時期にあたって、様々な愛国運動、啓蒙運動、人類光明化運動を起こし、国難をぎりぎりのところで救い得た実績を観るに(今現在も国難は深く社会に浸透しているのですが・・・)、正に奇蹟的であったと云い得るのです。雅春先生にそのような神意に対する中心帰一の徹底した姿勢があればこそ、多くの愛国者を動員し得る「権威」が自然のうちに生まれたのです。

 

  現象世界は一人一人の心の展開です。それは何人も否定できません。即ちその後の総裁・副総裁の信仰姿勢がどうであったか、その心の姿勢、神意に対する中心帰一の徹底が疎(おろそ)かになる程度にしたがって、その組織は「迷い」を包含し、その「迷い」の否定と排除が疎かになる程度に従って、その組織は「迷い」から脱することが難しくなり、「迷い」の悪循環に落ち入ってしまうのです。勿論総ての原因が総裁・副総裁にあるということでは毛頭ありません。一方に信徒一人一人の心の中に潜在する「迷い」を否定排除していなかったことも原因です。

 

  その場合、最も大切なことは時の中心者であるところの総裁・副総裁の神意に対する中心帰一の信仰姿勢と、中心者自身に忍び込む「迷い」の混入に対する峻別と排除作用の有無であることは云うに及びません。次に大切な事は、幹部・信徒自身の「迷い」を峻別する力とその「迷い」を否定する力量です。

 

  生長の家の場合は、終戦後15年経った頃に「菩薩は何を為すべきか」が出版され、組織に対する形式的中心帰一を説き始めてから、幹部・信徒自身の「迷い」に対する峻別力と否定力が欠乏してきたのではないでしょうか。そのことは、組織の自浄作用の力を削いでしまった、ということでもあります。飽くまで中心者自身、自らに潜む「迷い」の混入に対して、徹底的に厳しい姿勢であらねばならなかったのです。

 

  もちろん、昭和35年当時の日本は、60年安保闘争の真っ唯中。共産革命の波に日本が押し流されようとしていた非常事態であり、悠長な事を言っていられなかった時代背景があります。生長の家の全組織力を賭して日本を救わねばならなかった国家危急の一大事でありました。したがって致し方なかったとは言え、非常に残念ではあります。ある意味、雅春先生は生長の家全組織を捧げて迄、日本を救われようとした尊い行為であったのです。

 

  中心者自らを戒(いまし)める厳格な姿勢は、当時の総裁・副総裁は実践されていたに違いありませんが、そのことを大前提と見なし、それが永遠変わらざるものであるとの暗黙の前提に立ったところが、事の間違いであったのです。現象世界に不変の絶対性などというものは何も存在しないのです。ただそれを可能ならしめるものは、神意に対する中心帰一と、「謙虚さ」と「迷いの否定」という「自浄作用」を磨き続ける、絶え間ない努力と実践の継続のみであります。

 

  神意に対する飽くなき努力と実践の継続の誓いこそ、宣言すべきではなかったのでしょうか。このことこそ極めて困難な課題であり、最重要課題なのです。恐れ多い事ではありますが、その観点から拝察しましても、百二十五代に亘る天皇の絶大なる権威の連綿という歴史的事実は、余りにも奇蹟的であり、驚嘆極まりない御存在であると言わざるをえないのです。神意に対する中心帰一と無我を御実践遊ばされた天皇の御姿こそ、万人の否、全世界の手本となるべきものであります。

 

  生長の家組織においては、残念ながら形の上で半強制的義務として、組織に対する中心帰一という運動上の義務が採用されてしまいました。初代雅春先生の時代であれば、前述した如くそこに「権威」がありましたので、幹部信徒は違和感なく中心帰一しましたが、二代目総裁の時代は権威は徐々に廃れ、さらに三代目に至っては、もはや権威のかけらも感じられず、一挙に組織分裂崩壊に至りました。人は真にも正直なものです。人々を見くびってはなりませぬ。

 

  教団の中心者自身の心の中に巣食う「迷い」を峻別し否定し得るは、本人以外にはないのです。それを疎かにする者は、いずれ自己内在の「迷い」の毒素によって自家中毒を起こし、自己破壊、自滅崩壊せざるを得ないのは、当然すぎるほど当然なる宇宙の摂理であるのです。その自己破壊は、内部からの催しともなり、又外部からの強烈な攻撃とも現れるのです。なお、内なる迷いを斬り去ることのできない中心者に、盲目的に追従せる者も、真に同類項であると言わざるをえません。お気をつけ下さい。

 

  中心帰一すべきは、まずは中心者の立場にある者自身であるべきなのです。前述せる如く、この第九条が成立する大前提は、中心者が神意に徹底中心帰一せる「無我」であるということです。ただ、ここで注意すべきは、「神意」なる概念は極めて抽象的であり、それを説く指導者によりどうとでも解釈し得る余地を与えかねないということです。その人が究極何に対して帰一するのか? それを可能ならしめる最後の切り札は「天皇」への中心帰一となって初めて完成するのです。

 

  絶対無私の御存在であらせられる「天皇」への中心帰一に行き着かぬ宗教、信仰は、「権威」なきものとなり、いずれそこに内包する「嘘」「迷い」が暴露され、消滅せざるをえないこととなります。これは宇宙の摂理なのです。少なくとも日本の宗教にあっては、その点を肝に銘じねばなりません。いずれ、世界中の人々が、絶対無私であらせられる「天皇」の御存在意義を知るに至る事でしょう。先ずは日本人自らが、「天皇」に中心帰一することが求められるのです。特に「天皇信仰」であるところの生長の家の総裁たる者が、その一点にどう対処するかが、最大の注目点であると言わざるを得ません。三代目総裁にこの信仰姿勢は微塵も感じられないどころか、反日、反天皇の言動を始めた事自体、明確に糾弾すべき時期が到来したということになります。

 

  この期に及んでも頑(かたくな)に「生長の家大神-総裁・副総裁-御教・・・・」を押し付けようと躍起になっている幹部の姿を見聞きするに及んで、如何に神の摂理と、生長の家の実相哲学と、生長の家本来の「天皇信仰」に遠い存在かが窺い知れると云えましょう。生長の家の純真な皆様、いい加減に目を醒しましょう。

 

  目を醒すのは、「今でしょう!」

 

 

 追伸)

  余談ではありますが、「菩薩は何を為すべきか」の第九条は、こうすれば良かったのです。

 

  「第九条 生長の家の総裁・副総裁は、如何に運動の分野が多岐にわたり組織が複雑化するといえども、光明化運動の中心が何であるかを常に見失うことなく明らかに自覚して行動すべきである。生長の家大神-総裁・副総裁-御教。この三つを結び貫く神意の展開が、光明化運動の不動の中心である事を、生長の家総裁・副総裁たるものは一瞬たりとも忘れてはならない。光明化運動に於いては人は中心ではない。神意が中心である。総裁・副総裁たるもの、常に神と現人神であらせられる「天皇」に対する謙虚さと中心帰一を忘れず、自らの心と組織に混在する迷いの種を峻別し否定排除せんことを厳に心掛けねばならない。この運動に協力下さる方々も同様なる心がけを切に希望します。」 

 

 

 

中心帰一 その三/天皇に対する中心帰一 

 

<<   作成日時 : 2014/06/17 15:18   >>   

 

 「人は何のために生きるのか?」という究極の疑問の答えとして、私は常々このように答えています。「人は何のために死ねるのか?」

 

  人は如何に生きるべきか、と常に自問自答しています。その答えを求めて悩み苦しみます。しかし、それの答えを簡単に出す事は難しいものです。その難しさの理由を端的に申せば、生きるという意味合いの中には、魂(生命)的人間が生きることと、現象人間(肉体人間)が生きると言う相反する意味合いが共存しているからです。この両者はなかなか両立し得ないので、遠く古(いにしえ)から聖者たちは深刻に悩んだのです。

 

  魂を生き切るという場合、場合によっては、肉体生命を殺す事も厭(いと)わない場合が往々にして出て来ます。究極の形として、肉体生命と魂を比べた場合、どちらを選択するか、というところに行き着くのです。日本精神、日本武士道、日本の軍人精神の根本は、この峻別にこそあります。自分の存在を超える絶対価値に対して、自身の肉体生命を犠牲にし得る精神性です。それを端的に現し得たのは、大東亜戦争の日本兵の姿勢です。神風特攻隊は言うに及ばず、総ての日本兵が天皇と国家に自らの肉体生命を捧げきったのです。肉体生命は死すれども永遠生き通しの魂的生命は、長足なる進歩を遂げさらに高度な世界に進まれていることでしょう。

 

  雅春先生は生長の家の組織を造り上げながら、その存在を日本の魂であるところの「天皇国日本」に総てを捧げられました。そこに雅春先生の真骨頂があるのです。生命の実相哲学も「天皇国日本」の真の理解のための必須条件であったかのようです。「天皇国日本」の哲学的解釈の真髄は谷口実相哲学にある、とも言えましょう。谷口先生が御自身の生命、自らが築き上げた生長の家の総力を「天皇国日本」に捧げられたところの中心帰一の姿勢に、多くの愛国日本人が感動し、進んで信徒となり、自ずからの意思で率先して中心帰一していったのです。生長の家初期において、元来半強制的中心帰一なるものは微塵も存在していなかったのです。

 

  谷口雅春先生は、神国日本の神々(宇宙の創造神の古事記的表現)、特に「天照大御神」、現人神としての「天皇」、その御心の御働き、導きの御働きとしての「塩椎大神」(生長の家大神)、御心の顕現、現象秩序の展開、即ち宇宙浄化の御働きとしての「住吉大神」に対して、明確に中心帰一され続けているのです。先生は終生「天皇国日本」の実相顕現に全生命を捧げられました。人類光明化運動は「天皇国日本」の実相顕現と同義であります。

 

  雅春先生は、中心が生長の家であるとは言われなかった。そこに美しさがあるのです。如何に社会や世界に貢献しようが、優秀であろうが、宗教的天才であろうが、多くの人々が認めようとも、自分の造り上げた組織や自分自身を中心者としたならば、もはやそれは薄汚い「迷い」の反映と成り下がってしまうのです。美しさは「無我」から生じているのです。「無我」でないものは美しくないのです。

 

  誠に恐れ多い事ではありますが、天皇に「美しさ」と「尊さ」を感じざるを得ないのは、「無我」であらせられるからであります。天皇ほど神々に帰一されている存在はないのであります。その御存在に日本人は中心帰一してきたのです。絶対的な「神的権威」に対してであります。そこに一切の強制も縛りもありません。

 

  雅春先生も常に天皇に中心帰一されていたところに、「無我」の中心帰一の姿勢を貫かれた、先生の美しさが感じられるのです。現在の三代目生長の家総裁が、最後はどんな存在に中心帰一するのか、言葉を替えれば、誰に対して自分を殺す事ができるのか? 一度聞いてみたいものであります。一体どんな返事が返って来るのでしょう。信徒幹部に対して総裁に中心帰一させることを勧める前に、総裁自身が生命を賭して帰一する対象が何であるのかを、きちっと信徒に言動一致で示す事が先決でありましょう。でなければ「権威」など微塵もないのです。

 

  彼の言動を見ていると、反日、反生長の家、反雅春先生・・・であります。言葉面では尤もらしき事を言っているようですが、どうも美しく感じられません。権威が全くないのであります。口では偉い事を話しても、複雑怪奇な文章を書いても、周囲の大切な人に対して悉く喧嘩を売っています。お話になりません。彼の存在は、どこからどう観ても美しくないのです。ちなみに複雑怪奇な文章を書くのは、本人が解っていない証拠です。同時に自分の矛盾点を知られたくないための手口ですよ。皆様お気をつけ下さいね。膨大なるインチキ「資本論」を書いて、小難しい用語を並べ立てて、人々を嘘で誤摩化し、世界中を共産革命しようとしたマルクス等いい例です。

 

  彼は何のために生きているのでしょうか? 言葉を替えれば、誰のために死のうとしているのでしょうか? 天皇の為に一切を捧げきった時、広大無辺の「無我」の美しさが初めて感じられる事など、到底彼如きには判らんでしょう。

 

 

/ 中心帰一 その四 / 中心帰一の理念と「天皇」への展開 

 

<<   作成日時 : 2014/06/20 00:24   >>

 

 どうも「菩薩は何を為すべきか」の第九条に書かれている部分だけに焦点が集まりがちなので、どうしても間違った解釈がなされるのかもしれません。同本の第五条に大変重要な記載があるので、平行してご紹介します。ちょっと長い引用となります。

 

  《第五条 生長の家の各員は、人間神の子の自覚が、日本民族が悠久の昔より世々代々承け継ぎ語り継いできた「命(みこと)」の自覚にほかならず、生長の家立教の使命が同時に日本建国の理念の現成にほかならない事を明らかにすべきである。日本民族は存在の究極を、一切のものの生成の根源たる普遍的絶対者を、天之御中主神として把握し、その「中(みなか)」への帰一とその「中(みなか)」の展開、即ち宇宙普遍の原理の地上的顕現を日本国家形成の理念とし、天津日嗣(あまつひつぎ)とはこの理念のさながらなる継承以外にはなく、・・・(中略)・・・この理念の継承実現にまします》(谷口雅春・谷口清超共著「菩薩は何を為すべきか」より一部引用)

 

  ここに《生長の家立教の使命が同時に日本建国の理念の現成にほかならない》とあり、さらに《単に自分の祖国たるのみの理由にて日本を愛するのではなく、東洋と西洋との中間に位して一切を生かす大乗の真理国家たる事が日本の理念であるからこそこの国の国体を鑽仰してやまず、・・・(中略)・・・各自互に明確に自覚し合い、その行動の根拠となし合うべきである》(「菩薩は何を為すべきか」より一部引用)とあるように、生長の家立教の使命と信仰の本質は、偏に日本建国の理念の現象世界への完成のためにある事が明確に示されているのです。

 

  《宇宙普遍の原理の地上的顕現を日本国家形成の理念とし、天津日嗣とはこの理念のさながらなる継承以外にはなく、・・・(中略)・・・この理念の継承実現にまします》とあるように、日本建国の理念とは、具体的には「天皇」にあることを明記しています。

 

  これこそが生長の家本来の存在意義なのであります。この日本建国の理念を現象世界に展開するためには、全世界の人々が総て「神の子」であることを明確に解き明かさねばならないのです。それが生命の実相哲学となり、人類光明化運動として全世界に展開しているわけであります。

 

  ただ単に人類光明化運動が単独で存在しているということではないのです。人類光明化運動は真理国家日本建国の理念の全世界的展開運動そのものであるのです。人間が神の子であるという本質に気がつくということは、総ての人間が一つなる親神様の子供であることに気付くことであり、それはただ単に抽象的「神」への帰一に留まらず、その地上的展開の象徴としての、無私なる権威の最高峰「天皇」に対する中心帰一という雛形を、人類は学ぶことになると思うのであります。それが理解でき無理なく受け入れられる時代がいずれ訪れるでありましょう。

 

  その時の準備として、生長の家は立教されたのであります。その立教の使命を初代生長の家総裁は明確に説いておられましたが、二代目になるとその解き方はかなり薄まってしまいました。さらに三代目の現在では、全く説かれなくなり、真逆の思想に変わってしまったのです。誠に嘆かわしい限りであります。どこに生長の家立教の使命がありましょう。組織は分裂し「八ヶ岳教団」と揶揄され、「売り家と唐様で書く三代目」と馬鹿にされるのは、当然であります。

 

  やはり本質的問題の在りかは、生長の家立教の使命がどこにあったのかということを、明確にして来なかったところにあるのです。今一度、生長の家を愛する信徒誌友は、生長の家立教の使命を明確に学び直す時期に来ているのであります。

 

  何に対して中心帰一するのか? 何に対して自分は生命を掛け得るのか? 何のために生長の家を学んでいるのか? 総ての信徒誌友は生長の家分裂混乱衰退せる今の時期にこそ、真剣に自分に問いたださねばならないのです。もし立教の精神を否定し無視し続けるなら、その組織は神界高級霊界から託されたエネルギーを感受することはできなくなり、存在意義を失い、自滅崩壊する以外に道はなくなるでありましょう。

 

  その根本問題に対する問いかけなしに、表面上「総裁・副総裁に中心帰一」などとお題目を称えようとも、何の値打ちがありましょうか。逆に悪業を積むだけの諸行でしかなくなるではありませんか。現総裁が生命をかけて天皇様に中心帰一し、日本建国の正しい理念に帰るべく、天皇国日本の実相顕現に対する明確なる発言と行動をされる時、信徒誌友は総裁に喜んで中心帰一することでありましょう。そのことを心待ちにしている信徒誌友は膨大な数に上ると考えられます。

 

  現総裁は先般、総本山の龍宮住吉本宮顕斎殿にて、土足で清浄なる壇上に上がりました。世界からの参加者がいるからとかの理屈をつけているようですが、清浄な場を踏みにじろうとする願望の隠れ蓑にすぎないと考えられます。さらに龍宮住吉本宮に通ずる実相額の前をわざわざ布で覆い、龍宮住吉本宮と実相額を隠してしまいました。さらに本来誰もが龍宮住吉本宮と実相額に対して礼拝するところを、誰にも礼拝させなかったのです。ひとり会釈した非常任理事はその後非常任理事を外されたとのことです。

 

  総本山の龍宮住吉本宮は、雅春先生が鎮護国家のために建立された神社です。「天皇国日本」の実相顕現のための鎮護国家の神社であります。そこにも明確に雅春先生の生長の家立教の使命が現れております。その鎮護国家龍宮住吉本宮に対する三代目総裁の対応は、生長の家の立教の精神を踏みにじり、破壊する行為であるのです。

 

  さらに、既に龍宮住吉本宮の理念「鎮護国家」は下ろされてしまいました。《生長の家総本山の祭祀の重点を「鎮護国家」から「世界平和」へ移す》(平成二十四年十一月二十日教化部長懇談会資料より)なる方針が出されました。また、三代目総裁のブログ「唐松模様」20121122日に《雅春先生がこの生長の家総本山を建立され、そこに“七つの燈台”を建てられ、その第1番目の燈台に「天孫降臨皇御国成就燈」という名前を付けられたことの意味は、明確になると思います。先生が私たちに託された願いは、「天の下ことごとくに神の御心が満ちひろがる世界が来ること」です。「日本に天皇制国家を樹立する」などと解釈することは、全くの誤りであります。だから、私たちは世界各地に“神意”が拡大していくことを目指さねばなりません。》とあり、彼は天皇に対して明確に否定し始めました。

 

  彼は日本建国の理念、即ち「天皇国日本」を真っ向から反対し破壊したいのでしょう。彼がどんな思想信条を持とうが、それは彼の自由でありますから、別に良いのでありますが、問題は「生長の家」という天皇信仰が基本であるところの宗教団体の総裁として、その立教の精神に全く反する言動を行って、信徒誌友を惑わしているところにあるのです。

 

  その行為は生長の家の立教の使命に反し、創始者谷口雅春先生と二代目総裁につばを吐きかけ、恐れ多くも「天皇」に弓矢を引き、日本国家を愛し護り給う無数の霊界諸霊たちに対して戦いを挑み、吾々愛国者且つ生長の家を愛する数多くの人々に対しても攻撃していることになるのです。〝攻撃〟された事実に対しては、明確に〝反撃〟し、その非を明らかにせねばなりません。三代目総裁はそのことの重大性を知らないのでしょう。親を否定し、祖父を否定し、日本国の中心者「天皇」を否定し、国家建国の理念を否定し、無数の霊界神界の諸霊に反目し、膨大な数の〝愛国者〟であるところの信徒誌友を〝敵〟に回したのであります。そして純真なる生長の家信徒たちを欺いているのです。さらに増して、宇宙の根本理念であるところの「中心帰一」の理念「中(みなか)」の理念に反しているのです。

 

  彼自らが起こしたこれらの不調和の言動は、彼自身で刈り取ることになります。何人(なんびと)も三界唯心所現、心の法則から微塵も逃れることはできないのです。天皇、親、祖父を否定する事は、自らの存在自体を否定することになります。様々な問題は総てこの一点から生じていることを、彼自身改めて学ぶ時がいつか訪れるでしょう。生長の家で行われている練成会での様々な解決の基本は、実にこの一点なのです。生長の家総裁を自認する彼が、そんな基礎的問題も知らないのです。生長の家信徒の風上にも置けぬ輩というべきでしょう。まずは一信徒から出直して練成道場で下座の行を通して修行をし、しっかりと両親、祖父母、祖先、天皇に感謝し、天地一切のものに感謝しましょう。そして兄弟親戚の皆様とも和解しましょう。その感謝が出来た後、初めて徐々に組織の段階を上がりたければ上がればよろしいでしょう。先ずは「天地一切に感謝」ですよ!生長の家人にとってのイロハのイです。

 

  生長の家の尤も重要な神示「大調和の神示」に次の通り示されています。《神に感謝しても天地万物に感謝せぬものは天地万物と和解が成立せぬ 天地万物との和解が成立せねば 神は助けとうても 争いの念波は神の救いの念波を能う受けぬ 皇恩に感謝せよ 汝の父母に感謝せよ 汝の夫又は妻に感謝せよ 汝の子に感謝せよ 汝の召使に感謝せよ 一切の人々に感謝せよ 天地の万物に感謝せよ その感謝の念の中にこそ汝はわが姿を見 わが救を受けるであろう われは全ての総てであるからすべてと和解したものの中にのみわれはいる》(『甘露の法雨』より一部引用)

 

  彼の不調和の精神波動は、生長の家の根本神示に照らしても完全に落第だと小生は思います。それを隠して無理やり反抗することは、悪業を蓄積することになります。業はいつか必ず崩壊するのです。大きく蓄積した業は、大きな自壊作用を伴って崩れ去ります。その時のショックは極めて大きなものとならざるを得ないのです。そんなことは生長の家の真理を学んでいる信徒であれば、誰もが知っている事でしょう。

 

  「中心帰一」これは宇宙の基本理念であります。古事記にあるところの「中(みなか)」の理念です。これは総てに当て嵌まる理念であり、国家においては「天皇国日本」となります。すなわち宇宙の根本原理たる「中心帰一」の理念が、国家へ展開した時、「天皇国日本」となって展開しているのであります。その中心者たる「天皇」は「天照大御神」の御現れであり、「無私大愛」の御存在にまします。

 

  また、生長の家という組織においては、《生長の家立教の使命が同時に日本建国の理念の現成にほかならない》という「天皇国日本の実相顕現運動」にこそ生長の家立教の使命が立脚しているのであります。したがって生長の家内部においての中心帰一とは、「日本建国の理念の現成」(天皇国日本の実相顕現運動)なる立教の使命に対する中心帰一となるのです。理念的に申せば、立教の精神をすり替えてしまった現総裁は、もはや生長の家の中心者ではなくなってしまったということを意味するのです。「総裁」という名称と権力の座に居座っているだけの傀儡に過ぎないということになりましょう。傀儡は傀儡であって、真の中心者ではないことを、生長の家信徒誌友は明確に理解すべき時期がきたのです。

 

  皆さんはっきりと中心帰一の原理を把握しようではありませんか。本物の理念に中心帰一するのは素晴らしいことですが、傀儡の偽物に中心帰一するのは、「中心帰一という宇宙の理念そのもの」に反することとなるのです。

 

  あなたはどちらを選択なさいますか? 生長の家の本物の立教の理念にですか? それとも偽物傀儡にですか? 全て選択の自由はご自身に託されていますので、その選択は自由であります。 何人も強制はできぬものです。しかし選択した結果は、総て選択したご自身が、責任をもって拾い上げねばならないのです。総てはあなたご自身に返ってくるのです。 

http://56937977.at.webry.info/201406/article_1.html

 

 

昨日も兵庫県の八祥会館を訪問して、幹部の白鳩の人と話したが、やはり「現総裁」の中心帰一の呪縛から離れられないでいる。「生長の家」の歴史を勉強すればわかるのであるが、そういうことをさせないでいる「現教団」の罪の深さを感じるのである。

また「谷口雅宣」という現象人間を対象物に「中心帰一」を教えているから間違うのです。だからこそ、私は以前に似非教団の否定こそが「今を生きる」眞理を體得できる唯一の方法なんですと書いてきました。

 

最近はそういうことも書くのも馬鹿らしくなってきていました。何か「そういう谷口雅宣」の誤った指導に「情けなさ」だけが感情として出てきます。

それでも、今回書いたのが「亀の子ブログ」の影響であります。

重ねて読んで頂くと「現教団」の間違いがはっきりとわかります。

https://blogs.yahoo.co.jp/kamenoko159357

 

新島襄と楠木正成

私は「楠木正成」について各地を探訪したりしています。

今回神戸という地について、昨日は色々なことを考えて歩きました。

 

それは昨日訪問した「会下山公園」でもそうなんですが、神戸駅から東側の「福厳寺」もそうです。

谷口雅春先生が生誕された烏原水源地からもすぐ近くにあります。ここは「平清盛」の時代の安徳天皇の「福原京」でもある。「福厳寺」も谷口雅春先生の立教なされた時にお勤めされていた「バキュームオイルカンパニー」の「神戸市中央区京町」からも近い場所にあります。昔は大輪田泊から北の夢前までが「福原京」でもあった。

時代は経過して古戦場となり、また静かな場所となる。

 

それでも精神は風化させてはならない。

谷口雅春先生は如何に考えて「生長の家」を立教なされたのかを勉強しなければならない。

それを怠っているから、現在の状況が生まれたのです。

今はそうした勉強をしないから、時代という言い訳をしているから、進歩出来ないのです。

昨日の湊川神社で明治時代に「湊川神社」に訪問した新島襄(同志社大学設立)は「嗚呼忠臣楠氏之墓」に詣でて、感涙してその拓本を持って帰った。

今もそれが新島襄の自宅にあります。その言葉は「ますます感じ、涙流さぬばかり」

私は時代に面してそういう感情が無くなってしまっているから、歴史に何の感情も抱かぬようになったのであります。

 

 

下記は「日本の教育読み物」新島襄の初心から抜粋致します。

「八重の櫻」は何を問いかけたいのでしょうか

 

 昨今話題の大河ドラマ「八重の櫻」は、戊辰内乱における会津城攻防で奮戦した女性、山本八重を主人公したもので、3・11の東北大震災から立ちあがろうとしている東北への応援歌、会津落城の悲運を乗り越え、新時代に飛翔していく精神のありかを八重の生き方を問うことでさぐり、現在何が求められているかを照射しようとの思いが託されているようです。NHKは、「八重の櫻」のみならず、「日本人は何を考えてきたのか」なる番組においても、強く「東北」にひきよせた目で現在問われている課題を提示しようとしております。ここには、その短絡的にしていささか強引な番組づくりはさておき、東北再生に日本の明日を思い描き、その原点に精神の賦活をうながす魂の拠り所を求めたいとの強き想いが読みとれます。「八重の櫻」は何を現代に問いかけようとしているのでしょうか。会津士魂なるものの原点にある「ならぬ事はならぬものです」と語り聞かされてきた世界こそは、よるべき精神の在りかを忘失したかに見える現在の教育に対するかなめ石とみなし、世間の風浪に立ち向かえる強き心を担いうるものとのメッセージを提示したいのでしょうか。

  私は、山本八重-同志社の創立者新島襄の妻なる女性が巷の話題となり、その相貌が日本のジャンヌダルクなる物語として語り出されたのを目にした時、強い違和感に囚われた一人です。八重を「会津士魂」に引き寄せて語るのではなく、夫新島襄が説き聞かせた世界と重ね、襄が日本に寄せた世界に八重の生き方を読み解くことを期待したことによります。

 

時代人心に寄せる新島襄の想い

 

 上州安中藩(現群馬県安中市)江戸詰家臣新島襄(幼名七五三太〔しめた〕)、アメリカにおいてキリスト者となりヨセフの物語をふまえ襄)は、ペリー来航によって生まれた嘉永癸丑(嘉永6、1853年)からの危機の時代、神州の明日に想いを馳せ、欧米列強の植民地にされるのではないかとの激しい攘夷の志にうながされてアメリカに密出国した青年です。青年の心には尊皇なる義に身を捧げた楠正成を追慕する心がありました。

  新島が湊川の正成の廟に詣でたのは、文久2(1862)年12月、備中(現岡山県)高梁藩の船で訓練中、兵庫に入港した際です。湊川の楠公廟に立った新島は、「手洗い口そそぎ、廟前に拝すれば、何と無く古を思い起し、嗚呼忠臣楠氏之墓と記したるを詠みて一拝し、又詠みて一拝、墓後に廻り朱氏の文を読めば益感じ涙流さぬ計り」と感きわまり、「寒風吹来」るなかで、己のこころを「幾とせも尽ぬ香を吹きよせて袖にみたす松の下風」という歌にたくし「吐出」しております。まさに楠公によせる強き思いは、終の棲家となった京都の自宅書斎(京都御所の側、上京区寺町通り)にその拓本「嗚呼忠臣楠氏之墓」の銘文をかかげているなかに読みとれます。この日の感奮こそは心の原点となったものです。この兵庫では、湊川の帰路に平清盛の墓を一見しますが、「甚大なる者なれ共、一拝する気はなかりけり」と、平氏を天皇に背いたものと冷たく見放しています。ここには、頼山陽の『日本外史』が説き聞かせた尊皇の国日本という国のかたちによりそうことで、己の立つ場を確かめる青年の姿がうかがえます。

  新島は、嘉永癸丑以来の危機に対処するためにも、日本を脅かす「夷狄」たる欧米列強を知ること、夷情探索が急務との想いにうながされ、米国行きを決意、函館でその機会をうかがいます。開港場函館の地でロシア領事館が経営する病院の親切な対応に「函館の人民」の心が引き寄せられている状況を見聞した新島は「予切に嘆ず、函館の人民多年魯(ロシア)の恵救を得ば、我か政府を背に却て汲々として魯人を仰かん事を」との強い危機感にとらわれます。その想いは、堤防の小さい穴がやがて決壊して田地人家を流出させるように、「嗚呼我政府早く函館の少しく欠けし堤を収めされば、遂に魯国の水全堤を潰し、人民水に順い流れ、百万其れ塞ぐ能わさるに至らん(嗚呼我の嘆息はゴマメの切歯と同じ事か)」と、ロシアの植民地となるのではないかとの強い危機感でした。この危機感こそは、新しい国のかたちを求め、密出国をさせ、船中で聖書の神に出会い、米国における精神の覚醒に途を開き、キリスト者たる己の場を確かなものとし、新島襄、日本を導くヨセフたらんと決意した新島襄を誕生させたものにほかなりません。

 

一国を維持する者とは

 

 帰国した新島襄は、日本にキリスト教主義の大学を創設し、新生日本を担うにたる人物の育成をめざします。この教育への志は、政府が富国強兵をささえる人間を求めたのに対し、国家の富強が人民の道義力にあるとの思いにほかなりません。「同志社大学設立の旨意」(明治2111月)は一国を維持する上で何が求められているかを次のように問いかけています。

 

 

一国を維持するは決して二三英雄の力に非ず、実に一国を組織する教育あり、智識あり、品行ある人民の力に拠らざる可からず、是等の人民は一国の良心とも謂う可き人々なり、而して吾人は即ち此の一国の良心とも謂う可き人々を養成せんと欲す、吾人が目的とする所実に斯くの如し、諺に曰く、一年の謀ごとは穀を植ゆるに在り、十年の謀ごとは木を植ゆるに在り、百年の謀ごとは人を植ゆるに在りと、

 

 このように問いかける新島は、明治23年の国会開設を前に、「立憲政体を維持するは智識あり、品行あり、自から立ち、自から治むるの人民たらざれば能はず」と、立憲政体が地に根ざすために求められる「人民」像、市民の在り方を説き聞かせています。この「智識あり、品行あり、自から立ち、自から治むるの人民」への期待、この新島の激しき思いは現在実現しているでしょうか。この問いかけに心すれば、昨今聞く「教育再生」とか「美しい国日本」なる言説には、「一国の良心とも謂う可き人々」への目がないだけに、その空虚さのみがめだちます。

  「八重の櫻」は、ここに紹介した夫新島襄の問いかけを八重がいかに受けとめていたか、この視点から八重の激しき生き方を検証してみたらどうでしょうか。「ならぬ事はならぬものです」という世界は、新島が国のかたちの原器を担うとした精神の在り方を場に問い質したとき、明日を生き得る精神の糧を可能にするのではないでしょうか。その際、前回述べた新渡戸稲造が説いた垂直的な思考をする目と重ねて世界を読み解くとき、新島の智識、品行、自立、自治を可能とする私の場が確かなものとなるのではないでしょうか。

湊川の戦い-2

81306024001427[1]


 

私は以前に大倉山を散策したことがある。ちょうど横には神戸中央図書館があり、それを見てから大倉山で休憩をした憶えがあります。

高台になっており、神戸の町を一望できます。ここも楠木正成軍が陣を置いた場所ともいわれる。ここは源平合戦でも戦に使われた場所である。

しかし、時間の関係もあり、大倉山は今回行かなかった。まずは会下山である。それは湊川の戦いで最初に陣を置いた場所であるからである。

 

「歴史探訪記」から抜粋

1335年(建武2)12月11日、後醍醐天皇に叛いて武家政権の樹立を目指す足利尊氏は竹之下で新田義貞を破り、1336年(建武3)1月、京に攻め上がった。しかしその間奥羽北畠顕家は兵を率いて尊氏不在の鎌倉を占拠すると、そのまま尊氏の後を追い西上、尊氏軍を撃破した。

更に豊島河原・打出浜合戦にも敗れた尊氏は海路九州へ敗走するが、その後多々良浜合戦に勝利し、勢力を回復すると光厳天皇を奉じ東上を開始した。これを迎え撃つ為、楠木正成は京を発し、5月24日、既に新田義貞が布陣する湊川に着陣した。正成は会下山に本陣を構え、楠木勢の総兵力は7百余りであったといわれる。

25日、新田勢ははじめ和田岬に布陣していたが、敵勢の多さに生田の森まで後退していた。ここで足利方細川勢に攻められた新田勢は退路を断たれる恐れから全軍東進し、そのまま正成を置いて京へ退く。細川勢は敗走する新田勢を追わず、反転して楠木勢の背後に回り、その間水軍主力も上陸して尊氏軍は楠木勢を完全に包囲した。

午前10時、孤立無援となった楠木勢先鋒3百騎は会下山を下りて赤松勢へ突入し、細川勢、島津勢も崩れかかった。楠木勢主力もそれに続き、6時間に及ぶ激戦が行われるが、力尽きた正成以下僅かの郎党は湊川北方の民家に入り、自刃した。

 
それでは、会下山公園に
P1190685
P1190686
P1190690
神戸の山を見下ろす会下山は陣を張るにはいいところでもある。水路からももちろん、陸路からも見渡せる。東郷平八郎大将揮毫の「大楠公湊川陣之遺跡」がたくましく聳える。
その山の東側にも東郷平八郎揮毫の遺跡がある。
P1190678
さて、その後は善光寺境内にある「平業盛」という少年武者の御墓に行った。P1190692
P1190693

 

 

それからしばらく南下して「福厳寺」に行った。


ここは「福厳寺」である。下図は「史跡後醍醐天皇駐蹕之處」である。


先日の奈良県橿原市の「明治天皇今井行在所」のなかにも「明治天皇駐蹕之處」があります。

明治天皇の駐蹕之處は全国にありますが「後醍醐天皇駐蹕之處」は珍しい。


P1190703
P1190705

昨日は行けなかったが
後醍醐天皇霊水碑(薬仙寺)

後醍醐天皇霊水碑(薬仙寺)

後醍醐天皇が隠岐から還幸の途中、兵庫津の福厳寺に立ち寄られて滞在されたとき、薬仙寺の霊水を服薬のために差し上げたという。境内には『後醍醐天皇御薬水薬師出現古跡湧水』の碑がある。


産経新聞の「楠木正成考」には
湊川神社(神戸市中央区)の境内に、楠木正成の生涯を絵入りで解説した「大楠公御一代記」の看板がある。その中で、ひときわ晴れがましい光景として描かれているのが、船上山(鳥取県)から京に還幸する後醍醐天皇を兵庫の地で迎える正成の姿だ。

  〈楠多門(たもん)(聞)兵衛正成、三千余騎を卒して参向す。その形勢ゆゆしくぞ見えたりける〉 『太平記』はそう記す。

 

 後に終焉(しゅうえん)の地となる兵庫だが、この時の正成にとっては下赤坂城で挙兵して以来、鎌倉幕府の大軍と戦い続けてきた労苦が報われた「栄光の地」にほかならなかった。

  「大義早速の功、ひとへに汝(なんじ)が忠戦にあり」

 後醍醐天皇は、乗っていた御車のすだれを巻き上げさせ、正成にこう語りかけた。

 「姿や顔を見せない従来の天皇像とは異なった、後醍醐天皇独自の気質がうかがえる。正成を重視する太平記の姿勢が、破格ともいえる天皇の対応に投影されているのではないか」

 

 神戸大の市澤哲教授はそう話す。

      ◇    ◇

 後醍醐天皇が兵庫に滞在した際、行在所(あんざいしょ)としたのが臨済宗の寺院、福厳寺(ふくごんじ)(神戸市兵庫区)だ。「港だった兵庫津から遠くない立地が行在所に選ばれた理由かもしれません。当時の禅僧は大陸と国内各地を往来しており、さまざまな情報に接するには最適だったのではないでしょうか」

 

 神田謙光住職はそう推測する。実際、後醍醐天皇は同寺で、鎌倉幕府滅亡の知らせを受ける。新田義貞が鎌倉を落とし、北条高時らを自害に追い込んで十日後だった。福厳寺からほど近い薬仙寺(同)には、福厳寺に滞在した後醍醐天皇が病に伏し、吉報を耳にしても癒える気配がなかったという伝承が残る。

 

 そこで、薬仙寺の住職が境内にわいていた霊水を献上したところ、病が治ったという。『薬仙寺縁起絵巻』には、菊水の旗の下、弓を携えて福厳寺の庭に控える正成の姿が描かれる。この場面は、昭和初期の尋常小学校の国史教科書に掲載されていたという。

 

  産経新聞連載・記事から抜粋

                   2016年7月28日

楠木正成・考《建武の新政》①

  「教科書では住職が霊水を献上する光景としてではなく、正成が後醜醐天皇に拝謁する場面として説明されていたようです。正成の影響力の大きさを感じます」

 薬仙寺の後藤尚玄住職はそう話す。絵巻は、昭和二十年の神戸大空襲で失われ、今は寺に残された絵はがきで内容をしのぶしかない。



次回は湊川神社の事で書きたい。
この湊川神社は明治維新の志士達が楠木正成に憧れて立ち寄った場所でもある。

現在放映されている「西郷隆盛」もこの「嗚呼忠臣楠氏之墓」の前で額ずいて「日本の国難」を防ぎ、国体を護る為に奔走したのであります。

 





湊川の戦い-1

昨日は久しぶりに湊川神社周辺を散策した。

その散策理由は湊川の戦いの意義というのか地形でみる湊川の戦いとは何かである。

そもそも湊川の戦いとはなんであるかと申しますと。

「天の夢 地の道」から抜粋

 一三三六年四月九日、後伏見法皇が崩御した。享年四十九歳。持明院統の将来を憂えた法皇は、勝利を見る事なく、生涯を終えたのである。全ては光厳上皇の手に委ねられた。

 五月五日、海路上洛を開始した足利軍は備後鞆の津に到着した。この地で、尊氏は、軍を水陸の二つに分けた。十日、海路を尊氏が、陸路を弟直義が率い、進軍が再開された。
『梅松論』によると、両軍の編成は次のようなものだった。
・海路軍:足利尊氏(大将)・高師直(副将)、譜代の家臣、関東・京の有力者
・陸路軍:足利直義(大将)・高師泰(副将)、九州・中国勢、関東・京の諸氏
海路を進む尊氏は、四国勢(細川・河野)との合流を目論んでいる。東に向けて航海する海路軍の前に、間もなく、足利の家紋を付けた船五百隻が、姿を現した。
 しかし、事前の連絡が上手くいってなかったためか、少しばかり混乱が起きた。
『楠が謀に御方と號して向ふなど聞えて少々騒ぎたり』(梅松論)
“楠木正成が、味方に偽装し、攻めてきたのではないかと少々騒ぎになった”
足利軍は、小なりといえど、楠木正成を恐れていたようだ。
一方、陸を行く直義も、海路軍と歩調を合わせ、軍を東へ進めていく。その役割は、道々で中国勢を吸収する事と、備前の脇屋義助軍(義貞の弟)を蹴散らす事であった。
直義は、大軍を着実に運用する手腕に関しては見るものがあったらしく、この時は、見事兄の期待に応え、十八日備前から脇屋勢を追い落している。

 播磨に近付く足利の大軍を前に、新田義貞・脇屋義助兄弟は、なすすべもなく後退していく。白旗城の囲みも解け、尊氏は十九日、田室で赤松円心との再会を果たした。
『せめ口に捨置旗百餘流持參す』
“攻め口に捨置かれていた旗を、百あまり持参いたしました”
赤松円心という男は、本当に目端がよく利く。
これによって、新田軍の陣容をつかんだ尊氏は、こう言った。
『御方へ戰功有輩は少々見ゆる』
“以前、味方に付いていた者も少々見える”
おそらく、尊氏が西走している間、新田軍から攻撃を受けないため、そうしたのだろう。だが、昨日の都合で動いた連中など、明日の都合で何とでも動かせる。
『是等もはたして御方に參るべし』
“これらも、(今後の)情勢次第で、味方に付くだろう”
『中々快の御顔色なりし』
“将軍は、お喜びの様子であった”
あるいは、足利尊氏の凄味は、このあたりにあるのかもしれない。尊氏の脳裏には、相次ぐ寝返りで崩壊する新田軍の姿がありありと浮かんでいた。まもなく、天下は決する。
 事はすべて、尊氏の思惑通りに動いているかに見えた。

 だが、その頃、尊氏の思惑を封じようとする人物が尼崎に着陣していた。
『今度は君の戦必ず破るべし』
“こたびは、君の戦、必ず敗るべし”
悲壮な表情をして戦場に立つ将こそ、摂津・河内・和泉国守護、楠木正成である。
 恐るべきは、宮方の敗北を確信しながら、なお戦場に臨んでいる事である。そして、戦場にありながら、正成の目は、足利との決戦ではなく、“戦後”に向けられていた。
 正成は、何故か息子正行らを決戦の地に連れず、河内に配している。足利との決戦に、一兵でも多くを必要とする時に、である。河内に護るべきものがあったのだろうか。
その一つは、「堺―紀伊」沿岸部の制海権だろう。宮方には、紀伊の小山氏らがいる。間もなく誕生する南朝が、半世紀以上にわたって命脈を保ったのは、経済都市「堺」の商人達を味方に付け、紀伊の水軍と結んで畿南の制海権を確保したからである。
商人に水軍。武家の尊氏では、所詮彼らを生かしきれない。だからこそ、正成は後醍醐天皇を仰ぐ。正成亡き後も、楠木一族は河内に割拠し、南朝の民を護り続けるのである。

 まもなく、楠木軍は新田軍と合流し、湊川に着陣した。
尊氏率いる水軍は、このあたりで上陸を決行するだろう。しかし、山と海に囲まれた地である。山間部の地形を利用すれば、敵の大軍に一矢報いる機も訪れよう。
失うのは、正成の命一つ。護るのは、宮方に生き場を求める者達の未来であった。

 五月二十五日、足利軍と新田・楠木軍は衝突した。この「湊川の戦い」で、足利方は水陸両軍を展開している。海路軍は足利尊氏が指揮し、陸路軍は足利直義が指揮する。
対する宮方は、新田義貞軍を本軍とし、楠木正成軍を支軍とする。
西から順に位置関係を確認しよう。西には足利直義軍が布陣した。直義軍北の「山の手」には斯波高経勢が、南の「浜の手」である和田岬西岸には少弐頼尚勢が布陣した。陸路軍は、三方から東進することになる。これに対処するのは湊川に布陣する楠木正成・正季(正成の弟)である。正成は直義軍と対峙し、正季は斯波勢に対応する。
ならば、少弐勢は誰が止めるのか。新田軍しかいない。新田軍は和田岬東岸に先方を置いていた。しかし、ここで疑問が生じる。ならば、海路軍の動きには誰が対処する。
まさか、船戦の経験に乏しい義貞は、水陸両軍に対処できると考えていたのだろうか。

 巳の刻(午前十時)、戦いは少弐勢の和田岬東岸への進撃をもって始まった。これを見た尊氏は、海路軍の主力を挙げて和田岬南岸への上陸作戦を決行した。その結果、新田軍は西と南の二方から攻撃を受けた。堪らず、新田軍先方の脇屋義助勢は、後方に退いた。

 事態が急転したのはこの後だった。
『四國の勢。兵庫の敵を落さじとて生田の森の邊よりあがりける』
“四国勢が、兵庫に陣取る義貞軍を逃すまいと、生田の森から上陸した”
和田岬の“更に東”へと進軍した、「海路軍の別動隊」が、突如生田の森で上陸を開始したのである。この戦いで、尊氏の采配は巧緻を極めた。尊氏は、細川定禅率いる別働隊に新田軍後方、つまり京への退路の遮断を命じたのである。
このままでは東西から挟撃される。慌てた義貞は軍を東に後退させた。そして、生田の森で細川勢としばし交戦したあと、浮き足立ち、京への退却を開始した。

 細川勢は、退却する新田軍を、追撃しようともしなかった。
『定禪義貞には目をかけずして』
“定禅は義貞には、目もかけなかった”
『湊川に楠正成殘て大手の合戰最中のよし聞えしかば、下御所の御勢に馳加』
“湊川に楠木正成が残って、合戦しているのを察知し、直義勢に加わった”
辛辣にも、西の楠木軍目掛けて転身したのである。
こうして、未だ西方で直義軍・斯波勢と戦う楠木軍は東西から包囲された。

 水路尊氏軍・陸路直義軍の連携。別働隊による新田軍の動揺。そして今、別働隊を再利用した新田軍・楠木軍の分断。正成は敗北を悟った。直義軍・斯波勢は、この後、一刻も早く楠木軍を敗走させ、新田軍の追撃にうつるだろう。全軍崩壊の危機だった。

 この危機に、正成は戦場に残る事を決意した。やはり、新田では足利は討てぬ。
正成は、己の正しさを噛み締めながらも、“最後の策”を打つ事を決めた。
そこまで生きたいなら、義貞を生還させてやる。直義軍を足止めし、新田軍を一兵でも多く、戦場から離脱させるのだ。その代わり、義貞には「役割」を負ってもらう。
楠木軍最後の戦いが始まった。それは捨て身であり、楠木軍は死兵であった。
 しかし、直義は、長時間にわたる攻勢を凌ぎ、楠木軍を壊滅に追い込んでいった。

 十分な時間を稼いだ事を悟った正成は、ようやく逃走を開始した。
『疵を被る、をりから布ひきに候なん』(諸庄々文書案全 )
まず、傷を負った者から布引瀧方面に落ち延びさせる。その後、自らも二十八騎を伴い、
戦場からの離脱を図った。だが、既に周りは、足利の大軍あるのみである。

 正成は、湊川周辺のとある村に逃れた。粗末な小屋がある。
主従は、ここでしばしの休息を取った。だが、程なく、細川勢がこれを嗅ぎつけた。
『申時、小家に火をかけ自害仕候』
“申時(午後四時)、楠木正成は、小屋に火をかけ、自害した”
楠木正成自害。享年は分かっていない。二十八騎もこれに殉じた。
小屋の火を見た細川勢は、慌てて既に息絶えた正成の首を捕った。
『魚御堂申候僧所へ所領五十丁の処を寄て、孝養』
“魚御堂という所へ所領を寄進して、孝養が行なわれた”
正成の首は二日間晒された後、懇ろに供養された。
こうして、楠木軍との激戦に疲れ、正成の首級に満足した足利軍は新田義貞を逃した。その間、西宮で反撃を試みてきた新田軍を打ち破ったにもかかわらず。

 思い出してもらいたい、足利の敵は「後醍醐天皇」に見えるが、政治的には「新田義貞」である。現に尊氏は光厳上皇を奉じている。天皇と敵対しているのは“上皇”だった。
尊氏は“あくまで、院の命令で、義貞と戦っているに過ぎない”のである。
したがって、新田軍を温存して足利と衝突させ続ければ、もともと後醍醐天皇との戦いを望まない尊氏の事である。義貞を逆賊にする事を条件に、和睦を持ちかけてくるだろう。
『義貞を誅伐せられて尊氏卿を召かへされて。君臣和睦候へかし』(梅松論)
正成は、自らの死で、これを実現する路を開いた。“楠木正成最期の策”だった。

 その頃、大和には北畠親房の姿が見られる。
『只今は北畠殿拾市に坐られ候か』(諸庄々文書案全)
前回とは違い、息子の参戦は望めない。息子が再び上洛するには、時を要する。
そう判断した親房は、「準備」を始めていた。吉野周辺に足を運び、周辺の豪族を懐柔し出したのである。同じ頃、息子の顕家は、ようやく多賀国府に帰還した。
ギャラリー
  • 『久遠天上理想國実現の神示』について
  • 『久遠天上理想國実現の神示』について
  • 「葭原」墓地の大阪七墓
  • 「葭原」墓地の大阪七墓
  • 「葭原」墓地の大阪七墓
  • 「葭原」墓地の大阪七墓
  • 真田幸村終焉の地と咊
  • 真田幸村終焉の地と咊
  • 真田幸村終焉の地と咊