則天去私

「谷口雅春」先生の生涯も綴っていきます。

2018年02月

讀んで戴ければ幸甚です。

戦前における内務省の検閲-4

安寧の部(受領年月日:昭和15.8.20

書名

著編者

出版地

発行所

出版年

表装

冊数

大小

代価

生長の家聖典 生命の實相

信の巻

谷口雅春

東京

光明思想普及会

昭和15

 

1

特小

8版

3

函號

 

番號

 

禁止年月日

備考

 

内務省の函号

国会

 

注記

 

原本請求記号

デジタルコレクション

 

禁安5

895

昭和15.1.20

500539

なし

 

500-539

http://dl.ndl.go.jp/

info:ndljp/pid/1137880

安寧の部(受領年月日:昭和15.8.20

書名

著編者

出版地

発行所

出版年

表装

冊数

大小

代価

生命の實相 第6

谷口雅春

東京

光明思想普及会

昭和15

 

1

 

1円80銭

函號

 

番號

 

禁止年月日

備考

 

内務省の函号

国会

 

注記

 

原本請求記号

デジタルコレクション

 

禁安5

917

昭和15.3.1

602.1-Ko11

なし

禁案番号なし

602.1-Ko11

http://dl.ndl.go.jp/

info:ndljp/pid/1065647

 

結論

1;経緯

昭和11930日の朝

朝日新聞における報道で「淫詞邪教を撲滅の指令」ということで「ひとのみち教団」での絞め付けは他宗教に及び内務省や文部省の弾圧は更に厳しくなる。

その「淫詞邪教」とは

当時の既成宗教に比べて新興宗教の台頭は現世利益という、旗印に昭和11年で新興宗教は800余に達していた。

その新興宗教の七割、八割は神道系であったのが顕著である、だから生長の家にその矛先が向けられたのも頷ける。それではその新興宗教から見た状況とは

  1. 既成宗教が無気力であること

  2. 大衆の生活不安と思想混迷

  3. 醫療制度の不徹底

  4. 宗教復興精神作與の聲を利用

     

     

戦前における内務省の検閲-3

 

それではその「安寧ノ部」のなかから、生長の家が発禁の対象とされた本が下記にあります。

安寧の部(受領年月日:昭和12.7.17

書名

著編者

出版地

発行所

出版年

表装

冊数

大小

代価

百事如意

谷口雅春

東京

光明思想普及会

 

 

1

四六

 

1円

函號

 

番號

 

禁止年月日

備考

 

内務省の函号

国会

 

注記

 

原本請求記号

デジタルコレクション

 

禁安1

762

昭和11.5.13

704-8

なし

704-8

 

 

http://dl.ndl.go.jp/

info:ndljp/pid/1229658

安寧の部(受領年月日:昭和14.8.16, 昭和15.8.20

書名

著編者

出版地

発行所

出版年

表装

冊数

大小

代価

生命の實相 第2

谷口雅春

東京

光明思想普及会

 

 

1

 

 

1円80

函號

 

番號

 

禁止年月日

備考

 

内務省の函号

国会

 

注記

 

原本請求記号

デジタルコレクション

 

禁安1

762

昭和14.7.18

500503

なし

禁案番号なし

500-503

http://dl.ndl.go.jp/

info:ndljp/pid/1137866

 

戦前における内務省の検閲-2

 

帝国図書館が所蔵していた発売頒布禁止された図書の概要については前稿で解説したため省略するが、「禁安」は安寧秩序紊乱との理由で、「禁風」は風俗壊乱との理由で、大正12年以降に処分を受けた図書のうち、帝国図書館が内務省から受入れたとされる。参考文献⑤の著者の岡田によれば「大正震災の折、内務省書庫が焼失して発禁本を失ったため、当局が不穏な世情の思想調査に困惑した事例を理由に、発禁本といえども1 部は上野図書館に交付して厳重に保管せしめ、万一の際の用に供すべきことを説明して同省の了解を得た。爾来上野へ交付後のものはもとより、交付以前に行政処分を受けたものについても正式に上野図書館に交付されることになった。」 

 

とあり、当時の帝国図書館長から内務省警保局長宛の文書やその返信も残さ。また、現在確認できる資料の多くには、内務省の函号や禁止年月日の書き込みがなされている他、警視庁の印や、まれには「正本」の書き込みがあるものもある。

この資料群については、書名や禁止年月日等を手書きした帝国図書館時代の事務用目録が残されている。この目録に部編名「安寧ノ部」、「風俗ノ部」以外のタイトル等はないが、参考文献① に『発禁図書函号目録』とあるため、以下このタイトルを使用する。それによれば、帝国図書館は、受け入れた発禁本を以下のように整理した。

表1.「禁安」「禁風」の内訳

部編名

受領年月日

函号

番号

件数

 

   

安寧ノ部

 

 

 

 

 

 

昭和12.6.17

禁安1

1 197

197

 

昭和12.6.22

禁安1

198310

113

 

昭和12.7.15

禁安1

311586

276

 

昭和12.7.17

禁安1

587778

192

 

昭和14.8.16

禁安1

779780

2

 

昭和14.8.16

禁安4

781831

51

 

昭和15.8.20

禁安5

832955

124

 

昭和17.7.30

禁安7

9561080

125

 

風俗ノ部

 

 

 

昭和12.9.15

禁風1

1 302

302

 

昭和14.8.16

禁風4

303326

24

 

昭和15.8.20

禁風5

327337

11

 

昭和17.7.30

禁風7

338 359

22

 

 

 

戦前における内務省の検閲-1

戦前における内務省の検閲

それでは戦前における内務省警保局ではどうであったかであります。

 この文章も以前に私が纏めた「内務省警保局『社会運動の状況』」で記載したのですが再び記載します。

全て記載すると70頁に及びますので、昭和13年度の警保局の発表が生長の家に対する公安の厳しさがあったように思います。その一部を披瀝します。

 

昭和13

2)生長の家

①運動状況

「生長の家」の本年度中に於ける運動状況を概観するに、本教団にありては専ら自派教勢の維持拡充にのみ専念して諸他の公共的、国家的事業運動を顧慮するの遑なきものの如く、銃後後援其の他の時局活動には何等の実績を示す所なかりしに不拘、自教宣伝の為にする諸運動に至りては相当活発且つ積極的に行動する所ありたり。

即ち其の一班を示せば先ず14日以降一週間に亘り本部見眞道場に於いて第16回講習会を開催したるを始めとして、爾来屡々全国各地の講演会、講習会、座談会、研究会等を開催して誌友獲得竝其の結束強化に努め、或は機関紙「光明の音信」1万8千部を全国各小学校に無償頒布(1月下旬)して教職員の獲得を策し、又は全国無医村を目標とする誌友獲得を計画して貴族院議員川村鐡太郎等の推薦状及宣伝用パンフレット「生命の實相」を当該各村長宛」無償頒布(6月下旬)する等のことありたる外、引続き新聞雑誌等に相当誇大の宣伝広告を為して読者誌友の誘引に努むる等相当活発なる運動を試みる所ありたり。

而して這間募財の方面に於いても亦之を閑却することなく、叙上の講習会、講演会の開催に当たりては相当多額の聴講料、入場料を徴し、又特殊の宣伝頒布の外は誌友等に頒布する各種宣伝印刷物も概ね有償販売を原則とする等の方法を執り来れるが、該方法は却って所謂迷蒙誌友等に逆作用して毎回の講習、講演会は予定数を超過し、又各種出版物類は假令宣伝用のものと雖も相当の売行を示しつつある模様なり。

更に地方に於ける誌友等の動静は常に谷口を神格視して其の実験奇跡を吹聴し、或いは高官名士の入信援助を云為して教勢拡大に狂奔しつつある状況にあるが、這間「生長の家」教説を妄信するの結果或いは医療を妨害し、又は人心を誑惑する等の虞ある言説を弄し、更に又教勢を誇称せんとして畏くも皇室皇族の御事に言及する等のことある等注目すべき事象をも見つつある実情なり。

 

②特異の言動調

叙上生長の家の動向を窺知する為、各地誌友等が其の布教活動中に漏露せる要注意言動の主要なるものを摘出し、之を表示すれば概ね左の如く相当留意を要するものあるを見たり。

 

生長の家幹部、誌友等

庁府県

言(行)動者

言(行)動要旨

警視庁

東京市赤坂区檜町四 生長の家本部

14日より1週間に亘り本部見眞道場に於いて、第16回新年講習会(受講料金12円)を開催したるが、従前に比し受講者少なく(258名)之が為地方出席者の期待を裏切るに至らん事を憂慮せる結果特に出席簿を作成して本部全職員(90名)の出席を強要し、以て盛況を偽装する所ありたるが、是等本部員は殆ど谷口の講演を問題とせず毎講習最後に実施せる所謂神想観の開始に当たりては恰も遁走するが如く早退する者続出せり。

奈良

生長の家主宰者

谷口雅春

46

44日奈良市県公会堂に於ける講演会(聴衆約600名)席上「薬は決して病気を癒すものでは無く、唯病人の気休めに過ぎない、生長の家では家族治療と称して病気を癒して居るがそれは病気は不調和より生ずる罪業に起因するものだからである。或る熱心な誌友があり此の人は既に400人以上の病気を治した程の人だが未だ自分等夫婦の調和が円滑でなかったため、到頭大切な子供が惹きつけて一時息を引取って了った事があるが、私は私の書いた「生命の實相」で治して上げた事がある・・・・」と講演せり。

富山

高岡誌友相愛会会員 高田外三

5月下旬所轄署員に対し「今度の戦争(支那事変)は、日本の人口過剰に因って生ずる諸問題を解決する為、其の活路を大陸に求めたものであるが同色人種然も隣邦支那と事を構へるのは良い事ではない・・・・・」云々の言辞を洩らす。

岡山

生長の家講師

金子三十里

63日夜岡山県下に於ける講演会(聴衆約200名)に於いて「・・・

岡山のフセさんは 皇太后陛下に単独拝閲を賜った際、生長の家の真理を申し上げられ、尚女官長や女官の方に迄生長の家の事を申上げて置かれたそうであるから、何れは 皇后陛下 進んで 天皇陛下の上聞に達することと拝察せらる」と講演す。

鳥取

 

生長の家鳥取支部長 北村栄一

913日に所轄署員に対し「天皇陛下は宇宙の絶対神であらせられるが、我々は此の宇宙絶対神を信仰の対象としている・・・・

生長の家谷口雅春は宇宙絶対神よりの神示を霊感され書物を書き講演をされるのであって、その霊感に依って書かれた経典『甘露の法雨』は人生を一切の不幸から隔離するものである。

『甘露の法雨』を所持して出征した者で戦死したものは全国で一人も無いし負傷したものはあるが、之は神の思召に依り一時休養を命ぜられたもので、直ぐ癒るのである。此の事は一見不思議に見えるが、生長の家本部から『甘露の法雨』所持者に対しては絶えず或る種の思念が送られているからである。我々は出征者のある時は『喜んで死んで忠魂となれ」とは云わない、常に『人は神の子であるから生きて還れ』と激励している」との言辞を洩らす。

高知

 

 

 

 

 

 

生長の家本部工場部次長

有留弘泰

 

 

 

 

51日夜土佐高等女学校に於ける講演会(聴衆約270名)席上「・・・・我国に於いては天照大神を天祖、天皇陛下を天主、歴代皇孫を天孫と称し奉って居る、之を唯物的に考えると別々の如くでであるが精神的に考えると一である。天皇陛下は現人神であられ身長が5尺幾寸かで、体重は十何貫匁かの御体と拝しているが、本当の現人神様は宇宙の神様であり吾等を慈しまれている」旨の講演をなす。

宮崎

光明思想普及会取締役

巽 忠蔵

112日夜宮崎市に於ける講演会(聴衆約150名)に於いて「勝たずば生きて還らじと」と云う軍歌があり今や多くの兵士が死んで来ますと云って出征して居るが之は間違って居る「自分は『必勝生還』と言う事が本当であると思う」と講演す。

 

 

ただ、それならば谷口雅春先生の御著書に戦前では如何なる処分があったのであるかであります。

それは国会図書館に於ける来歴でしか正式にはわからない部分もあり、私の所有する本から推察するとここで掲載したそれ以上の数字を凌駕する発禁された本があるのではないかと思っています。それではまずは昭和55年に発行された『国立国会図書館所蔵 発禁図書目録―1945年以前―』からみてみますと

そのはしがきには当時の、収集整理部長の林修氏が次のように述べている。

 

 この目録は、昭和51年以来数次にわたって、米国議会図書館から返還されてきた接収発禁図書と、当館が受けついでいる帝国図書館旧蔵のものとを合せて、当館が現在所蔵している発禁図書2,186点の全容を明らかにするとともに、その閲読利用の便をはかるために編さんしたものである。

 これらの図書は、いずれも特殊な来歴を背負っているので、その経緯等をここに書きとどめておきたい。

 このたび返還完了をみた発禁図書は、米軍が日本占領直後に旧内務省から接収し、その後、米国議会図書館に保管されていたものである。その返還を求める声は昭和46年〔一九七一〕ごろから本格化し、国会の場でもこれがとりあげられ、やがて日米両国政府間の外交交渉が始められた。当館は折衝の基礎的資料として、当面返還を求める図書のリストを作成し、これを外務省に提出した。その後いくたの曲折を経たが、最大の難関は、わが国が講和条約〔サンフランシスコ平和条約〕によってかかる物件の返還請求権を放棄していること、加えて、すでに米国議会図書館の蔵書に正式に編入されていたことであった。従って、返還されるにせよ、それは図書ではなくマイクロフィルムによる公算が当初は大であった。しかし最終的には、原本の返還が実現をみるに至った。これは、米国議会図書館の格別の好意に負うところが大きい。返還は昭和51年〔一九七六〕7月から6回にわたって行われ、昭和53年12月に完了した。総数1,062点を数える。

 一方、国立国会図書館支部上野図書館の前身である帝国図書館も、発禁図書の一部を所蔵していた。戦前は、旧出版法(明治26・4)にもとづき、出版物は出版の三日前までに、内務省に二部提出することを義務づけられ、検閲の結果、発売頒布の禁止処分に付された図書は、内務省が保管してきた。しかし昭和12年〔一九三七〕に至って、発禁図書の分散管理を目的として、その副本を帝国図書館が保管することとなり、内務省は従前保管してきた発禁図書の副本を移管し、以降も移管が続けられて敗戦を迎えた。帝国図書館が移管をうけたものを、内務省警保局が刊行した「禁止単行本目録」や「出版警察報」と照合してみると、相当数の欠落を見出すことができる。なお、内務省保管書庫は関東大震災〔一九二三年九月〕により焼失したので、当館が現在所蔵する発禁図書はすべて大正12年〔一九二三〕秋以降発禁処分を受けた図書である。

 かつての出版検閲の苛烈〈カレツ〉さは、出版・言論の自由を亨受している当代の想像をはるかに超えるものであった。戦後、発禁図書に関する調査研究もすすみ、多くの書誌類も刊行されているが、発禁図書そのものを図書館という公共の場において自由に閲覧できることの意義を改めてかみしめてみたい。この目録が、出版物の検閲に関心をよせられる人々に少しでも役立つことを希う〈ネガウ〉ものである。

 

 総数が、二一八六点で、うち米国議会図書館から返却されたものが一〇六二点ということは、残りの一一二四点が、一九三七年(昭和一二)以降、帝国図書館に移管されてきた「副本」ということになるのであろうが、即断は控えなければならない。

 今日、国会図書館が所蔵している「発禁本」の来歴は、この短い文章では、とても語り切れないものがあったはずである。このあたりの経緯を、詳しく紹介している文章があれば(一冊の本になりそうな気がする)、ぜひ読んでみたいものである。

 ところで、この発禁本目録には、一昨日および昨日のコラムで紹介した信濃憂人訳編『支那人の見た日本人』(一九三七)も載っている。目録には、「安 昭12.11.23」とあるので、処分理由は、「安寧秩序妨害」であったことがわかる。

 

 

安寧秩序妨害

この「安寧秩序妨害」というのは「社会運動の状況」での警保局からの説明では

 

教説を妄信するの結果或いは医療を妨害し、又は人心を誑惑する等の虞ある言説を弄し、更に又教勢を誇称せんとして畏くも皇室皇族の御事に言及する等のことある等注目すべき事象をも見つつある実情なり。

 

やはり教説の妄信というのは「病気は無い」などというのは医療妨害にあたるということである。

  1. 医療妨害的布教活動

  2. 風俗壊乱的布教言動

  3. 人心誑惑言説

     

    また、昭和14年度の「社会運動の状況」には

    【『生命の實相』第二巻(昭和14625日発行)(菊装版)は内容中に医療妨害、人心惑乱等 安寧を妨害するものありたる為、718日削除処分せられたり。(社会運動の状況昭和14年度版 より抜粋)内務省警保局】

     

    こうしたことが「国民の安寧を妨害している」という根拠をして処罰の対象としたのが内務省警保局である。

     

    また、更に詳しい内容が国会図書館発行した平成28年『参考書誌研究』第73号(平成283月)に詳しい。

     

    1.「禁安」「禁風」について

    本稿は、『参考書誌研究』第73号に掲載した「受入後に発禁となり閲覧制限された図書に関する調査―戦前の出版法制下の旧帝国図書館における例―」の続編である。

    国立国会図書館の前身である帝国図書館では、戦前言論弾圧の法的根拠となった出版法の下、内務省により「安寧秩序紊乱」若しくは「風俗壊乱」に当たるとされて発売頒布禁止、部分削除又は次版改訂などの処分を受けた、いわゆる「発禁本(発禁図書)」を閲覧禁止本として所蔵していた。

    このうち前稿では、一旦は利用に供されたものの、その後発売頒布禁止となり、所蔵資料でありながら閲覧を制限された図書「禁凾」について取り上げた。

    本稿では「禁安」、「禁風」と呼ばれる排架記号を持つ資料群を扱う。

    下図は安寧不問となった『余の國家主義』の本です。

戦後の雅春先生の「4部作」の著書

谷口雅春先生で未だ出版されたかどうかわからない本があります。それは『生命の實相』滿洲版の艮の巻なんです。『生長の家五拾年史』には記載はありますが、しかし見たことが全くないのです。蒐集されている人で見たという人は聞いた事がないのです。しかしこれは終戦の間際の大変な時期でありますから出版されていなくても致し方がない。

さて、先日知り合いの人から戦後の雅春先生の「四部作」という御著書があります。

それが、『運命の原理』『幸福生活論』『幸福の原理』『榮える原理』という本です。

 

そのなかで『運命の原理』の出版ですが

『運命の原理』は

運命の原理新版「生命の實相」第一巻 昭和2171日(萬成書房刊)

運命の原理(改訂版)ハ-ドカバ-昭和2731日(日本教文社刊)

谷口雅春選集 17巻 運命の原理     昭和3251

P1190661


和歌山市までの走行

昨年の大晦日に挑戦した自宅から和歌山市迄の走行である。

残念ながら和歌山県まであと一歩、孝子駅で断念しました。

平日のランニングも御無沙汰している。平日出勤で走るのは帰宅が遅い場合はきつい。7時や8時に仕事が終了ならばいいが9時を過ぎると翌朝が5時起床は段々ときつくなる。夏場はそれでもいいが、冬は更にきつくなる。

 

昼休みに少しランニングしているが、たかが20分程度である。

 

120日は再度、和歌山県へ向けて走ってみた。

堺市迄は順調だったが、それからは、ペースがガックンと落ちてしまったのです

それ以降は惰性的歩き方でゆっくりと走るというより歩いていました。

脚の筋肉が所々に傷みを感じ、歩みを進めるのに一生懸命だけど、心と身体はアンバランスである。

泉佐野市と阪南市の縦断は歩道は凸凹として、しかも狭い。脚が凸凹の道になかなか対応出来なく。硬直した脚がちょっとした事で鈍感にも反応する。

躓く事は何回かあった。

 

 それでも前回の孝子駅を過ぎたのは340分頃であるが、孝子峠の上り坂はトボトボと歩いた。本当にきつかった

それを越えると和歌山県です。

それから下りが続くが、歩道がない。和歌山大学辺りはイオンが出店して様変わりである。

 

昔、あの向かいにあるノーリツ鋼機に打合せに行った時は何もない山間の簡素な場所でした。それが高層ビルが建てられている。もう25年は過ぎた。

 

それを越えると街並みが一変した。馴染みの食べ物屋とかがある。

 

だが、ここからは脚が完全に止まった。歩く気持ちも失せてしまった。

 最終的に和歌山市狐島という所でタクシーに乗車した。

ここまで、86.7㌔フルマラソンの倍である。

歩数計は135000歩を越えていた。紀の川を越えられなかったのは残念である。

紀の川迄は1㌔はなかったがあと一歩はダメだった。

 

 

その夜は和歌の浦で宿泊である。写真も少しだけ撮った。簡易宿ではベッドでは完全にダウンした状態である。

翌日は和歌の浦の海岸線とブラブラしながら和歌山市駅迄歩いた。

この日は約20㌔は歩いた。

 

帰宅したのが午後5時前である。

また機会があれば再度挑戦していきたい。
DSC_0124
DSC_0125
岸和田商店街です。奥の横幕にはコシノジュンコ先生と書かれています。
DSC_0126
孝子峠、この峠で和歌山到着
DSC_0127
朝の和歌の浦
DSC_0128
DSC_0129
DSC_0130
DSC_0131
DSC_0132


万葉集にみる和歌の浦

[6-917]  やすみししわご大君の常宮と仕へまつれる雑賀野ゆ背向に見ゆる沖つ島

         清き渚に風吹けば白波騒き潮干れば玉藻刈りつつ神代より然そ尊き玉津島山

大君とは聖武天皇です。山部赤人

[6-918]  沖つ島荒磯の玉藻潮干満ちてい隠りゆかば思ほえむかも

[6-919]  若の浦に潮満ち来れば潟を無み葦辺をさして鶴鳴き渡る

[7-1215]  玉津島よく見ていませあをによし平城なる人の待ち問はばいかに

[7-1216]  潮満たばいかにせむとか方便海の神が手わたる海未通女ども

[7-1217]  玉津島見てし善けくもわれは無し都に行きて恋ひまく思へば

[7-1219]  和歌の浦に白波立ちて沖つ風寒き暮は倭し思ほゆ

[7-1222]  玉津島見れども飽かずいかにして包み持ち行かむ見ぬ人のため

[9-1799]  玉津島磯の浦廻の真砂にもにほひて行かな妹が触れけむ

[12-3168]  衣手の真若の浦の真砂子地間無く時無しわが恋ふらくは

[12-3175]  若の浦に袖さへ濡れて忘れ貝拾へど妹は忘らえなくに



DSC_0133
DSC_0134
DSC_0135
DSC_0136
DSC_0139
DSC_0142
DSC_0143
DSC_0144
DSC_0146
DSC_0148
DSC_0149
DSC_0151
DSC_0153
DSC_0154
記の国の 雑賀の浦に 出で見れば
海女の燈火 波の間ゆ見ゆ
藤原卿 巻7~1194

 

「到彼岸の神示」の目次

「到彼岸の神示」の初版の写真を送っていただきました。

永井古書店様に深く感謝申し上げます。

IMG_20180205_114954IMG_20180205_115021

風説と伝聞

しかし、理由があって青年会の人たちとはあまりお付き合いをしませんでした。その理由とは大阪教区の事情ではなく全国共通の事情です(これでお分かりのことと…)。もし本管理人が教化部と大阪青年会に頻繁に出入りしていたならば、今ごろお互いに顔も名前も知っている関係になっていただろうと思います。

 

私はこうした風説のような伝聞を直に聞いていましたので、ああ、また同じ事を言っているなという雰囲気でした。

生長の家がサ-クルのような仲良しグル-プの形態を悉く、排除し、それでは本当に日本が救えないという“雅春先生”の思いを我が思いとして生きる。それを推奨したのが亡き森田先生でした。

いわゆる「百万運動」でした。

厳しい運動だけに反発する白鳩会等沢山いました。

私達青年会時代は其れこそ不眠不休で活動していましたのでそれを応援する人も当時は沢山いたことも事実であります。白鳩会長大阪支部長や新教連なども応援していただいておりました。しかし「噂」などで随分、苦しい時もありました。本当に真剣な活動でした。だからこそ組織も大きく拡大することも出来たのであります。

そうした百万運動での同志は今ではほとんど別の組織に所属しています。

先日の森田先生の葬儀でも昔の百万運動の仲間が沢山参列していました。

私は相愛会を少し参加していましたが、途中で辞めました。

それでも「生長の家」を信じておりましたので、なんとかここまできました。

私が推奨して率先して行った行事は今でもその記録が破れていない動員数は沢山あります。たった一人の誌友会から常時20名以上の参加者の誌友会。また50名以上の参加した誌友会。教区の中学生練成会の参加者を20名から120名動員などありました。

だから、本当の運動を信じて一緒に行った相愛会の人や白鳩会の人など賛同していただいておりました。

谷口雅春先生に帰りましょうの管理人様へ

谷口雅春先生に帰りましょうに書き込みするために何度かチャレンジしたのですが、やはり拒否されます。

何かがあるのでしょうが、コンピュタ-に詳しくない私にはそれ以上はわかりません。内容は下記に記入しました。

 

管理人様の御厚意に深く感謝申し上げます。

さて、西山田小学校の宿直警備員を行っておられたことをお書きでしたので、驚きました。私の兄が確か西山田で警備員をしています。

あの界隈は小学校や中学校が多くあり、1km県内に西山田中学校・西山田小学校(隣接)・山田第三小学校・山田第五小学校があります。

大學も市内には関西大学・大阪大学・千里金蘭大学・大阪学院大学・大和大学があり有数な町です。

ただ、万博会場で有名です。

今後ともよろしくお願いいたします。

至誠の尊師

昨年数回にわけて「後南朝」について記入しました。

そんな私の拙文を見た人が後南朝の朝拝式に参列すると聞いて、本当に嬉しく思っています。

https://style.nikkei.com/article/DGXNASHC30015_R00C12A2000000?channel=DF280120166609&style=1

 

やはり、日本人の本質のような事を私も書きたいと思っています。

川上村の金剛寺では555年続いていると云われている。

今もなお南朝に思いを馳せて居る人がいるというのに驚きを隠せない。

これは、日本人の意識を簡単に変えてはいけないことも繋がることであると深く考えます。

雅春先生は戦前においても戦後においても精神は全く変わらなかった。不動の精神はなかなか出来るものではない。そういう人を至誠の人と私は呼びたい。そんな先生だからこそ反対に信用されたのであります。

神示の内容の欠落

到彼岸の神示―神示講義〈自覚の巻〉      昭和37115日発行

はしがき

至上者の自覺の神示/p3

自他一體の神示/p19

本當の信仰に就いての神示/p39

無限圓相一切相の神示/p77

上求菩提・下北衆生の神示/p93

使命邁進の神示/p109

聲字實相の神示/p123

生死の敎/p145

『いのちのゆには』の神示/p167

歸幽の神示/p185

兒童敎育に關する神示/p239

https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000001038481-00

上記は国会図書館のデ-タ-ベ-スからコピ-ペイストしたものです。

到彼岸の神示の初版ものを所有していない私は国会図書館のデ-タをそのまま信用したので、間違いだと思っていなかったが、どうやら国会図書館のコピ-の間違いというより、頁がそのまま抜けていたようである。

到彼岸の神示―神示講義〈自覚の巻〉     昭和561010日発行

目次

はしがき

至上者の自覺の神示/p3

自他一體の神示/p19

本當の信仰に就いての神示/p39

無限供給の神示/59

無限圓相一切相の神示/p77

上求菩提・下北衆生の神示/p93

使命邁進の神示/p109

聲字實相の神示/p123

生死の敎/p145

『いのちのゆには』の神示/p167

歸幽の神示/p185

兒童敎育に關する神示/p239

 

そういえば、国会図書館のデ-タ-ベ-スで間違いを何回か発見していた。

この御指摘をしていただいた永井古書店様に深く感謝申し上げます。

生長の家の神示

生長の家の神示とは        『生長の家五拾年史』より抜粋

生長の家の食事の神示                        昭和五年十一月四日

完成(ななつ)の燈台の神示              昭和六年一月十五日

万教帰一の神示                        昭和六年四月五日

新天新地の神示                             昭和六年五月六日

心の法則平和への道の神示            昭和六年五月三十日

帰幽の神示                               昭和六年六月二十六日

生死の教(をしへ)                         昭和六年九月五日

大調和の神示                    昭和六年九月二十七日

最後の審判に就いての神示                  昭和六年九月二十八日

信仰生活の神示                          昭和六年十二月五日

声字即実相の神示                         昭和七年一月十一日

自他一体の神示(報恩行に就いての神示)          昭和七年二月四日

上求菩提・下化衆生の神示                      昭和七年二月九日

「いのちのゆには」の神示                         昭和七年三月十四日

使命邁進の神示                               昭和七年三月十五日

無相円相一切相の神示                          昭和七年四月十日

無限供給の神示                       昭和七年五月五日

久遠天上理想国実現の神示                     昭和七年五月二十七日

万教包容の神示                               昭和七年七月七日

懺悔の神示                                   昭和七年八月十二日

実相金剛身の神示                             昭和七年九月二日

無病常楽の神示              昭和七年十一月十日

本来生、不滅の神示                           昭和七年十一月二十五日

梅の花の神示                                 昭和八年一月六日

自然流通の神示                               昭和八年一月二十五日

至上者の自覚の神示                           昭和八年三月十六日

本当の信仰に就いての神示                      昭和八年八月五日

霊魂進化の神示                               昭和八年九月十五日

児童教育に関する神示                            (日付不明)

終戦後の神示                   昭和二十十一月二十七日

日本の実相顕現の神示             昭和二十十ニ月二十八日

君民同治の神示                 昭和二十十ニ月二十八日

大和の国の神示                 昭和二十一一月六日

 

このなかで私は注目したのが前回のブログで書きましたが「無限供給の神示」に注目して書きたいと思います。前回のブログで書きましたようにこの神示は戦前の発禁対象として「大聖典」に掲載出来なくなりました。勿論、雅春先生は自主的に掲載を見送りました。

その後暫くの期間、この神示は“鉄のカ-テン”に閉ざされたように言論空間の憂き目にあったのであります。

だが、戦後復興とされサンフランシスコ平和条約で連合国の占領政策が終焉した。その日付は昭和27428日に効力発生したのであるが下記の『聖光』は未だ占領政策の呪縛から解き放れた。

しかし、神示という講義集は下記の4冊に収されていますが、『無限供給の神示』のみが講義集に収されていない。

 

『聖光』   昭和28年1月1日発行(友人からの報告)

1.大調和の神示(昭和6年9月27日夜)

2.完成の燈臺の神示(昭和6年1月15日)

3.生長の家の食事(昭和5年11月4日)

4.新天新地の神示(昭和6年5月6日)

5.聲字實相の神示(昭和7年1月11日)

6.萬教歸一の神示(昭和6年4月5日)

7.無相圓相一切相の神示(昭和7 年4月10日)

8.歸幽の神示(昭和6年6月26日)

9.生死の教(昭和6年9月5日)

10.『いのちのゆには』の神示(昭和7年3月14日)

11.本來生、不滅の神示(昭和7年11月25日)

12.靈魂進化の神示(昭和8年9月15日)

13.信仰生活の神示(昭和6年12月5日)

14.懺悔の神示(昭和7年8月12日)

15.無限供給の神示(昭和7年3月14日)

16.無病常楽の神示(昭和7年11月10日)

17.自然流通の神示(昭和8年1月25日)

18.報恩行に就いての神示(昭和7年2月4日)

※ 『致彼岸の神示』には、この神示が「自他一體の神示」として「報恩行に就いての神示」の末尾の一節が削除されていたのを改題し完全とした旨の記述あり

19.本當の信仰に就いての神示(昭和8年8月5日)

 

神ひとに語り給ふ 神示講義 教の巻     昭和351115日発行

目次

はしがき

大調和の神示/p3

新天新地の神示/p37

萬敎歸一の神示/p101

本來生、不滅の神示/p137

靈魂進化の神示/p167

信仰生活の神示/p185

懺悔の神示/p203

完成の燈臺の神示/p231

無病常樂の神示/p245

生長の家の食事/p259

報恩行に就いての神示/p283

自然流通の神示/p311

 

昭和36年  秘められたる神示 神示講義〈秘の巻〉1122日発行

目次

はしがき

終戰後の神示 / p3

“心の法則”と“平和への道”の神示 / p21

梅の花の神示 / p39

“最後の審判”に就いての神示 / p57

實相金剛身の神示 / p71

君民同治の神示 / p107

日本の實相顯現の神示 / p127

萬敎包容の神示 / p143

久遠天上理想國實現の神示 / p151

 

到彼岸の神示―神示講義〈自覚の巻〉        昭和37115日発行

目次

はしがき

至上者の自覺の神示/p3

自他一體の神示/p19

本當の信仰に就いての神示/p39

無限圓相一切相の神示/p77

上求菩提・下北衆生の神示/p93

使命邁進の神示/p109

聲字實相の神示/p123

生死の敎/p145

『いのちのゆには』の神示/p167

歸幽の神示/p185

兒童敎育に關する神示/p239

 

『大和の国日本』

終戦後の神示                        昭和二十十一月二十七日

日本の実相顕現の神示                  昭和二十十ニ月二十八日

君民同治の神示                      昭和二十十ニ月二十八日

大和の国の神示                      昭和二十一一月六日

 

神ひとに語り給ふ 神示講義 教の巻     12神示

秘められたる神示 神示講義〈秘の巻〉     9神示

到彼岸の神示―神示講義〈自覚の巻〉    11神示

『大和の国日本』                  4神示

 

ここで言わないといけないのは『到彼岸の神示』には“無限供給の神示“があるではないかという人がいますが、確かに現在の『到彼岸の神示』にはあります、これは何時の間に、何版かはわかりませんが、追加されるようになりました。残念ながらそれが何版からはわかりません。

しかし、この当時はどうして神示集において『講義』として収められなかった不思議さへ感じるのです。(上記の目録参照)昭和56年では19版には“無限供給の神示“はあります。

 

雅春先生は『秘められたる神示』に

本書はその題名の示す通り「祕」として久しく伏せられてゐた神示を主として纂めたものである。何故、その公表を憚れて祕せられてゐたかと言ふと、それには國家の運命に關する部分が含まれてゐたために、出版物の検閲の厳しかった戦前に於ては、當時少部數の雑誌に發表されたときに、時の内務省警保局の検閲課から注意があり、若し書籍として發行せられるならば直ちに發禁になることが明らかであったために、そのまゝ『生命の實相・大聖典』編纂の時にも『聖光編纂のときにも神示の全部収したいと思ひながら、それを差し控へなければならなかったので、その儘伏せられてゐたものである。

 

とご記入されておられます。だが果して昭和28年は最初に記入していますとおり、サンフランシスコ平和条約も締結しています、ある程度の言動は許されたとは思うのだが、その当時でも未だに言論の呪縛から解き放されてはいなかった。

そのことを考えながら、やはり言論空間の解放というのは難しさを感じる。

しかし、現在の人々でも未だに「戦前惡」を唱え、愛国的なものを拒否するのはそうした呪縛から解放されていない人々である。

 

則天去私-3

 昨日は朝から仕事で時間をとられていましたが、午後からは久しぶりの国会図書館関西館に行きました。一昨日の夜にトイレで誤って携帯を落とし、午前中までは動いていたのですが午後からはほとんど動かなくなる事態となった。携帯が無ければ現在では何も出来ないのが現実です。朝夕に何かにつけ「LINE」や「メ-ル」や電話があり、情報源はそうした所から発信源となっている。私のサ-クルも携帯がなければ何も出来ない。

 先週の日曜日にそろそろ携帯も買い替えだなと思っていた。そこで大阪の淀橋カメラまで行っているのです。勿論携帯そのものがメインではなくカバ―であるが、携帯も3年も使っているのでそろそろ買わないといけないのか。そんなこと思っていたから、携帯が水没してしまうのです。

 

さて、それはともかく「国会図書館関西館」には情報源になるある調査に行っていたが、ついつい調べたいものが満載であるため、いろんなことを調べた。

近々、そうしたこともこのブログで発信したい。生長の家で行う人にはきっと新鮮なものであると感じています。まだ、それを調査するためにもう少し調べたいものがありますが、私のブログでは初めての情報となりますので、勿論どの人も知らないことです。

 

亀の子さんも書いておられたが、ブログに雅春先生の文章を謹書されておられました「平賀玄米様がお亡くなりなられた。前日までブログで発信されていた人であります。それがどれほど大切な事かは私もその情報を発信していますので、痛切にわかります。

安らかに眠って下さい。

平賀玄米様の情報源を大切にしたい。

 

さて、私も仕事で追われているような生活から早く卒業したいと考えている。以前にも何度か記入したが、「谷口雅春先生著作年譜」をもう少し安価に販売したらいいなと思っている。何とか1000部ぐらいだったら購入してくれる人がいるのではないかと考えている。それにはもう少し時間系統で体系的に纏めたい。

 10数年前はほんの80頁位の小冊子であったが、今では580頁となった。そこには今迄調べてこられていない数々の発見もあった。そうしたことをより沢山の人に知っていただきたい。それには「今」しかないような気がする。著作権に抵触するようなこともないのでなんとか販売していきたい。

 森田先生の御葬儀に参列させていただいたときに、真剣にそんなことを考えていた。

ギャラリー
  • 三度目の谷口雅春先生の検閲
  • 三度目の谷口雅春先生の検閲
  • 三度目の谷口雅春先生の検閲
  • 『野の百合の生きる道』の記載された日
  • 人造羊皮版『生命の實相』地の巻 発行日についての考察
  • 人造羊皮版『生命の實相』地の巻 発行日についての考察
  • 人造羊皮版『生命の實相』地の巻 発行日についての考察
  • 人造羊皮版『生命の實相』地の巻 発行日についての考察
  • 南朝の里、天川村