則天去私

「谷口雅春」先生の生涯も綴っていきます。

2016年09月

讀んで戴ければ幸甚です。

もう少し正直に話をしよう

私は下記の文章にはどうしても馴染めないところがある。

私のように「学ぶ会」発足前から知っている人間は「学ぶ会」といえば仙頭泰先生、中島功先生、鎌田久子先生であろう。大阪にも度々脚を運ばれ、学ぶ会に尽力されていました。申し訳ないが中島省治先生はそんなに当時は活動されたとは聴いたことはない。

 

 また『聖典』を絶版したのは、当時の日本教文社の社長であった中島代表であったことを当時の理事やその関係者数人先生から聞いている、それもほぼ間違いないだろう。絶版になった当時、ある理事から「涙を流して怒りを言われたことを鮮明に思い出す」今まで、そういう案件を出たら否決していたんだが、日本教文社からそういう絶版の法案が出されたときに「あの中島が!」という吐き出すように言われたことを思い出す。だからその元理事は今もなお「学ぶ会」には入信されない。

また「総裁」の圧政下は理事は皆同じだった。だからこそ抵抗して頑張ったのです。

 

中島氏よりもっと辛い人は何人もいたことを爰に記入します。

だから、下記の文章だと私も「背教総裁」と同じとなる。でもそんな決めつけはやめましょう。破邪顕正さんはどうして決め付けるんだろう。

 気持ちはわかるが、本当に情けなくなる。もう少し冷静な判断を望みます。

いつまでたっても「仲直り」も「和解」も出来ない集団となってしまう。

 

日時:20160927 () 1908

名前:破邪顕正

 

残念なのは、いまだ、ここに到っても、谷口雅春先生の『聖典』を絶版にしたのは、当時、日本教文社社長であった中島代表であると難ずる人があることです。

それこそは、まさしく〝背教総裁〟と同じ言い草に他なりません。

〝背教総裁〟のやり方は、自分は絶対に表に出ないで、何があっても自分の責任にはならないよう仕向けるところです。

菅野完氏がやたらと「黒幕」という言葉を言い募っておりますが、それを用いるのであれば、〝背教総裁〟こそが最も相応しいと思うものであります。

中島代表は、〝背教総裁〟の圧制下、『聖典』を事実上の絶版にせざるを得なかった苦衷をずっと耐え忍んでこられました。

その申し訳なさを痛感せられていたがゆえにこそ、「谷口雅春先生を学ぶ会」代表という、教団の口撃を一身に受ける火中の栗を敢えて拾う覚悟をなされたのだと私は拝察しております。

以前、全国大会で、中島代表が往時を偲ばれて、「本当に辛かった!」と涙されたときの光景が昨日のことのように思い出されます。

 

 

 

 

「谷口雅春先生」の御本を残したい

以前に「光明掲示板・第二」の時に私は下記のような文章を書きました。

現在では、漸く『谷口雅春先生著作一覧表』として数量は少ないですが何とか出版出来ました。

掲示板では単に自分の趣味だけで蒐集しているだけじゃないかという嫌味な事も言われましたが、これ以前からここの掲示板に書き込むときは、なんとか編纂として冊子を出版したいという思いがありました。

 10年以上前に出版も考えたのですが、その時は出版できませんでした。今回出版の運びとなったのですが、更に増補改訂版もなんとか目処もたちました。

これから、少し整理しながらの校正となります。意外とそれが大変です。会社の帰宅してからの校正と修正とがあります。

今後は更に皆様に見ていただく、簡単な『谷口雅春先生著作一覧』を作って、抜けている事項などがないかを探求していきたいと思っています。

 

皆様にご協力をお願いしなければ到底完成できないと思っていますが、やはり閉鎖的風習があり、片付いていないとか、見せられないとか本当に辛くなるような事も多いです。とりわけ、こちらのことを応援していただく人かなと思っている人でも、「片付けていないから、見せられない」と封鎖的な慣習のような感じをしています。

先日の「学ぶ会」では本当に気楽に見せていただいたことに感謝しております。しかしそんな處はほとんどありません。

今後私は「書誌学」としてまとめなければならないことを思っています。書誌学として纏めるということは、どのような本が雅春先生がお書きになられたのかということが、分類できていないのが現在の状況です。

「書誌目録」というのを作成しないとダメであろう、「発行年」も国会図書館のように西暦と元号とを簡単にわかるようにしなければ、ISBNDOIというように纏めるのが一番いいのだが、そこまですると大変時間と図書館書士として資格も考えていかなければならないだろう。

 とりあえず、今回の出版、そんな多い部数は考えていませんが、なんとか一つ前進したように感じています。また、『帝都日日新聞』(やまと新聞)等の資料を整理できたのも何よりの宝です。

 こうして書いていてもなかなか、情報というのは頂かないのが残念でなりません。たぶん「興味索然」として自分には関係ないと思っているのであろう。

 それでも、私はここで発信しなければどうしょうもなく、消えてしまうことになるであろう。そういう危機感が本当にないのです。雅春先生の御本が消えていくという感覚がないから「なんとも思わない」のです。遠い別の話だという感覚なのです。母体保護法を訴えても「私には関係ない」と言っているのに等しい。

 雅春先生の文書伝道における「宝」が無くなっていくと思ってください。

以上、何卒よろしくお願いいたします。

 

 

「谷口雅春」先生の御著書の蒐集にご協力お願いいたします。 (10233)

日時:20140719 () 1617
名前:山ちゃん1952


生長の家の歴史的な文章や記録は先達などの文章で残っている場合はいいのですが、それが残っていない場合などは、現在私のような本部職員でもない一介の素人が研究するようなものではありません。

だが現在の封鎖された温故資料館や本部の内部資料や各都道府県の教化部にある図書室のような場所に封印されている現在ではなんとかしたいとか思ってみてもその探る手がかりは霧散してしまう。

本当にこれでは行けない。私は自分の資料を公開しています、欲しい人には差し上げています。
以前にも私の資料が遠く富山まで行き着いたことがあります。
それは兵庫県のいつも御指導いただいております人に私の資料が拡大していたのです。私はそれは大変いいことだと思っています。
私の場合はいつでも開示させていただいておりますので本部や温故資料館のようなことはしません。
温故資料館の場合でも調べてはくれますが、歴史の詳しい人がいないため話はなかなか進まないのが現状です。
もし、これを見て頂いている長崎総本山の職員で温故資料館に係わりをもつ人で反論して頂けば大変ありがたい。

現在大正12年から昭和5年あたりまでの谷口雅春先生の御文章は確かに殆どがありますが、それも『生長の家五拾年史』編纂していただきました皆様の御蔭であります。
だが、それでも全部ではありません。相当数の資料が見つからないまま、歴史の中から消えようとしています。
例えば私が所有している『霊光』という雑誌は誰も知らなかった谷口雅春先生の御寄稿文章があります。
それは本部ももちろん知る由もありません。これは阪田様(『生長の家五拾年史』編纂委員長)もびっくりされた雑誌です。

先日もこのブログに書きましたが、やはり互いに共有して雑誌を保管しなければなりません。自分だけの資料にしないで共有することが大切であります。
それは後世にその資料を残すことであります。今や谷口雅春先生の御著書は消えようとしています。谷口雅春先生の夥しい數の書籍は900冊以上です。否それ以上あります。

その御本が本当に消えようとしているのであります。勿論、現総裁の遣り方に憤りを感じるのは正当でありますが、それによって見れるかといえば、今の現状では見れません
だからそれに憤りを感ずるより、今後の対策を打たねばなりません。
「亀の子」様や「藤岡」様のように資料研究をされた人が今こそ一致団結して今後の対策を打たねばなりません。
それには
御著書を年代別に分ける(私がしています資料があります)
その資料を系統だてていく
雑誌に掲載されたものが、どういう本になって表れたか。
それが現在ではどのような御著書であらわされているか。
その年代における歴史的出来事などの記載(私もそれを書いています)
雅春先生の書かれた由縁もわかるように

昨日も「亀の子」様の投稿において感じたのは「マニアック」であるという言葉です。私は皆さんが「谷口雅春先生」のことを全て知る「マニアック」になって欲しいと思っています。

それは「谷口雅春」先生が大好きで大好きで仕方がないという人になって頂きたい。
そのためには「こうした編纂の蒐集」にご協力を頂きたいということです。

今回K様から御協力頂きました。近々それも加筆して公開していこうと考えています。
ただ、それこそ夥しいほどの頁数となります。だがこれも是非皆様に活用していただきたと考えています。

今回は生長の家掲示板第二にも投稿させていただきます。

宜しくお願いいたします。

 

単行本とそのレファレンス

『美しき生活』

『愛と光との生活』

 

 

 

 

1篇~第4

1篇~第2

 

 

 

 

『美しき生活』第1篇 愛と光の生活《第1章 世界が明るうなる生き方、第2章 愛と光を受ける生活、第3章 天地が廣うなる生活、第4章 當り前が幸福になる話、第5章 地獄と極樂、第6章 『忠』御心を行ずる、第7章 合掌の中にすべてがある》と『愛と光との生活』第2篇が共通

S15.12.25

S23.10.1

 

 

 

 

『子寳』

『新しい結婚』

 

 

 

 

1篇~第3

1篇~第2

 

 

 

『子寳』第13篇と『新しい結婚』第24

『子寳』第1篇 妊娠の心理的原理と體驗―第1章 神の生命を受ける道、第2章 子寳を授かる秘訣、第3章 出産は家庭の喜び、第2篇 妊娠中及び幼兒期の教養、第3章 乳幼兒を育てる母親に送る手紙

『運命讀本』第23篇と『栄える原理』第1~第2

S16.1.26

S29.10.10

 

 

 

 

『運命讀本』

『栄える原理』

 

 

 

 

 

1篇~第3

1篇~第4

 

 

 

 

 

『運命讀本』第2篇 栄える原理1章 運命を支配するには、第2章 眞の幸福は何處、第3章 絶對の健康へ、第4章 楽しく生くる道、第5章 成功の秘訣は、第6章 凡ては唯だ働くところに、第7章 たゞ『今日一日』、第8章 なせば成る世界、第9章 何よりも『因を知る心』、第10章 健康への心の用ひ方

、第3篇 運命讀本

『運命讀本』は『伸びる力』の加筆

S15.8.25

S23.12.10

『近視』

『光明の健康法』

 

 

1篇~第3

眞理篇 第15

 

 

『近視』第12章と『光明の健康法』體驗篇 第34篇が共通が共通

『近視』第1章 今日の視力問題、第2章 假性近視治癒の體驗記

S16.2.25

S11.4.19

『新百事如意』

(神と偕に生くる道の改題)

『心と運命』及び選集『心と運命』

第1篇       114

第2篇       123

 

第1篇       114

第2篇       122

『新百事如意』第1篇 第114章、第2篇 第122章と『心と運命』が共通

『新百事如意』第1篇 非人格的生命として觀たる宇宙の本體、第2篇 人格的靈として觀たる宇宙の本體

S13.9.20

 

 

S28.9.13

『光の語録』

 

 

 

 

 

智慧の言葉・生長の家の歌(詩)

 

 

 

 

智慧の言葉―『生命の實相』(頭注版)第22巻 聖語篇 (一部異る)

生長の家の歌(詩)=『生命の實相』(頭注版) 第20巻 聖詩篇 生長の家の歌

(『光の語録』にあって『生命の實相』聖詩篇にないものあり)

S21.12.25

『生長の家とは如何なるものか』

 

 

『生命の實相』(頭注版)第27巻 久遠の仏性篇 第8章 われらの祈願および修養、第28巻 久遠仏性篇

S46.6.25

『生命の教育』 第15

 

第1章      芽生えを培う教育法

第2章      人間の模倣性と教育

第3章      無軌道の教育法

第4章      解放と引き出しの教育

第5章      生命の教育法

『生命の實相』(頭注版)第30巻 兒童教育篇 第2

 

『生命の實相』(頭注版)第30巻 兒童教育篇 第3

 

『生命の實相』(頭注版)第25巻 教育実践篇 第2

『生命の實相』(頭注版)第30巻 教育実践篇 第3

 

『生命の實相』(頭注版)第14巻 教育篇 「生長の家」の兒童教育法

S41.4.29

 

 

『教師・夫婦・愛兒の本』

 

 

 

 

 

『愛の泉 女性讀本』 すべて同じ

S13.3.20

『愛の泉 女性讀本』はS14.2.20

『眞理』とそのレファレンス

六巻

 

 

人生篇

 

 

前篇手紙問答 第129

後篇直接問答 第3033

 

『人生助言』第1篇 問1~問23、第2篇 問1~問9、第3篇 問1~問13、第4篇 問5、問16=前篇 手紙問答 第129章―第1章 不勉強の子供を導くには、第2章 麻雀に凝る夫の外泊問題、第3章 子供の入學試験に直面して、第4章 學業を捨てて放浪する子供の問題、第5章 知性の勝った反逆の子の導き方、第6章 叔父に反抗する少年をどう指導するか、第7章 果して讃めるばかりが好いか、第8章 兒童に「休養」は必要か、第9章 妙子ちゃん事件」について、第10章 脅迫觀念に悩む青年に、第11章 三角關係をどう解決するか、第12章 子供を生みたいが生活不安、第13章 母性愛の浄化に就いて、第14章 良人の仕事に妻が反對する場合、第15章 吃音矯正の鍵は何處に、第16章 業の流轉より遁れるには、第17章 深刻なる人生苦を超克するには、第18章 間違の多い子供をどうして導くか、第19章 授業時間中居眠する子供、第20章 偏執症は如何にして?、第21章 娘が神經衰弱で疲れ易い、第22章 金を盗む不良兒を如何にするか、第23章 子供の嘘言はどうして直すか、第24章 子供を有つ女教師の悩、第25章 處女で再婚した妻を持つ悩、第26章 闇を行ふ父と子の關係、第27章 生理的本能と「夫婦の理念」とは異る、第28章 悟にて治病は可能か、第29章 戦歿せる兄の妻との結婚に關して)

谷口雅春選集とそのレファレンス

    

第四巻

 

 

 

 

心と運命

 

 

 

 

1-114章、第2篇 第1522

 

 

 

『新百事如意』第1篇 第114章 第2篇 第1522章(第1篇、第2篇 第1522章=選集 第1篇、第2篇 第15221篇非人格的生命体として觀たる宇宙の本體、第2篇 人格的靈として觀たる宇宙の本體)

S13.12.5

 

 

 

 

第九巻

 

 

 

 

人間死んでも死なぬ

 

 

115

 

 

 

 

◎『人間死んでも死なぬ』第116章(第115章=第1章 死後研究の道徳的價値、第2章 死後に残存せる意識、第3章 死後に残存せる意識の客觀化、第4章 死の瞬間に撮影せる靈魂の寫真、第5章 他界への出生の實證

S13.2.20

 

第十三巻

 

 

 

美しき生活

 

 

 

第一篇―第17章、第2篇―第17章、第3篇―第14章、

 

 

『美しき生活』第1篇(愛と光の生活)17章、第2篇―第17章、第317章、第4篇―第14章、(第24篇  第1篇 眞理の顯現としての家庭構圖、第2篇 實相と現象、第3篇 愛する者を亡へる人々に )第1篇がそのまま削除

S15.12.20

 

第二十一巻

光明の健康法

 

眞理篇 第15

體驗篇 第14

『光明の健康法』眞理篇 第15章、體驗篇 第16

(眞理篇第15章、體驗篇、第1256選集 眞理篇、體驗篇眞理篇 光明の生活法、第1章 醫學上の治病の原理、第2章 無礙自在の『生命の本性』を發揮せよ、第3章 無限生命に汲む道、第4章心の根本的調理法、第5章「神想觀」實修の形式並びに注意、體驗篇 光明の健康體驗談 第1章 眞理は孤ならず、第2章 結核は治る、第3章 胃腸病は治る、第4章 酒癖、喫煙癖、間食癖の自浄せし體驗)

S13.9.1

 

                      

「業の流転」としての雅宣総裁の凋落

 下記の内容が本当であるなら、大変という言葉で表せない程、ショックが大きいと思います。

 

 私はやはり「谷口雅宣」という人物の「業の流転」というのが現象的に現れてきたように感じます。

 尊師谷口雅春先生を「裏切り」、しかも「売国奴」となり、「過去の栄光も見るべき姿ではなくなった。

これも、己が人に対して行ってきた所業は「宗教家」としての人物として恥ずかしい限りである。人に対しての「悪口罵詈」はいろいろな噂となり、何人の人からも私は聴きました。10人以上の理事や役職者から、それ以外でも数十名の人からの言葉ですので、信憑性は高い。

 

しかし、そうしたことは結果として現れるのがこの世界です。「ウソ」をついた総裁は信徒には「ウソ」をつくなという。でも本当にそんなことは「神様」は赦さないように思います。自業自得であるように見ています。

現在でも信徒である人でも相当数は今後退団していくであろう。

 もし仮に私が信徒ならば、二度と宗教には行きたくない。だから「学ぶ会」にも入らないだろう。またいつ時、騙されるかも知れないという恐怖心があるからである。

でも、早くに辞めて正解であった、そんな嫌な気持ちにはならないで済んだ。

 

 

「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板

2496 トキ◆NeaLgIQX3w2016/09/28() 10:59:42 ID:AHdb7SKU

 現場にいる人間としては、「新潮45」の記事は、例の「日本会議の研究」の一件よりもダメージが大きいです。「日本会議の研究」の件は、谷口雅春先生の教えを知る人が反発しましたが、「新潮45」の件は、むしろ若い人のショックが大きかったです。

 「新潮45」の件は、ベテラン信徒は知っていて目新しいことはなかったのですが、一般の信徒にとっては、記事の内容を知らない人のほうがはるかに多く、その人達は、今まで知らなかった教団や総裁の面を知り、裏切られた、という憤りを感じるみたいです。しかも、総裁がわざわざ宣伝をしてくださったおかげで書店でも売り切れ続出で、教団内ではコピーが出回っています。

 その結果、退会希望者が続出している状態です。教区としては、泣くに泣けない状態です。

 以前、私は、「日本会議の研究」というミサイルはぐるっと回って総裁のほうへ飛んでいくと書きましたが、そういう状況になってしまいました。朝日新聞の記事によれば、「日本会議の研究」を始め「日本会議」批判本が出回ったおかげで、かえって日本会議に入会する人が激増したみたいです。また、総裁が「日本会議の研究」という伝聞を使って「日本会議」や
本流復活派を攻撃したことで、相手方にも伝聞を根拠とした批判を解禁させるという結果になりました。つまり、こちらが全力で攻撃したつもりが、相手にはかすり傷しかあたえられず、むこうが反撃したら、被害甚大という結果になったわけです。

 当然、今後、第二弾、第三弾もでるでしょうから、たいへんなことになってきたというのが実感です。

 講習会の推進も、とてもできる状態ではありません。

 たいへんなことになったと思います。

 

『生命の實相』黒布表紙版とそのレファレンス②

第十巻

 

 

 

 

自轉篇

 

聖詩篇

 

 

神示を受くる迄 第18

◎『佛教の把握』(轉身-12=自轉篇 第7章 関東大震災に逢ふ、第8章 肉體及び物質の否定

◎『新佛教の發見』(『佛教の把握』に同じ)

〇『超宗教を建つるまで』

〇『神を見る迄』

S12. 1.28

 

S154.20

S156.20

S26.11.5

第十一巻

 

 

 

經典篇Ⅰ

經典篇Ⅱ

参考篇 

 

宗教問答篇

✩智慧の言葉

✩『甘露の法雨』講義

✩精神分析による心の研究、

✩人生の悩みに答ふ

〇『甘露の法雨』講義 第14章、聖経『甘露の法雨』(第14章=經典篇Ⅱ『甘露の法雨』講義、第1章 神と佛と靈、第2章 物質と實在、第3章 智慧と無明と罪、第4章 人間の實相および假相)

 

S14.4.15

『生命の實相』

 

 

第十二巻

 

 

 

 

 

 

 

 

 

常樂篇

 

經典篇

 

 

参考篇

質疑篇

藝術としての生長の家(序文に代へて)

✩久遠常樂の生活 第14

✩聖經『天使の言葉』講義―特に『近眼は治る』原理に及ぶ―

✩心が肉体に及ぼす力

✩眞理の応用及び捨遺

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第十三巻

 

 

 

 

教育實践篇

随処作主の工夫(はしがき)

✩人間を作る法

 

〇『人を作る教育』

〇『人間を作る法』

 

 

S11.9.20

S26.915

 

 

第十四巻

 

 

第十五巻

久遠佛性篇

眞理體驗篇

女性教育篇

児童光明篇

聖典講義篇

✩常樂の宗教の提唱 第111

今日の視力問題 第12

✩母・妻・娘の聖書 第112

✩子供への光 第14

 

山上の垂訓の示す眞理

〇『明朗の宗教』

◎『近視』今日の視力問題 第12

 

 

〇『女の教養』第110章(第110章=女性教育篇 第1章 女性の觀點を一新せよ、第2章 『女だから』と云ふ言葉、第3章 妻を『養ふ』と云ふ言葉、第4章 無限供給の經濟の立て方、第5章 家庭幸福への道、第6章 結婚前の娘及び母への注意、第7章 ダリアの花に題して、第8章 本来一つのもの、第9章 親切行に就いて、第10章 空想的人類愛より實際的人類愛)

S11.10.20

S16.2.25

 

 

 

 

 

 

 

第十六巻

神道篇

 

經濟生活編

日本国の世界的使命

18

光明思想的事業經営法

◎『百事如意』第16

 

◎『百事如意』第16章(第3章=經濟生活篇)

 

S11.4.21

 

S11.4.21

 

第十七巻

 

随喜篇

 

道場篇

✩把住と放行 第1~八章

✩辮道聴き書き

 

 

 

 

 

 

第十八巻

 

 

 

下化衆生篇

幸福生活篇

功徳篇

✩哲學の實践

 

✩幸福生活への根本眞理

寳樹華果多し

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第十九巻

 

 

 

 

 

 

 

 

幸福篇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

✩人生生きる道 第112

 

 

 

 

 

 

 

 

〇『日輪めぐる』

〇『幸福讀本』

◎『日輪めぐる』第112章(第112章=第1章 新たに生まる、第2章 衣を更へて、第3章  弥々生ふるいのち、第4章 若葉寄り繁る、第5章 陽めぐりいづ、第6章  紅白むすぶ、第7章 眞諦成就、第8章  八紘一宇是神國、第9章 苦難既に無し、第10章   圓滿具足、第11章 さらに新芽を含む、第12章 陳きもの自ら謝る

〇『毎日の教養』

S12.12.18

S1510.20

S24.11.1

 

 

 

 

 

 

S28.1.1

第二十巻

佛教篇

 

家庭教育篇

✩いのちの解脱 第19

✩家庭と教育の基礎 第110

 

◎『教師・夫婦・愛兒の本』第1篇 第19章、第2篇、第1014章、第3篇、第1618章(第1篇 第19章=家庭教育篇 第1章 愛児の能力と夫婦陰陽の調和、第2章 拝み合ひの生活、第3章 無痛分娩の方法と心掛、第4章 蝦児を無痛分娩した話、第5章 胎児及胎児以前よりの教養、第6章 配偶の觀相學的選び方、第7章 そのまゝ素直に有りがたい、第8章 或る結婚式場での話、第9章 愛児の健康への近道)

◎『愛の泉 女性讀本』(『教師・夫婦・愛兒の本』の本に同じ)

◎『花嫁讀本』第112章(第2678章=家庭教育篇 第2345章)

〇『あなたの愛兒』第110章(第110章=家庭教育篇)

 

 

 

 

 

 

 

 

S13.3.20

 

S14.12.15

 

S28.5.1


他に沢山のレファレンスがありますが、時間の関係で一部しか引用出来ませんでした。




「トキさんの呟き」、それなら今後どう対処するのか

組織 板

4046 トキ ◆NeaLgIQX3w2016/09/27() 12:38:20 ID:03bbxBwc

 総裁は、よく「嘘をつかない」「誠実さが必要」であるとご指導をされます。
別にそれは反対しないが、それなら、生長の家という宗教法人の過去の組織決定も批判されるべきです。

 例えば、生長の家政治連合が活動停止をするときに、組織側は満足のいく説明を信徒にしていません。ある日突然、活動停止の通達が来て現場の人間が呆然となったというのが実情です。

 最近でも、「生長の家は政教分離」とうたいながら、ある日突然、「与党を支持しない」という通達が下部組織に説明もなく届き、現場は信徒の突き上げに対応もできない、という状態になりました。

 こういう生長の家本部のやり方は、どうみても「不誠実」です。

 しかも、総本山のご祭神を突然変えてしまったのに、「信仰の真髄は何も変化していない」と強弁する始末です。

 生長の家本部の主観的な考えは知りませんが、信徒側から見たら、「組織は嘘をついている」としか写りません。

 しかも、そういう本部の方針に異議を唱えたら「中心帰一」に反する、と居直られます。

 生長の家本部の中にいる人は、それで通用するかもしれませんが、社会通念上は通用しません。

 

先日の宇治での参加した人の話だとどうしても総裁に対する「罵詈雑言」となってしまう。それはある程度は仕方がない。私自身もこのブログで散々悪口?を書かしていただいています。だが、いくら書いてもこちらが神經をすり減らし、「アンチクショ」と思っても、総裁は変わらないのです。

反対にこちらのほうが、病気になったり、怪我をしたりするのです。それは何故かというと相手を憎む心がどうしても「自分に反映」してそうした、憎しみの心が自己の体に反映して却って良くならない。私もきっちりと総裁の間違いや「ウソ」を指摘するが、それは反対に目を瞑ったりしてはいけない。悪口ではなく間違いは指摘しないと「生長の家」教団の信徒さんも何が間違いかわからない。光明化出来ていない所や眞理の間違った解釈は指摘しないとわからないからです。

教義の間違いや「雅宣総裁」の言語での生長の家解釈などの間違いなど随分多いのでそういうことは指摘や注意するのは大いに結構である。また雅春先生の言葉をこうしたブログに記載するのも大いにいいが「著作権」だけには注意しましょう。

 

 

生長の家教団の不誠実さも「トキ」さんの掲示板でもよくわかります。(上記参照)でもそれが呟きだけで終わったらダメである。それを改革する勇気を「トキ」さんに是非先頭を切って実行して欲しい。

それでこそ、本領発揮することとなります。

 

それと「学ぶ会」が本日で14周年ですか、私達が塚本幼稚園でそれと同じような会合に出席して17年経過するのか、長い年月を感じます。「学ぶ会」の益々の大盛況をお祈り申し上げます。


また本日は「大調和の神示」の日です。昭和6年の918日に柳条溝事件をきっかけに満州事変勃発した、騒乱した世の中でその九日目にこの「大調和の神示」が生まれたのも何か大きな因縁を感じます。


『生命の實相』黒布表紙版とそのレファレンス-①

『生命の實相』黒布表紙版とそのレファレンス

題名

添付資料(〇全く同じもの・◎は一部同じもの)

年月日

第一巻

    

総説篇

實相篇

七つの光明宣言

光明の眞理 第123

〇『人間・力は無限力』

S13.5.25

第二巻

光明篇

 

生命篇

生命に到る道 第1~第4

『中心に歸一する道』(「生長の家」は日本精神の源泉=光明編第2章「生長の家」は日本精神の源泉

〇『生命に到る道』

S11.2.23

 

S27.2.25

第三巻

聖靈篇

 

實證篇

燃えさかる聖靈の火  第110

生長の家の奇蹟について

〇『いのちのはやて』

〇『生命の烈風』

〇『現実の救い』

S10.5.25

S9.915

S28.5.10

第四巻

 

 

 

 

 

 

 

 

生活篇

 

觀行篇

 

 

 

 

 

 

生長の家の生き方  (1)~(18

神想觀實修本義 第16

〇『光明の生活法』 無限供給の神示、生活編『生長の家』の生き方(生活編が共通)

『百事如意』無限供給の神示、第16章(第2章=觀行篇、第5章 無限供給を受くる道)

『光明の健康法』眞理篇眞理篇 第15章、體驗篇第16

(眞理篇第345章=観行篇、第4章無限生命に汲む道、第1章心の根本的調理法、第2章「神想觀」實修の形式並びに注意)

S10.12.15

 

S11.4.21

 

S11.4.21

 

 

第五巻

 

 

 

 

靈界と死後の救ひ

 

 

靈界と死後の救ひ第15

 

〇『出世前・生・死後の研究』第12

(第1章     差別心より観たる靈界の消息、第2章平等心より観たる靈界の消息)

〇『續人間死んでも死なぬ』

〇『人間の運命』

S9.7.1

 

 

S14.4.16

S26.3.1

第六巻

 

 

 

 

 

 

 

 

萬教歸一篇

「大生長の家」地湧の浄土 第16

〇『地湧の浄土』

地湧の浄土』第15

(第15章=萬教歸一篇、第二章 『生長の家』より観たる『創世記』、第三章 『生長の家』より観たる『法華経』、第四章 萬教一つに包容す、第五章 吾等を浄土に救ふものは何か、第六章 南無阿弥陀仏の実生活化

『中心に歸一する道』(中心に歸一する道=第1章中心に歸一する道)

S10.5.21

S27.7.1

 

 

 

 

 

S11.2.23

第七巻

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本當の教育(はしがき)

倫理篇

教育篇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

永遠の價値の生活學

『生長の家』の兒童教育法

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〇『本當の教育』

『完成の聖書』第113章(第111章=第1章  永遠價値の生活學序説、第2章 第一の神性隠蔽、第3章 第二の神性隠蔽と其の以後、第四章 自己の展開としての客観世界、第5章 実相を隠蔽する傲慢と自卑、第6章 唯心思想の經濟的展開、第7章 悔改の倫理、第8章 偽我と眞我の甄別、第9章 自他一體と個性生活、第十章 和解の倫理)

『生活の値打』第114章 (第15、第714章=倫理篇、第15、第710章、第11章 ロダンの鼻欠け像の倫理、第12章 戀愛・結婚・夫婦生活の倫理、第13章 家庭の宗教生活化、第14章 無軌道の倫理)

〇『新教育の原理』第115章 附録 現代教育の基礎となるもの、新教育者連盟新規約

(第115章=教育篇『生長の家』の兒童教育法)

S10.6.25

S12.4.25

 

 

 

 

 

 

S28.7.20

 

 

 

 

S29.4.1

 

 

第八巻

 

 

 

 

 

 

 

 

人生問答篇

 

 

 

 

 

 

 

人生の悩みを解く 第111

『運命の神秘』第112章(第111章=第1章   家庭争議の解決を語る、第2章 生活に顕われた神通妙用、第3章 生きる道の座談会、第4章 基督の偉さと奈翁の偉さ、第5章 戀愛・相性・方位・家相、第6章 念の集積・業の流転・念の憑依、第

7章 念の病気に及ぼす力、第8章 治す念波の話、第9章 『みんな一体』の信仰を語る、第10章   世界は何処へ行くのかを語る、第11章 國と家庭を良くする話)

S26.6.15

第九巻

宗教問答篇

19

〇『光明の思想』

S10.9.21

 

蓮は泥水であればあるほど綺麗な花を咲かせる

《速報!》〝背教総裁〟に「中心帰一」随一の教区、新潟越南教区の講習会が惨敗の結果となりました! (3606)

日時:20160925() 1942

名前:破邪顕正

 

表題の教区、本日(9月25日)開催の講習会の結果の報告です。

 

新潟越南教区の講習会  822人 

 

前回比 ▲17.39  前々回比 ▲28.77

 

受講者数 今回=822人 

 

前回=995人  前々回=1154人

 

会場数=<2>・・増減(+1)

 

会場数を増やしたのに、前回を下回る結果になるとは?!

 

千名を下回るとは、教勢の低迷が、これで〝鮮明〟となりました!

 

有名な〝背教総裁〟ヨイショの第一人者、中内教化部長は、講習会の大盛会に向けて、こんな投稿を書き込んでいました。

 

私は上記の件については哀しい思いがする。勿論現総裁の行っている所業はもっとダメであることもわかる。

だが、信徒の激減はそのまま「学ぶ会」に入信するかといえば、そうではない。だから仕方がないとはいえ、皓々とした中に仄かな寂しさが障子に映るような残影として反映する。

 

これほど減ってしまうと教区自体も存在がなくなってしまうのです。教化部に勤められている人は職を失うかもしれない。

だから破邪顕正さんのように気持ちには私はなれない。

総裁になってからは教勢を発展させたことはないので、減っている信徒はほとんどは「雅春先生」の信仰によって目覚めた人達であろう。

だから、糠喜びが出来ない。どれほど頑張って教勢を発展させられたか、私は運が良くそういう勉強や資料を集めたりしたので痛いほどわかるのです。また、ここの教化部長である人と他の教化部長ともそんな差異はない。

 

複雑な心境である。

 

泥水が濃ければ濃いほど、はすの花は大輪の花を咲かせます。

泥水ではなく、真水に近いようなきれいな水である場合、蓮の花は本当に小さな花しか咲かせません。

 大輪の花を咲かせるためには、ものすごく汚い泥水が必要です。

 蓮の花は泥水の中から綺麗な花をさかせる。

憂国箴言より

憲法にウソがあったりコジツケがあったりしてはならない

 このような解釈については色々の反論はある。「戦力」とは攻撃用の原子爆弾とか、ミサイルとか最新近代兵器で戦い得る力であって、現存の自衛隊のような武力は「戦力」ではないとか。自衛権をこの条文は否定したのではないとか。この条文は単に「政治的理想を掲げた政治的マニフェスト」であって、実行上の規準ではないから法的の拘束力はないとか。種々のコジツケ的な反論があるのである。

 しかし憲法というものは。国家の基本法であり、国家及び国民の存在及び行動のあり方を根本的に決定する規準となる根本法であるから、苟くもそれにウソがあってはならないのである。高度の国家行為として政治的理由のある場合には憲法に沿わなくともよいとか、国民を胡魔化したり、政府が牽強附会な解釈によって。憲法に反することを行ないながら、それを合憲的だと言い張って無理押ししたりしようとするならば。法の権威というものは失われてしまうのであって、もしそんな事があるならば、これは全く由々しき一大事といわなければならないのである。

 「政府が憲法を破るのなら、国民は法律を破ってもよいではないか」というような法軽視の風潮が盛んになり、国家の治安は聚乱してしまうのである。すでにそのような風潮が随分国民の間にひろがっているのである。道路交通法を破って集団でジグザグ行進をするなどそれである。既に恵庭事件で。当局が、器物破毀の刑法条項で野崎兄弟を追起訴しないのも、一方で自衛隊が違憲であるから、この方も許しておこうという配慮から出ている。

 それなのに現行の日本国憲法はその成立の最初からしてウソがあるのである。それゆえに、ウソを胡魔化すために更にウソをついて色々の憲法条文のコジツケ解釈をしてそれを多数党の力で押し切って誤魔化さなければならなくなっているのが現行の憲法であるので、それだから自民党不信の声が全国にみなぎるというようなことになっているのである。だから政府不信、与党不信の声をなくして挙国一致して日本国を護ろうとするためには、第一に、根源に遡って現行憲法のウソを訂正しなければならないのである。つまり筋を通すことが必要なのである。

 

日本国憲法前文の第一行にウソがある

 現行憲法がそもそもその成立の最初にウソがあるというのは、福岡大学教授の森三十郎氏も指摘しているように、

この憲法の前文には、

 「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し……ここに主権が国民に存することを宣言し、憲法を確定する」

 とあるけれども、帝国憲法を変更して現行の日本国憲法を制定する当時には「国会」と称する議会は存在しなかったのであり、国会と称する名称は。現行の日本国憲法によってつくられたものであり。新憲法制定当時の議会は帝国議会であったのである。無論“帝国議会”を俗称で「国会」といった人は当時もあり、その議員を”国会議員″と俗称した人はあったけれども、苟も国家の根本法規である憲法の冒頭に正式の帝国議会の名称を用いないで俗称を書くなどということは不見識も甚だしいことなのである。こんなことが起ったのは、この憲法制定が「正常に選挙された国会に於ける代表者を通じて行動し」とあるけれども、実はそれはウソであって、本当は次の通り書くべきであるのである。

 「我らは占領軍司令部の強権の発動によって行動し、米国起草の日本国憲法の英語草案を日本文に翻訳せしたものに基いて帝国憲法を改定するように指示せられ、若しその指示に従わない場合には“天皇の身柄もどうなるか分らない“と脅喝せられ、戦中の愛国者とみとめられる者を悉く追放してその発言権を封じておき、日本国家に恨みをいだく共産党員を解放して、それに自由の発言をせしめ、戦争に反対していた共産党員こそ愛国者だという錯覚を起させるような宣伝を繰返しラジオや新聞で行わしめて恰もその暗示で催眠状態になった国民だけの中から選挙された議員で構成する帝国議会に於いて、ここに主権が国民に存することを宣言し……」

 しかも占領軍が“このアメリカ案憲法”を受け入れなければ”天皇の身柄”はどうなるか分らないと脅喝した時の“天皇の身柄”とは日本人の訳語であって、実は英語でPerson of Emperorという語を用いたということである。

Personというのは、単なる天皇の“政治的地位”などという意味ではなく“肉体をもった人格”のことであるから、これは暗に、「この憲法草案を呑まなかったら天皇を巣鴨の東京裁判に戦犯として起訴して死刑に処するかも知れない」という含みの脅喝であったのである。

 当時、敗戦したとはいえ、まだ日本国民の大多数は、天皇を国家の生命の中心的存在であるとして尊敬し敬愛しており、天皇を失うことは恰も、蜜蜂の働き蜂がその女王を失うが如く憂える心境のときに於いて、“天皇を戦犯として処刑にするかも知れない”というような脅喝は精神的に国民から自由に発言し得る自由を奪った訳であって、どこに「日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」などということが言えるであろうか、このように新制定の日本国憲法の前文の冒頭からウソを書きつらねても、“占領憲法まかり通る”という光景は全く幕府時代に徳川将軍の御通行あそばされる通路に、庶民が土下座をしてひれ伏している光景そっくりに、武装解除された日本国民が抵抗の道もなく占領軍にひれ伏していたからなのである。 

久しぶりの再開

昨日は宇治の谷口雅春先生の講演会に参加してきました。

そこで、大変嬉しいことがあったのです。それは私が若かりし頃の大阪教区の中学生育成担当をしていたのですが、そこのメンバ-の中から二人の女性が参加していたのです。中学生時代から会っていないので39年の月日が流れている。この当時のメンバ-は本当に素晴らしく、全国大会でも大阪だけで50名の中学生が参加してくれた。

当時中学生の練成会は私が中学生育成担当するまでは、冬季中学生練成会、春季勉強練成会、夏季中学練成会で大阪ではようやく20名を超えるかどうかで人数も少ないので「宇治別格本山」で開催して近畿の中学生が集まっていました。

 そこから、1年でどの錬成会でも100名を軽く超える集団となったのは彼女達がいればこそでした。だから私の自慢というより、彼や彼女達が本当に頑張ったお陰で沢山の中学生が参加するまでに至った。

昨日会ったのは寝屋川ジュニア友の会と瓢箪山ジュニア友の会のとりわけ頑張って活動してくれた同志です。今寝屋川は豪栄道で有名になりました。

 私は当時のメンバ-で他に2人の人が生長の家の教団ではありませんが、生長の家の眞理の光を灯し続けている。

 

私は本当に嬉しかった。やはり彼女達の頑張りもありますが互いに切磋琢磨しながら、生命学園の時代からの付き合いを続けているのが「素晴らしい」です。

彼女達に感謝のみです。

 

本当にこうした生長の家の生え抜きを本当に育てなくてはいけません。

 

さて、そんな話をしながら、その後私はなにもお手伝いしなかったのですが、早速感謝行だけには参加しました。(感謝行?)


 このようにビデオを見ることも本当に大切なことです。雅春先生の帰ろうと貴康先生も訴えておられます。

 

久しぶりにお会いしました。谷口貴康先生、大熊良樹先生ありがとうございました。(無断にて写真の掲載はお断り致します)

DSC_0584

参加者は90名程でしたが、有意義な講演会でした。

中国の餌食にされようとする我が領土

一昨日の夕刻の頃、何気なしにスマートフォンをさわっていると突然にネット等のスピード制限がかかってしまった。ドコモからの通知があったのだが、今までそれでも制限をクリアしていた。

だが、対処しようと思ってもホームページにも動きが遅く時間オーバーで入れない。

慌てふためくがドコモで連絡するしかない。

いざとなれば、使えるものが使えないとは何と不便なものかということを知るハメとなる。

だから大丈夫というのは何の保証もない、只、自分を誤魔化してその言葉で安心感を満足させていた。

日本の防衛だって同じ事がいえる。

 

日本の一部の「平和」とか「九条の会」とか「戦争をしない国」とかを言っている人達はいつまで、そんなパラダイスをいつまで見ているんであろうか。

刻々と迫る、領土野心に燃える中国の餌食にされようとしている我が領土「尖閣諸島」

自国を守るということはどういうこと事かを理解出来ない上述した人々。

 

また、北朝鮮の度重なる弾道ミサイルの発射は何を意図としているのか、マスコミはボヤカシているが、日本全域を射程圏内に治めている事を意味している。

とりわけ、核弾頭を搭載できるミサイルである。

国連での非難決議でも動じない得体の知れぬ国である事は確かである。

このことは中国でも同じ事がいえる。実行支配している南沙のスプラトリー諸島の仲裁裁判での判決を無視して未だに実行支配を続けている。これでは国連等何の手立てもならない事をよく知ることでもある。

 

随分前に北朝鮮は「日本を火の海」ということはこのことであることを目を覚まして欲しい。

また、中国は最近、日本の岸外務大臣が訪中した時に

恫喝外交を行った。こういう恫喝外交というのにここ数年何回もある。今後どのように対処していくのか。中国は本気で日本を侵略してくるのは間違いない。

そこで思い出すのが、『やまと新聞』に記載された雅春先生の憂鬱であろう。

国連常任理事国への中国の加入を巡って、内憂外患された思いが悪い事だが的中してしまった。

中国の歴史は略奪と迫害と侵略の歴史でもある。それを常に訴えてこられた雅春先生。

嗚呼今は左翼の片棒を担ぎ上げ訳も分からなく、売国の一員として活動しようとしている。

これを阻止し、日の丸を掲げて立ち上がる戦士は最早生長の家にはいない。

「生長の家」の根本真理をわからずに、己れのみを帰一せよと叫んでいる。

何と間違った教えなんだろう。それを思うと雅春先生はどう思うんだろう。雅春先生に帰ろう。それが生長の家が残っていく道である。

本部職員及び教化部職員様へ「ある提案」を

教化部職員で谷口雅春先生を尊敬され、現在の雅宣総裁をどうしても考えの違いから退職等を考えておられる人に提案させていただきます。

二週間程前にある友人から「JAPAN UNION」という名前を聞きました。これはインタ-ネットで調べるとわかりますように、一人でも組合に加入出来るシステムです。

やはり、現在の職員でも不当解雇や不当な左遷など留まること知らない。本部職員や教化部職員は勿論『学ぶ会』誌を読むことは出来ません。そういうのがわかると、処遇は大変悪くなります。

 また、職場内で『学ぶ会』のことを検索することも出来ない。勿論、そうした会合などにも参加が出来ません。また、携帯などで友達などで検索することも控えている人も多くいます。またそれにより辞職した話も多く聞きます。

 だから教化部職員になったために、旧来の友達とは遊ぶことが出来なくなったということも。

 また、友達が減ってしまって、悩んでいる人も多くいます。

 

 私達の時代は『赤旗』を購入したり、『共産党』支部に出かけたりしていましたので、何と不当な扱いをうけるのであろうかと思っています。

 

 そのため、ようやく帰宅してから、こちらのブログなどで見ていただいております。

それでですが最初に述べましたように「JAPAN UNION」に加入すれば外部からの折衝や交渉も可能となり、権利も認められるようになると思います。

 いままで仕方がないと諦めていたことも、団体交渉権として是非相談していただきたい。個人の考えの違いまでこれからも更に「スリ-パ-・セル」として不当な労働条件を強いられます。

この労働組合に加入をするにはなかなか勇気がいると思いますが、断じて屈しないようにお願いします。

 

http://www.jca.apc.org/j-union/

『憂国箴言』公安資料調査会発行

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『憂国箴言』
公安資料調査会発行

昭和421210日発行「果して日本国憲法は憲法なりや」頁39~頁58

同年8月の記載

この本の御寄稿は私も知らなかった。本日何気なしに古本屋に立ち寄ったら「いの一番」にこの本を見つけた、咄嗟に帯紙をみて

「国家全体の生命を救うためには、国家成立の中心生命がどこにあるかを明らかにして、中枢の総合作用を教化して、国家経世の細胞にあたる国民を中心に、帰一せしめることこそが必要なのである。

      生長の家総裁  谷口雅春

いままで、どうしてこの本を見つけることが出来なかったんだろう。国会図書館にも検索したが名前の記入が実に小さく、それで記載しなかったと思う。

20頁にわたり記載がある。占領憲法のどこが悪いのかを累々として書き連ねています。雅春先生の思いが現在では風前の燈火のようになっています。

雅春先生はこの当時は憲法の憲法上での不当正は勿論のこと、心霊学的な判断からの占領憲法の日本に与える影響。また政治学的な判断からの占領憲法の矛盾、また憲法の失陥や「ウソ」で固められた憲法であること。

また宗教上における「中心帰一」から見た現憲法の不惑など様々な様相から指摘されています。勿論、当時の内憂外患からも大きく雅春先生の慟哭は打ち鳴らされていましたが、それでもその憂国の叫びは逗まること知らずです。

咄々、私達は雅春先生の流れを如何に汲むかであります。

尚、この本は国会図書館で見ることが可能です。また、地方の図書館でも国会図書館専用の検索を行えば可能ですので是非見て下さい。

 

 

 

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