私は下記の文章にはどうしても馴染めないところがある。
私のように「学ぶ会」発足前から知っている人間は「学ぶ会」といえば仙頭泰先生、中島功先生、鎌田久子先生であろう。大阪にも度々脚を運ばれ、学ぶ会に尽力されていました。申し訳ないが中島省治先生はそんなに当時は活動されたとは聴いたことはない。
また『聖典』を絶版したのは、当時の日本教文社の社長であった中島代表であったことを当時の理事やその関係者数人先生から聞いている、それもほぼ間違いないだろう。絶版になった当時、ある理事から「涙を流して怒りを言われたことを鮮明に思い出す」今まで、そういう案件を出たら否決していたんだが、日本教文社からそういう絶版の法案が出されたときに「あの中島が!」という吐き出すように言われたことを思い出す。だからその元理事は今もなお「学ぶ会」には入信されない。
また「総裁」の圧政下は理事は皆同じだった。だからこそ抵抗して頑張ったのです。
中島氏よりもっと辛い人は何人もいたことを爰に記入します。
だから、下記の文章だと私も「背教総裁」と同じとなる。でもそんな決めつけはやめましょう。破邪顕正さんはどうして決め付けるんだろう。
気持ちはわかるが、本当に情けなくなる。もう少し冷静な判断を望みます。
いつまでたっても「仲直り」も「和解」も出来ない集団となってしまう。
日時:2016年09月27日 (火) 19時08分
名前:破邪顕正
残念なのは、いまだ、ここに到っても、谷口雅春先生の『聖典』を絶版にしたのは、当時、日本教文社社長であった中島代表であると難ずる人があることです。
それこそは、まさしく〝背教総裁〟と同じ言い草に他なりません。
〝背教総裁〟のやり方は、自分は絶対に表に出ないで、何があっても自分の責任にはならないよう仕向けるところです。
菅野完氏がやたらと「黒幕」という言葉を言い募っておりますが、それを用いるのであれば、〝背教総裁〟こそが最も相応しいと思うものであります。
中島代表は、〝背教総裁〟の圧制下、『聖典』を事実上の絶版にせざるを得なかった苦衷をずっと耐え忍んでこられました。
その申し訳なさを痛感せられていたがゆえにこそ、「谷口雅春先生を学ぶ会」代表という、教団の口撃を一身に受ける火中の栗を敢えて拾う覚悟をなされたのだと私は拝察しております。
以前、全国大会で、中島代表が往時を偲ばれて、「本当に辛かった!」と涙されたときの光景が昨日のことのように思い出されます。