則天去私

「谷口雅春」先生の生涯も綴っていきます。

2016年06月

讀んで戴ければ幸甚です。

犬塚様へ

犬塚様メ-ルありがとうございます。
コメントのご返事は明日にもさせていただきます。
すいませんが、コメントを非表示にさせていただきました。
住所や電話が記載されていましたので、犬塚様になにかあると
申し訳ないので非表示にしています。

さて、今までの貴方様の掲載された文章を無断にて掲載させていただいたこと
をこのブログにてお詫び申し上げます。
ご迷惑になったのではないかと思っています。
途中で止めること出来ずに全掲載をさせていただきました。
重ね重ねお詫び申し上げます。

詳しくは明日にご返事させていただきます。

谷口雅宣は何と愚かな人物であろうか

前のブログでfacebookで記入しましたが、これは間違いなく消されると思って残しました。

私は皇太子殿下の心まで分からないが、生長の家総裁として陛下を利用するのはなんともいえないほど悲しい。

コメントで自民党も利用してのではないかというのは完全に間違いです。小沢一郎は当時民主党です。
また山本太郎は陛下に手紙という愚挙を起しました。
こうした間違いをコメントで平気に記入する。

生長の家も地に堕ちた。
総裁も総裁だが本当に無茶苦茶である。
腹が立って仕方がない。
谷口雅宣というのはなんと愚かな人物なんだろう。

総裁のfacebookが炎上

 
種田 光一朗 大変失礼ながら、皇族の政治的発言、あるいはそれを政治的に利用することは、日本国憲法に違反します。
楠本忠正 畏れ多いですが、投稿をさせていただきます。
  
 ◆ 55歳の御誕生日  記者会見の概略 ◆


*戦争の記憶が薄れつつあることに触れ、
    
「謙虚に過去を振り返るとともに、戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に、悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切であると考えています」
  
と述べられた。
     
 皇太子さまは子どものころから、天皇、皇后両陛下とご一緒に、沖縄戦が終結した沖縄慰霊の日(6月23日)、広島と長崎の原爆の日、終戦記念日に黙とうし、原爆や戦争の痛ましさを教わってこられたことを紹介。
  
 今は長女愛子さまも両陛下から戦争の話を聞いておられるという。
  
 *今年、戦後70年を迎えることについては
  
「我が国は戦争の惨禍を経て、戦後、日本国憲法を基礎として築き上げられ、平和と繁栄を享受しています」

とし、

「本年が日本の発展の礎を築いた人々の労苦に深く思いを致し、平和の尊さを心に刻み、平和への思いを新たにする機会になればと思っています」
 
と語られた。

 *この1年を振り返り、中東などで続いた武力紛争に

「我が国国民を含め市民を巻き込むテロの事件がさまざまな場所で発生したことに深く心を痛めています」

と言及。

 *55歳は天皇陛下が即位した年齢にあたる。

「身の引き締まる思いと共に、感慨もひとしお」

 と語られ、今後も両陛下の姿に学びながら努力していきたいとの考えを示された。

                       以上です。

                       感謝 合掌
Hiroki Ogasawara 畏れ多くも皇室をさんざん政治利用してきたのは歴代の自民党政権にほかならない。己が大嫌いな日本国憲法を盾にとって、いまさら何をもっともらしくヌカすか。

同窓会

昨日は一年振りの同窓会であった。
そこで感じたのは人数は少なかあったが、年による骨折の話題である。参加者の一人は骨折しての治療中と何人かは骨折してそれがいろいろな身体に影響があると訴えていた。
参加者の21人で骨折の話が出たのは7人である。

少しの段差での骨折は脚が上がらなくなってのものが多い。今迄これぐらいはというようなものが、水たまりを1Mを超えるにもジャンプをして飛び越えなくなる。
またそのジャンプの歩幅も昔のものと違って、大きく後退していることもあり、油断で水たまりはまる。

骨粗鬆症であることの話題となったが女性の発生率が高い、骨がスカスカになる病気である。こうした原因でその後立てなくなることもある。

やはり、運動不足と栄養のバランスの悪さが要因ともいえる。

話をもどして、同窓会は21人と少なかった。同学年の人数は280人でそのうち連絡とれる人は80人ぐらいである。
年数を経て、住所がわからない人が多い。また何かの都合で参加出来ない人もいる。またお亡くなりになっている人もいる。

人数が少ないこともそうであるが、それを関係なしで楽しんだ。久しぶりにきた女性の人は私が誰だかわからない。小学校6年生のときに同じクラスになったことがある。
しばらくして昔が蘇ったのだろう思い出してくれた。

私の小学校は昔から「宝塚歌劇団」のような「月組」「花組」「松組」「梅組」「雪組」「星組」「竹組」というようによんでいた。幼稚園みたいだという人もいるがそれが伝統である。
私の数年後には8組となり、多すぎるということで千里第三小学校が建設された。

中学校は7組あった。それぞれユニ-クなこともあったが、昨日の参加者は大学教授が3人もいた。

それでも馬鹿な話で盛り上がった。そんな学歴や商売など関係ない。同じ同級生である。

また一ヶ月後に反省会がある。

中心帰一とは

以前に書いたことですが中心帰一とはです。
今、誤った中心帰一が説かれています。トキさんが重要な内容で書いておられたのですがそれは後ほどに


生長の家40年史より抜粋致します。

「中心に帰一する道」の奥義の解明  
さてそれでは「国体の実相」はどのようにして誌友の前に説きあかされて行ったのであ
ろうか。その蘊奥なる哲理を今ここに簡略に記すことは殆ど不可能である。それは、いわば「人間の実相」即ち「吾れ神の子なり」の真理をまずもって悟ることによってのみ扉が開かれるところの奥義の奥義たるべき世界であって、己が実相を悟ることを得ざれば垣間見ることすら出来ぬ厳粛な世界であるからである。

 ひたすらに、ただひたすらに実相を観じ思念することによってのみ、やがて聞かれてくる宏大無辺なる世界である。実相観の確とさだまらざる者にして軽々しく言挙げすること能わざる世界である。それ故に、かかる深遠なる大真理をここに略述することが憚かられる。ただわずかに編史において可能なことは、いつ如何なる場でそれが説かれたかという、きわめて現象的に限られた事
のみであろう。

 昭和七年五月二十七日に煥発せられた神示、即ち「久遠天上理想国実現の神示」が発表になったのは同年の『生長の家』誌第八号であった。この神示は「高天原」の秘儀を示されたものであった。

この神示が発表になった翌年、即ち昭和八年の一月八日、谷口雅春先生は東京支部の招きに応えて上京され、雑司ケ谷の″友の家会館″で講演をなさったのである。当時、東京支部のお世話をしていたのは支部長の春木新三郎氏や松本肇氏などであった。その日は午前十時より午後九時まで、講演、座談会、質疑応答などが行なわれたのであるが、この時、谷口雅春先生は「中心に帰一する道」と題される極めて重大なお話をなさったのである。

 神示にもとづく「高天原」の奥義を解明され、宇宙の中心の主たる神「天之御中主天皇」の実相を説かれたのであった。その大説法の一節において、『古事記』は物語体で叙述しながら来るべき新時代の予言を書かれたものである、と述べられ、「その新時代とは実に第二の天孫降臨時代の来るべきことであります。第一の天孫降臨では『み心は天に成った』のであります。
第二の天孫降臨では、このすでに『天に成ったみ心』が地にも成る時代であります。医学も、政治も、経済も、その唯物的根拠が根抵から覆えされ、天照大御神の直系の御子の支配を受ける―即ち霊的根拠から新たに再建せらるべき時代が来つつあるのであります。」

 と語られた。そして、この第二の天孫降臨こそキリスト教でいう″キリストの再臨″であり、仏説で言う″弥勒菩薩の下生″であると語られたのである。
 つづいて聞かれた座談会では、参会者の質問に対して、

「天皇の『皇位』は有限の世界において最も完全に永遠性を顕わしているから尊いのです。即ち日本天皇は皇統連綿たる皇位の永通性によって、地上に存するあらゆる人格のうち、有限のうちに最も完全に無限をあらわしているのです。無限とか永遠とかいうものは、実相世界のものである。その実相世界の永遠性が最も完全に現象世界にあらわれているのが日本天皇の皇位なのでありまから、唯一中心の世界国家を実現さすとするならば、どうしても、この最も尊く神聖なる、日本の天皇の皇位をもって統治の中心体としなければならぬのであります。」(『生長の家』誌第四輯第三号)

 と説かれたのであった。かようにして、久遠天上の実相世界がこの地上に顕現する道すじは、″中心〃に帰一するところにあることが示され、ここに「日本国実相顕現運動」の根拠がさだまったといえるのである。しかもこれが神の御教えであったるが故に、住吉時代から戦中戦後を通じて一貫して変らざる真理として今日に至るまで人類光明化運動の中心眼目としてつづいてきているのである。

生長の家における愛国心の根拠  
谷口雅春先生によって神示による″国体の実相〃の奥義が誌上にて説きあかされるに及んで、俄然誌友の問に大きな反響が起った。その中には当然のことながら疑問・質問も寄せられたのである。これらの疑問に対して先生は次の如く答えておられる。

「生長の家ではこの現象は実在の世界ではない、念の影の世界である、と申しますと、そんならこの現在の日本国も実在の世界ではないのかとおっしゃるのでありますが、ごもっともなお尋ねで、『生長の家大神』の啓示によりますと、現在のような不完全な、小っぽけな、内に政党政派が争い、党利私利をこととし、アメリカに気がねしたり、ロシアに気がねしたり、ゼネバ会議に牽制されたり、失業者が路頭にあふれて、飢えにくるしんでいるような日本国は、みな吾々の迷いの念の投影であって、そんな不完全な日本国は実在しないのであります。これが『大生長の家宇宙学』の一大発見でありまして、本当の日本国-実在の日本国はそんなちっぽけな不完全なものではない、全宇宙が大日本国であることは生長の家の神の昭和七年五月二十七日の神示(※)によって明らかなのであります。
 これが判らないで、日本人でありながら皇国の民でありながら、日本国を単に現実そのままの東海の一小国だなどと思って、忠君愛国を論じているなどは実は却って日本国の実相を知らない大不忠義漢にすぎないのであります。
 だから真の愛国心は実相日本の実在を知り、仮相日本の非実在を知ることによってのみ真に正しく喚起されるので、そのほかの愛国心は片寄った愛国心であります。」(『生長の家』誌第三輯第三号)※「久遠天上理想国実現の神示」

これをみるとき、昭和八年に説かれた説法が、今日の状況に当てはめてもそのまま生きていることを感じる。それは矢張りそれが永遠の真理であるからである。

さて、トキさんが書かれた内容は
2574トキ ◆UMw6UoGELo:2016/06/23(木) 17:43:01 ID:Hw8o5Bmo

 谷口雅宣先生の場合、ご本人にあまり総裁就任の意思が薄かったのに、次男という理由で
無理矢理に総裁へ就任させた点は確かに問題でした。その頃でも、他に適任者がいたと
論じられています。ですから、総裁の選出の基準や手続きは絶対に再考しなければならない
という点は私も賛成です。
 

 ですから、総裁が谷口家の出身であれ、谷口家以外の出身であれ、現在みたいに、
一人の人に教団経営と教義の解釈について、かってないほどの大きな裁量を与える点
こそが問題ではないか、と思います。

 教団経営については、多数決原理とコンプライアンスを重視した手続きの厳守を、教義
の解釈については、創設者の教えの範囲での解釈に限定する、という原則の徹底が必要
です。

 生長の家の場合、谷口雅春先生以後に誕生した、「中心帰一」を印籠にした組織教学の
見直しをしない限り、同じ事態は今後も起こりうると思います。



中心帰一を叫ばれてから、組織というのがおかしな方向へ向かってしまった。その中心帰一というのが間違っているのか。
いや、そうでもない信じたい。

訳のわからない人間が上長などになると「自分は偉い」と勘違いしてしまうのです。
だから自分に「ハイ」でなければ納得出来ないことになる。
だから「間違った教え」が「今の教え」などというわけのわからないものが出てきても信徒は何もいえなくなる。

だからトキさんのかなり突っ込んだ「谷口家」についても正論であると思います。
しかし裁量を与えるのではなく自ら茶坊主を囲んで自分のしたいようにしたのが正しいように思える。

本当にこんな組織にしがみつくのもおかしい。
総裁の座から降りてもらうしかないように思う。こんな総裁じゃ「生長の家」は正常化にはならない。

祈りの天皇


失われた30年に何が問題だったのか

「生長の家」という谷口雅春先生の教えが現在歪められ、正しい道を塞がれている。
現在の信徒の約7割は谷口雅春先生の御生存の時代を知らないでいる。その間に谷口雅春先生の御著書は絶版とされ、『生命の實相』も読まれないでいる。ごく一部で輪読会をしているようであるが、本当に数字としては少ない。
愛国書といわれるものは同じく絶版の憂き目となっている。雅春先生が「こういう考えなのですよ」と説いても、亡失したかのように「雅宣総裁」を援護する。

本当に過去の愛国青年がこんなに思想を転換して「谷口雅春」先生の名前を言えるのかである。
以前に講師会長していた人が私の自宅の誌友会に来て頂いたこともある。その時には「雅春先生」の思想そのものであった。
だが、数年経てば「雅宣教」となっている。

ここに何が足りないのかというと

天皇陛下を愛する日本人の考えなんです

それをいとも簡単に失ってしまっている。それはまるで戦後まもない頃、敗戦に打ち拉がれた国民のなかにはGHQに擦り寄る人が沢山いたのと同じである。日本国民は思想の転換も早い国民であるとも云える、真の思想はどうなのか問いたい。

私は天皇陛下について勉強し、日本人の尊厳を維持できる人が「真の生長の家」だと思う。

昔は神武天皇から今上天皇まで暗証し、この天皇ならどのような詔勅を言われた天皇ですよ。有間皇子はこういう皇子です。

大津皇子はこういう皇子ですよと人に説いていけるような人間になりたいと常に思っている。

そうした思想が「簡単に崩壊」してしまっている要因と考えるのは早計なのか。

それでも私は愛国思想の亡失が「生長の家」の現在の様相の根本があるように思う。


室町時代の後奈良天皇の業績をほとんどの人は知らないでいる。
後奈良天皇は祈りの天皇であった。(インターネットから抜粋)

 


慈悲深い人物として知られ、応仁の乱の後に皇室の財政が逼迫し、食べるものも着るものも事欠き宮殿も荒れ放題の状況で、巷では疫病が流行ってしまっていた時、「自分はなんとひどい天皇だ」と大いに悩み、般若心経金字(金泥で書いた文字)で写経し、全国の一宮二十五ヶ所に納められた。
食べるものにも事欠く状態で金字の般若心経を25も揃え、しかも天皇の写経なのでそれなりに装飾のされたものが使われたことから大変であったとされ、全国の一宮に勅使を立て行列を組んで届けさせ、そうして祈りを捧げるために、ありとあらゆる出費を切り詰め、24巻の般若心経を納められたという。

疾病終息を発願して自ら書いた般若心経の奥書には

「今茲天下大疾万民多
於死亡。朕為民父母徳不能覆、甚自痛焉」

現代訳
「今年の天下大疫で万民が多く死亡した。朕は民の父母として徳が十分でなかったことに甚だ心が痛む。ひそかに般若心経を金字に写し、これを供養させる。これが疫病の妙薬となることを願う。」

との悲痛な自省の言を添えられている。
ちなみに、般若心経が納められたことは天皇の側近と一宮の関係者以外は知らず、これらは後世に発見されたものであり、天皇自ら食を減じ「自分にできることは祈りしかない」として写経をあそばされたとされる。
天文14(1545)8月の伊勢神宮への宣命には皇室の復興を祈願するなど、天皇としての責任感も強かった。

また、三条西実隆吉田兼右らに古典を、清原宣賢からは漢籍を学ぶなど、学問の造詣も深く、御製の和歌も数多くあり『後奈良院御集』『後奈良院御百首』などの和歌集や、日記『天聴集』を残している。

bun207[1]



後奈良天皇は践祚から即位礼まで10年も経過して執り行われた。経済の圧迫から出来なかった。また御所の築地壁が崩壊し、三条大橋から内侍所の燈火が見えたというのは有名な話です。経済的にも圧迫して多くの人々を亡くしたのは自分の責任であると「般若心経」にて祈りを捧げた天皇です。自ら食を減じ、ひたすら祈られた。

現在一宮の「般若心経」7巻は現存しています。

 




傍観者でいいのか

> 谷口雅春先生の御講義 「久遠の今」 において、先生は ≪ 生長の家の神想観の時に、「吾れ今五官の世界を去って実相の世界に入る」 というのがありますが、「吾れ今」 というその 「今」 が、「常今」 であります。Eternal Now(エターナル・ナウ)であります。「永遠の今」 であります。……「吾れ・今・此処」 が全く一つになってしまって、「久遠の今」 が、「永遠の今」 が、「今」 「此処」 「吾れ」 と一体になってしまって、時間と空間とを絶したところの 「実相の今」 というものがあらわれてくるのであります。  その「実相の今」 の、そこに私たちは生活するのです。何月何日の何時何十何分、どこそこの空間において生活する――と、そんなふうに生活しているのだったら、吾々はいろいろな問題にひっかかることになります。  「いつ、だれが、あんなことをぬかしやがった」 とか、「どこで、どんなことをしやがった」 というので腹が立ってきたり、クシャクシャしたりするんだ。  それは、本当の 「今」 というところに生活していないで、ある時間の流れ、どこかの空間的存在において、誰がどうしたとか、未来はどうなるであろうとか、そういうような 「現在」 というところで生活してしまっておって、「久遠の今」 「実相の今」、「発して節(せつ)に中(あた)る」 ところの、急所急所にピシリと当たるところの 「今」 というところに生活していないから、それでいろいろと悩まなければならないことが起ってくるんです。……それで、常に 「吾れ・今・此処」 というその実相の中に、「未発の中(ちゅう)」 のなかに坐って、なんにも掴まないで、時と人と場所とに応じてピシリ、ピシリと節に中(あた)るということにいたしますと、事々物々間違いがなく、何事も急所を押さえて、間違いなく適当な処置がとれるということになるのであります。  ……  此処には一切のものがあるのであります。「真空妙有(みょうう)」である。真空の「無」の中に坐しながら、あらゆる妙(たえ)なるものが、そこに存在するのであります。「真空」にして同時に「妙有」であって、そこは透き通っておって、無色透明である。無色透明であるから何にもないのかというと、あらゆる色が備わっているのであります。無色透明の太陽光線みたいに、その太陽光線の中に一切の七色の光がある。しかもその七色が互いに対立しないで渾然(こんぜん)ひとつになっているというように、無色透明、透明な生活――というようなことになれるわけでありまして、それが生長の家の生き方であるのであります。≫  ――これが生長の家の教義の中核、根幹である。  「久遠の今」 に立つとき、そこは光明一元、歓喜一元、実相独在の世界なのであり、分裂抗争のない世界である。今、生長の家が分裂抗争の状態を現しているのは、「久遠の今」 に立っていないからなのである。    (2016.6.19)< 上記は岡正章氏の文章です。 言葉の内容は崇高な文章ですが、何か違和感があるのを気がついた人は正常だと思います。 それは何かご存知ですね。 「「久遠の今」に立っていない」といいながら、ここで反論すれば貴方はなにをしているのですか! そうなんです、傍観者なんです。岡講師となっているんです、総論あって結論がないのです。 それではどうでしょうか。 「***べき」だといいながら、妥協していく生活なのです。

本気度を示すとき

599431

貴康先生のブログに思うこと  (2166)
日時:2016年06月19日 (日) 15時31分
名前:あめのうずめ

6/16付““宗教消滅”時代・・・”というタイトルの中で、思想結社「八千矛社」主宰 犬塚博英氏のご意見が掲載されています。

“犬塚氏の厳しい意見にも耳を傾けてほしい”と、貴康先生のコメントもあります。

その中から、一部抜粋します。


>反雅宣派の本気度


 三代総裁・谷口雅宣に対しては、特にインターネット上で批判が渦巻いている。

いわゆる「便所の落書き」に類するものが多いが、関係者がリークしかとしか思えない内容も散見される。

ある友人が教えてくれたのが、次のような書き込みである。

〈常に(雅宣)総裁が「防弾チョッキ」を講習会で着用されていると言う声は、各教区の護衛をされている人たちからの声なので、

私には、良くわかりません。また、ばかばかしくて、信じることもできません。

しかし、何故、身内の守る側から、そのような「噂」(事実?)が漏れて来るのでしょうか。

 以前、生長の家に深い影響を受けたという右翼の大物(殺すという時点で生長の家ではないと思うのですが…)が、

生長の家の谷口家の縁者のお宅に「左翼総裁が日本をオカシクしているから、やり(殺り)ましょうか?」と言いに来たそうです。

これは、多くの方も御存じだと思います。情報の発信元も当事者も特定されている事実です〉


 どうもこの「右翼の大物」というのが筆者のことを指すらしい。

確かに筆者はこれまで生長の家関係者に、「なぜ雅宣の横暴を許すのか。匿名のネット批判しても意味がない。

講演中の雅宣に、会場で質問や反論を直接ぶつけてみろ。会場入口でビラ配りや批判演説をすればいい。

何なら自宅に押しかけろ」といった意見を伝えてきた事実がある。

ただ雅宣を「殺すに値するほど日本をダメにした人物」といった風にはまったく思わない。

「お前は裸の王様だぞ」と信者の生の声をぶつければそれで足りる。それくらいの人物でしかない。

ただ反雅宣派には、その程度の本気度さえ感じられない。実にもどかしい。

何が悲しくて、とっくに生長の家を「卒業」している「周辺居住者」の筆者が、あの程度の人物と刺し違えねばならないのか。

「殺し屋」みたいに勝于に人の名前を使うなと警告しておきたい。<



なるほど、>とっくに生長の家を「卒業」している「周辺居住者」の筆者<様からみれば、

>「お前は裸の王様だぞ」と信者の生の声をぶつければそれで足りる<と、お考えなんですね。

そんな簡単に事が運べば、誰もこんな苦労はしていませんよ。

>特にインターネット上で批判が渦巻いている。いわゆる「便所の落書き」に類するものが多い<

と犬塚博英氏は批判されていますが、

始めに“犬塚氏の厳しい意見にも耳を傾けてほしい”という貴康先生のコメントもありますので、

貴康先生も、そのようにお考えなのでしょうか?

それは、違うのではありませんか?

この掲示板に集う人達は、本流復活への深い深い思いがあって、頑張って書き込みしてるんです。

どうしてそこをご理解頂けないのかと思うと、重い気持ちになります。

そしてまた、犬塚氏は、>「なぜ雅宣の横暴を許すのか。匿名のネット批判しても意味がない。

講演中の雅宣に、会場で質問や反論を直接ぶつけてみろ。会場入口でビラ配りや批判演説をすればいい。

何なら自宅に押しかけろ」といった意見を伝えてきた事実がある。<とも仰っています。

本流は、かつて谷口雅春先生が文書伝道の道を選ばれたように、静かにネットを通して、思想伝道の道を選択したのだと思います。

雅宣総裁は、今後も変わりはしないでしょうが、心ある信徒さんは、今、大変な戸惑いの中に、いらっしゃるからです。

“とっくに生長の家を「卒業」している”立派な方から、「便所の落書きに類するものが多い」とは、あまりにも無神経過ぎないでしょうか。

しかも、この大変な時に、このようなご意見を掲載される貴康先生の御本意が、わりかねます。

私達は、本気ですよ(笑)
上記のあめのうずめさんの本気度は伝わってきます。
また、そこに記入されているマリ-ゴ-ルドさんの本気度も伝わります。
志恩さんもそうですがやはり女性の方が「真」をもっておられる。

そういう「真」が大切なんです。
まわりの「状況」を気にして「立場」を気にして、空虚な文書を書く。

私が今回のこの犬塚博英氏の文章を転載したときに、総裁のいろいろなことに「学ぶ会」や「元幹部」など何も反論していなかったことをかいていましたが、それに怒りを感じた人もいました。

私はそれが本当だろうと思っています。いままで、どれほど総裁に苦言や意見を言われた人が多いか、だが現在でも安穏としてその地位に着いています。

総裁の退席以外に「生長の家」の正常化はありえない。私は当初からそのように言ってきました。トキさんとそのことで論争しましたが、トキさんのような人がいたから、正常化が出来なかったことも一理あります。

でも今がその「チャンス」だと思います。

今 私達が戦うべきは、「安倍内閣の与党には投票するな。共産党 を含む野党に投票せよ」と信徒に命令された谷口雅宜総裁に対してです  (2200)
日時:2016年06月20日 (月) 13時31分
名前:コスモス

日付が6月20日に変わって半日を過ぎたというのに、「貴康先生のブログに思うこと」を巡ってのご意見唯一つです。

 皆さんだんまりを決められているのは、何か言うとそれがまた別の誤解を招いたりして、なかなか着地できないことが解っているからでしょう。

 このサイトは、生長の家に関係ない一般の人も見ています。

 その人達が「貴康先生のブログに思うこと」を読む限り、到底、私達の「谷口雅春先生の教えに帰りましょう」という熱い思いは伝わらないでしょう。残念な事です。

 勿論、私を含め、日頃から共に戦って来ている同志には、皆さんの言われている事は正しく伝わっております!  だからこそ、残念なのです。

 谷口貴康先生は、生長の家に全く関係のない、「一般の方」ではなく、今現在、社会事業団や新教育者連盟のお仕事もなされていますし、谷口雅春先生のお孫様ですから、どうしても皆さんの期待が募る事は避けられないと思います。ですが後は貴康先生のお心次第です。そこまで私達が踏み込んでいくことは出来ません。なさりたいようになさるでしょう。

 今大切な事は、

 スレッドに書いたように、学生時代から左翼思想を信じて行動して来られた雅宜総裁が、ついに本音を語られたという事です。

 「安倍総理は全くヒドイ人だ。だから倒さなければならない。与党には投票しないでほしい。棄権はしないでほしい。野党の中から人を選びなさい」という事です。

 何と言うヒドイ言葉でしょう! 生長の家が立教されて86年目の大事件、大災難です。これに向かって行動することが、今一番大事な事ですよね。来月は参議院の選挙です。時間は余りありません。

 もう一度、心を引き締めて、しっかりと戦って参りましょう! 皆さま よろしくお願い致します。 再拝
やはりこれが真っ当な意見です。
コスモスさんは根っからの「生長の家」なんだと思います。
それに対して一向に本気度を示されない人に苛立ちさえも覚えられるのも当然です。
私もそうですが、そろそろ本気度を示す時であろうと感じています。

推論で人を判断する

>3731神の子さん :2016/06/19(日) 10:47:48 ID:rk4qeOkc

生命の実相なり他の聖典なりに説かれた雅春先生の教えが、教団なり分派なりの行動指針になってい。その時指導者は雅春先生と云いませんか?

同じことで、青年会総裁として清超先生がいたけれども、森田柾史青年会会長、安東巌青年会副会長がいて、そのもとに青年会中央執行委員会があった。その行動指針の中心者が安東巌氏であり、彼の願いを実現せんとして執行部を形成していた人間が、政治を動かす力を持とうとしたものが日本会議でしょう。

だから日本会議の精神的指導者は安東巌氏であると云われるのです。直接の指導者であるかどうかではない、彼らの行動規範は安東氏の考え方が基本にあると云えます。生長の家が評価される時雅春先生の行動からされるように、日本会議の評価は安東氏の下で培われたものが基準になっているかどうかが問われるのです。


3733
トキ ◆UMw6UoGELo :2016/06/19(日) 12:57:20 ID:/A76/nJM
>>3731

 それはあなた個人の解釈であり、通常の論理では、そういう解釈はできないと思いますよ。

3735
神の子さん:2016/06/19(日) 22:12:50 ID:P3Js0Cno
安東氏は日本会議の黒幕などでもなく指導者でもない。

日本会議も迷惑な事であろう。

しかし、日本会議の中枢で専従者としている人たちは安東氏と少なくとも過去において
関係が深い事は明らかである。

 推論すれば、学ぶ会の指導者こそが安東氏であり、学ぶ会の拡大をすることにより
日本会議に大きな影響と地位を復活させようとしていると思われる。

 その最終段階の一歩手前で、「日本会議の研究」なる外部の記者による本によって

たとえそれが不正確な内容が散見されても、名前を世間に出されたことに対して
安東氏の部下たちとそれを信じる人たちが、過剰に攻撃的になっているさまは

外から見れば、なんらかの核心を突いたことが推察される <



上記のような空論や推論やデタラメをどうして記入するのであろうか?
そのようにあって欲しいという架空の物語を描いているのに過ぎない。

トキさんが

それはあなた個人の解釈であり、通常の論理では、そういう解釈はできないと思いますよ。

とバッサリと論理の矛盾を切っているのにも関わらず、しつこく言う。
己がそうあって欲しいという願望が強すぎるのである。

私の青年会時代は組織の指導者はあくまで森田会長であった。
それは偽らざる眞實であって、いまでもその当時の付き合っている同志はその意味がわかります。

森田会長があっての青年会であります。
その黒幕に安東部長なんて推理小説の読みすぎであろう。

私が安東先生で感心したのは「よく物事を知っている」ことです。頭のいい。天才肌な先生だということでした。
事務局長時代では経理や組織のあり方など冊子で教えていただき、天皇陛下の講話はどの先生より「頭ひとつ先に出る」ような凄い先生です。

それでも組織では森田先生には敵いません。講話の迫力など若い頃の先生を知る私にとり、尊敬以外に何者もありません。

しかも森田先生も安東先生も読書家であります。夥しい数の本を読破し、その知識には一目置く存在であります。
だから尊敬すれども「学ぶ会」の指導者でもありませんし、日本会議の黒幕など有り得ないことは内部の人ならばわかることです。

しかしこういう「ウソ」を付く人がいるから、個人の名誉を守るために反論するだけであって、それは自分に置き換えればわかると思います。

 

ありもしない話をでっち上げてまるで真実かのようにネットで書き込む悪戯。

そんなこと許されることではありません。

安東先生は非売品ですが、いろいろな冊子を出されています。是非読んで欲しいものです。


信徒に「ウソ」をつかない

>今回の生長の家の方針は、このような「ウソを言わない」という私たちの信条からしても、また民主主義の根本原則からいっても、今の安倍晋三首相が率いる与党の方針と行動を容認することは、日本を危機に導くという判断--そういう愛国心にもとづくものです。ぜひ、この点を理解していただき、宗教者としての純粋性の表現と、国の進む方向を誤らせないために、「与党とその候補者を支持しない」というメッセージを、皆さんの投票行動で示していただきたいのであります。 <

これは雅宣総裁の言葉である。しかし少し考えてみれば大変おかしな言葉であることに気づきます。

「民主主義の根本原則」を安倍晋三首相は守っていないのでしょうか?

それは「ウソ」です。

信仰者は「ウソ」をつかないということをおしゃっている人が嘘吐きである。

今の日本の危機というのを人々が直指しないようになっている、いつまでもアメリカに守ってもらおうとするのも時代はそんな甘えの構造ではない。

仮にアメリカ大統領にトランプ氏がなった場合どうなるでしょうか?
アメリカ軍の引揚も現実性があります。そうなると中国やロシアや北朝鮮や韓国などがわがままな状態で占拠することになるでしょう。
つい最近では情報収集艦が領海航行を行った。



中谷元防衛相は4日、シンガポールで開催中のアジア安全保障会議(シャングリラ・ダイアローグ)で演説した。南シナ海で軍事拠点化を進める中国を念頭に、「一方的な現状変更や既成事実化は、国際法の原則に基づく海洋秩序を著しく逸脱し、強く懸念する」などと批判した。

 中谷氏は、国名は挙げなかったが、中国公船が東シナ海尖閣諸島周辺で領海侵犯を繰り返していることや、中国軍機が米軍機に異常接近したことを念頭に、「大国は不測の事態を回避するため、自制的に振る舞うことが求められている」と牽制(けんせい)した。

本当に危機というのはこうした状況で国民を守ることの必要性こそ大切であります。

自国は自分で守るのは国際法でも当たり前のことであります。
それがわからないようではダメである。

山之辺の道を歩く

先日、近鉄奈良駅から近鉄桜井駅まで歩いた、途中何枚か撮影をしたがそのデ-タベ-スを紛失した。
そこに描かれたる中に桧原神社の鳥居と一直線に結ぶ二上山の雄岳と雌岳が丁度、鳥居の中にすっぽりと収まる不思議な憧憬がある。

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その美しさは日本武尊の


「大和は国のまぼろば たたなずく青垣 山こもれる大和しうるわし」

凸版印刷の人がその美しさを社内に掲載している。


 『日本書紀』の崇神記によれば、第10代崇神天皇の6年、皇女・豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に託して天照大神を宮中から大和の笠縫邑に遷し、その場所に堅固な石の神籬を造り祀ったという。第11代垂仁天皇の25年になって、天照大神を豊鍬入姫命から離して倭姫命(やまとひめのみこと)に託すことになった。倭姫命は天照大神を鎮座させる場所をあちこち探したが、最終的に大御神の希望を入れて、伊勢国の度会宮に遷したという。

 天照大神の遷宮に関する伝承は、一種の神遣い(かみやらい)を物語るものと解してよい。神遣いの対象とされたのは、天照大神だけではない。倭大国魂神(やまとのおおくにたまのかみ、大己貴神の荒魂)も同時に宮中から追い出された。その理由が『日本書紀』に記されているが、要領を得ない内容である。その部分を以下に転記してみよう。

 これより先に、天照大神・倭大国魂、二の神を天皇の大殿の内に並祭る。然うして其の神の勢いを畏りて、共に住みたまふに安からず。故、天照大神を以ては、豊鍬入姫命に託けまつりて、倭の笠縫邑に祭る。

この桧原神社の近くにこの笠縫邑があったとされている。

昨日はその二上山に登頂してきた。

古の人々は日の沈む情景をどのように見てきてのか振り返ってみたい。

その日は近鉄奈良駅から近鉄桜井駅までは山之辺の道を歩いた。

江戸の国体学での権威でもある本居宣長は「古事記伝」の総論に直毘霊
というのがあります。
その直毘霊というのは「神ながらの道」という言葉で保田與重郎は訳しています。

千万づ御代の御末の御代まで、天皇命(すめらみこと)はしも、大御神

明治天皇の
罪あらばわれを咎めよ天つ神民はあが身の生みし子なれば

神功皇后の

若し事就らば 群臣共に功有り 事就らずは 吾独り罪有らむ

そうした国柄の道をお説き頂いたのは谷口雅春先生です。私は光明実践委員の試験には
天壌無窮の神勅を暗記して望んだ

 「豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の國は、これ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。爾(いまし)皇孫(すめみま)、就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)。寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、當(まさ)に天壤と窮まりなかるべし」

そうした心情をこの山辺の道を歩いて感じた。


yamanobe[1]
上図は天理駅から近鉄(JR)桜井駅までを示しています。

三輪神社を過ぎて金屋の石仏の手前に崇神天皇磯城瑞籬宮跡があります。この景色の美しい場所に宮居をお建てになられたのです。また少し下った所に大和川がありますが、その沿いに欽明天皇磯城嶋金刺宮があり、東側に雄略天皇泊瀬朝倉宮、さらに東側の長谷寺の手前には武烈天皇泊瀬列城宮があります。
このように三輪山を囲むように宮都が造られたのであります。

保田與重郎は

「神武天皇の鳥見山と崇神天皇の三輪山にあった磯城嶋の金刺宮のあたりにあって、聖徳太子は、この国を日出づる土地(くに)ととなえた。国旗日の丸は、紀元節に一番ふさわしいのである。なお日出づる国というのは、太陽が、天地の母胎から生まれてくる状をいうもので、単なる象徴観念ではない。母胎の形は金刺宮のおくどの窈窕の地形の現実である。太陽は永遠に、つねに新しく、日々に生まれるのである。」

この金刺宮は仏教伝来の地でもあります。




藤原京

藤原京(ふじわらのみや)は持統天皇により碁盤の目の条坊によって区画された都市です。
この藤原京はたった16年で廃都となります。
その原因は藤原京の地形にあります。
fujiwarakyol[1]

上図は少し見にくいですが藤原京の南側が少し高台となり、左側は畝傍山も標高が高い、天香久山も少し高い位置にあります。
今の藤原京も実際行ってみると泥濘があり、既に地面には湿気があり近代的には用水路などで区分されているとはいえ。周りの状況からみると洪水や汚物の流入など地域的には立地条件が悪いことがわかります。

それでも16年続いたことに驚きます。
私がそのようにその場所で感じたほどですから、奈良文化財研究所でそのことを質問するとボランティアのガイドの方も同調されていました。

奈良三都物語から抜粋します。

持統天皇は694年、耳成山・畝傍山・天香具山の「大和三山」が形作る三角形の真ん中に藤原宮を営んだ。飛鳥からわずか3、4kmほどの距離しかない。こぢんまりとした土地から、広々とした平野部への都うつり。今、甘樫丘に登り、かつて飛鳥京と藤原京があった地を見比べると、ロケーションの違いがはっきりと分かる。

藤原宮を中心とする新都・藤原京は、それまでの飛鳥の宮都とは大きく異なっていた。特筆すべきは、全体計画のもとに築かれた日本初の中国式の都城であること。先進の中国・朝鮮の都城を模し、東西路「条」と南北路「坊」を碁盤目状に配す条坊制とした。その中心をメインストリートの朱雀大路が南北に貫く。
 二分された京の東側を「左京」、西側を「右京」とし、街区は格子状に整然と区画された。都全体が秩序正しい方形を成す。当時の推定人口は3万人ないし5万人とも。近年の発掘により、京域については平城京をしのぐ日本最大の古代都市であったことも明らかになっている。ちなみに、「藤原京」とは近代に作られた学術用語であり、『日本書紀』には「新益京(あらましのみやこ)」と記されている。

さて、「大化の改新」以来、天皇専制による中央集権を目指していた朝廷だったが、依然、豪族勢力との拮抗は続いていた。そんな中、譲位した後の持統太上天皇は701年、日本史上初めて律と令がそろった「大宝律令」を発布する。
 「律」とは刑法の規定であり、「令」とは官制や行政法などを定めたものだ。この「大宝律令」が果たした役割は大きい。以後、法令や官僚体制が整備され、天皇を中心とする中央集権国家の基礎が確立することとなっていくのだ。

しかし藤原京は、わずか16年で廃都となる。なぜこれほどの大都市が短命で終わってしまったのか? 湧水が起きる沼地が多かったため。ゴミや糞尿の処理が追いつかなくなったため。飢饉や疫病・自然災害が頻発したため。難波津(大阪湾)と都を結ぶ河川の水運の便が悪かったため…。諸説あるが、真相は依然、謎に包まれたままだ。貴方はどう思う?

最後に貴方はどう思う?
と記入していますが、反対にそれしか考えられない。
現在の景色は素晴らしいですが藤原京における河川などの状況まで判断するのは難しいことかもしれません。

持統天皇における律令制度、どんな時代であったのかそんなことを想像しながら散策するのも大切です。

見抜く力

見抜く力を養う大切さを実感致します。
それと申しますのは、岡正章氏は今回の「今夏の参議院選挙に対する生長の家の方針」に対して
反対表明をされているのです。

「みすまるの珠」に
 さて、6月9日に、「今夏の参議院選挙に対する生長の家の方針」 というのが出されています。
http://www.jp.seicho-no-ie.org/news/sni_news_20160609.html

 ここに、

≪   「与党とその候補者を支持しない」

来る7月の参議院選挙を目前に控え、当教団は、安倍晋三首相の政治姿勢に対して明確な「反対」の意思を表明するために、「与党とその候補者を支持しない」ことを6月8日、本部の方針として決定し、全国の会員・信徒に周知することにしました。その理由は、安倍政権は民主政治の根幹をなす立憲主義を軽視し、福島第一原発事故の惨禍を省みずに原発再稼働を強行し、海外に向かっては緊張を高め、原発の技術輸出に注力するなど、私たちの信仰や信念と相容れない政策や政治運営を行ってきたからです。≫

 とあり、そして

≪……世界平和の実現など社会を改革する方法については、明治憲法の復元は言うに及ばず、現憲法の改正などを含め、教団が政治的力を持つことで“上から行う”のではなく、国民一人一人が“神の子”としての自覚をもち、それを実生活の中で表現し、良心にしたがって生きること。政治的には、自己利益の追求ではなく、良心(神の御心)の命ずることを、「意見表明」 や 「投票」 などの民主的ルールにしたがって “下から行う” ことを推進してきました。

 私たちは、社会の変革は、信徒一人一人が正しい行動を “下から” 積み上げていくことで実現可能と考え、実践しています。……各個人の信念とライフスタイルの変革が必要です。私たちはそれを実行することで、世界平和に貢献する道を選びました。≫


 と書かれています。

 この、「信徒一人一人が正しい行動を “下から” 積み上げていくことで実現可能だと考え、実践しています」 というのは、本当でしょうか?

 「ウソだ! 欺瞞だ!」

 と私は言いたい。

 私は昨年3月下旬に、『何処へ行く? 「生長の家」――総裁への公開質問』という本を自費出版し、総裁・理事・参議・全国の教化部長などに送りました。そのまえがき(「はじめに」)をもう一度公開します。

      は じ め に

 「生長の家は何処
(どこ)にあるか」と問われたら、私は「生長の家は今、ここにあります。私が生長の家です。生長の家は、わたしの生命(いのち)です」と答えたいと思います。

 今が天地
(あめつち)の初発(はじめ)の時であり、此処(ここ)が生長の家(たかあまはら)(高天原)である。わが生命(いのち)は天之御中(あめのみなか)の御生命(おんいのち)が鳴りひびいているのである。谷口雅春先生が、「本当の生長の家本部は神界にある」とおっしゃった、神界とは遠くにあるのではなく、「神の国は今此処わが内にあり」ということであると信じます。

 生長の家とは、時間・空間未だ発せざる中
(みなか)、一切万象発生の枢機を握る「久遠の今」なる本源世界、大宇宙(たかあまはら)である。そして――

≪ 全世界を宇(いえ)と為す神武天皇の八紘為宇
(はっこういう)の建国の理想は決して侵略精神ではない。八方の国々が家族となって人類全体が睦み合う理念である。此の理念を「生長の家」と言う。

 理念は普遍的なものであるから、これは私の家ではない。何故そう云う名称を附したかと言えば、生は縦に無限に生
(の)びることを現し、長は横に長(の)びることを現すからである。縦の無限連続は時間であり、横の無限連続が空間であり、縦と横と、時間と空間との交叉する万象発現の枢機を握るものが、内に一切を蔵する無字であり、一切を統一する天皇の御天職である。此の真理に世界の万民が目覚めないから万国互に相争うのである。

 全世界は天皇に於て一宇である。万国の民にそれを告げ知らせる東道
(みちしるべ)の役目を以て出現したのが吾々の団体である。(谷口雅春先生『光明道中記』31頁より)≫

 これが、生長の家の教義の中心部分であり、生長の家出現の目的、使命である。これをなくせば塩に塩気がなくなったと同様、「もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけ」(マタイ伝第5章13節)になってしまうのではないか、と私は思います。

 本書に『何処へ行く?「生長の家」』と題を付けたのは、「生長の家は東京原宿から森の中へ行く」というような、外形の問題ではありません。魂の問題です。今の生長の家は、

 「われ今実相の世界を去って五官の世界に入る」

 となっているのではないか、ということです。

 谷口雅宣・生長の家総裁が昨年11月に公刊された『宗教はなぜ都会を離れるか?』の「はしがき」に、「宗教の教祖も、その人が生きた環境と時代から完全に自由になることはない」とあり、同年11月22日 総本山に於ける式典での総裁ご挨拶原稿〈「唐松模様」所載〉には

 「『宗教運動は時代の制約下にある』ということを、皆さんはぜひ理解していただきたいのです。……私たちは今日、地球温暖化問題を深刻に捉え、その抑制に向かって真剣に取り組んでいます。生長の家が国際本部を東京から八ヶ岳の南麓に移転したのも、それが最大の理由である……つまり、宗教は時代と環境の要請から生まれるから、その時代と環境が変化すれば、宗教自体も変化を要求されるのである。だから、戦前・戦後に説かれた教えは戦後に修正されることもあるし、冷戦時代の宗教運動の目標や方法が、冷戦後には採用されないこともあるのである。この時代応現の変化の意味が分からないと、宗教は社会に有害な影響をもたらすことになる」

 と書かれていますが、本当の宗教は「時代と環境の要請から生まれ、時代と共に変化する」ものではなく、時代を超越した永遠の真理を説くべきものであると私は信じます。

 生長の家は今、「正念場」を迎えているという気がします。教化部長がいくら頑張ってみても、講習会受講者数も聖使命会員数も減り続け、教勢の下降に歯止めがかかりません。このまま行けば、教団は、つぶれはしなくとも、存続の意味がほとんどないほどになって行くのではないかと思われます。それは、真理がくらまされているからではないのか。「正念場」とは、「正念」すなわち「神は完全であって、神の造り給うた世界には、不調和や不完全はナイ」と実相を観ずる「正念」をもって、適切な処置行動をしなければならないギリギリの時だということでしょう。

 それで、今年(2015年)新年の総裁のご挨拶文や、新刊書 『宗教はなぜ都会を離れるか』 を拝読して疑問に思うことなどを率直に申し上げ、「私の考えはまちがっていますでしょうか?」 というのが、本書 「第一部・総裁への公開質問」 でございます。総裁が現象面のことを根拠に説かれるのに対しては、現象面の歴史的事実などから出発して申し上げております。憚りながら、245頁以下に採録させていただきました「張玄素のようでありたい」 というような思いをもって、書かせて頂きました。私も80歳を超え、今生での残る時間は限られています。そこで、「これを言わなければ死ねない。」 このままでは、生長の家は消えてしまい、日本の危機、世界の危機は救われない。今起たずして何時
(いつ)起つべきか――という思いなのです。

 「第二部」資料編「疾風怒濤のわが青春記録より」は、わが魂の足跡ともいうべきもの。私は昭和26年(1951)、高校生時代に『生命の實相』の御光
(みひかり)によって新生し、激動の時代に 「自分はこの御教えに人生を賭ける」 と決めました。それから60年以上たった今、これまで私が青年時代から書いて生長の家の月刊誌、機関紙誌その他の雑誌、単行本等に掲載された論文・対話録などから、選んで編集したものを、資料として採録させていただきました。これらは前の「第一部」公開質問編の基盤となっております。

 この冊子は、私の 「内なる神へのレポート」 と言ってもよいものだと感じております。

 はなはだ恐縮ながら、ご一読くださいまして、総裁先生には質問へのご回答を、それ以外の諸先生皆様にも、ご意見・ご感想ないしご指導を賜れれば、まことに有り難き幸せに存じます。

 平成18年(1956)生長の家本部を退職し地方講師とならせていただいてから今まで約9年間に、私は幾たびか総裁に直接お手紙を差し上げました。しかし、何のお返事もいただけませんでしたので、今回は、失礼ながら公開質問の形をとらせていただきます。

 なにとぞよろしくお願い申し上げます。

      平成27年3月吉日
                            岡  正 章 


             ○

 以上のような 「まえがき」 をつけた公開質問を掲載した本(全252ページ)を自費出版し、総裁および教団幹部の方々にお送りしたのですが、1年と数ヵ月たった今も、なんらお返事を頂けておりません。

 この項の冒頭に掲げさせていただいた 「今夏の参議院選挙に対する生長の家の方針」 に、

 
≪私たちは、社会の変革は、信徒一人一人が正しい行動を“下から”積み上げていくことで実現可能と考え、実践しています。…(略)…本教団は今夏の参院選においては 「与党とその候補者を支持しない」 との決定を行い、ここに会員・信徒への指針として周知を訴えるものです。≫



 とありますが、それは本当ですか? ウソではありませんか。「私たち」とは、誰ですか。疑問には答えることなく、“下から” ではなく “上からもの申す”、信徒は皆この方針に従うよう徹底せよ、と命令通達しているようにも思えます。

 私は、下から、「自分の良心にしたがって」、与党とその候補者を支持します。

岡正章氏は一旦抜いた刃をおさめるということをしてしまっている。自分の信念というのがないのか

と疑問に感じる。

それは谷口雅宣氏の本性を見抜ける眼力というのが無いからであります。普通は雅春先生の御教えを遵守するのであれば、おかしいなと思うものを自分ながらに書いて、それを本当にそうなのかどうかをじっくりと思考してそれで判断するのです。
私は岡氏の気持ちはわかるが、だからといって一旦支持をしてしまっている。

私は「天皇陛下のおわします日本国」という視点において「生長の家」を考える技量が厳しいがなかったためこういう事態に陥ってしまったと判断しています。

でもこうしていい材料を総裁から与えられ「良し悪しの判断出来る」というのが良かった。早く目覚めて欲しいものです。


田舎もんのブログから

このブログで犬塚博英氏の「愛国教団「生長の家」の変質を問う」を掲載してきました。
その犬塚氏を谷口貴康先生が取り上げて頂いております。

貴康先生がご記入されているように、犬塚氏の文章を取上げようとする機会を与えられたのは東京の知人でこういう雑誌があり、その中での犬塚氏の詳細な事を教えられていました。
その雑誌こそ『宗教問題』であったのです。

東京での森田征史先生の勉強会を主宰いただいている人が犬塚氏であったことを友人に教えていただき、
これを機に掲載していこうと決意しました。
このブログでは生長の家に入信されて愛国団体が段々と左翼的になっていく過程を厳しく糾弾されています。

私も同じ思いで30年に亘り見つめてきました。
最近は次第にサヨク的な論調が強まり、練成会でこれを取り上げようとする。私はこんな『ウソ』の本を取り上げようとする魂胆は総裁自身が「ウソ」で固められているからこそその「ウソ」を見抜けないでいる。否、見抜けていてそれを行っているとしたら「ウソ」を二重に行っていることになる。

ただ総裁自身が「信仰者はウソをつかない」を唐松模様(唐草三代目)で発表しているのは笑った。
オイオイ信仰者こそ脚下照顧すべきであろう。そんな「ウソ」がいつまでも有効であるか、信徒はそんな馬鹿じゃないよ。

そんなことを読みながら思った。
ただ心配なことは「そういう「ウソ」を見抜けない信徒もいる」ことです。
笑っているのでは済まされないことです。破邪顕正さんは怒っていますが「こういう怒り」は必要なのです。生長の家に愛情があるからこその「怒り」なのです。

さて今回の貴康先生のブログを取り上げていただきましたのは以前からこのブログを読んでいただいたいるからなんです。

私のブログでの字体と貴康先生の取り上げられた字体と同じでしょ。実はアクセス解析から誰がこのブログを読んでいるかわかる場合があるのです。それで以前から読んでおられることは知っていました。

「楠公の歌」

ある掲示板に下記の歌を「桜井の別れ」「櫻井の決別」とかいろいろと言われていますが、本当は「楠公の歌」が正解です。なかには「大楠公の歌」と書いているところもあります。


あの大阪府島本駅には桜井の決別の銅像が建立されています。
また、千早赤坂では英雄であります。
四條畷では楠公さんと呼ばれています。
私も楠木正成の由緒の場所には何回も行きましたが、そういう場所に行くのも大切なことです。

また楠木正成の像は皇居二重橋が有名ですが、湊川公園と観心寺にもそれに違わぬ立派な銅像が建立されています。

https://youtu.be/U8yjnEu0QJY



楠公の歌

落合直文 作詞 奥山朝恭 作曲 明治36年


-櫻井の訣別-


1.青葉茂れる桜井の  里のわたりの夕まぐれ

  木(こ)の下陰に駒とめて  世の行く末をつくづくと

  忍ぶ鎧(よろい)の袖の上(え)に  散るは涙かはた露か


2.正成(まさしげ)涙を打ち払い  我が子正行(まさつら)呼び寄せて

  父は兵庫に赴かん  彼方(かなた)の浦にて討ち死せん

  汝(いまし)はここまで来つれども  とくとく帰れ故郷へ


3.父上いかにのたもうも  見捨てまつりてわれ一人

  いかで帰らん帰られん  この正行は年こそは

  未だ若けれ諸(もろ)ともに  御供(おんとも)仕えん死出の旅


4.汝をここより帰さんは  我が私の為ならず

  おのれ討死為さんには  世は尊氏の儘(まま)ならん

  早く生い立ち大君(おおきみ)に  仕えまつれよ国の為


5.この一刀(ひとふり)は往(い)にし年  君の賜いしものなるぞ

  この世の別れの形見にと  汝(いまし)にこれを贈りてん

  行けよ正行故郷へ  老いたる母の待ちまさん


6.共に見送り見返りて  別れを惜しむ折からに

  またも降りくる五月雨の  空に聞こゆる時鳥(ほととぎす)

  誰か哀れと聞かざらん  あわれ血に泣くその声を


-敵軍襲来-


7.遠く沖べを見渡せば  浮かべる舟のその数は

  幾千万とも白波の  此方(こなた)をさして寄せて来ぬ

  陸(くが)はいかにと眺むれば  味方は早くも破られて


8.須磨と明石の浦づたい  敵の旗のみ打ちなびく

  吹く松風か白波か  よせくる波か松風か

  響き響きて聞ゆなり  つづみの音に鬨(とき)の声


-湊川の奮戦-


9.いかに正季(まさすえ)われわれの  命捨つべき時は来ぬ

  死す時死なでながらえば  死するに勝る恥あらん

  太刀の折れなんそれまでは  敵のことごと一方(かたえ)より


10.斬りてすてなん屠(ほう)りてん  進めすすめと言い言いて

  駆け入るさまの勇ましや  右より敵の寄せくるは

  左の方(かた)へと薙(な)ぎ払い  左の方より寄せくるは


11.右の方へと薙ぎ払う  前よりよするその敵も

  後ろよりするその敵も  見ては遁(のが)さじ遁さじと

  奮いたたかう右ひだり  とびくる矢数は雨あられ


12.君の御為(みため)と昨日今日  数多の敵に当たりしが

  時いたらぬをいかにせん  心ばかりははやれども

  刃(やいば)は折れぬ矢はつきぬ  馬もたおれぬ兵士(つわもの)


13.かしこの家にたどりゆき  共に腹をば切りなんと

  刀を杖に立ちあがる  身には数多の痛矢串(いたやぐし)

  戸をおしあけて内に入り  共に鎧の紐とけば


14.緋おどしならぬくれないの  血潮したたる小手の上

  心残りはあらずやと  兄のことばに弟は

  これみなかねての覚悟なり  何か嘆かん今さらに


15.さはいえ悔し願わくは  七度(ななたび)この世に生まれ来て

  憎き敵をば滅ぼさん  さなりさなりとうなづきて

  水泡(みなわ)ときえし兄弟(はらから)の  心も清き湊川

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