則天去私

「谷口雅春」先生の生涯も綴っていきます。

2015年12月

讀んで戴ければ幸甚です。

今年一年ありがとうございました。

今年の書き込みはこれで終了とします。亀の子様には貴重なコメントをいただき感謝もうしあげます。
また、『日の丸か赤旗か-新教連支持』の掲示板では思い切って管理人が「不届」な人を爽快に謝罪させたのは大変よかったと思います。
ブログでも今年はいろんなことがありました。
勝手に「写真」を掲載し何の反省もない輩に「この人は生長の家を語る資格」がないことを確認しただけでもよかったです。
私も弁護士を用意していましたので、IPなど結構わかるものです。あと少しで費用を払うことになっていました。そこでわかったのは嫌がらせなど相手先や会社での公表も今後ありうることでです。
ただ諸費用が必要です。
こういうのは相手の意見など聞く必用もない、突然にやる事が効果あります。
こういう人はタカをくくっているように感じます。嫌がらせなどの書き込みすれば当然処罰を受けることとなります。私ならば即実行して公表します。

さて、明後日から伊勢神宮内宮をめざして100kmウォ-キングに参加します。1泊3日という予定で近鉄榛原駅からスタ-トします。合同でのウォ-キングですので、ゆっくりと歩きます。
元日の朝6時頃に内宮到着の予定です。
30日は約30km歩きます。31日と元日は残り70kmを歩きます。
このウォ-キングは本来は伊勢本街道の道程です。
伊勢本街道大坂玉造稲荷神社から各所を経由し、奥津(津市)経由で最終的に伊勢にいたる街道。
玉造稲荷神社からでは170kmある。
今回は途中の榛原駅からであるが楽しんで行こうとかんがえています。
道中での神武天皇の伝説の地など書き込みしていきます。

今年一年お世話になりありがとうございました。
明日は書き込みする時間がないので年末の挨拶とさせていただきます。
年始は2日に少し書き込みします。

会員は増大していないのは自分がやらないからだという自覚


学ぶ会はなぜもっと急激に会員数が増大しないのか? (11003)
日時:2015年12月22日 (火) 20時10分
名前:信天翁

「教団の退会者は多いのに、なぜその多くが学ぶ会に入会しないのか?」

「教団の退会者の数の多さに比例して、なぜ学ぶ会の会員数は増えないのか?」

これについては、長い間疑問を持っていました。


今回、この投稿を見て、少し心に響くものがありました。


結論から言えば、その原因は、学ぶ会に、退会しない信徒、退会しない職員を批判する心があるために、現役の信徒や職員の共感を得られないからだと思います。


退会しない(退会できない)信徒ほど、心に深い悲しみと苦しみを持っていると思います。

生活のために、間違っている教えであると知りながら退会できない職員は、なおさら大きな苦しみと悲しみを心に抱えていると思います。


かつての素晴らしい教えを知っているがゆえに、かつての素晴らしい組織を知っているがゆえに、今の教えが如何につまらなくても、いかに間違っていても、辞めることができないのです。

かつての素晴らしい教えが、心に沁み通っている職員や古い信徒ほど、大きな苦しみと悲しみを感じていると思います。


「雅宣チルドレン」など、ごくごく少人数です。

大多数の人は、雅春先生の教えが、魂の奥底まで沁み通っていますから、そんは幼稚な教えに納得できるはずがないのです。


なぜ、そのような人を非難するのですか。

なぜ、そのような人を退会させようとするのですか。

そのようにすればするほど、人の心は学ぶ会から離れてゆくことが分からないのでしょうか。


率直に申し上げえて、退会しない信徒を「古だぬき」呼ばわりする某氏の投稿には、不快感を禁じえませんでした。(「帰りましょう掲示板」ですが)

そして、なぜ私が不快感を感じたのか、その原因が、この御文章を拝読して少し分かったような気がしました。


現職員、現信徒の深い苦しみ、深い悩み、深い悲しみに共感できない限り、今後とも、学ぶ会が大きく発展することは難しいような気がします。


素晴らしい真の教えほど、魂の深い奥底まで届き、強い根を張るものです。
そのような人が、簡単にそれを捨てて、人生の方向を転換できないのは当然です。


人生をかけた教えが、人生をかけて奉仕した組織が、異形のものに変容してゆくのを見ながら、それから抜け出すことができない人の魂の苦しみ悲しみは、計り知れないものがあると思います。

その苦しみ悲しみに共感できない限り、逆に、そのような人が学ぶ会に共感することはないと思います。
上記の言葉での私の印象ですが、信天翁さんは「傍観的発言」であることが強烈である。
たとえば会員数が増大しないと書いているが具体的な数字を列挙しないで書いている。これが致命的な欠陥である。
増大とはどういうことで書いているのかであろう。もし提言ならば「私ならばこのように数字を上げます」と記入します。
これは口撃といわれても仕方がないであろう。
学ぶ会はそれなりに順調に発展しているというのが私の印象です。それは支部数が伸びているのです。そこに参加している数も1年前より発展している。

また現在の生長の家の信徒を批判していると書いていますが、私はそのように受け取りません。
たとえば「古だぬき」という言葉だけに反応して、現在の信徒を古だぬき呼ばわりすると記入しています。
だが江戸時代の中期での時代での例えです。
老狸(らうり)の舊窠(きうくわ)に睡るが如し。終に壞滅(ゑめつ)に歸せん。何が故ぞ、今 既に獨りも葛洪(かつこう)、鐡枴(てつかい)、張華(ちやうくわ)、費張(ひちやう)が輩( ともがら)を見ず。如(し)かじ、四弘(しぐ)の大誓(たいせい)を憤起し、菩薩の威儀を

老狸とは「老練な人」と解釈すべきでしょう。昔の引用には身近な動物で例えることが多くあります。猪口才という言葉がありますが、それに反応して猪に例えるのは失礼だとかいうようなものです。そんな話いくらでもあります。馬も多いですね「馬脚をあらわす」といって私は馬の脚ではありませんなどという人はいません。
何か失礼ながら無理して「失態」を書こうとしているようにしか印象にのこりません。

現在の生長の家教団の職員のなかでやむを得ず残っていることを百も承知で破邪顕正さんは書いておられると思います。そういうことを分かりながらどうすればいいのか、悩みながら書いている文面があちらこちらにあります。
それを見ないでどうしてこういう文章を信天翁さんは書くのか不思議でならない。

もう少し斜めでみるとか、もしかしたらこういう思いで書いているのか、善い心で見ていくのが普通ではないか。

私は「学ぶ会」の会員ではないが、応援しています。心から応援しています。だが間違いははっきりと記入します。それは「八ヶ岳教団」と呼ぶのはダメです。といったときでも素直に破邪顕正さんは聞いていただきました。

意見を云うときは必ず鏡写しのように見てしまいます。自分だったらどうするのか考えて書きましょう。信天翁さんも会員が伸びないときは自分ならこのようにして発展させる。
もし破邪顕正さんが生長の家教団の信徒の悪口を書いてるならば発展しません。反対に信天翁さんが誌友会を開催されて学ぶ会を援助されればなんの問題もありません。
それならば「破邪顕正」さんも素直に言うことを聞かれるでしょう。

もし「学ぶ会」が会員増大していなければ
「学ぶ会」の信徒が伸びないのは自分が積極的に活動しないからだ。
と唱えましょう。そして実行しましょう。
よろしくお願いします。

蜻蛉洲の風景

私の好きな奈良の風景というのは葛城山の麓から見る秋津の風景です。

現在は葛城古道ということでハイキングも盛んに行われています。私がとりわけ印象に残っているのは綏靖天皇 葛城高丘宮阯碑の付近は北の方向には大和三山が見えます。遥か吉野山が見えます。
そこに現在の橿原の神武天皇御陵ではなく御所市柏原という地域に神武天皇が国見した山もあります。手前には孝昭天皇の御陵が見えます。
町並みの向こうに日本武尊の大和御陵があります。
その手前には沢山の古墳があります。
すぐ近くに長柄という地域があり、葛城山からの水流により蛇行した川が見えます。それが洲となり長柄という語源に繋がる深く入り込んだ長洲がこの長柄の言葉です。日本人がどのようにして生活したのか垣間見える風景です。
その葛城山の麓にある葛城高丘宮趾の正面には秋津という地名のある所がある。万葉集の秋津島大和の国はの秋津です。島というのが付いたのが葛城山や金剛山から流れた水がその地域を島のようにポツンと浮き上がるように映ったのではないか。
神武天皇が国見山に登ったときに「ああ、なんと美しい国なんだろう!国原は緑したたる山々に囲まれ、あたかも蜻蛉の臂拈(となめ)しているようだ」
その地域を今は秋津と呼んでいます。日本の国を秋津洲と呼ぶようになった最初です。
そうした神武天皇もその美しさに感嘆した地域。

古事記の時代は水辺の鳥が沢山飛んでいたのであろう。そこに溢れるような蜻蛉が滑空していたのでしょう。
この地域に鴨という字がつく神社が三ヶ所あります。鴨都波神社と高鴨神社と鴨山口神社です。この地名でもわかるように鴨が沢山飛来していたんだなということが想像つきます。
この鴨というのが全国にある加茂にその由来の発祥の地です。

そんなことを想像しながら日本の風景を眺めるのが贅沢な憧憬である。
うるわしき葛城の古代風景・秋津洲古墳の道

「不滅の法燈」

比叡山に「不滅の法燈」というのがあります。私も2回程参拝させていただきましたが、根本中堂の堂内には暗く荘厳に満ちています。

本尊は最澄が一刀三礼して刻んだ薬師瑠璃光如来と伝えられており(秘仏)、その宝前 に灯明をかかげて以来最澄のともした灯火は1200年間一度も消えることなく輝き続けて いるので、不滅の法灯と呼ばれる。
その不滅の法燈というのは常に新しい菜種油を注がなければ消えてしまいます。
その仏教からきた言葉に「油断大敵」というのがあります。油断すれば菜種油を忘れてしまえば消えてしまします。それを消えないようにするために僧侶は毎日注意しながら新しい油を注ぐのです。

その法燈というのは釈迦の教えを確実に守りながら傳えるということを「傳燈」といいます。傳燈というのは現在では知らない人が多いのですが「伝統」というのが語源です。もともと「伝統」も仏教用語なのです。
だから伝統を守るとは、釈迦の教えを守ることなのです。

その燈とはどういうことかというと

燈とは、お燈明のことで、お釈迦様が亡くなられる時弟子たちに、

・自分の心を拠り所、燈火とし、
・私が説いた教えを、燈明としなさい
と伝えられたところに始まるそうです。

 

暗闇を照らす光、火、すなわち燈火。

そのうち「伝燈」とは、「教えが伝えられる」ことを意味しています。

 
生長の家の火というのは「谷口雅春先生」が伝えられた眞理のことなんです。その教えを守るのが「法燈」なのです。
仮に違う方向に歪められたりするのは「法燈を継承」したといわないのです。
釈迦の教えは古いから「今の教え」に変えるなどとは言わないでしょう。それなら「法燈継承」などしているといわないのです。その言葉(今の教え)も間違っていることを理解していただけると思います。

また一言一句変更するなと清超先生は言っておられるのは確かですが

それは雅宣総裁の「唐松模様」から

2012年12月12日 (水)

運動の変化について (3)

昭和60年11月22日の生長の家総裁法燈継承の記念式典において、「自分は雅春先生の教えの一言一句を繰り返して説くことはしない」と明言された。私はこれまでも、このことには何回も触れてきたが、重要なことなので清超先生のお言葉を、再びここに引用する--
 
「世の中には“継承”ということを何か誤解している方もいらっしゃいまして、谷口雅春先生のお説きになった一言一句をその通りまたくり返しお伝えするのであろう、かの如く思われる方もおられるかもしれませんが、実はそういうものではないのであります。つまり、教えの神髄の不立文字をお伝え頂き、それを継承するということでありまして、(…中略…)真理というのは、その時その時に応じて色々な相(すがた)をもって展開されねばならない。そこがイデオロギーや運動方針とは違います。イデオロギーならば色々と文字に書きあらわすこともできるかもしれないが、それは“真理そのもの”とは違うのです。そこの所をよく諒解していただかないと、過去の歴史を繰り返せよということを、相承と思い違えたりする。この点は皆さんにも充分ご理解いただく必要がある。そしてこれからの運動はやはり中心帰一の原理を説く生長の家の運動でありますから、中心帰一を守りつつ大いに大々的に展開していきたいと念願している次第であります」

実はこの文面に私は大変違和感を感じているのです。
それならば現在のように「生長の家」を全く変質してしまっていいのであろうか?
私は何度でも言う
それは「継承」とはいわないのです。それならば上記の言葉が正しいとなれば今後新しい総裁が「雅宣総裁」も間違いで今の教えにあわないから違うスガタに変えるといえるのです。
そんな教えなど眞理でもなんでもない「継承」していると言わないのです。
そのことを信徒は知らなければならないと思っています。

「法燈継承」の疑問と「面授」「不立文字」の問題

今回私は「宗教問題」という雑誌から引用した文章は「日の丸か赤旗か・新教連支持」に誰かが掲載していていろの人がコメントしています。

私は何故この内容を掲載したかというと「法燈継承」の疑問と「面授」「不立文字」の疑問からです。
たとえば、生長の家の真理を詳しく知らない人間に「法燈継承」するのかということであります。それならば宗教も衰退するだけであります。今回の生長の家衰退も「法燈継承」「不立文字」の間違いがその原点であります。「法燈継承」したという「嘘」が眞實のように広まっていることであります。
何故「嘘」と言えるかというと「法燈」というのは生長の家の根本教義であります。それは住吉大神であり『聖典 生命の實相』であります。それを死守するのが「法燈」を守ることであります。
それを簡単に諦めて「自分が真理」を伝えるようなことを簡単に云っている。「不立文字」などどういうことか分からないのに…」
そうした間違いが多くの信徒に言葉巧みに踊らされている気がしてならない。
たとえば現総裁に不立文字として真理を滔滔と話されましたか?
講習会に行けば「環境」の話ばかりではありませんか?「法燈」の話をしたことがありますか?住吉大神の否定までしているではありませんか?それならば「法燈継承」したというのは「嘘」ではないかというのは眞實ではないかと思えるのです。

今の教えとか言っていますが、今の教えとは何んですか?雅春先生を否定するための言葉ではありませんか?「原理主義」とか言っていますが、「原理主義」とは何かさえも言葉に言えない人がほとんどです。単に古参信徒を排除するための言葉です。こんな宗教がありますか。古参信徒を大切にしない所など。
冷静に考えればおかしなことばかりです。現総裁がいう言葉は「眉唾」ものであることを知らなければ「生長の家」の真理を失うことになります。

愛国教団「生長の家」の変質を問う-4

私は信者を皇室と同様に谷口家を「皇室同様」に思っているというのは意見は異なります。私はあくまで『菩薩は何を為すべきか』の9条を間違って解釈をし、それを伝えた幹部諸氏にも大きな責任があると感じています。
それは岡正章氏が後悔された文章がありますので引用させていただきます。

この「総裁・副総裁に中心帰一」という言葉は、間違っていたのではないかと、疑問を感じるようになりました。

 『菩薩は何を為すべきか』に収録されている「人類光明化運動指針 生長の家各員の運動心得十三ヵ条」の第九条には、

「生長の家大神――総裁・副総裁――御教。この三つを結び貫く神意の展開が、光明化運動の不動の中心である事を、生長の家人たるものは一瞬たりとも忘れてはならない。」

 とあります。それで、神意は総裁・副総裁を通してのみ天降るのであって、生長の家信徒たるわれわれは、それに盲目的に従わなくてはならない、と思い込んでいたところがあった。しかし、それは少し間違っていたのではないか――と思うのであります。
 私たちは、「神意」 に中心帰一しなくてはならない。前記「光明化運動指針」第九条のつづきに、

「如何にその人が有力者であろうと長年光明化運動に献身して来ようと、素晴らしき体験をもつ指導者であろうと、断じてその人を中心にしてはならない。若(も)しも人を中心とすれば、その人が理解し把握している以上の運動の展開は不可能となり、歪(ゆが)んでいれば運動も歪むほかなく、その人とそりの合わぬ者、反対意見の者は身を引くか、対立して禍根を残すであろうし、若し或る人が情熱的な信仰を持つ場合、その人が真に中心を明らかに自覚している場合はよいが、唯熱心であるだけならば、何時(いつ)かその人に頼り過ぎ、その人が転任或は他界した場合は、忽ち火の消えた様に衰微してしまった如き事例は往々にしてある。すべて皆中心を誤っていることに気がつかなかった為である。光明化運動に於いては人は中心ではない。神意が中心である。」

 と補足説明もあり、「神意の展開が中心」であることを忘れてはならないということであります。


ここを肝に銘じて行わなければ誤った図式となる。
また皇室と同じように思っているという箇所もそこまで信者は思っているかは疑問です。
雅春先生が大本を脱退されたのも

第一次大本事件の控訴院から大本教のお筆先の調査以来。

押収された約1万冊の原本を読破(約40日間)105日京都地方裁判所にて裁判。

大阪の控訴院から、なおの御筆先と王仁三郎の漢字交じりで書き直したものを比較し、不敬罪に核当する箇所がないか調査を依頼される。その作業で、教団の発表した予言に食い違いがあり、当たったものだけが機関紙に掲載されている事実を知る。更には出口家を天皇に代わる地上の権力者にしようとする啓示を発見し、決定的な疑問を感じる


皇室に尊崇の念をお持ちだった雅春先生はそういう同一視されることを当たり前ですが嫌われています。
それでは多少文章には間違い等も見受けられますが、筆者の意志を尊重しました。尚○○は確定されたものでないことなので削除しました。



『宗教問題』12 より抜粋

第4回 愛国教団「生長の家」の変質を問う


血による継承の限界としての谷口雅宣


自分はいったい何かどこまでしたくて、そして何をどこまでできるのか―。このトライアルは、ぼくの中では、家と両親とのさまざまな対立として現れた。さまざまな行動は、ぼくの親の目には「息子の我儘」と映っただろうが、ぼくにとっては真剣だった。おかげでぼくは「親不孝な息子」として母から幾度も罵られたが、幸か不幸か弟がぼくに輪をかけて「反抗的」であったために、ぼくの罪は相対化して薄められていたように思う。

この中学生の作文かと見間違う雑文は、「生長の家」三代目総裁・谷口雅宣が書いた「穴ゲラから」という随想である。

 この文章が書かれた時期は不明だが、彼がアメリカ留学、産経新聞への入社、結婚と経て、教団の出版部門「日本教文社」に勤務していた三十代前半のころではないかと推測されている。この文章から彼の宗教家としてのセンスは何も感じ取れないが、「穴ゲラから」というタイトルからは、両親や弟への屈折した思いが伝わってくる。


雅宣の“退職”騒動

どの組織、団体にも大きなターニング・ポイント、もしくはパラダイム・シフトの境目がある。愛国教団・生長の家が、三代目・谷口雅宣によって創始者否定の“左翼環境集団”に変貌していく岐路は、平成十一年三月末にあったと筆者は推測している。

 その翌四月からの新年度を迎えるにあたり、平成二年に副総裁に就任していた雅宣は、教団役職者や各県教化部長に、三月末日付で「生長の家教団を自主退職した」ことを電子メールで通知した。この時期、平成七年のオウム真理教事件などの影響で宗教法人法の大幅改正が行われ(平成八年)、それに対応するため、宗教法人生長の家も大きな法人規則の見直しを行っていた。

 雅宣の「退職挨拶」のメールには、次のようにあったという。教団規約の改正によって、理事長の権限が大幅拡大し、総裁の権

限は縮小、副総裁の権限はほとんど何もなくなりました。合理的、納得のいく説明をしてほしかった。権限が縮小されれば当然、責任も減るはず。(略)講習会は副総裁の任務だが、その後の幹部会での指導は明文化されていないので、これはやめる。副総裁は役員でも職員でもないので、「生長の家」を退職した。新しい制度下では理事長に責任と権限かあり、私には責任と権限がないのに気づいた。(略)私に副総裁としての手当てを支給するか否かは(法的に支給できるか否かは、すべて理事・役員の皆様の判断に任されます。私としては今後、家族を含めた生活のこともありますから、また新たな道を模索してまいりたいと思います。皆様、長い問、有り難うございました。


「講習会は副総裁の任務だが、その後の幹部会での指導は明文規定がないので、これは中止する」という一文には笑ってしまう。彼の“副総裁業務”は、時給いくらで働くアルバイト店員と同じ”仕事”なのだ。しかし、こんな馬鹿げた雅宣の芝居に、父親で教団の二代目総裁・谷口清超は大きく動揺する。一度は雅宣に対して退職金二千万円を支払いながら、雅宣が三代総裁を継ぐ条件として「何でも好きなようにやらせてもらう」という約束をのんでしまった。いわば無条件降伏に近い子供への屈服である。しかも雅宣への退職

金は、その後返還された形跡がないという情報かある。

 どこの宗教団体も、後継者の選定には大きく頭を悩ませてきた。安易な後継者選定は内紛、お家騒動の直接的な原因になりかねないからである。優秀な人材を次期リーダーにすえることができれば、創始者・開祖のカリスマ性を上回る魅力を発揮して、教団をさらに発展させることもできよう。しかし人を得ないとあっという間に勢いを失い、衰退の一途をたどっていく。一般企業でもそうだが、宗教団体はなおのことである。

 一般に、新宗教の開祖とは華々しいカリスマ性を持つが、それを継いだ二代目は、先代が築いた教団の”現状維持”に汲々とするタイプが多い。そういうところに。“凡庸な三代目”が就くと、「売り家と唐様で書く三代目」になるのが常である。生長の家三代目総裁・谷口雅宣はインターネットのブログによる情報発信を好むが、そのブログ名は「唐松模様」である。“三代目”の自虐的なネーミングであるのだろうか。自分自身に宗教家としての資質がなければ、教団幹部などに実質的な運営を任せて。お飾り”に徹するというのも、一つの責任ある生き方である。それを彼は何を勘違いしたのか、祖父であり教団創始者の谷口雅春を憎み、生長の家の教義の根本理念を改ざんし、教団のあり方を基本的につくり変えることに執念を燃やす。その雅宣の偏執狂ぶり、徹底さは尋常ではない。宗教史的にも雅宣の深層心理は研究、分析の対象となる素材である。


清超の過ち


生長の家の後継者は「教祖の家系に属する者のうちより選ぶ」という、教団創立当初からの「教団教規」の制約がある。幕末、明治維新以降に派生した新宗教や、戦後爆発的に誕生した新新宗教でも、この手の“教祖の家系から後継者を選ぶケ-ス”は少なくない。これは“教祖の一族”という。血の説得力”によって、内紛、分派、分裂騒動を防ぐ”知恵”であり、また教団の。秘儀”を一子相伝させていくために血筋を尊ぶとの解釈も可能だが、そこに自ずと限界もある。教祖の一族内に、能力のある者が必ずいるとは限らないからだ。

 昭和五年三月一日の『生長の家』誌創刊記念日をもって、生長の家教団は自らの“立教記念日”としている。その後、日本の敗戦・降伏によって、昭和二十二年九月、創始者・谷口雅春は公職追放の仮指定を受ける。これは翌年六月に正式決定。同年十二月二十八日、雅春は「教主」を辞任し、娘婿の谷口清超が「教主」に就任した。雅春の追放が解除されるのは、昭和二十六年八月六日のことである。

 その直後に制定された「生長の家教団教規」にこうある。

昭和二十六年九月九日


「生長の家教団教規」

第八章 本教団は、立教の中心者を教祖とし、その継承者を教主と

する。教主は協議会において、その後継者を教祖の家系に属する者

のうちより適当なる者を推挙し、推挙された者は次期の教主を継承

し、その任務は終身とする。


第十一条 教主は、教義を総攬し、布教講師の階級を定め、本教団所属及び各地の教化部、道場、総支部所属の講師が宣布する教義が正釈を逸脱しないよう、これの善導と是正に当り、時時講師及び役員の教習会を開いて教義の徹底を図るものとする。


これはすでに「教主」であった清超が二代目の教団後継者であることを明文化し、その清超がさらに後年、三代目を推挙して「教主」職を継承させていくというルールを、「生長の家」として定めたことを意味する。

 昭和三十二年三月十目に「教祖及び教主」を「総裁及び副総裁」に改め、総裁の任期は終身と定められた。その後、「総裁の発意で一切の業務を副総裁に代行せしめることが出来る」(昭和八卜一年)、「総裁の発意で総裁の担当する全部又は一部の業務を副総裁に代行せしめることが出来る」(昭和五十一年)とも改正されている。雅宣は平成二年十一月に副総裁に就任。この平成三年の改正は、総裁にして実父・清超の権限を、段階的に自分へ譲らせることを可能にしたものなのだ。また「講習会」の指導を、総裁および副総裁の業務として明文化することもしている(第十一条に追加・平成八年九月三日改正)。

前述の、オウム事件の影響による宗教法人法の改正をうけて、生長の家はさらに教規の改正を行っている。それまで後継者(法燈継承者)に選ばれる対象は「創始者の家系に連なる者」のみであったのだが、「その他『生長の家』の信仰篤き者」というものを付け加えた。ただ同時に、これによって。後継者はそのときの総裁が選ぶ”というプロセスも明確化された。「公益法人としての民主的運営と透明性を確保するため」というのが改正の理由だったのだが、

これは当時の雅宣が感じていた”本能的な危機感”が行わせたものだったのかもしれない。

 前述の通り、二代日総裁・清超は雅宣を副総裁に指名し、全国での講習会での指導権も雅宣に譲りながら、雅宣に「何の権限も与えられていない」と開き直られ、「自主退職」を一方的に通告された。この時に清超は断を下すべきだった。副総裁職の解任規定はなかったが、「創始者の家系に連なる者」のうちの。“嫡男”(長男が夭逝しているので戸籍上は次男)たる雅宣を、実質的に廃嫡処分(教団からの追放、または自主退職を承認)すればよかったのだ。

 そこまでのことはやりにくかったのだとしても、たとえば教規を変えて三男・貴康や長女の婿・荒地浩康、もしくは二女の婿・宮澤潔のいずれかを副総裁に任命し、“複数副総裁制”で互いに切磋琢磨させる道もあったはずである。

 それからしばくして清超は体調を崩し、信者の前に顔を見せなくなった。時系列的に見れば、清超が体調を崩しだのは、雅宣の。自主退職通告騒動”の時期とリンクする。雅宣の要求に全面屈服した心労は、当然あったはずである。雅宣は平成十一年十一月二十二日に「総裁代行」となり、実質的に教団の全権力を掌握した。一世一代の大勝負に、雅宣は勝利したのである。


皇室との危険な同一視


 生長の家創始者・谷口雅春は、後継者(法継承者)の選定について「教祖の教えが教祖の血統に伝わり、血脈法脈一体となり権力の争奪戦がなくなる」と説いている。愛国教団・生長の家は中心帰一、天皇国日本を理想とする尊皇心篤い集団だった。

信者は谷口家の血統を“神聖家族”視する。皇室と同じような高貴な方々、理想の家庭とイメージしてきたのである。

 確かに雅春自身は、そのような信者の負託にこたえられるだけの器を持った人物だった。彼はその人生のすべてを、執筆活動や講習会、個人指導に注ぎ込んだ。国内のみならず海外布教にも尽力。著書の印税の大半は教団に寄付しており、文字通り“無給にして無休”といった状態だった。別荘を持ったりするような、格別のぜいたくとも無縁だった。

 しかし、その信者たちが雅春を尊崇するあまり、原宿の小高い山の上に建つ谷口家を“お山”と称し、本部のトイレまで“お山様専用トイレ”などと呼んで。谷口家崇拝”を始めたのは、熱心な信者を母親に持った私のような教団の“周辺居住者”から見て滑稽極まりない光景だった。

「お日様のご子孫様の天子様」である天壌無窮の皇室と谷口家は、似て非なる存在である。それにもかかわらず、生長の家信者の篤い皇室尊崇の念が、谷口家を「神聖家族」「皇室と同様な存在」という風に思い込ませる結果となってしまった。生長の家は、この誤りを防ぐことができなかった。

 このような状況の中で、雅宣は総裁代行として教団内の権力を掌握していった。晩年の清超は○○も同様で、長く人前には顔を見せず、雅宣はその中で組織と人事をもてあそんだ。“愛国教団”生長の家の解体に向けて、彼は一歩一歩、歩みを進めてきた。そして二代目総裁にして実父・清超の死去に伴い、雅宣は三代目総裁に正式に就任した。平成二十一年三月一目のことである。

           (文巾敬称略)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天皇陵について

私は総裁の考元天皇陵に行ったについて、これは総裁だけの問題ではないことを痛感しています。
戦後の歴史観というものが戦前と戦後を分断し、戦前憎しの感情が気持ちを遠ざけるのではないかと思っています。しかも考古学では欠史八代と呼び、考古学名で古墳という認識しかありません。
今回の考元天皇について『古事記』『日本書紀』では記載が少ないので、その判断材料も少ないので左翼の考古学者の格好の材料とされるのです。
年齢についても寿命の長さにもいろいろと話題となる。

孝元天皇の年齢 

 孝元天皇は日本書紀によると孝霊天皇18年生誕、孝元天皇57年崩御で、崩御時の年齢は116歳となっている。古代史の復元で修正すると、AD156年生誕、AD186年即位、AD214年崩御である。現年齢計算で孝霊天皇9歳の時生誕、31歳で即位、58歳で崩御となっている。孝霊天皇とほぼ同世代と考えられ、孝元天皇は孝霊天皇の子ではないとする見方もあります。

しかしこれも単純に暦とのバランスがあり、古代の暦の判断を現在の仮定で書くのも断定も難しい。
 孝元天皇の在位期間57年と古事記の宝算57年が一致している。孝元天皇より日本書紀の年代がそれまでの生誕からの年代ではなく、在位期間を表すようになったことを示している。古代史の復元においても孝霊天皇以降の年代は半年一年暦で他資料と一致している。また、日本書紀においても孝霊天皇以降の系図が詳細になっており、倭の大乱以降中国より多くの技術者が日本列島にやってきていると思われることと併せて、何らかの記録が残っていたものと考えられる。

また鳥越憲三郎氏のような『葛城王朝説』をとなえる人も実在説としておられます。
上記に書いた倭の大乱というのは『倭國大乱』で二世紀後半に起こった内乱であり、中国の『三国志』『後漢書』『梁書』『隋書』『北史』の五書に記載があるのだが、どれも同じ内容であるがゆえに虚偽の思いもあります。

 ただそうした日本の歴史書ともいうべき『古事記』『日本書紀』を学びその言霊を通じてその縦糸を結び合わせてほしい。

考元天皇陵に行った。

今日は奈良県において総裁は講習会があるようです。
総裁のブログでは橿原駅すぐ近くのホテルを利用している。そこから足を伸ばしてと記入しているので徒歩で行っているのが「考元天皇陵」である。この付近は道幅が狭く、自動車を止めるような場所が遠くでないとない。
考元天皇陵は三瀬丸山古墳から近い場所にある。考古学では欠史8代と呼ばれている。
しかし御陵は大きく展望もよい。神武天皇からこの考元天皇の御陵は橿原市と御所市にある。

以前には遠陵とよばれ、祭祀は滞っていた。三瀬丸山古墳の大きさに比べてみれば小さいが趣がある。
是非、すぐ近くには天皇陵も多いので参拝して欲しいものです。たぶん今回の考元天皇陵の参拝まではしていないと思います。参拝箇所はちょうど写真の写っている側になります。

私は普通天皇陵に行ったとしても、天皇信仰者であるならば参拝するのが普通であると感じています。文章で参拝したと書くのが生長の家総裁であろう。それを書かないのはそこに来たというだけである。

もはや、生長の家=天皇信仰というのが欠落してしまっているのであろう。このような総裁に今更なにを望むことが出来ようか。

愛国教団「生長の家」の変質を問う-3

『宗教問題』11 から抜粋

第三回 塗りかえられた「もとの教え」

             思想結社「八千矛社」主宰 犬塚博英



生長の家創始者・谷口雅春が九十ー歳で亡くなって丸三十年になる今年六月十七日、彼が晩年を過ごした長崎総本山(長崎県西海市西彼町)にある谷口家の奥津域(墓)で、生長の家三代総裁・谷口雅宣が、雅春の三十年祭を執り行った.雅春没後、三十年間をかけて、立教の教義の根本、祭神、経典などを換骨奪胎し、愛国教団「生長の家」を環境・左翼宗教団体に変質させてきた軌跡は、数多く存在する目本の新宗教団体の中でも特異で、学問的な研究対象としても格好の材料になるだろう。

 ここで「生長の家」の「祭神」または「本尊」について見ていこう。宗教法人「生長の家」公式ホームページには、「本尊」について次のように記されている。

 〈生長の家の本尊とは「生長の家の大神」と仮に称していますが、「生長の家」とは「大宇宙」の別名であり、大宇宙の本体者(唯一絶対の神)の応現または仮現のことであります。正しい宗教の本尊は、この唯一絶対の神の別名で呼んでいるものであるとして、いかなる名称の神仏も同様に尊んで礼拝します。また生長の家では、本尊を具現する像などは造らず、あらゆる宗教の本尊の奥にある「実相」(唯一の真理)を礼拝するために「実相」と書いた書を掲げています〉

「生長の家」に触れたことのない人には実に分りにくい、悪文の見本のような文章だろう。

 谷口雅春が昭和五年三月一日に個人教化雑誌「生長の家」を創刊(立教記念日とする)してから亡くなる昭和六十年までの、五十五年をかけて築きにあげた宗教施設、長崎総本山、宇治別格本山、飛田給本部錬成道場、河口湖錬成道場、そのほか各都道府県教化部などの「道場」には、雅春が墨書した「実相」の大きな掛け岫が安置されているのが常である。信者たちはその軸を通し、宇宙の大生命を礼拝する。「『実相』と書いた書」などといった無機質、無味乾燥な説明で表現できるものではない。



「鎮護国家」の改変



 雅春の直弟子を任じる信者の多くは、雅宣が掌握する現在の生長の家を離れ、「本流・生長の家復活」を願う「谷口雅春先生を学ぶ会」「生長の家社会事業団」「新教育者連盟」などの独自拠点をつくっている。ここで「谷口雅春先生を学ぶ会」が公表している、「生長の家大神」についての解説を見てみよう。

 〈雅春師は最後の事業として長崎県西彼町に百万坪にも及ぶ総本山を造営、「龍宮住吉本宮」を建立し(昭和五十九年)、鎮護国家を目的とする住吉大神の御出御をお願いすることを悲願とした。「住吉大神」はイザナギ大神の宇宙浄化の禊祓い、最後の浄化作用を担い、イザナギの左目から天照大神が生れる下準備として浄化の働き、アマテラスのご降臨を導いた。宇宙浄化の神が現れて宇宙を浄化し、「住み吉き世界」にせられるお働きの名称〉

 これはまさに雅春が生前語っていた教えである。ちなみに雅春の生家は神戸巾兵庫区にあり、彼はその近くにあった本住吉神社に参拝する中で、住吉大神の啓示を受けたという。

雅春が創始した生長の家は、祭神の性格からも明らかなように「鎮護国家」日本国の実相顕現(天皇国日本の実相顕現)と人類光明化-を掲げる宗教団休だった。

雅宣はこの「鎮護国家」のスローガンを廃し、「世界平和運動」に書き換えた。しかもこうした宗教団休の根本にかかわる改変を、特に明確な説明もなく、なし崩し的に行っている。

 本稿の冒頭に記した雅春三十年祭における雅宣の挨拶からは、深遠な宗教者としての感性はほとんど感じられず、まるで安っぽい朝日新聞の論説記事を見ているようなものだった。その一部を抜粋する。

 〈(総本山建立)当時の世界は”東西冷戦”の最中で、アメリカとソ連は大量の核兵器を相互に向け合っていました。そんな時代も過ぎ、ソ連は崩壊し、後継国のロシアは資本主義を採用し、中国もそれに加わって、世界は「経済発展」に向って足並みをそろえて突き進んでいるのが現実です。冷戦時代とは雲泥の違いといえます。ところが、この経済発展のために、自然は破壊され、温室効果ガスは大量に排出され、生物多様性は大幅に減退し、気候変動に伴う災害の頻発や農作物の不作などで、多くの人々が苦しみ、また反文明的色彩の濃いテロリズムの動きが起こっています。生長の家の運動は、その中心目的を。“鎮護国家“から”世界平和”実現のために、経済至上主義と欲望優先の都会の生き方から脱却し“自然と共に伸びる”生き方を開発し実践しようと力強く進みだしているところであります〉

 ロシアのプーチン大統領がウクライナ領のクリミアを自国に併合する際に、アメリカやEU諸国と核戦争も辞さない覚悟と準備をしていたと漏らしたのは、つい最近のことである。しかし雅宣の情勢分析では「核兵器を相互に向け合う冷戦時代は過ぎ去った」らしい。米中新冷戦やサイバーテロ、小型核戦争の脅威といった話題も、いま極めて現実的な問題になっている。その現実を前にすれば、「宗教者」谷口雅宣がいかに薄っぺらい。三文国際政治学者であるかが分かるだろう。

 ちなみに彼は「立憲主義」に反する安倍政権の安保法制にも反対なのだという。こうした自民党・産経新聞批判、民主党支持・朝日新闘推奨も、雅宣の特色である。

 雅春三十年祭の挨拶で雅宣は、近いうちに発行されるという「万物調和六章経」という新しいお経について、「さらっと」触れている。これは雅春が遺した「真理の吟唱」という祈りの言葉三章、「天地一切と和解する祈り」「天下無敵となる祈り」「有情非情悉く兄弟姉妹と悟る祈り」に自分か新たに創作した『日々の祈り』から三章、「“すべては一体”と実感する祈り」「神の愛に感謝する祈り」「神の無限生命をわがうちに観ずる祈り」を加えた六章から構成されるという。このお経こそ、これからの「生長の家の教えの根本」なのだという。教義の根本である「お経」をも、いつの間にか自分の創作物に書き換えてしまっている.

 ちなみに生長の家信者にとって、「お経」といえば「甘露の法雨」である。これを「聖経」と呼び、繰り返し読誦することを信者の必須の行動としてきた。読み方のテンポにもよるが、一巻読み上げるのに二十~三十分くらいかかる。冒頭の「『七つの灯台の点灯者』の神示」にはこうある。

 <汝ら天地一切のものと和解せよ。天地一切のものとの和解が成立するとき、天地一切のものは汝の味方である。天地一切のものが汝の味方となるとき、天地の万物何物も汝を害することは出来ぬ。汝が何物かに傷つけられたり、微菌や悪霊に冒されたりするのは汝が天地一切のものと和解していない証拠であるから省みて和解せよ。われ嘗て神の祭壇の前に供え物を献ぐるとき先ず汝の兄弟と和せよと教えたのはこの意味である。>



肉親との対立

 雅宣には二人の姉と一人の弟がいる。雅宣の姉・佳代子は古賀浩靖と結婚。この夫婦は父・清超の旧姓である「荒地」を継いだが、後に離婚している。浩靖は三島由紀夫が創設した政治学生団休「楯の会」の元メンバーで、同会の決起に参加し、東京・市ヶ谷の自衛隊で自決した三島および森田必勝の介錯をした人物でもある。服役後、彼は生長の家の長崎総本山に奉職。その後、龍宮住吉本宮宮司や本部理事、札幌教化部長などを経て、数年前に六十五歳で教団を退職した。現在は生長の家の役職には一切就いていない。ちなみに義父である谷口清超が死去した際(平成二十年十月二十八日、享年八十九)で行われた密葬で浩靖は文字通り「門前払い」され、門前で「聖経」を読誦、清超を弔った。

雅宣のもう一人の姉・壽美は、生長の家の熱心な信者たったトッパンムーア社長の息子・宮澤潔と結婚する。宮澤は英語力が堪能で、雅春から大いに期待されていた。しかし北米出版局長時代、雅宣が北米で行った講演の内容の出版化を巡って雅宣との関係に亀裂が入る。その後、ほとんど教団の基盤のないオーストラリアへ左遷。ただしそこでも実力を発揮し、オーストラリアで無から教勢を拡人させていた。しかしそこへまたしても閑職への人事異動発令を受け、教団から退職する決意を固めたところ、オ-ストラリア法人幹事会全員が宮澤を支持して本部に反発。「独立事件」にまで発展する。

これに雅宣側は宮澤を「懲戒解雇」すると応じ、「オ-ストラリア法人独立」と「不当懲戒解雇」をめぐる裁判が始まった。

雅宣・本部側は五億円近い裁判費用を要したという話だが、判決は宮潭に対する懲戒解雇、退職金の不払いは違法とするもので、つまり雅宣の敗訴だった(平成十六年三月八日)。

 現在、宮澤は妻・壽美とともに、高知市に「ときみつる会」という団休を設立。隔月刊誌『心のかけはし』を発行している。ちなみに雅春の一人娘で、雅宣とその姉弟らの母親である恵美子は、現在この高知の娘夫婦のもとに身を寄せている。雅宣が教団の実権を掌握して以降、彼女は自宅である「お山」で幽閉に近い状態におかれていたという。しかも家賃その他の費用として月に百万円を要求され、銀行通帳や印鑑も取り上げられ、必要以上の投薬も受けていたという。そこから脱出し、現代では雅宣と対立する娘夫婦のもとに身を寄せている。これをどうとらえるべきなのか。

 

 雅宣の唯一の男兄弟は弟の貴康(昭和三十年生まれ)。ヤンチャな次男坊(戸籍上は三男)のイメージ通りの人物で、その破天荒な人生軌跡は自伝『一寸先に光は待っていた』(光明思想社)に詳しい。大学在学中に起こした二度の交通事故で死線と絶望をさまよいながら、長崎総本山で長期修行。その後、国際部長、青年会長、副理事長などの要職を務めながらも、兄が教団の実権を掌握していく中で、教団からの退職を余儀なくされる。現在は総本山のある西海橋のふもとで整体院を開業して、講演活動をしたり、ブログでの発信活動などを行っている。

 生長の家は「天地一切のものと和解せよ」「先ず汝の兄弟と和せよ」という根本中の根本とする。なのにそのトップたる雅宣は、このようにほとんどの肉親と不仲、絶縁状態、このような人物を、果たしてまっとうな宗教者と呼ぶことができるのであろうか。



止まらない退潮

雅春没後の三十年は、生長の家にとってまったく「暗黒の時代」である。この間の教団の勢いの劣化、退行はすさまじく、社会的に何の影響力も行使できず、ほぼ「あってないような存在」に成り果てている。各宗教団体の公称信者数など、どこも実勢を反映してはいないのだが、「生長の家」公式ホームページでは、その信者数を百六十八万三千二百二十七人としている。しかしその下には「平成22年(2010年)1231日現在」という文字かある。あまりに脱退者が多くて直近の数字を出せず、それで五年前のものを掲げたままにしているらしいというのが、関係者から伝わってくる内情である。各種の内部情報から推算すると、実際の信者数(会費支払い者)は成人男子の「相愛会」が一万人、婦人部「白鳩会」が五万人、青年会が三千人といった程度らしい。しかしこの数とて、親が子供や孫の会費を立て替えて払っているケースが多い。ちなみに筆者の母も生長の家の熱心な信者で、子供や孫の会費、十人分以上を長年支払い続けていた。その意味で、本当に熱心な信者となると一万人を割っているかもしれない。

 それでも、これまでにストックしてきた教団の総資産は一千億円近いという。それを取り崩していくだけでも、総裁や役職者の高給は十分にまかなえるらしい。雅宣とその一派は、この蓄えを食いつぶすまで権力を手放すつもりはないようだ。

 「生長の家は終った」。そう言われても仕方ない、惨憺たる現状である。その原因である、雅宣による「愛国教団」から「環境・左翼教団」への教団改造の動機は一体なにか。次回以降も、その部分にメスを入れていきたい。        (文中敬称略)



 


 


 


 


 


 

コトバと不立文字

下記は生長の家総裁谷口雅宣の平成24年2月の代表者会議での言葉である。ここではまだ『生命の實相』の裁判争いをしている最中でもある。言葉というのを重視していることが散見できます。ただここでは総裁の言いたいことは『生命の實相』のなかにも矛盾した文章があるので『聖典』を絶対視する危険性を誇らしげに説いている。それが本当なのかどうか検証もなされずに堂々と話をしている。自らこうして書いた文章で自己撞着を起こしていることに気がつかないのは傍から見ていて失笑してしまう。聖典を絶対視するからこそ宗教というのが成り立つのであって、それを否定すれば「カルト」であることを総裁はしらない。また最後に原理主義を標榜しているとは学ぶ会のことであることは承知であるが、「学ぶ会」は原理主義ではないことは誰がみても明らかである。それならば「学ぶ会」が原理主義ならば総裁は環境原理主義者である。これは危険性があることは以前にこのブログで書いた。


2012年2月28日 (火)

「コトバ」について

 今日は東京・原宿の生長の家本部会館において「生長の家代表者会議」が開催され、4月から始まる新年度の運動方針理解のために、7カ国から生長の家の幹部約800人が集まってディスカッションの時がもたれた。私は会議の最後に結語のスピーチをしたが、その内容そのもの発表は別の媒体に譲るとして、本欄では話した内容を補う意味で、生長の家で使われる「コトバ」という語の意味について少し書こうと思う。

  生長の家では「言葉の力」というものを大切にすることは、多くの信徒はよく知っている。これに関連して、新約聖書の『ヨハネによる福音書』の冒頭の有名な聖句が引用されることもある。そこには、こうある--

「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。」(1:1-3)

  また、聖経『甘露の法雨』では「神」の項に「心動き出でてコトバとなれば、一切現象展開して万物成る」とも書かれている。前者は天地創造に関連した表現で、後者は実相世界の成り立ちに関するもので、とても重要視されている。このように生長の家では、言葉に重要性を与えてきたので、あまり教えを知らない初心の人々の間には、誤解が生じる余地も出てきている。それはどういう誤解かというと「書かれた言葉は絶対である」と考えることだ。また、生長の家は「文書伝道」を重視してきたため数多くの書籍が刊行されており、そこに「書かれた言葉」を尊重するのはいいが、絶対視する傾向も一部で生まれてきているようだ。

 これは別に、生長の家に限られたことではなく、宗教一般に言えることだ。ご存じのように、宗教の世界には「聖典」「経典」「教典」などと呼ばれる数々の立派な書物があり、そこに書かれた文字によって宗教上の“真理”や“教義”が示されているという考えが昔から一般的に存在している。そのため、「聖典の言葉=絶対の真理」という単純な理解で宗教の教えを捉えている人が案外多いのである。しかし、実際にそういう教典や聖典を注意して読んでみると、同じ教典の中に一見相互に矛盾した表現や用語、論理などが散見される。この現象は、仏典や聖書、イスラームの『コーラン』にも共通しており、その教典が大部であればあるほど一見した“矛盾”や“不整合”は多く見られるのである。

 このようなことが起こる理由について、私はかつて『信仰による平和の道』の中で宗教上の「原理主義」が抱える問題に関連させて述べたことがある。が、その本も発行後すでに9年がたっていて、読んでいない人や、読んでも内容を忘れてしまった人もいると思うので、この場で再確認したいのである。宗教の書物の内容に矛盾撞着したように見える言語表記が散見される理由を簡単に言えば、それは宗教が扱う主題が“この世”を超えているのに対し,我々が日常的に使う言語は“この世”のものを主たる対象にしているからだ。“この世”の道具によって“この世ならぬもの〟を表現する――これが宗教的な言語表現に与えられた困難な使命である。私はこのことを、『信仰による平和の道』では次のように書いた:

「普通我々が使う言葉は、日常的に普通に存在する事物や人、それらの関係を表現するためのものである。それに対して、宗教で取り扱う重要なことの多くは、“神”や“仏”や“霊”というような日常生活とは少し次元の違うものである。言い換えれば、普通の言葉は日常の“俗事”を表現するためのものだが、宗教は“聖事”を取り扱うのである。しかし、何によって“聖事”を取り扱うかというと、それは言葉による以外にないから、“俗を扱う道具によって聖を説明する”という一種の“離れ技”を行うのである。これが、宗教の教典や聖典の使命である。」(p. 10)

 この困難な使命を一応達成して残っているのが、世界各地、各宗教の聖典であり、教典である。だから、そういう宗教的書物に記録された音声や文字表現が「重要である」ことは言を俟たない。しかし、その重要性は、あくまでもその文章が書かれた人・時・処においてのものであり、その文章を読む人や時代や場所が変われば、重要度に変化が生じてくる可能性があるのである。そのことを考慮せずに聖典に書かれた文章を文字通りに解釈し、それを“絶対の真理”だと考えると、大きな間違いを犯すことにもつながる。この「聖典の文字通りの解釈」が宗教上の原理主義の大きな特徴であるということを、私はもう何年も前からいろいろなところで述べてきた。だから、生長の家の考えでは、「書かれた言葉は絶対である」というのは間違いなのである。

 さて、このことを理解した上で、生長の家で説かれている「コトバの力」とは何かを考えてみよう。この話は講習会でもよくしているので大方の人は、すでにご存知だ。生長の家では言葉について、普通では使わない表記をすることがある。それは、「コトバ」と片仮名3文字で表記する場合だ。この表記についても講習会ではよく話していて、仏教的な表現を借りて「身・口・意」の3つの手段を使った表現のことだと説明する。つまり、何か自分の心中にあるものを表現する場合、私たちは身体を使い(身)、あるいは口から声を出して(口)、または心の中で想念を起こすことで(意)、それをしている。もちろんこの3つの手段をすべて同時に使うこともある。ということは、「コトバの力」とは「表現力」という意味であり、さらには、我々に身口意の表現を起こさせる元になる、一定の指向性をもった心中のエネルギーのことを指しているとも言える。

 谷口雅春先生は著書の中で、これを「波動」「振動」「想念」などの言葉に置き換えて説明されている。例えば、先に触れた聖経『甘露の法雨』の一節を説明している『新講「甘露の法雨」解釈』の中には、「コトバとは想念のこと」(p. 98)とはっきり書いてあるし、『ヨハネ伝講義』には、「 天地にミチていて、事物のハジメを成しているものが言(ことば)即ち、波動であり」( p.18)と書かれている。また、『真理』第4巻青年篇には、次のように記されている--

「これは宇宙に満つる霊の振動であり、生命の活動であります。……想念の波を起すということであります。……宇宙に満つる大生命の波動が想念即ちコトバであって、それがやがて形の世界にあらわれて来るのであります。だから事物の本質とは何かというと、此のコトバでありまして、形ではないのであります。」(p.185-187)

 生長の家の教えの特徴の1つは、このような意味での「コトバの力」の重視なのである。生長の家は、発祥の初めから「文書伝道」を特徴として発展してきたが、同時に「日時計主義」というものを高く掲げてきたことはご存じの通りである。日時計主義は「朗らかに笑って生きよう!」ということだから、ここには文字による表現だけでなく、笑顔になったり、声を出して笑うことも含まれている。つまり、「身・口・意の善業をすべて動員して真理を伝える」――講師や信徒は「生活の全面を通してみ教えを伝える」――それが我々の本来の運動なのである。そういう意味からも、私たちが現在行なっている「技能と芸術的感覚を生かした誌友会」や『日時計日記』の活用、肉食の削減、さらには二酸化炭素の排出削減などの活動が、みな「コトバの力の活用」であることが理解できると思うのである。我々の運動の原点は形に現れる前の「コトバの力」の活用であるから、形にとらわれてはいけない。ある1つの形が行き詰ったならば、同じコトバを使って別の形、別の表現に向かっていけばいいのである。この点が、原理主義を標榜している信仰とは大きく異なると言えるだろう。
 
 谷口 雅宣


また岡正章氏の「みすまるの珠」で書かれていますが

普及誌 『いのちの環』 No.68(2015/11)に、谷口雅宣 生長の家総裁は

 “私たちは神ではない。私たち以前に地球はここにあり、それは私たちに与えられたものだ。……云々”

 というローマ教皇の“環境回勅”を引用して、

 「読者は、今日のカトリック教会が進もうとしている道が、これまで私たち生長の家が歩んできた道とあまり変わらないことを理解してくれるだろう」

 と書かれている。

 私は、この “私たちは神ではない” というのは、生長の家の説くところではないと思います。

もはや、「人間神の子」の生長の家根本眞理すら否定している総裁谷口雅宣氏である。だから兵庫県の講習会では

「生長の家は文字の教えではない」…??? - 破邪顕正

2015/12/12 (Sat) 10:56:42


題記は、谷口雅宣総裁が兵庫教区の講習会で語った言葉です。

講習会受講者の方からの報告です。

何でも、受講者から、「『生命の實相』等の聖典が無い」ことの質問が提出されたそうで、それに対する答えが題記の言葉だったとか。

生長の家は「不立文字」だから、法燈継承者が語ることがそのまま生長の家の教えである!

しかしそうであろうか、谷口雅春先生はそんなことはおしゃっていないからである。
また、唐松模様では総裁は下記のように書いている。


2012年12月12日 (水)

運動の変化について (3)

生長の家の運動も、政治的変化を目的とした「政治」色の強いものから、「信仰」の大切さを強調する信仰運動へと徐々に変化していったのである。ひと言でいえば、これが谷口清超先生が生長の家総裁として実行された“運動の変化”の1つの大きな流れである。清超先生は、そういう変化が必要であることを副総裁のときから明確に自覚されていて、昭和60年11月22日の生長の家総裁法燈継承の記念式典において、「自分は雅春先生の教えの一言一句を繰り返して説くことはしない」と明言された。私はこれまでも、このことには何回も触れてきたが、重要なことなので清超先生のお言葉を、再びここに引用する--
 
「世の中には“継承”ということを何か誤解している方もいらっしゃいまして、谷口雅春先生のお説きになった一言一句をその通りまたくり返しお伝えするのであろう、かの如く思われる方もおられるかもしれませんが、実はそういうものではないのであります。つまり、教えの神髄の不立文字をお伝え頂き、それを継承するということでありまして、(…中略…)真理というのは、その時その時に応じて色々な相(すがた)をもって展開されねばならない。そこがイデオロギーや運動方針とは違います。イデオロギーならば色々と文字に書きあらわすこともできるかもしれないが、それは“真理そのもの”とは違うのです。そこの所をよく諒解していただかないと、過去の歴史を繰り返せよということを、相承と思い違えたりする。この点は皆さんにも充分ご理解いただく必要がある。そしてこれからの運動はやはり中心帰一の原理を説く生長の家の運動でありますから、中心帰一を守りつつ大いに大々的に展開していきたいと念願している次第であります」。(『新編 聖光録』、pp.296-298)

 谷口 雅宣

私はそうした間違いが谷口清超先生から発していることに違和感すらあった。
生長の家は文書伝道なのです。その為に多くの文章を本として発行されているのであります。


生長の家「今昔物語」から抜粋

「生命の実相」第25巻・教育実践篇上巻・第四章において、開祖・谷口雅春先生は

<< ・「生長の家」で説くところの宗教的真理は、多くの善き宗教の真髄をなしている宗教的真理と同じであり、むしろ多くの宗教の説く真理に開眼を与える底のものでありますが、何処が違うかと言うと文章によって一喝を与える点であります。

 本を読めば病気が治るということも、文章による一喝によって、読者の生命の実相が開かれて心の病気が治る。肉体の病気の治るのも、この随伴的結果なのであります。

・<この生命の実相>というものは、今までは文字・言語のよく説くところではない。言詮不及・不立文字であると言われていた。それを文字を立て・文章を立て・言葉の力によって生命の実相を悟らせるようにさせた所が、生長の家の独特なところであります。

・今までは、真理と言葉とが二つに分かれていて、言葉や文章は真理を完全に表わすものではない、と思われていた。ところが、生長の家では、言葉と真理・文章と実相とをピッタリ一致させた。

・古来、直接説法・以心伝心でないと悟ることも出来ない真理を、ただ文章を読むだけで悟れるように、文字の中に生命あり・生命の中に文字あり・文字と生命と一体と言うような域にまで達せしめ得たのだろうと思います。

・さればこそ、本を読むだけで直接参禅しても得られないような悟りに到達する人が多勢現われて来て、その影響の及ぼすところ肉体の病気も治り、境遇・環境まで変化してくるというようになって来たのであります。

・生長の家は、宗教としては今までの多数の宗教に対して敢えて別異を説くのではない。根本に於いて・真理に於いて同じことでありますけれども、その表現が今迄に見ないような強い迫力ある芸術になっている。

・生長の家では、活字が道場である。文章が教化の師である。活字の印刷した新聞紙の行くところ、活字の印刷した小冊子の行くところ、其処が道場化して人を救うということになるのであります。>>


「生命の実相」第27巻・久遠仏性篇上巻・第六章に於いて、開祖・谷口雅春先生は

<< ・此のように『肉体無し』の思想は別に生長の家の新発明でも何でもないのであります。
 ただ新発明のところはその表現の仕方が違うのであります。
 その表現法に力があるので、心が端的に、生命の本当の相にぶっつかるので『生命の實相』を読んだら病気が治ったりすることが頻々と起るのです。
 その説くところは天地と共に存する古き真理でありますが、表現と云うことに重きを置きますと、哲学とか宗教とか云うよりも藝術と云わねばなりません。
 私は宗教家と云われるよりもこの点で芸術家とか文芸家とか云われたいと思うのです。そんなに新興宗教が起ったなどと云って周章狼狽することは要らないのです。

表現が巧みであるから、いままで禅宗などで『不立文字、言詮不及』と云い、『曰く言い難し』とか『言亡慮絶』とか云って、言葉では現す事は出来ないと云われておったところの真理を言葉で端的に人間の魂にブッ突けることが出来、悟りのための修行を非常に簡略化することになったのであります。

・今まで何年も座禅し、修行して、棒をくらわされたり、喝を喰らわされたりして、やっと悟っていたところの真理が、本を読んだだけで悟れる――全部の人がそうでもないが、白隠禅師が自己の肺病を治した位の程度に悟れる人ならザラにある。これが一つの藝術であります。

・私は新興宗教などと云われるよりも、新興藝術と云われたいと思うのです。
 繰り返していいますが、生長の家には新しい真理は一つも発明していない。ただ古今の教えを言葉の藝術で読ませるので人の魂を生かす力が這入っている。ここに『生命の實相』の力があるのであります。>>

同じく下記の文章は生長の家「今昔物語」から抜粋です。

(A)生長の家の“法燈継承”とは?

谷口清超先生の法灯継承祭における御挨拶 (昭和60年11月22日)

<< 世の中には「継承」ということを何か誤解していらっしゃる方もおられまして、谷口雅春先生のお説きになった一言一句をその通りまた繰り返してお伝えするのであろうと、かく思われる方も居られるかも知れませんが実はそうではなく、つまりは教えの真髄の不立文字をお伝え頂き、それを継承する。ということであります。>>   
最近、ある方の御文章に接し、その時の清超先生の違和感を語られています文章を読み、何か納得できるような複雑な心境でした。

この法灯継承祭と
そして、「無門関」第六則<世尊拈華>の公案を引用して説明されております。


第三代目・谷口雅宣先生の法灯継承祭における御挨拶 (平成21年3月1日)

<< 私は、生長の家の伝統に則って、谷口清超先生から面授によってこの真理の大道を継承させて頂きました。
 そしてただ今、住吉大神の御前で大真理の眼晴の継承を祈念申し上げました。従ってこれまた清超先生から教えられたように、私は先師の一言一句を繰り返すと言うのではなく、時代や環境の変化に応じて色々の姿をもってこの運動を積極的に展開して行きたい。と念願するものであります。>>



(B)第三代目・谷口雅宣先生と“不立文字”

「今の教え」における「不立文字」の意味と内容

 「信仰による平和の道」の中で第三代目・谷口雅宣先生は、次のように<不立文字>という事について説かれています。

(1)生長の家では、仏教で説く「不立文字」の考え方を採っていて、真理の真髄の部分は文字では表現することが出来ない。従って、文字で表したものは、みな不完全なもので真理そのものではない。と考えますから、聖典に書かれた一言一句を永遠に墨守して実行するという考え方は採らないのであります(P.194)。

 真理の核心部分は文字や言葉では表すことが出来ないが私たちはそれを学ぶ事が重要である――禅宗でいう「不立文字」の考え方です(P.196)。

(2)真理というものは本来、大道無門なのであります。形にはまったものが真理ではない。真理は表現されねばなりませんが、表現されたものは、ある時には真理に即していても、それはまた真理から離れてくるものもある(P.262)。

(3)真理の表現は、人・時・処で変化するのですから、真理を学ぶ我々は聖典等の表面の言葉に捉われないようにしようと言うことです。
 古い時代の文章は現代の我々には分からない事情の下で書かれた可能性がある。背後にある色々な考えなければならない事情があった。それを全部捨象してしまって「ここにこう書いてあるから、これが絶対の真理だ。」というのでは独善に陥る危険性があると言うことです(P.261)。

(4)では、何をなすべきかというと、
 今日に於いては、生長の家では「今の教え」が総裁先生(当時は、第二代目・谷口清超先生)によって説かれているわけですから、
 しかも御本人が生きていて説かれている訳ですから、他の人がそこに何かを付け加えたり、またそこから抜き取ったりする事はない訳ですから、
 そう言う「生きた教え」を学ぶことが重要になって来るわけであります(P.261-262)。



以上の事柄を端的にまとめれば、

*生長の家の“法燈継承”とは、「教えの真髄の不立文字を先師から法嗣者へ面授する事」

*第三代目・谷口雅宣先生の“生長の家での不立文字”と云うものに対する理解は、

(イ) 真理の核心部分は文字や言葉では表すことが出来ない。

(ロ) 文字で表したものは、みな不完全なもので真理そのものではない。

(ハ) 真理は表現されねばならないが、表現されたものは、ある時には真理に即していても次第に真理から離れてくる。従って、常恒不変の真理なんて現象の文字や言葉では説く事は出来ない。

(ニ) 従って、開祖・谷口雅春先生が説き及ばなかった真理の部分及び21世紀という現時代に即応した説き方の真理を、「今の時代の生きた教え」として法燈継承者が説いているのである。



*更に、もっと端的に一言で言えば、「先師から面授を通して伝えられた教えの真髄としての不立文字を21世紀の時代即応の真理・今の教えとして私(第三代目・谷口雅宣)が説く。此れこそが開祖・谷口雅春先生を超えた最も新しき生長の家の教え(真理)である。」
ということになります。





(C)第三代目・谷口雅宣先生の“不立文字”解釈の矛盾

(1)生長の家の“法燈継承”をば「開祖・谷口雅春先生の教えの真髄の“不立文字”を伝え継承すること」とするならば、
 
開祖・谷口雅春先生が釈迦・キリストの説き及ばなかった国家の成仏(生命体国家論・真理国家としての日本国実相顕現)を第三代目・谷口雅宣先生は否定し、それを詳しく説かれてある開祖・谷口雅春先生の御著書を何故に絶版化し、今後の信徒の目に触れないようにしたのか?

 そして更に、日本民族がキリストの十字架と同じく自己犠牲でもって地球人類の霊的進化の周期に宇宙摂理として貢献したとの開祖・谷口雅春先生の“大東亜戦争聖戦論”に、真っ向から反対の“大東亜戦争・侵略戦争論”を展開し靖国神社へ詣ろうとしないこと、

 これらこそ、第三代目・谷口雅宣先生が<開祖・谷口雅春先生の教えの真髄の「不立文字」>を少しも受け継いでいず、唯物論的戦後教育による肉体頭脳の自己流解釈である事の証明なのであります。


(2)開祖・谷口雅春先生は、『生命の実相』第三十九巻・第五章「華厳経序講」に於いて、

「(大意)無限に美しい蓮華荘厳の実相世界と久遠生き通しの実相生命を説く大乗の教えであるところの『華厳経』を釈尊は成道二七日目に説かれたが本当に理解できる弟子がいなかったのでその『華厳経』をば時機尚早とて龍宮界に秘められた。そして、内容の易しい『阿含経』のようなものから説いて行かれた。
 釈迦滅後三百年たって竜樹菩薩なる人が、いくらこの地球上で大乗の教典を探しても見つからず、龍宮へ行って(広大無辺の実相世界へ五官の世界を去って没入して)もとめた。
 龍宮に秘められていた『華厳経』は、上本、中本、下本に分かれていて、竜樹菩薩がこの現象世界へ持ち帰ったのは<下本>である。
 その龍宮に遺してある上本、中本の『華厳経』はどんな立派な事が書いてあるかと云う事は、まだ隠されていて時節が到来しないからそれを発表してはならないと云う事になっている。
 それが明らかにせられる時、日本国の実相が顕われて久遠不滅の日本の永遠性がハッキリしてくるのであります」と説かれているのであります。

 そして開祖・谷口雅春先生は自ら龍宮界へ出向かれ(「無の関門」を超えて大悟徹底され)、竜樹菩薩が遺してあった『華厳経』中本、上本を持ち帰られ、時節来たりて久遠不滅の実相日本をハッキリと説き明かされたのであります。

 にも拘わらず、第三代目・谷口雅宣先生は、開祖・谷口雅春先生は真理の全相を100%全部を説かれたのではない。
 宇宙の真理は広大無辺なのであるから説かれてない部分もある、
また、説かれた文字・文章はその性質上、真理の完全表現ではない。不完全である。

 従って、説き遺された真理や真理表現の不完全性を補うのが法燈を継承した自分の使命である、と考えておられる。

生長の家は不立文字といいながらコトバの力の大切を説く。時と場合によってコロコロと心情が変化する。人間神の子の教えすら否定すれば「生長の家」の教えを総裁が否定していることとなる。
兵庫県での講習会では自分の都合で「不立文字」といい、方や「日時計主義」といい無茶苦茶な論法である。誰もこれを抗議できないのは原理主義者だから否定できないのである。云えば講師剥奪の怖れがあるからである。北朝鮮にも似た恐怖政治を陥れている。


下記もある方の文章から引用します。

谷口雅春先生は、
〈普通、佛教では、悟りは言語文字にあらわすことが出来ないといひますけれども、実際は言語文字にあらはす
ことが出来るのです。悟りの境地を言語文字にあらはすことが出来ないのは、本当には、まだ悟ってゐないからであります。(中略)
悟りの境地が、言語文字で表現することが出来ないといふのは、言語文字そのもので、悟りの境地を表現しよう、、、、と思ふからであります。言語文字は、言語文字で内容を表現するのではなく、言語文字を象徴としてその奥にある甚深微妙なるものを表現するのであります。〉(『維摩経解釈』322頁)

〈この生命の實相というものは、今、、、、、までは文字言語のよく説くところではない、言詮不及、不立文字であると言われていた。それを文字を立て、文章を立て、言葉の力によって生命の實相を悟らせるようにさせたところが生長の家の独特なところであるのです。(中略)生長の家では言葉と真理、文章と実相とをピッタリ一致させた。古来、直接説法、以心伝心でないと悟ることもできない真理を、ただ文章を読むだけで悟れるように、文字の中に生命あり、生命の中に文字あり、文字と生命と一体というような域にまで達せしめえた〉
(『生命の實相』第25巻102頁)


生長の家は仏教の真髄をわかりやすく文字に表したのが谷口雅春先生なのです。それを否定するようなことではどうするのでしょうか。

もはや、生長の家は教典もない眞理もない環境ドグマとなっていくのです。

何故調和出来ないのか

和解論という議論が「谷口雅春先生に帰りましょう」のブログで盛んに行われている。内容等に関しては破邪顕正氏と同意です。

安易な和解論に与してはならないのも同様であります。
さてそこでですが、岡正章氏の「みすまるの珠」には下記の文章があります。
皆様はどのようにしてこれを喝破できるのでしょうか?

    【質問4】 「ムスビ(結び)」と「大調和」についての質問です。

           総裁は、本年(2015年)1月1日のメッセージとして、
           『「結び合う」生き方を進めよう』と呼びかけられました。
           では――「本来一つ」であった元々生長の家の熱心な同志たちで
           今は離れて対立的になっている人たちと、
           「互いに結びあって、一緒に協力して前進する」
           ようになることは、できないのでしょうか?



  




「生長の家教規」に
「第2条 この宗教の設立の目的は次の通りである。(1)谷口雅春創始の、生長の家の教義に基き、その主著『生命の實相』を鍵として、万教共通の宗教真理を開示し、これを宣布することによって、人類光明化につくすこと。」とあります。
『生命の實相』こそ“宗教目玉焼き論”における「生長の家の“目玉”」ではないでしょうか。
 その中心をしっかと確立すれば、社会事業団等とも一つに結び合い、協力し合うことができるようになるではないでしょうか。

          ○

 総裁は、本年(2015年)1月1日のメッセージとして、『「結び合う」生き方を進めよう』と呼びかけられました。

 そのことは、新著『宗教はなぜ都会を離れるか?』の第二部 第四章「『ムスビ』の働きで新価値を創造しよう」にも、「2013年11月22日、谷口雅春大聖師御生誕日記念式典での挨拶」を収録された文章として、詳しく述べられています。

 『宗教はなぜ都会を離れるか?』303~305頁から引用させて頂きます。

 ≪……「一見分かれているように見えるものが本来一つである」というのが実相の自覚であり、これを最も顕著に体現しているのが自然界の「ムスビ」の営みであるわけです。
 ところが、人間界では本来一体であるものを細かく分けて、あそことあそこは利害が対立するのであるといって争っている。そういう意味でも、大調和の世界を実現するためには、ぜひこの「ムスビ」という考え方を強く意識して――今日の私たちの運動でも、相愛会と白鳩会が講習会の受講券を奪い合うことなく(笑い)、一緒に協力して前進する。それだけでなく、政治の対立とか国家間の「対立」の方を意識するのではなく、協力と協働の「ムスビ」を意識し、それらを通して自然と人間の本来一体の姿を実現していかねばなりません。≫ と。

 昨年(2014年)11月22日の同じ式典でのご挨拶(「唐松模様」所載)でも

 ≪私たちにとって“他者”と見えるもの、一見“別物”と見えるものも、それらとムスビ合うことによって、新しい、より大きな価値を創造することができるという真理を多くの人々に伝え、また自ら生活に実践し、名実ともに“自然と共に伸びる”運動を力強く展開していこうではありませんか。≫

 とおっしゃっています。素晴らしいお言葉だと思います。

 そこで、切に思うところの「質問」が、前記[質問4]となりました。

 「“他者”と見えるもの、一見“別物”と見えるものも、それらとムスビ合うことによって、新しい、より大きな価値を創造することができるという真理を多くの人々に伝え、また自ら生活に実践し……」ということを、元生長の家の熱心な幹部であった同志たちとの間で実現し『生命の實相』を取り戻すことこそが、『大調和の世界を実現する』ための第一歩であり、それなしには生長の家の未来――持続可能性――はないのではないか、という思いが湧き上がって来るのです。「そんなこと、できるわけがない」と言う方が多いです。しかし、「人間にはできないことでも、神ならできる」というのが生長の家の御教えではなかったかと思うのです。

 根本的には、生長の家の大神と谷口雅春大聖師に対して大懺悔し、和解・大調和する必要があるでしょう。いろいろな考えをもつ団体については、その点で一つになれるのではないかと思います。

 それは簡単なことではないだろうということは、わかります。今までの業(ごう)の力が強力だからで、総裁のご著書『宗教はなぜ都会を離れるか?』の66頁以下に、次のように書かれている通りでしょう。

 ≪ 現状の「改善」でなく「転換」のために


 (前略)今は世界中で物質主義的なライフスタイルを新しい方向に転換していくことが求められているけれども、身体を使って、口(発声音)を使って、心(意)を使ってそれを実行することは、コトバの力の活用です。多くの人々はしかし、生活の転換の必要性は分かっていても、それを具体的にどの方向へ進めていくべきかがよく分からない。また、従来の生活の仕方から逃れられない。先ほども質問がありましたが、何十年も同じ仕事をしてきたのに、今さら転職なんてとんでもないと考える。その気持は十分に分かります。業(ごう)の力はそれだけ強力です。
 我々は実相に於いて皆、神の子でありますが、現象的には業の力に動かされていることも事実です。(…中略…)そうでない生き方は大変やりにくい。そのことはよく分かります。しかし、生長の家はそれをやろうとしているのです。≫

 ――時あたかも、「イスラム国」が日本を標的にしたテロのニュースが報じられました。

 《……国際社会による「イスラム国」掃討で日本は軍事作戦には加わらないものの、難民対策などの周辺国支援を積極的に進めてきた。安倍晋三首相は中東政策を変更しない考えを示したが、今回の殺害警告は日本への報復行為ともいえ、安倍政権のテロとの戦いは難題を突きつけられた。》 (日経新聞1月20日)

 《フランス・パリでの「シャルリエブド」紙襲撃事件やシリアとイラクでの過激派武装組織「イスラム国」の伸長、そして邦人の人質略取と殺害通告・脅迫が続き、イスラム世界と理念にどう向き合うかが、国や社会、個人に逃れられない課題となっている。イスラム国の地理的拡大は空爆などで食い止められるが、イデオロギーの拡散は軍事力では阻止できない。(池内恵 東京大学准教授)》 (同紙1月27日)

 ――日本にとって、いや、世界にとって、大変な試練の時です。軍事力によってテロを根絶することはできない。イデオロギー拡散による「個別ジハード」が拡がっているからです。

 前記の課題「元生長の家の幹部であった熱心な同志たちと、「『本来一つ』であるから、互いに結ばれて一つになること」はできないのか?『一緒に協力して前進する』ことは、できないのか?」という課題は、ひいてはこの「イスラム国」過激派のテロという世界的な試練につながるものだと思われます。生長の家が「大調和」を至上命令として掲げ、「万教包容」の「世界平和」をめざすのであるならば、その課題から逃げることはできないのではないでしょうか。

 逆境、困難こそ実相顕現のチャンスでしょう。総裁のご著書『日々の祈り』にありました。

 ≪一見「困難」と見えているものは、「我は肉体なり」との観念から生じた幻想に過ぎません。肉体を「我」と見れば、「自」と「他」とが分離しているとの差別感が生まれ、そこから「損得」の狭い考えが生まれます。しかし、実相において神さまの創造と一体である神の子・人間には、本当は「他」など存在せず、損も得もありません。すべてと一体であり、すべてと調和しているのです。神さまの創造は完全であり、神さまの創造されない世界は実在しません。この神さまの創造世界の実相に心を振り向けるとき、現象の困難は氷解します。

 だから神さま、私はあなたの御前で次のように高らかに唱えます――

 「私は神さまの創られたすべてのものと一体であり、大調和しています。」

 「私は神さまの創られたすべてのものと一体であり、大調和しています。」

 この「自他一体」の自覚を深め、その本来の姿を現象世界に表すことが私の使命であり、喜びです。その過程が人生であり、また神生です。≫

        (「困難に戯れて明るく生きる祈り」221~222頁)

 総裁は、このようにお書き下さっています。そのほかにも「こういう祈りを真剣に続けて行けばきっと大調和は実現するに違いない」と思われるような、すばらしい祈りの言葉が随所に書かれています。

 この祈りの言葉は、総裁が真剣に元生長の家の幹部であった熱心な同志たちと、「本来一つ」であって、実相においてはすでに大調和し協力し合って人類光明化運動に邁進していることをお祈りくださって書かれたものであると信じ、それが現実世界にも実現する日がくることを祈らせて頂きます。

 合掌 ありがとうございます。

          (平成27年3月) 

総裁という人物は書いていることと「実際の行動」との差異を大きく感じています。

兄弟と裁判争いをしながら、このように大調和を説く。
講師剥奪などしながら、調和を説く。
裁判で争いながら調和を説く。
谷口雅春先生の教えを否定しながら「生長の家」を説く。

確かに実相世界においては「本来一つ」でありますが、その現実との落差というより、全く異質な言動には総裁は何を考えているのかわからない。

話を戻します。岡正章氏はこの質問に対して答えていません。ぼかしたような言い方なのです。
生長の家では講師の先生と同じように、よくこのような言い方をします。
「実相世界においては一つであるという」
しかし実相世界において和解するには
『聖経 甘露の法雨』

 「神があらわれば乃ち善となり、義となり、慈悲となり、調和おのずから備わり、一切の生物処を得て争うものなく、相食むものなく、病むものなく、苦しむものなく、乏しきものなし」
ここの「一切の生物処を得て」とはなんでしょうか?

私は『古事記と現代の預言』の頁66には
”是に其の妹伊邪那美命に我が身は如何に成れると問曰くいたまえば、我が身は成り成りて合わざる處一處在りと答曰したまいき、伊邪那美命語りたまいつらく、我が身は、成り成りて成り餘れる處一處在り、故此の我が身の成り餘れる處を、我が身の成り合わざる處に刺し塞ぎて、國生み成さんと爲うは奈何とのりたまえば、伊邪那美命然善けんと答曰したまいき。

つまり、「本来のあるべき姿」というのがあるのです。それが陰陽の調和した姿がまずは必要なのです。

兄弟と裁判争いをしながら、このように大調和を説く。
講師剥奪などしながら、調和を説く。
裁判で争いながら調和を説く。
谷口雅春先生の教えを否定しながら「生長の家」を説く。

これでは真髄では調和にはなっていないからなんです。「處を得て」いない状態なのです。そういうのは反発しか出来ない世界を生み出す。
自分に中心帰一しなさいといいながら、そうした争いをしているから、信徒も争いの世界に引きずるようになるのです。そういう人に中心帰一すると「左翼的な論調」になったり、物質世界を崇めるようなカタチとなるのです。
それを生み出す要因ともなる。
だからこそ、そうした唯物的思想には「本来あるべき姿」を顕現するしかない。
だがその総裁は「環境保護団体」の長となって、自然という物質にばかりに視点がある。

私は現在の生長の家は本来の生長の家と似て非なるものであると思っています。そういう団体に調和などありえないことなのです。闇と調和など出来ないわけでありまして、和解というのは破邪顕正氏がいうように「處を得て」いない状態では天之御柱などを建てることが出来ないのです。
だからこそ、総裁が言葉に発して「嗚呼、悪かった調和出来ていないのは自分の責任である」と自覚すればいいのです。その一言で調和の世界と和解の世界が出来るわけです。
だからこそ、文章ではなく言葉に発言することが必要なのです。それが出来ないということは、それを行う意志がないと思えばいいと思っています。
だからこそ異質な総裁と書いたのです。

そういう本来あるべき姿に戻そうとしない総裁はいつまで続くのか見守っていきたい。

承前という文章

文章の構成とその内容というテ-マで書かせていただきます。
さて、今回『新編 生命の實相』の「霊界と死後の研究(上)」と「霊界と死後の研究(中)」についての章についてですが、少し違和感を感じました。

それは新編 生命の實相第16巻「霊界と死後の研究(上)」の第一章 差別心より観たる霊界の消息、そして第17巻 第一章 差別心より観たる霊界の消息(承前)となっているのです。

これは少しどころか大変おかしな文章の構成なのです。第一章という章というのは「区切り」なんです。例えば文章では部⇒章⇒節となるわけなんです、章というのは文章を区切るのですから一旦この文脈は終了する。それが承前となって復活するのですから構成としてはダメなのです。
しかも第一章 差別心より観たる霊界の消息(承前)となっているから、間違って同じ本を購入したのかと勘違いするのです。
もちろん、この書き方自体間違いですが、「承前-差別心より観たる霊界の消息」と書くのが普通です。

やはり、65巻という無理な分区をしているので、こういう区分けになってしまうのです。少し厚めの本になっても第一章を括るという形式で発行されたほうがよかった。

さて、ようやく16巻です。今年は6冊発行されていますが、残り50冊です。このペ-スでは7年という期間がかかる。気持ちが失せるようになる長い時間でもある。平成24年1月1日第一巻が発行されてまもなく4年が経とうとする。
オンデマンドは頭注版形式である。素直に頭注版にすれば良かったのに意地を張ることはなかった。
素直な気持ちを光明思想社の人は持って実行してほしい。


章の意味
楽曲のひと区切り。 まとまってひと区切りをなした文や詩。文・詩・条令などのひとまとまりを数えることば。 けじめ。また、まとまったきまり。 あや。しるし。ひとまとまりを成して目だつ、印や模様。 くっきりと目だつ。あざやかに目だたせる。文章様式の一つ。上奏文のスタイル。また、書体の一種。漢の元帝のとき、史游シユウが当時の隷書レイショをやや改めた書体で 大木の太さをはかる単位。

EXPOと太陽の塔

地元吹田市にある万博公園に行ってきた。
万博記念公園駅にはEXPOCITYが出来、賑わいはすごい。
西日本初とか西日本では最大級のもの日本初とかキャッチフレ-ズはすごい。動物園や水族館や美術館とある。映画館はもちろんのこと「Orbi Osaka」という匂いや霧などの演出効果でみれるエキシビションが来年春に開館予定である。日本一の観覧車も来年春に営業。

さてそれより、万博の自然公園にまずは行ってきた。正面に見える太陽の塔はさすがに迫力がある。
その後EXPO70’を開催していた。現在鉄鋼館だけは昔の状態で残っている。そこにEXPO70’である。当時は電気自動車や電気自転車なども活躍していた。

そのあとEXPOSITYに行ってきた。沢山の人で列にならばないと入れない店も多くあった。
懐かしの大阪万博(EXPO'70)にタイムトラベル。国内パビリオン15選
万博1970年
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裏側からの太陽の塔
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播州アルプスと小野アルプス

昨日は兵庫県の加古川市の方面にトレッキングを行ってきた。風光明媚な景色が岩肌から見える場所でもある。播州アルプスとも呼ばれている。
それと前回行かなかった小野アルプスへ行ってきた。ただ、道の間違いで走行距離が20kmぐらいの所がなんと36km(旅ロガ-)を走ったり歩いたりした。
どれほど間違ってしまったか想像つくかもしれないが、もう少し地図を用意して確実に行けるようにしていきたい。ともあれ小野アルプスの紅山までは登頂し、そこから粟生駅まで歩いた。
ただ目標がわからない時の不安は疲れが倍増する。市場駅まで行きたかったが慣れない土地なので暗がりで危険なので止めた。
それと小野市阿形町の満願寺川手前でスマ-トフォンの電源がなくなり、最悪である。おかげで粟生駅を間違って遠回りしてしまった。

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JR山陽線曽根駅からスタ-トそこから間違いだらけです。この駅は高砂市です。登山口は別所高校の横の登山
口から入った。(姫路市)ここで既に大きく間違った。10時11分スタ-ト
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高御位山までの低い山からの展望です。幼稚園児などが登っていました。
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岩肌が遠く高御位山もはっきりと見えます。P1170103
遠く山陽新幹線が走っています。
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高御位山の頂上、清々しい。
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頂上から数メ-トル下りた所に高御位神社があります。
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城山という山ですが、山上に立派な赤松城が築かれていたのです。
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小野アルプスの手前の中山という交差点です。この信号を直進して右の山を登りました。
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横からみると勾配が大きいことがわかります。
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眼下には山陽自動車道が見えます。
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小野アルプスはさすがに腰を落として下山しました。結構急勾配です。
紅山から下山しました。ここから遠かった。
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神戸電鉄粟生駅です。
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JR加古川線粟生駅です。
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一度乗りたい北条電鉄粟生駅です。
17時15分の加古川行に乗りました。

「敗北の中から立ち上がることの出来る者こそ、真の勇者である」

最近「眞理を生きる」というのが配信されなくなってしまった。
森田征史先生はどうされておられるのでしょうか?

一度電話して依頼となります。
さて下記は安東先生のご文章です。
勝手に掲載させていただきます。


「真理を生きる」2月号の安東巌先生のご文章をご紹介いたします。

○もうすぐ春の彼岸です。
先日私は、家内の5回忌のみまつりを終えたばかりですが、今年の歌会始の時、召人(めしうど)の永田和宏氏が詠進した和歌に心がとまりました。

 歳月はその輪郭をあはくする
    静かに人は笑みているとも

おそらく奥様で歌人であった亡き河野裕子氏の遺影を詠んだものでしょう。
確かに月日の流れは、逝きし人への悲しみをうすくしてくれますが、〝生きている時、こうしてやればよかった〟との後悔の念と孤独の淋しさは消えてゆかないものですね。
ただその中にあって谷口先生の〝人間神の子、生き通しのいのち〟のみ教えが、どんなにか心を安らげ生きる力を与えてくれたことでしょう。

かつて尊師が80才になられた頃、草創期の弟子達が次々に霊界に旅立った。
その報に、谷口先生は遺族に対して愛深い次の一文を草されました。

「―生命は〝生〟であって死を知らない。人間の霊魂は蚕が繭を食い破って翅(はね)を生じて一層自由の境涯になるように、肉体の繭を必要としないときが来るのである。誰でも肉体が要らなくなると脱ぐのである。悟りによって人生を達観している人であっても、肉眼に見えない世界に移行されるということは遺族にとって悲しいことであり寂しいことである。霊界に旅立った自分の良人や妻を思うにつけても、やるせない悲しみと寂しさに涙する人も、私は人情が深くて美しいと思うのである。愛する妻に先立たれたある人は、四
十九日の満中陰に際して私の家内に電話して来られて、妻の遺愛の品々を見ていると、思わず涙ぐましくなると、妻想いの美しい愛情を電話で愬(うった)えて来られてこんな歌が出来たといわれた。

見るにつけ思ふにつけて胸せまる
      妻が愛でたる品の数かず

 しかし人間は死ぬのではないのである。無くなるのでもないのである。人間はその肉体という物質的繭から脱出することによって一層聖なる境涯に入るのである。―親しき愛する家族又は友人にわかれて悲しみに打ちひしがれている遺族の人たちは『生命の實相』(頭注版第十巻)〝霊界篇〟に収録されているデンマルクの青年劇作家マグナッセンにあらわれた彼の父の霊魂からの通信を読んで頂きたい」

―谷口先生はそうお書きになった後マグナッセンの父が自動書記で送ってきた霊界の歓喜の様子を同書から転載され、次のように結ばれました。

「此の霊界通信の文章は非常に力強く、愛する人を現象界で失った遺族たちには慰めになるものだから、そのような方々は『生命の實相』の原典について是非全文を読んで頂きたいのである(昭和48・8明窓浄机)」

―〝人間は本当に死なない〟永遠なる存在なのですね。

 既にお読みになった方もあると思いますが東大医学部教授で臨床医の矢作直樹先生の著『人は死なない』の中に矢作先生自身の霊体験が綴られています。
こんな内容です。

矢作先生の母親は夫なきあと一人で住んでいた相模原のアパートで風呂に入ったまま孤独死される。
医師である自分が、もっと強く同居を勧めておけばと深い後悔が心に残った。
それで矢作先生は毎晩眠る前に手を合わせて母に詫びていたというのです。
そんなある日、会社経営をしている友人で、霊能力にたけた女性から電話がかかってきた。〝実はあなたのお母さんが、矢作さんのことを心配されて息子と話したいと訴えて来られるのです〟と。
かくてその女性を霊媒として母の霊との交霊会が開かれた。
以下その時の母の霊との対話。

「直樹さん心配かけて本当にごめんなさいね」
「お母さん、私は大丈夫ですよ。ちょっと訊きたいことがあるんだけど、お母さんはどうやって亡くなったの」
「心臓発作らしいの」
「亡くなる前にもっと強く同居を勧めておけば良かったですかね」
「そんな必要はありません」
「でも最期は不自由だったでしょう」
「それは問題では無かったわよ」
(淡々とした、ありし日の母の口調に先生は許された気がしたと言います)
「どうして私がお母さんに申しわけないと思っている事がわかったの。ずっと見てたの」
「そうよ」
「私が毎晩手を合わせていたのも」
「そうよ。とにかく心配しないで」
「わかりました。でも毎月の納骨堂へのお参りは続けていいんでしょう」
「それは、うれしいわ」

このやりとりから、先逝きし親や伴侶は霊界から私達を見守っている事、悔の心は霊界の人の憂いとなる事、でも供養の心は喜びになる事がわかりますね。
谷口先生は、その供養に関して『如意自在の生活365章』で次のようにおさとし下さっています。

「霊界も現象界と同じく唯心所現の世界でありますから、その人の心境に従って、その心境相応の世界に住んでいることは現世と一向異なりません。それゆえ霊界の祖先霊の心境の向上のために〝真理の言葉〟『聖経』を読んであげることは―霊界の諸霊を救済するところの非常な功徳ある法施(真理の供養)となるのであります。」

冒頭でふれたように私は家内の5回忌を終えたばかりですが、その法要のおり聖経『甘露の法雨』に続けて『顕浄土成仏経』を子供達と共に拝読しました。
その途端、さわやかな一陣の風が吹きわたり涙があふれました。
きっと家内の魂が喜んでくれたのでしょう。
その意味で皆様も、この春の彼岸、そして大切な人の命日には是非『顕浄土成仏経』をお読み下さい。



○ 先祖供養に因んで―遠藤周作氏のエッセイに次の一文がありました。

「自分をひそかに守ってくれている者のいる事を信じた一人に有名な文学者小林秀雄がいる。彼は昔、酔っぱらって水道橋の駅から真下に落ちたが、奇跡的に助かった。それを彼は亡くなった〝祖母のお蔭だ〟と書いている。こう言う話をわざわざ書いたのは、当時の科学的、合理主義だけが人生にとって全てではないことを主張したかったからであろう。」

このような体験について谷口先生は〝真理を悟り、神通力を増した祖霊は子孫を加護し厄難を祓って下さる〟とおさとし下さっています。

○ ソチオリンピックで最も感銘したのはジャンプの葛西紀明氏。
彼は19才のアルベールから連続6回五輪に出場したが個人メダルとは縁がなかった。
しかし彼は屈せず、22年目の41才、7度目の五輪にして銀メダルを獲得した。
海外メディアは〝レジェンド(伝説)〟と称え、ロイターは〝日本の至宝〟の見出しをつけ、APは〝悔しくも金にはならなかったが心配いらぬ。彼は4年後も出ると言っている〟と
報道した。
まさに、こころざしの勝利でしょう。
谷口先生の御言葉。

「敗北の中から立ち上がることの出来る者こそ、真の勇者である」

○ 先の東京都知事選に出た宇都宮健児氏は共産党の推薦。
国旗・国歌に反対の人です。
この人物を教団の中心者は、反原発の立場から支持、投票の依頼をしました。
これでも信徒は中心帰一と言うのですか?
谷口雅春先生がご存命だったら、なんと嘆かれることでしょう。
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