則天去私

「谷口雅春」先生の生涯も綴っていきます。

2015年11月

讀んで戴ければ幸甚です。

箕面駅から嵐山駅までトレイル151128

なんとか目標の10時間切りを達成したが課題も多い。やはり脚力の不足である。登りに弱いのはあいも変わらずである。今回も竜仙滝を過ぎてからこむらがえりである。最近夜にこむらがえりになることがある。鉄分不足なのか自力がないのかどちらかであろう。
もう少し平坦の道でもコンスタンスに走ることが課題です。
52kmを10時間と簡単に言われるかもしれないが登りや下りの悪路など平坦とは全く異なります。
最近では10kmを50分ぐらいで走れます。だが山道は階段や下りでの悪路など思った以上に大変です。
それでも今回はダイヤモントトレ-ルでの挑戦が役に立ちました。
来年はウルトラマラソンに挑戦するのとフルマラソンです。今年の大阪マラソンを御堂筋で見て僕にも走れるのではないかと錯覚しています。
この錯覚を持続して行きたいと思います。
今回の縦走も後半でも歩いたり走ったりでしたが、なんとか走れることもできましたので持続できるようにします。またあと30分位なんとか短縮していきたい。
前半のノロイ走りと後半の頑張りが必要です。それとポンポン山の舗装道路の走りにも挑戦していきたい。
課題だらけである。


箕面から嵐駅まで
52kmを歩く

経過タイム

距離

目的地( )内は標高

740

0

箕面駅を出発。(84m)久しぶりの長距離で一ヶ月以上空いた東海自然歩道の箕面駅から嵐山駅までの縦走です。体調はまあまあですが、いつもながら出足の悪い状態です。途中竜仙滝で旅ロガ-と万歩計がおかしくなり正確な時間は写真しかありません。

さて、なんて遅い脚なのかと思いながら、走っていると途中の店のおばさんがしゃべっている、「今年は紅葉の色付きが悪い」

なるほどそういえば悪い。暖かい日が続いた影響かそれは専門家でないのでわからないが確かに悪い。

820

3.6

東海自然歩道の始点の政の茶屋を出発。(285m)この上り坂はなんともない、これも慣れであろう。あまり登山の行ったことのない人にとっては苦痛であろう。最勝ヶ峰で標高の名札がある。こういうのは嬉しい事です。わざわざ懸けていただいた人に感謝です。

850

1.8

開成皇子の墓(最勝ヶ峰(535m))に到着。いつもながら写真を撮り。下りと登りを繰り返します。

912

1.9

北摂霊園(580m)ここから一気にくだりです。最近泉原の湧水に水を汲みに来る人が少ないと思っていたら、一台の乗用車がやってきました。ここからアスファルトが続きます。

940

3.0

府道分岐(370m)。ここから上り坂となります。ここはさすがに歩きです。見晴らしの良い田園地帯に入ると景色が変わります。ここで歩いている人を通り過ごしました。珍しいことです。滅多に人に合うことがありませんから。

1056

2.5

素盞嗚尊神社(325m)ここを通り過ごすと再び鬱蒼とした森林に入る。2箇所の柵を通ります。

1012

1.4

府道出合(355m)環境庁の東海自然歩道の表記がない。業者が取ってしまったようだ。ここから緩やかな登りです。

1021

0.7

上音羽屈折点(380m)忍頂寺までの下りがあります。あまり人が通らないところです。落ち葉が道路を鬱いでいます。

1033

1.6

忍頂寺信号に到着。(315m)階段をのぼり、途中トイレ休憩です。

1117

1.2

竜王山(510m)の展望台に到着。ここで昼食をとった。またお菓子の袋や包装紙やタバコの吸殻がたくさんある。掃除してから出発である。少し長くなってしまった。

勿論ゴミはリュックサックの中です。ここから下りで箕面から嵐山までの縦走をしている人が下りで追い越しされたが、初めての箕面から嵐山までのようだ、早速道に迷っているようである。竜仙滝まで一緒に走った。

1137

2.3

車作大橋(135m)これから竜仙滝を経由して355mの登りを歩く。

1156

2.6

萩谷総合公園にでた、ここは通り過ごした。途中狭い道で小さな橋に車が通ろうとしている。邪魔になったが小さな川を渡り難なく通り越す。

1238

2.0

白滝茶屋(130m)芥川の横にある茶屋である。ここも写真を撮って行き過ぎます。鬼子母神の所で水分補給と購入である。

1305

1.4

原(府道出合)(130m)ここも難なく通り過ごした。なにか神峰山寺で行事を行っているようであるが、この時はわからない。

1315

2.0

神峰山寺(170m)ここの正門で初めて結婚式であることがわかった。先を急ぐ。

1410

3.4

本山寺(520m)トイレ休憩して出発である。最初は登りであるが、あとは快適なトレイルである。ここは今までで一番早く走れた。

1445

2.3

ポンポン山(679m)山頂には珍しく誰もいない。水分補給してすぐに出発。杉谷までだいたい20分で降りれる。途中大学生の集団に出会った。
ポンポン山から嵐山駅まで約3時間頑張ろう。

1507

2.2

杉谷(460m)ここから水平の道である。舗装された道路です。ここも一気に走りきり、墓の墓地?沢山の墓標が放置されている。ここからトレイルであるが快適である。

1528

2.0

金蔵寺(340m)から少し竹林や急坂を歩く。まだ快適に走れる。

1601

3.3

大原野神社の前を通り、勝持寺(花の寺)170m)への参道である。大原野神社では読売新聞主催のツア-を行っている。大きなバスが2台ほど待機している。確かに大原野神社は紅葉が綺麗である。私も数年前に私の友人を沢山誘って見学しました。約20人程です。ここの紅葉は光明寺とともに最高です。

ここも休憩なしでゆっくりだけど走れました。花の寺で45

1628

2.6

沓掛(R9号線)100m)東海自然歩道を歩く。ここもゆっくりだけど走る。桂坂も走った。いつもの桂坂公園もゆっくり走る。だが竹藪では5時前というのに暗い。だが懐中電灯も点けずに一気に走りきった。ここは自分ながら早かった。反対に石ころなど気にせず走ったのがよかった。

1738

8.0

嵐山駅(30m)最後は歩いたり走ったりしたが、目標の10時間を切ることを考えて最後は爆走です。なんとか9時間58分一年越しの目標達成です。

ただもう少し短縮できるような気がしています。9時間30分を切ることが次の目標です。




P1170073
箕面駅
P1170074
東海自然歩道の起点
P1170075
P1170076
最勝ヶ峰(開成皇子に墓のとなり)
P1170077
開成皇子の墓
P1170078
北摂霊園
P1170079
府道出合
P1170080
素盞嗚尊神社
P1170081
府道出合右下に環境庁の東海自然歩道の看板があった。
P1170082
上音羽屈折点です。
P1170083
忍頂寺の交差点です。
P1170084
竜王山展望台から(ゴミを清掃)
P1170085
車作大橋
P1170086
白滝茶屋です。
P1170087
神峰山寺です。
P1170088
P1170089
ポンポン山です。
P1170090
杉谷
P1170091
金蔵寺
P1170092
花の寺の横の紅葉です。
P1170093
こちらの方向が綺麗です。
P1170094
P1170095
沓掛に着いたぞ!
P1170096
やっと嵐山駅です。観光客でいっぱいです。

 

ブログでの個人批判

中仙堂様が『谷口雅春先生に帰りましょう』を去って行かれた。
一時期私も反論でウンザリしたことがありました。いろんな意見があるのはいいですが、相手をヤッツケてしまうような心持ちではいけない。なかには中仙堂様を心待ちに期待している人もおられることは事実なのです。それを自分の自我で否定するような投稿はその他の人を悲しませることになるのでいけないと思います。

ある投稿で「山ちゃん様みたいに自分でブログを作られたいいのでは」そんなこと余計でしょう。私は生長の家以外でも書きますので自分のブログで今は十分なのです。
見たい人は見ていただければ幸せです。
あまり反論はないですが、変な投稿以外は受け付けます。(笑)

こうした意見を求める場合には様々な意見が出ます。とりわけ名前が出ない、顔が出ないので言い放しとなる。自分に責任がないので自由に発言出来る。だから怖さもある。
相手を批評する場合は自分の顔写真位載せろと思う。
そんな勇気もないのに批評するな!

そんな勇気のない人間が意外と偉そうに「ブログ」で書いている。まあ小心者だからこそそんな威張って、虚勢を張るのだろう。
そんな人間は信用出来ない。

私はブログを長年使用しているが、生長の家の信徒でこんな「中仙堂」様を批評するのは悲しい。勿論、生長の家本流でそんなことをする人はいないと信じています。

生長の家の文化活動

2569トキ:2015/11/21(土) 19:32:22 ID:tRWKzptM
 本年度の運動方針を読みました。代表者会議に出席された方から見せてもらったので、
本日になりました。

 問題になっている自転車や園芸のクラブ活動については、それ自体は問題だと思いません。
戦前や戦後のある時期までは、教団の内部で信徒の有志で運動の活動や文化活動をしていた
と聞いております。最近になり、そういうことを嫌う雰囲気になりましたが、それが解禁さ
れるに至ったことは歓迎すべきだと思います。

 問題は、運動方針を通じて、「救済」という言葉が見られないこと、さらには本来、副次的
な存在である文化活動等がメインになっていることです。

 これが問題だと思います。

 なお、教勢の拡大を提唱していますが、本部が山梨の森の中にこもり、本部員が組織拡大と
は無関係の園芸や雪かきに従事している現状では、現場の活動者が教勢の拡大に邁進するとは
思えません。

 「教勢の拡大」を目的とするのなら、従来の環境偏重の路線を変更し、谷口雅春先生の教え
に回帰するのが唯一の道だと思います。

ここに記入されている戦前と戦後では文化活動をしていたと記入されています。どのような活動であるかは記入されていません。
ただ、戦前はそうした文化活動というのは演劇などが多かった。戦後も同様なんです。また戦後になると「神童会」が盛んとなり、それを通じた「紙芝居」やハイキングなどいろんな事をされています。
また、神社仏閣なども盛んに行われたのも事実です。さて、「百万運動」ではどうであったかというと「ハイキング」などもしていました。それでも一年に一回あるかどうかです。
ただ宗教運動ですので「文化活動」でも様々な運動があります。反省会という名のもとでの酒宴も多かった。だからトキさんの言うのはわかりますが別に戦前や戦後だけ文化活動をしていたというのは誤りです。

結構、「百万運動」のなかでも自由闊達に違うこともしていました。多分そういう偏った人の話ばかり聞いているとそうなるでしょうね。それと戦前戦後でもそうでしょうが、私もいろんな話を聞きました。
どうしても過去については美談が多くなるのです。
例えば比叡山で戦前に講習会として五日間寝泊りしながら雅春先生のお話を聞くのですが今でもそうした信徒の熱心な受講に対しては迫力はあります。そういう話も直接聞いたことがあります。
また生長の家青年会大阪教区では「1日見真会」では888名を参集させています。それも青年会会員が多く集まっています。
「神童会」は私の吹田では100名以上の会員でしたから運営する人は大変です。
いろんな事があります。
ただ「雅春先生の教え」に回帰するのは大切ですが、今の雅宣総裁では当然無理でしょう。諦めることも肝心です。
和解も当然無理でしょう。そんな無理なことを言っても仕方ない。
例えば、「生長の家」が「共産党」と和解など出来ないでしょう。それが何故なのか分からなければ理解は不能でしょう。私とトキさんでも論点が違うのでその修復など難しいのと一緒です。

ただ大切なのは無理やり和解することが必要ないということです。何故和解しなければダメなのか。雅宣路線で行きたい人はそれで行けばいいと私は思います。

宗教ゴッコという落差

総裁という人物は自分の嗜好を運動方針にしていくとは呆れる。

最早、生長の家の信仰等は蚊帳の外である。嗜好や趣味をどうしても持っていきたければ、生長の家を辞してからしてほしい。

環境もそうである。信仰を確立してから環境問題を実施すればいいのだが、生長の家の根本的な大調和も出来ていないのであるから、それを実施してから行うのが本筋であろう。何もかも中途半端で信徒も激減している。職員は「殿乱心」には慣れているのかもしれないが、今後全国の教化部で資金的に問題あるところは「殿乱心」どころではない。前回のブログで掲載した運動方針は運動といったものではない。こんなものを真面目に掲載されたら恥ずかしい。

生長の家は光明化を止めて自転車ゴッコかと書かれるだろう。

そういえぼ総裁は宗教ゴッコしていると以前ブログに書いたが、本当に当たっていた。
宗教というものを遊び感覚で捉えて行っているしか思えない。総裁はセレブでいいのかもしれないが信徒で必死に生きておられる人や生活費を削って聖使命会費を支払いを行っている人はどのように思うかを少しでも考えたことがあるのであろうか。
雅春先生の生き様を考えると「三代目で身上を潰す」とは企業ではよく言われる言葉です。
賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ、と言われるが、人間というのはどうも歴史に学ばないようだ。というより、歴史そのものを知らない、あるいは学ぼうとしないのかもしれない。
歴史というのは雅春先生がどのように生きたのかを学ぶことである。しかも生長の家では信徒にその歴史を封印してしまっている。それでは愚者の行いそのものではないか。
歴史を生きることは、今を生きることです。
何やかんやといいながら「今の教え」といいながら「今」を閉じ込めている総裁の愚かな行いを早く止めないと「生長の家」そのものが総裁の「私的」のゴッコに使用される。

この運動方針は宗教組織が行うものではない。

2015年11月19日 (木)

倫理的な生活実践を拡大しよう

 今日は午前9時半から、山梨県北杜市の生長の家“森の中のオフィス”において「生長の家代表者会議」が開催され、海外も含めた生長の家の代表者約370人が集まって、次年度(2016年)の運動方針を確認し、“自然と共に伸びる”運動の進展を誓い合った。私は、全体会議の最後に概略、以下のような挨拶をおこなった-- 
 
--------------------------- 
 
 本日は生長の家代表者会議に、大勢の生長の家の幹部の方々が国内のみならず、台湾や南北アメリカ、ヨーロッパからもご参加くださり、ありがとうございます。心から歓迎申し上げます。この会議は、去る10月26日の生長の家拡大最高首脳者会で決定された来年の運動方針の内容を、皆さまのような生長の家の各地の代表者であり、幹部中の幹部の方々によく知ってもらうための会であります。 
 
 今回、皆さまのお手元にある運動方針は、方針書の表紙に書いてあるとおり、「“自然と共に伸びる運動”実現のための第2次5カ年計画」の「最終年度」の運動方針であります。「最終」などという言葉を使うと、私たちの運動はもう来年で終りかという誤解が生まれそうですが、決してそういうことではありません。これまでの「2次にわたる5カ年計画」が来年で終るということで、10年間の運動に一区切りをつけるという意味です。 
 
 私たちは、ここ9年間にわたって“自然と共に伸びる”運動を実現しようと努力してきたのですが、皆さんもご存じのように、自然尊重の精神は運動や生活の中にずいぶん浸透してきたし、教団内での温室効果ガスの削減も世界的に進んできていますが、誠に残念なことですが、「教勢拡大」にはいたっていません。そこで10年計画の最終年度である来年の運動では、この「教勢拡大」を実現するための方策として、これまでにないものがいくつか盛り込まれています。この方策は、かつては「地域協力体」という名前で実験的に行われた運動の経験を一部取り入れて、それにインターネットの利用を加えた形で方針書に掲げられています。 
 
 方針書の2頁には、「地域協力体」の実験の成果がこう表現されています-- 
 
「モデル実験では、組織を越えて人・情報・ノウハウが地域内で交流し、運動が活性化した」 
 
 また、同じ頁の一番下の段落には、インターネットの運動への利用について、次のように書いてあります-- 
 
「自然と教勢を共に伸ばすため、インターネット技術を活用した迅速かつ広がりのある運動と、居住地域での対面コミュニケーションを重視した運動の両面を展開する。」 
 
 さらに、「第2次5カ年計画」の「“質の高い組織運動”の実現」の第2項には、次のようにあります-- 
 
「幹部・信徒は、インターネット上のソーシャルメディアなども活用して、新たな縁のある人々へ、積極的にみ教えを伝える。また、国際本部はネットを通じてみ教えに触れた人々が地域の活動へ結びつくよう、新しい運動形態を考案する。」 
 
 これらのいろいろの発想や取り組みを土台にして、国際本部がここ“森の中のオフィス”に移転してから初めて登場した行事が、「自然の恵みフェスタ」でした。この行事は昨年の方針書に、国際本部での行事として記述され、今年(第4年度)の方針書では、国際本部に加えて「日本国内の各拠点で可能なところは」という条件付きで実施が推奨されました。そして、今回の方針書では、次のように書いてあります-- 
 
「日本の教区および海外の伝道本部は、“生長の家 自然の恵みフェスタ 2016”を実施し、“自然と共に伸びる”生き方の具体例を地域を巻き込んだ参加者で共有し、体験・体感することで意識のレベルを高めて、“自然と共に伸びる”生き方を拡大していく。」 
 
 この書き方を見れば、フェスタという行事が、海外も含めて、私たちの運動の前面に打ち出されたことがお分かりと思います。では、そんなに重要な行事で、私たちは一体何をするのか? また、その目的は何かが問われます。それに関しては「倫理的な生活者」という言葉がキーワードになります。方針書には、信仰にもとづく「倫理的な生活」とはどんなものかが、具体的に3項目掲げられています-- 
 
 ・ノーミート、低炭素の食生活 
 ・省資源、低炭素の生活法 
 ・自然重視、低炭素の表現活動 
 
 私たちは、この3項目を日常生活において実践していきながら、フェスタではその成果を発表し合う--というのが、今回新しく打ち出された方策なのです。これはまた、かつての「地域協力体」の実験結果を踏まえて、「組織を越えて人・情報・ノウハウが交流し、運動が活性化する」ことを目的とする活動でもあります。 
 
 皆さんには、この点をしっかりと理解されて、来年以降の運動を進めていただきたいのです。さらに、運動方針としては今回初めて登場した3つのグループの名前がありますが、これら3つは、先ほど申し上げた3つの生活実践項目に対応していることは、すぐ理解できると思います。確認のために申し上げると-- 
 
 SNIオーガニック菜園部は、「ノーミート、低炭素の食生活」を実践するための組織です。SNI自転車部は、「省資源、低炭素の生活法」を具体的に進める組織です。そしてSNIクラフト倶楽部は、「自然重視、低炭素の表現活動」の場として作られた組織です。これらは、白・相・青などの従来の運動組織の枠を超えたもので、インターネットを積極的に利用することにより、さらに教区の枠も超え、理論的には国境も超えているという点に、ご注目下さい。私たちは、この新しい運動形態を、経営学の用語を借りて「プロジェクト型組織」と呼ぶことにしました。 
 
 最後に、今回新しく「倫理的な生活者」という言葉が出てきましたが、これをあまり難しく考える必要はありません。簡単に言えば、先ほど取り上げた“実践3項目”を生活の中で継続していく人のことだと考えてください。これは、生長の家の信徒は皆、先ほどの3つの「プロジェクト型組織」に加入しないといけないという意味ではありません。加入は、任意です。しかし、どうせ実践するなら全国の仲間と一緒にやりたい。また、自分はその分野に特に興味があるという人には、どんどん加入して、ノウハウを共有してもらいたい。自転車に乗るよりは、歩くのがいいという人は、別に自転車部に入らなくていいのです。ただ、これらの“クラブ活動”の元になっているのは、生長の家の“自然と共に伸びる”という考え方ですから、それを信仰のレベルからしっかり理解したうえで、各人の得意分野で、あるいは興味のある分野を中心に積極的に表現し、人々にも伝えていくのが目的です。 
 
 “自然と共に伸びる”という意味は、自然ばかりが繁栄して、生長の家の信仰者がいなくなるのではいけません。教勢拡大と自然尊重が共に進展していくということですから、この点をぜひ理解され、地元の信徒の皆さんにも正確にお伝えください。「倫理的な生活者」の具体的姿については、拙著『今こそ自然から学ぼう』の22~23頁、26~27頁などに書かれているので、この点も参照され、教区の方々と一丸となって、また、教区や組織を超えた信仰の表現者として、“自然と共に伸びる”という目標達成に向かって力強く、明るく運動を展開してまいりましょう。 
 
 それでは、これで私の挨拶を終ります。ご清聴、ありがとうございました。 
 
 谷口 雅宣 


私はどうしてもわからないのです。
下記の要目がどうして信仰に結びつくのかわからない。
いやいや、結びつくのだといえば、「風が吹けば桶屋が儲かる」ような図式でも人は納得するんだというような事になっているのではないか。
またこれがどうして倫理的なのかもわからない。
倫理とはつまり「道徳」です。
食生活を道徳と言われても困るのです。
例えば質素に暮らすは別に道徳でもない。
ノ-ミ-トと書いているが鶏肉はOKのようだ。これこそ倫理観に反しているのではないか。
とりあえず、項目をみてみよう。
 ・ノーミート、低炭素の食生活 
 ・省資源、低炭素の生活法 
 ・自然重視、低炭素の表現活動 

自然重視と書いているが、どこが自然重視なのかわからない。
私は現在自然豊かな所で仕事をしているが、自然重視なのでもない。それよりも人間がそうした自然溢れる場所に移住することにより、大きな自然破壊を危惧している。

年に数回「鹿が交通事故」で死んでいる風景、猪もしかり、狸やイタチもしかりである。

また、メガソ-ラによる環境破壊は年を追うごとにひどくなる。使われなくなった田んぼをメガソ-ラに利用している所が急に多くなった。環境にとっては最悪である。人間のエゴしかその風景は感じないからである。
多分、都会に住んでいたらそんなことわからないと思います。
また交通の利便性のため、田舎に住んでいたら一家に2台の車を所有されている家も多い。
自然重視という言葉など所詮飾り物で付けている。

環境破壊というのは人間のエゴから生じている。つまり人間の感覚だけで自然を相手にしようとする傲慢でしかない。
例えば、動物が増えすぎて困っている農家が多い。それはインタ-ネットを開いてもらったらすぐにわかります。
全国どこでもそうです。とりわけて「鹿、猪、アライグマ」などは本当にすごい頻度で増えています。
このような動物は人間のすぐ近くで住んでいます。そういう適応能力があるんですね。
人間が高速道路を建設したりするため「動物が追われてしまう」のです。防護ネットのため鹿がそれに絡みついて死んでいたりする。人間の食べ残しを荒らしたりするのは、そういう動物の生活地域に人間が住んでしまうからです。
また、自然豊かといいながら「ケモノ道」に人間が入ってしまうからです。

低炭素といいながら、自転車に乗るのは別に低炭素でもなんともありません。私も以前は自転車で毎日50kmは乗っていましたので自転車野郎でした、しかも何年間もです。しかしこれは信仰とはまったく関係ありません。宗教が組織を挙げて運動方針として行うものではありません。

またトレッキングするのも別に低炭素でもなんともありません。なにか大袈裟すぎるんですよね。
自転車は利便性で使用する人がほとんどです。ただ自転車をロ-ドサイクルとして利用している人も増えているのも事実です。
また、自転車つまりMTBで自然の野山を駆けるのは自然環境を守っているかは疑問です。
どういうことかというと、人間が齷齪として山に登りますが、それと同じ場所を自転車で登る人がいる。結構そういう自転車があり、マウンテンバイク(MTB)ですが、タイヤが太く大きな自転車で野山を走っている人がいますが、階段の丸太が破壊されたり、土守しているところが自転車で刳られたりしています。

低炭素は組織ある宗教が行うものではありません。都会暮らししていた人間が田舎に暮らしているだけに過ぎない。自然破壊している人間が時代のの恩恵を受けているのですから、本当に田舎暮らししたいのであったら、時給自足で電気もない石油もない、明治時代に逆戻りして生活してこそ、本来の田舎生活です。

しかしそんな明治時代のような生活を出来ないことはわかっています。ならば低炭素など大袈裟な文言は失笑ものにすぎないことを感じてほしい。


また総裁の趣味だけでこんなことを行われるのは宗教が「カルト化」しているに過ぎない。だれかが注意しなければ自己の趣味を宗教に今後取り入れられるであろう。
それをカルト化しているということです。




「指導者の権威主義に関するチェックリスト」「マインド・コントロールに関するチェックリスト」
「排他性に関するチェックリスト」「被害に関するチェックリスト」の4項目に分かれています。


               1=当てはまらない。
               2=どちらとも言えない。
               3=少し当てはまる。
               4=当てはまる。
 


指導者の権威主義に関するチェックリスト
指導者は、「私は特別に神から選ばれた者である」、「私は神の代弁者である」、「私は特別に神に近い関係にある」と主張する。
指導者は信者に対して、「あなたは霊的子どもだし、何もわからない。だから、私の言うことを聞きなさい」と口癖のように言う。
指導者は絶対的存在とされて、指導者に対する従順(もしくは、不従順)は、神に対する従順(もしくは不従順)とみなされる。
メンバー間で指導者についての意見や見解を述べる自由がない。
指導者の方針に対して反対意見を述べると制裁が加えられる。
指導者は信者の質問を受けようとせず、逆に怒る。
指導者は人の意見に耳を貸さない。
組織の重要事項に関する決定権は、指導者が握っている。
メンバーの結婚、就職、住居等について指導者が握っている。
10自分の主権を尊重するよりも指導者を崇拝する(過剰な敬意を払う)ように教育している。
11指導者はグループの規約を無視している。
12指導者の教えと実生活とに、矛盾がある。
13指導者は一般の信徒よりも特別裕福な生活をしている。
14ごく一部の幹部やリーダーだけが組織の利益や特典を受けている。
15幹部やその子どもなどの特定のメンバーと、一般のメンバーとの間に権利や待遇において差別がある。
     引用: 「教会がカルト化するとき」(ウィリアム・ウッド著 いのちのことば社発行) 著者承知



『優良児を作る』

『優良児を作る』-子供を教育する人の聖典-
この本は昭和15年5月25日に発行されています。
現在のはしがきにも記入されていますが、これと少し遅れて『おはなし読本』-いのちの巻-が昭和15年7月15日に発行されています。
前後しますがこの『優良児を作る』の改訂版が昭和17年11月20日に発行されているのです。
P1170019

それではその違いは

第七章 上級学校入學上の注意 旧 谷口教育學の實践を語る
が省略されています。

戦後版ははしがきなどの内容を変えています。
この『優良児を作る教育』は当時でも50版を越える程、沢山の人に読まれていた本です。

谷口雅春先生年譜

私は『生長の家五拾年史』の発刊された二年程前に本部原宿に用事で行った時にその当時『生長の家五拾年史』を編纂している時でもあった。その当時ワ-プロなどの全盛期でそれを使って『大阪青年会の歴史』を書こうとしていた頃である。しかしその当時阪田先生に怒られた記憶がある。それは簡単にワ-プロなど使用して行おうとするのはその精神がいけないと言われた。

その当時は何故怒られたのかわからなかった。しかし自分で整理して纏めるのを手書きで書くようにしたのが「谷口雅春先生年譜(年代)」である。2回全面修正したのも手書きであった。
しかし、それでもこれは年譜ではないといわれた。
判版や頁数なども記載されていない、発行年代だけであるといわれた。
そこからそれも調べることになった。年数は40年近くかかり、それでもまだまだである。
それと同時に谷口雅春先生の著作を通しての年譜も書きました。戦前と戦後との『生命の實相』の比較も記入しました。また目次も記入しました。

私は阪田先生がどうして手書きの重要性を説かれたのかというのが書いて初めて分かりました。それは自分の脳に記憶するのです。簡単にパソコンで記入しますが、やはり手書きで行うのは自分の脳に刺激を与えるのであります。

三年程前ですか、私は初めて阪田先生から褒められたのです。別に褒められるために行ったのではありませんが、「よくここまで調べたものである」と感心された。

今回、谷口雅春先生年譜(著作集ではありません)を送信します。著作集もありますが年譜も含み190頁もあります。これは一度軽印刷しようと考えています。

いずれはもう少しきっちりとまとめます。

それと『生命の實相』が売れていないということを書きましたが、私はそれに対してアイデアも提供しています。
それは雅春先生が行われたことなんです。
以前に『大聖典』を出版されたらどうでしょうかと提案しました。しかし何の返答もありません。
それでは「パンフレット」などでもう少し宣伝されたらどうなんでしょうか?
『生命の實相』を抜き書きして「小冊子」として頒布する。
何冊かすることにより効果はあります。

でも「学ぶ会」からは返事などは返ってきませんでしょう。あまり期待はしていません。

「喰はず嫌ひは一生の大損」

昨日、ある古本屋で『生命の實相』愛蔵版二十巻が売られていた。15000円だが是非誰かに購入して欲しい。またその同じ本屋で頭注版『生命の實相』も売られていた。同時に古本屋で見るのも珍しい。
誰か欲しい人はお知らせしますので購入してください。但し頭注版は少し痛みがあります。価格は表示されていませんでした。

さて、その古本屋と違う古本屋で橋本徹馬氏の本を購入した『紫雲荘百話』という本です。
昭和16年に発行された本ですから生長の家立教されて11年です。そのなかに生長の家と表題するところがあり、そこを読んでみると
「喰はず嫌ひは一生の大損」というタイトルです。
生長の家という存在を知らないで私は大損したということなのです。
橋本氏は昭和16年の5、6年前に誰かからわからないが「生長の家」という雑誌が送られてきたのだが、東京や大阪ではなく兵庫の住吉というところであったため、何回か送られてきても屑籠へと処分した。
どうせそんなに大した事のない雑誌だと思っていたためそうした親切で送ってくれた人の気持ちを無視していた。
それは自分(橋本氏)は畢竟眞理を求めることに素直ではない一種の独善であり、傲慢になっていたということなんです。それは眞理を志す者としてこんなに恥ずかしいことはない。
それを「喰はず嫌ひは一生の大損」なんです。

生長の家の『生命の實相』を読まないで谷口雅春先生の眞理の宣布されようとした志などわかりようがないのです。だから橋本氏も『生命の實相』を読まない人は傲慢にかかっている気の毒な人と揶揄している。
『七つの燈台の点燈者』という「わが救」の「わが」とは宇宙の創造神のことをいうのである。
むつかしい眞理をわかりやすく説いているこの『生命の實相』を読んで欲しい、また聞いて欲しいと云っているのです。
また『甘露の法雨』の智慧の解釈は素晴らしいと書いています。
凡そ人類の智慧に就いて、これほどわかりやすく言い現した人はいないともいっています。
また「實相を観ずる歌」は悟道の極致と書いています。
いままで『生命の實相』は当たり前のように自分の書棚にありますが、これほど凄い書物はないのであると、観じることが必要であると私も「一生の大損」をした一人である。

追補 谷口雅宣教団の三十年暗黒史

破邪顕正さんが谷口雅宣教団の30年暗黒史というのを追補された。

私はこれを見て、生長の家信徒は現教団のおかしさに気づかなければならない。谷口雅春先生の御意志を踏みにじる行為を平然と行っていることに・・・

たとえば、生長の家立教使命と記入していますが、それは現教団の掲げる生長の家の一部分だけを指して云っているだけにすぎないことなんです。
生長の家立教の使命を知ろうとすれば『生長の家五拾年史』を熟読しなければわからないのです。何故人類を救おうとされたのかがわからないのは読んでいないからなのです。
立教の意義と人類をどのような方向に救いたいとされたのかをやはり知らなければいけない。それは信徒として必携でもあります。
それでは掲載させていただきます。

《谷口雅宣教団の30年史》27/11/14改訂 - 破邪顕正

2015/11/14 (Sat) 17:18:40


戦後70年の節目にあたり、谷口雅宣総裁が教団に乗り込んできてからの30年史をまとめてみました。

これまでに発表したものに、最近の重大な情報を追記しております。

今の教団がオカシイと思い始めた信徒の方に、その淵源がどこにあるのか。

この30年の歴史を俯瞰して考察していただければと思う次第です。


<生長の家教団の変質を綴る30年史>


○昭和58年…「生政連」解散(活動停止)(総裁は、当時、生長の家理事)

○昭和59年…「日本を守る国民会議」脱退

※愛国運動からの事実上の撤退!谷口雅春先生はその前身である「日本を守る会」の結成において「生長の家の一つや二つ潰れてもかまわない」とまで仰いました。生長の家は祖国・日本のためにこそあるとの尊師のご覚悟を垣間見る思いが致します。

○昭和60年6月17日…谷口雅春先生ご昇天
        「實相無相光明宮大真理説授正思惟大聖師」

○昭和60年…青年局(青年会中央部)解体

※谷口雅春先生の教えに純粋に生きようとして青年会運動を牽引していた当時の青年会長等が次から次と処分を受け、青年局が解体される。これ以降、青年会組織はみるみる弱体化していくこととなります。

○平成元年…「両軸体制」のスタート

※このときに、谷口雅宣・広報編集部長(当時)は、「神誌」という呼称を否定し「普及誌」とします。「普及誌」には、谷口雅春先生のご文章が殆ど掲載されないということになりました。ここに谷口雅春先生否定の萌芽を見ることができます。

○平成2年…『理想世界』誌上に「ネットワーク考」を連載
      大東亜戦争侵略論を展開(11月、副総裁になる)

○平成3年…「宇治盂蘭盆供養大祭精霊招魂神社大祭祝詞」の書き換え

※『聖霊天降る宇治』の巻末には「祝詞集」が収められています。その217頁の「尽忠の精霊に告ぐる詞」と219頁の「精霊招魂神社大祭祝詞」とを読み比べると、両者の違いがはっきりとわかります。
 そこには、谷口雅春先生と谷口雅宣総裁との「大東亜戦争観」の違いが如実に示されています。即ち、後者には、大東亜戦争における日本の使命、役割が見事に剥落しているのです。意図的に削除されたとしか言いようの無い重要な文言を前者から抜き出すことにします。

「…今や人類進化の一周期の終りにのぞみすべての人類は その皮膚の色彩の相異にかかわることなく平等の尊厳を恢復し平等の取扱いを受け その国土は独立し万民平等の自由が確保せらるべき理想実現の時期が近づきたりしがこの理想実現のためには 何れの国の民族かが尊き犠牲となって有色人種に“神の子”の実相を自覚せしめその独立精神を喚起せしめる天使たるの役割を演ずる必要ありしなり…」

 谷口雅春先生は、ここにおいて、はっきりと大東亜戦争における日本の役割を「天使たるの役割」と仰せられたのです。
 ところが、谷口雅宣総裁は、この箇所が気に入らなかったのか、全部、削除しています。大東亜戦争を“侵略戦争”と位置づける谷口雅宣総裁にしてみれば、それはとても容認できることではなかったのです。こうして、祝詞は改竄されてしまいました。そして、それを知られたくないと思ったのか、その証拠を抹殺するために、谷口雅宣総裁はこの「祝詞集」が収められた『聖霊天降る宇治』を絶版に処したのです。

○平成4年…谷口雅春先生『新刊書』の発行停止、既刊書重版停止
     (「内容上の理由」32点…事実上の絶版)

※平成4年7月15日、渋谷東急インでの取締役会(中島省治、鈴木卓朗、宮本三男、永井光延、辻信行、谷口雅宣、三浦晃太郎、磯部和男の8名)
 この「取締役会」で暗躍したのが、言うまでも無く、「谷口雅宣、三浦晃太郎、磯部和男」の3氏であります。「日本教文社」の社外取締役でしかない3氏が、裏で示し合わせて、谷口雅春先生の『新刊書』の停止へともっていったのです。そのときに言われたのがこの言葉です。
“谷口雅春先生の『聖典』はもう古い”
 この会議に谷口雅宣総裁がいなかったら、絶対に、この決定はありえないはずのものでありました。つまり、今から思えば、このときに、「日本教文社」は、この社外取締役3氏によって乗っ取られ、骨抜きにされ、魂までをも奪われてしまい、その社会的使命を終えたのです。

※ご存知のように、谷口雅春先生は毎月、『神誌』に数多くの原稿を書いておられました。それらを編集して、様々な『聖典』が発刊されてきたわけですが、それでも未収録のお原稿がまだまだたくさん残っております。ある人に言わせれば、それらを編集すれば優に100冊を超える新刊書が可能だといいます。
 だからこそ、この決定を見る前には、理事会で毎年、谷口雅春先生の新刊書を数冊、出版していくということが決まっていたのです。
 それをしも、このような強引な手法、強権発動によって新刊書を出さないという決定へともっていったのです。
 それを誤魔化す意図があったのでしょう、今では、谷口雅春先生の既刊書のリニューアルという形態にして、谷口雅春先生の『聖典』を出版しているというポーズだけはとっているということなのです。

※谷口雅宣総裁が谷口雅春先生の『聖典』を絶版にすること、またはその『新刊書』を発刊停止にすることに、どれだけの執念を燃やしたかは、日本教文社の社外取締役に就いたことがすべてを物語っています。
 つまり、日本教文社を押さえ込みさえすれば、あとは何とでもなると思ったというわけです。そして、念には念を入れて、生長の家理事会では、聖典の出版については、それまで審議事項として取り扱われていたのに、すべて報告事項に変えさせました。審議事項にすれば、その出版について、理事からの様々な意見や注文があると考えたからです。
 しかし、報告事項にしてしまえば、いろいろと言いたくても口出しできない。株式会社である日本教文社が決定したことに、教団側から、異議を差し挟むことは筋が違うということになるからです。
 敢えて、そこに狙いをつけて、谷口雅宣総裁は、日本教文社を自分の言いように操るために、社外取締役として入っていったということです。

※絶版処分の本当、本音の理由とは?

①大東亜戦争を肯定する内容の『聖典』は絶版に

 その代表とも言うべき聖典が『神ひとに語り給ふ』です。この聖典は、「はしがき」に『本書は生長の家発祥以来の神示のうちの教への中心となるもののみをあつめて「教の巻」としたのであり』とあるように、生長の家の教義を知る者にとって、決して外せないものの一つであるはずです。そもそも、生長の家の教えの代名詞ともいうべき「大調和の神示」についての講義もまたここに収録されているのですから。
 ところが、この聖典すらも絶版処分の憂き目にあってしまいました。本書の中に「大東亜戦争の意義」と題して次のように記されているからです。「私は別に戦争を謳歌するといふわけぢやないのですけれども、起るべくして起つてゐるものを、日本民族の侵略だと言ふのは間違なのであります。」(294頁)
 これが「侵略論」を採る谷口雅宣総裁には看過し得なかったということなのです。たとえ「神示」であろうとも、自分の考え、思想に合わない、不適切と判断されたものは世には出さない、それが谷口雅宣総裁の方針だということです。自分の考え、思想が「神示」に優先する。そういう考えが、今日の「ご祭神」の変更にまで及んでいると私は見ています。

②「占領憲法」を批判した『聖典』は絶版に

 谷口雅宣総裁が、「占領憲法」を擁護する、所謂“護憲派”であることが明確になりましが、それは本部に乗り込んできたときからの一貫したものでした。
 それゆえに、谷口雅春先生の「占領憲法」を批判する『聖典』も絶版とされました。

③「生長の家」の歴史を覗わせるものも絶版に

 革命家がまず為すことは「歴史」を封印することから始まるといいますが、谷口雅宣総裁も同様のことをやりました。それが端的に表れているのが、生長の家の30年史、40年史、50年史の絶版です。
 更に、谷口雅宣総裁は、『明窓浄机』まで絶版にし、あまつさえ、昭和35年以降の『明窓浄机』の出版を止めてしまいました。
 これについては、当時、日本教文社社長であった中島省治代表の証言がありますから、これは間違いのない事実であります。
 昭和35年と言えば、日米安保で日本が大きく揺れた時代であり、それ以降、谷口雅春先生の愛国の至情あふるるご発言がどんどん発表されていきます。
 谷口雅宣総裁は、そういうものが発表されることを悉く嫌ったのだと思われます。

④自分を脅かす存在を排除するために

 絶版聖典の一覧表で、異彩を放っているのが、『奇蹟を生ずる実相哲学(下)』
であります。つまり、その上巻は発刊されているのに下巻だけは絶版にされている…。その理由は、下巻の「はしがき」に、谷口雅春先生が、宮澤潔先生と「朝の神想観を倶にすることにした」と書いておられるからであります。谷口雅春先生から直に指導を仰いだことのない谷口雅宣総裁にとって、これは実に都合の悪い話だったということなのです。

○平成5年…「国際平和信仰運動」を提唱

※これ以降、「日本国実相顕現運動」という言葉が事実上、消えてしまいます。その際のスローガンが“国をこえ、民族をこえて”であります。

○平成7年…「国際平和信仰運動」のシンボルマークとして
      “鳩葉っぱ”のマークが制定

※「聖旗」の“光輪卍十字架”のマークが「ナチス」を連想させるという名の下に、これが制定されました。

○平成11年…谷口雅宣氏総裁代行

※谷口雅春先生を心から慕う信徒を「原理主義者」としてレッテル貼りし、そういう幹部・信徒がどんどん左遷されるようになります。

○平成12年…ISO14001取得の提唱

※ここから、環境保護運動一本への傾向が強まります。

○平成13年3月7日…蔡焜燦著『台湾人と日本精神』を「日本教文社」が一方的に回収する方針を出したことにより裁判に

※谷口雅宣総裁は〝親日派〟の書物が気に入らないのです。それは、平成26年、呉善花先生を生長の家栄える会の出講講師リストから突然、外したことにも顕れています。〝親日派〟であることが理由で講師として呼ばれなくなるというところに、今の教団の本質があると言えます。
 
○平成13年…「参議制度」が新設

※この規約改正によって、谷口雅宣総裁が金も人事も握る権力を有することになります(教団完全支配)。
 この制度がどんな経緯で誕生したのかを解説しておきます。
 話は、平成12年5月2日に遡ります。
 ここで、谷口雅宣総裁は自分の意向に添った理事の選出を図ります。
 ところが、教化部長の多数決により、総裁の意中の人物の殆どが落選します。
 これに腹を立てた谷口雅宣総裁は、自らの意向がストレートに反映する機構改編に着手します。
 それが「参議制度」の導入でありました。
 この「参議制度」というのは、分かりやすくその本質を指摘すると、教化部長の多数決を経ないで、自分の意のままに参議として任命できるという制度です。しかも、それを「最高首脳者会」として生長の家の意思決定機関とし、ここで教化部長の任免の決定権を持つということにしたのです。
 これが通れば、谷口雅宣総裁に反対を唱える理事及び教化部長は徹底的に排除され、イエスマンのみを本部の役職者とすることが可能となります。
 平成13年11月20日、志ある教化部長が立ち上がり、公然とこれに反旗を翻しました。
 その結果、この案は、継続審議となります。
 この結果にまた腹を立てた谷口雅宣総裁は、平成14年1月の教化部長の定期異動において、反対した教化部長の多くを左遷、及び更迭します。
 この報復人事を目の当たりにした教化部長は、平成14年1月22日、雪崩を打って、賛成する側に廻ります。
 これで勝負あり。
 以降、この「参議制度」の導入により、谷口雅宣総裁の独裁権限が大手を振って罷り通ることとなっていくのです。
 金も人事権も握られたら、谷口雅宣総裁に抵抗することはもはや不可能です。
 平成13年から14年にかけてが、生長の家教団が大きく変質する、その一つの大きな転機であったということができます。

○平成15年…“森の中のオフィス”構想の発表

※このとき谷口清超先生は「原宿の本部を移転することはまかりならん」と言われたと言います。

○平成15年7月16日…教修会において“法燈”は既に継承されていたと発表

※本部講師(補)対象の教修会において、谷口雅宣総裁は、“法燈”は副総裁に指名された時点で既に継承されていたと発表します。これ以降、“法燈”継承者である谷口雅宣総裁に「中心帰一せよ」という動きが顕著になっていきます。
 また、大東亜戦争侵略論が教団の公式見解となったのもこの教修会でありました。

○平成16年…「新教育者連盟(新教連)」を教団から切り離す

○平成18年…総本山の「鎮護国家特別誓願券」の書き換え

※「鎮護国家」を外し「世界平和」が入ります。その後、平成26年、総本山の手水舎の柱からも「鎮護国家」の文字が消され「世界平和」に替えられます。

○平成19年…環境保護運動が本格化

○平成20年…「誌友会」のテーマが「絵手紙」「ノーミート料理」等カルチャー化が顕著に

※宗教本来の「魂の救済」が脇においやられ、環境問題ばかりが強調されるようになり、「誌友会」もカルチャー化の一途を辿るようになります。

○平成20年10月28日…谷口清超総裁先生ご昇天

※諡号に「大聖師」が入り「實相無相光明宮弘誓通達大慈意大聖師」。「大聖師」は谷口雅春先生のみ、という谷口清超先生のお考えは無視されました。

※谷口清超先生のお通夜で、荒地浩靖先生、宮澤潔先生の出席が拒否される。この時、お二人を出席させようとした谷口恵美子先生に対して、谷口雅宣総裁は「アンタ」呼ばわりする。こののち、谷口恵美子先生は、子供や孫、友人の方と自由に会うことができなくなり、所謂、軟禁状態におかれます。あまつさえ、毎月、家賃等で100万円(うち40万円は家政婦代として)を徴収されることとなります。

○平成21年…「朝日新聞」を推奨し、民主党支持を表明

※「産経新聞」に代わって「朝日新聞」を読むよう、信徒に薦めるとともに、「自民党」を猛烈に批判し、「民主党」支持を表明して、教団の左旋廻がいよいよ明らかになりました。

○平成22年…「四無量心を行ずる神想観」ニューバージョンの発表

○平成22年…宇治別格本山の盂蘭盆大祭での「霊牌」焼却をやめ、燻炭化

※「霊牌」のいわばミイラ化です。CO2削減のためが表向きの理由でした。

○平成23年…「総本山は聖地ではない」と発言(谷口雅春先生26年祭にて)

○平成24年…『大自然讃歌』『観世音菩薩讃歌』を発行

※「聖経」を補強する必要があるということで創られます。最初は、「聖経」に取って代わるものではないと言われていましたが、今では、どんどんこの「経本」の読誦が行われています。

○平成25年5月27日…『生命の實相』等の著作権裁判の最高裁判決において、教団側の完全敗訴が確定

※『生命の實相』、「聖経」等の著作権は「公益財団法人生長の家社会事業団」にあることが法的に確定いたしました。これにより、教団は、『生命の實相』も「聖経」も失うこととなりました。

○平成25年5月30日…「ご神像」の撤去、“森の中のオフィス”へ移転

※「ご神像」は汚い毛布にくるまれクレーンでつりあげられ、作業員の土足にふみつけられました。移転に祭し、教団は何の儀式も執り行いませんでした。

○平成25年…会則の変更

※「栄える会」の会則の目的から「本会は聖典『生命の實相』の精神を信奉し、―世界的視野に立つ有為な産業人の養成を図る」の部分を削除。
「教職員会」の会則の目的から『人間神の子の実相』『日本国の実相』『天皇の実相』を顕現し真に平和な世界の建設に寄与する」の部分を削除。

○平成25年…安倍首相の靖国参拝を批判

※中国・韓国の反発を招いたとして安倍首相の靖国神社参拝を猛烈に批判しました。

○平成26年2月…東京都知事選挙で、共産党が推薦した宇都宮候補を支持

※「日の丸」「君が代」に反対の共産党推薦候補を支持すると表明した総裁は、明らかにサヨクであることがこれで明らかになりました。

○平成26年3月1日…総本山で執り行われた「立教記念式典」において「実相額」が覆い隠される

※国旗「日の丸」も「聖旗」も掲げられず、国歌「君が代」の斉唱もなし。ただ、壇上には「鳩葉っぱ」の旗のみ。その上、顕齋殿が土足履きになりました。

○平成26年4月3日…「神武天皇陵遥拝式」後の「大日本神国観」が「基本的神想観」に変更

※総本山では、4月3日、この日に、神武天皇が崩御されたことをお偲びし「神武天皇陵遥拝式」を執り行います。そして、その後は、「大日本神国観」を実修するということが長年の伝統でありました。それが谷口雅春先生のご指示だったからです。ところが平成26年から「基本的神想観」に変えられました。

○平成26年4月…谷口恵美子先生が高知へ逃れられる

※谷口恵美子先生は「成年後見制度」を強要されて、通帳と実印とを取り上げられる。そして、谷口恵美子先生は軟禁状態のお山から高知の宮澤先生ご夫妻の元へと脱出されます。

○平成26年5月14日…神聖な礼拝対象である谷口雅春先生ご揮毫「實相」(本尊)と「光輪卍十字架図」を商標登録する

※「谷口雅春先生を学ぶ会」に対して、今後、「實相額」と「聖旗」を掲げての宗教行事は、商標法違反であるから許さない、法的措置をとると通告してきました。これは、谷口雅春先生の御教えを信奉するすべての信徒の方々の信教の自由(宗教儀式執行の自由)を圧殺する不当な言いがかりであり、これにより、またまた裁判が行われることになりました。

○平成26年5月…「原宿本部会館」の解体が始まる

○平成26年9月27日…「大調和の神示祭」が廃止となる

※これにさかのぼること、5月より「神示祭」が廃止となりました。この「神示祭」は谷口雅春先生のご指示により執り行われてきたもので、この廃止はまさしく谷口雅春先生のご意思を踏みにじるものであります。

○平成26年10月25日…「天女山ヒルクライム」

※「自然の一部である肉体に感謝し、低炭素のライフスタイルと“無限力”の表現ができる自転車が注目され、自転車ライフを楽しむ」(教団ホームページより)ことを目的として開催されました。
 これが心ある信徒の顰蹙を買ったのには理由があります。ある教区の地方講師が、誌友会でこういう発言をしました。「人や国を救っているヒマはない。今や、地球環境そのものが危ない。地球が滅んだら、人も国もなくなってしまう。だから、地球環境を護る運動に必死にならないといけない」
 これが単なる地方講師の個人的見解でないことは、生長の家の公式サイトを見れば一目瞭然です。「なぜ生長の家が環境問題に取り組んでいるのですか」という問いに対して、こう回答しているからです。
「〝人間は神の子であって素晴らしい〟ということがいくら多くの人に伝わっていっても、その時に、環境破壊が進み地球に住むことが出来なくなっていてはもともこもありません。」
「生長の家」は曲がりなりにも宗教団体であります。にも関わらず、「魂の救済」を放棄するというのですから、自己矛盾、自己撞着も甚だしいと言わざるを得ません。
 第一、これは、「神示」にも真っ向から反します。『「いのちのゆには」の神示』にかくあるからです。
「人ひとりでも救うのは神の前に大いなる仕事である。此の事はだいじである。」
 人を救ってこその宗教ではないのか。
「人や国を救っているヒマはない」と言いつつ、誌友会では絵手紙やノーミート料理に興じているのも肯けません。あまつさえ、ここに示されているように、総裁以下、教化部長や幹部等が「天女山ヒルクライム」などという自転車競技に現を抜かしているわけです。それほど、地球環境の保護が大事だと言うのであれば、そういう時間を割いてでも、そのための奉仕を本気ですべきではないのか。どうも言っていることとやっていることとが違い過ぎるのではないのか、そう思えてなりません。

○平成26年…「集団的自衛権」に反対を表明し、改めて「大東亜戦争」を否定し「占領憲法」を「平和憲法」として擁護する立場を鮮明に

※谷口雅春先生は「占領憲法」を一貫して批判してこられました。しかし、谷口雅宣総裁はこれを「平和憲法」として擁護する旨をはっきりと表明しました。谷口雅春先生の思想・信条とは全く相容れないのが谷口雅宣総裁であることが、これで明らかとなりました。

○平成26年11月21日…総本山の「ご祭神」が変更になり、「宇宙浄化の祈り」が廃される

※「ご祭神」が、「住吉大神」のほかに「天之御中主神」「高御産巣日神」「神産巣日神」が加えられました。これは、明らかに谷口雅春先生の「教え」に反するものであります。
 昭和15年4月、「宗教結社生長の家」が生れた際、本尊について、次のように「奉齋主神」が明記されます。

>道場又は集会室に特に顕斎せる主斎神又は安置仏なし。心に幽斎する主神としては宇宙大生命(その幽の幽なる神として天之御中主神、幽なる神として天照大御神、現人神として天皇)を礼拝す。宇宙大生命は宏大無辺にしてその仁徳一切に及び一切を包容するが故に、各自は祖先伝来の宗教を信じ又は自宅にて如何なる斎神又は安置仏を奉ずるも差支えなし。宇宙大生命の道を顕揚し、日本国威を発揚し、皇威を顕揚する。道(みちびき)の神として心に幽斎する副神として生長の家大神(古事記、日本書紀に顕れたる住吉大神即ち後に塩椎神(しおつちのかみ)、仏典に顕れたる釈迦観世音菩薩及びその応化仏、基督(キリスト)教の黙示録第一章に顕れたる七つの燈台の点燈者を礼拝す。宇宙大生命は宇宙生命の根本実相にして、宗教に偏らざる哲学的表現を用ふれば「生命の実相」なり。この意味に道場又は集会室に、「生命の実相」又は単に「実相」の掛軸を掲出する事あり。<

 これについての解説が、谷口雅春先生著『神の真義とその理解』(102~103頁)に記されています。

>さて吾々生長の家の団体では、心に宇宙大生命(みおやのかみ)を祭るのであります。その宇宙大生命と云う文字の下に括弧して、「(ソノ幽之幽ナル神トシテ天之御中主神、幽ナル神トシテ天照皇大神、現人神トシテ天皇)ヲ礼拝ス」と書いてありますが、「幽」とは「幽玄」の意味であって、現象の幽(おく)の幽(おく)にましますところの大実在として、日本の称名(よびな)を以てすれば天之御中主神と申上げる大神であります。…天之御中主神は斯くの如く、幽(おく)の幽(おく)の大実在であられますが、この宇宙の大神が、依然として幽玄にましまして、吾等の思慮の及ぶところではございませんが、幽之幽なる天之御中主神よりも一段ハッキリと、『日本書記』に録されたる通りの「光華明彩六合(ひかりうるわしくりくごう)に照徹れる」神として顕現あそばされたのが天照大御神であらせられ、更にその天照大御神様が御肉体を以て現人神として現われていらせられる神様として天皇を礼拝する―これが生長の家誌友が心に主斎する神様でございまして、御宮のような眼に見える形で御祭りするのではありませんから幽斎と申すのであります。即ち吾々は天皇様を宇宙大生命の全徳の御顕現としてそのまま現人神として拝し奉るのであります。歴代の皇霊に対して尊崇を捧げるのも同じ意味であります。<

 ここに「御宮のような眼に見える形で御祭りするのではありませんから幽斎と申すのであります」とありますように、「御宮」の「御祭神」にはなじまないのが、「天之御中主神」なのであります。
 さて、このことの重大さを知るためには、なぜ、谷口雅春先生が総本山をご造営になさったのかを知らなければなりません。
 当時、総本山のご造営に、信仰的な面から反対の声があがりました。「神示」に「吾れに神殿は不要である」とあったからであります。それに対して、谷口雅春先生はどうお答えになられたか。

>宇宙創造の大神は、神示に、「われに神殿は不要である」と仰せられているのである。絶対者にまします大神にとっては神殿は不要であるが、住吉大神と名を示して個別的にあらわれ給うた神については又別の相対的意義があるのでありまして、信仰心の集中の一点として、崇敬の心を散乱せしめないためには神殿が必要なのであります。しかし神殿に奉斉する御神体は偶像ではないのであって、〝護国の神剣〟をもって御神体とするのであります。(『生長の家』誌 昭和53年11月号 45頁)<

 このお言葉に照らして考えてみるに、谷口雅宣総裁が今回やったことは、「ソノ幽之幽ナル神トシテ」の天之御中主神を、「住吉大神と名を示して個別的にあらわれ給うた神」と同列に扱うということを意味します。
「絶対者にまします大神」を勝手に「個別的にあらわれ給うた神」にしてしまう。こういうのを神をも恐れぬ所業というのではないでしょうか。

○平成27年4月29日…飛田給練成道場大拝殿の壇上が自転車に汚される

※第67回青年会全国大会が本部練成道場(飛田給)で開催されましたが、その中で、大拝殿の壇上に自転車が持ち込まれるということが起きました。総本山の顕齋殿を土足履きにしただけでは飽き足らないのか、今度は、飛田給大拝殿の壇上を自転車で汚したわけです。そんなことまでして、自転車競技を青年会運動に持ち込まないといけないのでしょうか。

○平成27年5月13日…新たな経本『万物調和六章経』が永代供養の「御霊代」になる

※5月13日「常任委員会」において、聖経「甘露の法雨」に取って代わって、新たな経本『万物調和六章経』が永代供養の「御霊代」になることが決定されました。聖経「甘露の法雨」で供養されると思って永代供養を申込んだ信徒の思いはどうなるのでしょうか?

○平成27年6月17日…「祝詞」から〝住吉大神〟〝聖経読誦〟が外される

※運動推進部・三好雅則部長名で、教区五者宛てに、「聖使命感謝奉納祭の祝詞」を改める旨の通知が送付されました。これまでの「祝詞」はこうでした。

>掛巻くも畏き宇宙を治しめす大神、時には天照大御神と顕れまし、住吉大神と顕れましては宇宙を浄めたまひ、仏道に垂迹ましまして阿弥陀如来、観世音菩薩となって世の諸々の魂を救いたまひ、さらに基督教に垂迹したまひては、イエスキリストとも化して姿を顕したまひ、七つの灯台の点灯者にまします生長の家の大神の御前に…

 それが、今回の通達で次のように改変、改悪せしめられたのです。

>掛けまくも畏き天地の創造主にまします天之御中主大神をはじめ高御産巣日神、神産巣日神、応化し給いては広大の慈門を開き給い、宇宙のすべての人及び物事を浄め給う生長の家大神の御前に…

「住吉大神」が見事に外されています。やはり、予想していたように、所謂〝造化の三神〟を祭祀したそのホンネは「住吉大神」外しにあった、ということがこれでハッキリといたしました。もう一つ、重要なのが次の箇所です。これまでは、

>大神の御前に集ひに集ひて感謝と讃辞を申し上げ、聖経読誦の中に聖使命会費を捧げまつるを…

となっていたのが、今回の通達ではこうなっているのです。

>大神の御前に打ち集いて感謝と讃辞を申し上げ奉り、聖使命会費を捧げ奉る状を…

〝聖経読誦〟がスッポリ、抜け落ちているのです。
 谷口雅春先生を外し、鎮護国家を外し、今度は住吉大神、聖経読誦まで外してしまいました。これが今の教団の実態です。

○平成27年7月8日…「生長の家青年会」の宣言綱領が廃止、「Our Vision」へ

※7月8日の「最高首脳者会」で「会則の一部改正」という議案の中で、生長の家青年会の「宣言・綱領削除」というのが提出され次のように〝改悪〟されました。

「生長の家青年会 Our Vision」

 わたしたちは、以下に掲げるビジョンの実現を目指して、全国各地で様々な活動を行っています。

生長の家青年会 ヴィジョン

<前 文>

 人口増大と資源枯渇、気候変動が進行する21世紀の現代、立教以来の念願である世界平和実現のためには、「自然と人間が共存する新たな文明」への転換が不可欠である。私たちは、もちまえの行動力を存分に発揮し、多様な才能の開発と柔軟な発想を結集して、以下の具体策の実践を通して、“人間はみな神の子であり、地球上のすべての生物も神の生命の表現である”との教えを多くの人々に伝える。しかして私たちは、それぞれの場所で「自然と調和した生き方」のモデルとなり、新文明構築の潮流を起こさんとするものである。

<具体策>

1.私たちは、常に信仰を深め、日常生活で起こる様々な問題を生長の家の教えに基づいて解決することを目指すとともに、家族や友人、知人が悩みを抱えていれば、同慈同悲の心をもって寄り添い、み教えで解決するよう努力する。

2.私たちは、物事の光明面を見、すでに与えられている恵みに感謝する日時計主義を実践して、他や自然から奪うことなく「自然と共生する低炭素のライフスタイル」に率先して取り組む。

3.私たちは、学校や職場などそれぞれの場において出会う人々はもちろんのこと、インターネットを積極的に活用して、同じ問題意識や趣味、価値観等を共有する人々にも“善一元の神への信仰”を伝える。

4.私たちは、自己中心的な都市の生活に染まることなく、植林や下刈、間伐、無農薬有機栽培による農作業、肉食の削減など、自然を含む他者に愛を与える実際活動に積極的に取り組む。

5.私たちは、国際関係、哲学・宗教学、環境学、倫理学など、様々な分野において“自然と人間は本来一体である”との信仰に基づいた研究や活動に積極的に挑戦する。

この宣言・綱領を読んで、もはや「生長の家青年会」から〝愛国青年〟は生まれることはないと確信するに至りました。それというのも、以前の「生長の家青年会宣言・綱領」には、はっきりと「万民の祝福し合う神の国を実現せんとするものである」と謳ってあったからです。参考にそれを引いておきます。

「生長の家青年会宣言・綱領」

宣言

 新しき世紀は「人間神の子、仏子なり」との人間宣言をもってその輝しき黎明を告げる。吾らは、現代の世界を暗黒にいろどる唯物的人間観の桎梏から真の人間なるものを解放せんとして、吾らの熱血と全身全霊を傾倒するものである。しかしてまた吾らは、人間神の子の実相を自己及び兄弟同胞たる隣人の総ゆる階層に実現し、智慧と生命と供給にみちあふれたる神の子の理想を如実に顕現せしめ、もって万民の祝福し合う神の国を実現せんとするものである。

綱領

一、吾らは「生長の家」立教の精神を日常生活において実践躬行し、神の子たるの人格をあまねく顕現せしめんことを期す。

一、吾らは「生長の家」の家族の若き世代として「生長の家」立教の精神を広く徹底的に普及し、もって神のみ心を実現せんことを期す。

一、吾らは「生長の家」立教の精神を、宗教、思想、文学、芸術、科学及び生活との連関において探求し、ここに最も権威ある、一大文化大系を樹立せんことを期す。

「万民の祝福し合う神の国」-ここに言う「神の国」とは「真理国家日本」のことに他なりません。もともとの宣言にはかくありました。

…吾等は、人間神の子の実相を自己及び兄弟同胞たる隣人の総ゆる階層に実現し、智慧と愛と生命と供給とに充ち溢れたる大和日本の理念を如実に顕現せしめ、以て世界平和を樹立し万民の祝福し合う地上天国を招来せんとするものである。(『生長の家五拾年史』の377頁)

 ここに、はっきりと「大和日本の理念」という文言が挿入されています。なぜ、それがその後、外されたのか。当初の宣言が決定されたのは昭和23年3月27日~28日に開催された「第1回全国大会」のことでありました。ところが、その5月、谷口雅春先生は「公職追放仮指定」を受けられます。こういう時代背景を考えると、「大和日本の理念」は占領軍を痛く刺激しやしないかということで外されたのではないかと思われます。
 ともあれ、当初、「大和日本の理念」が入っていた事実は重大で、「神の国」を「大和日本の理念=真理国家日本」と捉えても何ら間違いはないと思うものであります。
 先に総本山から「鎮護国家」が外されたことといい、今回の「神の国」が外されたことといい、今の教団が如何に「国家嫌い」であるかをこれほど雄弁に物語るものはありません。そして、谷口雅宣総裁の30年とは、まさしくその一点に集約されるといっても決して過言ではないのです。

○平成27年7月25日…「万物調和六章経」が〝お守り〟として発売へ



[まとめ]

 以上、この30年を俯瞰すれば、谷口雅宣総裁は谷口雅春先生の「生長の家」を解体するために、そして自分の色(サヨク)に染め替えるために、教団に乗り込んできたことが明らかになるだろうと思います。
 この歴史を踏まえて、今後、どう行動すべきか、信徒一人ひとりに、ぜひお考えいただきたいと思う次第です。


※改定日…平成27年11月14日 

懐古

私は生長の家を活動していた頃は自分が思想的に変更するようなことは断じてあってはいけない。生長の家の教えを純粋に生きていこうと決心したのが若い頃であった。

天皇信仰もわからないでいた頃に疑問だらけの生長の家でした。それでも『理想世界』誌1千部一括購読を2回したりして生活もすべて生長の家に身を投じました。
生長の家は変わることがない。それを一心に信じて行っていました。

生長の家教区での発展は青少年育成でその成果があらわれました。中学生錬成では前年度はたった20名の参加者を一気に150名にしました。また教区日本一もそのときでした。

谷口雅春先生が御存命中はそれでも御拝顔を合わせたらそれで満足していました。
そんな中に長崎の錬成など行けたことに幸せを感じています。

しかし、昭和62年頃からその兆候を感じていました私は生長の家活動を行うのも嫌でした。
本部原宿に行ったときに青年局のメンバ-がこれから生長の家は愛国運動を行わなくなる。
雅春先生の御本も読めなくなる。そうした話が真剣に話されていたことを思い出す。
雅宣総裁の次の総裁に期待するしかない。
昭和62年、今から30年前にそういうことを討論されていました。

しかし、その当時は雅宣総裁に期待する声も大きく、仲間からも私は反論されていました。
だがどうしてもその当時から雅宣総裁を信じていない私は常に反駁していました。

生長の家でどうして人を信用できないの?
和解することがどうして出来ないの?
次期総裁がそんなことするわけがない。

今、学ぶ会の幹部もその当時はそういう意見の人はいました。
それで仲違いとなり、縁切れた人もいます。

しかし、現実は生長の家は変質しました。環境団体として変質しました。
もはや宗教団体の面影などありません。

その当時の青年会のメンバ-の多くは生長の家を去っています。
私もそのひとりです。
また違う団体に入っている人もいます。

私はその変質が青年局が解体された時に大阪教化部に泉英樹さんが来て説明していましたが、反論する人間が多く会話にならなかった。私が発言したのは
「生長の家の青年会を勝手に変えてしまって、それでどうやこうやと言われてもわからない」
「そこに本当に雅春先生の御意向などない」
そういう発言したときは泉英樹さんはなにも反論しませんでした。

それから30年。
和解など説く人は一向に和解を雅宣総裁に勧告しない。言うのは自由だけど、出来なければ言うな。

2015 KOBE 六甲全山縦走大会に参加して

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六甲全山縦走大会の報告を致します。
前回のブログで簡単にご報告させていただきました。
当日午前3時に自宅を車で出発し、3時40分頃に須磨駅付近に到着いたしました。そこから歩いて須磨浦公園駅に歩いて行きました。そこでコンビニやトイレなどで立ち寄りしていましたので須磨浦公園駅に着いたのが午前4時30分です。そこから国道二号線まで伸びた列を追って最後尾まで行きました、着いたのがちょうど4時40分です。
そこから動かない列は5時過ぎてから徐々にスタ-ト地点へと動いて行く。それでもスタ-トに付けたのは5時27分です。そこから鉢伏山を目指します。ここは慣れていますから大きな列も休息なしで動きます。
雨は小雨です。降りしきるほどでもなかったが歩きにくい。
高倉台から雨が止み、このまま雨が降らずにすむのか、渋滞もこの時間ではない。
横尾山の階段ではさすがに渋滞となりましたが、渋滞といっても1分程です。
須磨アルプス手前でも少しの渋滞ですみました。
そこから、高取山の登りで脚が動かなくなり、歩測も狭く追い越されることも多くなりました。
なんでこんなに早く脚が動かなくなるのか自分でもわかりません。それでも2回の給水の休憩だけです。
そこから、菊水山への手前でレインパンツを脱ぎ、この菊水山を乗り越えていかなければなりません。だが不思議なくらいいつも厳しい菊水山でも比較的に楽に登ることができました。
菊水山の頂上で第一回目のチェックポイントです。午前10時5分。走行距離は15km
ここで給水して、鍋蓋山、そして市ケ原を目指しました。
摩耶山の登りはさすがに堪えました。少し脚に違和感を感じていました。それでもなんとか第二回目のチェックポイントです。午後12時55分です。走行距離22.8km

昼食も摂取しないで次のチエックポイントを目指します。だが、摩耶山からガ-デンテラスの中間点で両脚に痙攣です。おもわず立ち止まってなんとか脚が動いてくれるように祈るだけです。この時点では周りには参加者も少ない。時間は午後1時30分。T字路(西六甲ドライブウエー)でようやくの昼食です。13時46分。
そこから舗装道路を歩いていきます。ガ-デンテラスを過ぎ、ゴルフ場を過ぎ一軒茶屋を目指します。西六甲ドライブウエーを歩きます。
第三回目のチェックポイントに着いたのが3時12分です。走行距離32.7km
そこから舗装道路をあるいて、いよいよ山道です。雨は激しく降っています。東六甲分岐点ここで3時22分です。
なんとか無灯火で行きたい。
そこから飛ばします。頑張るしかない。脚は痙攣で動かない。それでも必死に動かした。下りが辛い。
塩尾寺が見えた時は安堵です。辺りは仄暗くなんとか判断できるほど闇が迫っていました。
それでも舗装道路は暗くても大丈夫です。塩尾寺には午後5時ちょうどです。走行距離は41.1km
宝塚のゴ-ル地点に着いたのが5時21分走行距離は43.4km
走行時間は11時間54分。
疲れました。
春の山労の六甲縦走大会では
受付       5;48
菊水山下    8;59
大竜寺前    10;46
六甲最高峰   14;41
塩尾寺下ゴ-ル 16;40

雨の中での縦走でしたので時間はかかるのは仕方ない。ゴ-ル地点も宝塚駅から近い。
それでも疲れたが、雨も楽しかった。

スタ-ト地点  5;27
菊水山山頂 10;05
摩耶山    12;55
一軒茶屋   15;12
ゴ-ル     17;21

何故『新編 生命の實相』が売れないのか

このような声が多いようです。 (10126)
日時:2015年10月25日 (日) 11時01分
名前:仙田満


私の周りでも、匿名さんのような声が多いようです。

本流でも買う人は一部のようです。

私は「学ぶ会」の支部長なので、立場上、出ている巻までは、全巻そろえていますが。


思うに、出して下さった事はありがたいのですが、出し方は「光明思想社」の錯誤行為です。完全な失敗。

今からでは取り返しがつきません。やり直せないのです。

こういう本音を言うと、他の掲示板では「叩かれます」ので、ここで書かせていただきました。

「反日」「反生長の家」ではいけませんが、それらに対抗するためにも、いろいろな意見を聴き

大道団結しなければ、益々「雅宣教団」のような独裁が、本流でも、幅を聴かせるようになります。

自分に都合の悪い人や意見を「封殺」する時代や、生長の家でありませんように。

結果、教勢は落ち、谷口雅春先生の御教えは廃れてしまいます。



>正直、私、新編「生命の実相」の表紙デザインと、
本文のフォントが全く気に入らないので買う意欲が湧きません。
日本教文社の頭注版をそのまま販売出来ないの?と思う。


「日の丸か赤旗か・新教連支持」の掲示板に上記の文章が掲載された。
だが、これに対して「字が大きくなっている」「索引が付いている」とかそういう返答のようなものでした。

私は申し訳ないが「そんな回答など失礼ながらどうでもいいのです」
私が以前から言っているように『新編 生命の實相』ということなんです。編纂しなければ読めないという大上段で構えている編集委員の頭脳がそこにあるからなんです。
だから、仙田満さんの意見も真剣に取り合わないのです。今更何言うですか?そういう回答が帰ってくるのです。
しかし、“谷口雅春先生の教えは古いから書きなおさないといけない”という破邪顕正さんの言葉は正しいのですが、それを実際行っているのでしょうか?
「学ぶ会」の支部長の言葉を真剣に受け止めるこそ正しい道を歩むことではないでしょうか。

編纂しなければならなかった事情など全くなかったのです。そこを気がつかないで、また反省しないでこのまま発行するのは“谷口雅春先生の教えは古いから書きなおさないといけない”ということばを破邪顕正さんにお返ししたい。



雨のなかの六甲全山縦走大会の完走

六甲全山縦走大会はお陰様で完走することが出来ました。

雨が降りしきるなかで、泥濘んだ山道も楽しく歩けました。早朝4時40分に須磨浦公園に着いたのですが、長蛇の列は国道二号線まで続いていました。5時スタ-トでしたが、私がスタ-ト出来たのは5時27分です。
そこから山道を歩いていきました。

高取山の登りの時に脚に違和感を感じ、レインパンツが邪魔になり、菊水山手前で脱ぎましたが、本格的に雨が激しく降ったのがこの以降です。
また摩耶山からガ-デンテラスの途中の山道では両脚が痙攣して、大変でしたがなんとか無事に歩きとおせることが出来ました。


ただ、毎年六甲山頂の郵便局の人達の甘酒の振る舞いは本当にありがたいものです。

また、最後の宝塚駅ではおしることお茶等の接待もありがたかったです。
宝塚の到着は5時25分でした。
約12時間なんとか完走出来ました。

コメントについて

閲覧の皆さまへ

本ブログはコメントは少ないですが書いていただくことは出来ますので、宜しくお願いします。

「生長の家」のことばかりではなく、トレッキングやマラソンのことも書きます。
また、神社仏閣や天皇陵や陵墓や古墳なども記入させていただきます。

谷口雅春先生の大本時代のことももう少し書いていきたいのですが、時間がありません。
ただじっくりでも書いていきますので飽きないで見てください。

よろしくお願いします。

明日はいよいよ六甲全山縦走大会

11月7日の夕方に書きました。


明日はいよいよ六甲全山全山縦走大会です。早朝に須磨浦公園に行きたいので今から寝ます。2000名近い人が参加しますので混雑にならないうちに行きたい。早朝5時~7時の間でスタ-トすればいいのですが、雨で相当混雑します。昨年は小雨でしたが、今年はどうなるのかわかりません。予報は60%でほぼ雨ですね。ぬかるみに注意していきたい。十月の時に夜中の歩く訓練はしているのですが、雨はしていません。
頑張って行きます。

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