則天去私

「谷口雅春」先生の生涯も綴っていきます。

2015年09月

讀んで戴ければ幸甚です。

懐かしい尾鷲道

尾鷲道といえば少し前では廃道という場所でもあった。私が若い頃に初めての登山でテント泊したのもこの尾鷲道である。
吉野駅からユ-スホテルに泊まり、それからヒッチハイクで大台ケ原まで行き、そこから尾鷲駅までのコ-スである。
いまから思えばなんと恐ろしいことをしたものである。
地図も持たず、計画もル-ズである。崖から落ちたり聾唖者に恐怖を憶えたり、野犬に取り囲まれたりした。
顔中傷だらけで帰宅した。
それから忘れていたのが、あることがきっかけで思い出した。
三重県立熊野古道センタ-が尾鷲道を歩こうと企画していたのである。募集させていただいたが落選である。
しかし、単独でも是非行ってみたいものです。若かりし頃の時も10月20日頃であることを思い出す。吊り橋のすぐ近くでテントを張ったのを鮮明に思い出します。
今は崩落しているようですが、24kmぐらいなのでなんとか朝一番で昼頃には駅に到着出来る。
是非いってみたい。

「六甲全山縦走大会」に参加します。

一昨日は大阪北摂を歩いた。
50kmぐらいの距離でしたが、翌日の朝はさすがに疲れました。
その前週の土曜日は箕面駅から嵐山駅(52km)までの走行の後の日曜日は22km歩いた時はそれほど疲れはありませんでした。
体調は自分でもよくわかりませんが、徐々に体力も付いてきたのだと思っています。

今年の「六甲全山縦走大会」(神戸市主催)は当選しました。
11月8日に歩くのですが、頑張って縦走をします。
それと「チャレンジ登山に参加します」「二上山駅から紀見峠駅」までですが、なんとか10時間を目標にしています。

有難いことですが、風邪もなし、気力もあり充実しています。あとは長距離でも耐えられる体力です。それは10kmでも休憩なしで走れる体力です。今年の初めは約20kmを走り通しても大丈夫でしたので、これからマラソンにも挑戦しますので少しづつ20km走へと身体を作っていきます。

夏はどうしても走行も厳しくなるので、気温が下がったこれからが勝負です。

雑感

安全保証関連法案はようやく決まった。
国会議事堂を取り巻く野合はいったいなんであったのであろうか?
戦争反対というシュプレヒコ-ルにその幼稚な衆愚をみる、戦争反対が戦争を誘発することをヨ-ロッパの歴史が物語っている。また民主党政権時代にはあの岡田代表も集団的自衛権を賛成していた。
野党になると反対するなどもってのほかであろう。
対案も出さずに「反対」を唱える。国会議員も衆愚であろう。

国際情勢はここ近年中国による覇権は厳しさを増すばかりである、石垣島の漁場は日本の国土でありながら漁獲出来ないありさまである。竹島問題の韓国の拡張主義や尖閣諸島の中国の覇権など「日本国憲法」では個別的自衛権では対応出来ない。国家が自国を防衛することを放棄しているからである。

いままで個別的自衛権だけでは太刀打ち出来ないことはあきらかである。南沙諸島の埋立問題は国際問題である。それを中国は尖閣諸島でも行おうとしていることは明らかである。それをどうして守るかである。

いままでアメリカに守ってもらったことは確かである。いつまでも大人にないきれない日本国はようやく国際舞台で発言できるようになった。
マスコミの多くは反対を繰り返すばかりでその利点を言わない。憲法違反だけをいっている、憲法違反をいう資格があるのか問いたい。共産党の国会の開会式に天皇陛下御隣席は出席しないのも憲法を遵守していない。

また私立学校(宗教関連)に補助金という公費がだされているのも厳密に言えば憲法違反である。
それ以外にもたくさんある。憲法9条も国際法では違法となる可能性もある。
そうしたことももう少し詳細にこれから述べていきたい。

剣尾山と深山

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明治時代は丹波國と攝津國の國堺です。現在は大阪府です。
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鎮護国家の鳥居です。深山の頂上に建っています。
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中央の上の巨石が信仰の巖座です。
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昨日、剣尾山と深山に登った。剣尾山は高校生の時代に林間学校で登っている。そして一昨年である。
深山は今回初めてである。
剣尾山は一周コ-スである。それでは物足りないので深山に挑戦した。それでも物足りなさを感じています。
やはり20kmぐらいでは練習不足です。
ただハイキングの初心者などはこれで十分でしょう。

深山の山頂にはレ-ダがあり国土交通省の管轄である雨量観測所があります。
山頂にはもうひとつ磐があり深山宮となっていました。
高御産巣日神が祀られています、鳥居には大きく「萬世太平」「鎮護國家」と掘られていました。

メガソ-ラの不安

メガソ-ラはそれほど費用対効果があるのであろうか?
自然美観は損なわれているのは間違いない。メガソ-ラで気がつかれておられる人がいますが、更地であっても平地でなければなりません。企業は売りたいためにいいことは書くが、大きな問題は伏せようとします。
それはホコリや花粉等でのパネルに覆うものを清掃しなければなりません。業者が行うといっても費用は所有者持ちであろう。また雑草などの刈り取りです。黒シ-トなどで地面を覆うようなことも費用がかかります。

とりわけて雑草を刈らなければならないのは宇治などは感謝行で行うのでしょうか?
私も地域で毎月草刈をしていますから、雑草の成長には驚きます。また蔦などの植物は刈れどもまた一ヶ月でドンドンのびます。

虫等がパネルの上で死んでいることなども十分に考えられます。
集中豪雨に対してはどのように対処するのであろうか。

メガソ-ラは3年後が問題となります。雨の日や曇りの日などそれほど対した電力供給は期待出来ません。
また3年後には供給電力の低下が必ず起こります。何故3年かというとその時期ぐらいから雑草や電力供給が落ちるということです。

自然讃歌といいながら、メガソ-ラは自然の美観を損ねるだけではなく、更地による自然の破壊が起こります。
また維持するには多大の費用がかかります。
採算は合わないような気がしてならない。下記は山田高明様から無断で引用させていただきます。
ただ、指摘はなるほどと思う所が多いのでそのままにします。


今のメガソーラーは“メガ負債”となる

山田 高明
前回『自然エネルギーへの幻想を助長する「原発何基分」という表現』という記事を書いたところ、筑波大学の田代克様から以下のようなご指摘がありました。

現在原発が止まって問題になっているのは夏のピークに電力不足になり停電を引き起こすことです。夏のピークというのは雨の日ではなくて晴れの日でしょう。
年間発電量としてはおっしゃる通り原発1基分に満たないと思いますが、ピーク電力対策としては原発6基分の働きをすることになります。

ご意見ありがとうございます。私の説明不足で、まことに申し訳ありません。
残念ですが、これはよくある勘違いの一つなのです。
最近は減りましたが、実はこれとよく似た説は、数年前まで一部のエネルギー専門家が盛んに吹聴していたことなので、田代さんがお間違えになったのも、無理からぬことかと、お察しします。仮に600万kWの太陽光発電がピーク対策として「原発6基分の働き」をしてくれるのであれば、私もどれだけ代替案に悩まなくてすむことかと思います。

まず、「現在原発が止まって」いるがゆえに「夏のピークに電力不足になり停電を引き起こす」可能性については、田代様と問題意識を共有できるかと思います。しかしながら、「夏のピークというのは雨の日ではなくて晴れの日」という点が、事実と微妙に異なるのではないでしょうか。

というのも、夏ピークは、実際には1ヶ月以上続きます。よく言われるように「ピークは真夏の数日間だけ」ではないのです。それはグラフの頂点部分です。これは自身の生活実感と照らし合わせてみれば、容易に理解できると思います。「8月は同じような暑さが毎日のように続くのに、どうしてピークは真夏の数日間だけなのか?」と不思議に思われるでしょう。むろん、その間の多くは晴れますが、当然、曇りや雨の日もあります。

その時の、自身の体験を思い起こしてみてください。曇りの日でも、真夏は非常に蒸し暑いものです。エアコンなしではやっていけません。つまり、太陽が照っていないからといって、家庭やオフィスの人々がエアコンを止めるわけではありません。夏ピークの時期は曇りの日であっても大幅に電力需要が下がるわけではないのです。

しかし、曇りの日に、600万kWの太陽光発電が同出力の働きをしてくれるでしょうか? 現実には、太陽光発電の、晴天の日と曇りの日の出力落差は、人々が想像する以上に大きいです。「曇り度」にもよりますが、晴れた日に比べて、四分の一、五分の一になったりします。すると、3~400万kW分もの欠落を、結局は火力や水力で埋めねばなりません。しかも、「晴れ時々曇り」というように、同じ一日の中でその現象が起こるのです。対して、600万kWの原発はずっとその出力を維持することができます。

つまり、600万kWの太陽光発電が、夏のピーク電力対策として、原発6基分の働きをするということは、とうていありえないことなのです。しかも、厳密に「ピーク対策としての電源」という基準で比較すると、本当はもっと分が悪くなります。なぜなら、ピーク期間中にも原発はあくまでベースとして24時間の発電を担っているからです。ピーク対応を担っているのは日中であれ季節であれ火力・水力ですが、今の太陽光発電は晴れた日に限り、その真似事ができるにすぎません。

これは前回の記事で、原発と太陽光は、「量的な供給能力だけでなく、質的なそれでも等しいとは言い難い」と述べた通りです。質的に近づけるには、どうしても蓄電池とセットにして安定電源化(ノーマル電源化)を図る必要があります。むろん、「火力と組み合わせて出力変動をカバーすればよい」という意見がありますし、実際にこれは一対策として実施されていますが、冷静に考えればある恐ろしい事態を招く欠点があります。

やはりメガソーラーはまだ早い
ここに1万kWのメガソーラーがあり、特定地域に給電していると仮定しましょう。当然、曇りや雨の日には、極端に発電量が低下します。夜間にはゼロになります。蓄電池があれば、晴れた昼間に余剰電力をたっぷりと充電しておき、夜間や雨の日に放電することができますが、その設置が見送られました。よって、欠落分を埋めるためには、どうしてもスイッチングの利くバックアップ火力や水力が必要となります。

では、このメガソーラーが1千基、2千基…と増えていくと、どうなるでしょうか。たしかに、よく晴れた日には1千万kW、2千万kWの出力を発揮します。しかし、夜になると、やはり別の電源を作動させねばなりません。つまり、「蓄電池なきメガソーラーが増えれば増えるほど、それに比例してバックアップ電源の設置もまた強いられる」というわけです。これは恐るべき法則です。なぜなら、せっかく国家規模電源にまでメガソーラーを増やしたところで、火力や水力の設備を少しも減らすことができないからです。

以上は、現実をやや単純化したストーリーですが、基本的に蓄電池とセットにすることで「自立電源」として機能させなければ、大規模化したメガソーラーが社会に二重投資や過剰設備を強いてしまうのは事実です。しかも、「経済性」という観点からすると、本当はそれ以前の問題ですらあります。

今現在、メガソーラーの建設費は、出力1万kWあたり50億円前後です。ということは、電力需要の1割に相当する約1千億kWhを担うためには「50兆円」もの建設費が必要になります。仮に安定電源化するのであれば、さらに蓄電池代としてプラス10兆円以上が必要になると思われます。

ただし、留意点が二つあります。一つは、量産効果が生じるので、実際の電源整備ではこの何割引きという価格に落ち着くこと。もう一つは、これは総コストではなく、イニシャルコスト(導入費)である、ということ。電源の経済性は「総コスト基準」で判断するものです。太陽光や風力は以後の燃料費がなく、無人運営が可能である分、ランニングコストはとても安いです。逆に火力などは初期の導入費が安くとも、燃料費が膨大なため、それが高くなります。しかし、このコスト構造に注意しても、やはりメガソーラーはその他の電源に比べて数倍ほど不経済です。

よって、費用対効果を考えると、メガソーラーを作れば作るほど消費者が貧しくなっていくのが事実です。現実には、電力需要の1割の整備(≒約50兆円の建設費)に届く前に、社会のほうが負担に耐え切れずに頓挫してしまうでしょう。

このように考えると、メガソーラーは今現在、商用電源としては、ありえない選択だといえます。しかし、その「ありえないこと」を可能にしてしまうのが、7月に施行予定の通称・再生可能エネ法なのです。国際的にはFIT制度と呼ばれますが、日本版は太陽光・風力・小規模水力・地熱・バイオマスによる発電力の全量買取を電力会社に義務付けるものです。そこにあるのは、「日本は太陽光や風力の普及に関して世界から遅れているので、爆発的に普及させるのが正しい」という政治の論理です。

おそらく発電ベンチャーは、他の選択肢よりも、メガソーラー建設に殺到するものと思われます。なぜなら、土地さえあれば数ヶ月後には発電所が立ち上がり、売電収入が生じるからです。彼らにとって「投資をいかに早く回収するか」が重要です。しかも、法律の条文には「蓄電池を設置せよ」などと、どこにも書いていません。よって、義務ではない以上、わざわざ設置する必要はありません。また、利益の最大化のために、中韓製パネルの導入で最大経費であるパネル価格を抑え、かつ工期の短縮を図るでしょう。立ち上げ後は無人遠隔運転です。地元の雇用なんてほとんどありません。そして、お天気まかせの「垂れ流し電力」を、電力会社に買い取らせるわけです。

日本における水害

鬼怒川の堤防決壊はいろいろな要素が含まれている。
メガソ-ラ業者が丘陵を削ったという話も出ているが越水が原因のようである。ただ日本はこうした河川の氾濫や洪水などいろいろな災難を生きてきた民族でもある。
大阪でも淀川の洪水に備えてス-パ-堤防という話があり、民主党政権で仕分けされ割愛された。
50年に一度の洪水は日本では各地で起こっている。それに備えていかなければならないのであるが、人間は数年でそんな被害を忘れてしまう。
東日本大震災はまだ現場は悲惨であるのですが、遠く離れている人達は他人事なのです。自分の所は大丈夫であろうと思っている。

しかし、災難は必ず起こってきます。それに備えていくのが今の時代に生きている人の役目だと思います。それには常にその為にどうするかであろう。
日本の土地は豊穣ですが、それは災害と向き合ってきた歴史なのです。ここ数年災害が本当に多い。とりわけ水害などもそうですが、噴火や地震など多く発生しています。自然の摂理なのかもしれませんが、あまりにも無残なことです。

日本の河川は多くは天井川です。家屋より高く積まれた土は数メ-トルも高く、その家屋の上に流れているのが河川です。決壊すると必ず大きな被害があります。決壊などしないだろうと証拠もなしに思っているだけなのです。
土壌など脆いものです。コンクリ-トやアスファルトなど激しい洪水には歯が立ちません。

私は以前に淀川についての歴史を数冊の本で勉強しましたが、そこで学んだのは一級河川の脆いことです。
大丈夫だろうと思っているのは今まで崩落が幸いなかったということだけです。
降水量の1日においての日本での最多量はほとんどは近年に起こっています。
最近では2011年の高知で851.5mmという凄まじい量ですそれが淀川領域で起こったらたちまち氾濫です。
だからそんなこと想定していないのですね。

順位降水量観測地点起日
1位851.5mm高知県 安芸郡 魚梁瀬 (アメダス)2011年7月19日
2位844mm奈良県 上北山村 日出岳 (アメダス)1982年8月1日
3位806.0mm三重県 尾鷲市 (気象官署)1968年9月26日
4位790mm香川県 小豆島町 内海 (アメダス)1976年9月11日
5位764mm三重県 多気郡 宮川 (アメダス)2011年7月19日
6位757mm愛媛県 西条市 成就社 (アメダス)2005年9月6日
7位735mm高知県 香美市 繁藤 (アメダス)1998年9月24日

観測点以外では徳島県那賀町では1317mmというとてつもない降水です。

上記をみると四国と紀伊半島ですべて占めているのが特徴です。

今回は栃木県で起こりましたが、今後どこで発生してもおかしくないことです。

神功皇后と住吉大神

今回の陵墓参拝で神功皇后を参拝を決めたのは住吉大神の意義を学ぼうとする気持ちと生長の家の神としての根因を是非感じて欲しいと思っています。

三韓征伐においての神功皇后の役割は皆様はご存知だと思います。

朝廷に反抗し続けていた九州南部の豪族、熊曾(くまそ)族を討伐するため、仲哀天皇は、后である神功皇后とともに、兵を率いて筑紫国(現在の福岡県)に赴き、香椎の地に仮宮(皇軍の本営)を築かれました。その仮宮にて、仲哀天皇は琴を弾かれながら(このときの琴は降神のための神具です)、神功皇后を依代として神の言葉を請いました。すると神懸りした神功皇后は、仲哀天皇に「西方に金銀財宝の豊かな国がある。それを服属させて与えよう」と神の言葉を伝えました。今回貼付のイラストがその場面で、中央に描かれているのが琴を弾く仲哀天皇、右端に描かれているのが神懸りした神功皇后、そして左端に描かれているのが、その場に居合わせた大臣・建内の宿禰(たけうちのすくね)です。

しかし天皇は、神の言葉に対して「高い所に昇って西方を見てもそんな国は見えない。これは偽りの神である」と不遜な態度をとり、この託宣を信じずに琴を弾くのをやめてしまわれました。建内の宿禰は、「我が天皇(おおきみ)、どうか御琴をお弾き続け下さい」と進言したのですが、不遜な態度をとった天皇は直ちに神の怒りに触れ、その場で命を絶たれてしまわれました。ちなみに、現在、仲哀天皇を主祭神としてお祀りする香椎宮の鎮座している地が、仲哀天皇が崩御された地と云われています。

神の怒りに触れて崩御された天皇の穢れを祓うため、大祓の儀が行われ、この儀式が滞りなく済むと、建内の宿禰は再び神の声を問いました。すると、「この国は皇后の御腹に宿る御子が治めるべし」という託宣が下されました。このとき神功皇后は仲哀天皇の御子(後の応神天皇)を身籠もっておられたのですが、神は、その御子がこの国を治めるべきであると託宣を下されたのです。建内の宿禰が、託宣を下された神の名を問うと、神は「神託は天照大神の意思であり、それを伝えることを命じられたのは住吉の三前大神である。西方の国を求めんとするならば、天津神・国津神、諸々の神々と我が御魂を船の上に奉り、大海を渡れ」とお答えになられました。住吉の三前大神とは、現在、住吉大社でお祀りされている底筒之男命(そこつつのおのみこと)、中筒之男命(なかつつのおのみこと)、表筒之男命(うわつつのおのみこと)の三柱の神様のことです。

神功皇后は神意に従って、熊曾を討伐し九州を平定した後、住吉三神を守り神として軍船を整えて、身重の体でありながら自ら兵を率いて新羅の国(現在の朝鮮半島南東部)に出兵しました。そして、皇后の率いる軍は新羅を征伐し、更に、新羅だけではなく高句麗百済の国々をも平定するという大事業を成し遂げました(三韓征討)。皇后は、新羅の王に永久に仕えることを誓わしめ、高句麗や百済をも配下に治めて帰国の途につきました。(西野神社から抜粋)

以前に御陵参拝させていただいた時にこの神功皇后の陪冢には大変苦労した思いがあるから余計に思い出の陵墓として感慨深い。
それは周囲に陪冢い号とろ号と域内陪冢はすぐにわかったのですが、は号とに号がなかなかわからなく探訪に時間がかかった、近鉄京都線で分断されているのはわかったが、それがどこにあるのかがわからない、小さな竹藪が二箇所あるがどちらかかがわからなく、その山に入ってもその何処かなのかわからない。
何回かその近くの住民には聞くが知っている人は誰もいない。
とりあえずここだと思った場所から入った。
小高い山は木で覆われている、踏み跡を確認しながらしっかりとみていくと鉄の網で囲った場所を見て確信した。ここが陪冢に号 宮谷です。

この神功皇后の陵墓を巡っていたときに沢山の鳥小屋があり、誰の家なのかそれとも鳥を売買している会社なのかと思ったときに上村という表札がある。
ここは日本画家の偉人である、花鳥画を得意としていた上村松篁
であることがわかったが、沢山の鳥を飼っているのにはびっくりした。
住吉大神の御守護を頂ける陵墓参拝に是非参加して欲しい。


写真は以前にどこにいったかが不明で掲載できませんが、体感していただきたい。但し陪冢までは行きません。

関大前駅と歴史

年私の最寄駅は阪急電車の千里線の関大前駅であるが、関西大学が近くにありその名前が由縁です。
日本で一番駅名が変わったところとしても有名です。

1964年昭和39年)に、駅間距離が短くホーム延伸に支障を来していた花壇町・大学前の両駅を統合、旧駅のほぼ中間地点に新しく設けられた駅である。花壇町駅は開業当初、北大阪電気鉄道が開いた花壇遊園地千里山遊園)の最寄り駅として行楽客で賑わったが、戦後、遊園地は閉鎖されて跡地は関西大学第一中学校・高等学校の敷地に転用され、通学客の乗降する駅へと変貌を遂げた。その過程で下記のとおり統合までに駅名がめまぐるしく変更されており、日本で最も駅名を変更した駅として知られている。

  • 1921年大正10年)10月26日 - 北大阪電気鉄道の豊津駅 - 千里山駅間延伸により花壇前駅開業。
  • 1922年(大正11年)4月17日 - 花壇前駅 - 千里山駅間に大学前駅開業。
  • 1923年(大正12年)4月1日 - 路線譲渡により、両駅が新京阪鉄道の駅となる。
  • 1930年昭和5年)9月15日 - 会社合併により、両駅が京阪電気鉄道千里山線の駅となる。
  • 1938年(昭和13年)9月15日 - 花壇前駅を千里山遊園駅に改称。
  • 1943年(昭和18年)
    • 10月1日 - 会社合併により、両駅が京阪神急行電鉄(1973年に阪急電鉄に社名変更)千里山線の駅となる。
    • 12月1日 - 千里山遊園駅を千里山厚生園駅に改称。
  • 1946年(昭和21年)4月7日 - 千里山厚生園駅を再び千里山遊園駅に改称。
  • 1950年(昭和25年)8月1日 - 千里山遊園駅を女学院前駅に改称。
  • 1951年(昭和26年)4月1日 - 女学院前駅を花壇町駅に改称。
  • 1964年(昭和39年)4月10日 - 花壇町駅と大学前駅を統合して関大前駅開業。
  • 1967年(昭和42年)3月1日 - 千里山線が千里線に改称され、当駅もその所属となる。

私は昭和7年の吹田の古地図を所有していますが、その地図を見ると「ひがしすゐた」と記載されている至「てんじんばし」と記載されているのです。つまり上記に記載されている通り京阪電気鉄道千里山線、千里山駅から天神橋までの鉄道だったのです。

少し話は変わるが鉄道の最初が向日町から大阪駅開通が明治9年です。
その後「弾丸鉄道」ということでちょうど阪急電車の吹田駅の南側から100mあたりが旧国鉄の保線であった、それを北大阪電気鉄道が購入した。
あそこが早くスピ-ドを出せない所であります。JR吹田駅からあの吹田駅付近から急に南下するのですから「弾丸鉄道」にはネックでもあった。
何故明治時代に直線的に出来なかったかというと当時の地質に問題があったからです。あの金田村や豊津村等は水田地であり、神崎川の洪水で度々被害となっている。奈良時代以前は海だった所ですから、しばしば洪水に見舞われ住むのも不便な所でもあった。

技術的に向上したのも一因ですが、現在阪急電鉄の千里山線が急行が出来ない由縁ともなっています。
また現在の豊津駅から関大前駅がS字型の線路になっているのも昔の地形でみればよくわかります。

地形でその由縁もわかります。
古代からの名前と街道で栄えた村など歴史と道は物語を作ります。P1160843


言霊学と天皇陵

 天皇陵ということをもう少しご理解いただきたいと思い、述べていきます。

私達が何気なく発音している言葉が「古事記」や「日本書紀」から起源があるのだとすると皆さんは驚かれるだろうと思います。
例えば正月の鏡餅や柏手も古事記からきています。
地名などはもっともその流れを組むものが現在にも多く残されています。大阪の難波は浪花や浪速とかで記述されています。
盾津も蓼津(たでつ)と訛りはありますが、そういう地名は沢山あります。
私はそれを深く感じたのは奈良県御所市に行った時に鴨山口神社という所に竒御霊(くしみたま))についての記述があり、そこでこの鴨山口神社の由来は「古事記」からきているのです。
そうすると櫛羅(くじら)というのはこの海のないこの地域での語源は竒が起こる所ともいうべき所というのがこの発祥ではないかよ感じるようになったのです。
その根拠としてこの地域は葛城山の裾野にあり古代から「役行者」が修行の場として最初に選んだ山があります。
また、鴨という地域はこの御所市が起源なのです。字は異なっていますがそのル-ツは同じだとされる加茂や賀茂という地名はここが最初です。

鴨山口神社というのは
神社の創立は不詳ですが、記録によりますと以前は当神社西北方俗称岸ノ山に鎮座なされておったのが天災起こり山岳崩れて今の此の地に奉られたと記されております。
貞観元年(平安時代859年~877年)第五十七代清和天皇の御代に正五位を授けられており、その当時すでに神社が創立され奉られていた事が推察されます。
御祭神の大山祇神は山の神とされています。これは葛城山の入り口に鎮座し当時の住民が重要な作物である稲作造りに必要な雨・風を神に願う気持ちが山の入口にそれを治める神として奉られたものと思われます。
 また、御相殿に配祀奉る大日霎貴命・御霊大神は、昭和24年2月文部省より国の重要文化財に指定を受けその造りは木造で姿は座像で大日霎貴命は衣冠を付けられて大きさは56センチです。御霊大神の方
は女神とされ大きさは50センチです。尚、造られた時代は藤原時代前期(西暦800年代)の作とされています。

それではその「古事記」日本書紀に掲載されている地名といえば「忍海」「長柄」「葛城」等沢山あります。そこで不思議なんですが古代と現代とが噛み合った地域として体感できるのです。
言霊はその感覚というのが大切なのですが、生命の迸りというのがあるのです。谷口雅春先生は大本時代にその言葉というものを宇宙の鳴り響きとして捉え、その根幹を「天之御中主神」としてその本源として体感されたのであります。



言霊學の概念

耶蘇聖書ヨハネ伝第一章に斯う云ふ事が書いてあります。

「太初に道あり、道は神と偕にあり、道は即ち神なり。・・・・・萬のもの是に由って造らる。造られたるものに一として是に由らで造るられしはなし、是に生命(いのち)あり。」

実に空海も「聲字即實相」又「聲物一如」と云ったやうに一切の物は言葉によって作られたものであります。否、言葉即ち事物なのであります。もう一層判りやすく申せば「言」即ち「神」なのであります。前掲ヨハネ伝にある通り又「言」即ち「神」でありますから、日本では「言」は美称ミを附して「詔(みこと)」といひ「尊(みこと)」と書いて神の尊称と致して居ります。

西洋では少し発音が訛ってゴド(GOD)などと云ってゐるのであります。一切の「事」は「言」によって成るのでありますから、物の出来ることを言ひ現はして「成る」(即ち鳴る)と云ふのであります。「古事記」の冒頭に、

「高天原に成る神の名は天之御中主神」

とあるのなども「高天原にお生まれになった神様のお名前を天之御中主神と申す。」などと解釈しては薩張(さっぱっ)りだめであります。又、第一高天原を「タカマガハラ」と訓んだのが在来の国学者の驚くべき軽率な間違ひなのでありまして古事記は明らかに(高の下の天を訓じてアマと云ふ)と割注がしてあるのであります。

高天原を「言霊學」に仍って簡単に解説しますと、陽(タ)陰(カ)生れ出でて(ア)、至大天球成就し(マ)進化発展して種々相を呈し(ハ)循環運行して尽くる事なし(ラ)と云ふ意味であって、これは宇宙の実相をその聲音に仍って表現したのであって、高天原とは実に全大宇宙のことだと云ふことが判るのであります。

そこで「高天原に成る神の名は天之御中主神」と古事記にあるのは、全大宇宙に鳴り渡る言葉が天之御中主神と云ふ意味であってことがわかるのでありまして耶蘇聖書に「太初に道あり」と書かれてゐるのとぴったり一致するのであります。

かう云ふ風に言霊學に仍って古事記を解釈して行きますと、驚くべく発達した日本の太古の哲学が、如何に高等なものであって、泰西近代の哲学科学の綜合よりも尚一層高い飛躍をしてゐたといふことが判るのでありますが、それはあまり岐路に亘りますからその問題について研究なさりたい方は拙著。「皇道霊学講和」を御一読下さるやうに希望いたします。

私はそうした体感というのが「天皇陵」に感じることが出来るのであります。
それを感じなければ「天皇信仰」などわからない。「天皇信仰」は言霊学の頂点に根源するものであります。
そうした土壌での匂いが自分の身体を震わせるのであります。
そうしたことを学ばないで「天皇信仰」を学んでいるといっても「ピン」とくるものがない、演壇で講演しても感覚がズレているのです。森田征史先生が「言霊」として言葉で発生させることを講演で発言なされていましたが、これが「古事記」であると思いました。


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