則天去私

「谷口雅春」先生の生涯も綴っていきます。

2015年01月

讀んで戴ければ幸甚です。

トレイルランニング、箕面から嵐山駅まで

本日は雪中のトレイルランであった。
出発が遅くなった.
箕面駅で7時53分発である。
この時点では雪はふっていなかったが所謂滝道の途中で大きく降ってきた。箕面の滝に着いた頃には大きく降ってきた。
そこから休みなしでの雪である。途中茨木市の竜王山では降らなかったがほとんどが雪の降るトレイルランニングである。

箕面での雪が降る体験は久々である。トレイルランニングでは足元が不安定の場合には脚に力が入ってしまう。
スパイクを持っていたので大きく積雪していたならばいつでも対応しようと考えていた。

記録をとっていなかった。雪で紙が濡れてしまうので、用意したが書かなかった。
ただひたすら歩いたり走ったりした。
ポンポン山では雪が小さくアイスバンとなっていたが、歩くのには差し障りがなかった。
頂上では体感温度がマイナス7度である。風が厳しく吹き付ける。手袋を嵌めないと感覚がなくなる。

出発が遅くなったので京都市内の沓掛から国道9号線と並行して走った。
もう少し早ければ東海自然歩道を歩きたかった。

嵐山駅に着いたのは午後5時32分である。通常の道ならば目標の10時間を切れたかもしれない。
ただ京都市内からは膝の痛みがあり、走って歩いてを繰り返した。
10時間39分の成果は今後の課題として有効な数字です。
走行距離58km
今月50km越えを三回しました。

今回は休みをあまりとらないで、走行することを心がけました。竜王山と鬼子母神の所とポンポン山の頂上と
沓掛です。
ただお腹が空くことも多くあり、竜王山で昼食で鬼子母神ではカロリ-メイトでポンポン山でもカロリ-メイト。
沓掛ではコンビニでパンと紅茶です。

ただこんなに食事を摂るのも珍しいことです。

吉備津彦命

吉備津彦命といえば誰を思い出しますか?
実は桃太郎のモチ-フされた人物なんです。

吉備津神社岡山県岡山市備中国一宮)の縁起として、吉備津彦命が吉備平定にあたって温羅(うら)というを討ったという伝承が岡山県を中心として広く知られる。これによると、温羅は鬼ノ城に住んで地域を荒らしたが、吉備津彦命は犬飼健(いぬかいたける)・楽々森彦(ささもりひこ)・留玉臣(とめたまおみ)という3人の家来とともに討ち、その祟りを鎮めるために温羅の首を吉備津神社のの下に封じたという。吉備地域には伝説の関係地が多く伝わっているほか、伝説に関連する吉備津神社の鳴釜神事上田秋成の『雨月物語』中の「吉備津の釜」においても記されている(詳細は「温羅」を参照)。

例えば犬飼健は日本の首相になった犬飼毅の家系はこの犬飼健に繋がります。楽楽とは鉄のことを指します。
鳥取県の日野郡に楽々福神社というのがありますが、この楽々森彦に関係する神社です。桃太郎では猿をさします。
留玉臣は鳥飼部です。昔は鳥といえば雉を指していました。大阪の摂津には鳥飼という地名がありますが、昔は雉も多かったのでしょう。IMG_1488
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『生命の實相』

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戦後の『生命の實相』

寫眞輯


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上記の「心霊治療法の骨子」谷口雅春先生が御寄稿なされた文章があります。

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皇道大本と谷口先生-11

大本の入信の動機

谷口先生は綾部の大本へ行かれる。それを「参綾」と呼んでいます。その動機では「自叙伝」より、こちらの文章のほうが詳しく書いています。当時の大本ではそこで寝泊りされている人達をみて今までの悩みとかが払拭されたような事であったと推察されます、それは基督の如く感じられたような気がします。

 

『私は綾部で初めて、自分の内なるものの審判に恥ぢない生活を見出しましたそれは実に各人の働きが人類の喜びであるような生活でした。過去を振返って見ますと凡てが大本へ入る前の予備試験のやうに考へられます。』

 

大本の入信は「過去を振返り、今までの生活は大本に入る予備試験」と云っておられます。余程感銘受けられたかは想像難くない。

下記の文章は『神霊界』大正七年二月十五日號(第八十號)より抜粋致します。

また、大本入信前に『彗星』大正七年九月号に『心霊療法の骨子』を投稿されておられます。その時のやりとりが書いています。

『皇道大本』の特集が大きく組まれていたのと相対するような形で掲載されていたのを書いておられます。それは『彗星』という雑誌を送って戴いている御礼として『投稿』されています。

なお、岡田射雁はそのまま書きましたが、三十年史や五十年史や自叙伝には岡田建文と記載されております。

大正初めに松江には心霊や霊術とかの人物を排出しております。『彗星』の岡田建文という人物はあの柳田國男とも親交があり、この『彗星』以外にも『心霊不滅』『妖怪霊異誌』など多数出版している。また木原氏の耳根圓通法と記入しているのが五十年史では木原鬼仏と記入しているが木原通徳の事である。大本にも大正八年に入信し、第一次大本事件で辞めている。入信していた時期に『霊明法』という本やそれ以外に『精神修養 冥想法講話』『心身強健養気療法』を出版している。松江では『心霊界』という雑誌を出版していた、後程、谷口先生は『心霊界』にも多数、ご投稿なされています。

松江には永井霊洋という霊術家がいる最初は法華行者のもとで修行してエクソシストになり、憑依的な世界観を捨てて霊術家に変貌したという、興味深い経歴の持ち主で、優秀な術者、治療家ではあったようである。霊子板のような木板を使った霊能開発法があり、ポスト太霊道の霊術家なのか、あるいは田中守平よりも先駆的な術者なのかという興味深い問題もある。この永井の団体は、桑田欣児の団体と同様、戦後は宗教法人に衣替えして子息が後を継ぎ、「みちから教」と名乗り、松江で活動を続けていた。

 
入信の動機

皇道大本と谷口先生-10



大正81012

選ばれたる日本民族の道徳

白龍王

大正8127


 

皇道霊學講和(1

竹生島参拝紀行(3

正治

まさはる

大正81221

大正8127




 

 

 

竹生島参拝紀行(4

皇道霊學講和(2



 

 

まさはる

正治


 




















「谷口先生と武者小路実篤」

下記の文章は『谷口雅春とその時代』小野泰博著の抜粋です。

ここでとりわけ、武者小路実篤の『皇道霊学講和』を読んでの反論である。

茲に書いていますように

「御手紙拝見正直な処君の本を読むまでは君に随分好意をもっていたのですが、君の本をよんでがっかりしたのでした。正気の沙汰と思えないことが多く書いてあったので嘘もいい加減にしろと云う気がしました。君があの本を書いたことを後悔されることをのぞんでいます。君には某子が耶蘇の再生に見えるのですか。龍が日本人になると信じているのですか。正気に帰るか正直になるかどっちかを望みます。」

この文章は大正10年である。その年の八月三十一日付で「谷口先生」に届いている。

谷口先生は武者小路実篤の「新しき村」というユ-トピアを目指し、実際宮崎県の児湯郡木村町大字石河内に人間の理想郷を目指し開拓した村がある。

それを好意的にもっておられ、それが谷口先生はこの「大本」に理想郷をめざしておられることがわかります。

谷口先生はここで「正しき信仰」とは如何なるものかを、切々と説いておられます。

「正しき信仰」とは常に動揺変化する時代の科学や常識には超然として不変なるものであると喝破されている。

この谷口先生の反論は実に爽快である。これほどの有知識者に泰然と怯むことなく反論されておられるのが感心致します。

それでは長文ですが引用させて頂きます。


武者小路実篤批判

明治四十三年(一九一〇)四月、『白樺』が創刊された。そのとき志賀直哉二十八歳、武者小路実篤は二十六歳の青年であったが、谷口正治はまだ十七歳の中学生であった。「白樺派には元来「遊ぶ」仲間と、「道ばぬ」連中とがあり、前者には志賀や里見惇があてられ、後者には武者小路や長与善郎が属し、一体に〔遊ぶ」仲間の方はリアリスティックな型の作家で、「遊ばぬ」連中の方は、アイディアリスティックな型に入るといわれる(本多秋五「白樺派の文学」)。この武者小路がトルストイの強い影響のもと「新しき村」の建設に乗り出すのは大正七年(一九一八、三十四歳)であり、布局武郎が、父の死後、父のもっていた北海道の広大な農場をその小作人たちに解放したのは大正十一年のことである。

武者小路は青年時代を回顧してこう述べている。


 「自分が今日あるのはトルストイのおかげだと思っている。自分にとってトルストイは最大の恩師であった。今自分はトルストイの思想と同じ思想を持っているとは、言えないが、しかし自分か人生に深い信頼を失わずに今日迄来られたのはトルストイのおかげである……」


 また、恋する程に愛していたトルストイの感化は強く、「自分は冬中、火を遠ざけたり、うす着したり、殺生するのが気を引け、家出を考えたりした」(「トルストイ」の序文)ともいう。そうした理想を生かす場としてのユートピアが新しき村であり、一種の原始共産体というものを夢みていたのである。

この武者小路について谷口正治は、大本数を出てゆく直前の大正十年に公開状を書いている(「新しき村の開拓者武者小路実篤氏に贈る公開状」「神の国」大正十年十月号

その中で正治は、「新しき村」の精神はけっこうであるが、そこには、「神に対する観念が不明瞭なために、村に臥っている龍に晴が黙けられておらず、本当に村の精神が生きて来ない。何だか薄紙を隔てて物を見ているような歯禅さを感じないではいられない」と問いかけている。


大正九年に出た谷口正治の『皇道霊学講話」に対する武者小路の評であろうか、谷口宛に、「……君の本をよんでがっかりしたのでした。正気の沙汰と思えないことが多く書いてあったので嘘もいい加減にしろと云う気がしました。君があの本を書いたことを後悔されることをのぞんでいます。君には某子が耶蘇の再生に見えるのですか」と、暗に出口王仁三郎をキリストの再臨に擬している谷口の論を、正気の沙汰とは思えなかったとしている。そして武者小路は、「真の信仰は健全な常識や科学と矛盾しないもの」という立場で押してくる。また彼は雑誌『新天地』の記者に対し、「大本数は理性に反する処が多いので無視しています。調べる気もありません」と回答している。


 これに対し谷口は、聖書こそ正気の沙汰と思われないことで満ちており、例えば、「耶蘇が五つのパンと二つの魚を五千人に摯いて予えた時に、皆々食いあきて、その余りたる屑が十二の箆にI杯になったという記事や、耶蘇が海の上を徒渉した」という記事など、理性では解しがたいにしても事実ではないかと遣る。綾部の皇道大本にしても、その修行場の実況を見るに至り、在来の科学的常識では到底肯定しがたい幾多の霊怪現象をまのあたりにすると、聖書の嘘にみえる記事が文字通り超理性の奇蹟に見えてくるものだとやりかえす。

 そして武者小路の神観念があいまいで、「我々はこの宇宙をつらぬく力を信じている。神の如き力である。この力に自己を任せることより他に、自己を生かし切る道のない事を信じる」という表現について、なぜ「この宇宙をつらぬく力」を「神の如き力」としかいえず、はっきり「神の力」と言い切れないのかとつめよる。


谷口にとっては神の力を霊的実修として鎮魂帰神の中にその働きを体験していたからであろう、この強い語気は。谷口は、武者小路に、自分の書いた本で満足できなければ「旧約の予言書が書いたようなきびくした御筆先を読んで下さい。序でに綾部でも亀岡へでもお立寄り下さい」、そうすればやがて新しい村の信仰にも神観念がはっきりつかめることになるであろうと反駁している。たしかに新しき村は、「生かそう」という神様の意志を漠然ながら感じてはいるようだが、大本の方はすでに「生かそう」という神の意志をはっきり把握しながら生長しようとしている。


新しき村も、大本もそうした意味で生かそうという神の意志から出たものだという。ここにはやがて「生長の家」活動の基本になる「生長」の概念が強く押し出されているのに気づく。「生かそう」という神の意志にもとづき法爾自然にその形式が大きく神のおはからいに委せて出来あがろうとしているのが皇道大本なら、自力の限りと、人間的なはからいの限りを尽して、その形式の方が出来つつあるのが新しき村だという。

 まだこの時点では、谷口は懸命に大本の立場を擁護するための論陣を張っている。つまり、「兎もかく某氏(出口王仁二郎)を耶蘇の霊魂の再来であることを信じ得れば信じて下さい。信じ得なくば信じて下さらなくとも宜しい。唯これだけは某氏を知る私として断言し得ることなのです。某氏が仮令耶蘇の再生でないにしても彼は救世主として是非有たねばならぬ渾沌そのもののような風格を備えていると」(「新しき村の開拓者武者小路実篤氏に贈る公開状」「神の国」大正十年十月)。

こうした真剣な問いかけが当時の大本にはみなぎっていた。

 彼らはキリスト数の魅力は、そのバイブルに記せる最後の審判と天国の福音とにあるとし、これを大本流にいうと、「最後の審判は、幽界と顕界との一括的大淘汰」であり、後者は「地上の理想的世界建設」であり、この二大目標を除けば大本数の出現はほとんど無意味だ(池沢原治郎「大本数は果たして邪教乎」大正十年、ヱ八九頁)とさえ述べている。かくて明治二十五年(一八九二)に誕生した大本数は、三十年足らずの間に教団の勢力が全国的規模に広がり、大正九年(一九二〇)には、「信徒十万」を数えるようになったという。

 この当時(大正七~九年)入信した人たちの「入信の経路」を雑誌『神霊界』や『大本時報」はのせているが、それによると四十五例のうち軍人が五例、社会主義からの転向者八例、立替え立直し、世界統一の考えに共鳴してやってきた者十二例、哲学的な悩みからきた人十例、病気直しにより入信した者二名となっており、年齢的には二十歳入二十歳が過半数をしめたという(「大本七十年史」上、四六八言。この『神霊界』に谷口正治(神戸、二十七歳)として「入信の経路、参綾の動機」をしたためたのは大正八年二月〒五号)のことである。

 谷口はここで、例のメーテルリンクに惹かれると共にオスカー・ワイルドの華爛な美装に充ちた生活に憧れたことを述べた上、例の女性遍歴のことを告白し、「永い間不満足に思って居た社会組織が根底から立替えられる皇道大本なることを知った」ことが動機であるとする。また、すでに彼は、今まで独学で勉強してきた「心霊療法の骨子」なる小文を松江の『彗星」誌に送り込んだところ、それが受理され掲載されたことが動機で参綾の時節を迎え、「綾部で初めて、自分の内なるものの審判に恥じない生活を見出しました」と桔んでいる(ちなみに、この当時オスカー・ワイルドに心を惹かれたのは谷口だけでなく、作家谷崎潤一郎あり、和辻哲郎があった。和辻はその耽美派的発想で、谷崎の感心する処と自分の感動する個所の違いを知り、とても谷崎に及ばないと悟り、作家志望を捨てたという)。

 いずれにせよ大本発展の盛期大正七年から元年へかけては、大本数の出版物は約三十種にのぽり、「文書宣教」を主とする新しい教団活動のあり方を如実に示すものであった。そして、その中心的機関誌『大本時報』の編集は浅野(前出、四九頁)が指導的な立場に立ち、今井楳軒と並んで、谷口正治も参画している。後の「生長の家」活動が、主として文書伝道でその数勢を発展させてゆく方法は、すでに大本においてそれを見ることができる。文書による意見の表明が盛んになると、自ら見解の相違も表面化してくる恐れもあった。




武者小路実篤

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皇道大本と谷口先生-9

皇道霊學講話-3
大本時代の年譜



大正32


大正5

大正6


大正74


大正7.8


大正8



大正82




大正84










大正93.22


大正9323

大正9324

大正93.25

大正96












大正9.914

大正9.11.15

大正9.11.22

大正10.2.12

大正108




大正11.10.26~大正11.09



 



大正11.8


大正11.8









大正11.10



大正12.1

大正12.2



早稲田大学を中退。(22歳)中退後、大阪の摂津紡績(現在のユニチカ)株式会社木津川工場に技術練習生として入社。

この年、摂津紡績を退社し、神戸市東川崎4丁目の養母の許に帰る。社会改造と人類救済の道を求めて心霊研究を始める。このころ『国訳大蔵経』(国民文庫刊行会)を読む。

松江市の岡田健文氏より雑誌『彗星』が谷口先生の許に送られ、皇道大本を知る。

『彗星』九月号『心霊療法の骨子』に寄稿

京都府綾部の皇道大本を訪れる。

早春、大本教に入信し綾部に移住。まもなく文章の才能を認められて出版物の編集主任となる。『神霊界』『大本時報』『大本新聞』等に宗教論文及び小説、随筆、和歌、時事問題に関する多数の文章を発表。

『神霊界』大正八年二月十五日(第八十號)「入信の徑路 参綾の動機」(私は綾部で初めて、自分の内なるものの審判に恥じない生活を見出しました、それは実に各人の働きが人類の喜びであるような生活でした。)大本の入信の動機を語る。

『神霊界』大正八年四月一日(第八十三號)「邪神の發生と身魂の修秡」(古事記の解読と「神癒」への比較論文)

『神霊界』大正八年四月十五日(第八十四號)

「大本靈学の私的研究」(皇道大本の鎮魂が催眠術ではないことと、憑依霊の形式など…)

「改宗者の手帳より」○建替は残虐なりや ○悪の発生問題 ○お前とならばどこまでも ○ミロクの大神(キリスト再臨と弥勒菩薩の下生と尊師の567ヶ月に因んで“567殿”

『大本時報』大正8127日から「皇道霊学講和」の連載始まる。大正9627日(20

皇道大本の講師として東京へ

 東京専修大学講演  「大本より観たる心理現象」

 学士会館      「神力の科学的研究」

 有楽座       「改造の根本義」 

神田立花亭     「神と人との世界改造」

処女出版『皇道霊学講和』を東京・新光社より出版。(28歳)

皇道大本研究資料 亀岡叢書の編纂出版 全14巻(内、八巻出版)

第四編  神示の比較宗教論   谷口白龍(ペンネ-ム)
第五編  ヨハ子黙示録(子はママ) 谷口正治
第六編  鎭魂歸神の要諦      谷口正治講述
第七編  基督再臨の眞相      谷口正治
                今井楳軒翁の序
第九編  社会主義と皇道大本    谷口正治
第十編  行ふべき道        谷口正治   
第十二編 言霊と神通力       谷口正治
     言霊を詳しく書き表わしています。
第十四編 非醫治療法批判      谷口正治

『大正日々新聞』発行のため『大本時報』を休刊。

『大本新聞』16号にて廃刊。

江守輝子様と御結婚。(今井梅軒の媒酌にて

第一次大本教事件
大正10年2月12日、不敬罪と新聞紙法違反の疑いで、出口王仁三郎祖ほか数人が検挙され、王仁三郎は126日間の未決生活ののち保釈。同年秋から『霊界物語』の口述を始めた。

このころ、西田天香著『懺悔の生活』を読み京都鹿ケ谷の一燈園を訪問。

『霊界物語』雅春先生が筆録(最初4名にて口述筆記)

第二巻完了とともに「出口教祖詳伝」編集の任の為筆録者から外れる。

その後、事件は大審院で“前審に重大な欠陥あり”として、前判決を破棄し、再審理中、大正天皇の崩御により免訴となり解消した。警察部、検察、予審判事総数130

『霊界物語』雅春先生が筆録(最初4名)

一燈園の機関紙『光』8月号に「天香さんと倉田さん」を発表。以後『光』誌上に多数の論文を寄稿。

第一次大本事件の控訴院から大本教のお筆先の調査以来。

押収された約1万冊の原本を読破(約40日間)105日京都地方裁判所にて裁判。

大阪の控訴院から、なおの御筆先と王仁三郎の漢字交じりで書き直したものを比較し、不敬罪に核当する箇所がないか調査を依頼される。その作業で、教団の発表した予言に食い違いがあり、当たったものだけが機関紙に掲載されている事実を知る。更には出口家を天皇に代わる地上の権力者にしようとする啓示を発見し、決定的な疑問を感じる

(当時なおの文章は難解であり、それを解読する人も少なく谷口先生が今までの才能を認められ調査依頼される。)

大本教を脱退

一旦神戸へ戻り、上京

『東亜公論』へ入社。半月で退社(今井楳軒氏の紹介)

浅草区小島町へ移転(金銀の飾り職人の二階)『聖道へ』執筆活動

論文集『聖道へ』を東京・新光社より出版。『聖道へ』出筆後、小説家を志し、長編小説三編(『神を審判く』、大本教祖を主人公とする小説及び摂津紡績時代の工場労働者を主人公としたプロレタリア小説)を執筆、また、浅野和三郎主宰の雑誌『心霊研究』にはマッケンジ-の『幽明之交通』等を翻訳紹介する。



 


大本を脱退するまでに、大本神諭の原本を読破をして不敬罪の箇所がないかを調査するのであるが、

そこでの天皇に代わる地上の権力者にしようとする啓示を発見すまでにいろいろな論文を書いています。

大正11年8月頃に大阪控訴院からの依頼を受けて約1万冊の文章を読破していくのですが、そんななかでも論文を発表されています。

それが大正11年8月16日「文化生活と憐愍道」

その後大本に疑問感じた時に「強制の道と愛の道」を発表して大本に属していけない。その大本に属していたために供養されていた生活費(40円)はもう誰からも供養されない。この論文は『新佛教の発見』に所収。

その年の10月に大本を去るのです。一旦神戸に戻ったがいつまでも養家にもおられない、

すぐに東京へと転居するのです。



その後

11月25日  「平和への道」

12月3日   「救いの道は創造主から来るか」

12月10日  「積極道と消極道との価値転倒」

12月12日  「リップス論理学の誤謬」

12月16日  「奉仕生活の根本問題」

12月20日  「百姓愛道場と新しき村」

12月22日  「自分の世界観及び人生観」

12月24日  「恋愛の理想と現実」

上記のすべては『佛教の把握』(『新佛教の発見』)に所収



これらは谷口雅春先生の30歳の時の仕事であり、小説家を歩もうとする決意ともなる。

それとともに浅草小島町に移り食うや食わずの生活のなかから『聖道へ』を執筆していくのです。

こうした中に三界は唯心所現や「本当にある世界」を発見していくのであります。

また『聖道へ』も好評であったが、もっと多くの人を引き付ける力量不足も反省として残るのです。

しかし、こうした論文も生長の家の基礎としている。

「武者小路実篤氏の「新しき村」や賀川豊彦氏の貧民愛生活や江渡狄嶺氏の百姓愛生活や西田天香氏の懺悔奉仕の生活やこれらの試みのことを思うと、自分は感謝と感激の念に満たされずにいられない」

それを讃仰しながらもなにか一つ物足りなさともっと多くの人を救うことを考えていたのではないかと思います。

また倉田百三とは「一燈園」での生活をしていたのですが、倉田百三は憐愍道を生きながら、他方では芝居を見、芸術を鑑賞する。そうした一燈園の生活には耐えきれずに離れていくのである。

雅春先生はそうした生き方より、西田天香氏のように愚直ながら理想的行動へ共鳴していくのです。





浅野和三郎氏が谷口雅春先生の処女作である『皇道霊学講話』の序にてこのように述べている。





谷口君が初めて其姿を大本の修行場たる金龍殿に現したのは、大正七年の9月であった。近頃は毎日の修行者が二三百人に上るが、当時はせいぜい四五十人位のもので、講演も鎮魂も主として私一人の受持であった。

谷口君は其蒼白な、いささか憔悴気味ある顔を聴講者の間に並べて、黙って聴いて居た。坐談の際にも、その人々とは混らず、控え目な、超越したような態度を執って居た。かくて約三週間ばかりが経過したが、私は其間に極めて簡単な一二語を交えたに過ぎなかった。

大本修養者の中にの随分熱性のものが多い。立替の時間の切迫、日本人の使命天職、神の実在とその経綸、各自の改心、未曾有の国難来―今迄夢にも想わなかった是等の問題が、一つ一つ実証的に心の鏡に映じ出して来るとモ-矢も楯も耐えらない。在来の仕事も何も手に附かぬようになって、血眼になって来る。

谷口君には其様な熱はない、何所までも冷えて居る。大声せず、叱呼せず、孤坐独棲、そして空想と思索に耽ると云った風である。何ちらかといへば詩人肌といわんより、哲学者肌の要素が多い。感情よりは、寧ろ理性に縋りて信仰の険路を一歩一歩に踏みしめて登り行くという趣味がある。私はこの人は早く綾部に来る人ではないと見当をつけた。

黙って来、黙って聴き、黙って去った谷口君は爾来数ヶ月間杳として其消息を知らさなかったが、その頃神戸に新設された支部などにも出入りし、数々の奇抜な霊的現象を調査する傍ら、大本神諭の研究し、漸く大本で説く皇道霊学の真味を捕え得たらしい。

情熱のみで働く人は、ややもすれば冷め易い。

頭脳の悪い人は、下らぬ議論や薄っぺらな学説に迷される。

金銭や地位のある人は妥協的に流れる。老人は兎角優柔不断に陥る。谷口君には幸い此等の何れにも煩累が無かった。そして翌くる大正8年の早春には、神戸を後に綾部に移住して来た。私は案外早く形がついたと歓んだ。

それから谷口君は全然皇道大本の畑の人となった。雑誌『神霊界』の編輯に当ったり、霊学に関する谷口一流の研究を筆に書いたり、口で説いたり、やがて大本の機関新聞『大本時報』の刊行されるや、其編輯を助け其間に大本神諭類纂という大仕事にも専心努力した。が、何と云っても、谷口君の三年続きの研究の肝脳ともいうべきものは本書に収められている。

皇道霊学は天地の創造と其淵源を均うし、これほど古い学問は無い。が、崇神天皇が和光同塵の神策を取らせ給い、全然世に埋もるること爰に2千歳、今回綾部に国祖神と共に復活したのであるから、これほど新しい学問は又外に無い。

それ丈頑冥不霊な腐儒、学究をはじめ、殆ど満天下の非難、攻撃、讒悔、嘲弄の標的と成りつつあるは無理もない話である。谷口君が敢然として其鋭い研究のメスを之に向けたのは寔に天下の快挙と謂わねばならぬ。

皇道霊学の範囲は広くして且つ深い。実は天地間一切の事物、哲学も、科学も、宗教も、政治も、軍治も、経済も其他有ゆるものも悉く此内に抱擁されて帰一融合されねばならぬ。

此質のものである。これからは苟くも研究的良心のあるものならば、天下を挙げて此方面に殺到して来るに相違ない。

百人や千人、百年や千年、人間がド-切っても、それで際限窮極が見付かる学問ではない。谷口君が兎も角も先鞭を之につけたのは、それ丈で既に燗眼である。後日何人か現われて研究の歩を進めるにしても、此第一人を無視することは出来ない。

真信仰に入るべき途は、人毎にめいめい異なると云って可い。奇蹟から入るもの、神諭からも入るもの、病気から入るもの、不幸災厄から入るもの、燗悶焦慮から入るもの等数え尽すべきもない。が、知識尊重の癖をつけられた現代人士は、矢張り霊学方面から入りたがる。本書は現代人士の要求の大半を充たすものであると確信する。

此点から見ても本書出版の意義は充分だと思う。

大正9年6月4日修齋会本部に於いて

   浅野和三郎













 


 


 


 


 


 

















皇道大本と谷口先生-8

『皇道霊学講話』

目次


谷口君が初めて其姿を大本の修行場たる金龍殿に現したのは、大正七年の9月であった。近頃は毎日の修行者が二三百人に上るが、当時はせいぜい四五十人位のもので、講演も鎮魂も主として私一人の受持であった。

谷口君は其蒼白な、いささか憔悴気味ある顔を聴講者の間に並べて、黙って聴いて居た。坐談の際にも、その人々とは混らず、控え目な、超越したような態度を執って居た。かくて約三週間ばかりが経過したが、私は其間に極めて簡単な一二語を交えたに過ぎなかった。

大本修養者の中にの随分熱性のものが多い。立替の時間の切迫、日本人の使命天職、神の実在とその経綸、各自の改心、未曾有の国難来―今迄夢にも想わなかった是等の問題が、一つ一つ実証的に心の鏡に映じ出して来るとモ-矢も楯も耐えらない。在来の仕事も何も手に附かぬようになって、血眼になって来る。

谷口君には其様な熱はない、何所までも冷えて居る。大声せず、叱呼せず、孤坐独棲、そして空想と思索に耽ると云った風である。何ちらかといへば詩人肌といわんより、哲学者肌の要素が多い。感情よりは、寧ろ理性に縋りて信仰の険路を一歩一歩に踏みしめて登り行くという趣味がある。私はこの人は早く綾部に来る人ではないと見当をつけた。

黙って来、黙って聴き、黙って去った谷口君は爾来数ヶ月間杳として其消息を知らさなかったが、その頃神戸に新設された支部などにも出入りし、数々の奇抜な霊的現象を調査する傍ら、大本神諭の研究し、漸く大本で説く皇道霊学の真味を捕え得たらしい。

情熱のみで働く人は、ややもすれば冷め易い。

頭脳の悪い人は、下らぬ議論や薄っぺらな学説に迷される。

金銭や地位のある人は妥協的に流れる。老人は兎角優柔不断に陥る。谷口君には幸い此等の何れにも煩累が無かった。そして翌くる大正8年の早春には、神戸を後に綾部に移住して来た。私は案外早く形がついたと歓んだ。

それから谷口君は全然皇道大本の畑の人となった。雑誌『神霊界』の編輯に当ったり、霊学に関する谷口一流の研究を筆に書いたり、口で説いたり、やがて大本の機関新聞『大本時報』の刊行されるや、其編輯を助け其間に大本神諭類纂という大仕事にも専心努力した。が、何と云っても、谷口君の三年続きの研究の肝脳ともいうべきものは本書に収められている。

皇道霊学は天地の創造と其淵源を均うし、これほど古い学問は無い。が、崇神天皇が和光同塵の神策を取らせ給い、全然世に埋もるること爰に2千歳、今回綾部に国祖神と共に復活したのであるから、これほど新しい学問は又外に無い。

それ丈頑冥不霊な腐儒、学究をはじめ、殆ど満天下の非難、攻撃、讒悔、嘲弄の標的と成りつつあるは無理もない話である。谷口君が敢然として其鋭い研究のメスを之に向けたのは寔に天下の快挙と謂わねばならぬ。

皇道霊学の範囲は広くして且つ深い。実は天地間一切の事物、哲学も、科学も、宗教も、政治も、軍治も、経済も其他有ゆるものも悉く此内に抱擁されて帰一融合されねばならぬ。

此質のものである。これからは苟くも研究的良心のあるものならば、天下を挙げて此方面に殺到して来るに相違ない。

百人や千人、百年や千年、人間がド-切っても、それで際限窮極が見付かる学問ではない。谷口君が兎も角も先鞭を之につけたのは、それ丈で既に燗眼である。後日何人か現われて研究の歩を進めるにしても、此第一人を無視することは出来ない。

真信仰に入るべき途は、人毎にめいめい異なると云って可い。奇蹟から入るもの、神諭からも入るもの、病気から入るもの、不幸災厄から入るもの、燗悶焦慮から入るもの等数え尽すべきもない。が、知識尊重の癖をつけられた現代人士は、矢張り霊学方面から入りたがる。本書は現代人士の要求の大半を充たすものであると確信する。

此点から見ても本書出版の意義は充分だと思う。

大正964日修齋会本部に於いて

   浅野和三郎

 

 

序にかへて

第一章 総説

1.科学界の覚醒

2.驚異すべき大本神諭の内容

3.泰西に於ける交霊術の価値

 

第二章 最近の世界思潮と其矛盾

 1.霊学なき改造運動と芸術批評

 2.霊的問題は社会改造の根本義

 3.民主主義及無神論跋扈

 

第三章 宇宙の本質と言霊元子

 1.全大宇宙の本質

 2.言霊元子の活動と時間空間

 

第四章 言霊元子活動の天則

 1.全大宇宙の活動を表現する言霊

 2.陰陽火水霊体二元の誕生

 3.産霊の意義と新陳代謝の天則

 4.積極性と消極性との共同活動

 5.御筆先に現われたる天地の創造

 6.人類の聲音と宇宙の言霊

 7.葦芽比古遲神と微分子の構成

 8.霊系と体系との複雑な交錯

 9.体と霊とは何れが主か

 10.男女の社会連帯と母性の復興

 11.霊の男女性と体の男女性

 12.産霊と霊主体従との根本原則

 13.産霊の究極目的は何であるか

 

第五章 神力の発現と自然現象

 1.最近科学と自然哲学の批判

 2.至大天球の位置のエネルギ-

 3.八力の諸神の顕現とその分担

 4.宇宙に遍遲して個体を有せる神

 

第六章 基督再臨問題と其意義

 1.  基督再臨問題の貫き鍵

 2.如何にキリストは再臨するのか

 3.所謂秘密の経綸とは何ぞ

 4.再臨の基督とは如何なる人ぞ

 5.大本神諭とバイブル

 

第七章 世界の立替立直と其時期

 1. 立替立直とは何ぞ

 2.ダニエル書に現われたる世界の終末

 3.建替切迫せる今日の男女問題

 4.古事記に現われたる三貴士

 

第八章 人類の起源と其進化

 1.大本神諭の教ゆる人類の起源

 2.天孫民族は猿の子孫にあらず

 3.人類発生率より観たる日本人

 4.天孫降臨前の先住種族

 

第九章 日本対世界の大葛藤

 1.古事記に表はれた大預言

 2.神政成就世界統一後の楽天地

 

第十章 日本人の使命と世界統一

 1.宇宙の普遍意思と日本の使命

 2.平等の差別と差別ある平等

 3.日本は世界統一の資格ありや

 

第十一章 霊魂と宇宙意思

 1.生物の霊魂と無生物の霊魂

 2.肉体の龍神と霊魂の龍神

 3.受胎に現われたる宇宙意思

 4.細胞霊魂の神権君主組織

 

第十二章 霊魂の人格的存在

 1.人格我と細胞霊魂の関係

 2.死後の霊魂の生活状態

 3.死といふ現象の真意義

 4.所謂交霊現象の本体

 5.動物霊は人類に憑依するか

 

第十三章 憑霊現象と心理学者の誤解

 1.心理学者の潜在意識説

 2.心理学者の提供せる一実例

 3.所謂潜在意識の自働現象

 4.心理学者の所謂第二人格

 5.精神交感に伴ふ幽霊現象

 6.様々の隠身と神憑現象

 7.悪霊の駆逐と其方法

 

第十四章 守護神とは何ぞ

 1.自己の霊魂と正守護神

 2.守護神の三種類

 3.守護神の奉齋と其歴史

 4.祖先の霊魂の奉齋

 

第十五章 鎮魂帰神の価値

 1.正守護神の司る役目

 2.鎮魂帰神と催眠術の暗示

 

神道・神仙道啓蒙瓦版からの『皇道霊学講話』の紹介文

この『皇道霊学講話』という本は一部の人しかその値打ちを知らない。

とりわけ、生長の家の信徒の人がその値打ちを把握していないのが残念ですが、霊学においては一流の本であり、霊学を勉学するものには必携の本である。

下記に神道・神仙道啓蒙瓦版に下記の読後感想文がある。

当時の「霊学」においては鮮明な文章であり、独特な思想展開により日本独特の神道のと心理学を通しての「霊学」をみております。

それでは、少し目次では私の文章と重複しますが御覧下さい。

現在、大本にあるミロクという名称も「谷口雅春」先生が最初に使われています。

また、大本の言葉であるような文章でも実は「谷口」先生が最初に説かれたと解する文章があります。

 

 

 

 皇道霊學講話-1

 

『皇道霊学講和』

 


『皇道霊学講話』 谷口正治著
  大正9年六月初版 新光社発行 全332

 かの谷口雅春氏がまだ谷口正治と称していた時代に書かれた古典的名著ですが、現在入手は殆ど困難な本です。
 友清氏の「霊学筌蹄」と双璧をなす書籍と云われていますが、その名のみ知られ本書に就いてはその希少性から殆ど語られることはございませんでした。
 霊学筌蹄は誰にでもすぐに買えますので是非お読み比べをして戴きたいと思います。

尚、序文は浅野和三郎氏が書かれています。
 
目次 
 第一章 総説
 第二章 最近の生活思潮と其矛盾
 第三章 宇宙の本質と言霊元子
 第四章 言霊元子活動の天則
 第五章 神力の発現と自然現象
 第六章 基督再降臨問題と其意識
 第七章 世界の立替立直と其時期
 第八章 人類の起源と其進化
 第九章 日本体世界の大葛藤
 第十章 日本人の使命と世界統一
 第十一章 霊魂と宇宙意思
 第十ニ章 霊魂の人格的存在
 第十三章 憑霊現象と心理学者の誤解
 第十四章 守護神とは何ぞ
 第十五章 鎮魂帰神の価値

 本書は神道のみならず様々な視点から書かれており、この時代にしてこの卓見に達したる谷口氏には敬伯するしかありません。

又本書では田中守平の太霊道の批判などもしており、とても興味深いものがあります。
「太霊道の田中守平氏は宇宙独一眞神を指して太霊と称しているが、氏は一方には太霊には意思を有せずと称してその超越的思想を誇るかに見るると同時に、他方に於いて宇宙一切凡総事物太霊の霊勅に出づると称しているのは、甚だしい幼稚な矛盾に陥ったのである。太霊の霊動とは天之御中主大神の智情意の他の何であるか?それは余りにも明白な錯誤であると云うべきである。云々」
とかなりのページを割いて弾劾しており、これも当時の文献ならではの記述であると思います。

また著者は「六六六」を「みろく」と解し、また神は「火水」とも云えると持論を展開している。キリストも独自のことたま論にて一太刀で斬り捨てています。
独自の言霊理論を縦横無尽に展開し、持論を懇々と説いております。

よくもまあこれだけの内容を要所を掴んでテキパキと書かれたものだと関心します。
谷口氏はまさしく稀代の方だったと再確認出来る書であろうと思われます

皇道大本と谷口先生-7

『光』誌御寄稿文章

『光』大正1110月号

文化生活と憐憫道」14頁の御文章)

『光』昭和2年4月号 「再び『呪わざる生活』に就いて」6頁の御文章 (昭
和2年1月3日奉天木谷様方にて)

『光』昭和25月号 「大調和の世界」7頁の御文章
(今、昭和2年4月29日午前5時です。ひどいインフルエンザで妻子40度の体温を上下したのがやっと病状が落ち付いたらしいので、久しい
間の負い事を果さして頂きました)



『神の國』(大正十年十一月號)第四號

「美代子さん」 谷口輝子
この「美代子」さんは谷口姓として始めての輝子先生の投稿文です。しかもこのような長文も初めてです。

御結婚されたのが大正九年十一月二十二日、二八歳の誕生日に結婚されておられます。輝子夫人は二十五歳です。その後床に伏したまま苦しい生活がはじまったと記入されています。
当時は心臓弁膜症といわれ、谷口先生は当時を回想してつぎのように言われている。

『その頃、わたしはどんなに色々の医学書を読んだか知れません。民間療法の書物もたくさん読みました。
医者に負けないほどに私は病気の治療法や薬剤のことや、発病の原因などを知ろうとつとまました。若しこの家内が強健な身体でありましたならば、私は治病のことについてこんなに深く研究もしなかったでありましょうし、その研究から来た「本来人間無病」の生長の家の真理にも到達しなかったかも知れないのであります』

『神の國』に寄稿されておられるのですから、随分よくなられていることが推察できます。

なお、谷口先生が『その頃、わたしはどんなに色々の医学書を読んだか知れません。民間療法の書物もたくさん読みました。』
と記入されておられるのは、以前紹介しました、亀岡叢書のなかの

第十四編 非醫治療法批判      谷口正治 大正1021日発行

でいかに医療書を読まれたかが推察できます。
ここで記入されているのが「非治療法批判」ですから読まれた読書の中から体系的に纏められた書物です。

1)岡田虎次郎氏の死と静座法の眞価
2)濱田光哲氏の念射術
3)大祓詞治療法
4)道徳的病気解決法
5)気合術批判
6)鈴木美山氏の哲理治療法
(上巻終)と記入されていましたので、次回を書かれていたように推察できますので、治療法や薬剤の勉強されたことがわかります。IMG_1521


 

 

皇道大本と谷口先生-6

『光』誌御寄稿文章

『光』大正1110月号

文化生活と憐憫道」14頁の御文章)

『光』昭和2年4月号 「再び『呪わざる生活』に就いて」6頁の御文章 (昭
和2年1月3日奉天木谷様方にて)

『光』昭和25月号 「大調和の世界」7頁の御文章
(今、昭和2年4月29日午前5時です。ひどいインフルエンザで妻子40度の体温を上下したのがやっと病状が落ち付いたらしいので、久しい
間の負い事を果さして頂きました)

 

 

『神の國』(大正十年十一月號)第四號

「美代子さん」 谷口輝子
この「美代子」さんは谷口姓として始めての輝子先生の投稿文です。しかもこのような長文も初めてです。

御結婚されたのが大正九年十一月二十二日、二八歳の誕生日に結婚されておられます。輝子夫人は二十五歳です。その後床に伏したまま苦しい生活がはじまったと記入されています。
当時は心臓弁膜症といわれ、谷口先生は当時を回想してつぎのように言われている。

『その頃、わたしはどんなに色々の医学書を読んだか知れません。民間療法の書物もたくさん読みました。
医者に負けないほどに私は病気の治療法や薬剤のことや、発病の原因などを知ろうとつとまました。若しこの家内が強健な身体でありましたならば、私は治病のことについてこんなに深く研究もしなかったでありましょうし、その研究から来た「本来人間無病」の生長の家の真理にも到達しなかったかも知れないのであります』

『神の國』に寄稿されておられるのですから、随分よくなられていることが推察できます。

なお、谷口先生が『その頃、わたしはどんなに色々の医学書を読んだか知れません。民間療法の書物もたくさん読みました。』
と記入されておられるのは、以前紹介しました、亀岡叢書のなかの

第十四編 非醫治療法批判      谷口正治 大正1021日発行

でいかに医療書を読まれたかが推察できます。
ここで記入されているのが「非治療法批判」ですから読まれた読書の中から体系的に纏められた書物です。

1)岡田虎次郎氏の死と静座法の眞価
2)濱田光哲氏の念射術
3)大祓詞治療法
4)道徳的病気解決法
5)気合術批判
6)鈴木美山氏の哲理治療法
(上巻終)と記入されていましたので、次回を書かれていたように推察できますので、治療法や薬剤の勉強されたことがわかります。IMG_1521


皇道大本と谷口先生-5

大正八年六月一日  (第八十七号)

「大本靈学より観たる変態心理」

「絶好なる過激思想對應策」

「金龍殿雑記」


谷口正治

まさはる

白龍王

 

大正八年七月一日  (第八十九号)

「皇道大本雑話」()

「つかれたる人」

「編集室より」


谷口正治

まさはる

白龍王

 

大正八年七月十五日  (第九十號)

「つかれたる人」

「心理学者の妄論」

「編集室より」


まさはる

小倉七美

白龍王

 

大正八年八月一日  (第九十一號)

「改宗者の手帳より()」神諭に現れたる天体の創造


白龍王

 

大正八年八月十五日  (第九十二號)

「幽界と色情」=改宗者の手帳より()

「編集室より」


白龍王

まさはる

 

大正八年九月一日  (第九十一號)

「大本靈学座話」=皇道大本雑話()

「食卓の十三人目」=改宗者の手帳より()


谷口正治

白龍王

 

大正八年九月十五日  (第九十四號)

「白と黒」=改宗者の手帳より()

「本守護神と正守護神」=皇道大本雑話()


白龍王

まさはる

 

※注:1 大正九年十月一日(第九十五號)-この號より編集内容が大いに変更となり、ほとんど出口王仁三郎師の文章となる  「おふでさき」や「神諭」、和歌等が中心となる。





 

 

 

 

大正九年一月一日(第百一號)

「歌留多百人一首」(自分の名前の入った歌一首) 

谷の戸を 明けて出口の 御教は 正しく直ゝ 國を治めむ


谷口正治


 

 

大正九年三月十一日(第百七號)

日の本を 神のみ國と 知らずして 見るもたふとし 秋津しま山


江守輝子

 

大正九年四月一日(第百八號)出版局図書編集主任 谷口 正治


 

大正九年六月十一日(第百十七號)

「八重垣神社参拝留守役 一人一首」(自分の名前の入った歌一首) 

谷派なる 神の出口の 正言に 丸く治まる 四方の國々


谷口正治

 

大正九年六月二十一日(第百十八號)

「亀岡萬壽苑紀行歌」(自分の名前の入った歌一首)  

谷派綾部の 大本の 出口教祖の 正言は 明冶二十五年より

千よろづの 寶も衣(きぬ)も 食物も みな大地(おおつち)の めぐみなりけり(募集歌)



谷口正治

江守てる子(ママ)


 

 

 

「桃山参陵記念歌 一人一首」(自分の名前の入った歌一首) 

谷派なる 出口の教子等(こら)が 襟正し 心治めて 参る桃山

谷口正治


 

大正十年三月一日(第百三十五號)

「靈の港」-最後の審判の豫兆-

1)基督を賣す者

2)基督再臨前の聖苦

3)基督の再誕と再臨

4)大本の神癒と建替の時期

5)大正維新の安政疑獄

6)運命と歴史の再現

7)妄(いつは)りの證者(あかししゃ)来る

8)総ての預言の完成

9)五月五日に何が来るか

10)吾等の使命


谷口正治

 

大正十年六月一日(第百三十八號 終刊号)

「わからせて頂いたこと」-他力と自力-  (大正1055日稿)


谷口正治

 























































































※大正
10211日 谷口雅春先生宅にも召喚審問を受ける。(第一次大本事件)輝子先生が対応される。(雅春先生は神戸の実家に
帰宅)

皇道霊學講話-1
皇道霊學講話-2

皇道大本と谷口先生-4

谷口雅春先生の御文章 大本時代

『神靈界』(B五判)掲載のご文章


※ 『神靈界』では、旧名の谷口正治、谷口政治、まさはる、白龍王、小倉七美 等のペンネームで投稿、記事を書かれていました。

※ 他に、谷口正治先生の役員紹介の一部は省略致しました。敬称は略させて頂きました。

大正七年十一月一日(第七十號)

「對語 ある國」(幽界の樹林、男女の幽体縺れ合ひながら語る)

『神霊界』初めての寄稿

谷口正治(神戸からの寄稿文)

大正七年一月十五日(第七十八號)

「對話 光りなき國」(舞臺永遠の沈みたる暗黒。佛霊の群縺れ合ひながら語る)


谷口 政治(ママ)(目次は正解)


 

 

大正八年二月十五日(第八十號)

「入信の徑路 参綾の動機」(目次タイトルは名は岩田鳴球となっている)

(私は綾部で初めて、自分の内なるものの審判に恥じない生活を見出しました、それは実に各人の働きが人類の喜びであるような生活でした。)大本の入信の動機を語る。


谷口正治 (神戸 二十七歳)

 

大正八年三月十五日(第八十二號)

「改心しかけた男の日記」○蟻と科学者 ○太陽のやうな神 ○智慧と運命

○時節と天分 (短文)


谷口 政治(ママ)

 

大正八年四月一日(第八十三號)

「邪神の發生と身魂の修秡」(古事記の解読と「神癒」への比較論文)


谷口正治(表紙の名前谷口 政治)

 

大正八年四月十五日(第八十四號)

「大本靈学の私的研究」(皇道大本の鎮魂が催眠術ではないことと、憑依霊の形式など…)

「改宗者の手帳より」○建替は残虐なりや ○悪の発生問題 ○お前とならばどこまでも ○ミロクの大神(キリスト再臨と弥勒菩薩の下生と尊師の567ヶ月に因んで“567殿”

「編集室より」   ※(編集後記)友清歓真より交替の旨


谷口正治


白龍王


白龍王

 

 

 

大正八年五月一日(第八十五號)

「金龍殿雑記」

「編集室より」


まさはる

白龍王

 

大正八年五月十五日(第八十五號)

「編集室より」(綾部新聞を執筆を記載)


白龍王

 

 

皇道大本と谷口先生-3

「生長の家」の言霊学というのは大変重要な意味を持っているのは皆様ご存知であると思います。
だが、たとえばア~ワまでを云ってみて下さいといえばどれだけいえるのであろうか?
また、招神歌でも言霊を理解のうえ唱えられています。だが、大本教からの影響であろうという人がいますが、それは間違いである。それならば比較して下さいと言いたい。多少は似ているかもしれないが、発想そのものが異なる。
その大本の原点は大石凝真素美の言霊解釈と似ている否ほとんど同じである。
それは
『言霊の大要』とは『神霊界』誌上に連載された言霊学の記事である。

初回は大正72月号に掲載され、以後は『言霊学』という記事名で計5回にわたって毎月連載された。(3月号以降は1日と15日の月2回刊となったので毎号連載というわけではない。掲載されたのは31日号、415日号、515日号、615日号である)

署名はないが王仁三郎が書いた、もしくは監修したものと思われる。

この記事の中で六角切子の図を出して、75声の言霊の各方面への活用を説明している。
50
声については「体」と「用」に分けて、25声については「用」のみを説明している。
この「用」の内容は『大日本言霊』とほとんど同じである。
「体」は山口志道の『水穂伝』の「言霊一言之法則」がもとになっている。

八幡書店が昭和61年に発行した『神霊界(全九巻)』を原本として用いた。
これの第二巻に上記の5号が載っている。

例えば『神霊界』大正73月号(P13P20)には

言霊学
シ聲の言葉
昇水の霊也 始也 終也 死也 己也 幸也 司也 育也 石也

牛七 堅く締める言霊也、乾き締り也、子一、却面弛み撒る義、
丑二、寛(ゆる)み撒ねる也、後略

谷口先生は『言霊と神通力』(P13
スの声は中心に締め括る霊力をもっているからであります。スボム、統べる、主(す)、皇国(すめらくに)、天皇(すめらぎ)などの言葉にスが附いておるのはこの為であります。統一され混乱していないという意味から、澄む、住む、透くなどと云うスの声をもった言葉で出来ているのであります。

確かに堅く締める言葉とは書いてはいますが、中心に締める、統一するとは書いていません。

『生長の家五十年史』には
《谷口雅春先生は言霊学については既に大本時代において、江戸時代の国学者である堀秀成や、明治時代では川面凡児や林甕臣の著書を読まれて、その素養を身につけておられたが、この時には、これらの人の著述を典拠としているだけでは異説紛々として確実な解釈を得ることが出来ないために、言葉にヒビキがあり、ヒビキにハタラキ即ち命があると言う真理から、自らの言霊学を『日本霊学略解』(昭和133.01発行生長の家講習会テキスト:50音の霊性を解説同内容が『日輪めぐる』『幸福読本』に記載)としてまとめられている。また戦後は、それを改訂されて『真理』第4卷青年篇に「言霊の神秘について」と題して収録されている。》印は山ちゃん記載

だが、ここで見落とされているのが大本時代の『言霊と神通力』である。これが基本となっていることを見落とせば『古事記』との関連との発想が見出されない。それは大本に入信していたから結びつける事が出来るのである。

最後に『言霊と神通力』に

1)宇宙の一大神劇

何と言う皇典「古事記」は驚くべき大預言であるだろう。私は此頃つくづくこの書物が上中下三巻日本の国に逸散せずに残されているということは、吾等にとってどんなにか力強い事であるだろうと考えます。この纔(わず)かな書冊のうちには過去現在未来を通じて宇宙に起って来るべきあらゆる悲劇、喜劇のプロットがをさめられています。それは全く驚くべき秘密の玉手箱であります。

 このようにして直感にて古事記を預言されているのであります。

古事記を基本とする生長の家は古事記は聖典でもあるべきである。




 IMG_1821

皇道大本と谷口先生-2

IMG_1523

皇道大本研究資料 亀岡叢書 全14巻  

発行 大本新聞社 小冊子 ☆印谷口雅春先生

第壹編(T9.09)

皇道大本の教義 霊主體従

T9.10.20

 

 

 

P31

 

 

第貮編   正治先生の書物ではありません

佛説 法滅盡經の御話 加藤新講述

T09.10.20

 

 

P21

 

 

第参編    

御筆先の解説せる 大本霊学  谷口正治先生

T09.9.23

 

 

 

 

 

 

 

第四編    谷口白龍(ペンネ-ム)

神示の比較宗教論

T09.10.01

 

 

 

P31

 

 

第五編    谷口正治

ヨハ子黙示録(子はママ)

T09.09.28

 

 

P31

 

 

第六編    谷口正治講述

鎭魂歸神の要諦

T09.10.10

 

 

P28

 

 

第七編   谷口正治

基督再臨の眞相  今井楳軒翁の序

T09.10.20

 

 

P61

 

 

第八編    東尾吉三郎編纂

天理教祖の筆先と大本神諭

T09.11.10

 

 

P34

 

 

第九編    谷口正治講述

社会主義と皇道大本

T09.11.18

 

 

P39

 

 

第十編    谷口正治

行ふべき道

T09.11.20

 

 

P61

 

 

第十一編  正治先生の書物ではありません

大本大教祖

T09.11.20

 

 

 

 

 

第十二編   谷口正治

言霊と神通力

T10.02.01

 

 

P49

 

 

第十三編   東尾吉三郎

明治天皇御製と神諭

T10.02.01

 

 

P31

 

 

第十四編   谷口正治

非醫治療法批判

T10.02.01

 

 

P43

 

 


大本教では大正初年まで『綾部新聞』を編集発行していた。

これは内部では『神霊界』で外部の宣伝ではこの『綾部新聞』です。

大正810月には『大本時報』と改題する。その段階で谷口雅春先生は大本教に入信していた。この改題で編集の担当となっている。

ペンネ-ムを「まさはる」「白龍王」を使い分けていた。編集では「白龍王」をしている事が多い。

さて、『生長の家50年史』でも記載されていない内容を出来る限り書いていくようにします。

話が戻りますが、『綾部新聞』から『大本時報』ですが、ここでは様々な雅春先生の姿が見られます。この新聞に小説を連載しているのですね。

また、この『大本時報』で「皇道霊学講話」を連載している。途中から「ヨハネ黙示録の研究」を書いている。

また、大正985日~14日までの皇道大本夏季講習会で講師として講話しているのです。題名が『皇道霊学』です。

この時期では雅春先生の書籍の『皇道霊学講話』が一番売れるのです。それは判り易いからなのです。

だが、驚くのは大正8年の早春に大本教に入信し、しかも27歳という若さで翌年には講師を勤めているのです。

大正9322日 東京専修大学講演  「大本より観たる心理現象」

大正9323日 学士会館      「神力の科学的研究」

大正9324日 有楽座       「改造の根本義」

大正9325日 神田立花亭     「神と人との世界改造」

 

聴衆は付近の住人ですが、この若さでの圧倒的な講演に構内が感動に震えたという。

 

この昭和9年の3月頃は『皇道霊学講話』と『亀岡叢書』の編纂と超多忙な生活です。それ以外に『神霊界』の編集もあり、研究と執筆に専念していた。

亀岡叢書に『基督再臨の眞相』があるが、そこから雅春先生自身の預言を感じる。この本は後の出版の『神を審判く』の基本となる人生等の疑念が含まれている。

『霊界物語』

大本教の『霊界物語』は当初雅春先生が口述の記録係をされていました。

その内容は『霊界物語』1巻・2巻と記載されています。

 

17章    神界旅行の四    大正10.1019

18章    霊界の情勢     大正10.1020

20章    日地月の発生    大正10.1020

21章    大地の修理固成   大正10.1020

22章    国祖御隠退の御因縁 大正10.1020

21章    大地の修理固成   大正10.1020

26章    魔軍の敗戦     大正10.1021

33章    エデンの焼尽    大正10.1022

34章    シナイ山の戦闘   大正10.1022

38章    黄金水の精     大正10.1023

39章    白玉の行衛     大正10.1024

43章    丹頂の鶴      大正10.1025

47章   エデン城塞陥落   大正10.1026

1章(51) 攻防両軍の配置   大正10.1026

5章(55) 黒死病の由来    大正10.1028

9章(59) タコマ山の祭典   大正10.1029

16章(66)梟の宵企み     大正10.1030

19章(69)夢の跡       大正10.1101

22章(72)言霊別命の奇策   大正10.1101

30章(80)十曜の神旗     大正10.1103

33章(83)焼野の雉子     大正10.1103

37章(87)長高山の悲劇    大正10.1104

39章(89)太白星の玉     大正10.1106

42章(92)甲冑の起源     大正10.1108

 

 

以上出口王仁三郎の口述筆記です。

出口王仁三郎は寝ころんでいる状態でしゃべっていきます。

それを筆記するのですから、大変です。

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『霊界物語』の口述筆録とは

生長の家の信徒は私を含めて、大本の出口王仁三郎の記述した『霊界物語』など読むことはない。元大本の信徒であれば別である。言葉は難解ではあるが、内容は『霊界』の物語である。『霊界物語』の最初に谷口先生は担当(初日4人が担当)なされておられます。最初の口述筆録が下記の文章です。

皇道大本は第一次大本事件が起こり、すぐさまに今までの「大本神諭」からの脱却を図ります。それまでの「愛国的」な思想を捨て、言霊解釈を破棄して『霊界物語』を唯一の信仰本尊として唱え、出口なおの説いた「御筆先」は徐々に消えてくるのである。

つまり出口なおの開祖とその教えというのが「鎮魂帰神」というのがありますが、そうした考えに共鳴したのが浅野和三郎であり、「大正維新」であり「大正10年立替説」を唱えている。谷口先生もそうした「鎮魂帰神」に共鳴して入信しています。

 

そうした幹部がこの大本事件をきっかけに辞めていくのですが、この状況では致し方のない事であることが理解できます。大本からの分派は、菊花会(小田秀人)、真の道(萩原真)、璽宇(長岡良子、真の道からの分派)、惟神会(岸一太)、三五教(中野与之助)、神道天行居(友清歓真)、松緑神道大和山(田沢清四郎)、世界救世教(岡田茂吉)がいます。

大本は当時の教勢数は500万~700万の信徒がおり、その勢力がいかに強力であったか信徒数においても窺えます。

その当時の『大本神諭』火の巻というのがどういうものであったかは、後日書きます。また「鎮魂帰神」とはどういうものであったかも後程記載します。当時の大本の考えとしての「鎮魂帰神」と谷口先生の「鎮魂帰神」との比較をしてみたいと思っております。

え!と思われるかもしれませんが、谷口先生は大本では独特の考えとして捉えられていた部分があるからです。

鎮魂帰神法

大本教綾部総本部の金龍殿で「鎮魂帰神法」の神人合一の神懸り感合をする信者達。

(大正10年2月)

 

さて、それではどんな口述であるかを記入致します。

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最初は第一巻 第17章 神界旅行の四(17

 

神界の場面が、たちまち一変したと思へば、自分はまたもとの大橋の袂に立つてゐた。どこからともなくにはかに大祓詞の声が聞えてくる。不思議なことだと思ひながら、二三丁辿つて行くと、五十恰好の爺さんと四十かつかうの婦とが背中合せに引着いて、どうしても離れられないでもがいてゐる。男は声をかぎりに天地金の神の御名を唱へてゐるが、婦は一生懸命に合掌して稲荷を拝んでゐる。

 

男の合掌してゐる天には、鼻の高い天狗が雲の中に現はれて爺をさし招いてゐる。婦のをがむ方をみれば、狐狸が一生懸命山の中より手招きしてゐる。男が行かうとすると、婦の背中にぴつたりと自分の背中が吸ひついて、行くことができない。婦もまた行かうとして身悶えすれども、例の背中が密着して進むことができない。一方へ二歩行つては後戻り、他方へ二歩行つては、またあともどりといふ調子で、たがひに信仰を異にして迷つてゐる。自分はそこへ行つて、惟神霊幸倍坐世と神様にお願ひして、祝詞を奏上した。そのとき私は、自分ながらも実に涼しい清らかな声が出たやうな気がした。

 

たちまち密着してゐた両人の身体は分離することを得た。彼らは大いに自分を徳として感謝の辞を述べ、どこまでも自分に従つて、神界の御用を勤めさしていただきますと約束した。やがて男の方は肉体をもつて、一度地の高天原に上つて神業に参加しやうとした。しかし彼は元来が強欲な性情である上、憑依せる天狗の霊が退散せぬため、つひには盤古大神の眷族となり、地の高天原の占領を企て、ために、霊は神譴を蒙りて地獄に堕ち、肉体は二年後に滅びてしまつた。さうしてその婦は、今なほ肉体を保つて遠く神に従ふてゐる。 

 

この瞬間、自分の目の前の光景はたちまち一転した。不思議にも自分はある小さな十字街頭に立つてゐた。そこへ前に見た八頭八尾の霊の憑いた男が俥を曳いてやつて来て、高天原にお伴させていただきますから、どうかこの俥にお召し下さいといふ。しかし自分は神界修業の身なれば、俥になど乗るわけにはゆかぬと強て断つた上、徒歩でテクテク西へ西へと歩んで行つた。非常に嶮峻な山坂を三つ四つ越えると、やがてまた広い清い河のほとりに到着した。河には澄きつた清澄な水が流れてをり、川縁には老松が翠々と並んでゐる実に景勝の地であつた。

 

自分はこここそ神界である、こんな処に長らくゐたいものだといふ気がした。また一人とぼとぼと進んで行けば、とある小さい町に出た。左方を眺むれば小さな丘があり、山は紫にして河は帯のやうに流れ、蓮華台上と形容してよからうか、高天原の中心と称してよからうか、自分はしばしその風光に見惚れて、そこを立去るに躊躇した。 

 

山を降つて少しく北に進んで行くと、小さな家が見つかつた。自分は電気に吸着けらるるごとく、たちまちその門口に着いてゐた。そこには不思議にも、かの幽庁にゐられた大王が、若い若い婦の姿と化して自分を出迎へ、やがて小さい居間へ案内された。自分はこの大王との再会を喜んで、いろいろの珍らしい話しを聞いてゐると、にはかに虎が唸るやうな、また狼が呻くやうな声が聞えてきた。よく耳を澄まして聞けば、天津祝詞や大祓の祝詞の声であつた。

 

それらの声とともに四辺は次第に暗黒の度を増しきたり、密雲濛々と鎖して、日光もやがては全く見えなくなり、暴風にはかに吹き起つて、家も倒れよ、地上のすべての物は吹き散れよとばかり凄じき光景となつた。その濛々たる黒雲の中よりといふ古い顔の鬼が現はれてきた。それにはといふ古狐がついてゐて、下界を睥睨してゐる。その時にはかに河水鳴りとどろき河中より大いなる竜体が現はれ、またどこからともなく、何とも形容のしがたい悪魔があらはれてきた。大王の居間も附近も、この時すつかり暗黒となつて、咫尺すら弁じがたき暗となり、かの優しい大王の姿もまた暗中に没してしまつた。

 

ただ目に見ゆるは、烈風中に消えなむとして瞬いてゐる一つのかすかな燈光ばかりである。自分は今こそ神を祈るべき時であると不図心付き、天照大御神産土神をひたすらに念じ、悠々として祝詞をすずやかな声で奏上した。一天にはかに晴れわたり、一点の雲翳すらなきにいたる。 祝詞はすべて神明の心を和げ、天地人の調和をきたす結構な神言である。しかしその言霊が円満清朗にして始めて一切の汚濁と邪悪を払拭することができるのである。悪魔の口より唱へらるる時はかへつて世の中はますます混乱悪化するものである。

 

蓋し悪魔の使用する言霊は世界を清める力なく、欲心、嫉妬、憎悪、羨望、憤怒などの悪念によつて濁つてゐる結果、天地神明の御心を損ふにいたるからである。それ故、日本は言霊の幸はふ国といへども、身も魂も本当に清浄となつた人が、その言霊を使つて始めて、世のなかを清めることができ得るのである。

 

これに反して身魂の汚れた人が言霊を使へば、その言霊には一切の邪悪分子を含んでゐるから、世の中はかへつて暗黒になるものである。 さて自分は八衢に帰つてみると、前刻の鬼、狐および大きな竜の悪霊は、自分を跡から追つてきた。の鬼は、今度は多くの眷族を引連れ来たり、自分を八方より襲撃し、おのおの口中より噴霧のやうに幾十万本とも数へられぬほどの針を噴きかけた。

 

しかし自分の身体は神明の加護を受けてゐた。あたかも鉄板のやうに針を弾ね返して少しの痛痒をも感じない。その有難さに感謝のため祝詞を奏げた。その声に、すべての悪魔は煙のごとく消滅して見えなくなつた。 ここでちよつと附言しておく。の鬼といふのは烏帽子直垂を着用して、あたかも神に仕へるやうな服装をしてゐた。しかし本来非常に猛悪な顔貌なのだが、一見立派な容子に身をやつしてゐる。また河より昇れる竜は、たちまち美人に化けてしまつた。この竜女は、竜宮界の大使命を受けてゐるものであつて、大神御経綸の世界改造運動に参加すべき身魂であつたが、美しい肉体の女に変じての鬼と肉体上の関係を結び神界の使命を台なしにしてしまつた。

 

竜女に変化つたその肉体は、現在生き残つて河をへだてて神に仕へてゐる。彼女が竜女であるといふ証拠には、その太腿に竜の鱗が三枚もできてゐる。神界の摂理は三界に一貫し、必ずその報いが出てくるものであるから、神界の大使命を帯びたる竜女を犯すことは、神界としても現界としても、末代神の譴めを受けねばならぬ。の鬼はその神罰により、その肉体の一子は聾となり、一女は顔一面に菊石を生じ、醜い竜の葡匐するやうな痕跡をとどめてゐた。さて一女まづ死し、ついでその一子も滅んだ。かれは罪のために国常立尊に谷底に蹴落され胸骨を痛めた結果、霊肉ともに滅んでしまつた。

 

かくての肉体もついに大神の懲戒を蒙り、日に日に痩衰へ家計困難に陥り、肺結核を病んで悶死してしまつた。 以上の一男一女はの前妻の子女であるが、竜女との鬼との間にも、一男が生れた。の鬼は二人の子女を失つたので、彼は自分の後継者として、その男の子を立てやうとする。竜女の方でも、自分の肉体の後継者としやうとして焦つてゐる。一方竜女には厳格な父母があつた。彼らもその子を自分の家の相続者としやうとして離さぬ。の鬼の方は無理にこれを引とらうとして、一人の肉体を、二つに引きち切つて殺してしまつた。

 

霊界でかうして引裂かれて死んだ子供は現界では、父につけば母にすまぬ、母につけば父にすまぬと、煩悶の結果、肺結核を病んで死んだのである。かうしての鬼の方は霊肉ともに一族断絶したが、竜女は今も後継者なしに寡婦の孤独な生活を送つてゐる。 本来竜女なるものは、海に極寒極熱の一千年を苦行し、山中にまた一千年、河にまた一千年を修業して、はじめて人間界に生れ出づるものである。

 

その竜体より人間に転生した最初の一生涯は、尼になるか、神に仕へるか、いづれにしても男女の交りを絶ち、聖浄な生活を送らねばならないのである。もしこの禁断を犯せば、三千年の苦行も水の沫となつて再び竜体に堕落する。従つて竜女といふものは男子との交りを喜ばず、かつ美人であり、眼鋭く、身体のどこかに鱗の数片の痕跡を止めてゐるものも偶にはある。

 

かかる竜女に対して種々の人間界の情実、義理、人情等によつて、強て竜女を犯し、また犯さしめるならば、それらの人は竜神よりの恨をうけ、その復讐に会はずにはゐられない。通例竜女を犯す場合は、その夫婦の縁は決して安全に永続するものではなく、夫は大抵は夭死し、女は幾度縁をかゆるとも、同じやうな悲劇を繰返し、犯したものは子孫末代まで、竜神の祟りを受けて苦しまねばならぬ。

 

大正一〇・一〇・一九 旧九・一九 谷口正治録)

 

 

 

雅春先生が大本時代で執筆された『神霊界』や『神の国』を読みました。当時有名な小山内薫氏が大本の会員であったり、武者小路実篤も関心を示したり、芥川竜之介は神諭を読んでいたして、当時の大本の勢いは凄かった。倉田百三なども大本に魅力を感じたのです。
当時の文学博士物集高見は『大正日日新聞』で絶賛している。
これも松江市の出版であった『彗星』や『心霊会』が宣伝をして、一挙に教勢を拡大し、会員は増えていきました。

今では信じられないかもしれませんが、当時の閉塞した世で出口王仁三郎の書いた『大本神諭』火の巻はセンセ-ショナルであったのです。

彗星は何ヶ月にわたり「皇道大本」を宣伝していましたし、「心霊会」は大本特集号を組んで発刊しました。

当時の状況を把握していれば、雅春先生が入信した事がわかります。
『大本70年史』に
そのころ大本では、浅野和三郎を中心としてインテリア層が大本の所説の理論づけをおこなうとしていたときであったから、谷口はまたたくまに、その文筆の才をみとめられるようになり、文筆面で活躍するようになる。そして191920(大正89)年の、かれの文筆活動はめざましいものがあった。彼は浅野の直系として理論活動を展開するのである。

谷口はいう。「天地は審判の火に焼かれている。戦争と飢餓と疫病とは地上に恐るべき勢を以って氾濫している。
世界風邪はどうであったか。食料の欠乏はどうであったか。大火災の頻出はどうであったか。新聞紙は露都の食料欠乏甚だしく・・・人は人を共食し、人肉秘密にて販売せらると報じている。これでも愈愈の時でないといふのか」(「皇道大本の出現と世界の終末」大正87『大本信徒の主張』収録)

谷口の目にうつった当時の世界は、むごたらしくもまた悲惨なものであり、あたかも、キリスト教にいう最後の審判がやってきたかのようにうけとられた。彼はしきりにキリスト再臨論をといたが、それはいまのべたことと関連がある。「最後の審判の惨憺たる状態」を救うキリストはいつ再臨するかという問を提出して、それにつぎのようにこたえている。『聖書』のヨハネ黙示録によると、救世主は世界最後のたたかいとともにやってくる。
だからキリスト再臨の時期が世の立替え立直しのときである。
ところで『法蔵尽経』によると、月光菩薩五十二才が重大なる時期を示すが、王仁三郎は筆先によれば月の大神の霊魂なのだから、王仁三郎五十二才のとき、つまり1922(大正11)年こそ立替えのやってくるときだというのである。
谷口によれば、王仁三郎こそキリストの再臨であり、教祖なおは王仁三郎出現の先駆者であると結論づけられる(「基督再臨の真相」大正910

こうしてキリストこそが王仁三郎であったのです。しかしそれが徐々に雅春先生の気持ちが揺らぐのです。
それは王仁三郎の『霊界物語』の口述であり、正念場である大正1133日、55日であるのです。

 

『大本70年史』ですから、大本の立場になるのは当然であります。

ここでは、私の私論を述べますが『大本教70年史』のなかに

>したがって、「大本教祖の筆先と、仏説弥勒下生生経と基督教の聖書とを相列べて最後の審判の日を研究していた私は、周囲の神懸りたちの興奮した雰囲気と、自分自身の研究とに巻込まれて、矢っ張り最後の審判の正念場は大正1133日、55日と思えるのであった」ともいうのである。(『生命の實相』六巻)

そして立替えの日がせまり、これを一大事だとわかるもののみが救われる選民なのだ、と彼は説いた。こうした谷口の考えは、当時の大本のなかでもきわめて独特のものであった。だが、その考えもだんだんとぐらついてくる。

立替=基督再臨は、谷口にあっては、どうしてもそうあるべきものであり、またそうあってほしいという願望と、期待のほかならなかった。けれども、ロシア革命や米騒動などの激変がややおさまり、また官憲の目が光ってみると、彼の考えもしだいに動揺してくる。そのめだった変化は、彼のいう立替えをめぐる解釈の変化にもあらわれてくる。

「大正日日新聞」の英文欄に、あと数百日以内に立替え立直しがあると主張されているのをみて、彼は、これは正しくないと批判する。

そして筆先によれば、「建替えの最後の日は伸縮自在の日限に来るべき」ものであり、その立替えというのは「天上の事」に属し、この世のことではないのだ。それがいつこようと悔いのない生活をしなければならない、と主張している(「最後の審判の予兆」大正103)。

この段階になると、立替えについてのかつての説を、あっさりすててしまうというかわりかたであった。<

 

これは「大本神諭」を体系的に纏めた谷口先生が当初の「この大本にて世界が救われる」という思いが段々、縮小していくのは矛盾を感じてくるからである。

当初は周りからみれば特異な存在であったことは、薄衣に荒縄で生活しており。「大本の聖フランシス」と自称していた。

だが、それは真剣な思いで入信していることは、前述しましたが、その筆先というのが徐々に薄らいでくる。

谷口先生はあまり『霊界物語』の口述を書いていませんが、大正101019日に突然に筆先が始まり、その異様な感じはトランス状態に入っていたのを順次に口述する人を決め漏らさぬように記述していくのです。それをどうしても離れる要因の最初であるように思います。それは『生長の家50年史』に

谷口先生自身も。この頃の心境を「天香さんと倉田さん―或る日の私と私の妻との対話-」という文章にして、『光』誌(大正118月号)に発表されている。

《私、○○からこの仕事を頼まれて居るが、自分は頼まれたままにこの仕事を奉仕するのが本当に好い事か悪いことか考へすにいられないのだ、何故なら○○が本当に清いものだということが今の私にははっきりと保障出来ない。○○は私の奉仕するこの仕事を利用して何かよくない事を企てるかも知れないような気がするのだ》

 

そうしたのが、次第に矛盾に感じ、翌年では1週間一燈園の道場に行くのです。

それを王仁三郎に皮肉られて次第に「大本」から離れていくのである。

それは立替説が崩壊してことに一番の要因があり、それを『大本教70年史』に

三代目教主直日の回想によると、1921(大正10)年の秋のある日、谷口は王仁三郎をたずねたが、王仁三郎が不在であったため、直日にたいし、大本は1921(大正10)年に世の立替えがあるといったが、なにもかわったことがない。信者のおおくは家業を放棄し、会社をやめてきているので、いま生活ができなくて困っている。「大本はまちがいであったと天下にあなたの名前で謝罪して下さい」(「おほもと」昭和334)この「回想郎」によっても、谷口をさとらせた根本の原因が、立替え説の崩壊にあったことが明瞭となる。》

 

※ここに記入されている大正10年は大正11年の間違いですが、原文のまま記入しました

 

だが、一般的に考えると『霊界物語』に反発していた人も多くおり、編集者で常に掲載していた人で、大本幹部であった。浅野和三郎・岸一太・小牧斧助・浅野正恭・今井武夫・江上新五郎・岡田熊次郎であるがこの人達は《大本時報》《神霊界》の執筆者である。

勿論、尊王の立場からの論筆である。

 

 

茲で記入しております。『皇道大本研究資料 亀岡叢書』という本ですが、『生長の家50年史』やその他資料には出てきません。

だから、どんなものかはなかなか知ることができません。

ここを見ていただいています諸賢には何の事かを知る由がありません。

この本は当時の大本を体系的に理論的に組織した書物であります。この文章により更に論理的な大本となっていきます。

内容は前述しましたが、特に雅春先生が御執筆された8冊を主に記入していこうと考えています。

勿論、『皇道霊学講話』も基本的な論文と同じでもありますが、とりわけ『言霊と神通力』は言霊信仰には基礎的な学問であり、なくてはならない書物なのです。

意外とそれを知らないのが「生長の家」信徒なのです。

この本も徐々に記入していきますので乞うご期待下さい。

 

下記は既に記入しておりますが、重要な書物でありながら、生長の家では記載されていませんので再度掲載致します。

亀岡叢書というのは全14巻になる小冊子です。その中で


第三編 御筆先の解説せる 大本霊学  谷口正治(大本新聞での参照)


第四編  神示の比較宗教論     谷口白龍(ペンネ-ム)

第五編  ヨハ子黙示録(子はママ) 谷口正治

第六編  鎭魂歸神の要諦      谷口正治講述

第七編  基督再臨の眞相      谷口正治
                今井楳軒翁の序

第九編  社会主義と皇道大本    谷口正治

第十編  行ふべき道        谷口正治
     
第十二編 言霊と神通力       谷口正治
     言霊を詳しく書き表わしています。

第十四編 非醫治療法批判(上)   谷口正治

(下)は出版されていませんが、書かれた時に大本事件等ありそのままになったのではないでしょうか?



皇道大本と谷口先生-1

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皇道大本と谷口先生

大本はどうして分裂したのかを分析すると、なるほどである。

そうした組織を把握する能力がなければ、難しさを感じています。それは生長の家にも当てはまります。

 

さて、皇道大本の谷口正治先生は『生長の家50年史』において

谷口先生が大本に行かれた大正七年九月には、教祖のなおは生きてはいたが、83歳という高齢で、教団の指導と運営は、出口王仁三郎に任されていた。また、大正69年の頃というのは、大本教がひろく社会的関心をひき、都市の中間層や知識層の入信があいついだ時であった、それは、大正6年の『神霊界』4月号にいわゆる「初発の神癒」が発表されて、その筆先に当時の知識人が強い関心を示したからである。そうした中に、武者小路実篤、小山内薫、宮崎滔天といった一流の人が含まれていた。

ところで谷口雅春先生も大本に行かれた時、この「初発の神癒」と謂われる筆先を聞いて、強く心をうたれたのであった。そのお筆先というのは、次の通りである。

 

『三ぜん世界一度に開く梅の花、艮の金神の世に成ったぞよ。根に花さくは虎耳草(ゆきのした)、上も下も花咲かねばこの世は治まらぬぞよ。金は世の滅びの因であるぞよ。艮の金神表にあらわれて、世をたてかえて心安き世に致すぞよ。今までは悪の世で、強い者勝の世であったなれどこれから先は悪では一寸も行けぬ世に致すから早く改心致されよ。改心致さねば地震、雷、火の雨降らして悪の霊(みたま)を平らげるぞよ…』

 

この筆先を聞いた雅春先生は神懸りの出口王仁三郎をみて、筆先というのはかくのごとくして書かれると頷いたのである。(実際は寝転んだ王仁三郎の発する言葉を口述するのです)

 

その後、谷口先生は、一旦神戸に帰られるが、やがて「人間の力で世界を改造することは出来ないが、神力ならば世界を改造することが出来る筈だ」と、自分の身を捨てて公のために献げる決意をし、翌年の大正83月、綾部の大本内部に移転されたのである。

 

谷口先生は、綾部に移られて間もなく、皇道大本の機関雑誌『神霊界』に感想録を投書

大正八年二月十五日(第八十號)

「入信の徑路 参綾の動機」(目次タイトルは名は岩田鳴球となっている)

 

 

(私は綾部で初めて、自分の内なるものの審判に恥じない生活を見出しました、それは実に各人の働きが人類の喜びであるような生活でした。)大本の入信の動機を語る。

大正八年三月十五日(第八十二號)

「改心しかけた男の日記」○蟻と科学者 ○太陽のやうな神 ○智慧と運命

○時節と天分 (短文)

 

大正八年四月一日(第八十三號)

 

「邪神の發生と身魂の修秡」(古事記の解読と「神癒」への比較論文)

大正八年四月十五日(第八十四號)

「大本靈学の私的研究」(皇道大本の鎮魂が催眠術ではないことと、憑依霊の形式など…)

「改宗者の手帳より」○建替は残虐なりや ○悪の発生問題 ○お前とならばどこまでも ○ミロクの大神(キリスト再臨と弥勒菩薩の下生と尊師の567ヶ月に因んで“567殿”

 

 

「編集室より」   ※(編集後記)友清歓真より交替の旨

 

この時の文章の才能を強く認められ、今井楳軒氏にとりわけ、編集部の才能を見出されたのです。その頃『神霊界』と『綾部新聞』とを編集していたのは友清九吾氏(後の天行居の開祖友清歓真)であったが、当時は神経衰弱と称して引籠もっていた。

そこで、友清氏に代わって谷口先生が抜擢されて編集を担当することになったのである。

当時27歳という若さではあったが、谷口先生の文名はたちまちにして大本教内にひろまり、やがて全ての編集の仕事は先生でなければならないというようになって行った。

 

大本神癒の類纂をはじめとして、組織の体系を備えなかった大本教の霊学を、実際の憑依霊や心霊現象等を体系化していくのである。

 

とりわけ、下記の亀岡叢書は編集を一任され、皇道大本研究の資料として体系化された内容である。

 

『言霊と神通力』

『言霊と神通力』は霊学を因として「やまとことば」を理解しながら“ア”の言霊から“ワ”の言霊までを分析しているのです。日本語と言霊とその神通というのを考えると、言霊は大切な要因である。

下記文章は生長の家の基礎を築いた重要な本である。

 

『言霊と神通力』(皇道大本研究資料亀岡叢書第12編)

言霊と神通力

谷口正治講述

1)宇宙の一大神劇

何と云ふ皇典「古事記」は驚くべき大預言書であるだらう。私は此頃つくづくこの書物が条上中下三巻日本の国に逸散せずにに残されてゐると云ふことは吾等にとってどんなに力強い事であるだろうかと考えます。

この僅かな書冊のうちには過去現在未来を通じて宇宙に起って来るべきあらゆる悲劇、喜劇のプロットがをさめられてゐますそれは全く驚くべき秘密の玉手匣(はこ)であります。

この玉手匣は世界の週末の日が来る時まで開かれずに封せられてゐた観がありました。この神秘の玉手匣の扉を開くべき秘鍵(ひけん)今迄唯皇道大本にのみ握られてゐました。しかし時期が吾々には来たやうに思はれます。

吾々は幸福なるこの草稿の読者に、この驚くべき秘密のビックリ箱を開くべき寶鍵を或る程度まで授けて置きたいと思ひます。この寶(とふと)き鍵によって「古事記」三巻に預告されたる来るべき世界の一大神劇についてそのプロットを預め御承知になって置かれたならば、諸君が宇宙の一大神劇の立廻り役者の一人としてすべての點に於て好都合であると考えます。しかも皇典古事記だけが吾々に既に起った、そして現に起りつつあり、やがて未来に起るべき事件のプロットについて知らしてゐるのではありません。佛典も耶蘇聖書もやはり「古事記」が千二百年以前に記録したと同じ事の預告をしてゐるのであります。

唯是等の経典も今迄はその秘(かく)されたる奥義を開くべき鍵錀(かぎ)がないために空しき人間的頭脳の煩瑣(はんさ)な学究に捕はれてゐて、その真意を暁(さと)ることが出来なかったのであります。

 

2)三種の寶(たふと)き鍵

此等の聖典を開くべく皇道大本が握ってゐる武器には、「珠(たま)」に擬(まが)ふべき言霊學と、「剣」に譬ふべき鎮魂帰神と、「鏡」に較ぶべき大本神諭とがあるのであります。

若し吾々が世界の前途について預言するならば、それはそれらの聖典の言霊學による解釈と、大本神諭の平易親切なる説明と、そして自己みづからが鎮魂帰神の神法によって神霊の世界を交通した結果神みづからより親しく教えられたる事件とそれらがぴったりと一致する場合にのみこれを萬間違ひなき確実の預言であるとし公表すべきであります。

大本信者の中にも軽率なる人達が混ってゐて、或は古典の言霊解のみによって、或は自己の神懸による神啓のみによって、或は間違った先入観念に依って大本神諭を曲解したもののみをもって、此後(こんご)の預言なりなどと称し浮虚な妄弁を弄して世人を惑はし、延いては大本神の威信を傷つけつつあるは、甚だ残念なことであります。

それ故大本研究者は大本神諭の熟読と皇典の言霊解と鎮魂帰神の修法とそれらのどの一つをも忽諸にしてはならないのであります。この、簡単なる草稿が言霊及言霊學の概念と、言霊の活用法につき諸君に何等かの貢献をすることが出来れば筆者にとってこれに過ぎたる歓喜はありませぬ。

本稿を読了せられた諸君は皇道大本の機関雑誌、「神霊界」に出口教主補が言霊學によって古事記を解説せられつつある実際についてその眞味を会得せられ尚自ら活用し得る能力を養成せられんことを希望します。

 

3)言霊學の概念

耶蘇聖書ヨハネ伝第一章に斯う云ふ事が書いてあります。

「太初に道あり、道は神と偕にあり、道は即ち神なり。・・・・・萬のもの是に由って造らる。造られたるものに一として是に由らで造るられしはなし、是に生命(いのち)あり。」

実に空海も「聲字即實相」又「聲物一如」と云ったやうに一切の物は言葉によって作られたものであります。否、言葉即ち事物なのであります。もう一層判りやすく申せば「言」即ち「神」なのであります。前掲ヨハネ伝にある通り又「言」即ち「神」でありますから、日本では「言」は美称ミを附して「詔(みこと)」といひ「尊(みこと)」と書いて神の尊称と致して居ります。

西洋では少し発音が訛ってゴド(GOD)などと云ってゐるのであります。一切の「事」は「言」によって成るのでありますから、物の出来ることを言ひ現はして「成る」(即ち鳴る)と云ふのであります。「古事記」の冒頭に、

「高天原に成る神の名は天之御中主神」

とあるのなども「高天原にお生まれになった神様のお名前を天之御中主神と申す。」などと解釈しては薩張(さっぱっ)りだめであります。又、第一高天原を「タカマガハラ」と訓んだのが在来の国学者の驚くべき軽率な間違ひなのでありまして古事記は明らかに(高の下の天を訓じてアマと云ふ)と割注がしてあるのであります。

高天原を「言霊學」に仍って簡単に解説しますと、陽(タ)陰(カ)生れ出でて(ア)、至大天球成就し(マ)進化発展して種々相を呈し(ハ)循環運行して尽くる事なし(ラ)と云ふ意味であって、これは宇宙の実相をその聲音に仍って表現したのであって、高天原とは実に全大宇宙のことだと云ふことが判るのであります。

そこで「高天原に成る神の名は天之御中主神」と古事記にあるのは、全大宇宙に鳴り渡る言葉が天之御中主神と云ふ意味であってことがわかるのでありまして耶蘇聖書に「太初に道あり」と書かれてゐるのとぴったり一致するのであります。

かう云ふ風に言霊學に仍って古事記を解釈して行きますと、驚くべく発達した日本の太古の哲学が、如何に高等なものであって、泰西近代の哲学科学の綜合よりも尚一層高い飛躍をしてゐたといふことが判るのでありますが、それはあまり岐路に亘りますからその問題について研究なさりたい方は拙著。「皇道霊学講和」を御一読下さるやうに希望いたします。

 

4)ウの言霊

斯くの如く宇宙の実相は聲音(ことば)でありますから、聲音が変われば実相も変わって来るのであります。従って聲によって雨を降らし風を呼び雷霆(らいてい)を叱咤し得ることは当然の言だと云はなければなりませぬ。

例へばウの聲であります。この聲には上へ「押し上げる霊力」をもっています。(言葉が単に響であるだけでなく、物を変動さす霊力をそなへてゐる場合に言霊と申します)それ故重い物を上へ持ち上げる場合にウの聲を出すと軽く持ち上がるのであります。

動くの「ウ」、海(動水(うみ)の「ウ」、鵜の「ウ」、などは皆その諸相に含まれてゐる「浮き上がる」はたらきの言霊を人間の言葉に写しとったものであります。霊力ある人がウ-の言霊を力強くとなへますと雨などを自在に止めることが出来ます。

しかし普通の人の聲音は単なる響であるものが多いので如何にウ-ウ-呻って見たところで何の効能もないのであります。霊力を得るには身魂の修練と云ふことが必要でありますが、その方法について如何にすべきかを研究なされたい方は皇道大本の唯一修行場亀岡大道場へお越しなさい、一週間位にてどうにか見当がつきあとは自修の道の得られるやうに努力します。皇道大本は自己のために存在するのではなく天下国家のために存在する機関でありますから束修や修業費は一文半銭たりとも申受けません。修

業者には御希望により滞在中の宿泊費一泊三食にて実費一円と云ふ極めて廉価にて清潔なる宿舎に御案内申します。

 

5)エの言霊

悪霊を祓ふ言霊にエ-ッの聲があります。エの聲は古来から気合術などによく用ゐられてゐる掛聲でありますが、この聲には「岐(わか)れ出でしめる」霊力があるのであります。吾々は不用意の間にこの聲を用ゐて小さな効力を現はす場合があります。

子供などが身の辺りに纏わりついて来て五月蝿い時には「エ-ッ」といふ聲を「五月蝿」さうな語調で云へば、エの聲がどう云ふ意味か知ってゐない子供も、倚り付いてゐたのが「岐(わか)れ出て」逃げて行きます。これはエの言霊に「岐(わか)れ出でしめる霊力」があるからであります。

身魂の研けてゐない吾々でもそれ位ゐの言霊の力は持ってゐますが、修養の如何によっては襲ひ来る密雲や濃霧をエの一聲(せい)にて払ひ除くことも出来るのであります。澄まし込んでゐる顔が岐(わか)

れて破顔一笑するのを「エ」と云ふのも、多くの物から選びわかれ出す意味を遊ぶと云ふのも皆「この岐(わか)れ出でしめる」霊力あるエの言葉が附いてゐるのであります。

 

6)ハ及びスの言霊

タカアマハラの言霊を解釈した前項に於てハは「進化発展して種々相を呈し」と云ふ意味だと申して置きましたが、ハの聲には「開き伸びしめる」霊力があるのであります。吾々は知らない意(つも)りでゐながら、その実この言霊の力を利用することが度々あります。

寒い風に吹かれて、手が凍り縮かんでゐる時に吾々はハ-ッと云って掌に息を吹きかけるのであります。子供の動作などを見てゐると、花の萎んだを開かせようとする時にはハ-と云って矢張り息を吹きかけてゐます。どうしても「開き伸びしめる」にはハ-の聲でないと駄目であります。ス-などと云って息を吹きかければ却ってスボんで了ふに相違はありませぬ。といふのはスの聲は中心に締め括る霊力をもってゐるからであります。

スボム、統べる、主(す)、皇国(すめらみくに)。天皇(すめらぎ)などの言葉にスの聲が附いてをるのはこの為であります。統一され混乱してゐないと云ふ意味から、澄む、住む、透くなどと云ふスの聲をもった言葉が出来てゐるのであります。

これに反してハの聲は「張り伸びる」霊力を持って居りますから、生物が張り伸びて進化発展する季節を「春」と云ふ風にハの聲を附けて云ひます。又、身体の部分で一番「張り伸びてゐる」場所を「腹」と云ひ、地球上で一番張り伸びて平たい處を「原」とか、「畑」とか云って、矢張りハの聲がついてゐるのであります。

その他、葉と云ふのも羽と云ふのも走るとと云ふのも放つと云ふのも悉く「張り伸びる」と云ふ相(すがた)を捉へて言葉にしてゐるのであります。実相をとらへて言葉にしたのが日本語であり、諸物に種々相あるは宇宙に鳴り亘ってゐる聲に色々の変化があるためでありますから、日本人の言葉は宇宙の聲をそのまま捉へて発音した言葉であって外国語に優れて霊力があるのであります。

外国語も日本語も本来世界共通語あったのだが外国人は霊分が低いために訛り訛って今では外国語は全然符牒化して、言葉に霊力がなくなったのであります。

あまり訛り方が度重なって、殆どその訛音(なまり)の痕跡をたづねるに苦しむ程でありますが、まだ明らかに太古に於ては世界共通語であった痕跡のある言葉を沢山見出すことが出来ます。

 

(邦語)            (漢音)        (英語)

キミ(極身(きみ)の意    君(くん)      キング(King

タケ(高く細き意)      竹(ちく)      スチック(Stick

すべる(統べる)       紫微(しび)     ス-パ-(Super

先ず此麼(こんな)ものであります。

 

7)シの言霊

寒い朝に冷水浴でもしてゐる人を観察すれば必ず、シ-シ-と云って息をしてをります。これはシの言霊は引き緊め縮める力をもってゐるからであります。即ち寒いから毛孔を縮めて体温を放散せぬやうに知らず知らずシの言霊を使ってゐる訳であります。緊める、しばる、などと云ふ言葉にシの聲がついてゐるのは拡がってゐるものを引きしめるためであります。

緊褌(きんこん)一番、筋肉を引締めてかかる時にはシッカリと云ってシの聲をやはり使ひます。人が浮はついて騒いでゐる時に、気を引き締めて黙らせるためにシ-ッと吾々は云ひます。そうすると「静」かとか「沈黙(しずまる)」とか云って気が引締まった状態になるのであります。子供を放尿させる時には母親がシ-と云ふ言霊を使ひます。すると子供は全身を引締め縮めるので、中に這入ってゐる液体が一箇所に活路をもとめて滴り出るのであります。「沈む」とか「下」とか云ふ言葉にシがついているのも、浮き立ってゐるものが引き締められた象(かたち)であります。

 

8)其他の言霊

以上は思い出す儘に吾々日本人の言葉は決して符牒ではないこと、それは実相を形成するものであり従って言葉の霊力によって物の状態を変化し得るものであると云ふことを証明するために一二の例証を引いたに過ぎませぬ。が大体言霊の威力についてはお解りになったらうと思ひます。

五十音の中、以上の説明に洩れたものを次に複雑な説明なしに表記する事にしましょう。

上述の説明に従って類推して下さることを希望します。但しヤ行のイ及びエ、及びワ行の井ウエオは、厳密に云へばア行のイウエヲとその霊がちがひますが、大体同一と見て差支えありませぬから、重ねて説明しない事に致します。片仮名の下に書き録(しる)したる漢字はその聱音(こえ)の霊力の性質又は意義の代表的総括であります。

然し言霊は決して一音一義に限るものではなく使ひ方によって千変万化するものでありますから、、これ以上に意義はないなどと考へられれば大変な間違に陥ります。

 

ア「顯、在」

○發く(あばく)(現はれ開く)

○葦(あし)(繫り顯れる)

○頭(あたま)(顯靈(あたま))

○生(あ)れる(顯はる)

○汗(気の迫りたる時顯はる)

○畦(田の迫りたる處に顯る)

 

イ、井「到、息、集」

○息む(息こもりて出でぬ)

○怒る(呼吸(いき)凝る)

○愈々(息寄る)

○いぶせき(呼吸(いき)ふさがる)

○射る(一筋に到る)

○猪(同上)

○参る、率る、居る(集る)

 

オ、ヲ「被厭出物」

○男(押出されたる局部を持つ)

○尾(胴體より押出されたるもの)

○緒(押出されて細長き物)

○玉の緒(靈のいとすぢ)

○峰(を)(地面(ぢめん)より押出されたる物)

○劣る(玉の緒を奪(き)られて、不完全になれるもの、ミタマノフユの反對也。)

○弟(劣れる人)

※ミタマフユ神の徳及び、神の恵み、恩恵の意。恩頼(書写記入)

 

カ「限、幽、輝、相對ふ」

○刈る(限る)

○株蕪(かぶかぶ)(限られたる低きもの)

○母(かか)(相對(あひむか)ふ者の低き方)

○屈む(低くなる)

○神(輝身(かがやくみ)又は幽身(かくりみ))

○風(幽かに迫る)

○霞(全然は澄み切らず幽かに澄めるもの)

○隠る(かすか也)

○必ず(幽かにあらず)

○彼(限れる場所を指す)

○峽(かひ)、貝、方、河、交す、替る、貸す、借る(相對する意)

 

キ「突別ける」

○木(地を突別けて出る)

○杵(突別ける物)

○刻む、切る(突別ける)

○劍(突き切る物)

○気、霧(空気を突別けて騰(のぼ)るもの)

 

ク「屈、組」

○暗し(屈んだ内部)

○黒し(同)

○薬(同)

○括る(曲げ曲げくくる)

○食ふ(歯と歯と組み合ふ)

 

ケ「細く顕る」

○毛「細く顕る」

○煙(かすかに顕はる)

○怪(け)(同)

○気(け)(同)

 

コ「凝」

○小(凝る)

○子(親より凝り出でし者)

○心(言靈元子(こゑのこ)の凝)

○是(最も近く自己に凝り着けるもの)

○氷(こほり)(凝)

 

サ「爽」

○さはやか(爽(さはやか))

○悟る(さはやかに知る)

○醒める(さはやかになる)

○さやか(鮮)

○指す(さやかに示す)

○幸(さはやかに続く)

 

セ「迫」

○急(せ)く(時間的に迫る)

○狭(せ)し(空間的に迫る)

○責(せ)む(精神的に迫る)

○攻(せ)む(攻撃的に迫る)

○瀬(せ)(水に迫れるもの)

○堰(せき)(水に迫る物)

 

ソ「反」

○此(これ)の外なる意味。

○外(そ)れる(同)

○それ(同)

○そびら(腹の反對)

○外(内の反對)

○逆(そむ)く(同)

 

た「對照力、高、足」

○父(た)(相對する) (父が「た」という語源がわかりません)一部字が消えている

○種(父の根、靈の根)

○高し。

○足る。

○田(長方形の對辺が相對(あいむか)ふ)

○垂る(足りさがる)

○瀧(高きより切り落つる)

○竹(高く細くあらはる)

 

チ「續」

○地(ち)(つづくもの)

○路(ち)(同)

○血(親から續く)

○乳(同)

○靈(ち)(同)

○千(数の續き)

 

ツ「積」

○あるが上に重なる象(かたち)。

○續く(同)

○積む(同)

○包む(同)

○罪(必要以外に蓄積する。包んで發(あば)かぬ)

○憑く(本来の靈魂の上に他の靈魂が重なる)

○接ぐ(本来の幹の上に更に木を重ねる)

○夫(つま)、妻(つま)(連って全ったし)

○強し(重なりたる物は強し)

○束ぬる(重ねまとめる)

まるつつみ(つちのつみたるもの)

○跟(つ)ける(あるものにつづきく)

 

テ「手」

○出て拡がる擴がる象(かたち)。

○手(同)

○照る(光が出て擴がる)

○テカテカ(同上)

○テクテク(家を出て歩み擴がる)

○梃(支點を中心として力が擴大(ひろ)がる)

 

ト「止」

○止(とど)まり集まる

○所(止(とど)まる處)

○めをと(男女(めを)ひとつに止まる)

○淀(よど)む(寄り止む)

○利し(剣の如き兩面が止り集る)

○棘(とげ)(同)

○砥(利(と)くする處)

 

ナ「馴」

○平行して動く象(かたち)

○馴れる(人の心に沿て動く)

○並ぶ(沿ひて動く)

○波(同)

○均す(目的に平行して動く)

○縄(なは)(目的に沿ひて動く)

 

ニ「和」

○和して争はぬ象(かたち)。

○和(に)ぶ(同)

○逃げる(同)

○似る(同)

○煮る(柔らかくす)

○新(にひ)(新しきものは柔か也)

 

ヌ「滑」

○塗る(同)

○抜ける(ぬらぬらと辷(すべ)り出(で)る)

○野(ぬ)(凸凹(でこぼこ)なくぬめりとした處

○縫ふ(針が滑りぬける)

○濡らす(ぬらぬらさせる)

 

ネ「粘」

○練る(ねばらす)

○根(土に粘りつく)

○欲(ねが)ふ(心が目的に粘りつく)

○寝る(床に粘りつく)

 

ノ「乗」

○乗る(上にひろがる)

○飲む(飲料が咽喉にの上にひろがる)

○咽喉(飲む所)

○延びる(上にひろがる)

○野(上にひろがる處)

 

ヒ「擴、靈」

○放射線を有(も)つもの。

○日(同)

○靈(同)

○火(同)

○擴がる(放射線の擴がる象

○屁(ひ)る(放射線を出す)

 

フ「吹、膨」

○緊(し)め縮める反對、フワフワ。

○膨れる(同)

○吹く(同)

○振る(同)

○臥す(同)

○麩(膨れたるもの)

○笛(吹く枝)

 

へ「平」

○擴がる象(かたち)、平たくする象(かたち)。

○屁(同)

○減る(積まれたる物の平たくなる事)

○ヘマ(平凡なこと)

 

ホ「秀」

○外にあらはれる意、擢んでたる意、極めて重要なる意。)

○穂(擢んでたるもの)

○帆(同)

○鉾(同)

○火焔(ほのお)(同)

○秀處(ほこ)(女の要所)

○ホンノリ、ホノメク(外にあらわれる)

 

マ「全、眞」

○圓滿具足すること。氣枯れぬこと。

○眼(圓く全し)

○巻く(圓くする)

○夫(つま)、妻(つま)(連って全くたし)

○誠(圓滿事(まこと)、圓滿言(まこと)、圓滿心(まこと))

○舞ふ(圓く動く)

○松(氣枯れずに續く木)

 

ミ「滿、美」

○形象(かたち)の滿ち滿ち備はること。

○滿つ(同上)

○身(同上)

○美(同上及びその美稱)

○靈力體三元の滿ち備はること三つの靈(みたま)、水の靈(みたま)

 

ム「群」

○群がって散ぜざる象(かたち)。

○睦まじ(同上)

○蒸す(蒸氣の群がって散ぜざること)

○村、群(むら)、叢(むら)(家、動物、植物等の群がれるもの)

○結ぶ(二つ以上が群がる、左右又は陰陽が結び合ふ)

○息子(結び合って一つの凝(こり)を生じたるもの)

○虫(群がって散ぜざる水火(いき)の締(しま)りて生まれたるもの)

 

メ「芽」

○内に陽氣を含む。變性男子(へんしょうなんし)也育て養ふ役也、擴がる性質の縮まれる局所を有(も)つ。

○芽(内に陽氣を含む、割れ目より僅かに覗く形體を有(ゆう)す)

○眼(同上)

○女(め)(同上擴がる性質の縮まれる局所を有(も)つ。

○惠む(育て養ふ)

 

モ「茂」

○すぼまりて、一つに寄る象(かたち)。

○もやもや、もこもこ。

○本(すぼまりて一つに寄る所)

○森(もこもこと茂る)

○友(とも)(止まり集りて盛んになる)

○盛る(集めかさねる)

 

ヤ「彌、遣」

○彌(度重なる)

○焼(やく)(彌彌黒くする)

○休む。(彌彌落着かず、彌澄(やす)む。)

○安し(彌澄し)

○柔らか(安らかな状態)

○遣る(相手に突き遣る)

○矢(同上)

○鑓(同上)

○ヤ-(打ち込む聲)

 

ユ「緩」

○ゆるめる意。

○湯(同)

○行く(ゆるめて行かしむ)

○許す(同)

○弓(緩むなり滿つるなり)

 

ヨ「倚」

○淀(水が寄り止まる。)

○世(人々相寄る。)

○善し(善きものに寄りつく)

○嫁(善女(よめ)、凭女(よめ))

 

ラ(ラ行独立の靈なし、他の語につきて働をなす)

○働き始まる象

○ハラハラ(雨が降り始める)

○フラフラ(軽く動き始める)

 

リ ○同上○

○はげしく働きつつある象。

○ガリガリ(物を嚙みつつある音)

○コリコリ(同上)

○メリメリ(めり込みつつある音)

 

ル ○同上○

○落付いて活動しつつある象。

○スルスル、クルクル、マルマル

 

レ ○同上○

○一定の箇所にとどまる象。

○彼、是れと一定の場所を指し示す語。

○來れ、當れ等一定の内容を示して命令を傅へる語。

 

ロ ○同上○

○働き終りたる後の空しき象。

○空洞(うつろ)(移り動きし後の空しさ)

○室(息の群がりて散ぜざる空洞(うつろ))

 

ワ「分、割」

わかるる意。われる意。

○吾(神より分れたる者、神の分靈(わけみたま))

○笑ふ(顔の形が分れること。破顔)

○輪(分ち分ちたる極限の微分子は丸きもの也。まるきもの)

○沫(あわ)(生れ出でし形まるき也。

 

言靈と神通力 終

 

大正十年一月廿五日 印刷

            定價十銭

大正十年二月一日  発行

著作者              谷口 正治

京都府南桑田郡亀岡町

発行兼 

印刷              棚橋 松三郎

京都市小路通松原上ル麓町

印刷所              松崎印刷所

京都府南桑田郡亀岡町

発行所 大本新聞社

     振替大阪五四九九六



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