私は「学ぶ会」に不信感があります。
それは人の事を平気で悪いことをいうという体質です。
私が本人から直接聞いたので、何故そんなこというのか不思議でしたが、
後で確証がないのに噂でものを言うなとは云いましたが、一番怖いのがそうした
噂話が先行してしまうことです。
しかも多くの人の前でそんなことを言うのであるから、なんのことはない。
私もそんな話は沢山聞きますが、人前では話しません。それは信用していないからです。
自分が聞いたり経験したことのみ話するようにします。それはその人が知らずに傷をつけるからです。
それが「学ぶ会」の幹部ですから唖然です。しかし本人はなんとも思っていないのです。
だからまともに「受ける」と後味の悪い気持ちとなります。
何故そうなるのかというと、社会という泥臭い生活を経験していないからなのです。純粋で喋るから
そのようになるのです。
こういうことを言うと相手を不快になるということを気がつかない。文章ではわかっているんだけれど、頭でわかっているだけなんです。
また、アンタは教団のスパイかと言われたこともあります。
その時に何故そうなるのか不思議でした。疑心暗鬼でものを喋るとそうなるのです。
本当に信用するということは「眞理」を「ハイ」とわかることなんです。
私など天邪鬼ですから、屁理屈ばかり捏ねていますが、それがいけないのですね。
ただ人前では言わないようにしております。
以前に新編『生命の實相』の発刊がこのままだと二十年かかってしまうと警鐘を鳴らしたのにも関わらず。
悪口ととらえてしまう。
それなら貴方が協力しなさいとなる。
生命の實相が発刊されないという空白の期間が20年という長い期間があって人を救えますか?
それだけなんです。
協力するとはこのブログで書いたのですが、何の返答もない。
だからそんなものなんです。本気で伝道などしたことがないからそうなるのです。
罵声を浴びせられ、塩を撒かれ。散々悪口を言われ、それでも本当の教えはこれしかないという思いがないからなんです。
厳しいが著作権を必死になって獲得したのであるから、それぐらいのことは自覚して欲しい。
雅春先生は戦後直ぐに『生命の實相』を発刊されます。しかもその費用を捻出するために沢山の御揮毫を書かれました。また同時に本部会館建設という資金のいることばかりです。
いかほどに『生命の實相』を出版されたかを著作年譜を書いていて驚くことばかりです。
戦後において『平和版 生命の實相』の刊行の予定がありました。昭和21年『生長の家』誌12月号の5頁に掲載された「平和版『生命の實相』自費出版会員募集」という記事の中で、《唯今最も入手困難で、最も渇望されている、読んで病いが治り、運命が好転する無数の体験例ある(中略)生長の家聖典「生命の實相」全二十巻を、戦時のみに適せる心構の部分を省き、他は悉く完備せる厳密なる著者自身校訂の永遠定本の聖典を実費にて配本せんとする会です。》
『生長の家』誌 昭和22年3月号に「『平和版生命の實相』の自費出版計画も延期の止むなきに至りました」(『明窓浄机 戦後篇』31頁所収)と書かれているように、この平和版『生命の實相』の発刊は実現しませんでした。
しかしその後
◎戦後版 新修普及版『生命の実相』20巻
◎戦後版 新修特製版(見返装丁『生命の実相』20巻
◎『生命の實相』戦後版豪華革表紙 地の巻
◎『生命の實相』戦後版豪華革表紙 水の巻
◎『生命の實相』布装携帯版 (全40巻)
◎『生命の實相』豪華版 (全20巻)(見返装丁)
◎『生命の實相』頭注版 (全40巻)
◎『生命の實相』豪華携帯版 新装携帯版(全40巻)
◎『生命の實相』愛蔵版(全20巻)
◎『生命の實相』復刻版
◎『久遠の実在』復刻版
愛蔵版まではほとんど年数を空けないで出版されています。
それは戦後まもない頃に次々と『生命の實相』を出版されるのです。
それは何故かわかりますか?