則天去私

「谷口雅春」先生の生涯も綴っていきます。

2014年03月

讀んで戴ければ幸甚です。

鯖街道

昨日は5月の鯖街道を踏破するためにその前の週にチャレンジした東海道自然歩道を歩きました。
だが、やはり途中断念しました。がけ崩れの部分で飛び越えようとして着地したのですが先週痛めていた、左膝に激痛が走り、そこで断念しました。
脚の負担は相当な打撃です。
それでもそれから7km程歩きましたが(笑)
走行距離は32kmです。これぐらいで諦めませんが、これからであります。
鯖街道というのは(田村長より抜粋)

鯖街道の由来

「鯖街道」とは、誰が名づけたかわからないけれど、そのものずばりの呼び方である。
小浜に伝わる古い文書で『市場仲買い文書』というのがあり、その中に「生鯖塩して荷い、京へ行き任る」という文章があります。
若狭から運ばれた鯖が、京の都へつく頃には丁度よい塩加減になったという意味ですが、いまも京の食文化の中に若狭の魚が生きているようです。
しかし、若狭から運ばれたものは鯖だけでなく、いろいろな海産物や文化が運ばれ、そして京からも雅やかな文化や工芸品などが小浜に入ってきました。
「鯖街道」という名前は、小浜から運ばれた代表的なものが鯖であったという事のようです。

鯖街道の歴史

板屋一助が1767年に著した『稚狭考』によると、本来は能登沖の鯖が有名で、それがとれなくなり、若狭の鯖が有名になったということのようです。
それらを運んだ鯖街道は1本だけでなく、5本ほどあったようです。その中でもっとも盛んに利用されたのが、小浜から熊川宿を通り滋賀県朽木村を通って、大原から鯖街道の終点といわれる出町に至る若狭街道です。
この道では大きな荷物を馬借という馬による輸送を行っていたようです。
さらには、小浜から北川の水路を使い馬で峠を越え九里半街道から今津に出て、琵琶湖を使って京へ運んだ水路もあったようです。

また、京への最短距離をとる峠道として、「針畑越え」があり、この道は鞍馬経由で京都出町に至っています。
また、堀越峠を越えて京都高尾へつながる「周山街道」や、美浜町(現在若狭町)新座から滋賀県マキノ町へ抜ける「栗柄越え」や、遠く兵庫県の篠山までもつながっていたといわれます。
これらの鯖街道のルーツは、奈良、飛鳥時代に若狭の国が「御食国」と呼ばれ、朝廷に税として塩や塩漬けした魚介類を納めていた頃に遡ります。 かつてこの若狭は「裏日本」ではなく、大陸文化を受け入れる表玄関となっていたところです。
良好なリアス式海岸を持つ若狭湾は絶好の漁場であり、それらの魚は塩漬けにされ、朝廷に貢いでいたことは、平城京跡から多数の木簡が出土されていることで証明されています。

若狭の海の幸は奈良の高官の口を楽しませ、やがて京へ都が移ってからも、京の都の人々に「若狭もの」と称され、「若狭かれい」「若狭ぐじ」と今も京料理には欠かせないものとなっているようです。

鯖街道を歩く

話を街道にもどすと、現在、最もポピュラーな鯖街道は、小浜から熊川宿を抜け、朽木、大原、出町へと続く道だ、と書きましたが、特に熊川宿は人家の前の、生活用の前川と呼ばれる小川が流れる古い町並みを整備し、昔のまんまの風情を取り戻して多くの旅人の人気を集めております。
朽木村から大原へ抜ける道は、近年整備され道幅も広くなってより多くの車が楽に通れるようになり、花折峠と朽木村の間は、別名「鯖寿司街道」と呼ばれるほど鯖寿司屋が店を連ね、多くの旅人が車を止めて買い求めているようです。

私がお奨めする鯖街道は、私自身が京へ歩いて通る、針畑越えです。小浜からお水送りで有名な神宮寺、若狭彦、姫神社をへて根来坂を越えてゆく街道で、中世には姫神社の神前に市場が立った記録もあるほど歴史的な道なのです。
かつては徳川家康公も通ったとされるこの道、古くは象が小浜に陸揚げされて多くの南蛮渡来品と共に通った道。歴史に思いをはせながら、ブナ林、針畑の里山風景の中を歩いてみてはどうでしょうか。
途中、久多という村で一泊し、地鶏の鍋をつつきながらの一杯は、旅の思い出となるでしょうし、翌日越えるオグロ坂、八丁平への険しい道にそなえたエネルギー源にもなることでしょう。
翌朝七時には八丁平へ向けて出発し、大見神社を経て花脊峠まで来れば、鞍馬はもうすぐそこ。賀茂川に出れば出町まであと一歩、気ははやります。
出町の商店街はいかにも京の下町という風情で、私共が鯖街道を歩くイベントで多くの人と訪れるときには、理事長はじめ多くの方々が温かく出迎えてくれます。

われわれは歩いて一泊二日の旅でしたが、昔はそんな悠長なことはしていられなかったようで、一昼夜かけて、夜通し歩いたようです。 毎年五月には「鯖街道マラニック」というイベントがあり、速い人は朝六時に小浜泉町の起点を出発し、昼過ぎの二時には終点出町に着くという、まさに鉄人の競技です。
その昔もそれくらいの強者がいて、鯖や甘鯛などを運んでいたのでしょう。

鯖街道に魅せられて

鯖街道は京からさまざまな文化と伝統を小浜にもたらしました。
それらは今も小浜の町に京言葉の名残を残し、俳句、お茶の作法、芋棒などの家庭料理、そして祇園祭に代表される多くの祭、なかでも放生祭の演じ物は祇園祭のお神輿につく賑やかしの名残で、京の雅な雰囲気を今に伝えています。

このように鯖街道による人の往来の中で、お互いの文化や生活習慣を吸収し、高め合い、それぞれの土地でそれぞれの文化や歴史を育んできたのでしょう。
今は車で2時間足らずのこの道を、先日も2日かけて歩いてみて、先人の残した、「京は遠ても十八里」という言葉の意味が少し解ったような・・・、そんな思いにかられました。私事ではありますが、京文化と小浜の文化の融合という観点から、この小浜の地に伝わる築120年の町屋を改築して、鯖寿司や懐石料理を提供する食事処を開店いたしました。


さて、私は小浜から出町柳までの最短距離の針畑峠越えにチャレンジします。
75kmの走行距離は800mの山越えが3か所あります。厳しいですけれど頑張ります。

そのために現在調整しながら体力を蓄えています。
歩いていて思うのは、30kmまで体力つければ歩けますが、それからが余程自信がなければ難しいです。
私は自信はないですが、しゃかりきに歩いています。」

永遠に変わらないのが本当の宗教です。

いろはかるた光明
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上の日本キリスト教団の島之内教会を御存知の方は生長の家の歴史をよく知っている人です。

今もそこにあるのも不思議なくらいです。
谷口輝子先生が高岡から大阪に嫁いできた時に通われた教会です。
今もこのようにして現存します。

その上の写真は「光明いろはカルタ」です。
世界聖典普及協会から出版されたとは思えないぐらいに自由であった時代です。
何故そのように「宗教」というのは長く続いたかというと「変わらない思想」であるからなのです。
「聖書」が変わったら貴方は詠みますか?
「華厳経」が変わったら読みますか?
「法華経」が変わったら読みますか?
「古事記」が変わったら読みますか?
「生長の家」の「甘露の法雨」が変わったら読みますか?
そんな偽物読んで「貴方」は信じますか?
「聖書」を一部変更して、本当に読みますか?

こんな簡単なことが今の信徒はわからないのです。
雅春先生の生長の家を略奪して、断じて許されない行動をしているのが「現総裁」なのです。
どうぞ、深く考えて行動しましょう。

花咲き匂う

春の小川は さらさら流る。
岸のすみれや れんげの花に、
(にお)いめでたく 色うつくしく
咲けよ咲けよと ささやく如く。

この歌を改変するのは何故なのか?
匂いめでたくという言葉が何かに連想させるのか
私はそこで思い出すのが『愛国の花』である。
私の考えすぎなのかもしれません。
小関裕而は『巨人軍の歌』や『阪神タイガ-スの歌』や『オリンピックマ-チ』や『荒鷲の歌』『暁に祈る』など沢山の歌を作曲されておられます。
私はこの小関裕而の名前が忘れられないのは父と同じ年の同じ月日の誕生日であるからです。

匂うとは美しく咲き乱れる様子を表した言葉です。いい言葉ではありませんか。

愛国の花

作詞:福田正夫   作曲:古関裕而   歌:渡辺はま子

1

真白き富士の けだかさを こころの強い 楯(たて)として

御国につくす 女等(おみなら)は 輝く御代の 山さくら

地に咲く  国の花

2

老いたる若き もろともに 国難しのぐ 冬の梅

かよわい力 よくあわせ 銃後にはげむ 凛々(りり)しきは

ゆかしく匂う  国の花

3

勇士のあとを 雄雄しくも  家おば子をば 守りゆく

優しい母や また妻は  まごころ燃ゆる 紅椿

うれしく匂う  国の花

4

御稜威(みいつ)のしるし 菊の花  ゆたかに香る 日の本の

女といえど 生命がけ  こぞりて咲いて 美しく

光りて匂う  国の花

光りて匂う  国の花



森の水車と春の小川

谷口雅春先生の戦前の御本には谷口雅春先生の御自宅の住所が記載されています。
東京都渋谷区穏田3ノ76
明治神宮表参道とバス環状線の交差点西半丁と記載されています。

ここは以前にNHKの「ブラタモ」という番組でこの穏田という地名は水車が回り、渋谷川が縦横に曲がり水田があちらこちらで行われていた。
穏田に生まれ育った作曲家・米山正夫の作品のひとつには歌謡曲『森の水車』があるが、これは米山が穏原橋水車を思い浮かべながら作ったものだという。
葛飾北斎の冨 獄三十六景にも描かれた「穏田の水車

森 の 水 車

作詩 清水みのる  作曲 米山正夫
昭和17年
1 緑の森の彼方から 陽気な歌が聞えます
  あれは水車のまわる音 耳をすましてお聞きなさい
  コトコト コットン  コトコト コットン
   ファミレドシドレミファ コトコト コットン
   コトコト コットン 仕事にはげみましょう
   コトコト コットン コトコト コットン
   いつの日か  楽しい春がやって来る


2 雨の降る日も風の夜も 森の水車は休みなく
  粉挽臼の拍子取り 愉快な唄をつづけます
  コトコト コットン コトコト コットン
  ファミレドシドレミファ コトコト コットン
  コトコト コットン 仕事にはげみましょう
  コトコト コットン コトコト コットン
  いつの日か 楽しい春がやって来る


3 もしもあなたが怠けたり 遊んでいたくなったとき
  森の水車の歌声を ひとり静かにお聞きなさい
  コトコト コットン コトコト コットン
  ファミレドシドレミファ コトコト コットン
  コトコト コットン 仕事にはげみましょう
  コトコト コットン コトコト コットン
  いつの日か 楽しい春がやって来る

また代々木八幡駅(明治神宮の西側)のすぐ近くには『春の小川』の歌碑がある。
ここもその歌碑に逢うような田園地帯であったのです。
現在の明治神宮にその小川を示すものがあります。
代々木八幡駅のその川は地下にあります。(河骨川)

「春の小川」

高野辰之作詞・岡野貞一作曲/文部省唱歌(四年)

【林柳波による改作などを経た現在の歌詞】

春の小川は、さらさら行くよ。
岸のすみれや、れんげの花に、
すがたやさしく、色うつくしく、
咲けよ咲けよと、ささやきながら。

春の小川は、さらさら行くよ。
えびやめだかや、こぶなのむれに、
今日も一日、ひなたでおよぎ、
遊べ遊べと、ささやきながら。

森に行かなくても『元々この神宮前という所は緑が沢山あった地でもあった。

【元の歌詞】

春の小川は さらさら流る。
岸のすみれや れんげの花に、
(にお)いめでたく 色うつくしく
咲けよ咲けよと ささやく如く。

春の小川は さらさら流る。
(えび)やめだかや 小鮒(こぶな)の群に、
今日も一日 ひなたに出(い)でて
遊べ遊べと ささやく如く。

春の小川は さらさら流る。
歌の上手よ いとしき子ども、
声をそろえて 小川の歌を
歌え歌えと ささやく如く。


途中断念

昨日は久しぶりにトレッキングランを挙行したが、途中ポンポン山を下りた杉谷で断念した。
左膝の痛みとこむら返りの反動か歩き方が変な形である。このこむら返りも歩いてから7km付近でなってしまった。しかも左がなり、引き続き右もなってしまった。
それでも今まではそれで尾を引く可能性はなく、治ったように歩けていた。だが今回は数キロ歩いていてもこむら返りになりそうである。

今回は箕面駅から嵐山駅まで走行距離52kmの長丁場である。このコ-スは昨年4月に2回走行した以来である。
何としてでも走破したかったのであるが、その痛みから残り距離まで時間がかかってしまうのが断念の理由である。ちょうど箕面駅から40km付近である。少し引き返して吉峰寺まで戻ってそこからバスに乗った。
走行距離は43kmである。
普通の鍛えていない人であれば当然歩けない距離である。途中はランを行うのであるから相当な自信のある人でなければ無理でもある。

それでも翌日はなんともなく歩けるのですから、この距離はどういうこともない距離です。ただ昨日は久しぶりのこともあり左膝の痛みは初めてのことでもあり、慎重にして断念したのです。ただ本日は痛みはない。来週もう少し短い距離で挑戦してみる。
私は今回の断念したように、今まで何回ともなく断念しているのである。無理をしないのが信条であるから途中で棄権するのも大切なことなのです。

4月にはこの挑戦は成功させてみます。
今まで25回程挑戦して途中用事があったこともあり4回程途中で辞めている。またこのように途中棄権は11回あります。
また、成功は8回あります。
昨年の11月23日の六甲全山縦走以来の長丁場です。
しかも山を登頂するのですから平坦な道とは違います。幾たびも下りたり登ったりします。不思議なもので始めの箕面駅から最勝ヶ峰までの登りはきついのですがそれでも平気で登ります。でも昨日のポンポン山のきついことはなかったです。昨年は平気で歩けましたが、今回は厳しかった。
練習をしていなければこんなにもでてきます。当たり前といえばそうですが、極端に表れます。

『光明叢書』の合本

合本『光明叢書』
生長の家では神誌を合本にされて所持されている人がおられます。
それは戦前からそうなのです。
私の所持している『生命の教育』もそうです。
また実際は箱入の光明叢書も合本にされている人もおられました。

それが下記の『光明叢書』です。
『生命の實相』までなかなか購入できない人にもこのように冊子として販売されていました。
この活動により沢山の奇跡が陸続と生まれるのであります。
それが『實相骵験集成』として1254頁まで顕さられる本が印刷されるまで至りました。
それも3巻まで出版されたのですから驚きます。

昭和八年(1933



 



 



 



 



 



 

光明叢書  4.6(パンフレット)(全11冊)

 セット函



 



 



 



 

菊半截判

①生長の家50年史は12冊となっているが、当初は函の記載から見ると11冊であるが昭和10年に特別篇として10冊プラス2冊で12冊となる。



②生長の家の経済学は昭和11年の国民総動員体制の関連で検閲対象のため、現代に機会ありやに置換える。生長の家叢書も同様


 











 


 


 


 


 

1. 現代に機會ありや  S13.6.5  序篇



 ①生長の家の経済学(最初はこの本)


 

S13.6.05



 



 

62



 

S10.4.01

64

2. 生命の到る道  ―非常時日本に於ける神の足跡―

S8.4.6



 



 

61

3. 生きる力の神秘

S8.4.6



 



 

63

4. 生命の宗教的真理  

―宗教とは死後の用ではない、生命の飛躍である― 生死の教へ

S8.12.8



 



 

50

5. 運命を改造する道  -社会及び個人の運命を改造する新提唱―

S8.9.5



 



 

63

6. 治す力の真理  ―凡ゆる民間、医界の新療法を批判し治療力の来る本源を解明せる秘書―

S8.9.5



 



 

63

7. 日本国の使命及び将来 

S10.4.1



 



 

62

8. 境遇も健康も吾が心の影 

 報恩行に就いての神示 

S8.12.8



 



 

65

9. 無限供給を受くる道   -貧困を征服し各人悉く物質無限供給を受くる道―

S7.10.3



 



 

46

10.思念の力     ―護国救民のために『光明思念連盟』の提唱―

S7.10.3



 



 

63

生命の樹の果実    (特別篇)-聖書に顕れたる人間・陰陽・物心・生

命・食物・健康・社会改造-

S8.12.8



 



 

91

神想観実修本義    昭和10年の出版  特別篇 

―内在無盡の智慧と生命と幸福とを汲み出す道―

S10.12.20



 



 



 


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自然崇拝は神道の教え

私は自然という景観というのは人間が手を加えてこそ美しくなります。

楢の木やアカガシなどのブナ林などは人間が落ち葉をひらい、枝を選定することにより秩序ある木々が生長します。
そこに昆虫類や鳥類や獣などが集まってきます。自然をそのまま放置すると雑木林となり、反対に木々が生長しない結果となります。

そこにはそれを求めて菌類やダニなども発生します。

ただ、人間がそこに侵入すると自然界の破壊が始まります。八ケ岳などは自然破壊のもっとも最たるものではないでしょうか。

自然を愛すると言いながら自然を破壊している人達よ。
自然は見守るものであり、そこが美しいから住むものではない。見守るというのは枝を払い、落ち葉などを履き、昆虫などを住みやすい場所にするのがいい。

そこに祠を建てるのであれば日本は八百万の神々を昔から信仰している民族です。そういう場合はその土地における信仰を尊重しなければなりません。
それは神道形式での祭儀であります。それを自分勝手にすれば自然もおかしな思想で迷います。

『新しい宗教』として誇らしげに「今を生きる」などと言っていた雅宣総裁は日本の古来の自然崇拝に戻っています。しかも歪めているからどうしょうもない。だれか注意喚起する人がいないのであろうか?

自然のなかにある仏性を拝む

「大地震は“神の怒り”にあらず、“観世音菩薩の教え”である。我々がいかに自然の与え合いの構図から恩恵を得てきたかが、それを失うことで実感させられる。我々がいかに人工の構築物を、田畑を、港を、道路を、送電線を、インターネットを築き上げでも、自然界の精妙かつ膨大な仕組みとエネルギーを軽視し、蹂躙する愚を犯せば、文明生活は一瞬にして崩壊することを教えている。我々の本性である観世音菩薩は、“人間よもっと謙虚であれ”“自然の一部であることを自覚せよ”“自然と一体の自己を回復せよ”と教えているのである。」

大地震は観世音菩薩の教えの表れだと云う。
無明であり迷いである。

それならば神(菩薩)は人を殺傷したりするのであろうか?
そんな無情な考えはおかしい。

自然という物象に心を捉え、参拝する。

それは間違いである。

私達はその奥にある神の存在としてを観じなければいけません。
自然を拝むのは人間の本能であり雅宣総裁はそれは物質的観点からそれを観たものである。
観世音菩薩というが生長の家の本尊は住吉大神であり生長の家大神なのです。
何を血迷っているのか、知りませんが「否定」しなければなりません。

それならば信徒は間違って信仰してしまう。

生長の家はその物質の奥に内在する霊的な、妙なる奥なる仏性を拝んでいるのです。

生長の家は根本思想を歪めては「生長の家」そのものを失ってしまいます。

『心靈現象と宗教思想』

伝統様のものを謹寫させていただきました。
旧漢字と仮名遣いに変更しました。

第1章 死後研究の道徳的價値
(1)性慾問題との交渉
(2)食慾問題との交渉

第2章 死後に残存せる意識
(1)騒ぐ骸骨の實話
(2)約束を履行せる死後の靈魂

第3章 死後残存せる意識の客觀化
(1)月夜に祖母の幻影
(2)ものを言ふ幽靈の實話

第4章 死の瞬間に撮影せる靈魂の寫真
(1)事實のみ最後の審判者
(2)アンドレの心靈寫真
(3)死の瞬間の寫眞

第5章 他界への出生の實證
(1)死の瞬間を透視せる實證
(2)ひとたび死して蘇生せる人の骵験

第6章 催眠術による死後の研究
(1)水晶凝視法
(2)卓子傾斜
(3)催眠術
(4)交靈状態
(5)死者の語れる死の刹那威

第7章 靈魂自身は斯く語る
(1)故ヒースロップ教授の霊魂は斯く語る
(2)死の刹那の靈魂自身の骵験
(3)死者の靈と親しき人々の嘆き

第8章 心靈学より観たる死後の世界
(1)靈魂圏の形成
(2)靈界の棲息者
(3)マテイアルゼーション
(4)幽靈顕現
(5)靈魂は如何にして肉骵より分離するか
(6)靈界の第一圏
(7)情死者および戀愛
(8)靈界の第二圏
(9)虚榮の市
(10)他力教の信者
(11)各宗派の本部
(12)靈界の衣服その他
(13)第三圏の生活
(14)第四圏の生活
(15)第五圏の生活
(16)第六圏の生活
(17)第七圏の生活
(18)結論

第9章 來世に適する為の生活
(1)愛は實行的なものである
(2)現世にて孤獨なる者の生活
(3)有島事件の批判

第10章 他界における宗教
(1)人格と行為との宗教
(2)信仰の意義
(3)犠牲と奉仕と愛

第11章 小児の靈界の消息
(1)小児の靈魂の位置
(2)驚くべき小児の愛と叡智
(3)出産の刹那に死せる嬰児

第12章 死後の靈魂は現世に再び生まれかはるか
(1)ド・ロシヤ大佐實験の前生への逆行的研究
(2)その批評

第13章 再び情死者の靈魂について
(1)スピリットの言葉はどの程度信じて好いか
(2)シエーロ氏の説
(3)レオン・デニ氏の説
(4)スライトンモーゼス氏の説
(5)その他の諸説

第14章 信仰革命
(1)安價なる他力救済觀
(2)「四十八願」と「十字架」

     ―― 附   録 ――

業因断滅の根本的な實行方法について

個人における『宣光社』的はたらき

     目次(終)

宣光社とは一燈園の西田天香氏が始めたものです。

天香さんは、「つまるところ、世間のいろいろな争いは我執ということからはじまる。我執を離れて、自分を利すると同時に他をも利する方法はないものか?」と探求してゆきました。そこから、「あらゆる財物は、お光り(大自然、神、仏)からの預かり物である。本来個人が所有すべきものではない」(無一物無所有)という理念のもと、お預かりした物を正しく運用経営するという、一燈園生活の新たな機能が見いだされることとなり、これを「宣光社」と呼んでいます。




久利先生との思い出

大阪教化部長が妹尾強化部長に代わって久利修さんになった。
久利さんは吹田道場で初めて会った。
この吹田道場は片村先生の別宅であり吹田市の神鏡町にあった。
久利さんは東淀川青年会で活躍されておられ、時折吹田の青年会の行事にも参加されていた。
それは近くの高浜神社の向かいに合気道道場があり、それも熱心に通っておられた。

意外と面白い洒落のきいた発言をしていたのを思い出す。

「ある大きな客船で家族旅行を父親でしていた時、突然の嵐でボ-トには二人しか乗れない。
父親を乗せるか、将来ある自分が乗るかどちらにしますか」
そんな質問であった。

愛くるしい目でいつもみておられた、宇治の大拝殿で練成で一番後ろに座っておられたのですが、夏でしたので蚊が多くそれを叩いて、自分の座っている前で並べておられた。
大変にお茶目であった。

勿論今では蠅も蚊も殺さない人であります。
妹尾教化部長はあまりいい印象がありません。
代表者会議で『雅春先生だって間違いがある』という発言が今でも記憶にあります。

雅春先生時代は単に助平な愛嬌のある素晴らしい先生でしたが、どこにも靡くような姿勢はあまり好きになれない理由です。

生命の藝術社の出版とある古書店

以前にこんな事をかいたことがあった。
生命の藝術社のことであったが

>先日、インタ-ネットで戦前の『光明の思想』という、谷口雅春先生の御著書を手に入れた。
もちろん、所持していなかったので、久々の戦前本の購入である。勿論、今年になって5冊程、戦前本は購入しているのだが、全て重複である。
前回にも記入したが、なかなか戦前本は見つからない。諦めに近い心境でもあるが、ここで諦めはしない。いままで、戦前本が1日で20冊程見つかることがあった。きっと見つかるであろう。
さて、『光明の思想』という本は「生命の藝術社」からの出版である。昭和10921日発行である。
「生命の藝術社」の出版はこの当時
『出世前・生・死・死後の研究』 (谷口雅春著作集第1篇)昭和971
『生命の烈風(いのちのはやて』  昭和9915
『新生活の出発』 (谷口雅春著作集第4篇)昭和10421
『光明の思想』   昭和10921
『地湧の浄土』  (谷口雅春著作集第5篇)昭和101215
『生命の神秘』  (谷口雅春著作集第6篇)昭和101215
『生命の奔流』  (谷口雅春著作集第3篇)昭和101215日 今年、後藤書店にて購入
『本當の教育』  (谷口雅春著作集第7篇)昭和101215
『いのちのはやて』(谷口雅春著作集第2篇)昭和101215
『光明主義』   (谷口雅春著作集第13篇)昭和11120

ここに記入されている谷口雅春著作集第○篇というのは函にのみ」記入されており、それにより記載しました。(中には何も記入されていない)
当時、書店に置いてもらうため、谷口雅春先生はこうした題名のついた本を『生命の實相』とともに出版なされていました。また廉価版や事変版など人事処を使いこなされていた。
当時既に『光明思想普及会』としても光明思想の本を次々に出版され。「生命の藝術社」という出版社とともに生長の家の普及に全力で邁進されていました。<

そこで思い出したのが、ある古書店であるが随分前だが谷口雅春先生の御著書が上記にある一日で20冊程見つかったことである。今では信じられないことであるが、大阪の四條畷にある古書店である。
飛び上るほど嬉しかった。それ以外にも20冊程戦後間もない本である。
紙袋二つあり、重たかったが気持ちは晴れやかであった。

その本も売れないので古本市に出そうとして紐で括っていたものであった。
合計30冊購入した。

もうその古本屋は二代目である。
年は重なっていくものである。



『心霊現象と宗教思想』の改題本『信仰革命』

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伝統様が『信仰革命』の件について書いておられましたがこの本は大正13年11月28日発行の『心霊現象と宗教思想』という本が改題されたのが『信仰革命』です。
その『信仰革命』の目次の前に心霊写真が貼り付けています。
こういうのが国立図書館のネットで見れない内容です。

生命の藝術社の本

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出世前・生・死・死後の研究  生命の芸術社

 -この一篇を今井楳軒老師の古希の慶びに献ぐ-(谷口雅春著作集第一篇)

S9.7.01



 

350

46



 

生命の烈風(いのちのはやて)  生命の芸術社   

S9.9.15



 

458

46



 

昭和十年(1935



 



 



 



 



 



 

新生活の出発              生命の芸術社

(谷口雅春著作集第四篇)

4.21



 

410

46



 

光明の思想               生命の芸術社

(谷口雅春著作集第八篇) 

9.21



 

429

46



 

生命の行方   

(谷口雅春著作集第九篇)

10.25



 



 



 



 

光明の生活法   

(谷口雅春著作集第十二篇)

12.15



 

234

46



 

無一物の哲学

(谷口雅春著作集第十一篇)



 



 



 

46



 

光明主義     

12.15



 

415

46



 

地湧の浄土             生命の芸術社

(谷口雅春著作集第五篇)

5.21



 

403

46



 

生命の神秘             生命の芸術社

(谷口雅春著作集第六篇)

5.21



 

406

46



 

生命の奔流              生命の芸術社

(谷口雅春著作集第三篇)函

3.21



 



 

415

46



 

生ひ立ちの記            生命の芸術社

(谷口雅春著作集第十篇)函

11.25



 

437

46



 

本當の教育              光明思想普及会

(谷口雅春著作集第七篇)函

6.25



 

406

46



 

いのちのはやて         生命の芸術社

(谷口雅春著作集第二篇)函

5.25



 

408

46



 



上図は昭和9年と10年に出版された谷口雅春先生御著書の一覧と写真です。
『生命の實相』との出版とともにこの著作も出版されていました。
光明思想社と生命の藝術社との出版となっています。生命の藝術社は『生い立ちの記』をもって最後ですが如何にして出版されたかが詳らかにしていかなければいけません。
このそれぞれが『生命の實相』に掲載されています。
それは何故かと申しますと本を開くと本の活字やその上に『生命の實相』と記載されているからです。

P1150475
上図の写真で残念ながら『生命の行方』だけは所持していません。
私は雅春先生はいろんな人に『生命の實相』を読んでほしいという熱望がこの本に含まれています。
これ以外にブックレットのような形式やパンフレットの型式でも出版されております。

昭和八年(1933


 


 


 


 


 


 

光明叢書  4.6(パンフレット)(全11冊)

 セット函


 


 


 


 

菊半截判

①生長の家50年史は12冊となっているが、当初は函の記載から見ると11冊であるが昭和10年に特別篇として10冊プラス2冊で12冊となる。


②生長の家の経済学は昭和11年の国民総動員体制の関連で検閲対象のため、現代に機会ありやに置換える。生長の家叢書も同様

 






 

 

 

 

 

1. 現代に機會ありや  S13.6.5  序篇


 ①生長の家の経済学(最初はこの本)

 

S13.6.05


 


 

62


 

S10.4.01

64

2. 生命の到る道  ―非常時日本に於ける神の足跡―

S8.4.6


 


 

61

3. 生きる力の神秘

S8.4.6


 


 

63

4. 生命の宗教的真理  

―宗教とは死後の用ではない、生命の飛躍である― 生死の教へ

S8.12.8


 


 

50

5. 運命を改造する道  -社会及び個人の運命を改造する新提唱―

S8.9.5


 


 

63

6. 治す力の真理  ―凡ゆる民間、医界の新療法を批判し治療力の来る本源を解明せる秘書―

S8.9.5


 


 

63

7. 日本国の使命及び将来 

S10.4.1


 


 

62

8. 境遇も健康も吾が心の影 

 報恩行に就いての神示 

S8.12.8


 


 

65

9. 無限供給を受くる道   -貧困を征服し各人悉く物質無限供給を受くる道―

S7.10.3


 


 

46

10.思念の力     ―護国救民のために『光明思念連盟』の提唱―

S7.10.3


 


 

63

生命の樹の果実    (特別篇)-聖書に顕れたる人間・陰陽・物心・生

命・食物・健康・社会改造-

S8.12.8


 


 

91

神想観実修本義    昭和10年の出版  特別篇 

―内在無盡の智慧と生命と幸福とを汲み出す道―

S10.12.20


 


 


 

昭和九年(1934


 


 


 


 


 


 

光明叢書  (パンフレット)(8) 

セット函


 


 


 


 

菊半截判

生命の藝術社発行(一部省く)を含む谷口雅春著作集は『生命の實相』の書店版として発行なされていた。



 

 

1. 治す力の真理

S8.9.05


 


 

63


 

2. 日本国の使命及び将来


 


 


 


 

3. 生命の樹の果実-聖書に顕れたる人間・陰陽・物心・生命・食物・健康・社会改造-

S8.11.05


 


 


 

4. 生命の宗教的真理


 


 


 


 

5. 神想観実修本義


 


 


 


 

6. 無限供給を受くる道


 


 


 


 

7. 吾が心の力


 


 


 


 

8. 霊界の救ひ・智慧の言葉


 


 


 


 


こうした本のなかには無料頒布としての「パンフレット」もあります。
昭和年の記載の『光明叢書』は二種類あります。
『生長の家の経済学』は出版当初の本でしたが内務省警保局からの圧力もあり『現代に機會ありや』に変更されております。



生長の家人として恥ずかしくないのか

私は最初はこのブログに参加していたが、段々と生長の家とは名ばかりでこんなブログは早く閉鎖したほうが現教団の生長の家のためにもいいと思い。参加しないことに決めた。
下記のようなことを削除しないで掲載するようなことは信じられない。

例え、どんな不満があるにせよそんな言い方は失礼極まる。人間性を疑う。
それを管理しているトキという人は好き放題にさせている。最初の決まりなど無視して、ひたすら「正義」を決め込む。
そういうのを私は卑怯者であると断じてもいい。そりゃ「生長の家」の役職では講師であり、人々の相談に応じているようであるが、恥ずかしくないのであろうか。
その内容ですが、一部ですが

3261
曳馬野:2014/03/09(日) 22:07:51 ID:g702i2Dk
>>3254基地外婆殿


「事実なら、教えは、大した事は無い」のでは、ありません。
「雅宣様が、とんでもない親不孝者だ」ということです。

「教えが 人間をやってるのではなく、人間が 教えをやってるから、
教えの責任ではなく、人間の責任なのです。
個人がやってる事を、教えのせいにする人のことを、卑怯者といいます」

----------------------------------------------------------------------


雅春先生が孫の代までの家庭の平和を達成できなんだと云うことだから、

基地外も今いくらいいからと云っても死んだ後家庭がどうなるかわからないと云うこと。

今本流の云うようにひどい状態だとするならば、雅春先生は大したことないと云うことになる。


そのブログの決まりは飾りであるが下記である。

投稿に当たっての注意点

*このサイトは、「生長の家“本流宣言”掲示板」等と違い、自分の発言を自分で削除できません。
 削除御希望の場合は、管理人までご一報下さい。(削除要請は、削除希望の記事を投稿したのと同じ端末から投稿をして下さい。)
*必ず、スレッドのトップにある「掲示板の使い方」をご覧下さい。
*インターネットのサイトという性質上、不特定多数の人が閲覧します。プライバシーに触れる問題
 や名誉毀損の可能性のある表現などは、控えて下さい。
*サイトの運営方針としては、削除は原則としてしない方針です。他者の投稿が問題のある投稿だと感じた場合は、
「削除要請」ではなく、ご自分の意見を投稿するという方向での解決をお願いします。
*生長の家の共鳴者を対象にしたスレッドです。下品な表現や特定の人物を侮辱する言葉はご遠慮下さい。
 たとえ、自分と違う意見の人でも、敬称はつけましょう。相手に対する敬意と礼儀を忘れない様に
 お願い申し上げます。
*谷口雅春先生への批判は、目的外ですので、投稿をしないで下さい。
*「したらば」は長文の書き込みをした場合、一部が表現されない場合があります。その場合は、「下部左
 部分」にある「全部読む」を押して下さい。


そんなこと無視して書くような人を許す様なことは社会通念ではいけないことです。
そういう社会のル-ルを護れない人間は生長の家を語る資格もないような気がします。
雅春先生を平気で侮辱し、志恩様を罵倒するようなことはいくら正義を言っても「嫌われ者」になるだけである。


久しぶりの雅春先生の著書

昨日は久し振りの古本屋へ行った。
上本町の天地書房は閉店していた。この古本屋は大阪の道頓堀にあった。大阪では天牛書店と並ぶ、古書店の雄である。
ハイハイタウンの一階に店を構えて長い。
その前にも上本町筋に数件古本屋があったことを思い出す。
それが、この天地書房のみとなった。
時たま行くことがあるくらいであるが懐かしい古本屋でもある。
大阪教化部からも近くに在り、青年会時代にも寄ったことがある。
厳しいのか古本屋業界は閉店も多い。
昨年の末広書店、神戸の後藤書店と戦後間もない頃から開店していた、古本屋が廃業していくのは寂しい。

それから、ある古本屋に寄った。ここは店主とも親しく話せる。
ここでしばらくぶりに雅春先生の古本を見つけた。約1年振りか。
ただ所有していたのですが、嬉しくなって購入しました。

改訂 優良児を作る 子供を教育する人の聖典 第七章 上級学校入學上の注意 旧 谷口教育學の實践を語る-省略 180
銭本

『優良児を作る』という本は様々の形式で出版されています。
昭和15年

優良児を作る  子供を教育する人の聖典

5.25

 

 

473

B6

 


改訂 優良児を作る    ―子供を教育する人の聖典―         

5.25

 

 

467

B6

 



同じ日にちで出版されているのですから、驚きます。
さて、それ以外には『女性の書』の初版です。昭和34年出版されたものです。谷口輝子先生の本です。

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