則天去私

「谷口雅春」先生の生涯も綴っていきます。

2013年12月

讀んで戴ければ幸甚です。

既に人類は悟っているのか?

ここ数年間「生長の家」の衰退は砂上の楼閣のように崩れている。

何故そのようになるのであろうか?

私は復興G様の書いている文章にどうしてもひかかってならない。
例えば、決めつけるような言葉を出しながら、人類兄弟というようになっていく。

それは下記の文章である。

3403復興G:2013/12/08(日) 19:00:26 ID:AB6RqYXc

>>3402 :曳馬野さん

私は “本流派” ではありません。

<< もう既にすべての人類が悟っている、それが実相であるのであります。>>

だから、
>>教団を現象悪の権化のように見る<<
ことはしておりません。

また、
“本流派” を悪現象の権化とも見ません。

>>3392で ユタカ様が

<< ハッ!!
夢か!! 夢だ! 夢だったんだ!!!

  汝らの先づ悟らざるべからざる真理は、
  『我』の本体がすべて神なることなり、
  汝ら億兆の個霊も、
  悉くこれ唯一神霊の反映なることを知れ。

  喩へば此処に一個の物体の周囲に百萬の鏡を按きて
  これに相対せしむれば一個もまた百萬をの姿を現ぜん。
  斯くの如く汝らの個霊も
  甲乙相分れ、丙丁互に相異る相を現ずるとも
  悉くこれ唯一神霊の反映にしてすべて一つなれば
  これを汝ら互いに兄弟なりという。

生長の家が分裂しているように見えるのは夢だ!! 夢だ!!夢だった!!
異なる姿をしていても全て谷口雅春先生の生長の家だ!
みんな兄弟だった! どこに所属していてもそこが生長の家だった。

  外形に捉はるること勿れ。
  分かち難く一体なる事を知り、

  おのづから愛と賛嘆の心湧き起こらん。

そうか!!!! そうだったんだ~~~~~!!!!

復興Gさま、 卒業試験の問題を解答できたような気分です。それか、長い悪夢からの覚醒。?? >>

――と書いて下さったように、

また a hope さまが >>3395で 「生命の實相」 第39巻 佛教篇 P41~から謹写引用してくださったように、

<<…悟ってみれば、天地間のものことごとくが生かし合いならざるものはない、実にありがたい世界だったのであります。

すべてのもの一つ一つに仏の命が現れている、仏の慈悲が現れている、神のいのちが現れている、神の愛が現れていることが悟れるのです。

神の生命(いのち)が現われ、仏のいのちが現われているからこそすべてのものが互いに愛し合い生かし合っているのです。

今まで殺し合いだと思っていた世界は神の、仏の、無限の生命(いのち)、愛、智慧に満たされているところの立派な世界だったのです。

互に憎しみ合い争い合っていると見えた生命(いのち)も、その敵と見えたものは、自分にとっては自分をみがく砥石であってわれわれの生命(いのち)がだんだん砥石にかけられて、いっそう立派な霊性が啓(ひら)かれてゆくために仕組まれている仏の慈愛、神の愛の現れだったのです。

天地間、ありとあらゆるもの、生きとし生けるもの、みんなこうして愛し合っている者はもちろん、憎しみ合っているかのごとく見えている者同志さえも生かし合っている世界なのです。
みんな愛し合いの世界なのです。
みんな解け合いの世界なのです。

そういうことが釈迦に解ってきたのであります。
そこで釈迦は、十二月八日の暁(あけ)の明星を見ながら、「「有情非情同時成道、山川草木土悉皆成仏」と悟られたのであります。

すなわち「有情」――生きとし生けるもの、「非情」」――ありとしあらゆるもの、悉く今仏になっている。
山も川も草も木も悉く仏の姿である。
みんな生かし合い、拝みあいの相(すがた)である。
今まで地獄の相(すがた)だと思っておったのはまちがいだったとお悟りになったのであります。
これが釈迦のお悟りになった縦の真理であります。>>

――と、そういう世界がすでに実在することのみを、ただひたすら観じております。

ありがとうございます!


だから、
>>教団を現象悪の権化のように見る<<
ことはしておりません。】


何故、そのようにして対比させるような文章となるのか、「現象悪の権化」などは本流派には無いとわざわざと断わるような文章がそうである。

それでは何故、雅春先生の教えが隠れてしまうのであろうか?
そこを真剣に復興G様は答えていないからであろうか。

そうした現象には光を当てれば自ずから消え去るのであろうが、現象というのは認めては為らないのかであろう。
もし、現象が歪んでいれば、それを正統に歪みを正すのが「生長の家」ではないのか?
生長の家が分裂しているのは、現象世界では夢でもなんでもない。それを夢と否定していても、現象は正常化には程遠いであろう。まさに「生長の家」は分裂しているのである。

認めようが認めないようが現象世界では分裂しているのです。現象を如何に正していくのも「生長の家」の信仰として重要である。

それならば、自然環境と雅宣総裁は説いているが、これは現象世界だからやらなくてもいいとなります。
現象世界を何故、正していこうとするのでしょうか?

「貴方の心」が現象にひかかっているから、ダメであると言われそうであるが、それはどうであろうか。
祈りは大切であるが、それに伴う「行」も大切である。

家の前がゴミが溜まっていれば、「祈る」のであろうか。私は掃除をします。
それが「生長の家」だと思います。人知れずに善行を積むような人は素晴らしいと思います。
例え信仰を持っていなくても、そうしたことを行ずるような人は素晴らしい。

だから、「生長の家」が分裂しているような原因を探れば、自然とわかるような気がします。それを正していくのが生長の家が分裂を防ぐ「第一」のものであります。

復興G様は長いこと「生長の家」の組織内で重要な職責をなされていた人物だと思っています。
だからこそ、見えないものがあるような気がしてなりません。

私のように社会の醜い組織や人々の争いなど垣間見るような所に住んでいなければ、そうした現象に対処していくことが復興G様には現段階では難しいであろう。

しかし、悪を認めることはできる限り避けるようにしています。しかし、多くの人は心底信じなければ、友達も出来ません。
そうした、現象と実相の混在したなかで如何にして対峙しなければならないのかを真剣に考えていかなければならない。

そのためには、批判と見えることもしていかなければなりません。雅春先生が日の丸か赤旗かで徹底した論戦に挑まれたのを真摯にかんがえていかなければならない。

何等光明化運動を実行していない。

「生長の家」の光明化運動」とは如何なるものであろうか?

生長の家の教義の大要を生長の家立教当時ではどうであったのであろうか

生長の家宗教結社届(抜粋)

3.教義、儀式及行事に関する事項

1)教義の大要

「国体を明徴にして皇室の尊厳を明にし、各宗の神髄を 天皇信仰に帰一せしめ、尽忠報国、忠孝一本の国民精神を昂揚し悪平等を排して一切のものに、人、時、処、相応の大調和を得せしめ、
兼て天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す」
その実行目標として次の「七つの光明宣言」あり。

  七つの光明宣言

△ 我等は宗派を超越し生命を禮拝し生命の法則に随順して生活せんことを期す。

△ 我等は生命顕現の法則を無限生長の道なりと信じ個人に宿る生命も不死なりと信ず。

△ 我等は人類が無限生長の眞道を歩まんが為に生命の創化の法則を研究発表す。

△ 我等は生命の糧は愛にして祈りと愛語と讃嘆とは愛を表現する言葉の創化力なりと信ず。

△ 我等は神の子として無限の可能性を内に包有し言葉の創化力を駆使して大自在の境に達し   得ることを信ず。   

△ 我等は善き言葉の創化力にて人類の運命を改造せんがために善き言葉の雑誌「生長の家」及び聖典を結集して発行す。

△ 我等は正しき人生観と正しき生活法と正しき教育法等により病苦その他の人生苦を克服し、相愛協力の天国を地上に建設せんが為に実際運動を起す。

 

2)儀式及行事に関する事項

冠婚葬祭等―に「生長の家」特殊の儀式なく、誌友は先祖崇拝の美風を顕揚するため各自の先祖伝来の儀礼に則るものとす。

但し、先祖が無信仰等にして伝来せる宗教なき場合には、臨終に際して慰霊するための引導文あり「久遠いのちの歌」あり又顕幽を問わず、人の霊魂の開悟のために聖経「甘露の法雨」「天使の言葉」等を読誦することあり。

観行―座禅観法と祈りとを合併せる如き精神統一的行事に神想観あり(「生命の實相」観行篇詳細説明参照)左の4首の招神歌を誦して後、宇宙大生命の生命自己に流れ入ると観じて精神統一に入るものとす。

 

(招神歌)

生きとし生けるものを生かし給へる御祖神元津霊幸へ給へ

吾が生くるは吾が力ならず天地を貫きて生くる祖神の生命

わが業はわが為すにあらず天地を貫きて生くる祖神の権能

天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家大神守りませ

 

4.奉齊主神、安置佛等の称号

道場又は集会室に特に顕斎せる主斎神又は安置佛なし。

心に幽齋する主神としては宇宙大生命(みおやのかみ)(その幽之幽なる神として天之御中主神、幽なる神として天照皇大現人神としての天皇)を禮拝す。

宇宙大生命は宏大無辺にしてその仁徳一切に及び一切を包容するが故に各自は先祖伝来の宗教を信じ又は自宅にて如何なる斎神又は安置佛を奉するも差支えなし。

宇宙大生命(みおやのちから)の道を顕揚し、日本の国威を発揚し皇威を顕揚する東道(みちびき)の神として心に幽齋する副神として生長の家大神(古事記日本書紀に顕れたる住吉大神即ち後に盬椎神、仏典に顕れたる釈迦、観世音菩薩及びその応化神基督教の黙示録第一章に顕れたる七つの燈台の点灯者)を禮拝す宇宙大生命は宇宙生命の根本実相にして、宗派に偏らざる哲学的表現を用うれば「生命の實相」なり。

この意味にて道場又は集会室に「生命の實相」又は単に「實相」の掛軸を掲出することあり。


果たしてこうして立教された宗教が異なる宗教として変貌していくのである。

光明化運動とは中心帰一の理念が根本であるが、その理念の中心が今や「谷口雅宣総裁」になっていることを訝るであろう。

私は現役時代に「谷口雅春先生に中心帰一」などそんな教えはなかったのです。
そんなことしなくてもよい環境でもあった。
それは、皆が「谷口雅春」先生に尊崇と尊厳の思いがあり、谷口雅春先生ならばこそという思いが信徒の多くにあった。

だからこそ、総裁に中心帰一など言われなかったし、谷口雅春先生は天皇陛下にこそ中心帰一の原理を説かれているからこそ反対に尊敬されていたのだと思います。

何故、「谷口雅宣総裁」は尊敬されないかというと「自我」が強すぎるからである。
自我を死に切ることが出来ていないからである。
自我に固執してわけのわからない「自然環境」など、どうみても宗教に一切関係のない「異説」を持ち出してきたのが大きな間違いであったことを気がつかないのであろうか。

だからこそ「信徒の大きな減少」をまねいているのです。
それは総裁は「自我」が強すぎるのです。
「国際光明化運動」といいながら、何等光明化運動を実行していないのである。

光明化運動の意味すらわかっていないような気がしてならないのであります。
人類光明化とは日本に生まれて良かった。日本人に生まれたことに誇りを持つことこそが、「人類光明化運動」の根本因であることを気が付いていないからであります。

自然環境といいながら「八ケ岳」に籠った運動になっていることに何等矛盾を感じていないのであります。

それは「人を救えない」教団になっているからです。しかもCO
2の排出を減らしていこうと、当初の運動はどうなったのであろうか?
原子力運動を脱原子力を掲げ、それならば現在の日本の電力の供給源は火力しかないのである。ほとんどの電力の供給が二酸化炭素を多く排出する運動に賛成しているしか考えられない。

なにも考えなしに「日本の将来」などそんなこと関係ない思想の根幹が左翼思想の思想とピッタリと一致するのである。

また、暖房として薪を多量に燃やし、灯油を燃やし「二酸化炭素」を多量に排出する所へ移転してなんら自然環境と地球温暖化をいままで行っていた運動と裏腹なことに疑問に思わないのはどうかしている。

高御産巣日神(たかみむすびのかみ)をカタカナで書いて、何のことかわからなくしている総裁がいる。
漢字での意味というのは非常に重要であることを知らないでいるからであります。日本書紀では
高皇産霊尊と書かれる。
ムスビというのが産霊(ムスビ)というのに非常に大切な意味が含まれていることを知らないからである。
ムスビは生み出す意味があります。そのため沢山の神様を生み出していかれるのです。しかも高皇(たかみ)と書く意味がカタカナでは分からなくなるのです。

カミムスビ(カミムスヒ、カムムスビ)は
『古事記』では神産巣日神、『日本書紀』では神皇産霊尊なのです。

神皇と書いてカムと読みます。噛み合わせであり、神を合わせることなのです。
そうしたことが日本語できっちりと書かなければわかりません。

今の運動こそ似非「生長の家」運動であることを信徒は自覚してほしい。







 


谷口雅春先生著作年譜

 『谷口雅春著作集』を作成させていただいたきっかけというのは、私が「生長の家」に昭和44年入信しました。もともと、母が熱心な信者であったのはいうまでもなく、当時高校1年生の私が岩田美奈子さんという高校生に勧誘をうけたのが最初であります。その頃、生高連(生長の家高校生連盟)の大阪の組織を大高連と呼んでいました。熱心なお誘いは私の人生の道程を大きく左右致しました。また、吹田青年会に入ったのが更に大きな転換期となったのであります。高校生であった自分には青年会の誌友会は魅力的な会合でした。そこで、社会人の青年会員仲間の話の内容が難しく自分には理解できないことが度々です。また、雅春先生の『理想世界』誌の輪読は読めない言葉が多い。だが、必死になって覚えようと漢和辞典や国語辞典を片手に読むようにしました。そんな中でも、「生長の家」は天皇信仰ですと言われても、自分の範疇を超えてなにがなにやらわからない。高田さんという人が「大道無門」(戦前本)という本を持っておられてです。この光景は私の人生に強烈な印象を受けましたが、この事が再び何回か今後起こるであろう人生の印象であることは予感していなかった。高校生で『生命の實相』全巻をアルバイトで購入し、高校生で全巻読破しました。


高校を卒業し、社会人になってからは、超多忙な生活が始まりました。仕事が忙しく生長の家の活動どころではなかったのです。仕事に明け暮れる生活が3年程続きました。しかし、生長の家の気持ちは遠ざかるどころではなく、もう一度「生長の家」の活動をやりたいという沸沸たる思いは、「百万運動」に全精力を注ぐことになったのであります。吹田青年会で中学生育成部長を拝命して、誌友会に中学生が20名の動員が当たり前で、誌友会は楽しく、嬉々とした運動でありました。なんともいえないほど素晴らしい活動でした。そんななか、雅春先生の本を集めようと少しずつは増えていましたが、それより仕事の方が主であり、仕事で150時間の残業をしても、活動もしっかりとやっていました。その当時の本といっても、出版されている本がほとんどでした。

6年間勤めた仕事も光明化運動の活動の為に辞職致しました。我ながらなんと無茶な事をやったものであろうか。やはり若さがそのようなことをさせたのであるが悔いはない。


その後、大阪支部の青年会事務局に奉職しました。

その為、反対に雅春先生の本を購入するとかはなかなか忙しく出来ませんでした。それは24時間が青年会活動であるからです、日夜光明化運動です。古本屋など立ち寄る暇などなかなかありません。それでも、難波の角座前の天牛本店と斜め向かいに天牛書店があり、階段まで山済みになった古本を見るのが楽しみであった。もちろん組合橋筋のイサオ書店や心斎橋の中尾書店、宮本書店、望月書店、日本橋ブックセンターなど昭和書籍とともに3軒ほど並んでいたのが懐かしい。また、昭和55年にオープンした大阪球場なんば古書街などは教養の膨らみを遍く感じさせるお店ばかりであった。また北の方はカッパ古書街がオープンから5年目になっていた。

また大阪第一ビルの高尾書店、植村書店、浪速書林、土田書店など古本屋の全盛期であった。そうしたなかでも、京都の方に雅春先生の戦前本を探索する楽しみがあった。当時、兵庫県の宝塚青年会の小笠原さんの影響もあり京都の古本屋を教えていただいた。また日曜日に一緒に古本屋に行ったことがある。雅春先生の本を収集するという共通の趣味が心躍らされる時であったということはいうまでもない。


その時に現在の谷口雅春先生著作集というのを手書きで「生長の家30年史」を参考に手書きで書いたものが最初の試みである。

そして数年後、小笠原さんもより詳しい一覧表を作成されていたことを知り、それをコピ-してもう一度新たに作成作業をしました。この時に「生長の家30年史」にはない著作や改訂版などの抜け落ちを知りました。

それから、「生長の家50年史」が出版され、最後尾の著作一覧表を参考に手書きで作成した。だが、自分が持たなければ著作集は作れないことを実感したこともあり、なんとかより詳しい著作集ができないか暗中模索でありました。

それから、一般の中小企業に就職しました。そこで初めて金型というものを知るようになりました。

そこで、約6年間の期間金型を学びながら、生長の家の青年会という組織を単位青年会で実務を学ぶようになりました。

その期間では青年会の誌友会を充実と組織の拡大でした。お陰様で常に10人近く集まる集まりでした。

 

だが、仕事は機械設計です。事務所の賃貸でパソコンを置き仕事をすすめていたこともあり、日夜問わず仕事でした。十数年間は年間休日が一週間以内という超ハ-ドな仕事であり、古本屋も行けない状況で10年間近く、この著作集も滞っていた。

たぶん、通常の企業ならば月間の残業数は250時間を超えていた。だが、なんとか纏められないだろうかと、パソコン入力を平成10年頃から取組む作業を開始しましたが、なかなか進まないのが実状でした。

それを3年間でなんとか一覧表らしいものが作成でき、これに基づいて、まずは、永井古書店に間違いなどがないか、抜けている本などがないかを確認していただきました。

ここまで、足掛け37年、手書き作業を3回とパソコン作業を3度の挑戦でようやく書き進め今に至ります。

だが、まだ不安もあり大阪の吉田清吉先生や船越縫次郎の奥様に確認しました。

国会図書館にもパソコンで検索して、抜けている著作がないかも確認しました。

また、長崎総本山の温故資料館に資料を送信して、内容を確認させて頂きました。
このようにして『谷口雅春先生著作年譜』を作らせて戴きました。

奈良市への誤解

谷口雅宣総裁の書き込みです。

M・Tさんから絵封筒が届きました。
「T・K 様
 お元気ですか?
 今日は奈良市に来ています。考えてみればこの町に来るのは学生時代以来かもしれません。奈良県の講習会は、これまで橿原神宮の近くでやってきたからです。この町は神社仏閣が所狭しと並んでいて、「ローマみたいではないか?」などと妻と語り合いました。また、町中をシカが歩いていて、人間になれすぎているのでしょうか、車道に出たり、横断歩道を人間と一緒に渡ったりしていて、車が停まって待つ風景があります。でも、そのシカの様子は、八ヶ岳山麓で出会うシカとはずいぶん違うと思いました。何か体がブヨブヨしていて、動きは鈍く、「美しい」とは感じません。八ヶ岳で出会うシカは、スッと背を伸ばし、軽ろやかに跳躍して森へ消えます。その姿は美しく、追って行きたく思います。こちらのシカは、むこうからやってきて、シカせんべいなど与えようものなら、顔や手をベロベロなめ回されるのだそうです。「自然と共に…」というのは、なかなか難しいテーマだと感じました。
 宿舎のホテルは、1909年創業の老舗で、箱根の富士屋ホテルを思い出させる立派な木造二階建の純和風です。ところが、そこに付属した結婚式場として使われる教会が、なかなか落ち着いた洋館で、美しい姿をしていました。それを絵封筒のデザインとしました。
 それでは、また…
                       -MTより
                       12/07/13   」
私はこうした発言の背景はあまりにも奈良の時代の事について無知であることであります。
奈良の鹿といっても、奈良公園にいる鹿は人になついているものとそうでもない鹿もいることです。若草山や国立博物館や東大寺などにいる鹿は人がいても近づいてくることはありません。ただ、鹿せんべいをもっていると別です。だが少しはなれた春日大社のあたりから、原始林あたりの鹿は警戒心が強く、人が近づくと逃げていきます。
そうした原始林から逃げ出した鹿などが民家の畑の野菜畑などを荒らしています。
そのために、人の手により殺傷も考えられているからです。
だからといって「神の使い」ということでそれも出来ないのであります。

だが、奈良公園にいる鹿はやはり野生であります。動きは鈍くと書いていますが、そんなことありません。
正倉院にいる鹿などはすごい敏速であります。
また興福寺の近くにいる鹿などはゆったりしているように見えますが、やはり野生です。
現在興福寺の金堂を建設していますが、1m50cm位のフェンスを軽々と助走なしで飛び越えます。
私はそうした現実離れしている話をされても、恥ずかしいだけである。

また、確かに近くに神社仏閣はあるが、所狭しとは私は感じません。それなら、どこの場所が所狭しか答えて頂きたいのであります。
そりゃ、奈良公園付近はそうかもしれませんが、なら町などそんなに神社仏閣がありません。
少し離れるとそんなに神社があるわけではありません。それなら京都のほうが多いと思います。

私は奈良は古墳が多いことを挙げたい。あちらこちら掘削すると遺跡が排出するということであります。それを確認したい。奈良公園の近くや西大寺に行くまでもにも大きな陵墓があちらこちらにあるということであります。
奈良市だけでも天皇陵は10か所あります。神功皇后の御陵も西大寺の北側にあります。陵墓参考地などもあわせると22か所あります。
また、それ以外の古墳も沢山あることを知らなければなりません。あの若草山も鶯塚古墳であります。
そうしたことは更に多い陵墓は桜井市や天理市です。山の辺道など行くと古墳だらけといっても過言ではありません。

世間離れした総裁など何の魅力があるのでしょうか?そんなことで宗教を話しても人は付いてこないと思います。

知覧特別攻撃隊

当時の20歳前後の若者が特攻と知りながら散っていくのであるが、それらの若い青年達の遺書は涙なしでは読めない。
喫茶店で涙を出すわけにいかないので汗をごまかしながら、目を真っ赤にして読んだ。
そこに「おや!」と思う文章があったのでここに引用する。

少尉 誠第三七飛行隊 昭和20年4月6日 出撃戦死 鹿児島県27歳 小屋 哲郎
遺書
前略
桜の四月を迎え満足に御座候
年二十七の若桜共桜と散らむ
父上母上皆様 達者で哲郎は今より出撃体当たりせんと致し居り候。
四月六日、陛下へ捧げんこの命、なんとよき日ならんと心得居り候。
弟妹へも一人一人便り出すべき事と心得候え共只今命令受け候いて
取り込み居り候えば何卒御許し下され度候。
何分私の心を心として将来進ませ下され度くひたすらお願い申し上げ候。
甘露の法雨をいただき突込み候故たとい戦死の知らせなくとも
四月六日18時体当り仕り候間仏前へ法雨上げられん事をお希い致し候。
ではご両親様お元気で
一足先に御奉公仕り皆様の御出を御待ち致し居り候。
御祖父様へは父上より御報告なし下され度候。 敬具
                     哲郎
御父上様

あす散ると思ひもされぬさくらかな
生長の家の聖経である「甘露の法雨」を御守としてだけはなく、自分の命の「みなもと」としてのものがある。
このように、国の為という意識のなかで、後世に遺していったものは何か。
あの靖国神社の遊就館にも生命の実相の中にいっぱいに遺書が認められているものが展示されている。
あれと同じように私には感じた。
英霊の声が私には聞こえる。

もし、手に入れたい人は在庫あるかも
知覧特別攻撃隊 村永薫編 ジャプラン  推薦 鹿児島県図書館協会・鹿児島県学校図書館協議会
  定価 ¥1,000


陸軍少佐 海野馬一命

歩兵第五十四聯隊
昭和二十三年四月三日
ボルネオ島にて法務死
岡山県出身
 

 愛児へ
 児等よ嘆ずること勿れ。父の死は決して汝等を不幸にはしない。
 汝等は父の死によって何でもよいから一つの教訓を得よ。
 他の人の得ることの出来ぬ教訓を得よ。そして立派な人間となれ。
 汝等よ。汝等の母は日本一の母なることを汝等に告げる自身あり。
 母の言をよく守れ。母の言は即ち父の言だ。
 和幸君瑞子様誠子様仲よくよき母の許にてよく勉強して立派な人となれ。
 人間は何も高位高官の人となる義務はない。国家のため人にためになる人になるのが人間の義務だ。
 和幸君よ父は汝に将来如何なる職業に進めと云ふ権能はない。
 又汝の性格も判らぬから申さぬ。然し弱きを助けるのが男だ。
 父は軍隊生活中この気概を持してやって来た。(中略)
 「弱きを助ける人となれ」これが父の言葉だ。汝未だ五才と雖も父の言を忘るる勿れ。
 瑞子様はお姉さまだから父の心がよく判るであらふ。
 和幸や誠子が成長するに従ひ父の心を傳へて下さい。(後略)

 

運命の原理

『運命の原理』

左下に「植物もこの運命を放つ」雅春先生の揮毫ですね。すべてが雅春先生の揮毫と画です。

この本は戦後まもないころに新版「生命の實相」第一巻として発売されたのです。

昭和2271日発行です。

萬成書房も同じ本を出版されています。


運命の原理

『光明の思想』

先日、インタ-ネットで戦前の『光明の思想』という、谷口雅春先生の御著書を手に入れた。
もちろん、所持していなかったので、久々の戦前本の購入である。勿論、今年になって5冊程、戦前本は購入しているのだが、全て重複である。
前回にも記入したが、なかなか戦前本は見つからない。諦めに近い心境でもあるが、ここで諦めはしない。いままで、戦前本が1日で20冊程見つかることがあった。きっと見つかるであろう。
さて、『光明の思想』という本は「生命の藝術社」からの出版である。昭和10921日発行である。
「生命の藝術社」の出版はこの当時
『出世前・生・死・死後の研究』 (谷口雅春著作集第1篇)昭和971
『生命の烈風(いのちのはやて』  昭和9915
『新生活の出発』 (谷口雅春著作集第4篇)昭和10421
『光明の思想』   昭和10921
『地湧の浄土』  (谷口雅春著作集第5篇)昭和101215
『生命の神秘』  (谷口雅春著作集第6篇)昭和101215
『生命の奔流』  (谷口雅春著作集第3篇)昭和101215日 今年、後藤書店にて購入
『本當の教育』  (谷口雅春著作集第7篇)昭和101215
『いのちのはやて』(谷口雅春著作集第2篇)昭和101215
『光明主義』   (谷口雅春著作集第13篇)昭和11120

ここに記入されている谷口雅春著作集第○篇というのは函にのみ」記入されており、それにより記載しました。(中には何も記入されていない)
当時、書店に置いてもらうため、谷口雅春先生はこうした題名のついた本を『生命の實相』とともに出版なされていました。また廉価版や事変版など人事処を使いこなされていた。
当時既に『光明思想普及会』としても光明思想の本を次々に出版され。「生命の藝術社」という出版社とともに生長の家の普及に全力で邁進されていました。


 

 

『光明の思想』という本は現在の「生命の実相」(40巻)の第17巻 宗教生活篇・第18巻 宗教問答篇です。
この本は同時に『生命の実相』愛蔵版 第9
       『生命の実相』全集  第9巻(戦前・戦後)新修普及版・新修特製版(見返装丁)
       『生命の実相』火の巻(革表紙版・事変版ビロ-ド表紙版・人造羊皮版)
       『生命の実相』菊版装 第6巻(全13巻)
       『生命の実相』大聖典
       『生命の実相』中聖典
       『生命の実相』携帯版叢書「生活に生きる宗教」
       『生命の実相』戦時廉価版 第9巻(全15巻)
等に内容が収められている。

こうして考えると、いかにして谷口雅春先生は『生長の家』の教えを国民に普及させようと努力されたか垣間見ることができます。

『生命の実相』戦時廉価版といえども、装丁はハ-ドカバ-であり、紙質が劣るだけである。何故、これが廉価版なのだと、思いたくなる。雅春先生は戦時中においても出版された生命の実相は今なお三方の金が美しく光輝いている。

國境

國境といえば日本と中国とかを想像するだろうが、明治時代では丹波や播磨や攝津とかの境界線は昔は國境と読んでいた。

昨日、何年振りであろうか、高校3年生の林間学習で大阪府の最北部というべき剣尾山に登った。その山に昨日に登った。登った位置は異なるが、頂上付近はその当時の記憶を呼び戻すには時間がかからなかった。
私の高校生時代の頭に描いた模様とピッタリと一致したのである。

すごくうれしくなった。

嗚呼、この山に来たかったと心で叫んでいる。そこを登るのに能勢温泉という所から登った。その周りも20数年前に子供達を連れて遊んだ。
その当時はかんぽの宿として、税金を湯水のごとく使っていた建物である。その周りはアスレチックがあり、子供を遊ばせた。

現在はそこも能勢の郷として行っていたが、潰れていた。
ただ、能勢温泉だけは繁盛していた。

さて、その能勢の郷の横から山登りを開始した。登りばかりの山である。だが整備されているのには驚いた。
環境もよく、いい登山コ-スである。私は地図も持たないで登ったため、最初に剣尾山に着くだろうと予定していたのですが、横尾山である。あれコ-スを間違っていることに気が付いた。ここは横尾山と剣尾山と行者山と連なっている。そしてほとんどその登山口から近くに戻るコ-スが選択できるのです。

ちょうど、横尾山の頂上から少し行くと、国境という石碑があった。明治時代に建立された石碑であるが、國境である。
写真は後ほど貼り付けます。

「和解」を言って「和解」出来ない人がいる。

「和解」という言葉だけに惑わされ、それを推進するあまり周りと諍いが絶えない男がいる。
こういう人は脚下照顧が出来ない人なんだろう。
自分は喧嘩ばかりして正当性を訴えている。
そんな馬鹿な事があるのか?

いくら自分の主張が正しくとも、人を唆したり、罵詈雑言を浴びせたらその人はどう思うのであろうか?
そんな人が仮に正しいことを述べても、誰もが本当かなと疑義に思う。

掲示板で人を罵倒を平気でする。掲示板内ではイザコザが絶えたことがない。自分が正しくともこれほど反対を唱える人がいるのは何故だろうかと考えたことがないのであろうか?

殴り合いの喧嘩をしながら、この人とは「仲良し」なんだというに等しい。
そんなことが見えない彼は不思議である。

私もいろいろいわれたが、有難く受け取っている。

私は母の勧めで「生長の家」に入信した。それと生高連(当時は大阪は大高連とよんでいた)に熱心に勧める人のおかげで素晴らしい生長の家に入信した。

しかし、夏季高校生練成会に行っても、帰ってくれば兄弟に唆されると「腹が立って」仕方がなく、喧嘩している時があった。
しかし、本当にそんなことすれば、周りは「生長の家」のことをどう思うか考えていない。

自分の主張が正しいと思っていることで、それに反発されると「腹が立つ」そうしたことが周りを不調和にさせ、何の為に生長の家を入信しているのか疑問に思っていた。

そうしたことが、生長の家を何年も経歴をもっていても、わからない人がいる。私もそうしたことはダメであることが次第に分かってきた。

私の親戚に「生長の家」に熱心な人がいる。地方講師で「立派な勲章」をもっている。だが兄弟と仲違いしているのである。それは生長の家の講習会に勧めたり、兄弟では生長の家の話ばかりしている。そんなことが反対に生長の家を勧めるのに阻害していることに気が付かない。

何が「生長の家」に阻害しているのか?
それは「協調性」がないからである。
まずは協調性と自分が過ちなら「キッパリ」と身を引く姿勢であろう。
それにはまるで生長の家とは違う気持ちかとか思われてもいいではないか。信念さえもっていれば崩れることがない。
それをわからないのでは「和解」を称える人格が備わっていないことである。

偽証の生長の家

今の生長の家を語る時最早以前の「生長の家」とは異なった宗教であることを自覚しなければならない。
いや、そんな事ないという人もいるであろう。
「生長の家」の名前がある。
いろんな御託を並べても冷静にみればわかることである。現在の生長の家は偽物であることを。
それは断言してもよい。

安東先生が言っておられましたが、食材偽証問題で俄かに世を沸かした。阪急である。プライドの高いデパ-トである。私も2回程食べたことがあるが、職員は誇りを持っている。

これぐらいでは分からないであろうと、人間智で「聖経」を操作し、それを信徒に読ませているのに似ているのである。
「芝海老とイカのクリスタル炒め」には、安価なバナメイエビが使われていたが、美味しければそれでいいということをいう人がいるであるが。バナメイエビには申し訳ないが、芝海老にはなれないのである。
「生長の家」を環境という宗教とは程遠いことを平気で言う。それは「芝海老」を「バナメイエビ」と言っても、「バレナイ」だろうという邪悪な精神がある。

「生長の家」は昔から「天皇信仰」である。「日本国家を護る」愛国団体である。
「人々を救済」し、肉体無しであり、人間「神の子」の真理なのである。あらゆる政策方針が「天皇」に繋がるのが生長の家なのです。

それを「和解」などと人々を迷わすようなことを平気でいう輩がいる。しかし、そんな人間ほど「和解」についてなにもしないのである。傍観者で常にいたい人である。「良いこと」はいうが自分は嫌われたくないから、皆をヨイショしているのである。
そんな人間はそれでいい。反対に何もしないほうがいいのかもしれない。
世渡り上手な人なんだろう。
私はそんな人間にはなりえないし、なりたくもない。

世間というのを知らないで「生長の家」では先生とよばれているのであろう。だから、そういう人間になるのであろう。
一度世の中のいろんな場面に遭遇すればいいのであろうが、「生長の家」の職員でいる限り難しいであろう。

生長の家教団もそうである。雅宣総裁の姿は最初の出会いは互いに高校生の時である。全国大会の夜に「日比谷公園」で日の丸行進を行う時に「シュプレヒコ-ル」」を行っていたのが、現雅宣総裁である。
それから見たのが25歳位である。清超先生の後を番傘を講師に被されながら、歩く姿があまりにも異様であったことである。こんな人が生長の家の総裁になる人か非常に疑問を持ったことである。
その疑問が見事に当たっていたのは我ながら眼力をもっていたのであろう。
その後あったのが「顕齊」である。多くの信者でごった返している練成道場で靴を探しているのが私と現総裁である。

その後「生長の家」の本部で現総裁になれば大変になることを私の知り合いである。数人の本部職員が言っていたのを今でもはっきりと覚えている。
その危機感は凄まじいものを感じた。それが現在の起こっている状況である。本当に年経ち、それが現実となってきたのである。
やはり、そうした人が何人もいたことと「正夢」であった。「芝海老」が「バナメイエビ」といってそれが通用しているのである。しかし最後にはその偽物は光に当たり、消えていく運命なのであります。

自治会の定例清掃

今日は自治会の掃除である。月一回の掃除であるが、今年はほとんどの月で出席した。
私は刈込器を使用して草刈をするのが担当のようである。

私は3年間に亘り、自治会長を務めてから今年で6年程経過している。自治会費も値下げしているが、私が刈込しなければほとんどの人はやらない。後は同年代の一人が刈込器を使用するだけであるといってもよい。

将来のことを考えたりすると、自治会に多少の貯蓄は必要である。そんなことしないで「今」だけよければいいという考えには私は組しない。

そういう人はその後、何もしないのが殆どである。そんな人が多いのも確かである。

この私の住んでいる団地も団塊世代である。一人住まいも多くなってきた。互いに助け合う隣保班が必要になってくる。
そうした自治会になることも必要であろう。

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