2013年12月31日 (火)

本年を振り返って

さて、谷口雅春先生とは真逆な思想である。
そこで、この雅宣総裁というのは自然崇拝であるのか?
自然とは時には人を慰め、時には人を脅威に与えるものである。
私は人より自然を謳歌しているが、自然の恐ろしさもまじかに見ている。

普通では考えられない脅威が起こってくることもしばしばあります。

大きな大木を破壊し、雪崩や氾濫を起こし、人の命を奪うことがあります。あの東日本大震災も自然の驚異である。

そんな自然など来てほしくないのは当然であろう。
それだけではない、この私の住んでいる間近でもい水害が起こっている。しかも吹田市は水災害に備えて水を蓄える貯蔵所のようなものを地下に製作していたのにも係わらず、それを超える災害が起こった。

想定外などと簡単にいうが、自然というのは想定出来ない。

日本では昔からそうした深い山には住まないことにしていたのです。
そこには神としての山があり、今でも多くの山の麓には神社が建立され、神社がなくても小さな祠があるところが多い。それは「山」や「森」は神住む所であり、決して人間が足を踏んではいけない場所でもあった所が多い。

山の神や海の神や石の神など様々な神が日本には存在しています。それを祀るのが「日本の祭り」です。
自然の恵みとその反対に自然の驚異を鎮めるのがその神社の役割であります。
私はそうした自然を人と対峙させるのは唯物思想そのままではないかと思っている。自然とはそのように脅威を醸し出すようなものが「信仰」の対象であるのか不思議な感覚を持っている。

例えば「山」を信仰する場合、その祖霊などを祀り、畏敬の念としての「山」でなければならない。
それが全く除外して何が自然かわからない。
そうした雅宣思想は唯物思想を根拠としている場合が多いことを知って頂きたい。
そうした思想は危険な思想と断言してもいい。

今回のブログは「大東亜戦争」を侵略戦争として断言し、大東亜戦争で逝った尊い命を単なるA級という言葉だけで断罪し、なんら左翼の信条と変わらない思想の持主であることがわかります。

そうした「八ケ岳」教団としての思想は大変危険だと知らなければいけません。
その危険というのは「無知」であるからであります。
その人達がどのような行為でA級と断罪されたのか知らないで、しかも事後法の間違った思想そのものである、東京裁判を肯定しているのでありますから、これほど醜いものはない。



第3次小泉内閣下において民主党野田佳彦国会対策委員長は「『A級戦犯』と呼ばれた人たちは戦争犯罪人ではないのであって、戦争犯罪人が合祀されていることを理由に内閣総理大臣の靖国神社参拝に反対する論理はすでに破綻していると解釈できる」とし、「戦犯」の名誉回復および極東国際軍事裁判に対する政府の見解と内閣総理大臣の靖国神社参拝について質問を行った。これに対して2005年10月25日に提出した答弁書において、政府は第二次大戦後極東国際軍事裁判所やその他の連合国戦争犯罪法廷が科した各級の罪により戦争犯罪人とされた(A級戦犯を含む)軍人、軍属らが死刑や禁固刑などを受けたことについて、「我が国の国内法に基づいて言い渡された刑ではない」とした一方で、戦犯の名誉回復については「名誉」及び「回復」の内容が必ずしも明らかではないとして、判断を避けた。。首相の靖国神社参拝に関しては公式参拝であっても、「宗教上の目的によるものでないことが外観上も明らかである場合には、日本国憲法第20条第3項(国の宗教的活動禁止)に抵触しない」との見解を示した。