何故そうなるのか?
これは誰しもが経験し、誰しもが不思議に思うことかもしれません。
生長の家の熱心な講師で両親とも深く「生長の家」を実践し、小さい頃から生長の家の神想観に
徹しており、ゆくゆくは生長の家の本部講師になろうと思うような人が返って、生長の家に反逆し
社会党の組織にのめり込み、委員長も行う人間になった。
弟は平凡な人生で両親は兄を思い切り可愛がったのか、愛情はあったが長男の方に偏重することは
どこの家族にもある。
そういう弟が却って「生長の家」の熱心な信徒となり講師も務める人となる。

それはどうしてなのか?
それは愛情というのが何処にあるかということと、どういう人間に育てていくのかというより指針をしっかり
抑えて自由に闊達にその人の人生を任せるような教育が却って「人を育てる」こととなる。

それと同様にある熱心な講師に傾倒しその講師にファンクラブのような仲間でも、ある一方は愛国心を旨として、生長の家の雅春先生の信仰に傾注する人間と方や雅宣総裁を指示し、そうした愛国運動を批判するグル-プが出来てしまう。

同じ講師で学習しそうした相反するような仲間が出来るのであろうかである。
私も「生長の家百万運動」に傾倒しその運動をひたすら行った。だが今もなお現組織の運動を続け「百万運動」を批判する同志も中にはいます。
また批判はしないがあまりよく思っていないその当時の仲間もいます。

私はそうした相反するような事は谷口家でも起きているではないか。
雅宣総裁以外はその兄弟全員は違う考えではないか。雅宣総裁は左翼的考えであるが、それ以外の兄弟は「雅春先生」を指示して生きているではないか。

何故そうなるのかであろう。
そうした兄弟のなかでも思想が異なることは誰しもが経験したことであります。
そこになにが潜んでいるのかであります。

私の兄弟でもいえます。母親の熱心な信仰により「生長の家」に触れたのですが家族が多いなか現在も生長の家を行っているのは私一人です。

生長の家に反感している兄弟はいませんが、そういう信仰など行っていません。そこに何があるかがわかります。
それは「より日本的な考え」で「天皇陛下を仰募」している人は生長の家の信仰に深く傾注します。
私も「生長の家」というのは「愛国運動」の方が好きでしたから信仰より運動にどうしても傾倒していましたが、百万運動というのが私の人生を変えてしまいました。

信仰における愛国という基盤が出来てしまったのです。だからこそ雅宣総裁のような教えが雅春先生の違いが明確にわかるのであります。
違いという言葉で書きましたが、「間違い」という言葉が正しい。
現在の「生長の家」教団は間違っているのであります。そういうことが「生長の家」の信仰による正しい歴史観により育まれたのであります。

古事記や日本書記でも「雅宣総裁」を支持されている人は本気で読んだことがあるのでしょうか?
そこから引き出される言霊を解釈されてことがあるのでしょうか。

雅春先生は『真理』青年篇において言霊解釈が書いていますが、そもそも雅春先生は大本時代に『言霊と神通力』という御本を書かれています。それは宇宙の響きと一体になる言葉の響きそのものが「日本の言葉」に宿っているのであります。
以前にも書いたのですが

『生長の家五十年史』には
《谷口雅春先生は言霊学については既に大本時代において、江戸時代の国学者である堀秀成や、明治時代では川面凡児や林甕臣の著書を読まれて、その素養を身につけておられたが、この時には、これらの人の著述を典拠としているだけでは異説紛々として確実な解釈を得ることが出来ないために、言葉にヒビキがあり、ヒビキにハタラキ即ち命があると言う真理から、自らの言霊学を『日本霊学略解』(昭和133.01発行生長の家講習会テキスト:50音の霊性を解説同内容が『日輪めぐる』『幸福読本』に記載)としてまとめられている。また戦後は、それを改訂されて『真理』第4卷青年篇に「言霊の神秘について」と題して収録されている。》印は山ちゃん記載

だが、ここで見落とされているのが大本時代の『言霊と神通力』である。これが基本となっていることを見落とせば『古事記』との関連との発想が見出されない。それは大本に入信していたから結びつける事が出来るのである。

最後に『言霊と神通力』に

1)宇宙の一大神劇

何と言う皇典「古事記」は驚くべき大預言であるだろう。私は此頃つくづくこの書物が上中下三巻日本の国に逸散せずに残されているということは、吾等にとってどんなにか力強い事であるだろうと考えます。この纔(わず)かな書冊のうちには過去現在未来を通じて宇宙に起って来るべきあらゆる悲劇、喜劇のプロットがをさめられています。それは全く驚くべき秘密の玉手箱であります。

 このようにして直感にて古事記を預言されているのであります。


その言霊を解釈することが「生長の家」の信仰において大切であることを忘却している。
だが、不思議な人もいるのです、私のように頭の悪い人は理屈をこね回さないとわからない人もいますが、中には直感で把握する人もいます。

そうした直感で把握する人はもともと基礎が出来ているのでしょう。

さて、生長の家で分派というのが生じてしまった多くの要因は『言霊』解釈が出来なかったことが由縁であると思っています。
言霊解釈が出来れば宇宙の言葉や「統」(す)という言葉の大切さや日本における歴史と縦の繋がりを理解することになります。
そこが分かれ目のようです。

いくら真理を言おうとしても「言霊」の大切が根本的に分からないから説得力がないのです。
その「言葉」である『言霊」を「宇宙浄化の祈り」を無くしてしまったのは『真理』青年篇(4巻)を放擲し、「生長の家」の真理を放棄したことに繋がることを理解出来ないからであります。