追尊天皇について詳細なことが記入されているブログから抜粋致します。

1.追尊天皇とは
 生きているうちに皇位に即かなかったが、没後に天皇号を贈られた皇族

  岡宮天皇  崇道盡敬皇帝  春日宮天皇  崇道天皇  慶光天皇(尊号は太上天皇)

2.不即位太上天皇とは 皇位に即かなかったが太上天皇号を送られた皇族

  小一條太上天皇  後高倉太上天皇  後崇光太上天皇  陽光太上天皇

3.歴代天皇列記経験女帝とは 史料に歴代天皇に列記された経験のある女帝で、現在は歴代天皇ではない皇族

  神功皇后  飯豊天皇




岡宮天皇陵岡宮天皇(草壁皇子)  758年追尊
奈良県高市郡高取町森

近鉄吉野線壺阪山駅北西に位置する

近くの春日神社境内にある束明神古墳こそ岡宮天皇陵との説あり

※父(天武)母(持統)妻(元明)子(文武・元正)皆天皇


黄金塚陵墓参考地崇道盡敬皇帝(舎人親王)  759年追尊
奈良県奈良市田中町

JR桜井線帯解駅東南東約1000mに位置する

日本書紀編纂主宰者としてあまりにも有名.盡敬皇帝なる称号はこの親王のみ
宮内庁は参考地で陵指定していないが、候補者は崇道盡敬皇帝らしい。

※子(淳仁)天皇

田原西陵春日宮天皇(志貴皇子)  770年追尊
奈良県奈良市矢田原町

奈良交通バス田原御陵前下車すぐ

「石走る…」の和歌はあまりにも有名

※子(光仁)天皇

八嶋陵崇道天皇(早良親王)  790年追尊
奈良県奈良市八島町

奈良交通バス八島町下車南へ100m後東へ100m
山辺の道沿いにあり

種継事件に巻き込まれ無罪を主張。後怨霊騒ぎとなり追尊。
近くに御霊神社あり


※兄(桓武)天皇

盧山寺陵慶光天皇(閑院宮典仁親王)  1884年追諡
京都府京都市上京区北之辺町蘆山寺内

京阪電鉄出町柳駅下車西へ150m河原町今出川交差点の次
の信号を南へ(寺町通)300m左側

閑院宮二代目。江戸時代に追尊につき幕府に断られること二度。当時の幕府と
皇室の力関係が髣髴されます。

※子(光格)天皇

小一條太上天皇(敦明親王)  1017年太上天皇
陵地未ダ決定セズ三條天皇の第一皇子。藤原道長の力で太上天皇号を贈られるが、この贈号
は、正式な太上天皇ではなく、準太上天皇という説もあり。今回は、「陵墓参拜
寶典」に贈太上天皇扱いされているため、ここに掲載。ただし、陵地不明。

※父(三條)天皇

鵺塚陵墓参考地後高倉太上天皇(守貞親王)  1221年太上天皇
京都府京都市伏見区深草本寺山町月輪南陵兆域内

京阪電鉄鳥羽街道駅下車東へ400m程

高倉天皇の第二皇子。承久の乱により太上天皇不在の折、鎌倉幕府の力に
より贈太上天皇。鵺塚は元平安神宮南の岡崎グラウンドにあったが、昭和三十
年頃現在地に発掘物のみ埋蔵す。

※子(後堀河)天皇

伏見松林院陵後崇光太上天皇(貞成親王)  1447年太上天皇
京都府京都市伏見区丹後町

京阪電鉄伏見桃山下車南南西へ300m程

北朝第三代崇光天皇の皇孫。現皇室はこの直系らしいです。

※子(後花園)天皇、父栄仁親王(伏見宮家祖)

月輪陵陽光太上天皇(誠仁親王)  1588年?贈太上天皇
京都府京都市東山区今熊野泉山町

京阪電鉄東福寺下車東南東700m程

正親町天皇の第一皇子。即位が約束されていたのにも関わらず歿する。
息子天皇になるがゆえに贈太上天皇となる。

※子(後陽成)天皇

狭城盾列池上陵神功皇后  
奈良県奈良市山陵町

近鉄京都線平城駅下車北へ200m程

仲哀天皇皇后。摂政期間が長いためか天皇に列せられることもあったので
特に掲載する。なお、この陵は陪冢を多数持つが今回は割愛。

※子(應神)天皇

埴口丘陵飯豊天皇  
奈良県北葛城郡新庄町北花内

近鉄御所線新庄駅下車南へ400m程

履中天皇皇孫。清寧天皇歿後政務期間があるためか天皇に列せられる場合
がある。事実、御陵制札も飯豊天皇と記載されている。

※弟(顕宗・仁賢)天皇