私は下記の文章を読んで『和解派』の論理は瓦解した。
こんなこと言っても「和解派」の人には全く分からないであろう。
和解とは誰と何を目的にするのか?
ましてや生長の家のトップである谷口雅宣総裁は和解などする気もないし、自分は悪いとコレポッチも思っていない。それを「学ぶ会」に対して「和解」せよと説いても和解など出来ようがない。
また、自分が率先垂範して和解の行動をとるのかとみれば、単なる傍観者に席捲しようとするだけである。

無理に「雅宣総裁」と「本流」とを対峙させようとするのは本質を誤魔化しているだけである。
「和解」という言葉を説いてから、その状況は益々悪くなるのは何故なのか?
偽聖経にしてもしかり、総本山を聖地ではないという発言もそうである。全てが雅宣総裁が発した言葉に和解を阻害する核心があるのではないか。
冷静に物事を判断すればわかることである。
『本丸』は雅春総裁に有り、そのことを自覚しないかぎり、その本質を見いだせないであろう。
「和解」をいえばいうほどその本質を胡麻化しているということを知らなければならない。
その和解とは誰に和解するのであろうか、仮に和解しても、雅宣総裁は自分の意見を全く譲る気はない。
それならば、唯々諾々として雅宣総裁という事を聞くことなのか?
それならば、雅春先生の説かれた「生長の家」の真理は喪失してしまうではないか。
そんなことは「和解」とはいわない。
和解を説いている和解派はその本質を何も言わないで「和解」をいえば「和解」がやってくるような空夢を描いているに過ぎない。それならば「和解」を雅宣総裁に提言すればいい。だが「和解派」は雅宣総裁に提言することを全くしようとしない。
自分の地位保全に必死だから仕方がない。そんなことでは「和解」など無理である。
今回の「宇宙浄化の祈り」「大東亜戦争」を否定するなど「反雅春先生」を表明しているではないか?
それでも和解せよというのか?そんなもの「生長の家」の教団ではない。和解することにより「生長の家」教団を失ってもいいのか。


日時:2014年11月22日 (土) 20時29分
名前:破邪顕正


私が予想していたことが悉く当たったようです。

谷口雅宣総裁の本性、正体がいよいよ明らかになりました。

この度、「ご祭神」の変更によって「宇宙浄化の祈り」がなくなりました。

また、谷口雅春先生のご生誕日という、誠におめでたい日に、谷口雅宣総裁は、「大東亜戦争」を否定し、「占領憲法」の擁護をはっきりと表明したそうであります。

徳島教区での講習会での講話を再現したわけです。

やはり、こちらが見抜いていたように、講習会での質疑応答はヤラセだったわけです。

如何にも講習会受講者からの質問があったかのように装い、それに答えたという形式にしていましたが、最初から、「占領憲法」を擁護する目的で、そういう話をしたというわけであります。

もう、これで谷口雅宣総裁という人がどういう人であるか、わかったでしょう?!

谷口雅春先生の「教え」に背反するようなことを説く谷口雅宣総裁にはっきりと「ノー」というべきときが来たのではないでしょうか。

しかも、それを谷口雅春先生のお誕生日で言うのですからね。

谷口雅宣総裁という人は、まったくの“確信犯”だということです。

心ある信徒の皆さん!

平成26年11月22日、この日をしっかりと銘記しましょう。

そして、この日を、自らの教団退会記念日にぜひしてほしいと願うものであります。