それではそうした投稿をみていきます。
トキ掲示板の本流対策室で

9045トキ:2014/08/30(土) 19:59:13 ID:OGEvuyQE
 こういう投稿がありました。

------------------------------------------------------
bs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=2207

《慄然!唖然!愕然!》とうとう、谷口雅宣総裁はここまでやってしまいました!生長の家の「御祭神」まで変えてしまいました!住吉大神とともに天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神を祭祀するそうです!NEW (11594)

-----------------------------------------------------

 最初に、この情報の裏は私はとっていません。しかし、個人的には
信頼できる内容だと思っています。

 以前から、組織内で噂がながれていましたが、とうとう、本当に
やりましたか。うーん、残念です。

 おそらく、本音は、「御祭神」を住吉大神から天之御中主神にかえ
たいのですが、さすがにそれをいきなりすると信徒から大反発が来る
ので、「御祭神」を増やす、という手段に出たのでしょう。「御祭神」
を増やすのなら、当分は説明ができます。

 しかし、「格上」の「御祭神」である天之御中主神を祀ると、自働
的に住吉大神が隅に追いやられる事になります。そのうち、適当な名目
をつけて、住吉大神を「御祭神」から外せばいいという計算があるよう
な印象があるのは、私の勘違いかしら?

 総裁のご著書に「神を演じる前に」というのがありますが、今の総裁
は本当に「神」を演じておられるような気がします。

 しかも、もし、もし、純粋に天之御中主神をお祀りしたいのなら
(第一義の神様を祀る意味については議論の余地がありますが)
森のオフィスの中に、「世界平和神社」でも「雅宣神社」でも作れば
いいのです。現に、森のオフィスには、訳の分からない祠を作ってみ
んなで例の「新経本」をとなえています。

 それをせずに、わざわざ総本山の祭祀に手を入れるのは、総裁が、
住吉大神を外したいのだ、という意図があると考えるのが普通だと
思います。

(つづく)

9047トキ:2014/08/30(土) 20:08:26 ID:OGEvuyQE
本部としたら、神社の中に、複数の「御祭神」があるのは珍しく
ないから、特に問題がないのだ、という説明をすると思われます。一般の
神社なら、それはあり得るかもしれません。

 しかし、総本山は、その建立の趣旨が鎮護国家であります。

これをいきなり変更するのは、信仰的に見て、おかしいし、真面目に勉強している
信徒からはまたまた反発が来るのは予測できます。

 最近、ともかく、幹部も職員も本部の事を全然信用していません。

 普及誌も、馬鹿馬鹿しくて、他人には勧められない、と公言する人も
多いです。先日、某教区で会議があり、その席上、出席者の一人が、

 「生長の家がここまでおかしくなったのは総裁の責任だ。総裁が辞めない
限り、組織は衰退する」

と発言し、騒ぎになったのですが、その時に、責任者が発言を鎮めるのに
言った内容が、

 「みんな、そう思っている。しかし、それをここで言っては無茶苦茶にな
るから、今日は押さえてくれ。」

とかで、教区のほうも我慢して、我慢して、運動を続けているのです。

 しかし、こんな無理な事をしたら、またまた現場から怒りの声が出るのは
必至です。

 本当に困った事だと思っています。


http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=2207


いや、困ったものだけではありません。
わがままを押し通した谷口雅宣総裁らしい。
雅宣総裁であるなら、そんな無茶なことも行うのはありえます。
だが、茶坊主の磯部君など黙っているのも茶坊主らしい。

本当に注意する人物がいなければやりたい放題です。

 「生長の家がここまでおかしくなったのは総裁の責任だ。総裁が辞めない
限り、組織は衰退する」

多くの人物がそのように思っていても、何も出来ない。いや噴火の一歩手前であると思います。
たぶん、主祭神である住吉大神を外す考えは、今までの一連の行動をみれば多くの人は頷きます。
天照大神を主祭神とする。

無茶苦茶であるし、それは行ってはいけない神道での規範があるのです。
そうした規範が幹部はわからない。

昔、織田信長が神社やお寺などを焼き討ちとして近畿にある諸神社は改名としてその存続を実施しました。

【牛頭天王信仰(ごてんのうしんこう)】より抜粋

今は少ない神社ですが「牛頭天王神社」は元々違う主祭神であったのが
牛頭天王は京都祇園の八坂神社の祭神で、疫病を防ぐ神であり、薬師如来を本地仏とし、神道におけるスサノオ神と同体であるとされている。また、祇園精舎の守護神であるので、この神を祭った場所は、しばしば祇園と呼ばれる。
 京都祇園の八坂神社は、貞観年間に円如が播磨国広峰から牛頭天王を遷してここに祀り、元慶年間、摂政藤原基経が牛頭天王のために精舎を建て祇園社と呼んだのに始まる。天禄元年、悪疫を鎮める祇園御霊会(祇園祭)が始まったと云われる。

 当時は医療技術が乏しかったので、疫病を防ぐ強い力を持つ牛頭天王に対する信仰は、平安時代末期から中世にかけて広範囲に広まっていった。牛頭天王は略して単に「天王」と呼ばれたが、民衆にとって、「てんのう」とは、天皇のことではなく牛頭天王のことであった。
 新たに牛頭天王を祀る社を作るのみならず、従来からの古社に牛頭天王を併祀することも多く行われた。そして、それらが、いつの間にか、従来からの祭神を押しのけ、牛頭天王を主祭神とするようになり、社名までもが変えられていったのである。

下って、近世に入ると、国学者や神道家が現れてくるが、彼らにとって牛頭天王は誠に疎ましい目障りなものであった。神道こそ絶対であるとして、神仏混淆・本地垂迹を排撃する彼らにとって、記紀の中で重要な位置にあるスサノオ神と習合している牛頭天王は許しがたいものであった。さらに、「てんのう」と称することは「天皇」に対する重大なな僭称であり、大不敬と思われた。延喜式に記された由緒正しい古社までが牛頭天王を祀っていることに彼らは憤激したのであった。

かくて、彼らは牛頭天王信長対策説なるものを考え出す。これらの神社は織田信長による社寺破壊の難を免れるために、織田氏が信仰篤い牛頭天王を祀っていると称しただけのもので、本意から牛頭天王を祀ったのではないと云う説を作り出したのである。今、為那都比古神社に建っている「為那都比古社」と彫られた石柱は彼らによって立てられたもので、「牛頭天王社と称してはいるが、こここそ延喜式内の為那都比古神社である」と云いたかったのである。

 やがて明治維新となる。国学者たちが拠った明治政府は神仏分離を政策とし、牛頭天王を祭神としていた神社に対しては、すべてその祭神をスサノオ神に変えるか、もしくは、祭神の中から牛頭天王を除外することを求めた。かくて、京都の祇園社自身も、その名を八坂神社と改め、祭神をスサノオ神に変更した。箕面でも、為那都比古神社は名を昔に戻しで祭神の中から牛頭天王を削除し、阿比太神社は名を旧に復して祭神をスサノオ神とし、粟生天王社はスサノオノミコト神社と改名し祭神もスサノオ神とした。

さて、こうした神社はその地域での昔から行われた慣習があり、私の会社の近くには素盞鳴尊神社が多くあります。猪名川町だけでも6箇所あります。また八坂神社も多くあります。

このようにして改名したことも理由があり余程ではない限り主祭神を変えることはありえません。